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  • 2次元と3次元の狭間にあるもの――『テニミュ』が生み出したリアリティ(アニメ&ミュージカルプロデューサー 片岡義朗インタビュー) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.441 ☆

    2015-10-30 07:00  
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    2次元と3次元の狭間にあるもの――『テニミュ』が生み出したリアリティ(アニメ&ミュージカルプロデューサー 片岡義朗インタビュー)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.10.30 vol.441
    http://wakusei2nd.com

    ▲『ミュージカル テニスの王子様』初演DVDより

    「2.5次元ミュージカル」――2次元で描かれた漫画・アニメ・ゲームなどの世界を、舞台コンテンツとしてショー化したものの総称です(2.5次元ミュージカル協会HPより)。
    そして、この2.5次元舞台作品をとりまとめる「2.5次元ミュージカル協会」設立に関わり、メイン作品である『ミュージカル「テニスの王子様」』のプロデューサーも務めたキーマンとも言えるのが片岡義朗さん。今回はその片岡さんに、「日本発コンテンツ」としての2.5次元の魅力と展望についてお話を伺ってきました。
    ▼これまでに配信した関連記事
    ・「2.5次元って、何?」――テニミュからペダステまで、「2.5次元演劇」の歴史とその魅力を徹底解説 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.270 ☆

    ▼プロフィール
    片岡義朗(かたおか・よしろう)
    アニメ&ミュージカルプロデューサー。「タッチ」「ハイスクール!奇面組」「キテレツ大百科」など多くのアニメ化や『ミュージカル「テニスの王子様」』や『ミュージカル「聖闘士星矢」』『「セーラームーン」ミュージカル』といった多くの2.5次元作品をプロデュースする。現在は(株)コントラの代表を務める。
    ◎聞き手:真山緑、稲葉ほたて
    ◎構成:真山緑、中野慧
    ■ 声には演じる人の人生が現れる――90年代アニメにおける「津田健次郎、涼風真世、ラサール石井」の声優起用
    ――片岡さんは「2.5次元ミュージカル」のキーマンとして著名ですが、今回はまず、これまでのお仕事の来歴について伺いたいと思います。もともとはアサツーディ・ケイで『タッチ』などのアニメのプロデューサーを担当されていたわけですよね。 
    片岡 僕はいろんな媒体で広い意味での「プロデューサー」をしてきたと思っていますが、やってきた事を振り返ってみるとアニメが原点であることは間違いないですね。
    ――『テニミュ』で初めて片岡さんのお名前を知ったのですが、復刻した『ハイスクール!奇面組』のDVDで片岡さんのお名前を見つけてとてもびっくりしたことを覚えています。『奇面組』ではOPとEDが「おニャン子クラブ」からの派生ユニットですが、アニメと3次元のアイドルを抱き合わせる方式は80年代後半当時としては珍しかったですよね。
    そのあと90年代前半に手掛けられた『姫ちゃんのリボン』や『赤ずきんチャチャ』のアニメでも、主題歌にジャニーズタレントさんや声優さんを起用されたりしていました。その時点で、いわゆる2次元と3次元を繋げようという意識はあったんですか? 
    片岡 そうですね。『赤ずきんチャチャ』で香取慎吾さんに声をかけて声の仕事をお願いしたのは僕ですし、『姫ちゃんのリボン』で草彅剛くんにお願いしたのも僕でした。
    ちなみに『姫ちゃんのリボン』の当時、草彅くんはは、セリフは伝わるけど滑舌はあまり得意ではなかったみたいで苦労してましたが、何話かアフレコしているうちに頑張ったのでしょう、その後はどんどんよくなっていきましたね。
    アニメ的な表現に3次元のタレントを起用したのは、おニャン子クラブもそうですし『ミュージカル「聖闘士星矢」』のSMAP、アニメ『こちら亀有公園前派出所』のラサール石井さん、『るろうに剣心』の涼風真世さんもそうですし、ちょっと違う例ですが、『H2』の津田健次郎くんも実写映画畑の俳優さんにお願いしたのもそういう例に入るかもしれませんね。
    ――片岡さんのそういったキャスティングには、どんな意図があったんでしょう。
    片岡 僕は、「声には、演じる人の人生が現れる」と思っているんです。
    『遊☆戯☆王デュエルモンスターズ』のアニメ化(2000年に放映開始/以下、『遊戯王』)の際、ジャニー喜多川さんに「誰か(主人公の)遊戯を演じられそうな、主人公と同年齢か近い年齢で芝居のできる俳優はいないですか」と聞いたんですよ。『遊戯王』は武藤遊戯というキャラクターに表遊戯と裏遊戯というふたつの性格があって、裏になったときは強い性格になるけれど、表のときはフニャっとしている。だから「お芝居がうまい人」であることに加えて、「表と裏のある人」を表現できる人が必要で、そのようにジャニーさんに話したら、当時まだ中学生でジャニーズ事務所で下積みをしていた風間俊介くんを推薦してくれたんですね。結果的にはこれが大成功で、遊戯=風間くんはファンの方にもすごく愛されるキャラクターになりました。
    風間くんが何歳からジャニーズの稽古場に通い始めたかはわからないけど、事務所から見て「センスがある」と思われる人じゃないとデビューできないはずなんです。そういう厳しい淘汰の道を通って来た「根性」があって、なおかつ演技力のある人が『遊戯王』の主役に必要だったんですね。
     『遊戯王』は他のファンタジー作品と違って、普通の生活があって裏の顔があるのが面白い作品ですよね。裏の遊戯のように攻撃的にガンガン戦う強い人間と、フニャっとした普段の普通の中学生のリアルな男の子、どちらの人格も「演技力」でやられたら困ると思っていたんです。なぜかというと、実際の『遊戯王』のカードゲーム大会に行くと、みんなただ俯いてカードゲームをやっているわけで、あれが中学生のリアルなんですよ。そういうリアルな中学生のようなフニャフニャした感じがベースにあって、演技で「裏」をできる人として、風間くんが見事にハマってくれました。
    ――風間さん自身がその「リアル」を持っていたんですね。
    片岡 声優に求められるのは「キャラクターが持っているリアリティをどう体現するか」ということだと思うんです。『こち亀』ではラサール石井さんに両津勘吉の声をお願いしましたが、彼自身が演技学校で研究生だった時代にアルバイトとして渋谷のストリップ劇場の幕間のコントに出ていたんですよ。ストリップ小屋の幕間のコントって、出てきた瞬間に「帰れ!」ってお客さんに言われるんです。おねーちゃんの裸を見たくて来てるオッサンたちの前に出て「まぁまぁ」ととりあえずなだめて落ち着かせて、だんだんと自分の世界に引きずり込んで笑わせちゃうっていう……そのことだけ考えても、ラサールさんは両津勘吉にハマると思ったんですよね。
    今のアニメ業界・声優業界の意見とは違うかもしれないけど、宮﨑駿監督のアニメはまさにいい例ですよね。宮﨑監督も俳優の演技にその人の人生観が反映すると思ってらっしゃるように僕には見受けられます。
    ■ 演劇とミュージカルは違う――『タッチ』から『聖闘士星矢』、そして『テニミュへ』
    ――片岡さんはSMAPを起用して1991年に『ミュージカル「聖闘士星矢」』(1991年上演/以下『星矢』)を制作されていて、それが『テニミュ』の一つの原型と言われていますが、その前に『「タッチ」ミュージカル』も制作されていたんですよね。
    片岡 この経緯をお話しすると、まず僕がテレビでアニメの『タッチ』を作っているときに「ミュージカルでやりたい」と申し出てくれたミュージカル会社があったんです。彼らがやっていたのは、日本アニメーションが企画・制作していた『小公女セーラ』や『若草物語』といった「世界名作劇場」枠のアニメのミュージカル化でした。夏休みの時期に、「後楽園アイスパレス劇場」という今のGロッソの前身のようなところで上演していたんですね。
    その一環として『タッチ』をやりたいということで、僕もミュージカルが好きだったからプロデューサーとして一緒にやることにしたんです。でも結果として、僕が思っている漫画やアニメの『タッチ』とはまったく違うものができあがってしまった。なんというか、「文法」が違ったんですよ。
    ――「文法」というのはどういうことなんですか?
    片岡 2.5次元舞台を作ろうとするときにプロデューサーが一番最初に考えることは「どうやって原作を尊重して別の表現に移し替えるか」ということなんです。アニメ作りも同じで、原作の漫画をくまなく読んで、一コマの中に何が描いてあるか、コマの中に前のコマの何が繋がって続いて描かれているのか、といったことをとことん読み取っていかなければいけない。
    たとえば『タッチ』のあだち充先生の漫画って非常に独特な間がありますよね。セリフとセリフの間、コマとコマの間の時間の流れの独特な「緩急」というか……。基本はゆったりしているんだけれども、その中にきゅっと短く「きれいな顔してるだろ、死んでるんだぜ…それで…」というセリフが入ることで、心にグサって何かが刺さりますよね。
    『タッチ』のときはミュージカルの経験の長い方が演出を担当されていたんですが、やっぱりそういった漫画・アニメ的な手法に対する理解があまり深くなかった。あちらはプロで、僕はミュージカルに関しては初心者だしで、こちらの意図を押し通すこともできなかったのでとても悔しい思いをしました。
    その『タッチ』のミュージカルでの経験が直接の引き金になって、「これはもう自分でやるしかない」と思い、『ミュージカル「聖闘士星矢」』をやることになったんです。
    ――そして『星矢』以降、様々な漫画を舞台化していくことになるわけですが、そもそも片岡さんにはアニメ以外にも演劇やミュージカルをやりたいという思いがあったんですか?
    片岡 そうですね、演劇やミュージカルは好きでもともとよく観ていたんです。僕が学生時代を過ごした1960年代は、いま世の中にある文化の芽が少しずつ出始めた、疾風怒濤の時代と言ってもいい時代で、当時は演劇が「サブカルの権化」みたいなところがあったんです。そういう世の中の熱に浮かされてよく観に行っていたんですね。
    ――当時は、唐十郎さんや寺山修司さんといった方が活躍されていましたね。
    片岡 そうですね。僕が一番自分に合うなと思って観ていたのは、自由劇場の吉田日出子さんや串田和美さんたちでした。吉田さんのちょっとすましたところだったり、とにかく洒落ているところが好きだったんです。そういった60年代のアングラ演劇に触発されるかたちで小劇場運動が起こって、つかこうへいさんや野田秀樹さん、鴻上尚史さんといった人が70〜80年代に続々と出てきました。それらをぜんぶ観てきたので、演劇はよく行っていたんですが、一方でミュージカルはミュージカルで別のジャンルのものだと思っていたんです。どうも、自分が観ているミュージカルはつまらないなぁと思っていて。
    ――ミュージカルというと、劇団四季のようなものでしょうか?
    片岡 それ以前にも四季のミュージカルは観てはいたんですが、1982年に会社を移籍するタイミングで一ヶ月程時間を取ってニューヨークで毎日のようにミュージカルを観たことがあって、「あ、これは日本のミュージカルとまったく別のものだ」と思ったんです。「もしかしたら日本のミュージカルは、まだミュージカルと呼ぶには値しないんじゃないか?」、と。
    ――どういうところが違っていたんでしょう?
    片岡 劇中の人物が本当に「生きている」んですね。例えて言うなら、日本の劇団四季の『CATS』には「猫がいなかった」んですよ。でも、ブロードウェイで観た『CATS』には「完全な猫」がうじゃうじゃいたんです。
    もうひとつ別の驚きもあって、向こうとこっちではダンスのレベルが違いすぎるんです。関節全部が動いてそれが物語るようなダンスを踊る。僕がニューヨークにいた頃はボブ・フォッシーという有名なダンサー兼振付師の演出家が生きていた頃で、まず技術的なレベルが違うし、作中人物がドンとキャラクターとして立って性格が見えてくるんです。
    それからニューヨークとロンドンと日本を行き来しながらそれぞれの国のミュージカルを観るということを繰り返して、「アングラ演劇の面白さとミュージカルの面白さは違う」ということを思い知りましたね。アングラ演劇が「一生懸命見ようとして、面白さをなんとか捕まえて楽しむ」ものだとすると、ミュージカルは娯楽作品として洗練されていて、どんな人でも座っているだけで劇中世界に入っていけて、完全に浸りきって受け取って帰ることができるというものなんじゃないか、と。
    ■ 劇団四季を反面教師にして構築された『テニミュ』システム
    ――ストレート・プレイ(ミュージカル以外の演劇のこと)にはない、ミュージカルならではの面白さの本質があるわけですよね。
    片岡 ミュージカルは、観客の身体のレセプター(受容体)の数が多いんです。まず歌としての感情表現があるから、座っているだけで引きずり込まれるようにできている。だから、観劇の初心者の人でも入りやすいですよね。
    僕はそうしてミュージカルの面白さにどんどんハマっていって、そうなると四季のミュージカルが物足りなく感じてしまったんです。ここから先はいつも言ってることなんだけど、僕にとっては劇団四季が反面教師なんです。四季がなかったら2.5次元舞台は、今のようなかたちでは育ってこなかったと思っています。もし四季のミュージカルを見て面白いと思う人がいたら、ぜひ2.5次元舞台を観てほしい。歌は下手かもしれないけど、ちゃんと役者が活き活きと演っていますから。
    たとえば「歌で表現される中身が観客に届いてるか」に関して、僕は『テニミュ』の役者の歌もきちんと届いていると思うのです。
    ――『テニミュ』では、劇団四季のどういった部分を反面教師にしたんでしょうか?
    片岡 まずひとつ、劇団四季って劇場に行かないと誰が何役をやっているかわからなかったんです。たとえば普通の演劇を観るお客さんなら、『オペラ座の怪人』を観に行くときに誰がファントム役なのかにすごく関心があると思うんですけど、劇団四季は「誰が演るかは問題ではない。劇団四季の俳優だったら誰が演っても同じレベルでできるから名前を公表しないんだ」と、表向きにはそういうメッセージを出しているわけです。
    だけどこのやり方って実は大量生産の手法なんです。機械的に同じ型に当てはめた役者をどんどん作って、ファントム役の型に当てはめた俳優を10人作っておけば全国10カ所で『オペラ座の怪人』を上演できるというわけなんですね。
    ――たしかに、劇団四季の常設劇場はそうなっていますね。
    片岡 そう、全国にいくつもあると思いますけど、たとえばそれらの劇場全部で『オペラ座の怪人』を演ればどこでも一定のお客さんが入るようになっているんです。「ファントムを演じているこの役者さんの演技がすごい」という評判が立ってしまったら、その人がいる劇場にしかお客さんが来なくなるし、もしその人が辞めてしまったらドッと集客が落ちる。こういうことを避けるために、誰が演っても出来るしどんな役に対しても演れるようにするという仕組みが劇団四季のやり方なんです。
    でも、役者側からすると「誰がやっても同じ」と言われたら頑張り甲斐がないでしょう? 『テニミュ』の役者って、「ここで初めてプロとしてお金をもらった」という人がたくさんいるんです。「ここでしっかりできれば、俺は一生この道でやっていけるようになるかもしれない」というモチベーションがある。
    一方で四季の場合は給料システムで、1ステージいくらで年間に100ステージ立てばいくらになると保証されるようなかたちなんです。もちろん、1ステージの単価が上がっていって1ステージ10万円で年間200ステージ保証されると年間2000万円になるけれども、そういう枠の中でやる以上は、ハングリーさがやっぱり違ってきてしまいますよね。
    そして、四季は、誰がやっても同じように歌い誰が演じても同じようにセリフを喋るんです。「四季の発声法で発音しなさい」「この歌はこういう風に歌いなさい」というのが決まっていて、そこからはみ出した歌い方をすると外されてしまうんですね。
    でも、こうしたことは僕にとっては違う方法を採用するきっかけになった事ではありますが、四季が果たしてきた日本にミュージカルを大きく根付かせたという功績を否定することではありません。単に方法論の違いを言っているだけで、四季の舞台は今でも観に行きますよ。
    ――いつ行っても同じクオリティで観られるけれど、それ以上のものを観ることはできないということでもありますね。
    片岡 そういうことを全部裏返しにして、『テニミュ』の役者には、「ダブルキャストや代が違う同じ役柄の俳優と同じようにやらなくてもいい。原作漫画やTVアニメの中から君なりの手塚を演ればいい」と伝えていました。
    『テニミュ』は「卒業」というキャストの代替わりがあるんだけど、代が変わるときに同じキャラに同じようなタイプの役者を選ばないことにしているんです。見た目が似ている人を選ぶと、同じような演技に見えてしまうことがあるからです。
    『テニミュ』の1stシーズンで言えば、2代目の手塚役は城田優くんで、背が高くてかっこいい男だし、歌もすごくうまいし何も言うことのない完璧な手塚を創りあげていました。今や『エリザベート』にも出ていて日本ではトップクラスの舞台俳優になりましたよね。
    その手塚役が2代目から3代目に変わるとき、南圭介くんというそこまで歌が上手いとはいえない人にスイッチしたことがありました。城田くんと同じことをやろうとしてもできないことはわかっていたので、「完璧な手塚の後なら違う方向性にしよう」と、演技に人柄の良さが滲み出るタイプの南くんをキャスティングしたんです。
    本人にも「歌が上手くなくても、歌詞のメッセージやメロディの情感が伝わればいいんだから、それをお客さんに届けられるように頑張ればいいんだよ」と言っていました。南くんは歌も個人教授について、必死に勉強して見事に手塚役を全うしてくれました。
    役者にはそれぞれ育ってきた家庭の事情や環境があるわけです。その人の個性がどういうもので、役柄を自分の手の内に入れてどう表現するかということを演出家と役者が話し合って、僕自身はキャラクターという大枠の中に収まっているかどうかを判断するという役回りでした。このやり方は、反面教師としての四季があったおかげで、早い段階でつくり上げることができましたね。
    ■「役者として表現する」ことと「キャラクターになりきる」ことの違い
    ――2.5次元舞台では、その役者自身の個性が取り込まれた方が面白くなるというこということですよね。
    片岡 そうですね。ただ、だから『テニミュ』のキャスティングに素人か素人に近い人を使っているのかというと、それは違います。
    さっきの声の話と矛盾するように聞こえるかもしれないけど、アニメのキャラクターを演じる俳優にはある種の「匿名性」が必要だと思っているんです。たとえばある有名俳優Aさんが手塚を演じるとして、天才的な俳優なら難なくできると思いますよ。でも、どう考えでも「Aさんが演る手塚」を観に行くことになるでしょ?
    ――「手塚国光」だけを観には行けなくなりますね。どうしてもその「Aさん」というイメージが先に出てしまいます。
    片岡 もちろん、そういうものとして楽しんでもらうこともできるとは思うんだけど、そもそも制作側が大物ばかりをキャスティングすることもできないわけです。だったら逆に、基本的に全部をまっさらな人でやろうと。プロはいないとまずいから適度に入れようというのはあったんですが、プライオリティーとしてはできるだけ「新人」「顔を知られていない人」を選んでいます。それもこれもすべて、キャラクターになりきって演じてもらうために、お客さんにとっての障害物となるような要素をできるだけ少なくしようとしていたことはありますね。
    ――『テニミュ』では初舞台の人を起用したり『HUNTER×HUNTER』の舞台ではメインに声優を起用したりしていますよね。いわゆるプロの舞台俳優をあまり起用しなかったのはそういう理由があったんですね。
    片岡 アニメの仕事をしている人たちや、まったくまっさらで何の仕事もしてないキャリアの浅い人たちは、そのキャラクターや役柄に「なりきる」努力をするんです。もちろん、キャリアのあるセンスの塊みたいな俳優に仕事をお願いしたとして、彼らもなりきる努力はちゃんとやってくれると思います。でもそういう努力と、お客さんから観たときに「キャラ」として見えるかどうかは別次元の問題なんですよ。
    ――「キャラ」ではなく「表現」になってしまうということですよね。少し抽象的な質問かもしれないのですが、「表現すること」と「なりきること」はどう違うんでしょう?
    片岡 僕の考えでは、まず「なりきること」が大前提としてあって、「表現すること」はなりきった後に出てくるものなんです。「表現する」というのはとても難しいことで、訓練されたスキルを持っている人が自分の引き出しの中から生み出すものなんです。
    持って生まれて演技の才能を持っている俳優はは表現者として大変素晴らしい演技を披露してくれるに違いないけど、キャラクターになりきることを通り越していってしまうかもしれない。そうなるとキャラクターの本来の魅力がなかなか出てこなかったりします。要するに観客が持っているキャラクターのイメージを飛び越えて作れてきてしまうので、トゥーマッチになってしまうんですよね。
    ■ 伝説のテニミュ俳優「カトベ」はいかにして生まれたのか
    ――原作やアニメのキャラクターを求めて観に来た人にとっては、それはもう2次元発生のキャラクターではなくなってしまうということですよね。ちなみに、なりきるのが上手な俳優はどういう人たちなんですか?
    片岡 単純に、なりきるのが上手なのは「なりきろうと思う」人ですよ。なりきろうと真剣に思う人は「なりきれる」。そのキャラクターになりきることが表現することだと思い込んでやりきってくれればいいんです。
    ――すごくなりきってるなと思う人と、ちょっとイマイチだな、という人との違いはどんなところにあるんでしょう?
    片岡 それはやっぱり、抽象的な言葉だけれど「熱量」ですよね。『テニプリ』の人気キャラ・跡部景吾役を演じて「カトベ」と言われるぐらいになりきって大人気になった加藤和樹くんという役者がいますが、オーディション会場に入って来たときからすでに跡部だったんですよ。彼なりの稽古着を着て現れて、その瞬間にこちらも「跡部は彼しかいない」ということになってしまいました。他にオーデションを受けてた人たちも、もうその時点で「しょうがない。あいつで決まりだ」と思ったらしいですね。
    ――他にも跡部候補がいる中で一発で決まったんですか?
    片岡 ええ、たくさんの跡部候補がいた中でも圧倒的に「跡部」でしたね。ちょうど同じタイミングで斎藤工くんもオーディションを受けていたんだけど、工くんにはぴったりの役があってその役をお願いすることになりました。

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  • 見えざる手が指し示す「幸福論」――データマイニングが導く普遍的価値とは? 『データの見えざる手』著者・矢野和男インタビュー ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.440 ☆

    2015-10-29 07:00  
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    見えざる手が指し示す「幸福論」――データマイニングが導く普遍的価値とは?『データの見えざる手』著者・矢野和男インタビュー
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.10.29 vol.440
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    今朝のメルマガは『データの見えざる手』の著者・矢野和男さんのインタビューです。ウェアラブルセンサによって収集した人間の挙動に関する膨大なデータを元に、すべての人間にとっての〈幸福〉を数理的に定式化するという、独創的な研究がもたらした知見についてお話を伺います。
    ▼プロフィール
    矢野和男(やの・かずお)
    1984年早稲田大学物理修士卒。日立製作所入社。
    1993年単一電子メモリの室温動作に世界で初めて成功。
    2004年から先行してウエアラブル技術とビッグデータ収集・活用で世界を牽引。
    論文被引用件数は2500件。特許出願350件。
    博士(工学)。IEEE Fellow。電子情報通信学会、応用物理学会、日本物理学会、人工知能学会会員。IEEE Spectrumアドバイザリボードメンバ。日立返仁会 総務理事。東京工業大学大学院連携教授。文科省情報科学技術委員。
    1994年ISSCC 最優秀論文賞、2007年BME Erice Prize、2012年Social Informatics国際学会最優秀論文など国際的な賞を多数受賞。
    「ハーバードビジネスレビュー」誌に、「Business Microscope(日本語名:ビジネス顕微鏡)」が「歴史に残るウエアラブルデバイス」として紹介されるなど、世界的注目を集める。
    のべ100万日を超えるデータを使った企業業績向上の研究と心理学や人工知能からナノテクまでの専門性の広さと深さで知られる。
    2014月に上梓した著書『データの見えざる手:ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会』が、BookVinegar社の2014年ビジネス書ベスト10に選ばれる。
    ◎構成:稲葉ほたて
    1.追いつめられて始まった研究
    ――矢野さんのご経歴を拝見させていただくと、1993年に「単一電子メモリの室温動作に、世界で初めて成功」なんて書かれていました。元々は物理屋さんなんですよね?
    矢野:ええ、元々は物性物理の理論をやっていて、1984年に日立に入社してからは半導体の仕事をしていました。
    ただ、日立での仕事内容は転々としていて、半導体をやっていた頃でさえも分野は変わっていたし、メモリやプロセッサを手がけたり、設計データを扱うCADのソフトウェアを外販するベンチャー的な仕事をやったり、と色々とやってきました。
    ――『データの見えざる手』は、エンジニアとしての複数のレイヤーにまたがる視野に加えて、文系の素養が必要になる本なので、どういう経験を積まれてきた方なのだろうと思ったのですが、かなり手広くやってきたのですね。

    ▲矢野和男『データの見えざる手: ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則』草思社、2014年
     

    矢野:ところが、私が社内で仕事をしている部屋は、入社した年から32年目の今日まで、ずっとこの取材を受けている3階なんです。おかしな話ですよね(笑)。その間にもぐるぐると同僚たちは移り変わっているのに、私はずっとここに一人。もちろん、社内的にも大変な記録です(笑)。
    ただ、その中でも一つだけ大きな転換点はありました。それは――2003年に日立が半導体事業を他社に譲渡したことです。ルネサステクノロジという会社ができて、その新会社へと私の同僚たちは多数異動していきました。でも、日立に残る側に私は入ることになりました。とはいえ、私が20年住み慣れた「半導体」という土地はもう社内にはない。何か全く新しい仕事をひねり出さなければいけなくなり、そこで目をつけたのがウェアラブルだったんです。
    今でこそ注目されていますが、『データの見えざる手』に書かれたことは、そういう始まりなんです。まあ、そうやって追い詰められた人たちがなりふり構わず考えて新天地を目指すと、意外と正しい結論に行き着くという一つの事例なのかもしれません(笑)。
    ――とはいえ、2003年の時点でウェアラブルは相当にぶっ飛んでいた気もしますし……それ以前に半導体の仕事との連続性が、あまり無いような(笑)。
    矢野:ええ。ただ、当時は本当に、残った連中で色々と議論したんですよ(笑)。
    みんな退路を断たれた挙句に、あれやこれやと考えた挙句に、「これからはデータの時代が来るはずだ!」という結論になって、とにかく突き進んでいったんです。当時はIBMが「eビジネス」を打ち出していたので、こっちは「データで“dビジネス”だ!」なんて言ってね(笑)。
    ただ、こういう研究に関しては私の積年の興味もあったんです。
    ――それは、ビッグデータへの興味ですか?
    矢野:いや、もっと広い話で、社会や人間を科学的に扱ってみたいという想いです。
    私が大学生の頃に、ドイツのヘルマン・ハーケンという人が『SYNERGETICS An Introduction ― 協同現象の数理 物理、生物、化学的系における自律形成』という野心的な本を書いて、話題になったことがあるんです。
    これは自然界から社会まで森羅万象を、数理モデルで表現しようとした本で、後の複雑系の議論なんかにも繋がる議論の先駆でした。率直に言ってあまりに早すぎた本で、この話題を扱うに足る道具もデータもなければ、何よりもコンピューティングパワーもなかった。まあ、今から見るとダメダメです。
    でもね、発想は実に素晴らしいんですよ。このハーケンという人は、レーザーの理論の研究者で、場の量子論のバックグラウンドがあるんですね。彼は、その数式に登場してくる相転移のようなシチュエーションが、自然界から社会現象までいろんな場所に見いだせるはずだと、大風呂敷を広げてみせたんです。
    当時の私は物理学科の学生でしたが、「ああ、こんなことをやりたいな」と憧れたのですが、ふと我に返ってみると……。
    ――具体的にどうすればいいかは分からない(笑)。
    矢野:ええ(苦笑)。
    そこで、私が選んだのは企業への就職でした。というのも、考えれば考えるほど、そもそも現実の社会を知らない人間が森羅万象を抽象化して捉える理論なんて扱えるんだろうか、と思えてくるんです。当時は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」なんて言われていて、この日本の発展を牽引している大企業のサラリーマンが何かを知らずして、社会なんて分かるはずがないと思ったのもあります。
    宇野:ということは、もしかして現在の研究というのは、実は学生時代からの30年来の野望の達成ということですか?
    矢野:ええ、実はそうなんです!
    実際にプロジェクトを動かしてみると、大企業で色々な仕事をやってきた経験のお陰で、人間のデータを継続的に収集する仕組みを作るのは一しきり出来ました。
    しかも、プロジェクトが動き出した2006年に、試しに自分の腕に3ヶ月くらいデバイスを装着して、データを取ってみたんです。そうしたら、毎日のように寝るパターンが変わったり、お風呂に入るときのパターンが変わっていくのが可視化されたんです。
    しばらくすると、不思議な法則性も見えてきました。例えば、私が酔っ払うとなぜか「2.7ヘルツ」の腕の動きが増えるんですよ(笑)。さらに1年くらい毎日、幸福度を採点する項目をつけて腕の動きとの相関性を測定してみたら、2ヘルツくらいの帯域が多いときに、その日の数値が高いことが多いと分かってきたんです。
    こういうグラフを眺めながら、ふと今まで見たこともない風景を上空から見た気持ちになったんです。言葉では上手く見えなかった無意識が、まるで航空写真で初めて都市の風景が分かるように、身体運動のグラフによって表現されているように見えるんです――そうすると、20年前の野望が蘇ってくるんですね。
    ――今の自分なら、ハーケンの夢が叶えられるのではないか、と。
    矢野:ええ。人間に対するしっかりした理論がなかったのは、ひょっとしたら単にちゃんとデータを取っていなかっただけじゃないか。それをせずに、遠視のようにマクロな理論を勝手に作ってきただけなんじゃないかと――まあ、そういう妄想が頭の中で膨らんできたんです。
    しかも、最初に言われた「単一電子メモリの室温動作」という研究があったでしょう。あれは電子が複数個あるときの多体問題を解く研究なのですが、それを人間のデータでやればいいのではないか、と閃いたんです。そうやって研究してきた成果をまとめたのが、あの『データの見えざる手』なんですね。
    ――なるほど。普通、ウェアラブルの話というと、「Apple Watch」みたいな新しいメディアの開発みたいな話になっていくじゃないですか。それに対して、矢野さんはあくまでも人間の探求のために身体データを取得するツールとして扱っていて、そういう視点がどこから生まれたのか不思議だったんです。
    矢野:もっと人間や社会の法則の探求という感じですよね。ここまでの話にそういう志向は色濃く現れているように思います。
    2.数理化する社会の記述
    宇野:今日は矢野さんから、今後の人間や社会を考える上でのヒントになる話を探りたくて来たんです。
    この本は端的に要約すると、現代の情報技術を用いるとこれまで可視化されて来なかったさまざまなものごとがデータとして可視化される。そうすると、これまでは思想や文学の言葉でしか表現できなかったもの、たとえば「幸せ」なんてものも、まさに「データの見えざる手」によってかなりの程度まで定式化できてしまうわけですよね。こういうデータが示しているのは、人間の「幸福」というのはかなりのところまで定義可能なもので、しかもコンピューティングパワーさえ向上すれば、その基礎条件すらもハッキリと見えてしまう、という現実であるように思うんです。
    矢野:週刊エコノミストという雑誌で、吉川洋先生という経済学の大家の方に『データの見えざる手』の書評をいただいて、「実験経済学とか行動経済学などが盛んになってきた。しかし、それらは本書で説明されている分析に比べると児戯に等しい」という言葉をいただきました。
    もちろん、私は経済学は門外漢なのですが、こういう手法が発展したときの利点はいくつかあると思います。その一つが、人間の行動について「頭の中で作った理論」ではないので、地域や社会というかなり大きなスケールでの検証されれば、経済学を再構築できる可能性があることですね。
    例えば、物理学における力学の発展史などを見ると分かるのですが、計測データが取れるようになると一気に仮説検証のループは回りだして、世界観が一変するんです。なぜかといえば、データがあると誰もが信じざるを得ないからですね。例えば、リーマンショックのような特異的な現象に対して、現状で満足のいく理論的説明はないでしょう。でも、これがデータに裏打ちされた仮説から得た一般理論による説明がつけば、かなり強力な信頼性を持つと思うんです。
    あと、もう一つ言えることとして、既存の経済学というのは「競争原理が働いていて、完全競争が行われた場合には……」みたいな条件を人間につけて考えざるを得ないんですね。
    ――古くは「経済人」みたいな想定がありますよね。理論モデルとして扱いやすくするための想定なのですが、黒板に数式を書いて議論するしかなかった時代と違って、コンピュータ科学がこれだけ発達した時代には、当然もう少し複雑な想定が可能になってくるのは当然です。
    宇野:いままで思想や文学について語ってきた人たちの多くは一生懸命に「幸福とは一元的なものではなくて多様なものであって、不幸を好む人だっている。だから文化の多様性は大事だ」みたいな主張をしてきたわけですよ。逆に思想や文学の言葉で捉える人間観の方が相対的に淡白になっている。たとえば民主主義論ひとつとっても、意識の高い「市民」と低い「動物」のあいだ、エリーティズムとポピュリズムのあいだ、上院と下院、参議院と衆議院でどうバランスを取るか、ということしかやっていない。要するに人間像がかなり極端な2パターンしかない状態で議論しているわけですよね。
    矢野:でも、私は自分の研究をむしろ人間の「多様性」を認める方向のものだと捉えているんですよ。
    例えば、企業というのはマネジメントの際に、なるべく一律なプロセスを人間に守らせようとするじゃないですか。まあ、そこまで行かなくても、ベストプラクティスを共有して、みんなで真似することを奨励はするでしょう。
    ところが、私の『データの見えざる手』に書いたような研究から見えてくるのは、人間は同じ種類の原子のように振舞っていて一律に圧力をかければ同じ現象が起きる……という発想で見るのは、あまり上手くないということなんです。むしろ人間同士の違いを知り、その多様性を認めた上でコントロールを考えた方が生産性も上昇するというのが、データが教えることなんですよ。
    私は20世紀というのは、人間を画一化して一律的なルールを守らせることで、価値を向上させた社会だと思うのですが、それに対してデータを用いた新しい21世紀の社会は、より人間の多様性を認めて全体としてのハピネスを高めることで、価値を高めていくのではないかと思うんです。
    宇野:なるほど。例えば、経営学のマネジメントの本や自己啓発書というのは文化系の読書階級は心底からバカにしているわけですよね。
    矢野:はい、はい(笑)。
    宇野:彼らは、「ああいう本は人間をパターン化した思考と習慣の生き物へと矮小化しているのであって、人間はもっと自由でファジーな存在であるから素晴らしいのだ」みたいなロジックをずっと立て続けているんです。ただ、彼らの言うことにうなずける面もあって、これまでのマネジメントや自己啓発の本はマトモにデータを取得できなかった時代に、成功者が単なる体験談を自然科学の法則のように喋っていたものだと思うんです。
    ところが、もう既にテクノロジーの発展は遥かに先に進んでいる。人間がどうすれば脳を活性化できるかや、どうすればコミュニティが上手く回っていくかみたいな話は現実に学術の問題として扱われていて、しかもあっさりと科学的に証明され始めているわけですよね。
    矢野:その辺は、データの母集団の数を増やすことで、より明確化できそうだと感じています。私が取得しているデータは、特定の集団や会社くらいの規模の単位が多いのですが、もしも自治体と連携して、例えば東京都全体なんかで取れると、かなり普遍的な構造が見えてくるのではないかと期待しているんですね。
    宇野:少し変な話をさせてほしいのですが、僕が高校生の頃にオウム真理教の「地下鉄サリン事件」があったんです。そのときに社会学者の宮台真司さんがメディアで活躍されていたのですが、彼が奇妙なことを言っていたんです。もちろん、彼は社会学者として「あんなものは偽物の宗教だ」と批判しているんです。ところが、その理由が普通の人とは違っていて、「やっていることが生ぬるいからだ」と言うんです(笑)。
    というのも、実は宮台さんはオウムが登場するずっと前に、自己啓発セミナーにハマって、そのノウハウを完璧にマスターしたらしいんです。その彼からすれば、オウムは精神のコントロール技術が稚拙だし、だからこそ最後にはサリンを撒くことになってしまった、というロジックになるわけです。


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  • 人間の「伸びしろ」を測定することは可能か? ――統計学的思考の教育への応用可能性 鳥越規央(統計学者)×藤川大祐(教育学者) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.439 ☆

    2015-10-28 07:00  
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    人間の「伸びしろ」を測定することは可能か? ――統計学的思考の教育への応用可能性 鳥越規央(統計学者)×藤川大祐(教育学者)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.10.28 vol.439
    http://wakusei2nd.com


    今朝のメルマガでお届けするのは、統計学者でセイバーメトリクスの専門家でもある鳥越規央さんと、教育学者の藤川大祐さんの対談です。
    8月末、藤川先生の携わるNPO「企業教育研究会」及び「日本メディアリテラシー教育推進機構」の主催で、ロッテ×オリックス戦(QVCマリンフィールド)にて鳥越先生のセイバーメトリクス観戦講座が開催され、PLANETS編集部も参加してきました。今回の記事ではその講座のレポートに加えて、その後行われた「セイバーメトリクスや統計学的思考の教育への応用可能性」についての鳥越先生と藤川先生の対談の模様を掲載します。
    ▼プロフィール
    鳥越規央(とりごえ・のりお)
    1969年 大分県生まれ。現在の研究分野は数理統計学、セイバーメトリクス、スポーツ統計学。各メディアにて、確率や統計に関する監修を行う傍ら、AKB48じゃんけん大会の監修を行なうなどアイドル・エンターテイメント業界にも精通。著書に『スポーツを10倍楽しむ統計学』(化学同人DOJIN選書、2015年)『勝てる野球の統計学――セイバーメトリクス』(岩波科学ライブラリー、2014年)、『9回裏無死1塁でバントはするな』(祥伝社新書、2011年)などがある。
    藤川大祐(ふじかわ・だいすけ)
    1965年、東京生まれ。千葉大学教育学部教授(教育方法学・授業実践開発)、教育学部副学部長。NPO法人企業教育研究会理事長。メディアリテラシー、ディベート、ゲーミフィケーション等を含めた新しい授業の開発を研究。著書『授業づくりエンタテインメント!』(宇野常寛氏やAKB48村山彩希さんとの対談も収録)、『いじめで子どもが壊れる前に』、『教科書を飛び出した数学』など。AKB48や乃木坂46のファンで、PLANETSチャンネルの関連番組に出演し、編集長をつとめる『授業づくりネットワーク』には「AKB48の体験的学校論」というコーナーを設け、これまで茂木忍さん、岩立沙穂さんに登場してもらっている。また、千葉ロッテマリーンズのファン。
    ◎聞き手・構成:中野慧
    【お知らせ】本日、鳥越先生をお迎えしてプロ野球日本シリーズ 福岡ソフトバンクホークス vs 東京ヤクルトスワローズ 第4戦をテレビ実況します!

    前回のクライマックスシリーズ実況ニコ生から引き続き、統計学者でセイバーメトリクスの専門家・鳥越規央先生による解説を軸に、アイドルグループPIPきっての野球好きである空井美友さん、そしてお笑いコンビ「カオポイント」石橋哲也さんをお招きしてお送りします。
    ▼ニコ生番組ページはこちらから。
    http://live.nicovideo.jp/gate/lv239966175
    ■ 鳥越先生の「セイバーメトリクス観戦講座」レポート
     鳥越先生による観戦講座が行われたのはまだ夏の暑さの残っていた8月29日。あいにくの曇り模様のなか、急造のPLANETS野球取材チームはたくさんの人でごった返す海浜幕張駅に到着しました。
     千葉ロッテマリーンズのチームカラーは白・黒・赤・グレーですが、駅で周りを見渡すと、もっとカラフルな出で立ちの人ばかり。色は、赤・黄・緑・ピンク・紫……これはもしや、ももクロ……!? 調べてみると案の定、ももクロのファンクラブ会員限定イベントが幕張メッセのイベントホールで行われていたようです。やはり現代は、アイドル一強時代なのか……?
     アイドルに負けない21世紀的な「野球2.0」はいかにあるべきかを構想しながら歩くこと15分、ようやくQVCマリンフィールドに辿り着きました。

     モノノフに席巻されていた海浜幕張駅とうって変わり、QVCマリン周辺は少し落ち着いた雰囲気。ロッテファンは昭和からの伝統的な野球応援スタイルと決別し、Jリーグのサポーターを参考に独自の応援スタイルを築き上げたと言われていますが、やはり若い人が多め。
     球場そばの「マリーンズ・ミュージアム」には球団の歴史を振り返る展示があり、単なるグッズ売り場というよりは、メジャー球団のボールパークに併設されている博物館のようでした。
     グッズショップには、写真のように球団の正式ユニフォームとは違う、オリジナルデザインのNEW ERAキャップが並んでいました。ただ単にユニフォームと同じキャップだと昭和の野球少年になってしまう恐れがありますが、それとわからないさりげないデザインで主張するところに、現代のファンを掴もうという工夫が感じられます。実はこうした取り組みは現在多くの球団が行っているのですが、特にロッテのグッズデザインは洗練されているようです。

    ▲グッズショップには様々なデザインのグッズが並んでいます。かつて野球場のグッズ売り場といえば掘っ立て小屋やプレハブのようなイメージでしたが、今はまるでセレクトショップのような雰囲気。文明はどんどん発達していく…

    ▲さっそく試合開始! 先発投手はロッテが左の古谷拓哉(ふるや・たくや)投手、オリックスが昨年ブレイクした西勇輝(にし・ゆうき)投手でした。

    ▲Macbookでデータを見ながら参加者に解説する鳥越先生。右下にはマリーンズのユニフォームに身を包んだ藤川先生の姿も。
     この日の参加者は30人ほど。鳥越先生の解説は、手渡されたトラベルイヤホンで聞くことができます。一緒に来た人と解説の感想をわいわいと言い合ったり、鳥越先生ご本人に直接質問したりすることができます。

    ▲(株)エアサーブの提供するトラベルイヤホン。普段は美術館の音声ガイドなどに使っているそうですが、球場で生観戦しながら解説を聞けるというわけです。他にもいろいろ応用できるかも……?
     また、ゲストとして鳥越先生のご友人というプロ野球選手のモノマネ芸人さんたちも登場。

    ▲左からニセ勇輝さん(西勇輝投手のモノマネ芸人)、伊藤ピカルさん(伊藤光選手)、小谷野ええ位置さん(小谷野栄一選手)。一般的にそれほど有名とはいえないオリックス選手のモノマネを選択されることに男気を感じます。ただ小谷野ええ位置さんは坂上忍のモノマネで定評を得るなど、みなさんレパートリーは豊富なよう。

    ▲そして、あれは、く、桑田さん……? 元メジャーリーガーも幕張に駆けつけました
     オリックス選手以外にも、巨人〜ピッツバーグ・パイレーツで活躍した桑田真澄さんのモノマネ芸人・桑田ます似さんが1イニングだけでしたがゲスト解説に登場し、桑田そっくりの語り口で参加者の笑いを誘っていました。
     試合は1回にいきなり糸井が2ランホームランを放ちオリックスが先制するも、その後ロッテ先発の古谷がオリックス西に負けじと好投。ロッテがじわじわと追い上げて6回に逆転に成功し、9回は守護神・西野が危なげなく試合を締めました。(試合結果はこちら http://baseball.yahoo.co.jp/npb/game/2015082905/top)
     鳥越先生はデータから古谷の好投を予想、打球方向の傾向から8回のヘルマンの左中間二塁打を的中させるなど、プロ野球OBの解説にはない語り口が新鮮でした。

    ▲地元ロッテが勝利し全身で喜びを表現する藤川先生
    ■ 「現場で解説を聞く」という新しい観戦スタイル――メディア論的観点から
    ――今回は鳥越先生と藤川先生のお二人に、「セイバーメトリクスや統計学的思考の教育への応用可能性」というテーマでお話を伺っていければと思うのですが、まずは今回の観戦講座について振り返ってみたいと思います。藤川先生はいかがでしたか?
    藤川 いや~、楽しかったですよ。「楽しい」って色々な意味があるんでしょうけれど、まず野球場で野球を見るということは基本楽しいわけですが、耳元で鳥越先生が解説してくれてこちらから質問できて、データに着目していくと目の前に起こっていることも確率的に説明がつくことが多かったじゃないですか。フィールドの雰囲気プラス知的な楽しさが重なって、本当に楽しい時間を過ごすことができましたよね。
    ――鳥越先生は「左投手の古谷に合わせてオリックス打線は右バッターを並べてきたけれど、それは逆効果だ」とおっしゃっていましたよね。
    鳥越 先発投手としての格で言えば古谷よりも西の方が上なわけで、戦前の予想もオリックス有利と出ていました。しかしスタメンが発表されたとき「おや?」って思ったんです。というのもオリックスのスタメンが糸井を除いてすべて右バッターだったんです。それまで調子のよかった左の小田裕也や駿太をはずして。たしかに古谷は左投手ですが、データを見ると右バッターに対する被打率が1割7分3厘(当日までのデータ、シーズン通算。185)と、じつは右打者のほうが得意な投手なんです。野球界では「左投手は左打者が得意」という定説があって、それは統計的にもある程度正しいのですが、古谷に関してはそれが当てはまらない。なので右バッターを並べるというオリックスの選手起用はよくなかった。それがオリックスの敗因のひとつでしょうね。
     あと、今日の試合をセイバーメトリクス的な観点からみていて良いと思ったのが、ロッテが角中(勝也)を2番に置いているということでした。日本野球ではとかく2番に出塁率がいいわけではないけども、バントは上手いという選手を置きがちですが、序盤のノーアウト1塁で送りバントをするのって統計的には悪手なんですよ。
     角中は以前首位打者を取っていて非常にシュアなバッティングをするバッターですが、彼を3番ではなく2番に置く。同じようにヤクルトでは川端慎吾(かわばた・しんご)という3番を打っていてもおかしくない打者を2番に置いていましたよね。こういったことは非常に良い傾向だと思います(その後、川端はセ・リーグ首位打者のタイトルを獲得、所属するヤクルトはセ・リーグを制覇した)。
    藤川 「2番は送りバント」っていうのはだいぶ廃れつつあるんじゃないですか?
    鳥越 いえ、たとえば今年のソフトバンクはまだ2番は打力のそこまで高くない選手を起用しています。ただソフトバンクには圧倒的な戦力がありますから、2番の起用に関しては相手チームにハンデを与えているものと思ってみています(笑)。本来なら柳田(悠岐)のような強打者を2番に置いたほうが得点はもっと増えますよ。(注釈:ただ2番に起用される選手の守備力はリーグ随一なので、そういう意味では必要不可欠な選手です、ただ打順が……。)
    藤川 おそらくデータを見ずにただグラウンドで見ていたら今日の試合も、「ロッテが逆転して逃げ切った」というストーリーにしかならないんですけど、データがあることによってどこにドラマがあるのかがわかるから、より深く楽しめるんですよね。
    鳥越 野球って「左ピッチャーには右バッターを当てろ」みたいなステレオタイプがたくさんあるんですけど、そういう「思い込み」に惑わされないようになるというのが、データで野球を観ることの面白さのひとつですね。
    ――藤川先生は教育学者として「エンタテインメントの方法論をどう教育に生かすか」や、メディアリテラシー教育について発言していらっしゃいますが、メディア論的な視点からみて今日の観戦講座の試みをどう感じましたか?
    藤川 鳥越先生の解説で面白かったのは、オリックスのヘルマンというバッターが左中間に打つ確率が高いというのと、守るロッテ外野陣の荻野・岡田・清田の守備範囲がすごく広いので、そのせめぎあいが見どころとおっしゃっていたところ、ヘルマンが本当に左中間にツーベースを打ったんですよね。もしテレビで見ていてそういう解説があったとしても、テレビはピッチャーとバッターを主に映すから、外野陣の守備位置までは見ることができないじゃないですか。その意味で、球場全体を見渡すことのできる視点から解説を聞くことの面白さを感じましたね。
    ――「予言を当てる」といえばジャイアンツ戦での江川解説なんかがありますけど、江川の場合は経験知とカンに基づいた「神がかり」のようなものであるのに対し、鳥越先生の解説は統計的な根拠に基づいたものなのでより身近に感じることができますよね。
    藤川 やっぱりテレビの画面にとって野球場って広すぎるんですよね。これは球場などのいわゆる「大箱」でやるAKBのコンサートでも感じるんですけど、200人とかのメンバーがウロウロしていても、スクリーンの画面に映るのって1人2人なんですよ。常に99%の人が映っていない。たとえば、私の推しメン(村山彩希さん)はそこまで推されているわけでもないので会場のビジョンに映る機会も少なく、肉眼で探すのが大変なんです(笑)。
     サッカーなんかはテレビでもフィールド全体を映すので選手の位置はよくわかりますけど、野球はテレビ中継では投手と打者以外に球場で他の選手が何をやっているのかよくわからない。球場だったらネクストバッターズサークルで「次は誰が代打に出てきそうだ」とかわかるじゃないですか。その意味で、自分で見る場所を選べる現場観戦は非常に価値がありますね。
    鳥越 もしマスメディア的に野球を盛り上げるんだったら投手と打者の「一対一勝負」をクローズアップしてドラマ性を盛り上げていくことになるんですが、データは一対一勝負以外の様々な場面で使えるので、テレビだけだとどうしても解説できることが制限されてしまうというのはありますね。
    ――数年前から楽天や横浜DeNAのようなIT系球団を中心に主催試合をニコ生やSHOWROOMなどでネット中継していて、ネタコメントが流れたり、アナウンサーのフリーダムな実況が面白かったりして非常に人気があります。横浜の場合、1試合のニコ生視聴者は20万人以上になることもあるんですが、無料公開だから球場に来なくなるんじゃないかと思いきや、スタジアムへの来場者も右肩上がりなんですよね。
    藤川 やっぱりメディアとスポーツってすごく重要な関係があるわけですけど、まずメディアで見て現場に行きたくなって、現場で楽しんで行けないときはメディアで楽しむというかたちですよね。で、従来は現場に行くと解説を聞けなかったんですよ。やっぱり今の時代は本当に楽しみたければ自分でデータ見たりしながら人の話も聞いていたい。ところが今回は鳥越先生が全部その場で調べてくれて、しかもそれをリアルタイムで教えてくれるわけですからね。
    鳥越 昔は横浜スタジアムや神宮球場で球場内FM放送といって、案内されたFMの周波数に合わせると誰でもDJのトークを聞けるというものがあったんですが、「ラジオ聞きながらだと集中してしまってファールボールに気づかないから危険」という理由で廃止になってしまった。でも今回は2階席からだったからそこまでファールボールの危険性もなかったですね。
     球場にラジオを持ち込んで実況中継を聞きながらみるのもいいのですが、「第1球投げた!」という、映像を見ていない前提の細かな実況が煩わしく感じてしまったり、radikoで聞くと5秒のズレが生まれてしまったりするんですよね。
    藤川 球場でピッチャーが投げたのを見た5秒後に「ピッチャー投げた!」っていう実況が流れてくるのは許しがたいですね。
    鳥越 そういう意味では、エアサーブさんのイヤホンガイドによる実況解説は聴講されたみなさんにもストレスを感じさせることはなかったと思います。
    藤川 誰でも聞けるというかたちではなく、特定のゾーンの人だけが聞けるシートを設けるなどしてプレミア感を出したほうがいいですよね。
    ――いまIT系の球団を中心に、様々なプレミアを付けたシートを少し高い値段で売り出していますが、それが当初の予想以上に売れているようです。砂かぶり席(球場のファールゾーンに新たに客席を設置してより臨場感が楽しめるようになっている。来場者にはファールボールの危険に備えてヘルメットとグローブが貸与される)が代表的ですが、スタジアムの上の方の座席を改造してパーティーができるような席種も販売されています。普通なら「チケットを値上げしたら売れないだろう」と思うのですが、むしろ様々な付加価値を乗せて高く売ることで全体の売上は増える。そういうビジネスモデルのひとつとして考えてみてもいいかもしれないですね。

    ▲広島カープの本拠マツダスタジアムに設置された内野パーティーデッキ。
    http://www.carp.co.jp/ticket/zaseki/partyfloor.shtml#deck

    ▲横浜スタジアムに今年から新設された「ベースボールモニターBOXシート」。居酒屋のような席配置で友人たちと飲み会をしながら観戦できる。テーブル中央にはタブレットPCが設置されており、選手の成績やリプレイ、実況映像なども見ることが可能。
    https://www.baystars.co.jp/ticket/2015/regular/seat.php
    ――もうひとつ今日の観戦講座で感じたのが、「鳥越先生の今の解説面白かったよね」というように、一緒に来た人や隣の席の人とコミュニケーションするきっかけになるということなんです。
    鳥越 そういうエリアシートって今までになかったわけですから面白いですよね。その場に集まった人でも仲良くなれるでしょうし。ほんと、そういうシートを売り出して欲しいですね。一消費者として(笑)
     実は今、アプリ開発を考えているんです。どういうものかというとスマホで音声が聞けて、そこに文字情報を入力してもらってニコ生のコメントみたいに実況者側が拾っていくというものです。ただスマホだけだと入力が大変なんですけどね。
     こういうことは野球だけではなく色んなスポーツで試せると思っていて、もちろんサッカーもそうですし、大相撲なんかでできたら面白いはず。
    藤川 大相撲こそ、現場で解説があったらものすごく楽しいでしょうね。解説なしで見てると何が何だかわからない。現場にいたら間合いも長いですし、立ち合いで力士が何回立ったかとか、そういう情報もあったらいいですよね。
    鳥越 チケットの売り方にしても、いろいろとデータを活用すれば見えてくるものは多いはずです。そういう意味でオリックスは集客にデータ解析を使ってるんですよ。ファンクラブサイトに書き込まれる文字をデータマイニングして、「今はこの選手が注目されてる」ということを弾き出して、その選手のグッズを強化して売りだしたりしています。
     もともとオリックスは観客動員数が少ないチームだったんですが、女性ファンにアピールするために「オリ姫」企画なんかをやっていますよね。実は関西の女性野球ファンって母数が非常に多いんですよ。もちろん阪神ファンを中心にですが。で、阪神の試合が甲子園で開催されていない日にオリ姫企画をやると、阪神ファンの女性が「じゃあ今日は私、オリ姫になる」と言って来るんですよ。
    ――昔は関西といえば南海ホークスや近鉄バファローズがあったりして競合が多かったけれど、パ・リーグでは在阪球団がオリックスだけになったから関西の野球好きは「セは阪神、パはオリックス」がひとつのかたちになるという。近年プロ野球チームが地方展開していったことの副産物かもしれないですね。
    ■ 集団には「均質性」と「多様性」のバランスが必要
    ――ここからは今日のテーマでもある「データや統計学的手法を教育にどう応用するか」を伺っていきたいと思います。まず基本的なところを藤川先生にお聞きしたいのですが、現代の教育現場では先生が持っている生徒一人一人のデータというのはどういうものなんでしょうか?
    藤川 教師によるというところはあるんですが、基本的には文部科学省が策定した学習指導要領に基づいて、教師が「評価基準」を設けます。これは、「知識・理解ができているか」を測るというものがあり、それに加えて「関心・意欲・態度」や「思考・判断・表現」といったものが加わります。到達目標を時間や単元で決めていって、どの子が目標に到達しているか/していないかを評価するというやり方です。こうしたことは、教師はまず義務としてやらなければなりません。
     一方でユニークな指導をしている先生のなかには「意外な発見を書く」ということをやっている方もいます。子供を見ているときに、予想通りの発見や予想通りの気付きだったら別に記録しておかなくてもよいですよね。しかし、「おとなしいと思っていた子が意外なところでリーダーシップを発揮している」とか「普段はすごく自信を持っている子が逆に物怖じしてしまっている」とか、そういう姿を見つけたら書く。これはその子を発見的に見ていくために有効なんです。
     さきほど鳥越先生は「人は人を思い込みで見てしまう」とおっしゃっていましたが、人間は多様な側面を持っているものですし、そもそも小中学生ぐらいの時期って人間はめまぐるしく成長するんです。一番気をつけるべきなのは、教師が子供のことを第一印象で決めつけてしまって、そうではない姿を見ても見ぬふりをして指導にあまり活かさないということ。固定観念というのはスポーツにかぎらず教育においてもとても怖いものなんです。
    鳥越 教育の評価基準について僕が感じているのは、ある2つの評価基準があったらそれを単純に足して2で割るような発想をしてしまっているということです。でもそうではなく5〜6個の要素をベクトルと見て、それを5〜6角形のマトリクスにしてその面積の大きさで評価する、そういうやり方のほうがいいのではないか。
    藤川 多元的に評価するということですね。
    鳥越 それと、昔は評価って相対評価だったじゃないですか。平均を3として、そこからどれだけ離れているかで成績を判断する。でも今は絶対評価で、「ここまでできたら4」「これが完璧にできたら5」というように判断する。そうなるとみんなが4とか5を取ることが可能で、差別化が難しくなってくると思うんですが、いまの実際の教育現場ではどういうふうに運用しているんですか?
    藤川 実際は「みんなが5にはなる」というのはなかなかないですね。教師が評価基準をきちんと作らなければいけないというプレッシャーがあって、みんなが簡単に到達できるような目標ばかりを設定することはありません。現実には、「やっぱりこの子はちょっと無理だよな」という子もいる。だからみんなが一番上の評価を取るというふうにはなりにくいのが現実ですね。
    鳥越 なるほど、絶対評価が相対評価に近づいてしまっているわけですね。しかしそれも学校ごとに微妙に違うものになってしまう。そうなるとやはり、推薦入試などで活用可能な統一的な指標としては成り立ちづらくなっていきますよね。
    藤川 だから高校・大学では、内申点を入試で使うことは難しくなっていますね。
    鳥越 その意味で、かつて批判された偏差値って本当は公平なシステムだったんですよね。偏差値って実は統計学的に非常に素晴らしい発明で、平均が50でそこからどれだけ離れているかを一律に測ることができた。個人の主観抜きに、自分が相対的にどこにいるかを冷静に判断することが可能だったわけですから。
     でも、なぜか偏差値だけが一人歩きして、評価が高ければ人格的に評価できる、というようなことになって批判の対象になってしまった。僕は偏差値の良さを再評価してもいいんじゃないかとは思うんですよね。
    藤川 ただ、入試で学生を選ぶ側からすると、偏差値はどうしても一元的な評価になりやすいし、何度も繰り返しやったらブレがなくなっていく。それで上位だからって本当にいいのかということはずっとあります。言い換えると、入試についてはもう少し偶然性があってしかるべきという部分があるんですよ。
     これは言い方がなかなか難しいのですが、入学者選抜のような場合にも、スポーツぐらいの確率論的な見方を持ち込んでみてもいいのではないかということなんです。これは決して、「適当に選べばいい」というわけではありません。
     そもそも学校教育って個人で学ぶものではないので、ある程度の幅の多様性を確保しておきたい。基本的に学校でも企業でもそうですが、均質的すぎる集団は脆いもの。ある程度の質を担保しつつも、ちょっと違うタイプの人もいるぐらいのバランスが、集団での指導をしやすいんです。
    ――学ぶときの共同体というものを考えたとき、多様性があったほうが共同体全体の活性化につながるということですか?
    藤川 多様であればあるほどいいというわけでもないんです。あんまりにもみんながバラバラだと何も一緒にできないですけど、均質的過ぎると発想が貧困になったり、均質さゆえにお互いが潰しあったり、一人ひとりの良さが発揮されにくくなる。だから多様性と均質性のバランスをとるという意識がすごく大事だと思いますね。小学校の学級経営や中学校の部活指導もそうです。均質すぎると異質な人が排除されていじめられてしまうということもあるので、逆に異質な人を活かすように集団を作っていくというのが教育をしていく上では常に課題ですよね。
     決定論的に緻密な評価を行って集団の構成を決めるのではなく、確率論的なブレを担保しておくということ。スポーツというエンタテインメントにしても、どっちかが有利だから必ずその通りになるというのではなく、確率論的に結果が覆ることがあるのが面白いわけですよね。
    ■ ランダム指名はなぜ有効なのか――「偶然のチャンスをモノにする」ということ
    藤川 確率論ということでいえば、私はよく授業で「ランダム指名」をすることの有効性を言っています。どういうことかというと、先生から指名されたら、どんなにその課題が苦手であっても、他の子に助けてもらってもいいから全力で発表する。そのかわり、当たっていないときは自分のペースでゆっくりやってもいい。当たったときは集中してやって、そうでないときは無理せずというように、メリハリをつけるんですよ。たとえば算数の授業とかってどうしてもずっと活躍する子と、ずっと活躍しない子に分かれてしまう。そうなると先生はできそうな子にばっかり当てるんですよ。
    鳥越 50分で終わらせるという授業運営のことを考えるとどうしてもそうなってしまいますよね。
    藤川 でもそれでは、できない子はずっとできないままになってしまう。一方で、できない子にばっかり当ててしまうのも辛いわけですよ。
    ――「完全にランダムである」ということが重要なわけですよね。先生が、例えばあまりできない子に対して「これぐらいの簡単な問題だったらできるだろうな」という意図を持って指名するのもよいことではないと。
    藤川 やっぱり、先生の意図どおりに動かされていると思った瞬間、白けちゃう子はたくさんいます。そうではない運営をするというのが、授業技術的に大事なことなんですね。そういう意味で、ランダムで、時々自分が主役になる場が巡ってくることにすごく意味があるわけです。
     子供ってやっぱり突然目覚めることがあるんですよ。逆に言えばチャンスが来なければなかなか目覚めない。かといって毎回チャンスを与えられると辛く感じる。スポーツってよくそういうことがあるじゃないですか。たまたまチャンスを与えられたら偶然に打ってしまって、それで一皮むける、というような。

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  • 3D・4D化の時代に映画表現が挑戦すべき課題とは? ――森直人・宇野常寛が語る『マッドマックス 怒りのデス・ロード』 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.438 ☆

    2015-10-27 07:00  
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    3D・4D化の時代に映画表現が挑戦すべき課題とは?
    ――森直人・宇野常寛が語る『マッドマックス 怒りのデス・ロード』
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.10.27 vol.438
    http://wakusei2nd.com


    ▲マッドマックス 怒りのデス・ロード


    興行面でも批評面でも高い評価を得た今夏公開の映画『マッドマックス 怒りのデス・ロード』。このヒット作から見えてくる映画表現のこれからの可能性とは? 映画評論家の森直人さんと宇野常寛が、『ゼロ・グラビティ』『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』などの近作と比較しながら語り合いました。

    初出:「サイゾー」2015年10月号(サイゾー)
    ▼作品紹介
    『マッドマックス 怒りのデス・ロード』
    監督/ジョージ・ミラー 脚本/ジョージ・ミラーほか 出演/トム・ハーディ、シャーリーズ・セロンほか 公開/15年6月20日
    27年ぶりとなった『マッドマックス』シリーズの新作。原題は『Fury Road』。核戦争後の文明が荒廃した世界が舞台になっている。砂漠の荒野をさまようマックスはある時、砦の独裁者イモータン・ジョーの一団に囚われる。その後、ジョーの配下の女隊長・フュリオサが彼の妻たちを連れて逃亡し、ジョーとその狂信者たち“ウォーボーイズ”はマックスを“輸血袋”として車にくくりつけたまま、彼女たちを追い始める。途中、車から逃れてフュリオサたちと遭遇したマックスは、そのまま彼女たちの逃走に同行し、共に戦うことになる。
    ▼対談者プロフィール
    森 直人(もり・なおと)
    1971年生まれ。映画評論家、ライター。著書に『シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~』(フィルムアート社)、共著に『ゼロ年代プラスの映画』(河出書房新社)など。
    森 実に30年ぶりのシリーズ最新作となった『マッドマックス 怒りのデス・ロード』ですが、率直な感想は「理屈抜きでめっちゃ面白い」に尽きる(笑)。そこにあえて理屈をつけるならば、初期映画のハイパーグレードアップ版をやっているってことですね。
     リュミエール兄弟の『列車の到着』【1】やジョン・フォードの『駅馬車』【2】までの「活劇」の黎明期、サイレント映画や初期トーキー映画を具体的に参照している。『駅馬車』は今ではクラシックの代名詞のような扱いになっているけど、同作が公開された1930年代当時のハリウッドは西部劇が一回衰退している時期で、ジョン・フォードは大手の映画会社ではことごとく企画を蹴られてしまい、インディペンデント系会社に持ち込んで作られた低予算映画なんです。『マッドマックス』シリーズも元はオーストラリアの低予算映画から始まったものなので、成り立ちもよく似ている。監督のジョージ・ミラーは、ジョン・フォードの映画史の神話に、自分を重ね合わせているところがあるのではないでしょうか。今回の『デス・ロード』は、『駅馬車』のアクション部分を拡大して、ストーリーはシンプルに削ぎ落としている。それゆえ初期映画感を明確に打ち出しているように見えました。

    【1】『列車の到着』
    正式タイトルは『ラ・シオタ駅への列車の到着』。1895年にフランスで製作された、50秒間のサイレントフィルム。映画の発明者といわれるリュミエール兄弟の手による作品。
    【2】『駅馬車』
    監督/ジョン・フォード 出演/ジョン・ウェイン 公開/1939年(アメリカ)
    アリゾナからニューメキシコに向かう駅馬車に乗り合わせた人々の人間模様と、彼らへのアパッチの襲撃と応酬の様子を描く。西部劇史上のみならず、映画史を代表する傑作と呼ばれることも多い。

    宇野 『デス・ロード』はある種の境界線にある映画で、ギリギリ20世紀の劇映画にとどまっているという印象を受けました。いま映画は3Dや4Dの影響によって、初期映画への先祖返りというか、動く絵を体験するというアトラクションに近づいている。『ゼロ・グラビティ』【3】がまさにそうなんだけど、その点『デス・ロード』は物語を失う寸前で踏みとどまっている。
     この作品の評価は、ライムスター・宇多丸さんのようにフェミニズム的な側面も含めて丁寧に読み解いていくタイプと、町山智浩さんのように初期映画などの歴史を参照しつつも基本は「バカ映画」とするタイプの大きく2つに分かれていますよね。
     前者はアクションの連続の中に物語を最大限詰め込んで踏ん張っているところに着目していて、後者は物語が必要とされなくなっている、映画という制度の、物語への依存度が相対的に下がる段階についての意識に注目して語っているわけです。実はこのふたつの立場は一見対立しているようで、とても近い状況認識を示していると思うんですよ。それがすごく象徴的だと思う。

    【3】『ゼロ・グラビティ』
    監督/アルフォンソ・キュアロン 出演/サンドラ・ブロック、ジョージ・クルーニー 公開/2013年
    宇宙空間で事故に遭った宇宙飛行士と科学者が、生還を目指してサバイバルする様相を描いた。3Dを前提として作られており、「活動写真」としての映画で話題を呼んだ。

     
    森 そのパラレル感はすごくよくわかる。ジェームズ・キャメロンの『アバター』で3D映画が本格的な段階に入った時から、「2回目の映画史」というべき流れが始まっていると僕は思っています。ハイパーリアルに進化した映像技術でシンプルな見世物をやる。そこを意識している作品は、物語の構造もどんどん単純化させている。それはまさに『ゼロ・グラビティ』がそうだし、結果的にかどうかはわからないけど『デス・ロード』も然り。
     でも映画のリニアな構造を持たせるためには、何らかの物語を最低限選択しなければいけない。その時に「どんな物語を選択すれば今において最適解なのか」という“判断”がとても重要になってくる。『デス・ロード』でいえば今までのマッチョな男性主人公を引き継ぐのではなく、シャーリーズ・セロン演じる女戦士フュリオサを中心にしたヒロイン活劇にするという判断があった。『ゼロ・グラビティ』の主役も同様に女性だったことは示唆的ですよね。そう考えると、おそらく町山さんも宇多丸さんも基本的な認識や立脚点は同じで、ただ“判断”の部分から意味をどの方向に生成するかで違いが見えるのではないでしょうか。総合的に言うと、『デス・ロード』はとにかく一番基本的なことを、精度を最大限に高めてやろうとしたってことだと思うんです。
    宇野 それでいうと、シャーリーズ・セロンの演技はすごく良かった。主演のトム・ハーディがちょっと食われちゃったんじゃないかと思うほど。
    森 彼は『ダークナイト・ライジング』でベインを演じていましたけど、あれ自体が『マッドマックス』やその影響下にある『北斗の拳』的なキャラクターだった(笑)。宇野さんがさっき仰った「ギリギリ20世紀の劇映画」というニュアンスは僕もすごくよくわかるんです。例えば構造も「行って、帰ってくる」だけの極めてシンプルなものなんだけど、より重要なのは前半パートが「逃走」で後半パートが「闘争」になっていること。「行って」の部分は、自由を奪われていた女性たちがイモータン・ジョーの独裁国家から必死に逃げる。
    「帰って」の部分は、当初の目的地だったフュリオサの故郷“緑の地”が不毛の地になっていたから、じゃあ戻って戦おうと。奴隷たちが革命を起こす話に旋回する。つまりアクションとエモーションがぴったり連動している。映画の根源的な快楽が高純度で実現されている。そのうえでキャラやマシンはシリーズ前3作のデザインワークを引き継ぎ、こってり盛りに盛りまくっているというバランスがすごく面白い。
     だから『ゼロ・グラビティ』がほぼCGアニメーションに近いものなのに対し、『デス・ロード』は実写アクションという20世紀的な映画言語に踏みとどまって勝負している。それは監督の世代性も大きい。なんせ70歳のベテランですから。例えば話題になった火を噴くダブルネックギターのドゥーフワゴンも、基本のセンス自体は60~70年代風でしょう。シアトリカルでロック・ミュージカル的。『ヘアー』を通過してKISSに遭遇したみたいな(笑)。積まれたアンプもヴィンテージ物のマーシャルだったりね。そんなことを堂々とやる人が今いないから、一周回って新鮮に見えたんじゃないかな。
    宇野 『ゼロ・グラビティ』と比べると、『デス・ロード』は表現論と物語を積極的に重ね合わせようとはしていなかった、とは言えるでしょうね。


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  • 月曜ナビゲーター・宇野常寛 J-WAVE「THE HANGOUT」10月19日放送書き起こし! ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.437 ☆

    2015-10-26 07:00  
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    2015.10.26 vol.437
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    大好評放送中! 宇野常寛がナビゲーターをつとめるJ-WAVE「THE HANGOUT」月曜日。前週分のラジオ書き起こしダイジェストをお届けします!

    ▲先週の放送はアーカイブがありません。今夜の放送はこちらからスタジオの様子をご覧いただけます!
    ■オープニングトーク
    宇野 時刻は午後11時30分を回りました。みなさんこんばんは、宇野常寛です。金曜日、僕のやっている雑誌の取材で、テロ対策特殊装備展(SEECAT)という国内唯一のテロ対策イベントに行ってきました。世界中の軍事産業が、新しく開発したテロ対策のいろんな装備を見せびらかして、「導入をしませんか」ということをアピールをするイベントなんです。実は僕、この数ヶ月くらい、「東京でテロがあるとしたらどんなシナリオがありえるだろうか」というテーマについて、チームを組んでこっそり取材しているんですよ。そういう本を作ろうかなと思っていて、その取材の一環で、SEECATに行ってきたんです。
     これがけっこうすごかったんですよ。例えば、ものすごく分厚い鉄板とかが展示してあるんですよ。正確に言うと、これが持ち運び可能な鋼鉄のドアみたいなものなんです。それが砂漠っぽい黄色とか森っぽい緑で塗ってあるんですよ。「これは何に使うものですか?」とメーカーのおにいさんに聞いてみたら「これを戦地のプレハブ小屋とかに並べると、その場でトーチカができるんですよ」ってドヤ顔で教えてくれました。要するに、テロリストが攻めてきたとき、これを建物の上に並べると対弾性能がある要塞ができるというわけです。
     あと、最近ドローンがブームになっていますよね。でもテロ対策の業界では、ドローンは一段落していて、むしろアンチ・ドローンブームらしいんですよ。ドローン特有のプロペラの振動音とかを認識して、ドローンが飛んできたらすぐに感知できるセンサーとかが置いていました。あとは普段は路上とか公園に設置してある、いっけん何の変哲もないゴミ箱なんですけれども、いざというときは爆弾を封じ込める蓋になる超高性能なゴミ箱とか置いてありましたね。爆弾が爆発しそうなときにはそのゴミ箱をかぶせると。爆発の被害は最小限になるというわけです。
     基本的にはいろんなメーカーさんが、こういった最新アイテムをお役所とか企業のみなさんにアピールするイベントなんですけれども、個人的には職業柄、パンフレットの売り文句が気になりましたね。例えば、港警備の総合システムのブースには、「友情・努力・勝利」みたいに3つの言葉が標語っぽく書いてあるんですよ。1つ目は「探索」。これはわかりますよね。悪いやつがいたら探さなきゃいけないですからね。2つ目は「監視」。これもまあわかりますよね。そもそも監視システムを売っているんだから。で、3つ目に「制圧」って書いてあるんですよ。

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  • 【集中連載】井上敏樹 新作小説『月神』第8回 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.436 ☆

    2015-10-23 07:00  
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    【集中連載】井上敏樹 新作小説『月神』第8回
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.10.23 vol.436
    http://wakusei2nd.com


    平成仮面ライダーシリーズでおなじみ脚本家・井上敏樹先生。毎週金曜日は、その敏樹先生の新作小説『月神』を配信します! 今回は第8回です。
    小説を読むその前に……PLANETSチャンネルの井上敏樹関連コンテンツ一覧はこちらから!入会すると下記のアーカイブ動画がご覧いただけます。
    ▼井上敏樹先生、そして超光戦士シャンゼリオン/仮面ライダー王蛇こと萩野崇さんが出演したPLANETSチャンネルのニコ生です!(2014年6月放送)
    【前編】「岸本みゆきのミルキー・ナイトクラブ vol.1」井上敏樹×萩野崇×岸本みゆき
    【後編】「岸本みゆきのミルキー・ナイトクラブ vol.1」井上敏樹×萩野崇×岸本みゆき
    ▼井上敏樹先生を語るニコ生も、かつて行なわれています……! 仮面ライダーカイザこと村上幸平さんも出演!(2014年2月放送)
    【前編】「愛と欲望の井上敏樹――絶対的な存在とその美学について」村上幸平×岸本みゆき×宇野常寛
    【後編】「愛と欲望の井上敏樹――絶対的な存在とその美学について」村上幸平×岸本みゆき×宇野常寛
    ▼井上敏樹先生脚本の「仮面ライダーキバ」「衝撃ゴウライガン!!」など出演の俳優、山本匠馬さんが登場したニコ生です。(2015年7月放送)
    俳優・山本匠馬さんの素顔に迫る! 「饒舌のキャストオフ・ヒーローズ vol.1」
    ▼井上敏樹先生による『男と×××』をテーマにした連載エッセイです。(※メルマガ記事は、配信時点で未入会の方は単品課金でのご購入となります)井上敏樹『男と×××』掲載一覧
    ▼井上敏樹先生が表紙の題字を手がけた切通理作×宇野常寛『いま昭和仮面ライダーを問い直す』もAmazon Kindle Storeで好評発売中!(Amazonサイトへ飛びます)

    月 神
    これまで配信した記事一覧はこちらから(※第1回は無料公開中です!)
    8
     きい様は村から大分離れた山の中腹で独居していた。
     丸太を積み上げたような簡素な作りだったが室内はきれいに整っていた。所々毛羽立ってはいたものの床は畳敷きで天井からはランプが吊るされ土間には竈が設えてある。また壁のひとつが本棚になっていて糸で綴じた古い本が並んでいた。
     満寿代はお前の母親じゃないよ。
     おれを招き入れて引き戸を閉めるとそう言った。おれがきい様に引き取られた最初の日だ。
     あの女は子供を産めない体なんだ、お前、母親を殺そうと思ったんだろ? とんだ人違いだったねぇ、でも、気にする事はないよ、あの女は嘘ばかりついているろくでなしだからさ、いい様さ。
     きい様は二人分のお茶を入れると卓袱台に向かって腰を降ろした。座りなよ、とおれを促す。おれは仁王立ちでお茶を飲み、座らないのかい、ときい様が訊ね、おれが頷くと変わった子だよと呟いた。
     おれはお前の事ならなんでも知っているんだよ、そう言いながら老婆はお茶を啜りおれを見つめた。毎晩月を見ている事や森の戦車の事もね、海に捨てられた時に助かったのも月を目指したからだろう、違うかい?
     おれは黙って頷いた。
     お前は月の子だ、おれと同じだ。
     きい様はごろりと横になり腕枕でひとしきり鼾をかき、それから突然起き上がって風呂を焚き始めた。
     風呂は家の裏手のドラム缶ですでに海水が汲んであった。ドラム缶の下に薪を入れて火を起こし竹筒でふうふうと息を吹く。きい様はおれの頭からお湯をかけ、体に灰を塗ってタワシで洗った。
     お前の体には鬼が宿っているようだね、そう言った。きっと月が鬼を育ててくれるだろう、でもね、あまり月ばかり見ていてはいけない、見つめていいのは満月だけだよ、月はね、人の魂を食べるんだ、新月の時、月は腹を空かせている、人の魂を食い段々太って満月になる、満月になればもう月は魂を食ったりしない、だから見つめていいのは満月だけだ。
     馬鹿を言うな、とおれは思った。月に魂を食われるなら望むところではないか。
     おれときい様の生活が始まった。
     きい様は一日のほとんどの時間を寝て過ごした。その間におれがするべき事を数日かけて叩き込んだ。朝、山に登ってバケツ二杯分の湧き水を汲む、食べられる野草を摘む、竈で飯を炊く、乾いた雑巾で畳を拭く、薪を集める、薪を割る、海水を汲んで風呂を焚く、夏は眠るきい様を団扇で扇ぐ、冬は火鉢に炭を入れる。
     時々、若い衆が魚や米や野菜を運んで来たが、きい様と顔を合わせるのを避けるようにそそくさを村へ帰って行った。
     きい様は魚の塩辛が好物でその作り方をおれに教えた。
     魚の種類はなんでもよかった。ただ、ひたすら叩くのだ。頭ごと骨ごと腸ごと包丁でどろどろになるまで叩き続ける。そこにたっぷりの塩と少量の酒と山羊の乳を加えて混ぜ合わせる。あとは山羊の革袋に詰め三カ月ほど地面の中に埋めておけばどぶの臭いのするその食い物が完成する。
     きい様は魚ばかり食べていた。血が汚れるという理由で肉食を禁じた。時々、おれはきい様の目を盗み、山羊を殺して食っていた。
     糞尿の始末をするのもおれの仕事だった。小屋の裏手に埋められたふた抱えもある陶製の瓶が糞尿で満ちるとバケツで掬って海に捨てたり島の婆たちが耕す畑に撒き散らした。
     後年、おれが子供とは見なされなくなって若い衆たちと働くようになると、今度は娼婦長屋の便所の掃除をする事になる。糞尿の海が乾燥して岩のように固まるとおれは体に巻いた命綱を若い衆に持たせ汚水槽の中に飛び込んだ。そして両腕を振り回して糞尿の岩を砕いていった。そこはおれの故郷だった。夥しい糞尿の中には何人ものおれの兄弟が溶けていたに違いない。
     きい様には秘密の場所があった。そこは山の頂上付近の開けた場所に石を積み上げた築山だった。いびつな台形をしたその築山の天辺できい様は満月になると瞑想に耽った。きい様はそこを御聖所と呼び古代遺跡だと言っていたが、おれは嘘だと知っていた。それには遺跡のような威厳も風格もなく、積み上げられた石は新しいものが多かった。間違いなくきい様が自分で作ったのだ。
     おれが通りかかるときい様は瞑想を中断して手招きをした。皺だらけの骨張った手がおぼろな光に包まれてこっちに来いとおれを呼んだ。おれはその誘いには乗らなかった。ただ一度を除いておれが築山に登った事はない。偽物の御聖所などまっぴらだったし、きい様の弟子になるつもりはなかったからだ。敢えて言えば、おそらくおれの師はおれを産みおれを捨てたおれの母だ。
     きい様の方はおれを弟子と見なしていた。いずれきい様の後を継ぐようにとよく言った。後を継いで島を守れと言い聞かせた。
     また、きい様はおれに文字を教えようと虚しい努力を繰り返した。
     内容は覚えていないが卓袱台の上に広げた本を、きい様の真似をして朗読するように命令した。全く退屈で死にそうだった。おれは本を破りページを食って抵抗した。
     何度も食っているうちに味を覚えた。本棚から本を抜き取って時々食った。古い方がうまかった。きっと本にも食い頃があるのだ。おれにとって本は読むものではない。食い物だ。本を読む奴の気が知れない。
     島民たちは年に数回、きい様に怪しの物が降りると信じていた。きい様がみんなから馬鹿にされながら怖れられていたのはこの怪しの物のせいだった。
     その日が近づくときい様は村に降りて「もうすぐ来るぞ、もうすぐ降りるぞ」と言い回る。そうなると誰もが落ち着きをなくし、祭りの前のような興奮が村を包んだ。その日のために体力をつけるようにと、元締めは山羊を潰して肉を配った。
     怪しの物が降りるのは満月の日と決まっていた。
     おれは何度かその瞬間を見た事がある。築山で瞑想中のきい様はわけの分からない叫び声を上げると数メートルもぴょんと飛び跳ね、疾走を始めた。怪しの物に憑かれたきい様はなにをするわけでもなかった。ただ、走るのだ。
     その走り方が尋常ではなかった。この八十か九十か百歳の老婆は着物の裾をたくし上げ島の誰よりも速く力強く疾走した。川を飛び越え木々を擦り抜けあらゆる障害物をものともせず島のあちこちを縦横無尽にひた走り、きい様が通り過ぎると小さな竜巻が渦を巻いた。島民たちは元締めも若い衆も娼婦も婆もきい様を捕まえようとやっきになった。きい様を止めた者は一年間健康でいられると信じられていたのだ。
     ある者は罠を張り、ある者は武器を手に、またある者は徒党を組んできい様を襲った。きい様はその全てを擦り抜けて二時間か三時間か四時間ひたすら走ると、突然立ち止まってばったりと倒れ、まる一日昏々と眠った。意識をなくしたきい様の顔は真っ赤に充血して膨張し、まるで満月のようだった。
     おれが知る限りきい様を捕まえた者は誰もいない。
     おれは一体どれぐらいの間きい様と一緒に暮らしたのだろう。よく覚えていない。多分、三年か五年か七年ぐらいだ。その間、月の光と日々の労働と山羊肉が筋肉を厚くし、おれは幼児から少年へと成長した。
     夏になると若い衆たちは海で遊んだ。島の森と同様命の貧しい海で捕れるものと言えば肉の薄い蟹や船虫ばかりだったが涼をとるのに不都合はなかった。
     おれは何度か若い衆に誘われ海に入り、必ず溺れた。若い衆は危うく溺死しそうなおれを引き上げ、時には人工呼吸を施さねばならなかった。
     母親の胎内で泳ぎを覚え、昔は大海原からの生還を果たしたおれだったが、成長すると完全なカナヅチになっていた。おれの筋肉は水に浮くには重過ぎたのだ。また、おれは下腹部の奥深くにずしりと居座るなにか鉄の塊のようなものを感じていた。そのせいでいまだにおれは泳げない。
     島の探索に飽きると、夜陰に紛れて村の方に降りて行った。
     向こうは気づかなかったが何度か満寿代を目撃した。満寿代はランプの明かりを頼りに洗濯をしていた。井戸端で盥に水を汲み、洗濯板で汚れものを洗っていた。
     満寿代の顔には鼻がなかった。おれがこん棒で頭を殴った時、内側からの衝撃波で吹き飛んだのだ。
     長屋の周辺をうろついていると、部屋の窓を通して時々おれを呼ぶ声が聞こえた。
     ある夜、「源太」と誰かが呼んだ。
     別の夜には「恭二」と誰かが呼んだ。
     また別の夜には「大介」と声をかけた。
     みんなおれの名前だった。
     明かりを消した部屋の中で暗闇に顔を塗り潰された女たちはおれの性器を見て驚嘆した。そしておれに跨がり、またおれの名前を呼んで打ち震えた。
     きい様はおれの秘め事を知らなかった、と思う。だから、おれにいつもよりたらふく飯を食わせ、初めての酒を飲ませて眠らせた後、きい様がとった行動はおれの淫行を責めようとしたわけではない。
     眠りに落ちてすぐ、おれは全身の痒みに目を覚ました。酒のせいで蕁麻疹が出来たのだ。酒の飲めない体質がおれを救った。
     体中を掻きむしりながら顔を起こすと、股の間にきい様が座っていた。きい様も他の女たちと同じ事をしたいのかと思ったが、様子がおかしいとすぐに気づいた。きい様の手には包丁が握られ、闇自体が僅かに孕む青い光を集めていた。
     おれは身を捩って振り降ろされる一撃を危うくかわした。

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  • 9.11でアメ車文化はどう変わったか――バットモービルと「古き良きアメリカ」という理想(根津孝太『カーデザインの20世紀』第3回) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.435 ☆

    2015-10-22 07:00  
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    9.11でアメ車文化はどう変わったか ――バットモービルと「古き良きアメリカ」という理想 (根津孝太『カーデザインの20世紀』第3回)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.10.22 vol.435
    http://wakusei2nd.com


    今朝のメルマガはデザイナー根津孝太さんの連載『カーデザインの20世紀』第3回です。テーマは「バットモービル」。この想像上の車に宿る「アメリカの理想と夢」とは? 60年代のテレビドラマ版バットマンから、ティム・バートン監督らによる90年代の映画版、そしてゼロ年代以降のノーラン3部作へと至るデザインの変遷から「アメリカと車の関係」を読み解きます。
    根津孝太『カーデザインの20世紀』これまでの連載はこちらのリンクから。
    (◎構成:池田明季哉)
    第1回はランボルギーニ・イオタ、第2回はシュビムワーゲンと続けてヨーロッパの車について語ってきましたが、今回はアメリカ出身の空想上の車について語っていこうと思います。僕の大好きなバットモービルです。
    バットモービルは、DCコミックスのヒーロー、バットマンの愛車全般を指す名称です。40年代のコミックスからはじまるバットマンの歴史の中で、その愛車であるバットモービルも時代とともに変化を遂げてきました。
    バットモービルは、アメリカの車である「アメ車」の文化を色濃く反映しています。そんなバットモービルの歴史を紐解くことで、アメリカという国、そして個人の象徴としての車がどのように変わってきたのかということを、僕なりの視点から解説してみたいと思います。

    ▲歴代バットモービル。前列左から、アニメイテッド版(1992年)、『バットマン & ロビン Mr.フリーズの逆襲』版(1997年、ジョエル・シュマッカー監督)、実写ドラマ版(1966年)、『バットマン』版(1989年、ティム・バートン監督)、『バットマン・ビギンズ』以降の新三部作版・通称”タンブラー”(2005年〜、クリストファー・ノーラン監督)、『バットマン・フォーエヴァー』版(1995年、ジョエル・シュマッカー監督)(出典)
    「アメ車」と言われたら、みなさんどんな車を思い浮かべるでしょうか。人によって異なるでしょうが、僕は60年代から80年代のデザインが真っ先に思い浮かびます。ものすごく大らかで、ちょっとドラマチックで、いい意味で大袈裟で……そんなドリームカーが、僕にとってのアメ車のイメージです。
    90年代以降、世界中の車が均質化していると言われています。アメリカ車のデザインもいろいろな国のいいところを学んでインターナショナルになっているのですが、同時に個性も失われている気がしています。そんなふうに変わってしまう前、アメリカの車が最も個性的だった時代の、さらに究極のアメリカ車。その象徴的存在が、僕はバットモービルだと思うのです。
    ■大らかで大げさで夢見がちなドリームカー
    それではそもそも「アメ車」とはどんな車なのでしょう。言葉通りにはアメリカで作られた車全般を指しますが、「アメ車」という呼び方はその独特の特徴を、親愛を込めて呼ぶものです。
    アメ車の代表といえば、シボレー・コルベットのスティングレイでしょう。コルベットは1950年代にはじめて生産され、以降現在の7代目に至るまで連綿と続いている人気車種ですが、スティングレイはその2代目と3代目、コルベットC2およびC3の愛称です。

    ▲シボレー・コルベットC2”スティングレイ”。コルベットという名前の車としては2代目にあたる。1963年から1967年まで生産された。(出典)
    このコルベット・スティングレイはアメリカのスポーツカーの象徴であり、みんなが憧れるような車でした。下の写真を見てもらえれば、そのままでも十分バットマンが乗り込めそうな雰囲気があることがご理解いただけるでしょう。
    バットモービルは実際にコルベットをベース車にしているというわけではありませんが、デザインソースのひとつであることは間違いないと思っています。大きくボリュームのあるフェンダーが、キャビンに向けてきゅっとくびれているグラマラスなボディは、コカ・コーラの瓶に例えられ「コークボトル」なんて呼ばれていたりしました。こうした大胆さが「アメ車らしさ」のひとつの特徴です。

    ▲シボレー・コルベットC3”スティングレイ”。こちらは1968年から1982年まで生産された3代目。フェンダーからキャビンにかけてのダイナミックな流れはアメリカ車ならでは。(出典)

    ▲こちらは現時点での最新型である7代目、シボレー・コルベットC7。2014年より生産。C3以来に”スティングレイ”という名前が復活した。C2、C3を意識しながらも、現代的にアップデートされたデザインになっている。(出典)
    そして下の写真は、実際にテレビドラマ版バットモービルのベース車になった、フォード社の高級自動車ブランドであるリンカーンのフューチュラというモデルです。

    ▲リンカーン・フューチュラ。1955年に発表されたコンセプトカー。未来的なデザインで話題となった。(出典)
    ユニークなバブルキャノピーと垂直尾翼のようなリアのデザインは、どちらも当時最新鋭の「未来の乗り物」であったジェット戦闘機に範をとったものです。もっと極端なものだと、本当に大きな垂直尾翼を取り付けてしまったものもあります。
    こうしたデザインは、言ってしまえば機能的な必然は全くありません。むしろ空力性能はものすごく下がっている。でも、どれもその派手さの中に、人をワクワクさせてくれる何かがありますよね。こうした未来的なデザインのアメリカン・ドリームカーが、アメ車のもうひとつの類型であり、バットモービルのもうひとつのモチーフです。

    ▲1960年代のテレビ版。はじめて実車として作られたバットモービル。(出典)

    ▲飛行機のような車。「速い」ことより「速そう」なことが重視されているデザイン。(出典)
    僕がアメリカに住んでいるとき、ヴィンスという人と友達になりました。彼はいろいろな改造車を作っている人で、ティム・バートン版バットマン用のバットモービルなんかも作っています。他にも異様に長いリムジンや、ハリウッドスター向けの真っ白なグランドピアノがそのまま乗った車など、とにかくぶっ飛んだ車ばかりをデザインして作っていました。言わば、「夢の車」を実現していくアメリカン・カーカルチャーの一番面白かった時代を体現しているような人です。




    ▲ヴィンスの作ったユニークすぎるカスタムカーの数々。一番下の車は映画「フリントストーンズ/モダン石器時代」に登場したもの。「ステアリングが切れるんだよ」とヴィンスに自慢されたが、100m進んでほんのちょっと曲がるくらいだった。(写真は根津さん所蔵のもの)
    これらの車はどれも60年代前後のものですが、びっくりするほどユニークなデザインですよね。では、どうしてこの時代に、こうした突飛なデザインがアメリカから生まれてきたのでしょうか。
    ■ 誰もが機能よりも「理想と夢」を追い求めた60〜80年代
    最初にも言った通り、現代は車のデザインが均質化していると言われています。その理由のひとつに、空力性能の問題があります。車は空気を押しのけて走るため、できるだけ空気の抵抗が少ない形状にした方が走るために必要なエネルギーを節約でき、燃費も向上するんですね。
    現代では風洞実験やコンピュータ上でのシミュレーションによって、空気抵抗の度合いを示すCd値を正確に測定できるようになりました。具体的な数字を誰もが共有できるようになり、それが燃費競争にダイレクトに影響することで、空気抵抗に最適化されたデザインになっていったわけです。みんなが「お利口さんな車」になってきていると言えるでしょう。
    しかし60〜80年代はまだそこまでの解析技術がありませんでした。そのため「なんとなく空気抵抗が少なそう」というイメージ先行の形状が、そのままデザインの説得力に結びついた時代だったのです。
    加えて、アメリカのモータリゼーションの独特な環境もありました。高速道路が整備され、フリーウェイがあり、駐車場も広くて、みんなが車を一台は持っている。そんな極端な状況があり、ガソリンも今に比べれば驚くほど安かったんですね。
    アメ車は「エンジンひとふかし1リッター」「ガソリンを垂れ流しながら走る」と囁かれるほど燃費が悪いと言われていましたが、そんなことは大した問題ではなかったのです。こうした大らかな状況で育っていったのがアメ車なのです。
    燃費を気にするという発想がそもそもなかったおかげで、アメ車のデザインは本当に「やりたい放題」でした。人々は車に、機能以上に「夢」を求めていたのでしょう。
    「車が飛行機でもいいんじゃない?」――そういうものを作り手も作りたがっていたし、大衆も受け入れていました。今の目で見ればちょっとやりすぎに見えてしまうようなデザインも、「こうやって世の中は良くなっていくんだ」という人々の理想を体現していたから、自然に受け入れられていたんですね。
    とはいえ、今やマスタングもフォードGTも、昔の良かった頃を思い出そうという思想で、過去のモチーフをもう一度持ってきています。アメリカ自身が、アメリカ車が一番輝いていたのはあの頃だったという自覚があるのかもしれません。


    ▲60年代のフォード・GT40と、2005年のフォード・GT。(出典)
    ■ 90年代、アメ車の「夢」はバットモービルに託された
    こうした「理想」や「夢」の時代状況を背景にしたアメ車カルチャーは、80年代以降、急速に衰退していきます。70年代のオイルショックによる原油高騰や、ベトナム戦争の泥沼化、そして90年代初頭の湾岸戦争を経て、アメリカが抱いていた素朴な未来像は、粉々に打ち砕かれてしまいました。こうしたハッピーではいられない状況が自動車にも反映され、燃費が良く現実的なデザインの車がどんどん増えていったわけです。
    「アメリカの理想と夢」を体現していたドリームカー――実車では実現不能になってしまったその遺伝子を引き継ぎ、フィクションの中で発展させていったのが、90年代の「バットモービル」だと僕は思っています。
    下の写真は、ティム・バートンが監督した1989年『バットマン』および1992年『バットマン・リターンズ』に登場したバットモービルです。

    ▲バートン版。ティム・バートン自らがデザインした。コミックを参考に、威圧感を与えることを意図したという。ジェットエンジンの構造は永遠の謎。(出典)
    羽が生えたリアのデザイン、そして前部が長く後部が短いロングノーズ・ショートデッキのシルエットは、「これぞアメ車」といった趣です。正面にジェットエンジンを思わせるエアインテークがあり、背面にはそのノズルがあることも特徴のひとつです。このレイアウトにするなら、インテークからノズルまでは全てエンジンになるはずで、どう考えてもバットマンが乗り込むキャビンが邪魔に見えます。「排気をキャビンを避けて左右に分け後部に流しているんです」と言えないこともないのですが、機能的にはあまり現実的とは言えないデザインになっているんです。
    しかも、いざというときには車の左右が分離し、ミサイルのようなシルエットになるというギミックつき。まさに映画だからこそ成立するドリームカーです。
    次の写真は、監督をジョエル・シュマッカーに交代し撮影された1995年「バットマン・フォーエバー」のバットモービルです。

    ▲フォーエバー版。内部構造が見えた外装に、派手な電飾が特徴。羽は三枚に増えている。(出典)
    個人的な好みで言うと、僕はこのバットモービルが一番好きなんです。普通、車は外装で内装を包み込むシェル構造になっているのですが、これはシェルに穴が空いていて、内部が見えてしまっているのです。さらにボディから離れたフェンダーによって、全体のシルエットはほとんどミニ四駆のようになっています。しかもやたら電飾が派手で、あちこちから漏れる青い光が「バットマンここにあり」という圧倒的な存在感を放っています。

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  • 稲田豊史『ドラがたり――10年代ドラえもん論』第3回 のび太系男子の闇・中編 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.434 ☆

    2015-10-21 07:00  
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    稲田豊史『ドラがたり――10年代ドラえもん論』第3回のび太系男子の闇・中編
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.10.21 vol.434
    http://wakusei2nd.com


    本日は大好評の稲田豊史さんによるドラえもん論『ドラがたり』の第3回をお届けします! 今回は前回に続いての「のび太系男子の闇」の中編です。「のび太」というキャラクターの本質をディープに解き明かし、現在の30〜40代の「のび太系男子」に与えた影響を考察します。
    稲田豊史『ドラがたり――10年代ドラえもん論』これまでの配信記事一覧はこちらのリンクから。
     前回(第2回)の結びでは、90年代中盤以降に発生した「のび太再評価」ムーブメントの影響によって、「のび太のように生きてもいいんだ」というマインドを持つ「のび太系男子」が生まれたことを述べた。
     のび太系男子を主に構成するのは、30〜40代の“勝ち組になれなかった”男性たちだ。世代区分で言えば団塊ジュニアからポスト団塊ジュニア。日本の人口ボリュームゾーンである。学生時代は受験戦争と超偏差値社会に、就職してからは超格差・実力社会に投じられたが、一握りの勝ち組以外は辛酸を嘗めまくった世代だ。
     四大を出ても貧困とは縁が切れない。新卒の就職活動は激戦を極め、やっと会社に入ったものの、歳を重ねて何かと物入りになってきたゼロ年代後半に入ると、今度は不景気で給料が上がらない。結婚は遠く、仮に結婚できたとしても、親世代のような「シングルインカム+専業主婦+子供ふたり+持ち家」なんぞ夢のまた夢。馬車馬のように働いても都内にマンションひとつ、車一台満足に買えない。ファストファッションとファストフードが命綱。団塊世代である親たちの裕福さには一生手が届かないと臍を噛む。
     彼らのアイデンティティを染めているのが、自分たちは割りを食った世代だという被害者意識だ。その鬱屈はおおむね富裕層や政治権力に向けられ、「社会正義」の旗印をエクスキューズに私怨を爆発させるのが常套。押し寄せる劣等感と吐き出すルサンチマンの出納業務で、毎日が忙殺されている。
     のび太系男子の特徴は、彼らの上下世代との比較で、より一層明確になる。
     たとえば、のび太系男子の下の世代である20代の「さとり世代」。彼らは厳しい現実を“悟って”っているので、はなから自分の人生について過剰な期待を抱かない。「好景気」を肌で感じたことが一度もないため、「成り上がり」「一攫千金」といった経済的な成功を夢見たりもしない。他人を蹴落として序列を駆け上るよりは、出る杭として打たれないよう注意深く空気を読み、悪目立ちを避けようとする。そもそも、競争というものに参加する意義を感じていないのだ。
     いっぽう、のび太系男子は競争に強制参加させられた上に負けが続き、ほとほと嫌気が差し尽くしてしまった。0点が続いてすべてにやる気をなくしたのび太の如し。ゆえに一部の勝ち組を除き、ヒエラルキー内での序列争いには極端なアレルギー反応を示す。集団内におけるハングリーな向上心にも欠ける傾向にある。
     のび太系男子の上の世代であるバブル世代(40代後半〜アラフィフ)は、バブル景気(80年代末〜90年代初頭)を背景として、働けば働くほど、欲望を剥き出しにすればするほど、経済的な「結果」を手にできた最後の世代だ。彼らはヒエラルキー内での序列争いに耐性がついている。「頑張れば、上に行ける」ことが身近で実証されているからだ。
     しかし、のび太系男子は先輩たちが享受したバブル世代の華やかさを目にしながらも、自分たちが会社のメインプレーヤーになった時には、時既に遅く、その恩恵には預かれなかった。同期がやたら多いため無意味に増加した「名ばかり管理職」に任命されたはいいが、給料は特に変わらず責任だけが増大。被害者意識がむくむく膨れ上がったのも無理もない。
     それゆえ、のび太系男子は社会で戦うのをやめ、精神的な隠居に入った。マイペースで快適な個人であることに絶対善を置き、いい年こいてノスタルジックなサブカル趣味にすがりつく。のび太同様、“いま、この瞬間を楽に生きる”を信条としているのだ。ゼロ年代初頭に流行した「スローライフ」や、現在の「サードウェーブ男子」的なまったり感も嫌いじゃない。実際、上記2ムーブメントを主に担っているのは団塊ジュニアとポスト団塊ジュニアである。
     また、のび太系男子はリスクをとってチャンスをものにするトライアルスピリットに欠ける。危ない橋は渡りたくないし、できれば社会的責任も負いたくない。婚期は遅れがち、もしくは結婚願望も総じて低めだが、結婚ほど「リスク」と「責任」の産物はないので、当然である。
     自分の弱さを素直にさらけ出すことに、他世代ほど躊躇がないのものび太系男子の特徴だ。彼らは自己をさらけ出すことが「誠実」だと思っている。そのため、女性にはあからさまに母性を求め、本能に基づいて甘える。
     そう、のび太系男子は、いい大人のくせにみっともない。しかし、それこそが彼にとっての「誠実」だ。前回(第2回)で紹介した痛エピソード――お姉さん型いたわりロボットの膝に顔をうずめるのび太(ドラえもんプラス5巻)――が思い出されよう。
     さらに、のび太系男子は「普段はダメでも、いざというときには“持ち前の誠実さ”を発揮すれば、大丈夫」と自分に言い聞かせている。大長編で突然ヒーロー化するのび太の気分だ。彼らからすれば、普段のうだつの上がらない状態は「俺はまだ本気出してないだけ」なのである。
    ● 藤子・F・不二雄による「業の肯定」
     前回(第2回)で明らかになったように、のび太は、作中で一時的にしっぺ返しを食らったり痛い目に遭ったりはしても、人格の根本的な欠陥(盗み見、結婚相手以外の女性に唾をつける、自分よりダメな人間への優位性に浸る等)については、決定的なおとがめを受けない。次回も、そのまた次回も、同じようにクソ人間ぶりを披露しているからだ。こちらの連載を大幅に加筆修正した書籍が発売中です!
    『ドラがたり のび太系男子と藤子・F・不二雄の時代』☆★Amazonで詳しく見る★☆ 
  • 【新連載】猪子寿之の〈人類を前に進めたい〉第1回 みんなで「モノ」のなかに入ろう! ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.433 ☆

    2015-10-20 07:00  
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    【新連載】猪子寿之の〈人類を前に進めたい〉第1回  みんなで「モノ」のなかに入ろう!
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.10.20 vol.433
    http://wakusei2nd.com


    今朝のメルマガでは、チームラボ代表・猪子寿之さんによる新連載第1回をお届けします! 題して『猪子寿之の〈人類を前に進めたい〉』! 宇野常寛との対談形式での連載です。
    この第1回ではチームラボの2015年の作品群を振り返りつつ、これまでの代表作といえる「カラス」「メディアブロックチェア」の先にあるチームラボの今後の展開を猪子さんに語ってもらいました。

    【超ハンパないお知らせ】チームラボがこれまで発表したアート作品を網羅した初の図録が発売中! 宇野常寛による論考も収録されています。「チームラボ図録」の詳細はこちら。
    ▼プロフィール
    猪子寿之(いのこ・としゆき)
    1977年、徳島市出身。2001年東京大学工学部計数工学科卒業と同時にチームラボ創業。チームラボは、プログラマ、エンジニア、CGアニメーター、絵師、数学者、建築家、ウェブデザイナー、グラフィックデザイナー、編集者など、デジタル社会の様々な分野のスペシャリストから構成されているウルトラテクノロジスト集団。アート・サイエンス・テクノロジー・クリエイティビティの境界を曖昧にしながら活動している。
    47万人が訪れた「チームラボ 踊る!アート展と、学ぶ!未来の遊園地」などアート展を国内外で開催。他、大河ドラマ「花燃ゆ」のオープニング映像、「ミラノ万博2015」の日本館、ロンドン「Saatchi Gallery」、パリ「Maison & Objet 20th Anniversary」など。2016年はカリフォルニア「PACE」で大規模な展覧会を予定。
    http://www.team-lab.net
    ◎構成:中野慧
    宇野 さて、今回からPLANETSのメルマガで僕との対談形式で、猪子さんの連載が始まることになりました。実はけっこう前から「猪子さん、うちのメルマガで連載してよ」というLINEを送ってたんだけど(笑)。
    猪子 うん、既読スルーしてたんだよね……。それは、本当にごめん! ただ、やりたくないから既読スルーしてたってわけじゃなくて、ふとした時に「俺、なんか書きたいことあるかな?」とかいろいろ考えていたの。で、宇野さんから「猪子さんの好きなことをみんなに紹介していくのはどうだろう」と提案してもらったりもしたんだけど、そんなわざわざ書くことでもないだろうと思って。
     でも何年か前から、宇野さんにチームラボの作品を批評してもらったりすると、自分達が何となく無意識に「こういうことがやりたい」と思ってやっていることを論理的にしてもらったり、言葉にしてもらうことができて、それが超面白いなと思っていたのね。去年、チームラボはニューヨークのPace Galleryってとこで展覧会をやったんだけど、そのときに宇野さんに書いてもらった批評も超良くて。
     で、そんなことを考えていて……「いやでも待てよ、チームラボがこれからやりたいと思っていることを宇野さんに話してみて、そこで整理されたものをみんなに伝えていくってのもアリなんじゃないか?」「というか、連載の収録と称して宇野さんに相談に乗ってもらうのもいいんじゃないか?」という下心もあって、そういう会にしようと。それで突然やりたいですってLINEを送ったんです。
    宇野 僕は猪子さんとはそれなりに長い付き合いだけれど、作家と批評家としてもう全力で向きあわなきゃいけないと思ったのは、実は去年チームラボが佐賀でやっていた大規模な展覧会を見に行ったときなんですよね。
     そこで、東京に戻ってから当時連載していた『ダ・ヴィンチ』で長めのエッセイを書いた。このとき僕が中心的に取り上げたのは、佐賀で展示していた「追われるカラス、追うカラスも追われるカラス、そして分割された視点 - Light in Dark」と、「メディアブロックチェア」の二つだった。

    ▲追われるカラス、追うカラスも追われるカラス、そして分割された視点 - Light in Dark
    https://www.youtube.com/watch?v=tjfDZP9YOcs
    http://www.team-lab.net/all/art/crows_dark.html

    ▲メディアブロックチェア
    https://www.youtube.com/watch?v=dYk5auu_9m0
    http://www.team-lab.net/all/products/mediablockchair.html
    (参考リンク)
    ・我々の身体を"マリオ"化する企て――チームラボ猪子の日本的想像力への介入(宇野常寛による批評)
    ・「チームラボ 踊る!アート展と、学ぶ!未来の遊園地」(2014年11月29日〜2015年5月10日まで日本科学未来館で開催)
     このエッセイを下敷きにPace Galleryの展覧会に合わせた文章を書いて、さらにその邦訳を今年の日本科学未来館の展覧会での図録に載せてもらったのだけど、それは言ってみれば、チームラボのこれまでの仕事を総括する仕事だったと思うんですよね。だから今回の連載はどうせならチームラボが「これから」なにをするのかを話してみたいと思った。
    ■ 作品の「境界」をなくす――チームラボの2015年の作品群
    猪子 うんうん、そうだよね。いまチームラボは色んな新しいことにトライしていて、まずはそれを読者の皆さんへの説明も兼ねて紹介してみたいと思います。
     まず、ちょうど今年の9月にロンドンのSaatchi Galleryってとこで「teamLab: Flutter of Butterflies Beyond Borders」って展覧会を行って、そこで公開した「Flutter of Butterflies Beyond Borders / 境界のない群蝶(以下、境界のない群蝶)」という作品があるのね。

    ▲境界のない群蝶
    https://www.youtube.com/watch?v=8Vw3Nwu1tDI
    http://www.team-lab.net/all/art/butterflies.html
     動画は1分ぐらいの短いものだからみんなにぜひ見てもらいたいんだけど、この「境界のない群蝶」って、「花と人、コントロールできないけれども、共に生きる - A Whole Year」や「増殖する生命 II - A Whole Year per Hour, Dark」といった他のディスプレイによる作品のあいだを蝶が飛んで行くというものなのね。
    宇野 これは作品Aと作品Bの間を蝶が越境しているという理解でいいの?
    猪子 そうそう。この作品でやりたかったのは「作品どうしの境界を破壊する」ということ。普通の絵とか彫刻だと作品の境界が「ここからここまで」と明確になっているけど、作品が物質から解放されていくと境界という概念すら今までとは違ったものになっていくんじゃないか、みたいなことです。
     次に紹介したいのは「世界は、均質化されつつ、変容し続ける」っていう作品なんだけど、これは宇野さん、見たことある?

    ▲世界は、均質化されつつ、変容し続ける
    https://www.youtube.com/watch?v=MtzOd4RwXBY
    http://www.team-lab.net/all/pickup/hatw.html
    宇野 鑑賞者が一個のボールに触ると色がどんどん変わっていくというものだよね。六本木ヒルズでやったやつだっけ。
    猪子 うん、同じものだけど、本来はもう少し広いところでやるものとして作っているんだよね。このシリーズは、実は、2010年からやっていて、この映像は香港の美術館でやってたもの。一見ボールという立体物によって空間が埋められているように見えるけど、鑑賞者がボールを自由に動かして中に入っていくことができる。
     これは〈空間〉というものをどう考えるかという実験なのね。みんなが〈空間〉と言ったときに連想するものって、壁と床と天井があって、文字通りに中が「空っぽ」な場所で、人が通ったりすることができるものだと思う。で、その対義語として、彫刻のような〈立体物〉というものがある。〈空間〉は人が通れるし中に入っていけるけど、〈立体物〉は人が中に入っていくことができない。
    宇野 なるほど、面白い。
    猪子 だけどこの「世界は、均質化されつつ、変容し続ける」って、作品の構成要素であるボール(=立体物)が固定されていないから人は自由に移動できて、個々のボールが物理的に自由に動かされても、構成要素であるボールはネットワークで繋がりあっているから、全体としてはいつも同じように振舞って、結果的にこの空間全体が一個の作品になっているんです。
     さらに3つめ、「Floating Flower Garden – 花と我と同根、庭と我と一体」という作品があります。日本科学未来館でやった展覧会の後半で登場させたもの。

    ▲Floating Flower Garden – 花と我と同根、庭と我と一体
    https://www.youtube.com/watch?v=siZhynevhUE
    http://www.team-lab.net/all/art/ffgarden.html
     これは本物の生きている花で、最初は空間を全部埋めているんだけど、人が近づくとモーターで花が上に上がってその人中心に半球状のドームができて、花で埋まった空間の中を動いていけるようにしている。空間は一見埋まっているんだけど、自分中心に常に半球状のドーム空間ができるように花が移動していくから、作品の中に入っていくことができるのね。これも全体としては花で埋められた一個の作品になっている。
    宇野 この花は会期中に取り換えたりしたの? 
    猪子 いやいや、空気中の水分を吸って生きられる花を選んでいるのでそこは大丈夫。
    湿度はコントロールしなきゃいけないんだけどね。実際は触る人がいるから、取り替えたりしたんだけど。
     で、さらに「Worlds Unleashed and then Connecting」という作品があります。

    ▲Worlds Unleashed and then Connecting
    https://www.youtube.com/watch?t=46&v=hB44HFdlQxM
    http://www.team-lab.net/all/products/unleash-connecting.html
     これは器を置くと、そこの器に入っている世界観が外側に生まれていくというもの。例えばお茶碗から松が出ているけど、他の器から鳥が出ると、鳥が松に向かって飛んでいく。みんながいろんなところにいろんなものを置くことで、いろんな風景が動いていくようになっている。
    宇野 これは実際にカフェとして使ったの?
    猪子 この展示のときはテーブルの半分ではサーブして、もう半分では自由に遊べるようにしていた。同じ仕組みだけど、サーブだけにしちゃうと何時間も並ばなくちゃいけなくなってしまうからね。
     他にもたとえば、ちょうどこのあいだミラノ万博の日本館で公開していた「HARMONY」という作品があります。ミラノ万博では日本パビリオンがトップ3に入る人気だったのね。ホストのイタリアと、次の万博開催地であるカザフスタンと、日本! 特に日本は長蛇の列で何時間も待つような状態になっていた。

    ▲HARMONY, Japan Pavilion, Expo Milano 2015
    https://www.youtube.com/watch?v=phAODx5utPI
    http://www.team-lab.net/all/other/harmony.html

    宇野 何で日本館がそんなに人気があったの? この展示のせい?

    猪子 だってこれ、入ってみたいでしょ(笑)。
     この作品は、スクリーンが腰とか膝の上ぐらいの高さにあるんだけど、スクリーンを支える棒がやわらかいからどんどん中に入っていける。空間はセンシングされているから、人がいる場所からシーンが変わっていく。変な感じでしょ?(笑)
     最後に紹介したいのが、9月まで銀座のポーラミュージアムアネックスでやっていた個展で公開した「クリスタル ユニバース」という新作です。


    ▲クリスタル ユニバース
    https://www.youtube.com/watch?t=3&v=XCH6RE5Q78s
    http://www.team-lab.net/en/all/art/crystaluniverse.html

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  • 月曜ナビゲーター・宇野常寛 J-WAVE「THE HANGOUT」10月12日放送書き起こし! ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.432 ☆

    2015-10-19 07:00  
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    月曜ナビゲーター・宇野常寛J-WAVE「THE HANGOUT」10月12日放送書き起こし!
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.10.19 vol.432
    http://wakusei2nd.com


    大好評放送中! 宇野常寛がナビゲーターをつとめるJ-WAVE「THE HANGOUT」月曜日。前週分のラジオ書き起こしダイジェストをお届けします!

    ▲先週の放送は、こちらからお聴きいただけます!
    ■オープニングトーク
    宇野 時刻は午後11時30分を回りました。みなさんこんばんは、宇野常寛です。みなさんご存知だと思うんですけれど、僕は今年の4月から、毎週木曜日に日本テレビの「スッキリ!!」というワイドショーに出ているんです。僕は一部の業界では、すぐにケンカしてテレビを降板することでお馴染みの人間なんですけれども、おかげさまで「スッキリ!!」とは本当に例外的にスタッフとも出演者ともすごく仲良くやっているんですよ。本当に珍しいです。「スッキリ!!」の他の曜日はけっこう緊張感があるらしいんですよ。でも、木曜日だけ違うらしいんです。スタッフの間でも木曜日は「仲良し木曜日」とか呼ばれているらしいんですよね。
     実際、CM中によく雑談しているんですよ。出演者やアナウンサー、MCとかを入れて5〜6人いて、僕は向かって右端に座っています。で、僕の横にはいつも服部さんという総合演出の人が立っているんですよ。線の細いメガネ男子で、僕と歳も近くて、すごく話が合うんですよ。僕の個人仕事もすごくよくチェックしてくれています。僕があの番組とぜんぜんケンカもせずに、それでいてわりと好き放題、言いたい放題やっているのも、その服部さんをはじめとする同世代のスタッフの理解があるからというのがすごく大きいんですよ。でね、先週のことです。この番組では最近「坂口孝則の買いどきカレンダー」というコーナーが始まったんですよ。これは同じ木曜コメンテーターで、僕の以前からの知り合いの坂口孝則さんという流通の専門家が、毎月相場が下がる商品を視聴者に教えるというコーナーなんです。例えば、炊飯器は夏が安いとか冷蔵庫は秋が安いとか、業界ごとの商品の入れ替え時期とかを総合的に判断して、平均価格が下落するタイミングを教えてくれるんですよ。これがめちゃめちゃ面白いんです。「へーそうだったんだー」という驚きがあるし、いろんな業界の裏事情もわかるし、普通に実際のお買い物情報としてもすごく役に立つしで、すごく好きなコーナーなんですよ。先週もそのコーナーがあったんですけれど、10月はふりかけが買い時らしいですね。新米の直前に新商品を投入する、そのちょうど谷間にあたるらしくて。今ふりかけが安いらしいんですよ。
     坂口さん面白いなと思いながら、コーナーが終わったあとのCMで例によって、服部さんと雑談していたんですよ。そこで、「服部さん、僕も買いどきカレンダーやりたいんですけれど」って言ったんです。「お、いいっすね。宇野さんは何の値段に詳しいんですか?」って、服部さんはノリがいいので、調子よく聞いてくれたんですよね。で、僕は答えたんですよ。「例えば、毎年3月とか4月って、引っ越しとか進学にともなって、全国の主婦のみなさんが、子どもが卒業したおもちゃをジャンルを問わず二束三文にまとめてネットオークションに出す時期なんですよ」って。これ、みなさん知っていましたか? 実際に僕もダンボールいっぱいにウルトラマンの怪獣が50個入っているとか、プラレールのパーツが山のように入っているとか、そういったものを千円とか二千円とかの破格の価格で落札しているんですよ。それって子どもが遊んでいたものだから、はっきり言って基本的には状態がよくないです。かじった跡があったり、マジックで名前が書いてあったりとかしてるんです。でも、中には几帳面な子どもが大事に遊んでいたものとかで、掘り出し物が綺麗に残っていたりすることがあるんですよね。だから、毎年僕は3〜4月に、鬼のようにヤフオクをチェックしているんですよね。しかもその商品に詳しくない主婦が出品しているから、検索するときのワードにちょっとしたコツがいるんですよ。まあライバルが増えると嫌だから公共の電波では言いませんけれど(笑)。
     そんな話をしたら服部さんは「へー、すごいですね」ってけっこう感心してくれて、すごくノリノリだったんですよ。で、ここまではよかったんですけれど、僕は調子にのって、こう続けたんです。

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