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記事 11件
  • スポーツを経験するとスポーツマンシップが低下する? 指導者・安部磯雄の野球への“関わり方”(後編)|中野慧

    2022-07-29 07:00  
    550pt

    ライター・編集者の中野慧さんによる連載『文化系のための野球入門』の‌‌‌第‌23回「スポーツを経験するとスポーツマンシップが低下する? 指導者・安部磯雄の野球への“関わり方”」(後編)をお届けします。安部磯雄らが主導した早稲田野球部。彼らが野球に見出した「スポーツマンシップ」から、現代にも通じる体育教育について考察します。前編はこちら。
    中野慧 文化系のための野球入門第23回 スポーツを経験するとスポーツマンシップが低下する? 指導者・安部磯雄の野球への“関わり方”(後編)
    富(情報)を積極的にシェアするコモンズ的発想
     前編でみてきたような最新の野球技術を、早稲田野球部の主要メンバーである橋戸信は著書『最近野球術』(博文館、1905年)にまとめた。橋戸はのちに当時の大手新聞である万朝報、東京日日新聞で記者としても活躍するが、在学時から本を書けるくらいには文章家であった。  この本は様々な点で画期的であった。  まず1つ目に「アメリカで得てきた情報を惜しみなくシェアする」という観点を持っていた点である。それまで日本の野球界を主導していた一高野球部の人々は、野球のルールや技術を解説した入門本を執筆したりはするものの、どちらかといえば精神論的な訓話に重きを置きがち(一高野球部OBで一時代を築いたエースである守山恒太郎の著書『野球之友』(民友社、1903年)など)で、自分たちのノウハウを「秘伝」とする傾向があった。情報を惜しみなくシェアし、野球文化の発展に貢献しようという意識には、やや欠けていたのである。  余談ながら、現代の高校野球強豪校の監督たちの著書にも似たところがあり、肝心の技術論はあまり語らず、どちらかといえば自らの権威性をアピールするような書きぶりのものが多い。重要な情報を自らライバル校に漏らして、その結果自分たちのチームが負けてしまうことを恐れているからである。現代の高校野球は勝利至上主義が特徴となっているが、そういったマインドでは「情報をシェアしよう」という考え方には至りにくい。現代の「甲子園の名将」たちは、自分の自慢話はするが肝心の「上手くなるための練習法」を広くシェアし野球文化の発展に貢献しよう、という人物はほとんどいない。自分たちの権威のPRには熱心だったがフェアプレー精神には欠けていた一高野球部と近い精神性である。  そのようにマインドセットが勝利至上主義であれば、自分たちが得たノウハウを門外不出・一子相伝の秘伝として早稲田野球部だけに語り継いでいてもおかしくない。だが120年前の橋戸の『最近野球術』は、アメリカで得た情報を惜しみなく日本の野球界に伝えようというものだった。この本は安部磯雄が橋戸に執筆を勧めたものである。その背景には、社会主義的な思想、つまり富(この場合はアメリカで得た豊富な情報)を積極的に周囲とシェアしていく「コモンズ(共有財)」の発想があったと考えるのが自然であろう。  安部磯雄は社会主義者であり、野球文化の発展に熱心に取り組んだ。現代の感覚では社会主義と野球というのはあまり結びつかないように思えるが、ロジックは非常に単純で、安部はフェアネス(公平性)の精神を野球に見ていたのである。野球の試合で相手や仲間、審判などに対してリスペクトを持って接する精神(フェアプレー精神)もフェアネスであり、格差を乗り越えて富をできるだけ公平に分配するのもフェアネスであり、男女の性差にかかわらず同等の権利を認めるのもフェアネスであり、武力での戦争をやめてかわりに運動競技で競い合い、それを通じて相互理解を深めるのもまたフェアネスなのだ。
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  • 【参院選を振り返る】来週8/1(月)開催!2022年の参議院選挙の総括からさすがにもう少し政治をなんとかする方法を考える|射場本健彦×菅野志桜里×佐藤こと

    2022-07-26 17:00  

    イベント開催のお知らせです!
    来週8/1(月)19:30〜、有楽町SAAIにてトークイベントを開催します。
    テーマは先の7月10日に投開票が行われた参議院選挙の総括。
    ゲストに、選挙プランナーの射場本健彦さん、弁護士の菅野志桜里さん、政策委員として活躍中の佐藤ことさんをお呼びします。
    各政党・各候補は今回の選挙にどのように挑んだのか、
    それぞれの動向と選挙結果を具体的に振り返り、選挙を通じて日本の政治をどのように改革できるのか議論します。
    会場観覧のお申込みはこちらから。
    なお、本チャンネルではイベントの様子を生中継します。
    (タイムシフト、アーカイブあり)
    合わせてぜひご覧ください。
    ▼イベント概要
    2022年の参議院選挙の総括からさすがにもう少し政治をなんとかする方法を考える
    ▼日時と場所
    日時:2022年8月1日(月)19:30〜
    場所:SAAI Wonder Working Co
  • スポーツを経験するとスポーツマンシップが低下する? 指導者・安部磯雄の野球への“関わり方”(前編)|中野慧

    2022-07-25 07:00  
    550pt

    ライター・編集者の中野慧さんによる連載『文化系のための野球入門』の‌‌‌第‌23回「スポーツを経験するとスポーツマンシップが低下する? 指導者・安部磯雄の野球への“関わり方”」(前編)をお届けします。1905年に初のアメリカ遠征をおこなった早稲田野球部。彼らが持ち込んだ技術やファッション性が、その後の国内野球文化にどのような影響を与えたのか考察します。
    中野慧 文化系のための野球入門第23回 スポーツを経験するとスポーツマンシップが低下する? 指導者・安部磯雄の野球への“関わり方”(前編)
    北米西海岸の日本人移民――戦前日本の空間的広がり
     前回は早稲田のアメリカ遠征について取り上げた。この遠征は従来の野球史の本では「日本野球史に燦然と輝く偉業」と仰々しく讃えられており、実際にこの遠征がきっかけとなって日本の野球文化が大きく動いたからだろう。  だが現実には、当時の早稲田野球部は草野球チーム程度の規模でしかなかった。一介の草野球サークルが、日露戦争に際して国内で同調圧力が強まるなかでアメリカ野球旅行という暢気なイベントを(採算すら取れずに)敢行した「破天荒さ」こそが画期的だったといえる。  安部磯雄はこの遠征の間、早稲田の学生たちにアメリカの野球や近代的な生活を体験させるだけでなく、アメリカ西海岸各都市を視察し講演活動を積極的に行った。このとき早稲田チームの連戦と安部の言論活動を支えたのが、アメリカ西海岸の留学生・労働者などの日本人コミュニティである。この人々の存在は、当時の日本社会を知る上で大事な要素でもあるので触れておきたい。安部は帰国直後、その移民コミュニティの様子を『北米の新日本』(博文館、1905年)という著書にまとめている。  北米移民の歴史は、明治維新直後から始まっている。江戸期までに確立されていた農村社会は明治初期の地租改正をきっかけに崩壊しはじめ、明治政府は農村部の生産力では賄えなくなった余剰人口を「輸出」する必要性に駆られていた。そのため1880年代以降、政府主導でハワイ、グアム、フィリピン、そして北米、やがて南米への移民が奨励されるようになっていた。  早稲田チームがアメリカ遠征を行った1905年当時、北米移民の数はすでに6万人にも達していたという。安部はもともと日本国内の貧困や格差是正に強い関心を寄せており、1901年に日本初の社会主義政党「社会民主党」を結成したが、すぐに政府から結社禁止処分を受けた。大っぴらに社会主義運動を行うことが難しくなってしまったため、それ以降の彼は言論活動の重心を男女同権と貧困問題解決へと移していく。安部は当時の知識人としては珍しく徹底した男女同権主義者であり、雑誌「婦人之友」などで女性の社会進出を強力にバックアップする言論を展開するとともに、廃娼運動にも取り組んでいた。  廃娼運動というのは、女性の人権擁護の立場から公娼制度を廃止しようとする社会運動のことである[1]。この時代、貧困家庭の女子が「出稼ぎ」または「身売り」の両側面を併せ持って日本の都市部や海外の娼館で働くということが広く行われていたのだ。特に海外に進出していく日本人娼婦は〈からゆきさん〉と呼ばれた。〈からゆきさん〉というのは「唐行きさん」、つまり唐=中国へと渡っていく女性たちのことであったが、転じて中国だけでなく世界各地へと出稼ぎ/または身売りされていく女性たちの一団をこう呼ぶようになった。  〈からゆきさん〉たちが海外進出に積極的であった(それがどの程度、本人たちの意思であったかはかなりケースバイケースのようである)一方、貧困に苦しんでいるわけではない一般家庭は女子の移民に強い抵抗感を持っていた。男子で海外移住する者の場合、農林業や建設業などの肉体労働に従事したが、女子に関してはそういった「正業」への進出があまり進んでいなかった。日本人移民の労働市場には、ジェンダー非対称な状況が成立してしまっていたのである。  安部はこういったアンフェアな状況に危機感を持っていた。そこで『北米の新日本』では、最初は下男下女の仕事をして貯金をし、農地を購入して自ら事業を興していった人々が存在することをレポートし、「正業」での移民のすすめを説いていたわけである。
     北米では19世紀半ば〜後半にかけてゴールドラッシュが起こり、この時期に中国から大量の移民が流入した。彼らは低賃金で勤勉に働いたため、白人たちの間で「職を奪われるのではないか」という危機感が高まり、アメリカでは中国人移民は1882年の「中国人排斥法」で厳しく制限された。  一方で1900年代の段階で日本人移民はそれほど厳しく制限されていなかったが、1905年の早稲田野球部のアメリカ遠征当時、すでに北米で日本人移民差別・排斥運動が過熱していた。この時期は欧米世界で「黄禍論」が盛り上がりを見せていた時代でもある。日本から北米への移民希望者は非常に多かったものの、日本人移民への差別や排斥運動が苛烈さを増しつつあり、後の1924年にアメリカでは「排日移民法」が制定され、日本からアメリカへの移民は厳しく制限された。日本人移民は差別や規制の苛烈なアメリカではなく、カナダへと流入していくこととなった。  2014年公開の映画『バンクーバーの朝日』では、北米西海岸カナダのバンクーバーで形成された日本人街の日系人野球チーム「バンクーバー朝日」の活躍が描かれている。

    ▲『バンクーバーの朝日』(監督)石井裕也(出演)妻夫木聡、亀梨和也、勝地涼、佐藤浩市ほか。2014年。(出典)
     バンクーバー朝日は堅守やバント、ヒットエンドランなどを活用する「Brain Ball(頭脳野球)」で次第に強くなり、カナダのリーグで優勝するなど活躍し、日系人チームに差別的な審判やラフプレーを繰り返す白人チームに対してもフェアな態度を徹底したことでアジア系だけでなく白人からも応援される人気チームとなり、差別や貧困と戦っていた日系人たちの希望の光となった。バンクーバー朝日はカナダの移民社会と野球文化への功績が認められ、2003年にカナダ野球殿堂入りを果たしている。
    小山虎『知られざるコンピューターの思想史 アメリカン・アイデアリズムから分析哲学へ』
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  • 江古田公園から哲学堂ハイツ、上高田公園、落合公園へ |白土晴一

    2022-07-22 07:00  
    550pt

    リサーチャー・白土晴一さんが、心のおもむくまま東京の街を歩き回る連載「東京そぞろ歩き」。今回は、都内のあちこちにある「知られざる水路」をたどります。暗渠(あんきょ)となった河川跡や調整池を見渡しながら、いたるところで水害対策が施されている東京の、普段とは違った姿を解説します。
    白土晴一 東京そぞろ歩き第16回 江古田公園から哲学堂ハイツ、上高田公園、落合公園へ
     東京をあちこち歩いていると、掘削されてコンクリートで川底まで覆われた河川がたくさんあるが、上部だけ蓋をした暗渠も多い。  転落事故防止や交通の妨げにならないよう、水路に蓋などをして地下に埋設させてしまう工事が行われた水路を暗渠という。元々はどぶ川であったり、郊外ならば水田の用水路であった田川であったり。現在ではそうした水路の多くが地下に押し込められて、通行人の目にはなかなか入らないようになっている。  しかし、あちこち歩いていると、「ここは元は水路、暗渠だ!」と気づくこともある。道が蛇行していたり、水路っぽい地形であったり、家の並びの雰囲気だったり、なかには橋の欄干が残っていてすぐに分かるところもある。  こういう暗渠の痕跡が分かってくると、ついつい暗渠探しをしてしまう。  例えば、下画像は南阿佐ヶ谷で撮影したものだが、これなどは U 型側溝にコンクリート蓋を被せている暗渠で、水路の上を覆うコンクリート蓋が並んでいるのですぐに気づいた。

     鎌倉に行った時には、下馬交差点付近という場所で地上に残された欄干を見つけて、「ここは暗渠だ!」と一人で合点してしまった。



     この欄干はもともとは下馬橋と呼ばれた橋。現在では暗渠化された「佐助川」に掛けられいた。こういう欄干が残っていると、暗渠であることがすぐに分かる。  こういう暗渠の道を辿っていくと、暗渠ではない開渠(埋設されていない水路、河川)に行き着くこともがある。時間がある時にこういう暗渠を見つけて、どこに繋がっているかを調べる水路探索も楽しい。

     ある時、杉並区の清水(そういう町名)を自転車で走行していたら、「あれ?この道は暗渠だな?」と気づいたことがある。蛇行している水路っぽい曲線の道で、あちこちに昔の側溝の際に作られる擁壁ものが残っているので、なんとなくそう感じた。  とくに清水という場所は、その町名が示す通り、この周辺の旧家の敷地から湧水が出ていたことで名付けられたというのは知っていた。なので、こういう清水から湧き出た水は流れていた水路があったはずで、今では暗渠化された井草川の支流か何かではなかったかと推理した。  そして、この暗渠を辿って自転車を走らせていくと、やはり大きな開渠(川)に行き着いた。

     画像中央にある排水溝がコンクリートで塞がれているのがわかると思う。これがこの暗渠の終着点らしい。現在ではどうやらほとんど水が流れていないか、違う水路の方に流されているかで、塞がれてしまっているのだろう。  この開渠は、一級河川の妙正寺川という川。  妙正寺川のことは、付近に住んでいる人以外、東京に住んでいても知らない人は知らないだろう。名前は知っていても、どんな川かはよく分からない人の方が多いと思う。それくらいの知名度だと思う。  妙正寺川は荒川水系で、杉並区の妙正寺公園の中にある妙正寺池を水源に、新宿区下落合あたりで神田川(正確には高田馬場分水路)で合流するまでの流路延長 9.7km の河川である。江戸時代は江戸の近郊農村を流れる川だったが、戦後の高度経済成長以降はその流域は都市化によってほとんどが住宅地になっている。掘削で川底を掘り下げ、護岸や川底すらもコンクリートで固められている典型的な都市河川という風貌の川である。

     戦前に撮影された写真では田んぼの脇を流れている、のどかな田川という感じだったが、その後は周辺の景観含めて激変してしまった河川である。  こうしたガチガチの河川整備が行われているのは、妙正寺川がかなりの暴れ川だからである。1958 年(昭和 33 年)の狩野川台風や 1966 年(昭和 41 年)の台風 6 号では氾濫し、 2005 年の首都圏大雨でも流域で浸水が発生しまっている。都市化によって住宅地が拡大したことで、その安全を保つために妙正寺川の治水事業は重要度を増し、行政は長年にわたって改修や拡幅工事を重ね、現在のような姿になったのである。  下画像は、哲学堂公園付近の、晴天時の妙正寺川と 2016 年 7 月の局地的な集中豪雨が発生した後の妙正寺川である。この時は氾濫などは起こらなかったのだが、集中豪雨が発生すれば、かなりの水が妙正寺川に流れ込んでくるのが分かると思う。


     近年では「ゲリラ豪雨」という言葉が使われるようになったが、環境の変化で都市部で短時間で集中的な豪雨が発生し、都市の下水道などの排水インフラの許容量を超える雨量のために、処理が追いつかずに浸水など被害が生じてしまう都市型水害が増えている。  街全体で舗装やコンクリートなどが地面を覆っているために、地面に吸い込まれず、大量の雨水が都市河川に集中されてしまうという理由もある。  この近年の都市型水害を考える上でも、東京の住宅地である杉並、中野から、 新宿まで流れるこの妙正寺川を歩けば、いろいろな治水対策を見ることができるだろう。  そこで今回は、中野区松ヶ丘付近の江古田公園付近から下落合までの妙正寺川沿いを歩いていこうと思う。  まず、江古田公園内を流れる妙正寺川、ちょうど江古田川との合流点から歩き始めてみる。  画像手前の側溝のような流れがあるが、これが江古田川。  一級河川で、練馬の豊玉からここまで 2km ほどの川である。しかし、画像でも分かるように普段の水量はそこまで多くはない。反対側の橋から見た風景を下に。ここに水害対策が一つ施されている。


     水位観測用に色分けされたスケールが描かれているのが分かると思う。妙正寺川には水位観測用のライブカメラがネット上で公開されているが、この合流地点付近にもライブカメラが設置されており、画面上で水位がすぐ分かる工夫がなされているのである。
    https://nakano-city.bosai.info/s/live_camera/CAM-JP-NKAN3 ▲中野防災・気象情報 ライブカメラ妙江合流
     水位観測用のライブだけでなく、江古田公園には電波を使った河川水位監視システムも設置されている。  ラッパのような形で微弱な電波で水位を観測する電波式水位計で、九州の株式会社マツシマメジャテック製。レベルセンシングなどのセンサー機器のメーカーで、治水インフラなどでよく製品を見かける企業である。水位計はフロート式、投げ込み式、超音波式などがあるが、比較的水面から離して設置できる電波式水位計は増水に強く、いろんな都市型河川で見かけるようになってきている。


     ライブカメラや電波式水位計のような監視ネットワークだけではなく、江古田公園には水害対策資材の保管場所である江古田水防倉庫も設置されている。


     特に目を引くのは土のう倉庫。  妙正寺川・江古田川流域には土のう配備箇所が 18 箇所あるが、「一時配備」と「長期配備」に分かれている。「一時配備」は「土のうステーション」などと呼ばれて、台風大雨が予想される 6 月上旬から 11 月下旬まで期間限定で土のうが置かれるが、「長期配備」は一年を通じて土のうが置かれている。
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  • ​​[特別無料公開]『知られざるコンピューターの思想史』第7章 アメリカにとって大学とは何か〜アメリカにおける大学観の変遷|小山虎

    2022-07-19 07:00  

    本日のメルマガは、書籍化が決定した連載「知られざるコンピューターの思想史」より、連載時から加筆修正を加えて一部を無料公開します。現代のコンピューター科学発展の礎を築いた20世紀のアメリカ哲学。その土壌となった「オーストリア的」な知がどのようにアメリカで花開いていったのかを追う本書の第2部、冒頭の第7章を無料公開します。
    ※PLANETS公式オンラインストアでは、限定特典として著者である小山虎さんが本書のポイントを解説するオンライン講義「100分de(本書のポイントがわかることで、ぐっと読みやすくなる)『知られざるコンピューターの思想史』」に無料でご招待します。ご購入はこちら。

    『知られざるコンピューターの思想史』第7章 アメリカにとって大学とは何か〜アメリカにおける大学観の変遷|小山虎
     コンピューターの歴史にその名を刻むENIACが開発されたのはペンシルベニア大学である。現在の視点か
  • 「政策起業家」が行き詰まりの日本を変える可能性を徹底的に追求する|駒崎弘樹

    2022-07-15 07:00  
    550pt

    本日のメルマガは、認定NPO法人フローレンス 代表理事の駒崎弘樹さんと宇野常寛との対談をお届けします。「政治参加」と言えば選挙やデモなど、積極的な行動を取る手段がイメージされがちな日本。しかし「政策起業家」の駒崎さんによれば、むしろ「普通の人々」の現場の声こそが政治を動かすのだと言います。そうした普通の人々が社会を変えていくためにはどうすればいいのか、駒崎さんの近刊『政策起業家:「普通のあなた」が社会のルールを変える方法』を手がかりに議論しました。(構成:野中健吾・徳田要太、初出:2022年1月14日(金)放送「遅いインターネット会議」)
    「政策起業家」が行き詰まりの日本を変える可能性を徹底的に追求する|駒崎弘樹
    宇野 本日は「政策起業家」という言葉をテーマに、駒崎弘樹さんとの対談を企画しました。駒崎さんは1月に『政策起業家』という本を出版し、また、代表を務める特定非営利活動法人フローレンスとしてさまざまな社会問題解決に携わっています。「政策起業家」は耳慣れない言葉かと思いますが、今日の民主主義や統治論を考える上で外せないファクターでもあります。この概念を日本的な形で持ち込むことが今の日本の民主主義の行き詰まりに対して一石を投じることになるのではないかと提案しているのがいまご紹介した『政策起業家』です。それでは今日はよろしくお願いします。
    駒崎 よろしくお願いします。
    宇野 駒崎さんの前著『社会を変えたい人のためのソーシャルビジネス入門』が出たのは2015年でもう5年以上経ちますが、『政策起業家』はこの数年間のセルフドキュメンタリー的な内容ですよね。フローレンスが立ち上げた事業がどのような社会的反響を得て、それが政治を通じて法制度や条例にどういった変化をもたらし、結果的にどう世の中を変えていったのか、ということが克明に記されています。
    駒崎 日本だと法律を作ったり変えたりするのは政治家と官僚、特に官僚のお仕事だという発想が浸透してしまっていて、法律は民間から変えられるものだという概念自体がそもそも無いんですよね。しかし実際はそうではありません。民間からも法律を変えたり作れたりするということをぜひ知ってもらいたいんです。なぜならそれが、危機感を抱くほどにグダグダになっている日本の政治シーンの突破口になると感じているからです。今日はそんな話をガッツリとしていきたいと思います。
    保育園の「20人の壁」を壊したら待機児童の未来が開けた。
    駒崎 「政策起業家」という言葉自体はアメリカでは「ポリシーアントレプレナー」と言われていて割とメジャーなものです。論文数で言えば5年で8,780本も出ていますが、これが日本だと5年でたったの19本しかなくほとんど知られていません。僕は政治家でも官僚でもありませんが、今まで政策起業家として10本以上の法律や制度を変えてきたので、政策起業家というのは一体どういうものか、僕が実践してきた事例でお話ししたいと思います。 まず僕自身のことですが、普段は認定NPO法人フローレンス(フローレンス=ナイチンゲールより命名)という団体で子育て支援・障害児の保育・特別養子縁組の支援といったことをしています。そうした「目の前の人を助ける」ことも非常に大事ですが、一方で、困っている人が生まれる社会構造や仕組みを変えていくというのが政策起業家の役目です。
     例えば僕らが取り組んだものに「小規模保育所の制度化」があります。きっかけはある時産休・育休を取っていたうちの女性社員から「保育園に全部落ちて復帰できません。仕事もやめなきゃいけない」と連絡が来たことです。彼女を戦力として当てにしていたこっちは「ええっ!?」とびっくりしてしまいました。当時は待機児童という言葉がまだまだメジャーではなくて、子育て支援の仕事をしていた僕らでも「話に聞いてはいたけど、そんなことってこんな身近で起こるんだ」という状況でした。 ではどうするかと考え、ちょうどその時に病児保育にも取り組んでいたので、「保育する人がいるんだから、彼女のお子さんを預かれる保育園を作ればいいじゃないか」と思ったんです。そこですぐに役所に保育園の作り方を聞いてみたんですが、「入り口と出口は別々じゃないといけない」「このぐらい広さがないといけない」といったようなルールが大量にありました。その中でも一番つらかったのが、「子供の数が20人以上いないと保育園として認めません」というルールでした。20人だとかなりの広さが必要ですが、都市部にそんな空き地なんてありませんし、既存の商業物件に入るとなると坪単価がとても高くなってしまいます。「だから保育園ってなかなか作れないんだ」とそこで気づいたんです。でも「どうして20人なのかな」と思って、その理由を厚生労働省に電話して聞いてみたら「うーん、ちょっと理由はわかんないですけど、従ってください。昔からそうだったんで」と言われました。 そこで僕は、「ははあ、これは大した理由がないな」と思ったんです。「人間工学的に20人がベストというような理由は多分なくて、何かの理由でたまたまそう決まっているんだろう。だったら別に従わなくてもいいかも」と思いました。というのもこの「20人の壁」を何とか取っ払って9~10人で認められるなら空き家を保育園として利用できるんですよね。3LDKのマンションでも保育園ができるから、その辺の至るところで作れるようになります。そのために話を聞いてくれそうな政治家にかたっぱしからアポを取り始めて、その中に以前からの知り合いだった松井さんという方がいたのですが、わざわざ首相官邸まで呼んで直々に話してくれたんです。そこで「松井さん、かくかくしかじかで児童の数が9人や10人の保育園を作れたら絶対広がると思いますよ」と説得したら、厚労省に話を通してくれました。 実は僕の故郷である東京都江東区の豊洲エリアは「待機児童のメッカ」というニックネームがついています。そこでマンションの空き物件だった一室を保育園にしました。家を使うから「おうち保育園」というそのままの名前で、日本で初めて定員9人の小さい保育園を2010年にオープンしました。園庭などはもちろん無いんですが、近くの公園へ散歩も普通にできて子供たちは楽しく過ごせます。この「おうち保育園」は定員9人のところ、オープンしたら20数人の申し込みが来ました。おまけに、保育士不足の中で保育士さんもたくさん採用できたんです。実際に保育士さんに、「なんでうちに来てくれたんですか?」と聞いたら、「大きな園だと子供一人ひとりと向き合えないけど、ちっちゃい園だったらもっとちゃんと向き合えると思いました」という、意外だけど嬉しい答えをもらえました。つまりもう「おうち保育園」自体は成功したんですよね。
     ですが、それで助けられたのは目の前の9人だけだったわけです。それはそれですごく尊いことなんですが、待機児童問題は日本中にありますよね。でも今のままだと、「おうち保育園」は単なる特殊なケースで終わってしまいます。これをモデルケースにして制度自体を変えていかなければならないと思いました。それで官僚や政治家の人に何度も視察に来てもらい、その場でそのモデルを売り込みました。そうしたら、注目してくれた方の中の1人に村木厚子さんという女性官僚の方がいて、彼女が待機児童対策特命チームのリーダーだったんです。その村木さんが「なんで気づかなかったんだろう。大きな保育園は作りにくいけど、小さい園だと確かに作りやすいよね」と言ってくださったんですね。そして法案を書き換えて「小規模保育」という言葉を入れ込んでくれました。その法案が子ども・子育て支援法という形で通って、2015年に小規模認可保育所が正式に制度化されました。それまで保育園の仕組みは70数年間ほとんど変化が無かったんですけれど、初めて大きく変わりました。児童が20人未満でも保育園として認められるようになった瞬間でした。この小規模認可保育所は2010年時点ではおうち保育園の一つでしたが、制度化された2015年のうちに約1600ヶ所に増えて、2020年には5000ヶ所以上に増えました。そのうちフローレンスでやっているのは10数園だけで、あとは他のいろいろな事業者の方が参入して運営しているという状況です。これで大きく待機児童問題は前進することになりました。 つまり、一つのモデルケースを作ってそれを政府にパクらせることによって国全体にその仕組みが広がり、より多くの人たちを助けることができるわけです。こう考えると、世の中を変えるというのは絵空事じゃないということがおわかりいただけるかなと思います。このように制度を変えていく人たちを「政策起業家」と言っています。
     こういった話をすると、「いやそれ駒崎さんだからできたんですよね」というようなことを思うかもしれないですが、まったくそんなことはありません。その一つとして双子ベビーカーの事例をご紹介させていただきたいと思います。 うちの市倉さんという女性社員が、「双子の育児って本当に大変なのに周りに理解されない。外出もろくにできなくて鬱の一歩手前」と友人から話を聞いたそうなんです。市倉さんが「バスに乗って出かければいいじゃない」と伝えたところ、「いや、双子ベビーカーはバスに乗せてくれなくて、『乗る時はたため』とか言われる。でも双子抱えてベビーカーたたむのなんて無理」と、事実上、公共交通機関であるバスから排除されているエピソードを友人から聞かされて驚いたんですね。 そこで彼女はGoogleフォームで双子育児についてのアンケートを作り、フォロワーなんてロクにいない自分のTwitterアカウントでこの問題提起を投稿してみたんですね。するとこのアンケートにたくさんの反応が集まって、どれも双子育児についての悩みや大変さがつづられていました。その後相談があったので、「会社としてやろう」と伝え、フローレンスとして彼女を中心にチームで取り組むことになりました。詳しいことは『政策起業家』で述べたので省きますが、彼女が頑張った結果として小池都知事にアポが取れ、都知事もこの課題を認識してくれました。その結果、双子ベビーカーを折りたたまない乗車がまずは都バス全線で、そして2022年には私営含む都内のバス全路線で解禁されることになりました。だからこれから双子の子育てをする人にとっては双子ベビーカーがバスに乗れることが当たり前になると思います。そういう新しい当たり前を行政に関わっているわけではないママが情熱から起こした行動で作れたということは素晴らしいことだなと思います。
     実はこの事例と同じことが50年ほど前に車いすでも起きていたんです。今やノンステップバスが当たり前ですが、1970年代までは車いすはバスに乗れなかったんです。けれど、当時青い芝の会という脳性麻痺者の障害団体の人がゲリラ的に車いすでバスへ乗り込んで、そこにマスメディアを呼び、今で言う炎上を起こしたんですね。それで話題になって車いすも乗れるようになったということがあったんです。
     このように、我々が当たり前だと思っていることは実は名もなき市民たちが政策起業家として体を張り、情熱を持って動いて変えてきたという歴史があります。そうして積み上げてきた数々の当たり前の上にいま我々は生活しているんだということをぜひ知ってもらえたらなと思います。ですから誰だって政策起業家にはなれます。読者の皆さんも、何か変えようと政治家に1本メールを打った瞬間に、政策起業家の道としての一歩を踏み出しているんだということを知っていただけたらなと思います。理不尽なルールがあふれている我が国ですけれども、変えるのは政治家でも官僚でもなくて我々なんです。
    アメリカのシンクタンク文化に対する日本の政策起業家
    宇野 ありがとうございました。本来だったら、政治に関する官民の交流はもっと活発に行われるべきだし、民間からのルールメイキングの動きももっと当たり前のものとして存在しなければならないと思うんですよ。でもそれを今の日本の社会のルールの上でやろうとすると、一生懸命考え抜いた末のアクロバティックな手を打つしかない。それはすごく不幸だなと思います。だからこそ駒崎さんは自分たちが10年かけて実践しながら編み出してきたこの「日本的政策起業家」ともいうべきカルチャーを浸透していくことが今の日本に必要だと思ってこの本を書いたんだと思います。 けれど最初に聞いてみたいのは、もっとそもそも論のところで日本社会を変えていくことを考えなかったのかなというところなんです。例えば、永田町(政治家)と霞が関(官僚)の関係などの根っこの構造にメスを入れようと思った時期はありませんか?
    駒崎 たとえばさっきお話しした通り、政策起業家というのはアメリカのほうがずっと盛んですが、その一因として大統領が変わると官僚が根こそぎ変わる点があります。例えば日本だと菅政権から岸田政権に変わろうが官僚はそのままですよね。これがアメリカの場合、トランプ政権からバイデン政権になるとトランプ政権の官僚は全員辞めて、民間のシンクタンクで勤めていた人が官僚になります。これはリボルビングドア=回転ドアという言い方をするんですけど、公共の政策をわかっている人が民間に出て、逆に民間から公共へ人が入ってくる。こうして政策をわかっている人たちが社会全体に蓄積されていくよう機能しています。そうすると民間と公共の間でいろいろなアクションも起きやすく、民間から政府に政策を提案できて実際にいろいろな政策が実現しています。このように、ある意味政策起業家が生まれやすい状況というのがあるんですよね。したがって、アメリカだと民間から政策を変えたいという意志のある人は、たとえばシンクタンクを起業して、どんどん政策提言をしていったりします。けれど日本でシンクタンクというと省庁から調査を引き受けたりする外注先であり、要するにSIerのような組織を指します。ですからシンクタンクからどんどん政策を提言して実現していこうというふうにはなっておらず、日本の政策起業家もほとんど育っていません。これは非常に勿体ないんですよ。なぜなら「日本ほどいま政策起業家が必要な国ってないんじゃないの?」という状況になっているからです。
     実は、アメリカのシンクタンクは一体どうやって政策起業家的なことをやっているのかなと思って以前調べたことがあります。それでわかったのは、面白いことにアメリカのシンクタンクというのは寄付を資金源としたNPO法人なんです。ものによっては数百億円という額が寄付で集まるんですが、寄付をしているうちの多くは政界に関わりを持っているわけではない一般人なんですよ。法人や、何名かの大金持ちも寄付しているんですが、基本的には個人が多くて寄付層のポートフォリオバランスが良いままに運営されています。日本はどちらかと言うと法人の方が多くて個人が少ないし、寄付総額もあまり大きくありません。このように寄付文化とそれに根差した仕組みが違うから、資金調達力の面でアメリカと日本では大きな差が出てしまうんですよね。ですから、活動するための人材を集めるにしてもアメリカは結構容易にできるけど日本では難しい。そういった事情もあって、日本でアメリカのような政策提言をするシンクタンクが成立するところまで行くのはちょっと道のりが遠いという状況があります。 だけど個人が動いて政策を変えるということだったらそんなに資金力がなくてもできる。だから僕は統治機構や天下国家の視点ではなくて、ゲリラ戦士としての政策起業家をどれだけ増やすかという方向に向かいましたね。ただ、この政策起業家をそのうち仕組みにしてチームにしていくことが必要で、そうなった時にはアメリカ的なシンクタンクに発展していけるだろうという想いはあります。
    宇野 そこにたどり着こうとした時に、日本はその1万歩ぐらい手前にいて、まずは民間からルールメイキングできるんだという「当たり前」を証明するところから始めなければならないのだと思います。でも、何十年後かには「あの頃は政策起業家っていったら、まず前例となるベンチャービジネスを成功させて、それから霞が関や永田町に強烈にアピールして自分たちのモデルをパクらせることで全体に普及させていく、みたいなまどろっこしいことやってたんだぜ」ということが昔話として言われるようになっているかもしれない。
    駒崎 まさにそういうところを目指しています。そういう長いスパンで考えるのもあながち無駄ではないかなと思うのは、例えば僕は社会起業家第1世代とか、日本の社会起業家の代表事例のように言っていただいたりもするんですが、「社会起業家」という言葉自体は2008年に輸入されて2010年くらいから知られるようになったものです。ですから僕がフローレンスを立ち上げた2004年頃は僕の職業を名付ける概念が日本には無くて、「なんかNPOみたいなのやってる人」という扱いだったんです。つまり、今は無い職業や今は社会に無い概念であっても20年もあれば仕事にできることだってある。だから政策起業家も10年くらいかければ本気でそれを目指す人がある程度は出てきて10年後には割と普通な職業として、みんなが選択できるようなったらいいですね。
    日本的な「スマートではない」ルールメイキングの有効性
    宇野 「民間からのルールメイキング」というテーマを今の流行に乗った形で論じると、いわゆるGovTechとかvTaiwanの事例のようにテクノロジーでなんとかしようという話に陥りがちです。それはそれで良いのですが、ならばなぜ日本で駒崎さんはスマートさとは程遠いような現場での泥臭い手法で長年頑張っているのか、ここを考えないといけないと思うんです。
    駒崎 言ってしまえば、台湾のようにテクノロジーを使って意見を集約して全体最適を見て意思決定するといったスマートなところにも、日本は遠く及んでないんですよね。もっともっと非常にウェットで、「こんなに困っている親御さんがいてね、どう思われますか?」といった意見を聞いた政治家が涙を流しながら「それは大変だね、なんとかできるよう頑張るよ」という世界なんですよ。10年後とかにはもっとスマートになっているかもしれませんが、いいか悪いかは別としてそういう状況なので本当に制度を変えたいとなるとそのウェットさにがっぷり四つに組んで戦っていかなければなりません。僕が政策起業家の概念を提起した時は、本当にリアリズムが徹底された中で出すしかなかったんです。
    宇野 いや、僕はこのスマートではないアプローチが逆にいいと思っています。例えばvTaiwanというのはやはり専門家とマニアの集まりで、専門的な問題について議論ができたり意識が高く能力もある市民が集まって「シェアリングエコノミーの規制をどうするか」というような検討をしたりしているわけです。要はvTaiwanなどに表れているオードリー・タン的なアプローチというのは、テクノロジーエリートが先導することによって全体最適を目指すという発想ですよね。ですが今の日本というのは、スマートではない部分で民主主義の目詰まりを起こしているわけです。だから日本では等身大の困りごとに対してみんなで徒党を組んで行政の人と話しに行く、そしてその困りごとを解決するための仕組みを考えてみる、とかいった形で公共を作っていくことに駒崎さんは取り組んでいると思います。
    駒崎 そうなんですよね。しかも、台湾は人口規模的にも小さいですが日本は1億2000万人以上いるし、新たなテクノロジーに不慣れな高齢者も非常に多い。その状況のモデルケースとなる国がない中で、それでもいかにこの衰退を緩和させていくかということが今の我々の世代に問われています。だからそこはもう徹底的にリアリスティックにやるしかないところですね。いろいろと取り組んでいる中で、わが国では市民が強い公共意識を持って動くなんてことは実際にはないんだという実感があります。とはいえ、それでも課題解決に向けて1ミリでも前に進めなければならないとしたら、やはり政治家に石を投げたり公務員を馬鹿にしていたりするだけでは駄目なんですよね。彼らに通じる言葉で、何が課題なのかを噛み砕いてお伝えして、そのためには何をすればいいのかを説明して、一緒にやっていきましょうよと説得していく。そういう地味な営業マンようなことが必要で、この泥臭さこそが日本的なのではないかなと思います。
    宇野 変な話だけど、そんなに専門知識があるわけでもないしすごく卓越した自分の知見があるわけでもないような人が世の中にコミットしようと思ったときには、嫌いな政治勢力をTwitterでディスるという手法が、恐ろしいことにいま一番人気がある。そういったことをする人々に対して、「スマホを握って誰かを攻撃すること以外にも社会にコミットする方法ってあるんだよ」と実例で教えることが大事だと思います。そういった人たちはvTaiwan参加者のようなスマートなやり方ができないからそうしていて、だから「スマートじゃない」アプローチをしている駒崎弘樹的な政策起業家のモデルにこそ最大の可能性があると僕は思ってるんですよね。
    駒崎 本当にそうですよね。10年前に僕らが共演したNHKの番組「ニッポンのジレンマ」でも話しましたけど、当時は僕らもSNSが日本の民主主義を変える夢を見ていました。しかし、結果そうはならなかった。僕は1999年に慶応のSFCに入って、「インターネットが世界を変える」「民主主義をより活性化させ、より個人が発信できるようになり、より自由になる」という夢を大学4年間で叩き込まれたんですよね。だからネットに対する夢はものすごくあって、その延長線上に生まれたSNSは個人が本当に世界に発信できて、より自由な市民社会を描けるんだという思いで宇野さんとも夢を語り合っていました。ところが、そこから「アラブの春」などを経て結局行き着いたのが、Twitter上でのディスり合いとその追走劇です。さらにはTwitter上の世論なんて現実の政治には基本関係なく、選挙では「ドブ板選挙」が勝利していき、自民党はずっと与党であり続けるという、僕らの夢が全敗した絶望の10年でした。ただ、マクロで見ると負けであっても、その中でミクロでの勝利を重ねていって少なくとも生活空間の中では少しずつ良くなっているということを生み出したいんですよ。
    宇野 でも僕は今がけっこう勝負のときだと思っていて、例えば選挙の話をすると、公明党や共産党って明らかに足腰が弱っている。あの人たちがすごく得意だった、ひと家庭ずつ訪問して困りごとを聞きながら自分の党の中に取り込んでいくようなやり方も基本的には昭和の遺物なので団塊世代とともに緩やかに退場していく運命にあると思うんですよ。でも、彼らがいなくなったからといって、困っている人とか弱い人、ある種天下国家のことを理知的に分析する余裕がない人は変わらず大量に居続けるわけなんですよね。このままいくとそこにイデオロギーが入ってくる。比喩的に言えば橋本チルドレンと山本太郎の取り巻きが入ってくる。それが結構危ないと僕は思っていて、そうではなくイデオロギーを地上に下ろさないために何か自分たちの生活の課題や困りごとを政治に結びつける市民文化が必要だなと思っています。それを向こう10年ぐらいで作っていって、それが共産党や公明党が退場した後の受け皿になっていく以外、この国の民主主義がまともに機能するシナリオが思い浮かばないよ。悪い意味でのSNSを通じたイデオロギー浸透が生じる前に、スマートではないけどしっかり人々が社会に関わって世の中を変えられるんだという手触りを覚えられる市民文化を作っていかないと、時間切れになる気がしている。
    駒崎 その「イデオロギーを地上に下ろさない」というのは非常にいい言葉ですね。あるイデオロギーの視点から誰かを悪者にしてそれをぶったたこうという発想が、ネタとして言っている次元から本当にそういうふうに思い込んで実際に排除が始まることがあるので、やっぱりイデオロギーというのは怖いですよね。また「スマートじゃないけど手触りのある市民文化」という言葉を聞いて僕が想起するのは、アメリカへ視察に行った時にボストンで参加したゴミ拾いイベントです。特に誰彼関係なくみんなでゴミ拾いやろうぜという感じのイベントで、ボロボロの格好の人とかも当たり前のように参加していました。そこに僕も混ぜてもらって、一通りゴミを拾い終わった後にみんなで輪になって、その日の感想を話し合っていたんですよ。そしたらそこにいた7歳くらいの男の子が最後に「僕はこのイベントを通じてボストンに貢献できたことを誇りに思います」というようなことを普通に言っていて、「えええっ!?」って衝撃だったんですよね。そんな言葉を子供が普通に言うのかと。例えば自分の子供とかが「住んでいる北区に貢献できて嬉しい」なんて言わないわけです。だからボストンでは地域社会というものの手触り感がしっかり根付いているという事実に少し戦慄したんですね。 もちろんこれはアメリカの一側面であって全然駄目なところもたくさんあるんですけど、市民としての社会への関わり方について、7歳の子供にその温度感があるのはすごいなと思いました。じゃあ、我が国にそれがあるのか? 例えば地域社会への貢献が普通に手触りを持って日常の中に組み込まれているかといったら、ないわけですよね。
    宇野 そこの話で言うと、地域に愛着があるから関わりたくなるとみんな思いがちだけど、それは逆だと僕は思っている。別に好きで北区に住んでいる奴ばかりじゃないけれど、例えばゴミ捨て場が少なすぎだとか暴走族がうるさいよねとか身近で困っていることはあって、それを自分たちの動きで変えられたらその街のことが好きになるんじゃないかと思う。だから僕は先に「変えられる仕組み作り」からやっていけばいいなと思うわけ。地域への愛情なんてものは最初からなくてもいいし、後から勝手に出てくると思う。
    駒崎 それはその通りで、いわゆる「IKEA効果」ですね。あそこの家具は安くて素敵だけど、組み立てるのに2時間とかかかる。汗だくになりながら本棚とかを作って、「作業時間を時給に換算したら果たして安かったのかな?」なんて思ってしまいます。でも、作った後にその家具がすごく愛しくなる。あれはコミットメントしたから愛せるんですよね。それと地域も同じなんです。関わって悪戦苦闘しながら変えていく中でいろいろな知り合いができたりこういうことができるんだという達成感も出てきたりします。だから行動しようとしたら自ずと愛は生まれることはあると思うし、「よくわかんないけどやってみようか」といった形で人々を巻き込む装置が必要かなと思います。
    小山虎『知られざるコンピューターの思想史 アメリカン・アイデアリズムから分析哲学へ』
    PLANETS公式ストアで特典付販売中!
     
  • ​​[特別無料公開]『知られざるコンピューターの思想史』第6章 理想主義、観念論、そしてヘーゲル〜19 世紀のアメリカ哲学|小山虎

    2022-07-11 07:00  

    本日のメルマガは、書籍化が決定した連載「知られざるコンピューターの思想史」より、連載時から加筆修正を加えて一部を無料公開します。フォン・ノイマンをはじめとする「オーストリア的」な知がコンピューターサイエンスの礎を築いた過程を追う本書。第2部「アメリカ編」の冒頭に当たる本章からは、「オーストリア的」哲学者たちがアメリカへ移民し、独自の知的風土を築いていく過程を明らかにします。
    ※PLANETS公式オンラインストアでは、限定特典として著者である小山虎さんが本書のポイントを解説するオンライン講義「100分de(本書のポイントがわかることで、ぐっと読みやすくなる)『知られざるコンピューターの思想史』」に無料でご招待します。ご購入はこちら。

    『知られざるコンピューターの思想史』第6章 理想主義、観念論、そしてヘーゲル〜19 世紀のアメリカ哲学|小山虎
    1 コンピューター・サイエンスを生み出したア
  • 『セイント・フランシス』──女性の心身の本音|加藤るみ

    2022-07-08 07:00  
    550pt

    今朝のメルマガは、加藤るみさんの「映画館(シアター)の女神 3rd Stage」、第30回をお届けします。SXSW (サウス・バイ・サウスウエスト)フィルムフェスティバル受賞歴を持つ『セイント・フランシス』。中絶や子育てといった女性にとって生々しい現実を扱った本作に、るみさんは何を思うのでしょうか?
    加藤るみの映画館(シアター)の女神 3rd Stage第30回 『セイント・フランシス』── 女性の心身の本音|加藤るみ
    おはようございます。加藤るみです。
    ちょっと、この話は映画好きとして話さずにいられないと思ったので話させてください。
    結論から言うと、『トップガン マーヴェリック』が最高だった件。
    『トップガン』は1986年に公開され、全世界が熱狂したアクション超大作ですが、中学生の頃トム目当てで観たものの、わたしの中ではメグ・ライアンの可愛さと火の玉ロック(笑)くらいしか印象に残ってないみたいな……、氷が溶けたカルピスの終盤並みにうっすーい記憶が蘇る映画なんですね。 正直好きかと聞かれたら「別に……」と、沢尻エリカ様ばりの答え方をすると思います。 それに、リアルタイムでその盛り上がりを感じられなかった世代でもあり、特に戦闘機が好きでもなければ、男の友情に胸騒ぎが起きることもなかったわたしは続編と聞いて「楽しめるかなあ」というぼんやりとした不安を抱えて映画館へ行ったんです。
    な・の・に!!!
    わたし、今年イチの涙を流してしまいました……。
    多分、映画館で一番泣いてました。 自分でも「まさかこんなに泣けるとは……」と、引いたくらいです。
    何が泣けたって、一番はトム・クルーズの姿でした。

    役者の演技にこれだけ圧倒されて泣いたのは初めてでしたね。 ハリウッドの第一線で活躍し続け、前作から36年経った今も、一人だけ異次元な若さをキープし、完璧なアクションを見せつけてくれた男トム・クルーズに勇気をもらわないわけがない。 旧世代であるマーヴェリックと新世代のルースターの交流は、『ドラゴンボール』で言うピッコロと悟飯のようなアツすぎる師弟関係で、泣けないわけがないんですよ。

    そんなん、100%泣くわ。 それに、エンターテイメントとしてのアップデートが見事でした。 ノスタルジックな80'sの良さを残し、ちゃんとした80'sムービーなのに、戦闘シーンでの臨場感やリアリティーは体験型アトラクションの最高峰とも言える迫力できちんとアップデートされている。 もう、手には汗、目には涙でしたね。
    そして、現時点で興行収入が60億円を突破という、コロナ禍以降の映画業界の不況のなかで凄まじい記録を更新しています。 2020年以降日本公開の実写映画No.1になり、確実に歴史を刻んだ作品になったでしょう。 大ヒット上映中で、この調子だと夏休み中はまだまだスクリーンで楽しめそうな予感がしています。

    まだ未見の方は、ぜひ、映画館へ観に行ってもらいたいです。 前作を観なくても十分楽しめるのが今作の良さだと思ってます。 本当に最高でした。
    さて、今回紹介する作品は、『セイント・フランシス』です。
    2019年にアメリカで開催された、音楽・映画・テックの祭典SXSW (サウス・バイ・サウスウエスト)フィルムフェスティバルにて観客賞と審査員特別賞を受賞。 SXSWは、小粒ながらも出来の良いインディペンデント作品が多数出品されていて、わたし的には正直アカデミー賞より楽しみにしている映画の祭典かもしれません。 まだ世にはそれほど出ていないけど、実力を持ったクリエイターたちの作品が集まる映画祭で、"野心作の試験場"とも呼ばれています。以前コラムでも紹介したことがある、ティーンエイジャーをケアする短期保護施設を舞台にした傑作ヒューマンドラマ『ショート・ターム』(’13)や、ダウン症の少年と一癖ある漁師の冒険を描いた『ザ・ピーナッツバターファルコン』('19)もSXSWで観客賞を受賞している作品で、特に『ショート・ターム』で名を馳せたデスティン・ダニエル・クレットン監督は、その後『シャン・チー/テン・リングスの伝説』('21)の監督としてMCUに抜擢されるなど大活躍(『シャン・チー』の続編も正式決定されてます)。 デスティン・ダニエル・クレットン監督がMCUに青田買いされたように、これからの注目株クリエイターが見つかるかもしれないですね。
    小山虎『知られざるコンピューターの思想史 アメリカン・アイデアリズムから分析哲学へ』
    PLANETS公式ストアで特典付販売中!
     
  • 【オンライン講義付で予約受付中】小山虎『知られざるコンピューターの思想史 アメリカン・アイデアリズムから分析哲学へ』

    2022-07-06 19:00  

    分析哲学者・小山虎さんの新刊をPLANETSから発売します。
    ただいまPLANETS公式ストアのみで予約受付中。
    特典として、小山さんによるオンライン講義に参加できます(アーカイブ配信あり)。
    書籍のお届けは7/12(火)からです。
    ぜひこの期間に予約してください!▼書籍について
    フォン・ノイマン、ゲーデル、そしてタルスキ。
    現代のコンピューターサイエンスの礎を築いた偉人たちを育んだオーストリア哲学の系譜について、その土壌となった大学制度や研究機関の成り立ちや文化風土も視野に入れながら解説します。
    目次など詳細はこちら。
    ▼目次
    序章 フォン・ノイマン、ゲーデル、タルスキと一枚の写真
    第1章 「オーストリア的」な知はいかに立ち現れたか〜ドイツ近代哲学との対峙の中で
    第2章  カントからチューリング・マシンへ〜コンピューターの芽を育んだドイツの哲学と数学
    第3章 ウィーン学団、3名のオース
  • あなたの持ちものを欲しがる人に売ることをビジネスとは言わない(中編)|橘宏樹

    2022-07-04 07:00  
    550pt

    現役官僚である橘宏樹さんが、「中の人」ならではの視点で日米の行政・社会構造を比較分析していく連載「現役官僚のニューヨーク駐在日記」。マーク・ザッカーバーグが象徴するように、アメリカ社会・グローバル市場において大きな影響力を持つユダヤ系の人々。彼らの力の源泉は何なのか、橘さんならではの分析をおこない、日本の経済状況との比較からみえてくることについて解説します。
    橘宏樹 現役官僚のニューヨーク駐在日記第5回 あなたの持ちものを欲しがる人に売ることをビジネスとは言わない(中編)
    在米ユダヤ人はいかにしてのし上がったか ~成功率を高めた4つの執着~
    ▲正統派ユダヤ人が多く住むブルックリンのウィリアムズバーグ地区にて。散歩する家族。
    ▲正統派ユダヤ人が多く住むブルックリンのウィリアムズバーグ地区にて。散歩するカップル。
     さて、前編では、ユダヤ人コミュニティの力強さの現状、具体的にはエリート層に占める「率」の高さについて述べました。「率」が高い、ということは、コミュニティ内にある種の勝ちパターンが共有されていて、その成功の果実が数世代にわたって積み上がっている可能性を示唆します。中編では、在米(特にニューヨークの)ユダヤ人がいかにして成功を積み上げてきたか、歴史を振り返るとともに、その勝ちパターンの中身について洞察を試みます。僕は、彼らの非常に特殊な歴史的・文化的事情に起因する「4つの執着」がうまく連動して相乗効果を発揮してきたことが、在米ユダヤ人の社会的地位を大きく押し上げたのだと考えています。
     現在の在米ユダヤ人の圧倒的大多数のルーツは、1880 年代から 1920 年代までの30年間に、ロシアで起きた「ポグロム(破壊)」と呼ばれる大規模なユダヤ人迫害と極貧生活から逃れてきたロシア系ユダヤ人です。この時期に250万人以上のユダヤ人が米国入りしたと言われています(2020年のユダヤ人人口は全米で約750万人)。ちなみに、残りの少数派はドイツ系ユダヤ人移民なのですが、彼らはもっと前から米国入りして全国に散らばっており、白人社会にほぼ溶け込んでしまっていました。もちろんナチスの迫害から逃れてきたポーランド系・オーストリア系・ドイツ系ユダヤ人もいますが、さらに後発の少数派です。
     ロシア系ユダヤ人移民の多くは、衣服をつくる職人でした。人間なら誰もが使う普遍商品を生産できる「手に職」を持った人々です。20 世紀初頭のニューヨーク市の衣服産業は、米国全土の既製服のシェアの約半分、婦人服では75% を占めており、さらに衣服労働者の約8割までもがユダヤ人だったと言われています。体力勝負の肉体労働では黒人やインド人などにはかないませんし、肉体労働よりは労働付加価値の高い産業で遮二無二働いたのが彼らの出発点でした。
    ▲正統派ユダヤ人が多く住んでいる「ウィリアムズバーグ」と、最近開発が進むイケてる地域「ダンボ」は隣り合わせ。雰囲気のギャップが激しい。

    ▲賑わうダンボ地区。マンハッタン橋を覗くこのスポットはInstagramでも大人気。
    ▲ダンボ地区の芝生。ブルックリン橋越しにマンハッタンの摩天楼を眺めてくつろぐ休日のニューヨーカー。
    ①土地への執着
     そんな彼らが極貧からのし上ることができた理由には、まず「土地への執着」があると思います。ロシア系ユダヤ移民第一世代は、過酷な環境の下、低賃金で長時間働く一方で、狭い家に多くの下宿人をおいて家賃収入をコツコツ貯めていきました。アメリカでは、急に帝国に襲われて、土地を追い出され着の身着のまま追い出されることはありません。安住の新大陸で初めて土地の所有に目覚めたわけです。そして、じわじわと不動産業界に進出していきます。  在米ユダヤ人は不動産業で大当たりしました。勝因は、白人富裕層による支配があまり行き届いておらず参入障壁が低かったこと、特殊な生活文化を共有するユダヤ人同士の紹介ネットワーク内で借り手・貸し手を探しがちだったので、ユダヤ人以外に富が搾取されることが少なかったこと、宗教上の理由で人口をどんどん増やしていたので、閉じた社会内でも需要が拡大し、ユダヤ経済圏が発展していったこと(第二次大戦後は、ホロコーストで失われたユダヤ人口を取り戻すべく、さらに拍車をかけて「産めよ増やせよ」にいそしんでいます)、衣服産業も不動産業も、戦後のアメリカの超好景気に上手く乗れたこと、などなどの事情から、資本蓄積が順調に進みました。そして、マンハッタンにも多くの物件を所有するようになると、入居してくる他民族の若者、野心的な若い芸術家や音楽家などとの交流も増え、時代の先を読んで出資するセンスもまた磨かれていくことになります。
    小山虎『知られざるコンピューターの思想史 アメリカン・アイデアリズムから分析哲学へ』
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