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記事 10件
  • 更科修一郎 90年代サブカルチャー青春記~子供の国のロビンソン・クルーソー 第10回 水道橋から神楽坂へ・その2【第4水曜配信】

    2017-07-26 07:00  
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    〈元〉批評家の更科修一郎さんの連載『90年代サブカルチャー青春記~子供の国のロビンソン・クルーソー』、前回の水道橋駅から総武線に乗って、飯田橋駅に降り立った更科さん。ランチを食べる場所を探しながら、富士見にあるKADOKAWAとの思い出を回想します。

    第10回「水道橋から神楽坂へ・その2」
     JR飯田橋駅は川沿いの湾曲した土地にあるため、電車とホームの間が大きく、降り立つたびに緊張する。 ホームから眺める飯田橋界隈は、大きく3つのエリアに分かれている。 東口から北東の後楽や三崎町は、老舗の編集プロダクションや中小出版社が点在している。ネット上でよくネタにされている竹書房の自虐的な広告も、東口改札前にある。対して、橋上駅舎の西口から神楽河岸を越えると、神楽坂が長く続いている。坂の上の矢来町には新潮社があり、平河工業社などの印刷所や製版所、中小の編集プロダクションが周辺の住宅地と一体化している。 そして、西口から富士見二丁目へ向かうと、角川書店改め、KADOKAWAの本社がある。
    ■■■
     振り返ってみると、編集者としては、KADOKAWAとの縁は数えるほどしかない。 何故か、社屋の上にある天河神社の祠を見たこともあったが、角川春樹事務所の会議室にも同じ神棚があったから、前体制の名残りなのだろう。批評家の仕事で行くことも稀だった。唯一、レギュラー執筆者だった『Comic新現実』でも、ササキバラ・ゴウ氏の紹介で編集長に挨拶へ行ったのと、「戦時下のアニメ」と題した鼎談で呼ばれただけだ。 そもそも、『Comic新現実』で書くようになった理由も、ササキバラ氏の唐突な飛び込み依頼で、大塚英志氏とも面識はなかった。ササキバラ氏は徳間書店で『少年キャプテン』編集長だったこともあるが、友人Kがアシスタントを始めた頃には退社していた。むしろ、最後のパイプ役だったササキバラ氏が退社したことで、『少年キャプテン』でも大塚英志の名前は禁句となっていた。最後の編集長は休刊後、AICへ「天下り」し、その後、YMO評論家へ転じている。わけが分からない。 件の鼎談は論点がいまいち噛み合わなかったが、改めて読み返すと、それほど悪い内容ではない。わざわざ読み返すほどの話題でもないのだが。途中で何故か香山リカ氏が来たことを覚えている。弟の中塚圭骸氏が参加していたからかも知れないが、いきなり大塚氏と世間話を始め、鼎談はしばらく中断した。香山氏が帰ると圭骸氏が恐縮し、ようやく再開したが、この頃、知人の音楽ライターから香山氏が年上の著名なミュージシャンと付き合っている、というゴシップを聞かされていたので、余計なことを言わぬよう黙っていた。
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  • 更科修一郎 90年代サブカルチャー青春記~子供の国のロビンソン・クルーソー 第9回 水道橋から神楽坂へ・その1 【第4水曜配信】

    2017-06-28 07:00  
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    〈元〉批評家の更科修一郎さんの連載『90年代サブカルチャー青春記~子供の国のロビンソン・クルーソー』、今回から水道橋から神楽坂編が始まります。かつて日本の出版業界の重要な位置を占めていた一帯を訪れ、更科さんが同人誌を発行していた高校時代、司書房と桃園書房が健在だった頃の出版シーンを振り返ります。

    第9回「水道橋から神楽坂へ・その1」
     仕事の都合で、馬喰町のビジネスホテルに泊まっていた。
     東京駅の東側にある古い街は、複数の地下鉄線が交差するため、交通の便は良いが、問屋街なので、飲食店の選択肢が少ない。
     松屋は開いているが、それ以外はほとんど開いていない。
     朝食をどうするか考えているうちに、ふと思い立ち、東日本橋駅から都営浅草線に乗った。
     浅草橋駅で中央・総武緩行線へ乗り換え、降りたのは水道橋駅だった。
    ■■■
     水道橋は古い出版社が多い。芳文社、少年画報社、ベースボール・マガジン社など、敗戦直後に創業した中堅どころの老舗が、駅の西側に軒を並べている。
     講談社、小学館、大日本印刷、凸版印刷などの中間地点という立地条件もあるが、戦後の一時期、この界隈の闇市で紙を扱っていたからだ、とも聞いた。
     友人の作家が東五軒町の古い出版社で文芸単行本を出したのだが、どういうわけか、印税が二ヶ月連続の分割払いで振り込まれた。
     彼の担当は文芸部署の編集長だったが「昔からこうなのだけど、理由は知らないんだ」とのことだった。
     たぶん、闇市時代の名残りなのだろう。半分だけでも手付で払っておかないと、現物(紙)を受け渡す前に逃げられる、とかそういう理由だと思うが、作家の印税にも適用され、半世紀以上を経た現在も続いている。
     出版業界には案外、そういった古い慣習が多い。これは実害のない方だが。
     そういう土地柄なので、1971年から1999年まで、飯田町紙流通センターという、国鉄と製紙会社の共同出資による貨物専用駅も存在していた。
     現在は新座貨物ターミナルと隅田川駅に機能を移転しているが、水道橋から飯田橋へかけての一帯は、確実に日本の出版業界の重要な位置を占めていた。
    ■■■
     駅の南側、古い雑居ビルが並んでいる三崎町の五叉路に、司書房というアダルト系出版社があった。
     親会社は桃園書房という老舗の小出版社で、そちらは『つりMagazine』『月刊へら』などの釣り雑誌部門と、『小説CLUBロマン』や桃園文庫などの官能小説部門を主に手がけていた。
     阿佐田哲也こと色川武大が『麻雀放浪記』での博徒稼業から足を洗って就職した会社として、業界では知られていた。大衆小説誌の編集者となった色川は、藤原審爾の担当となり、小説家への道を志した。
     藤原審爾と言っても、若い読者はまったく知らないだろうが、筆者が子供の頃までは、純文学から社会派風俗小説までなんでもござれのヒットメーカーだった。
     名画座で昭和期の邦画を観ていると、かなりの確率で原作者クレジットに藤原審爾の名前が出てくる。
     今村昌平監督の『赤い殺意』『果しなき欲望』が有名なのだろうが、筆者は監督・吉田喜重、主演・岡田茉莉子の『秋津温泉』と、監督・山田洋次、主演・ハナ肇の『馬鹿まるだし』が好きだ。
     子会社の司書房がいつからあったのは知らないが、山本直樹が森山塔名義で出した初期単行本のいくつかは、この出版社から出ていた。これで大儲けしたことから、90年代は主に成年向けコミックの出版社として知られていた。
     コアマガジンに入社する前、筆者はこの出版社でフリーライターをやっていた。
     桃園書房と司書房の編集部が入っていた古い三階建ての自社ビル(四階建てだったかも知れない)の跡地は、タイムズの駐車場になっていた。
     正直、新しいビルが建っているかと思ったのだが。
     敷地が記憶よりも狭く小さかったので、不思議に思ったが、建物というものは立体的であるから、小規模な雑居ビルでも案外広く感じるものだ。
     五叉路の周辺には、成年向けコミックを扱う出版社や編プロがいくつも立ち並んでいたが、現在は飲食店ばかりで、出版とは無縁の空間になっている。飲食店も夕方から開くタイプの店ばかりで、午前中は閑散としていた。
     近くにはコミックハウスの直営販売店もあったと思うが、こちらも影も形もなかった。

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  • 更科修一郎 90年代サブカルチャー青春記〜子供の国のロビンソン・クルーソー 第8回 高田馬場・その4【第4水曜配信】

    2017-05-30 07:00  
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    〈元〉批評家の更科修一郎さんの連載『90年代サブカルチャー青春記~子供の国のロビンソン・クルーソー』は高田馬場編の4回目です。かつて「文化の発信地」だった高田馬場の白夜書房や芳林堂書店を巡りながら、2000年前後の出版業界・コンテンツ業界での記憶を辿ります。

    第8回「高田馬場・その4」
     結局、死に至ることはなく、現世へ戻ってきたが、退屈を持て余している。
     病み上がりの暇潰しと称して、たまに東京を歩き回るしかない。
     そして、何度も確かめるように歩き回っていると、白夜書房本社ビルの周辺も様変わりしていることに気づいた。
     昨年までPLANETS編集部があったらしい、川べりのマンションの一階にあるローストビーフ丼の店には延々と行列が続いていた。
     本社ビルの隣にあった、鉛筆みたいに狭小な雑居ビルは、半年ごとにテナントが入れ替わる風俗ビルで、通るたびに『ナニワ金融道』の肉欲棒太郎夜逃げ回を思い出した。
     実際、『イメクラ性道会館』やら『カラオケ風俗マラんQ』やら、なんとも言えないユーモアセンスだった。
     前者は正道会館の高田馬場支部が近くにあったからで、後者は言うまでもなくシャ乱Qが元ネタだが、「Q」の文字がローリング・ストーンズの舌出しロゴ風にアレンジされていた。二重の意味でロックンロールというか、正気の沙汰ではなかったが、現在はよくあるラーメン屋になっている。
    ■■■
     本社ビル一階に入っていた白夜書房直営の漫画専門店『まんがの森』も、現在はイオン系の小規模スーパー『まいばすけっと』になっている。アメコミマニアで知られ、『まんがの森』を切り盛りしていた店長のおしぐちたかし氏もとっくに退社している。
     筆者は退社直前、担当していた雑誌の一般誌化を考えていた。これは『まんがの森』が成年コミック問題から、成人向け漫画の取り扱いを中止しており、自社出版物を売ることができないという本末転倒な問題があったからだ。藤脇氏とおしぐち氏からの要請もあり、筆者は成年コミックではない方向性を模索し、予定台割も作っていたが、それが周囲との軋轢を生み、退社へ繋がったことは否めない。
     結局、筆者は成年コミック路線を続けた編集部からは裏切り者扱いとなったのだが、藤脇さんの好意もあり、退社後にパイロット版を作った。アンソロジー単行本という形で。
     販売成績は良好だったが、雑誌化は見送った。編集作業の工程で、マンパワー的に編集プロダクション化しないと無理だと判明したからだ。しかし、ワンマンアーミーだった20代前半の若造が、独りで編プロ経営ができるとは思えなかった。
     後に『電撃大王』など、いわゆる「成年向け少年漫画誌」の若い編集者たちから、「参考にしましたよ」と言われたが、苦笑いするしかなかった。
    ■■■
     そんなことを思い出しつつ、本社ビルの前で呆けていたら、向かいの韓国料理店の若者が「まだランチやってますよ!」と声をかけてきた。
     スマートフォンの時計表示を見ると、15時をとうに過ぎている。
     この時間でもランチをやっているのか。
     途中、『BOOK OFF』高田馬場北店にも寄り道していたので、思ったよりも時間が経っていた。早い昼食でモヒンガーを食べたが、微妙に腹が減っていたので、誘われるまま店へ入った。
    「最近、開店したのかい?」
    「はい。本店は新大久保なんですが、今年から。お客さんはこのあたりの方ですか?」
    「いや。20年前、向かいの会社に勤めていた。今日は久しぶりに来た」
    「ああ、あの出版社ですか。20年前、此処は何の店だったんですか?」
     とうに忘れてしまったが、たぶん、平凡な居酒屋や食堂だったはずだ。
     周囲を見回すと、真っ昼間から、いかにも高田馬場の住人と思しき「ちょいワル」風の老人たちが肉を焼いていた。
     店の看板メニューは980円で肉300グラムのランチ盛り合わせらしく、自分以外の全員がそれを注文し、更に酒やビビンバを追加していた。
     さすがに肉を喰うほどの気力はなかったので、スンドゥブチゲとハイボールを注文した。
     味は良かった。スンドゥブチゲは自分でもたまに作るが、どうしても韓国料理店で食べる味にならない。

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  • 更科修一郎 90年代サブカルチャー青春記〜子供の国のロビンソン・クルーソー 第7回 高田馬場・その3【第4水曜配信】

    2017-04-26 07:00  
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    〈元〉批評家の更科修一郎さんの連載『90年代サブカルチャー青春記~子供の国のロビンソン・クルーソー』は高田馬場編の3回目です。『漫画ブリッコ』を起点とする80年代ロリコンブームが、やがて90年代に「オタク文化の大衆化工作」へと変質していった時代を振り返ります。

    第7回「高田馬場・その3」
     消えたバーミヤンに驚いた筆者は、新目白通りを左折し、かつての通勤ルートである裏通りへ戻った。
     裏通りの窪地には、高田馬場では珍しいオフィスビルがある。筆者が通勤していた頃は専門学校の校舎だったが、いつの間にか白夜書房本社ビルになった。
     白夜書房の森下会長は、高田馬場で空きビルが出るとすぐに買うという癖があった。社員たちはよく笑い話にしていたが、経営者としては実に正しかった。
     二十年前の時点でも、自社ビルを建てる出版社は潰れると言われていた。実際、アーケードゲーム雑誌『ゲーメスト』を出していた新声社が、自社ビルを建てた2年後に倒産していた。
     しかし、森下会長は他社が手放した空きビルを安く買い叩くことでリスクを抑えていた。
     そこまでして自社ビルを確保する必要があるのか?
     あるのだ。
     まず、自社ビルを倉庫で使えると、倉庫賃貸料が発生しない。これが外部の賃貸倉庫だと、在庫の本を出し入れするだけで、一冊2〜3円の手数料が発生する。このコストが単行本の許容返本率を大きく左右するのだ。
     当然、編集部があるフロアの賃貸料も発生しないので、部署ごとに設定された総予算に余裕が出る。
     元々、安価で販売される雑誌はほとんど儲からない、特に月刊漫画誌は出すだけで毎月、確実に赤字を垂れ流す。
     編集部やレーベルの収益は、ほとんど大ヒット作品の単行本に支えられている。
     出版という商売は、本質的に、確実な攻略法のない博打なのだ。
     筆者はコアマガジン退社後、藤脇氏と『まんが編集術』(白夜書房)というインタビュー本を作ったが、『週刊少年ジャンプ』三代目編集長だった、故・西村繁男氏に伺ったところ、653万部の史上最高部数を達成した頃のジャンプでも、採算分岐点は96%だった。毎週、営業部が精緻に発行部数を調整しても、雑誌だけでは儲からないのだ。
     なので、00年代に入ると、少年漫画誌でも30年以上の長期連載や過去のヒット作のリブートが頻発するようになった。少年漫画なのに。
     これがマイナー系の漫画出版社だと、頼れる大ヒット作品も稀なので、確実にシングルヒットを積み重ねていくしかない。
     担当営業の藤脇氏は、成年漫画のコミックスを8000〜10000部刷った場合、販売率70%がボーダーラインだと言っていた。損益分岐点は56〜62%くらいで、それを下回った漫画家は「二度と起用するな。代原でも禁止だ」と厳命されていた。
     先輩編集が担当していたベテラン漫画家たちがこの数字を下回り、次々とクビになっていたが、平然と編集部に現れ、筆者と筆者が担当していた若手漫画家の悪口を言っては、代原扱いで載っていた。
     先輩たちもあらかじめ台割をスカスカにして、代原を使わざるを得ない状況を仕組んでいた。
     巻頭カラーで看板扱いの作品以外、次号予告をしない雑誌だったのだ。
     今にして思えば、特に悪気もなく身内意識でやっていたのだが、当時の筆者は憤り、あらかじめ発注していた若手の原稿をスカスカの台割を見た瞬間にねじ込み、先に乗っ取る対抗戦術を採った。
     結果、自分の担当作家だけで手一杯となり、編集者として一本立ちしたのだが、代わりにもう一人の同期が、雑用を一手に引き受ける羽目になった。
     増刷こそ稀だったが、担当していた若手たちの販売率は総じて高く、席取り勝負になればこちらの言い分が通った。だいたい、クビになった作家を代原で載せていても、単行本にならない。

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  • 更科修一郎 90年代サブカルチャー青春記〜子供の国のロビンソン・クルーソー 第6回 高田馬場・その2【第4水曜配信】

    2017-03-22 07:00  
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    〈元〉批評家の更科修一郎さんの連載『90年代サブカルチャー青春記~子供の国のロビンソン・クルーソー』、今回は高田馬場編の2回目です。更科さんが美少女漫画雑誌の編集者として働いていた出版社・白夜書房とポルノグラフィの変遷を通じて、80年代のアンダーグラウンドカルチャーが90年代にサブカルチャーに至る流れを振り返ります。

    第6回「高田馬場・その2」
     高田馬場――神田川沿いのエリアは、貸ビルと古い民家が混在し、住宅街でもなければ商業地区でもない独特の雰囲気がある。
     東京の出版社の多くは、新宿区市谷加賀町の大日本印刷と文京区水道の凸版印刷を中心に点在している。人文系だと、神保町の古本屋街――東側へ寄る傾向もある。
     本というものは、出版社と印刷所があれば作れるものではない。
     どちらかへ内包できない業務を請け負う中小企業が、周辺にいくつも存在しており、「出版業界」という群体を形作っているのだ。
     たとえば、00年代にDTPが普及する以前は、電算写植というものがあった。
     指定紙を写植屋へFAXで送り、発注すると、職人が電算写植機で文字列を作り、一日数回のバイク便で印画紙が届く。それを漫画原稿へ切り貼りして、版下を作成するのだが、写植屋は印刷所の近くにあるため、出版社が遠くにあるとバイク便の巡回範囲に入らない。単行本ならいざ知らず、月刊誌では致命傷だ。
     そう考えると、新宿区内ではあるが、西側の高田馬場にある白夜書房は、かなり辺境の出版社であった。
     筆者が勤めていた頃も、比較的部数の多い雑誌は大日本印刷を使っていたが、凸版印刷は使っていなかったと思う。
     DTPとweb経由のデータ入稿が普及したことで、そのような土地的な制約はなくなったのだが、電算写植を請け負っていた写植屋の多くは仕事を失った。
     では、潰れてしまったのかというと、さにあらず。アナログ漫画原稿のスキャンや組版へ転業し、しっかり生き残っている。
     筆者は電算写植を漫画原稿へ切り貼りしていた最後の世代だが、00年代に入ると、DTP化され、原稿をコピーした指定紙に書き込むだけになったので、寂しい気持ちになった記憶がある。
     24ページでだいたい一時間ほどかかる作業が省略され、実務負担が軽減されたのだから、喜ぶべきなのだが、若い頃の筆者は完全にワーカホリックだった。
     編集部と仮眠室を往復し、タイムカードが一週間繋がっていたこともあった。
     特に90年代の筆者は、編集者という仕事に異様な情熱を傾けていた。
     何が楽しかったのか、今ではよく分からないが、これも良い機会だ。ぼやけた記憶を遡り、そもそもの動機を確かめてみたい。
     話は脱線するが、しばしお付き合い願えれば。
    ■■■
     かつて、ポルノグラフィが新しい文化の触媒となっていた時代――80年代という時代があった。
     アンダーグラウンド文化、それ自体は敗戦直後のカストリ雑誌時代から存在していたし、戦前の『新青年』まで遡れるかも知れないが、初期のそれは、ハイカルチャーの息苦しさから逃げるように生まれた「文化的やつし趣味」だった。
     高等遊民が怠惰な貧乏生活でナルシシズムを満たすようなそれは、戦前から厳然として存在し続けていたハイカルチャーへのカウンターであり、換骨奪胎していた舶来文化自体が、60年代以降、急激に変化した影響もあった。たとえば、ビートルズとロックの台頭とか。
     ただ、70年代までの日本のアンダーグラウンド文化は、ハイカルチャーの存在を踏まえた上での戯れだったように思う。 
     筆者が勤めていた白夜書房という出版社も、元はそういう会社だった。
     『月刊ニューセルフ』や『ウィークエンドスーパー』のような扇情的なエロ写真誌を作る一方で、イタロ・カルヴィーノの小説や人文系の真面目な本も出していた。
     これは、澁澤龍彦の薔薇十字社にいた福田博人氏が創業メンバーの一人だったからだが、マイナージャンル同士、互いの要素が交わることで、この時代のアンダーグラウンド文化は形成されていた。
     雑誌という媒体が、正しく「雑」誌として機能していたのだ。

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  • 更科修一郎 90年代サブカルチャー青春記〜子供の国のロビンソン・クルーソー 第5回 高田馬場・その1【第4水曜配信】

    2017-02-22 07:00  
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    〈元〉批評家の更科修一郎さんの連載『90年代サブカルチャー青春記~子供の国のロビンソン・クルーソー』、今回からは高田馬場編が始まります。学生街と盛り場が奇妙に入り混じった街を歩きながら、90年代雑誌文化の片隅で存在感を放った「エロ本」文化圏を振り返っていきます。

    第5回「高田馬場・その1」
     いつの間にか、冬になっていた。
     フリーランスの生活は昼夜逆転になりがちで、用事以外で朝から外出するのは辛い。
     今日は巣鴨から山手線に乗り、高田馬場へ行く。
     いくつも会社を転々としていた中でも、もっとも長く通っていた街だ。
     かつての職場──白夜書房がある街で、辞めた後に入った別の会社もまた高田馬場だったからだが、15年ほど前、完全にフリーランスとなってからは、ほとんど訪れていない。
     東京都内──中央線沿線に住んでいるのに、巣鴨から向かったのは、カプセルホテルやビジネスホテルに泊まることが、気分転換を兼ねた趣味だからだ。
     とはいえ、会社勤めをしていた頃、巣鴨に泊まったことはない。
     会社勤めをしていた頃は、「グリーンプラザ新宿」という西武新宿駅横の巨大カプセルホテルによく泊まっていたが、建物の老朽化なのか、昨年のクリスマスに閉店してしまった。
     新宿でも池袋でも良かったのだが、考えてみると、大半の安宿は制覇していたから、わざわざ巣鴨のカプセルホテルに泊まっていた。
     3000円以下でコトブキシーティングのSPACE Dカプセルベッドに泊まれることには驚いたが、ごく一部のマニアにしか面白くない話なので、省略する。
    ■■■
     JR高田馬場駅の発車メロディは、いつの間にか『鉄腕アトム』のテーマになっていたが、早稲田口の風景自体はそれほど変わっていないように思えた。
     たぶん、高架橋周辺の煤けた暗さが昔のままだったからだ。
     覆い隠すように手塚治虫の漫画のキャラクターたちを壁画にしているのだが、低くて暗いガード下のどんよりした空気は変わらない。
     かつては、徹夜明けの早朝に通ると、土建屋のトラックが日雇い労働者を運んでいく光景もよく見かけた。
     高田馬場から小滝橋通りの坂を登り、新大久保へ向かう中間地点の西戸山に日雇い労働者向けの職業安定所があり、その周辺がドヤ街になっていたからだ。
     山谷や釜ヶ崎ほど有名ではなかったが、敗戦直後から昭和の終わり頃まで、戸山ヶ原──百人町のドヤ街は、それなりの規模だったらしい。
     戦前、このあたりには帝国陸軍の施設が立ち並んでいたのだが、戦時中の空襲で焼け野原になり、跡地はまるごと巨大な貧民窟と化した。
     やがて、新大久保側は1950年に建設されたロッテ新宿工場を中心にコリアンタウン化していくのだが、高田馬場側には戸山ハイツなどの都営住宅が建設され、急速にスラムクリアランスされていった。
     両者の中間地点である西戸山の一角だけが、ドヤ街として取り残されていたのだが、それも平成に入ると、徐々に縮小されていく。
     早朝のトラックはその時代の名残りだった。もっとも、高田馬場側に残っていたのはそれくらいなのだが、駅前のガード下はいつもどんよりとしていた。
     だからこそ、手塚治虫キャラクターの壁画で明るくしようと思ったのだろうが、小学生時代の夏休みをまるまる使って講談社の手塚治虫漫画全集を全巻読破していた筆者は、シュマリが祭り好きの陽気なおっさんであるかのように描かれていることに毎朝、苦笑いを浮かべていた。
     それ以前に、完全に手塚ダークサイドの住人である、奇子や結城美知夫といったキャラクターは描かれていない。
     スラムクリアランスと「死者の聖化」という利害の一致から描かれた壁画も、結局、どんよりとした空気を払拭することはできず、中途半端に風景の一部となっている。
     なお、西戸山の職業安定所──ハローワークはその役目を終えたのか、労働基準監督署になり、ロッテ新宿工場も2013年に閉鎖された。チューインガムの生産ラインはマリーンズの二軍本拠地でもある浦和工場へ集約されたらしい。
     大型タワーマンションも次々と建てられ、往時の風景はすっかり消えたと思っていたが、昨年秋、西戸山公園で寄せ場のショバ代を脅し取ろうとした極東会系の暴力団員が逮捕されていた。
     ということは、早朝のトラックも残っているのだろうか。

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  • 更科修一郎 90年代サブカルチャー青春記〜子供の国のロビンソン・クルーソー 第4回 秋葉原・その3 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.776 ☆

    2017-01-24 07:00  
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    更科修一郎 90年代サブカルチャー青春記〜子供の国のロビンソン・クルーソー第4回 秋葉原・その3
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2017.1.24 vol.776
    http://wakusei2nd.com



    今朝のメルマガは〈元〉批評家の更科修一郎さんの連載『90年代サブカルチャー青春記~子供の国のロビンソン・クルーソー』の第4回をお届けします。
    80年代末、宮崎勤事件により社会的に糾弾されたオタクカルチャーは、90年代になると最適化/畸形化から実験的な美少女ゲームを生み出します。「理系文化」としてのポルノグラフィの隆盛から、web社会という「巨大な子供の国」に至る過程を振り返ります。

    ▼プロフィール
    更科修一郎(さらしな・しゅういちろう)
    1975年生。〈元〉批評家。90年代以降、批評家として活動。2009年『批評のジェノサイズ』(宇野常寛との共著/サイゾー)刊行後、病気療養のため、活動停止。2015年、文筆活動に復帰し、雑誌『サイゾー』でコラム『批評なんてやめときな』連載中。
    本メルマガで連載中の『90年代サブカルチャー青春記』配信記事一覧はこちらのリンクから。

    前回:更科修一郎 90年代サブカルチャー青春記〜子供の国のロビンソン・クルーソー 第3回 秋葉原・その2

    ■第4回「秋葉原・その3」
     昼食を終え、再び万世橋を渡ると、「安心お宿」というカプセルホテルにチェックインする。カラオケボックスで知られるパセラリゾーツのホテル部門だ。
     夜、仕事の打ち合わせがあるので、その前に風呂に入りたかったのだ。
     秋葉原には、昌平橋の裏手に「神田アクアハウス江戸遊」というスーパー銭湯があり、朝まで営業している。
     料金も手頃なので、昔は深夜によく立ち寄っていたが、昌平橋より万世橋の方が駅に近く、宿泊できるなら、割高でも使い勝手が良い。
     特に、15時にチェックインして12時にチェックアウトできる滞在時間の長さは、睡眠時間帯が一定ではないフリーランスには有り難い。
     二階にはフリードリンクの漫画喫茶風なラウンジがあり、夜はかなり混んでいるが、16時ではそれほどでもない。
     打ち合わせの内容も定期報告が大半で、たいしたものではないが、書類のやり取りはあるので、手持ちのノートパソコンで資料をまとめ、備え付けのプリンターで印刷する。
     ビジネスホテルの機能もだいたい揃っている。
     はじめてカプセルホテルに泊まったのは、1985年の国際科学技術博覧会――つくば科学万博だ。
     当時の筑波研究学園都市は開拓されたばかりの原野で、宿泊施設は著しく不足していた。
     そのため、急ごしらえでプレハブ建てのカプセルホテルが建てられたのだ。
     存在を知ったのは、たぶん、赤塚不二夫が描いた子供向けの『ニャロメの非公式科学万博おたのしみガイドブック』(学習研究社)という本で、万博に相応しい未来の宿泊施設、とかなんとか紹介されていた。
     もっとも、カプセルホテル自体は、1979年に大阪で発明されている。
     つくば科学万博の時点では、ほとんど知られていなかったが。
     小学生の筆者と共に泊まった父親は「カイコ棚のドヤだな」と呆れたが、未来的イメージを纏わせて、別物を装うあたり、いかにも日本らしい発想だ。
     後に、設計者は黒川紀章で、氏が得意としていたメタボリズム建築の延長線上にあったと聞いた。
     なるほど、新橋の中銀カプセルタワービルと同じ発想だったのだ。
     とはいえ、1985年の貧しかったカプセルホテルと比べると、現在のカプセルホテルは充実している。
     もうひとつ、つくば科学万博の記憶を付け加えると、本当は国鉄の臨時寝台列車「エクスポドリーム号」に乗りたかった。だが、予約は埋まっていた。
     これは、始発の土浦駅で一晩停車し、翌朝、そのまま万博中央駅へ向かうだけの、わずか10km足らずの夜行列車だった。
     そんな奇妙な手段を講じなければならないほど、宿泊施設の不足は深刻だった。
     そもそも、東京や横浜からの日帰りが不可能に近いほど、交通の便が悪かったのだ。
     秋葉原とつくば市をわずか45分で結ぶ「つくばエクスプレス」が開通したのは、万博から20年後の2005年で、筆者は『つくば科学万博クロニクル』(洋泉社)という本の企画に関わっていた。
     懐古的な文章をいくつも書いたが、科学技術に彩られた未来予想図は、未来から振り返ると、面白くも滑稽なものばかりだった。
     だが、80年代の少年少女が抱いた科学技術……ハイテクノロジーへの幻想は、それまでの「文系文化」だったサブカルチャーとは違う、「理系文化」を形成していくことになる。
     未来予想図には記されていなかった、最適化/畸形化されたポルノグラフィを開拓しながら。
    ■■■
     秋葉原へ通うようになったのは、高校時代――1992年頃だ。
     父親が転勤族で、小学校時代は横浜で暮らしていたから、遊び場は横浜駅か伊勢佐木町だった。ラジオ会館のNEC Bit-INNは噂に聞いていたが、秋葉原は遠かった。
     中学校の三年間は、日本にすらいなかった。東南アジアのとある国で暮らしていた。海外転勤した父親がそのまま脱サラし、現地で会社を興してしまったのだ。
     バブル経済の真っ盛りとはいえ、経営は厳しく、日本人学校の担任からは「お前の父親は寄付金が少ない」と罵られ、殴られた。
     草なぎ剛主演のテレビドラマ『嘘の戦争』(関西テレビ)の冒頭で、現地在住の日本人が日本人を騙す、バンコクでの日日詐欺が描かれていたが、日系企業の転勤族以外でわざわざ東南アジアへ流れてくるような人間は、その半分以上が屑だ。
     日本人学校の教師も例外ではなく、親の寄付金の多寡で殴る生徒を選んでいた。帰国後に調べたところ、この羽山(仮名)という体育教師は、過去に千葉の中学校で暴力事件を起こしていた。
     資金繰りに困り、社員の給料をゲンティン・ハイランドというリゾート地のカジノで稼いで払ったこともあった。父親は「最低限、稼ぐだけなら、方法はある。まったく面白くないがな」と言っていた。
     そんな調子であるから、三年間、一度も一時帰国できなかった。
     LCCのエア・アジアもない時代だ。往復の航空運賃だけで三十万近くかかるから仕方なかったのだが、同時にそれは、昭和天皇崩御から宮崎事件にかけての数年間を体感していない、ということだ。
     宮崎事件の顛末自体は数日遅れで届く新聞で知っていた。しかし、一ヶ月遅れで届くテレビ番組の録画ビデオの大半はドラマやアニメで、ワイドショーはなかった。
     だから、テレビで加熱していく報道を観ることはなかった。
     アニメやパソコンといったホビー系雑誌でしか、日本のカルチャー状況を知らなかった筆者は、80年代の牧歌的な世界がそのまま続いていると思っていたのだ。
     家族からは、現地のインターナショナルスクールへ進学するよう薦められたが、筆者は「まんがの森もない国で暮らせるか」と啖呵を切った。
     英語の成績が悪かったからだが、それ以上に、このままでは二度と日本へ帰れないのではないか、という恐怖があった。
     結局、紆余曲折の末に、単身、日本へ帰ることになった。

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  • 更科修一郎 90年代サブカルチャー青春記〜子供の国のロビンソン・クルーソー 第3回 秋葉原・その2【第4水曜配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.763 ☆

    2016-12-28 07:00  
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    【お知らせ】
    本日12月28日( 水)の記事をもちまして、2016年のメールマガジン配信は終了となります。新年は1月5日(木)より配信を再開いたします。
    本年もご愛顧いただき誠にありがとうございました。皆さま良いお年をお迎えください。


    更科修一郎 90年代サブカルチャー青春記〜子供の国のロビンソン・クルーソー第3回 秋葉原・その2【第4水曜配信】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.12.28 vol.763
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    今朝のメルマガは〈元〉批評家の更科修一郎さんの連載『90年代サブカルチャー青春記~子供の国のロビンソン・クルーソー』の第3回をお届けします。
    2000年代に秋葉原を席巻した「メイド喫茶」。「萌え」の3次元化を目論んだその流行の背後には、裏社会が絡んだ暗部が見え隠れしていました。昼下がりの電気街を散策しながら、秋葉原という街に刻み込まれた文化と事件の記憶を辿ります。

    ▼プロフィール
    更科修一郎(さらしな・しゅういちろう)
    1975年生。〈元〉批評家。90年代以降、批評家として活動。2009年『批評のジェノサイズ』(宇野常寛との共著/サイゾー)刊行後、病気療養のため、活動停止。2015年、文筆活動に復帰し、雑誌『サイゾー』でコラム『批評なんてやめときな』連載中。
    本メルマガで連載中の『90年代サブカルチャー青春記』配信記事一覧はこちらのリンクから。

    前回:更科修一郎 90年代サブカルチャー青春記〜子供の国のロビンソン・クルーソー 第2回 秋葉原・その1【第4水曜配信】

    ■第3回「秋葉原・その2」
     ジャンク通りをしばらく歩いていると、空腹を覚えた。
     最近、ヨドバシカメラAKIBAのレストラン街は改装され、フードコートも新設されたが、90年代の秋葉原駅周辺は食事処が少なかった。
     学生時代は貧乏だったので、秋葉原デパートの1階にある立ち食いお好み焼きで空腹を満たし、店を巡り歩いていたのだが、その秋葉原デパートも、今はJR東日本のアトレ秋葉原に建て替えられ、デリや弁当を売っている。
     それはそれで美味しそうだが、買っても食べる場所がない。銀座松屋のデパ地下のように、食事スペースを併設してくれれば良いのだが。
     話をジャンク通りの裏路地に戻すと、このあたりには地元民向けの蕎麦屋や弁当屋がいくつかある。どれも地味な佇まいだが、地元民専用と言わんばかりの素っ気なさで、妙に入りづらい。
     もっとも、いくつかの例外もあり、「サンボ」という牛丼屋は、秋葉原を訪れる人々の間でカルト的な人気がある。元は吉野家の初期フランチャイズ店舗で、1980年に倒産した際、独立したらしい。
     元々、日本橋の魚市場が発祥の吉野家が、1989年まで神田青果市場があった秋葉原に出店したのは自然の成り行きだが、食べたことはない。
     たぶん懐かしい味なのだろうが、偏屈なローカルルールとカルト的な人気で逆に近寄りづらくなったのだ。
     雑居ビルの店子はその時々の流行に合わせて入れ替わっているが、地元密着型の飲食店はしぶとく残っている。
     その一方で、秋葉原の客層の変化に合わせて、新しい飲食店も増えた。どれも脂っこい料理を売りにしていて、ラーメン二郎インスパイアと思しき店もある。
     あきばお〜、三月兎、まんだらけに囲まれたジャンク通りの角にある「野郎ラーメン」は巨大なラーメンの写真看板を掲げていて、見ているだけで胃もたれがしてくる。昔ながらの中華そばは好きだが、ギトギトの背脂系は苦手なのだ。
     しかし、友人いわく、二郎系ラーメンは「コストパフォーマンスが良い」らしい。秋葉原を訪れるオタクな人々は、基本的に快楽主義者で効率厨だが、それ故に、目的以外の諸要素は考慮しない。
     筆者は大病を患ったこともあり、身体への負担といった要素も考え、昼食を選択する。だが、友人はそういう細かいことを考えず、快楽と価格だけを天秤にかけ、「コストパフォーマンスが良い」という結論に至る。
     更に近隣の雑居ビルには、アダルトビデオのセクシー女優出演が売りのショーパブの看板が掲げられている。昼前なので、現在、営業しているかどうかも分からないが、こうなると歌舞伎町と変わらないギトギトの欲望の街だ。
     歌舞伎町と違うのは、内向きの欲望に特化されていることだが。

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  • 更科修一郎 90年代サブカルチャー青春記〜子供の国のロビンソン・クルーソー 第2回 秋葉原・その1【第4水曜配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.739 ☆

    2016-11-23 07:00  
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    更科修一郎 90年代サブカルチャー青春記〜子供の国のロビンソン・クルーソー第2回 秋葉原・その1【第4水曜配信】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.11.23 vol.739
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    今朝のメルマガは〈元〉批評家の更科修一郎さんの新連載『90年代サブカルチャー青春記~子供の国のロビンソン・クルーソー』の第2回をお届けします。
    中国人観光客で賑わうオタクの街・秋葉原。80〜90年代のパソコン黎明期から大きく様変わりした街並みを眺めつつ、日本のサブカルチャーの母体となった、「文系文化」としてのコンピュータの記憶を語ります。
    ▼プロフィール
    更科修一郎(さらしな・しゅういちろう)
    1975年生。〈元〉批評家。90年代以降、批評家として活動。2009年『批評のジェノサイズ』(宇野常寛との共著/サイゾー)刊行後、病気療養のため、活動停止。2015年、文筆活動に復帰し、雑誌『サイゾー』でコラム『批評なんてやめときな』連載中。
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    前回:更科修一郎 90年代サブカルチャー青春記〜子供の国のロビンソン・クルーソー 第1回「湾岸・有明」
    ■第2回「秋葉原・その1」
     夏の終わり、総武線のホームに降り立ち、眼前のミルクスタンドでかずさ牛乳を飲んで、降りていく。
     電気街口の改札を出ると、柱や外壁のデジタルサイネージが、次々と新刊の漫画やライトノベルの広告を映し出していて、目が眩む。
     駅舎から通りに出ると、新旧入り混じった光景が広がっている。
     ラジオセンターの猫の額のような隙間には電子パーツの専門店がいくつか残っており、昭和の匂いを漂わせているが、アキハバラデパートやラジオ会館は建て替えられた。代わりにオタクコンテンツ専門の百貨店(?)や外国人観光客向けの免税店が無造作に立ち並んでいる。
     さて、末広町側へ歩くのは何年ぶりだろうか。
     秋葉原がオタクの街と呼ばれるようになって20年以上経っているが、筆者が秋葉原へ行くのは、仕事の打ち合わせだけだ。あとは、年に数回、「秋葉原以外の繁華街を知らない」知人と飲む時だ。どちらも昭和通り側のヨドバシAkiba周辺で済んでしまうので、電気街口から出ることはない。
     電気街口が街の玄関であることに変わりはないが、2005年、電気街口の反対側にあった日本鉄道建設公団の土地にヨドバシカメラが建ったことで、人の流れはずいぶんと変わった。00年代に入り、秋葉原から電気街としての本来の役割は失われつつあったが、一般的な家電を買い求める客は新設された「中央改札口」を通り、かつては裏側であったヨドバシAkibaへ向かってしまう。
     そのため、本来の電気街は、完全にオタクの街──ジャンクなサブカルチャーの街になっている。もちろん、歩けば他の要素もあるはずだが、メディア上でのパブリックイメージはそういう街になっている。
    ■■■
     中央通りへ出ると、交差点で中国人観光客の集団がバスから降りて、免税店の開店時間を待っていた。
     もっとも「爆買い」自体は一段落しつつあるし、当て込んで「爆買い」仕様にしていた銀座の百貨店は閑古鳥が鳴いているのだが、秋葉原はその点に於いて、老舗で大衆的で安定している。
     そして、かつての電気街の記憶はこの光景にだけ残っている。
     白物家電の売れ筋は電気炊飯器と温水洗浄便座と聞いたが、知人は「中国人はなんでそんなものばかり買うのだろうか」と首を捻っていた。
     電気炊飯器や温水洗浄便座は日本独特の事情によって進化した商品で、中国で入手することは困難だ。コピー商品はあるだろうが、特殊な進化を辿っているから、忠実に真似ることは難しい。
     だからこそ日本で買っていくのだが、電圧は違うし、水質も悪いから、結局、早々に故障してしまう。修理するか、買い直すか――日本製品を買った中国人観光客はどちらを選んでいるのだろうか。
     なんで、そんなことを知っているのかというと、十年ほど前、海外で暮らしていた筆者の家族が、ハイアールの冷蔵庫を買ってきたことがあるからだ。ゼネラル・エレクトリックの冷蔵庫が壊れたのだが、半年後に帰国する予定だったから、繋ぎのつもりで買ったのだ。
     ところが、三ヶ月で壊れてしまった。
     当時の印象は「販売力に技術力が追いついていない」で、なるほど、ハイアールが三洋電機を買収したのは当然の成り行きであった。
     その後、故あって長期滞在していたビジネスホテルのコインランドリーでハイアールの洗濯機を使っていたが、何の問題もなかった。まったく同じモデルの新旧品が三洋とハイアールのロゴで並んでいたのだから、当たり前だが。

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  • 【新連載】更科修一郎 90年代サブカルチャー青春記〜子供の国のロビンソン・クルーソー 第1回「湾岸・有明」【毎週第4水曜配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.719 ☆

    2016-10-26 07:00  
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    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.10.26 vol.719
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    ■第1回「湾岸・有明」
     九月の終わりに有明の東京ビッグサイトを訪れたのは、病み上がりの暇潰しで、朝の七時に珍しく目が覚めたからだ。
     2009年までの肩書きは批評家だったが、『サイゾー』で連載していた宇野常寛との対談の終盤に体調を崩し、単行本『批評のジェノサイズ』の刊行と同時に倒れた。
     不幸中の幸い、重篤ではなかったが――ようやく快復し、日常的に外出可能になったのは2014年だ。
     しかし、批評家の看板は降ろしているから、やることがない。
     以来、たまに東京を歩いては、暇を潰している。
     新宿で乗り換え、りんかい線の国際展示場駅を降りたのは九時で、駅前広場では『スリランカフェスティバル2016』が行われていた。
     朝食を取っていなかったので、ランプライス(バナナの葉で包んだカレー味のナシチャンプルー/炒飯弁当)でも食べようかと思ったが、飲食ブースは開始前だった。仕方なく、ビッグサイト内のコンビニでおにぎりを買った。
     ビッグサイトと言えば、夏と冬のコミックマーケットだが、もう十年以上、訪れていないので、朝イチの光景に戸惑っていた。
     とはいえ、1996年の開場当時には閑散としていた周辺施設もかなり整備され、隔世の感もある。晴海の東京国際見本市会場と比べれば、設備は最新でトイレ不足に悩むこともなかったが、大型ホテルや国際会議場が併設されていた幕張メッセやパシフィコ横浜と比べると、ビッグサイトはやっぱり「地の果て」という印象があった。

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