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記事 26件
  • 脚本家・井上敏樹エッセイ『男と×××』第29回「男とアレルギー2」【毎月末配信】

    2017-06-30 07:00  
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    平成仮面ライダーシリーズなどでおなじみ、脚本家・井上敏樹先生のエッセイ『男と×××』。小学生の頃、いじめの標的になっていた女の子。大学生になり、その子のことをすっかり忘れていた敏樹先生でしたが、アレルギーをきっかけに意外なかたちで再会を果たすことになります。

    男 と ア レ ル ギ ー  2   井上敏樹
    小学校の頃、クラスにあまりイケてないNという女の子がいた。美しくなく利口でなく不潔っぽい。だからみんなに苛められた。といっても肉体に苦痛を与える類の苛めではない。みんな上から目線でNを見下す、言わば視線系の苛めである。Nの家がまた貧しかった。おそらくは父親の手作りだと思われるが、トタン屋根のバラック小屋で暮らしていた。

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  • 本日21:00から生放送☆ 今週のスッキリ!できないニュースを一刀両断――宇野常寛の〈木曜解放区 〉2017.6.29

    2017-06-29 07:30  


    本日21:00からは、宇野常寛の〈木曜解放区 〉生放送です!

    〈木曜解放区〉は、宇野常寛が今週気になったニュースや、「スッキリ!!」で語り残した話題を思う存分語り尽くす生放送番組です。
     
    時事問題の解説、いま最も論じたい作品を語り倒す「今週の1本」、PLANETSの活動を編集者視点で振り返る「今週のPLANETS」、週替りアシスタントナビゲーターの特別企画(今週は「たかまつななの木曜政治塾」をお送りします)、そして皆さんからのメールなど、盛りだくさんの内容でお届けします。
    ★★今夜のラインナップ★★「今週の1本」…映画『帝一の國』を語ります!今週のメールテーマ…「手紙」アシスタントナビ特別コーナー…今夜は「井本光俊、世界を語る」をお送りします。and more...
     
    今夜の放送もお見逃しなく!
    ▼放送情報
    放送日時:本日6月29日(木)21:00〜22:45☆☆放送URLはこち
  • 猪子寿之の〈人類を前に進めたい〉 第21回「デジタルアートの力で“近代以前の歴史”を可視化したい!」(前編)

    2017-06-29 07:00  
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    チームラボ代表・猪子寿之さんの連載〈人類を前に進めたい〉。今回は、現在チームラボの作品を展示している、北京や長崎県大村市、佐賀県の御船山楽園へと宇野常寛が実際に訪問し、猪子さんと語り合いました。前編では、「DMM.プラネッツ」とは別のアプローチで集大成となった北京での展示の全貌と、宇野の故郷の一つである長崎県大村市で開催中の展覧会について語り合います。(構成:稲葉ほたて)

    北京の個展はチームラボの集大成?
    宇野 今日は、先日僕が訪問した、北京のPACE BEIJINGで開催中の個展「teamLab: Living Digital Forest and Future Park」の話から始めたいな。僕の感想を言う前に、まずは現地の人たちのリアクションを聞いてみたいのだけど。

    ▲チームラボは、10月10日までPACE BEIJING (北京)にて個展「teamLab: Living Digital Forest and Future Park」を開催している。画像は展示作品の一つ「花の森、埋もれ失いそして生まれる」。

    猪子 それがすさまじかったの! オープン前に前売りが2万枚も売れて、連日すごい行列になっているんだよ。中国のメディアもすごい来てくれたし、ロイター通信やCNNのような国際的なメディアも来てくれて!

    ▲『菊虎』

    猪子 それに、中国で最も作品が高いアーティストの一人と言われている人も来てくれて、『お絵かき水族館』で絵を描いて遊んでるわけ! 自画像つきで、魚を描いてくれたりして、とても嬉しかったな。
    宇野 僕が今回、なによりも話したいのは、展示会場の空間全体を包んでいた新作『花の森、埋もれ失いそして生まれる』についてなのだけど、猪子さんとしては、どういう感触なの?
    猪子 これは、展覧会全体の空間そのものが一つの作品になっていて、複数の季節が空間全体に同時に存在しているんだよね。そしてその季節の移り変わりに合わせて、花々が、ゆっくりと場所を移り変わっていく。だから、自分のいる場所がさっきまでいた同じ場所なのか、わからなくなるんだよね。
    だから、「森で迷子になる感覚」って前回話したけど、方向感覚を失って作品に埋没することによって、まるで自分が大きな世界の一部であるかのような感覚を創りたかったんだ。そして、迷いながら個別の作品を見て行ってほしかったんだ。タイトルの「埋もれ失いそして生まれる」には、そういう意味を込めたんだよね。
    正直、この新作は実験作だったから不安もあった。というのも、そのコンセプトのわりに実は敷地面積があまり広くなくて、同時開催の遊園地まで合わせて1500平米だったの。「 DMM.プラネッツ Art by teamLab」(以下、「DMM.プラネッツ」)は3000平米とかだから、半分にも満たないんだよ。
    ただ、いざやってみると想定していたよりもうまくいったと思ったんだけど……宇野さんはどうだった?
    宇野 まず僕はこの企画自体がちゃんと成功していることにびっくりした。前回、コンセプトを前もって聞いてたんだけど、正直どうなるかが全然想像できなかったんだよね。というか、ぶっちゃけコンセプト倒れの可能性もゼロではないと思っていたんだよ(笑)。でも、いざ入ってみたら、完全に再現されていて驚いた。猪子さんの狙い通り、方向感覚を失って本気で迷ってしまったよ。
    猪子 でも実際は、それほど大きな空間ではないんだけどね。
    宇野 いや、実感としては「DMM.プラネッツ」よりも全然広く感じたね。歩きだすと、すぐにどこが入り口だったか、本気でわからなくなる。そして気がつくと、またいつのまにか同じ場所に戻ってしまう。「あれ、この作品さっきも観たな」って感じで何度もループしてしまったよ。
    人間って、方向感覚を意外と明るさや色彩とかで判断してるんだな、と実感したね。この作品では周囲の四季が移り変わっていくじゃない? 目の前に秋のゾーンがあったはずなのに、10分後には季節が移り変わって他の季節に変わっている。で、そのことを頭ではわかっているはずなのに、ついついどの花が咲いてるかを基準に空間を把握しちゃうから、時間が循環するとすぐに位置関係を見失ってしまう。前もってコンセプトを聞いておいて、タネも全部知ってたのに迷ったのは、逆にすごいよね。
    猪子 いやあ、嬉しいよ(笑)。

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  • 更科修一郎 90年代サブカルチャー青春記~子供の国のロビンソン・クルーソー 第9回 水道橋から神楽坂へ・その1 【第4水曜配信】

    2017-06-28 07:00  
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    〈元〉批評家の更科修一郎さんの連載『90年代サブカルチャー青春記~子供の国のロビンソン・クルーソー』、今回から水道橋から神楽坂編が始まります。かつて日本の出版業界の重要な位置を占めていた一帯を訪れ、更科さんが同人誌を発行していた高校時代、司書房と桃園書房が健在だった頃の出版シーンを振り返ります。

    第9回「水道橋から神楽坂へ・その1」
     仕事の都合で、馬喰町のビジネスホテルに泊まっていた。
     東京駅の東側にある古い街は、複数の地下鉄線が交差するため、交通の便は良いが、問屋街なので、飲食店の選択肢が少ない。
     松屋は開いているが、それ以外はほとんど開いていない。
     朝食をどうするか考えているうちに、ふと思い立ち、東日本橋駅から都営浅草線に乗った。
     浅草橋駅で中央・総武緩行線へ乗り換え、降りたのは水道橋駅だった。
    ■■■
     水道橋は古い出版社が多い。芳文社、少年画報社、ベースボール・マガジン社など、敗戦直後に創業した中堅どころの老舗が、駅の西側に軒を並べている。
     講談社、小学館、大日本印刷、凸版印刷などの中間地点という立地条件もあるが、戦後の一時期、この界隈の闇市で紙を扱っていたからだ、とも聞いた。
     友人の作家が東五軒町の古い出版社で文芸単行本を出したのだが、どういうわけか、印税が二ヶ月連続の分割払いで振り込まれた。
     彼の担当は文芸部署の編集長だったが「昔からこうなのだけど、理由は知らないんだ」とのことだった。
     たぶん、闇市時代の名残りなのだろう。半分だけでも手付で払っておかないと、現物(紙)を受け渡す前に逃げられる、とかそういう理由だと思うが、作家の印税にも適用され、半世紀以上を経た現在も続いている。
     出版業界には案外、そういった古い慣習が多い。これは実害のない方だが。
     そういう土地柄なので、1971年から1999年まで、飯田町紙流通センターという、国鉄と製紙会社の共同出資による貨物専用駅も存在していた。
     現在は新座貨物ターミナルと隅田川駅に機能を移転しているが、水道橋から飯田橋へかけての一帯は、確実に日本の出版業界の重要な位置を占めていた。
    ■■■
     駅の南側、古い雑居ビルが並んでいる三崎町の五叉路に、司書房というアダルト系出版社があった。
     親会社は桃園書房という老舗の小出版社で、そちらは『つりMagazine』『月刊へら』などの釣り雑誌部門と、『小説CLUBロマン』や桃園文庫などの官能小説部門を主に手がけていた。
     阿佐田哲也こと色川武大が『麻雀放浪記』での博徒稼業から足を洗って就職した会社として、業界では知られていた。大衆小説誌の編集者となった色川は、藤原審爾の担当となり、小説家への道を志した。
     藤原審爾と言っても、若い読者はまったく知らないだろうが、筆者が子供の頃までは、純文学から社会派風俗小説までなんでもござれのヒットメーカーだった。
     名画座で昭和期の邦画を観ていると、かなりの確率で原作者クレジットに藤原審爾の名前が出てくる。
     今村昌平監督の『赤い殺意』『果しなき欲望』が有名なのだろうが、筆者は監督・吉田喜重、主演・岡田茉莉子の『秋津温泉』と、監督・山田洋次、主演・ハナ肇の『馬鹿まるだし』が好きだ。
     子会社の司書房がいつからあったのは知らないが、山本直樹が森山塔名義で出した初期単行本のいくつかは、この出版社から出ていた。これで大儲けしたことから、90年代は主に成年向けコミックの出版社として知られていた。
     コアマガジンに入社する前、筆者はこの出版社でフリーライターをやっていた。
     桃園書房と司書房の編集部が入っていた古い三階建ての自社ビル(四階建てだったかも知れない)の跡地は、タイムズの駐車場になっていた。
     正直、新しいビルが建っているかと思ったのだが。
     敷地が記憶よりも狭く小さかったので、不思議に思ったが、建物というものは立体的であるから、小規模な雑居ビルでも案外広く感じるものだ。
     五叉路の周辺には、成年向けコミックを扱う出版社や編プロがいくつも立ち並んでいたが、現在は飲食店ばかりで、出版とは無縁の空間になっている。飲食店も夕方から開くタイプの店ばかりで、午前中は閑散としていた。
     近くにはコミックハウスの直営販売店もあったと思うが、こちらも影も形もなかった。

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  • 三宅陽一郎 オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき 第二章 キャラクターに命を吹き込むもの(1)【不定期配信】

    2017-06-27 05:30  
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    ゲームAIの開発者である三宅陽一郎さんが、日本的想像力に基づいた新しい人工知能のあり方を論じる『オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき』。遠く離れているように見える学問的な人工知能と私たちが想像する理想的な人工知能。今回は、その橋渡しをして相互補完をしようとする三宅さんの考えについて語ります。
    (1)機械論の果て
     サイエンスは常に機能を問い、哲学と宗教は常に存在の在り方を問います。サイエンスはあるところから存在云々の議論に拘泥するのをやめました。物が四大要素からできているとか、世界にエーテルが満ちているとか、そういう存在論をやめて、物事の性質と関係性を定量的・定性的に見出すことに専念することによって成功しました。それはちょうど十九世紀から二十世紀へ向けて起こった自然哲学から自然科学への完全な変化です。たとえば量子力学の黎明期には「物は波動か粒子か?」という議論がありました。この問いには答えがありません。ある場合には、たとえば電子がガイガー管などの実験機器に捕まえられる場合には「粒子」と捉えた方が便利ですし、トンネル効果など物質が物質を透過する現象の場合には「波」と考えます。物質とは、粒子としての性質と、波としての性質を持つ、と捉えるのです。これを「波と粒子の二重性」と言いますが、そこにあるのは解釈のモデルであって物事の本質に対する哲学的な思索ではないのです。そうやって物理学はソリッドな学問になり、まさにそれゆえに成功を続けてきました。
     「自然界を最も単純に説明できるモデルを採用する」というのが自然科学の原理です。これを「オッカムの剃刀の原理」と言います。サイエンスは現象を説明するモデルの中で最も簡単なモデルを採用する、という原理です。
     一方、エンジニアリング(工学)は本来「なんでもあり」の分野ではありますが、サイエンスの影響を受けていて、物や、物と物との関係性の中から人間に有用な機能を見つけ出す、新しい物質を見つけ出す方向に発展しました。人工知能もまた、このようなエンジニアリングの流れの中にあります。
     エンジニアリングは常に機能を追い求めます。「人工知能というエンジニアリングはいかなる知的能力を機械の上に実現できるか」を探求します。人工知能の能は「能う(あたう)」つまり能力の能であり、そこでは機能的(ファンクショナル)なものが志向されます。例えば、自動翻訳、自動運転、自動リコメンドなど、社会で実装される知能とは常に機能的なものです。ところが、そこに欠けているものは、人工知能という存在の根、或いは主体(サブジェクティブ)です。機能ではなく、存在としての人工知能とは何なのだろう?
    人工知能の存在論をもとめて
     人工知能は「知能を作る」という大それた、工学としてはいささか突飛な角度から来たために、多くの批判と蔑視を受けてきました。そこで学問としての人工知能は、「きちんとした学問」と認知されるまでには、特に日本においては30年以上の年月を費やしました。ただ、その間に、人工知能が本来的に持っていた「学問らしくない部分」、知能の存在論は削ぎ落とされ、スタイリッシュで、アルゴリズムを基本とする情報処理としての人工知能へと変貌していきました。それは人工知能が誰しもに学問として受け入れてもらうために行われてきた、長い時間に渡る研究者の無意識の作用なのかもしれません。たとえば、自然言語処理という分野は、自然言語の記号的側面から研究します。発話者の人格、立場、状態、生理と言った発話の起源に踏み込むわけではなく、発話された結果、書かれた結果のみを対象とします。背後にある知能の発露の起源である混沌は隠されてしまうのです。
     我々人間は、自分たちがこの世界に根を下ろしているように、人工知能にもまたこの世界に根を下ろしていることを期待してしまいます。しかし通常のエンジニアリングに表れる人工知能は知能の機能的側面であり、存在から見ると一番表層的な部分です。しかし、存在がなければ機能はなく、また機能のない存在というものも考えられません。機能を追い求める人工知能と、さらに存在を奥深く探求しようとする、いわば東洋的な人工知能は、人工知能という分野に横たわる時間に沿った横糸と、時間を超えようとする縦糸なのです(図1)。

    図1 人工知能の二つの軸、時間に沿った機能と時間を超えた構造

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  • 【特別配信】おそ松さん――社会現象化した"覇権アニメ"が内包するテレビ文化の隔世遺伝(石岡良治×宇野常寛)

    2017-06-26 07:00  
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    「特別再配信」の第11弾は、話題のコンテンツを取り上げて批評する「月刊カルチャー時評」より、『おそ松さん』をめぐる石岡良治さんと宇野常寛の対談です。『おそ松さん』が社会現象化した理由を、テレビバラエティの伝統を背景に語ります。(初出:「サイゾー」2016年4月号(サイゾー)/構成:金手健市/この記事は2016年4月27日に配信した記事の再配信です)
    宇野常寛が出演したニコニコ公式生放送、【「攻殻」実写版公開】今こそ語ろう、「押井守」と「GHOST IN THE SHELL」の視聴はこちらから。
    延長戦はPLANETSチャンネルで!



    (出典)株式会社ぴえろ 作品情報「おそ松さん」より


    ▼作品紹介
    『おそ松さん』
    原作/赤塚不二夫 監督/藤田陽一
    シリーズ構成/松原秀 キャラクターデザイン/浅野直之 制作/スタジオぴえろ 放映/テレビ東京ほか(15年10月~16年3月)
    『おそ松くん』の世界から月日が流れ、ニートで童貞の大人になった六つ子が描かれる。各話が完全な続きもののストーリーになっているわけではなく、1回の放送で複数のショートネタが入っている回もある。

    もはや社会現象化した“覇権アニメ”が内包するテレビ文化の隔世遺伝
    石岡 『おそ松さん』、まさかここまで圧倒的な作品になるとは、始まる前は予想もしてませんでした。もはや深夜アニメの1作品というより、これ自体がひとつのジャンルなんじゃないかっていうくらい、コンテンツが広がりを持っている。監督・脚本は『銀魂』と同じ組み合わせ【1】ですが、『銀魂』がいま動かしにくくなっている中で、そこで本来やりたかったことのコアな部分を非常に拡大してやれてしまっているというか。正直この企画は、コケていたらめちゃくちゃサムかったはずの相当リスキーな作風だった。
     『おそ松くん』はこれまで2度アニメになっている【2】けど、どちらもイヤミの「シェー」で当たった作品だった。チビ太とイヤミの人気が出て、タイトルこそ『おそ松くん』だけど六つ子は完全な脇役。ただしそれは作者の赤塚不二夫が六つ子の描き方も台詞もほぼ区別していないという、いってみればポップアートのようなコンセプチュアルなネタだったからでもある。それを『おそ松さん』では六つ子それぞれに人気声優【3】を当てて、キャラをつけまくった。
     その上で、なぜ「コケていたらサムかった」と思ったかというと、「(六つ子の)こいつはこういうキャラ」というのを前提にして、そのキャラならやらなそうなことを急に豹変してやってしまうという、ハイコンテクストなネタをどんどんぶち込んでくる。これはいま観ると大ヒット前提で作り込んできたように見えるんだけど、外したらかなり痛々しいことになっていたはずで、そこをきっちり決めてきたのはすごい。“スベり笑い”も多くて、2話を観たときに「大丈夫か?」ってちょっと思ったんですよ。ローテンションな話が延々繰り返されて、ギャグも投げっぱなしであまり回収しない。人によっては本当につまらないネタも必ずあるはず。それを補ったのが、さっき言った通りひとつのジャンルと言ってもいいくらい幅広い作風にする、手数を増やすというリスクヘッジだった。つまりネタのバリエーションが広い。僕はそんなにバラエティを多く観るほうではないけど、お笑い番組的な知性が発揮された構成の良さが出たんじゃないかと思った。

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  • 京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録 第22回 〈テレビアイドル〉の最終兵器としてのおニャン子クラブ【金曜日配信】

    2017-06-23 07:00  
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    本誌編集長・宇野常寛による連載『京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録』。今回は、80年代半ばのおニャン子クラブの登場から、「歌謡曲からJ-POPへ」移り変わるなかで拡散していく90年代のアイドルシーンを振り返ります。 (この原稿は、京都精華大学 ポピュラーカルチャー学部 2016年7月8日の講義を再構成したものです)

    おニャン子クラブの衝撃とアイドルブームの終焉
     角川三人娘が活躍したのとほぼ同時期、80年代半ばに大ブームを起こしたのが、秋元康プロデュースのアイドルグループ「おニャン子クラブ」でした。
    (おニャン子クラブ「セーラー服を脱がさないで」映像上映開始)

    (画像出典)
     知っている人も多いと思いますが、AKB48の原型となったのがおニャン子クラブです。ほとんど素人に近いような女の子が何十人もいるという形態ですね。まあ、身も蓋もないことを言えば人の好みは様々ですが、何十人か揃えておけば、好みのタイプの女の子が一人ぐらい見つかるでしょ、ということで大人数になっているんですが、それ以上に重要なのはこの「普通さ」「素人っぽさ」です。それが「作り込まれていない本物」感として人々を惹きつけたわけです。
     おニャン子クラブは、「夕やけニャンニャン」というフジテレビのバラエティ番組から生まれています。歌番組ではなく「バラエティ番組」、というところがひとつの特徴ですね。当時フジテレビは非常に勢いがあって、「オレたちひょうきん族」があって「笑っていいとも!」があって、そしてこの「夕やけニャンニャン」がある。これらの番組の共通点は、「内輪感」です。楽屋でタレントかアイドルがしている芸能界の内輪話があえてそのまま放送されていた、というところが画期的でした。
     普通に考えたら「お前たちの内輪話なんて知らないよ」ということになりそうですが、そうではないんですね。東京の芸能界で楽しそうにやっている人たちの内輪話を眺めることで、視聴者は一見遠くにある東京の芸能界を身近に感じることができる。自分もテレビ番組のなかに入っているような錯覚が感じられるわけです。これは当時大流行した手法でした。「笑っていいとも!」とかを毎日見ていると、自分もその一員になったような気がしてきますよね。いまのテレビのバラエティ番組って、当たり前のように芸能人同士がキャラいじりとか内輪話をたくさんしていますが、あれはこの頃生まれた手法なんです。
     80年代当時、まだそれほどグローバル化も進んでいないなかで、一番かっこいい世界は東京のメディアの「ギョーカイ」でした。出版、放送、広告ですね。比喩的に言えば「東京でテレビの仕事をしている」というのが一番かっこいい時代だったから、テレビ業界人たちが楽しく集まって内輪トークをしているのがすごく輝いて見えたわけです。たとえば当時の「ギョーカイ」のスターとして糸井重里がいますが、彼が作っている雑誌の投稿欄に、一般読者と同じ感じで糸井重里が自分の意見を載せたりするんです。糸井重里は編集する側なのに、ですね。そういった手法によって、「糸井さんと僕たちは友達なんだ」という感覚を一般読者にも感じてもらうような仕掛けになっていた。
     「夕やけニャンニャン」は、アイドルをオーディションで選んでいく段階すらもテレビで放映してしまっていた。素人に近いような、どこにでもいそうな女の子たちがアイドルデビューしていく様子を見守るわけです。彼女たちはとんねるずとかと一緒に、なんでもない他愛のない内輪話をしているんですが、その楽しそうな様子を観ることでみんながアイドルたちのことを好きになっていく。あえて〈楽屋〉を半分見せることによって、視聴者の親近感を得る。これが80年代のフジテレビ的な演出手法の特徴で、その後のテレビバラエティの演出のひとつの大きな流れになっていきます。

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  • 福嶋亮大『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』第三章 文化史における円谷英二(1)【毎月配信】

    2017-06-22 07:00  
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    文芸批評家・福嶋亮大さんが、様々なジャンルを横断しながら日本特有の映像文化〈特撮〉を捉え直す『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』。今回は日本の特撮の父とも言える円谷英二の軌跡を通じて、映画の歴史における特撮技術の位置付けを明らかにします。
    第三章 文化史における円谷英二
     一九三九年に入社した東宝技術部特殊技術課で円谷英二に師事するとともに、後の徴兵に際しては、滋賀県八日市飛行場で航空写真工手を務めていた三船敏郎の親友となり、戦後は漫画家として活躍したのに続いて、テレビドラマの製作会社ピー・プロダクションの創始者として『ウルトラマン』と同時期に『マグマ大使』を、さらに一九七〇年代には『スペクトルマン』や『快傑ライオン丸』といった特撮番組を世に送り出したサブカルチャー史の奇才・鷺巣富雄(うしおそうじ)は、円谷の印象的な言葉を紹介している。

    なあ、鷺巣くんよ、特撮とアニメは不即不離、いわば生まれながらの兄弟なんだ。アニメと手をつなぎ共同作業で新技術を開拓しなければ完全とは言えんのだよ。[1]

     現在は特撮とアニメの繋がりはさほど強くないし、そもそも実写のデジタル化が進んだため、円谷英二以来のアナログな特撮はすでに過去のものとなった。庵野秀明と樋口真嗣の手掛けた二〇一二年のショート・ムービー『巨神兵東京に現わる』はあえてCGを使わずミニチュア撮影に徹することによって、過去の特撮の歴史にオマージュを捧げた象徴的な作品である。
     しかし、円谷英二にとって特撮とアニメは「兄弟」であり、ある時期までのサブカルチャー史もこの両輪が形作ってきた。『風の谷のナウシカ』を踏まえた『巨神兵東京に現わる』でいわばアニメを特撮化し、ウルトラシリーズを踏まえた『新世紀エヴァンゲリオン』でいわば特撮をアニメ化した庵野は、実は円谷の理念の隠れた継承者だと言えるだろう(ちなみに、庵野監督の作品の音楽を長年担っている鷺巣詩郎は鷺巣富雄の息子である)。本論もまた微力ながら、この理念を部分的にでも今後のサブカルチャー批評に引き継ぐために書かれている。
     では、アニメの双子としての特撮は、いかにして表現上のリアリティを獲得し、日本の社会や文化とどのような関係を結んできたのだろうか。この問いを深めるにあたって、本章では特撮技術の詳しい専門研究に踏み込む代わりに、むしろ円谷英二の軌跡を中心にしながら、特撮という技術を戦前・戦中の文化史のなかに位置づけることを目指したい。それによって、彼の息子世代の作った戦後のウルトラシリーズにも、前章までとは違った角度から光を当てることができるだろう。
    1 技術者・円谷英二
    映画史における特撮
     映画の草創期において、シネマトグラフの発明者であるリュミエール兄弟に次いで、フランスのジョルジュ・メリエスの果たした役割はきわめて大きい。リュミエール兄弟の最初の映画が一八九五年にパリのグラン・カフェで上演された後、ロベール・ウーダン劇場の奇術師であったメリエスはシネマトグラフに大いに興味を示して自らさまざまなトリック映像に挑戦し、一九〇二年には『月世界旅行』で名声を博した。
     現実にはあり得ない映像を作り出すメリエスの特撮(SFX)には、手品(マジック)に加えて写真や演劇の表現技術が応用されている。彼は写真技法から「二重焼き」「多重露出」「マスク」等を取り入れ、一九世紀後半に流行した「交霊術」をトリック撮影によって再現する一方、夢幻劇の奇想天外で魔術的なイメージをスクリーン上に出現させた[2](その際にメリエスが変身、幽霊、分身といったポストモダニスト好みのイリュージョンを多用したのも興味深い)。さらに、メリエスの親友にアニメーション映画の創始者エミール・コールがいたことも注目に値するだろう。特撮とアニメーションはその出発点においてすでに「兄弟」であった。
     メリエス以降も、ウィリス・オブライエンが特撮を担当した『ロスト・ワールド』(一九二五年)や怪獣映画の金字塔『キング・コング』(一九三三年)を筆頭に、フリッツ・ラング監督の『メトロポリス』(一九二七年)、ジョン・フォード監督の『ハリケーン』(一九三七年)、レイ・ハリーハウゼンの特撮技術が冴える『原子怪獣現わる』(一九五三年)や『アルゴ探検隊の大冒険』(一九六三年)、戦前にはパペトゥーンによるミュージカル・アニメーションを手掛けたジョージ・パル製作の戦後のSF映画『月世界征服』(一九五〇年)等、SFXを用いた記念碑的作品が次々と発表された。円谷英二はこのような欧米の先端的な表現技術を研究して、後の『ゴジラ』やウルトラシリーズの礎を築いた。そのプロセスは、戦前・戦後の日本の漫画やアニメがアメリカのディズニーを学んで自己形成したことと並行している。
     SFXの先進地域は欧米であり、日本の特撮はあくまで「後発」であったということは大前提として、しかしそれとともに、日本映画に固有の文脈も無視できない。日本の特撮史は、実は日本映画の「父」と称される牧野省三にまで遡ることができる。
     一九〇八年に京都の横田商会に映画製作を依頼されて、北野天満宮で撮影していた牧野は、フィルム交換の際に役者がその場を抜けたのに気づかずフィルムをうっかり回しっぱなしにしたせいで、人間が突然画面上から消失するという映像を偶然に得る(メリエスにもこれと似た偶然の発見がある)。この種の人間消失トリックを生み出す「カットアウト」の発明をきっかけにして、一九一〇年代には尾上松之助を主演とする牧野の一連の忍術映画が、逆回転や二重露出といった効果も用いながら、カメラマンの小林弥六の尽力のもとで撮られた。横田商会が北野天満宮に近い法華堂(後に大将軍に移転)に撮影所を構えて「日活」として出発するなか、日活の牧野映画は「目玉の松ちゃん」と称された松之助のキャラクター性を存分に生かして、多様なトリック映像を生み出した[3]。この意味で、特撮は日本映画の「起源」に根ざしている。

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  • 京都での人権会議と六四追悼|周庭

    2017-06-21 07:00  


    香港の社会運動家・周庭(アグネス・チョウ)さんの連載『御宅女生的政治日常――香港で民主化運動をしている女子大生の日記』。最近あちこちを飛び回っているという周庭さんは、先月京都で行われた「Human Rights Watch」の人権会議に参加しました。活動家にとって大切な価値基準について、周庭さんの考えを語ります。(翻訳:伯川星矢)

    御宅女生的政治日常──香港で民主化運動をしている女子大生の日記第9回 京都での人権会議と六四追悼

    ▲高橋愛表紙のminaを購入。
    この一ヶ月を振り返ると、今月もまた忙しい時期でした。
    まずわたしの今の状況を説明しましょう。
    わたしは今、台湾に来ています。台中のセブン-イレブンに座って、アイスとおでんを食べながら、この原稿を書いています。わたしは朝台中に到着し、明日には香港へ戻ります。そのあとさらに支度して、明後日にはジョシュアと東京に向かい、インタビュー
  • 【特別インタビュー】大西ラドクリフ貴士 世界の〈境界線〉を飛び越える――Q&Oサイト「ヒストリア」の挑戦(前編)

    2017-06-20 07:00  
    550pt

    Q&O(クエスチョン&オピニオン)サービス「historie(ヒストリア)」を立ち上げ、国際情勢や歴史認識に関する議論を、新しい切り口で可視化しようとしている大西ラドクリフ貴士さん。ネット右翼問題をはじめとする人々の認識の断絶、〈境界線〉の問題を、ボトムアップから更新していくラドクリフさんの取り組みについて、お話を伺いました。
    ▼プロフィール
    大西ラドクリフ貴士(おおにし らどくりふ たかし) 

    1988年兵庫生まれ。起業家。横浜市立大学卒業後、RECRUITに新卒入社。内定者時代に社内新規事業制度「Newring」にてグランプリを獲得し、「Media Technology Lab.(現 新規事業開発室)」にてプロダクトマネージャーとして新規事業立ち上げ。RECRUIT VENTURESに異動し、Open Innovation戦略担当として「Newring」をRECRUIT史上初めて社外に解放。三井不動産、サイバーエージェント、経産省との協業を企画。Recruit Lifestyleでは UX DesignerとしてFintech系プロダクトの新機能立ち上げを担当。2017年4月末に同社を退職し、historieを運営するthe Babels株式会社を創業、代表取締役社長CEOに就任。 世界平和をインターネットからつくる。
    もしジョン・レノンが生きていたら、彼もきっと作りそうなプロダクトを
     ――最初に、ラドクリフさんが取り組んでいる活動についてお伺いできればと思います。
    ラド 5年ほど勤めた前職のRecruitを退職して、the Babels(バベルズ)という新しい会社をこの4月末に立ち上げました。社名は旧約聖書に登場する「バベルの塔」にちなんでいます。この会社のコンセプトは「もしジョン・レノンが今生きていたら、彼もきっとつくりそうなプロダクトを。」です。もし彼が生きてたら、きっと音楽よりもインターネットやスタートアップに夢中になっていたんじゃないかなと、僕思うんですよね。ジョンのプロダクトを勝手に妄想すると、自分のプロダクトの設計思想と近いものを感じていて。だからthe Babelsのコンセプトを人にわかりやすく伝えるときには、もしジョン・レノンが生きていたら彼もきっと作りそうなプロダクトを僕らは手がけていくんだ、と話しています。
    また、僕らは「インターネットから世界平和を作るスタートアップ」とも名乗っています。現在の世界には、人種や宗教やジェンダーといった、さまざまな目に見えない境界線が張り巡らされています。その、トップダウンで作られた境界線の内側に陣取っている人たちは、外側の人たちを無意識に色眼鏡を通して見て批判し、どんな酷いことでも言えてしまう空気がある。その結果、表面的なイメージに引っ張られて、判断や意志決定がされてしまいがちです。
    でも、それって、非常に20世紀的だなあと思っていて。20世紀までの負の関係性を22世紀にまでダラダラ持ち込ませてたらダメだと思うんですよね。21世紀のあるべき姿から逆算したときこの世界に最も欠けているのは、「境界線の向こう側への想像力」だと思うんです。「色眼鏡を外す力」といってもいいのかもしれない。人々の境界線の向こう側への想像力を育てる仕組みを作りたい。それで会社を立ち上げました。

    ▲ the Babels.inc
    ――具体的に、どのような事業を手がけようとしているのでしょうか。
    ラド 歴史的・国際的な問題を議論する「historie(ヒストリア)」というwebサービスを作っていて、6月頭に海外向けにローンチしたところです。たとえば、竹島がどこの国のものなのか。広島・長崎への原爆の投下は正しかったのか。さまざまな議論がありますよね。1つの明確な答えが出にくく、国や民族を跨いで複数の観点があってもいいような、そういった問題に特化したQ&Aサービスです。
    ただ、Q&Aサービスってどれも「ベストアンサー」を決めちゃうじゃないですか。the Babelsの会社内部では、自分達はQ&Aではなく「Q&O」(クエスチョン&オピニオン)サービスを作ってるんだと言っていて。これって発明だと思ってるんですけど、歴史とか政治や国際問題って決して唯一の「アンサー」(答え)にならないわけですから、Q&Aじゃダメなんですよね。1つの質問に対して多様な「オピニオン」(意見)を複数同時に見せられる仕組み、UI、デザインを意識してQ&Oサービスを作っています。各ユーザーから寄せられたオピニオンをビジュアライズし、双方の陣営の意見を「見える化」していく。そのことによって、反対意見を持つ人々への想像力を高めるのが目的です。
    ユーザーはひとつのトピックについて、自分の立場を選んでからディスカッションを始めます。さまざまな立場のユーザーから投稿された意見が、並列に並んでいるようなイメージです。Q&Aサイトはベストアンサーを返すことが目的ですが、ヒストリアはアンサーをひとつに限定しない。あらゆる事象を平面ではなく立体で捉えたい。意見が分かれそうな質問をどんどん投げて、意見を立体化させます。システム的にもUI的にも非常に難易度高いんですけど、意見のグラデーションをもっとビジュアル化していきたいと思っています。
    このサービスを、まずは米国西海岸のリベラルな層に届けていきたいと考えています。僕らはまず何よりもオピニオンメーカーを大事にしたいと思っていて、海外のオピニオンメーカーに1人1人メッセージを送るなど泥臭くアプローチすることから始めています。オピニオンメーカーの意見のうち評判の良いものが重点的に反映されるようにしていきます。プロダクトを初めから全て英語ベースで作ったのも、日本よりも先に米国で展開するのも、米国の方が議論の文化が根付いているからです。米国や欧州で議論される場所として根付いた後で、日本に持って来ようと思っています。


     
    ▲「historie」
    ――挑戦的なサービスになりそうですね。このアイデアが生まれたきっかけを教えてください。
    ラド 僕は多民族が暮らす地域で育ったのですが、そこでは仲が良い関係にある人々も、民族や国家についての議論になると、平気でお互いディスり合ってしまう。そういった状況を解決する方法をインターネットから作れないかとずっと考えてきました。
    学生時代に、世界共通言語をボディランゲージで作るCGMを作っていました。たとえば「お腹が空いた」を表現するボディランゲージを世界中のユーザーにアップして評価し合ってもらい、Facebookのデータから、どの地域・民族で伝わりやすいかを調べて、世界共通のボディランゲージを見つけて増やしていくんです。でもこれって、既に引かれている境界線をいかに飛び越えるかという対症療法的なアプローチにすぎないんですよね。そのとき、そもそもなぜ境界線が生まれているのかが気になったんですね。そこを掘っていくと、どうしても歴史教育にたどり着く。国によってびっくりするくらい教えられている内容が違っていて、そうすると前提が違いすぎますから、子供達が大人になって議論をしようとしても「そりゃ意見も合わないよな」と。
    今の歴史教育の形態は本当によくないと思います。もちろん、国や権力者には国民に信じてほしいストーリーがあって然りなので、国によって教えられている歴史が違うのは、構造的に仕方のないことではあるんですよね。ただ、そのワンサイドストーリーだけが子供達にインストールされている状況がよくない。ワンサイドストーリーだけで教えられると、別のストーリーを受け容れられなくなって、むしろ境界線の向こう側への想像力が減退しますから。世界を減退させるための教育なんてかなりクレイジーじゃないですか。バベルズではいずれ、Q&Oで集めたコンテンツを基に、世界中で提供可能な歴史の電子教科書の製作や、境界線の向こう側への想像力を育てるためのオンラインインターナショナルスクルールの運営をやりたいと考えています。いわば「バベルスクール」ですね。
    宇野 アイロニカルな名前のスクールだね。旧約聖書の「バベルの塔」といえば分割の象徴だから。
    ラド 神からトップダウンで与えられるのではなく、人間たちがボトムアップで手を合わせて乗り越えようとした背景が、僕達の思想に非常に近いと思ったので。 空想的で実現不可能な計画を比喩的に「バベルの塔」と呼んだりしますが、でもどうせスタートアップするなら、そのぐらいがちょうど良い。人類にとって本当に意味のある問題解決に時間を使いたい。 そういう解釈でいいかなと思ってます。
    歴史に対して「食べログ」的なアプローチをしたい 
    宇野 ラドさんがヒストリアを設計するにあたって、CGMという方法にあえて注目したのは、なぜですか?

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