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アーティストとして生きるには:その32(2,005字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 12ヶ月前
今回で、この連載は最終回とする。ここまで連載を続けてきて出た「アーティストとして生きる」ということについての結論は、「動画投稿サイトの『地方移住ショート動画』を作る」ということになる。なんとも低俗な考えに見えるが、それこそがアートらしい、ということもできる。実際、「地方移住ショート動画」には、こ...
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アーティストとして生きるには:その31(1,723字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 12ヶ月前
2020年代が、1920年代、1970年代と同じような「アートの時代」であるとするならば、2023年の今、それはすでに「始まっている」ということになる。だから、今現在の世の中を見回せば、そこに新しいアート作品はあるはずだ。ただし、それは一見アートに見えづらいだろう。なぜかといえば、アートというのはできた当初は「...
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アーティストとして生きるには:その30(1,547字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 12ヶ月前
今、地方に移住する若者が増えている。この現象は、これからのアートの方向性、あるいは価値をとらまえる上で、とても貴重な情報と考える。しかしこの「地方に移住する若者が増えている」という現象の本質は、なかなか見えにくく、とらまえづらいところがある。第一、世の中のほとんどの人は、まだ「人は大都市に集中し...
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アーティストとして生きるには:その29(1,692字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 12ヶ月前
1970年代、来るべき80年代の「大量消費社会」を予感しながら、若者たちは「新しい生き方」を模索していた。すると、その取り組みがやがて巨大なアートムーブメントになった。特に「イラスト」は、70年代アートシーンをリードした。それに、ファッションや音楽、マンガやアニメなどが追随して、独特の文化が生み出された...
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アーティストとして生きるには:その28(1,770字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 13ヶ月前
今は「新しい生き方」が求められている。それは、一つには多くの人が、ほとんどの場合で「潜在的に」ではあるが、今の生き方に窮屈さを感じているからだ。それでいて、多くの人がそこから抜け出せていない。それは、まさに彼らが「潜在的に」窮屈さを感じていることが主な原因だが、たとえ「顕在的に」意識できたとして...
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アーティストとして生きるには:その27(1,729字)
コメ2 ハックルベリーに会いに行く 13ヶ月前
みなさんは「ひとりキャンプ」についてどう思うだろうか? ぼくは、「ひとり」というのは比較的好きだが、「キャンプ」にはほとんど興味を抱いたことがない。それでも、数年前にヒロシ氏がひとりキャンプブームを巻き起こしたとき、そこに何か新しいものを感じた。そうして、率直に魅力を感じた。そこで今日は、なぜぼ...
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アーティストとして生きるには:その26(1,802字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 13ヶ月前
アートには、「未来をリードする」という役割がある。それは、アートが「新しいものの見方」を提示するからだ。それを見てインスパイアされた人々が、その「新しいものの見方」に則った何かを作る。そうして、未来が少しずつその「新しいものの見方」の方向性へと進むのだ。ところで、現代には大きく2つの「豊かな欲望」...
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アーティストとして生きるには:その25(1,955字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 13ヶ月前
最もありがちな哲学的命題として「生きるとは何か?」というものがある。人類の長い歴史の中で、多くの人がこれにもっともらしい答えをしてきたけれども、そのうちの少なからずの人が「何でもない」と答えている。違う言い方をすると「『生きる』ということは存在していない」と答えている。つまり、「そもそも質問が無...
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アーティストとして生きるには:その24(1,890字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 13ヶ月前
これからの時代は「幸せ」が復権する。そこで、アーティストには何ができるか?アートの定義とは、「豊かな欲望×貧困なイメージ」だ。そこで、まずは「幸せ」に対して「豊かな欲望」を抱く必要があるだろう。単純に「幸せになりたい」と強く願うことだ。そのことが、これからのアーティストの第一条件となる。しかし、こ...
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アーティストとして生きるには:その23(1,730字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 14ヶ月前
これからおそらく20年をかけて、「幸せ」が再定義、いや再評価される時代が来る。なぜなら、今の時代は幸せがあまりにも阻害されているからだ。多くの人が、自由を尊重し過ぎている。その結果、自由の反対にある幸せを疎かにしているのだ。幸せが疎かにされている社会だから、人々は競争主義社会を容認している。また、...
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アーティストとして生きるには:その22(1,705字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 14ヶ月前
今の時代の問題とは何か?それは、まず間違いなく今の時代の「豊かさ」の影に隠れている。例えば、近代化による工業化の時代、人々は物質的な豊かさに恵まれた。しかしその影で、生活の潤いである「美しさ」からは遠ざかった。そういうふうに、問題はたいてい豊かさの影に隠れるのだ。では、今の時代の豊かさとは何か?...
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アーティストとして生きるには:その21(1,640字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 14ヶ月前
ここまで、アーティストは「困難な状況を打破するためのメソッドを提示する者」ということを書いてきた。ところで、どの時代にも、その時代特有の困難さがある。そして困難さの厄介なところは、たいていの場合、その困難さの解決方法が見えていないのはもちろん、困難そのものにも気づいていない場合が多いことだ。例え...
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アーティストとして生きるには:その20(1,668字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 14ヶ月前
話はそれるが、ぼくは自分がアーティストだと思ったことがない。意識してアートを作ったことがない。ぼくは、自分はエンターテインメントコンテンツの制作者だと思っていた。俗に言う「クリエイター」だと思っていた。しかしながら、クリエイションを続けるうちに、次第にクリエイションの中にアート要素を見出すように...
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アーティストとして生きるには:その19(2,031字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 15ヶ月前
アートとはつまるところ、「困難な状況を緩和するためのメソッドの提示」ということになるだろう。「ものの見方の新しいコンセプトを提案する」。それが多くの人にハマれば、偉大な芸術になるというわけだ。そのため、前提としてまず「困難な状況」を必要とする。「必要とする」というのもおかしな話だが、平和なところ...
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アーティストとして生きるには:その18(1,826字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 15ヶ月前
ここまで禁欲とアートとの密接な相関関係について見てきた。すなわち、禁欲的になればなるほど、創作する作品のアートとしての価値も高まるのだ。ところで、オタク文化は禁欲と分かちがたく結びついている。なぜなら、ほとんどのオタクは他者と性愛関係を上手く取り結べないため、図らずも禁欲生活を余儀なくされている...
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アーティストとして生きるには:その17(1,613字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 15ヶ月前
絵画というのは、ほぼ「アート」である。特に男性の描く絵はアートだ。なぜかとうと、若い頃に絵を描いていてもモテないからだ。それで画家は、たいてい「モテたい」という気持ちを高じさせる。それが絵に独特の芸術性を与え、アートになるのだ。音楽の場合は、少し違う。若い頃に音楽をしていると、多くの場合でモテる...
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アーティストとして生きるには:その16(1,871字)
コメ1 ハックルベリーに会いに行く 16ヶ月前
振り返ると、ここまで「アーティスト」の例として挙げてきたのは全て男性であった。これは偶然ではない。この連載で取り扱っている「アート」は、図らずも「男性の性欲」と深く関係しているからだ。そして男性の性欲は、女性の性欲とは違う。内的な心性も具体的な表れ方も違うから、アートの様態はもちろん本質も、また...
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アーティストとして生きるには:その15(1,506字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 16ヶ月前
Twitterに眠る「真のアート性」とは何か?推論を言うと、今Twitterに起こっている大変革は、偉大なアートを生み出すための予兆ではないだろうか。また、それを引き起こしたイーロン・マスクは、アーティストの偉大なパトロン的な存在になるだろう。では、Twitterはどう変革するのか?これは今まさに進行中で確たることは...
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アーティストとして生きるには:その14(1,674字)
コメ1 ハックルベリーに会いに行く 16ヶ月前
以前、「アートの定義とは、豊かな欲望×貧困なイメージ」と書いた。その代表例として、近藤真彦の『ハイティーン・ブギ』を取り上げた。すると、つい最近、この曲がにわかに脚光を浴びた。それは、ジャニー喜多川氏の性加害事件を、山下達郎氏が擁護したおかげで、派手に炎上したからだ。山下氏は、ジャニー氏に「恩」が...
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アーティストとして生きるには:その13(1,622字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 16ヶ月前
2020年代の今、「偽物の新時代」が到来している。これが本格化するのは20年後だが、その先駆けとして「偽物」がやってきているのだ。では、その「偽物の新時代」とは何か?1920年代は、偽物の「資本主義社会」がやってきた。1970年代は、偽物の「情報化社会」がやってきた。では、2020年代は何か?それは、偽物の「個人...
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アーティストとして生きるには:その12(2,043字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 17ヶ月前
70年代は「アートの10年」であった。どう「アートの時代」だったかというと、新時代の息吹が世界に到来したのだ。その風を受け、各ジャンルのアーティストの感性が爆発した。そうして、すぐれたアートがいくつも生まれた。そんな10年だった。20世紀以降を10年単位で区切ると、「アートの時代」は2つあった。それは1970年...
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アーティストとして生きるには:その11(2,215字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 17ヶ月前
70年代まで、日本では(あるいは世界でも)大多数の人が「無意識」に生きていた。しかし70年代の10年間を通して、徐々に意識的な人が増え、1980年代になると、その割合が逆転した。それは、当時の流行歌に暗示的に現れている。例えば『北の宿から』という70年代を代表するヒット曲があるが、これは70年代のちょうど半ば...
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アーティストとして生きるには:その10(1,868字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 17ヶ月前
人間社会(人類の生態)は70年代を境に大きく変化した。正確には1980年頃が境なのだが、そこへの助走期間が70年代にあったのだ。どういう変化かというと、人間の「意識」が「無意識」より優勢になるのだ。それまでは無意識の方が優勢だったから、そこが逆転したのである。「メディテーション」や「アート」との関係でい...
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アーティストとして生きるには:その9(1,730字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 17ヶ月前
人間は面白い生き物だ。「意識」というものが他の動物より発達している。そして人間の大きな特徴の一つは、この意識の発達により、動物にとってとても重要な「無意識」が後景化されてしまった。無意識が隠されてしまっている。ほとんどの人が、無意識を意識できない。このことが、矛盾していて面白い。人間の無意識も、...
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アーティストとして生きるには:その8(1,760字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 17ヶ月前
前回は『ギンギラギンにさりげなく』について書くとお伝えしたが、ここ一週間この曲を『ハイティーン・ブギ』と聞き比べてみて、あらためて後者の破壊力が凄まじいと思わされた。なので、今回はまずそのことからお伝えしたい。『ハイティーン・ブギ』は、貧困なイメージのチャンピオンだ。貧困なイメージ界の金字塔――と...
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アーティストとして生きるには:その7(1,891字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 18ヶ月前
アートは「(貧困なイメージ1+貧困なイメージ2)×豊かな欲望」である。そして貧困なイメージは、自分の子供時代に求めるのがいいだろう。ぼくは1968年生まれなので、1970年代から1980年代にかけての少年時代に、求めるべき貧困なイメージがある。おそらく12才から19才までのいわゆる「ティーンエイジャー」の時期にこそ...
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アーティストとして生きるには:その6(1,672字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 18ヶ月前
アートの定義とは、豊かな欲望×貧困なイメージ=アートである。このとき、「豊かな欲望」ももちろんだいじなのだが、それ以上にだいじなのは「貧困なイメージ」であろう。では、「貧困なイメージ」とは何か?それは、「ありきたりな道具」のようなものである。使い古された社会の仕組みのようなものだ。ありふれていて、...
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アーティストとして生きるには:その5(1,885字)
コメ2 ハックルベリーに会いに行く 18ヶ月前
TOTOの『アフリカ』という曲がある。TOTOは必ずしも「アーティスト」ではないが、この曲だけは「アート」として残った。ではなぜアートとして残ったのか?ここで結論をいえば、それは「妄想」に基づいて作ったからだ。作曲したペイチとポーカロ、二人の妄想によって作られた曲だからである。ペイチとポーカロは、この曲...
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アーティストとして生きるには:その4(1,774字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 18ヶ月前
TOTOの『アフリカ』は実に面白い作品だ。Wikipediaに、2018年に出たこんな記事が紹介されている。2018年、TOTOの「アフリカ」がなぜか再注目されているこの記事でも強調されているが、TOTOの『アフリカ』において重要なのは、ここで描かれたアフリカが「本当のアフリカ」とは無関係なことだ。TOTOの『アフリカ』は「空想...
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アーティストとして生きるには:その3(1,533字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 19ヶ月前
「アーティストとして生きる」とはどういうことか?ここで結論から先にいうと、それは「新しい価値を見つける」ということだ。これに尽きる。いうならば、「価値のコロンブス」になるということだ。価値の新大陸を発見するということである。これこそ、アーティスト的な生き方といえよう。そして、だからこそ典型的なア...
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アーティストとして生きるには:その2(1,413字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 19ヶ月前
これからは、全ての人がアーティストとして生きなければならない。「アーティスト」の定義は、前回も述べたが「表現によって他者をインスパイアする者」だ。なぜアーティストとして生きなければならないかというと、「非アーティスト的な生き方」がどんどん減っているからだ。もっというと許されなくなっている。「非ア...
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アーティストとして生きるには:その1(1,447字)
コメ1 ハックルベリーに会いに行く 19ヶ月前
いきなりだが、これからの時代は誰もが大なり小なり「アーティスト」として生きなければならないだろう。「アーティスト」とは何か? 人によってさまざまな定義はあるだろうが、ここでは「表現によって他者をインスパイアする者」のことをいう。例えば、レオナルド・ダヴィンチは実に本質的な意味でのアーティストだっ...