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  • 與那覇潤×宇野常寛 ベストセラーで読む平成史――『ウェブ進化論』と『電車男』(PLANETSアーカイブス)

    2019-04-30 07:00  

    今朝のPLANETSアーカイブスは、「文學界」に掲載された與那覇潤さんと宇野常寛との対談をお届けします。インターネットが普及し、様々な新しい文化が花開いたゼロ年代。そんな時代状況をそれぞれのかたちで映し出し、ベストセラーとなった2冊の本から、日本のウェブ空間と「近代的個人」の問題を読み解きます。(初出:『文學界』2014年10月号) ※この記事は2014年10月9日に配信された記事の再配信です。※この記事の前編はこちら
     
    與那覇 前回は平成の政治家二人の書物を取り上げて、ウェブ世代にとっての「政治」の新しいフォーマットとはなんだろうかという話になりました。今回はインターネット界隈から生まれた2000年代半ばの二冊のベストセラーから、ウェブ体験が私たちの社会をどう変えたかを考えたい。
    まずは梅田望夫さんの『ウェブ進化論』(ちくま新書、2006年)。「〇〇2・0」というすっかり定着したフレーズも、同書が唱えた「Web2.0」が元祖でしたよね。新しいインターネットの上では「誰もが自由に、別に誰かの許可を得なくても、あるサービスの発展や、ひいてはウェブ全体の発展に参加できる」(120P)。不特定多数の力が何かを生むことを信じて、みずからの情報データベースをどんどんオープンにしてユーザーを獲得していく、Googleやアマゾンがその象徴だと。
    宇野 この本は一時期、不当に槍玉に挙がることが多かったと思うんです。要するに、日本のブログ社会は梅田さんの予想するようなかたちで個人を啓発し、その創造性を引き出す、というかたちでは進化しなかった。「自立した個」の絶対数がインターネットによって増えて、その結果「一億総表現社会」になる、といった近未来は来なかったわけです。そしてその一方で、どちらかというと、2ちゃんねるやニコニコ動画といった、匿名もしくはハンドルのユーザーが集まる、日本的なムラ社会に適応したサービスが集団主義的なクリエイティビティを発揮していった。しかし、梅田さんがこの本で書いた未来予測で、現実と大きくずれていたのはこの部分くらいだし、それ以上に当時この本を読んで沸き立った読者の方が、梅田さんの主張を願望込みで過大に受け取って、そして勝手に裏切られたと思っている側面も大きいと思うんです。
    與那覇 ブログ社会については後ほど議論するとして、いま読むとそれ自体に意外の念を受けるのは「インターネットは終わった」と言われた時期がかつてあったということ。2000年代初頭にITバブルがはじけて、シリコンバレーも沈鬱な状態になった。しかしそれは終わりではなく始まりなんだ、というメッセージで「2.0」という表現が使われているわけですよね。
    歴史研究者として面白かったのは、ブライアン・アーサーの「技術革命史観」を引用するところです(42P)。19世紀の鉄道革命のときだって、一回バブルははじけてる。しかし真に不可逆的な変化というものは、それを乗り越えて結局普及していくんだ、という教訓を引いています。

    ▲梅田望夫『ウェブ進化論』(2006年)
    ■「総表現社会」はなぜ挫折したか?
     
    宇野 インターネットの登場は単なる情報産業の効率化か、それとも人間観や社会観を根本から揺るがす変化か。梅田さんは迷うことなく後者なんですよね。僕もそう思います。オールドタイプからは「結局インターネットなんて情報を集めて拡散するだけだ」とか「ネットワークからは本質的な表現は出てこない」という意見が出てくる。でも、それは、グローバル化が進むとネット右翼が出てくるのと同じで、一種のアレルギー反応にすぎないと思う。
    與那覇 宇野さんが「過大に受け取って勝手に裏切られた」と仰ったけど、いま『ウェブ進化論』についてよく叩かれるのが、同書がうたった「総表現社会」なんて来なかったじゃないかと。アメリカのブロゴスフィアのように、メッセージ性のあるブログがどんどん立ち上がってネット上で討議する空間が出来上がるんだみたいな夢物語を、煽ったけど失敗しました、みたいに言われる。
    今回読みなおすと、これはちょっとかわいそうな評価で、まず総表現社会といっても本当に全員が情報発信するとは書いてない。クラスに一人くらいいた「ちょっと面白いことをいう奴」がセミプロ的にブロガーになって、総計で全人口の一割ほどの読者層を獲得する、くらいのビジョンです。また、興味深いのはむしろ、日米の同一性ではなく差異の方に目配りしているところ。「米国は米国流、日本は日本流で、それぞれのブログ空間が進化していけばいいのだと思う。たとえば、日本における教養ある中間層の厚みとその質の高さは、日本が米国と違って圧倒的に凄いところである」(144P)と書かれていて、米国流に日本が合わせろという話では、必ずしもないんですね。
    宇野 当時、20代後半だった僕のイメージでは、いちばん盛り上がっているブログは技術系だったんですね。プログラムも書ければ、自分でサイトも構築できるような人たちが「こういうやり方が有効だ」という話を共有しているページが一番盛り上がっていた。
    與那覇 「プチ・シリコンバレー」的なITテクノロジストの共同体であれば、日本でも米国と割りあいに似たものが作れた。言い換えると、フューチャリストとしての梅田さんのビジョンを挫折させたのは、日本が強いとされたはずの「中間層」が、その後に続かなかったからだということになる。その理由はどうご覧になりますか。
    宇野 梅田さんの予測が現実とずれてしまったところがあるとしたらそこだと思うんですよ。要するに「教養ある中間層の厚みとその質の高さ」が存在しないことが、この10年で、それも皮肉なことにインターネットのせいで完全に可視化されてしまった。
    あるいは10年前はまだ、アンテナが低くなりすっかり問題設定の能力もクリエイティビティもなくなってしまった新聞やテレビといったマスメディアに対して、インターネットから若く、そして力のあるほんとうのジャーナリズムや文化発信が生まれると信じられていた。しかし後者はともかく前者は残念ながらほぼ破綻しているわけですね。あれほど当時テレビ文化を軽蔑していたアラフォーのネット文化人とその読者たちが今何をやっているか。一週間に一回目立っているひとや失敗した人をあげつらって袋叩きにする。そして自分たちはその叩きに参加することで「良識の側」にいることを確認する。要するに自分たちがさんざん軽蔑してきたテレビ文化と同じことをやっているわけですよね。
    與那覇 悪い意味でワイドショー的ということですか。要するに、日本の中間層って人口的には分厚いかわり、クオリティ・ペーパーじゃなくてスポーツ新聞を手に取る人々だったと。戦後の一億総中流というのも、そういう意味だったので。中間層が自分たち自身を「社会で公的な役割を果たすべき、ハイブロウな中産階級」としてではなく、「そのへんのおっちゃんおばちゃん」として自己規定していることの表れだから。
    宇野 クオリティ・ペーパーをとっている人たちも似たようなもんだと思いますよ。たとえば震災とその後の原発事故のあと、文学や美術といったハイカルチャーにかかわる人たちに「放射脳」と呼ばれるような陰謀論者が少なくないこともネットが可視化してしまったわけですからね。
    でも僕の認識ではそれは決してSNSの普及で起こったことじゃない。この本が出るずっと前からそうだったんですよ。
    だから僕は梅田さんのシナリオは、かなり手前の段階で挫折していたと思う。僕の記憶でも、2005年~06年ころのブログの世界で、それも社会や文化の話題で注目を集めていたのは、基本的にはそういった、梅田さん風に言えば質の高くない中間層によるソーシャルいじめ的な「炎上」案件で、本質的な議論や独立した読み物は注目を集めなかった。
    與那覇 ブログ論壇でもオープンなアリーナで議論を戦わせるというよりは、井戸端会議というか、知りあいどうしで「口喧嘩」の野次馬をしあうような感覚になっちゃっていたと。SNSという言い方が流行るのは、FacebookやTwitterが上陸した2000年代末からですが、ブログ時代から日本人はコメント機能なんかをSNS的に使ってきたわけですね。
    宇野 象徴的に言えば「『はてな』が何も残さなかった問題」ですね。
    與那覇 しかしこの本は、梅田さんが最後その「はてな」の創立に関わるところで終わっているのですが……。
    宇野 当時僕が、雑誌を作ることにこだわってたのもそこなんですよね。ブログ論壇で発信する限り、そこでの「空気」を読まなきゃいけなくなってロクなコンテンツを出せないし、質の高い記事も評価されない。だから別の回路を作らなきゃいけないと思って紙の雑誌(PLANETS)をつくったんですよ。
     
     
    ■LINE、ニコニコ動画の優位とは
     
    宇野 要するに梅田さんの予測と現実とのズレがどこにあったのかというと、ブログ論壇的な中間層が想定よりずっと生産性が低く、ムラ社会のネットいじめしかできなかったのに対し、匿名的、半匿名的な趣味や世間話のコミュニティばかりが発達し、結果的にはクリエイティビティも後者のほうが高かったということなんですよね。
    ところで、僕自身のSNSの使い方としてはLINEをよく使うのですが、あれは完全に閉じた仲間内の中でダラダラとしたコミュニケーションをとる、という、いわば「おしゃべり」の楽しさですね。逆に、TwitterやFacebookは、自分の言論活動のツールとして、もっといえば「宣伝媒体」として活用している。
    そんな僕には日本のブログ空間というのは非常に中途半端に見えます。日本語に閉じられているし、かといって「顔が見える」ような近さでもない。匿名ゆえの「炎上」や「叩き」が横行し、梅田さんが想定していたような知的発信の場としての可能性が摘まれてしまっているのではないでしょうか。
    與那覇 なるほど。僕は自分ではやらないからよくわかりませんが、LINEは情報発信のツールではなく、人間関係のメンテナンスツールというわけなんですね。
    宇野 その通りです。LINEは、設計思想的にはガラケー(ガラパゴスケータイ)のiモードの子孫なんです。iモードはeメールをカジュアルなおしゃべりを楽しむものにしたことが革命的だったと言われています。要するに携帯電話で使用するショートメールというものは端的に要件を伝えるものだった。しかしiモードはそこに絵文字をはじめとするエンターテインメントの要素を盛り込んでいった。LINEの「スタンプ」なんかは、その延長線上にあります。
    與那覇 学生たちと話すと、彼らにとっての「ソーシャル」って社会ではなく「世間」なんですね。だからリア友対象のLINEが一番使われるし、Twitterでも近況報告とか文字通りの独り言のみで、「社会に向けて」は全然発信しない。リツイートされるってこと自体が想定外なので、「RT欄に表示があるなんて先生はすごいですね」と言われたことがあります。
    宇野 僕は人間というのは、実はそんなに開かれた広場に出てきたい生き物ではないと思うし、開かれた広場があると社会がうまく回っていくという発想も疑問なんですよね。現にこうして日本のネット社会を見ていると広場を形成するブロゴスフィアのほうが陰険で非生産的だという現実がある。だから僕はインターネットのもうひとつの可能性を考えたほうがいいと思うんですよ。みんなインターネットというと、世界中につながるGoogle的なものを想定すると思うんです。しかし、閉じたつながりが並列されたLINE的なものだって、インターネットの生んだ社会なんですよ。
    與那覇 インターネットに関する議論はよく「情報社会論」といわれるけど、情報というよりも紐帯、否むしろ情報なき紐帯を強化する方向への進化が起きたということですね。総表現社会のうち、みんながつながりあう「総」の部分だけが実現して、パブリックに意見を表明する「表現」の部分は全部落ちた。
    宇野 これからの社会を考える時に、情報なき紐帯をどう活用するのかをしっかり考えることは、意外と大事な気がします。それが、アジア発のウェブ社会の姿かもしれない。
    與那覇 ただ、それって要するに開発途上国的ということではないですか。人的紐帯はどんな世界にもあるけど、市民社会は先進国にしかない。顔見知りどうしが井戸端会議をしない国はないけど、政治的な公共圏のある国は限られる。
    宇野 西洋近代の雛形から遠ざかると後進的、というのは僕にはちょっと同意できないのですが……。それに、僕が言っているのは人間というのはどうしようもなく身勝手でワガママな存在なので、現実を受け入れた上でその欲望を逆手にとった制度設計をしないと、この種の議論は絵に描いた餅で終わってしまう。だから、実際に匿名空間から「表現」を生んだケースについてしっかり評価しなければいけない。
    たとえば濱野智史さんが指摘するように日本的共同性にマッチしたユーザー環境をうまく作ったのがドワンゴだと思うんですね。ブログ文化がうまくいかなかったのは、そこにインターネット上の「世間」が誕生してしまったからだと思うんですよ。しかしニコニコ動画はその半匿名性を利用して、井戸端会議的なコミュニティの濃さと、それが固定しない流動性の高さを実現していった。その結果、高いクリエイティビティが生まれていった。これは西洋近代的な市民社会をネット上にどう実装するか、という発想からは絶対に出てこない。
    與那覇 いや、後進的といいたいのではなくて、仰るように少なくとも西洋近代的なそれとは違う。むしろ逆の方向性を持った何かだということをはっきりさせておきたいということですね。よしあしは別にして、日本のウェブ進化の方向性をめぐって一種の「転向」があったことは間違いないのだから。
    ふと連想するのは「大正教養主義から昭和農本主義へ」の流れです。阿部次郎の『三太郎の日記』とか、世界に通ずるコスモポリタンを目指して最初は輝かしかったはずのものが、後になってみるとすごく閉ざされた「意識の高い俺アピール」に見えてしまう。で、みんな「あれはイタい」と思って、周囲の個別具体的な対人関係をリア充化していく方向に走る。
     
     
    ■95年の煩悶から05年のベタ回帰へ宇野 ここで『電車男』(中野独人著、新潮社、2004年)についても見てみましょうか。文化史的な話をすると、『電車男』は、オタクのカジュアル化のメルクマールですよね。ネタになるということは、その問題をシリアスに捉えている人間が少なくなっているということです。M君事件の頃には、これはできなかったでしょう。
    與那覇 2005年には、人気俳優を使って映画とドラマにもなった。要するにオタクというものが異星人じゃなくて、サラリーマンとかOLとか弁護士とかと同類の「ごく普通に劇中で演じられるキャラのジャンル」になった。
    宇野 同じ時期にアニメ版『涼宮ハルヒの憂鬱』もヒットしていますが、世の中はつまらないから、本当に宇宙人が居ればいいのにと思っていたオカルト狂いの女の子がちょっと部活をやってみたら、結構普通に友達ができて、わりと楽しいという話なわけですよね。そのことが象徴するように、オタク的なものが、居場所のなさを異世界に解消していく、といったパターンが完全に終わり、現実の中でカジュアルに居場所を見つけられるようになった。今思うと、そこにもソーシャルメディアの発達が、一役買っていると思います。
    與那覇 宇野さんの『ゼロ年代の想像力』のラストが、まさにその「セカイ系の女の子=涼宮ハルヒが日常回帰していく」という話でしたよね。同書には「95年の思想」というキータームがあったけど、僕は「05年の思想」というのがありえるのかなという気がしています。
    電車男ブームが起きた2005年は、平成史的にみると日本人の「ベタ回帰元年」だったのではないか。政治的には「郵政解散」でちょっと吹っ切れていたけど、この年は愛知万博(愛・地球博)の年でもある。開催前は「高度成長期でもあるまいし、いまさら万博かよ」みたいにインテリ層は言っていたけれど、意外とこれが当たっちゃうわけでしょう。で、同じ年に『ALWAYS 三丁目の夕日』も大ヒット。電車男現象もいま振り返ると、2ちゃんねるは怖いとか、オタクは危ない人だと思っていたら「なんだ。普通に女の子とデートしたがってる、しごく平凡な人たちじゃないか」ということを、社会全体で確認する儀式だったように見えますよね。
    宇野 その指摘は面白いですね。戦後的な文化空間が、多分下部構造的にも、コミュニティ的にも、コンテンツレベルでも解体されていったのが95年だとすると、それをどう維持、あるいは再構築するのかを考えたのが、その後の10年です。戦後的なアイロニーが使えないなら、別のアイロニーは可能か、みたいなことをずっとやってきた。だけれど、結局、ベタ回帰した。
    その背景にはインターネットが代表する情報技術の発達があったわけです。「アイロニカルな没入」がなければロマン主義的に振る舞えないのが戦後社会だとするなら、この時代は物語の力が内面に作用するアイロニーから、社会心理学や行動経済学的に人間の心理を操作するアーキテクチャーに没入の支援装置が変化したわけです。「今更こんなベタな物語にハマれないよ」という自意識を突破する方法が、このころ文化空間の「空気」から、ウェブサイトの導線設計やゲームデザインに変化した。「電車男」はその代表的なコンテンツで、「いまさらこんなベタな話にはまれないよ」と思っていた人たちが、「2ちゃんねる」の匿名空間に自分も参加する、あるいは参加できたかもしれないリアリティがあるとすんなり泣くことができた。いわば「アーキテクチュアルな没入」ってやつですよね。
    與那覇 「95年の思想」の典型として挙げられたのが初期の宮台真司氏であり、右傾化する直前の『ゴーマニズム宣言』であり、『新世紀エヴァンゲリオン』(旧版)でしたね。彼らは、自分が正しいと信じるものが結局は「自分にとっての正しさ」に過ぎないという逆説に煩悶するとともに、それを受け入れて生きる道を模索したと。しかし、それらは結局、決断主義への衝動の前に崩壊した。そう説いた宇野さんは一方で、「05年の思想」にはある程度肯定的なわけですね。
    宇野 というよりも、不可避だと思うんですよ。「95年の思想」というのは戦後の終わりのことです。冷戦が終わっている以上、それを肯定しても否定しても仕方がない。
    與那覇 ただ、ベタ回帰って「思考停止」という側面もあるわけでしょう。戦後の日本がいかに「平和」や「正義」を普遍的に語ろうと、それらは実は、冷戦体制の特殊な地政学の下で享受される賞味期限つきの特権に過ぎなかった。そのパラドクスに気づいて、さあどうする、というのが「95年の思想」ですよね。
    しかし「05年の思想」では、「そんなこじれたこと考えたってしゃあないやん」となってしまう。前回取り上げた、93年の小沢一郎『日本改造計画』は「パラドクスを解こう」としていたけど、06年の安倍晋三『美しい国へ』は「日本にパラドクスなんてない」と言い張るのと、それは正確に対応します。
    宇野 僕は2005年のそれが単純なベタ回帰だとは思ってないんですよ。それを言ったら、いわゆる80年安保の反動としてのポストバブル期の90年代ベタ回帰のほうがよっぽど酷かった。そもそも、「昔のようにこじらせろよ」と若いオタクたちに説教しても絶対に空振りになるだけですよ。だって、かつてオタクたちをこじらせていた社会環境自体が変化しているんだから、こじらせをバネにしたものとは異なった表現を生む回路を発展させるしかないし、現にそうして成果を上げてきた現実が既にある。
    與那覇 加藤典洋氏の論文「敗戦後論」もまた「95年の思想」だったわけですが、その用語でいうと戦後日本という国自体が「ねじれ」を帯びざるを得ない位置にいたわけですよね。そのせいで、突き詰めて物事を考えるとみんなこじれたわけで。僕は、日本国民が自意識の上でベタに回帰しても、日本という国の立ち位置自体はベタな「普通の国」にはなってくれないものだと思うんですよ。その状況をこじらせずに「普通に」受けとめちゃう人の方が、マスになったときちょっと怖いなという気持ちがある。
    宇野 だから、集団的自衛権の問題でも冷戦下の国際情勢が変化して、戦後的な「ねじれ」の力が弱まった以上、日本は「普通の国」になった上でどうリベラルな外交戦略をとっていくかを議論したほうがいいに決まっている。そんな当たり前のことがなんで昔の左翼の人にはわかんないのか、僕には不思議ですらあるんですが。

    ▲中野独人『電車男』(2004年) ■参加型コンテンツだった「電車男」
     
    宇野 ベタ回帰ということで言うと、もう一つは『電車男』の「いい話」性ですね。2ちゃんねるという悪口を書くことがデフォルトの世界で「めしどこか(教えてくれ)たのむ」と書きこむと、みんな答えてくれる。
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  • 與那覇潤×宇野常寛 解釈改憲と『戦後』の終わり (ベストセラーで読む平成史 テーマ:『美しい国へ』と『日本改造計画』)(PLANETSアーカイブス)

    2019-04-29 07:00  

    今朝のPLANETSアーカイブスは、「文學界」に掲載された與那覇潤さんと宇野常寛との対談をお届けします。政治家が筆を執りベストセラーとなった『美しい国へ』(安倍晋三)と『日本改造計画』(小沢一郎)の2冊の本から、1990-2010年代の政治状況の変遷を読み解きます(初出:『文學界』2014年9月号) ※この記事は2014年9月11日に配信された記事の再配信です。
    宇野 僕は1978年、與那覇さんは79年生まれとほぼ同世代です。つまり、平成の始まった1989年頃がちょうど十歳前後で、記憶に残る最初の大きな事件は、昭和天皇の崩御だったりします。その意味では、「平成」はまるごと自己形成期と重なります。
    しかし、僕たちより一回り下の平成生まれの学生たちと話していると、オウム事件や9・11ですらリアルタイムの出来事ではなく、そうした事件とその後の言論のもつ「文脈」が見えなくなっている印象を持ちます。
    與那覇 大学で日本史を教えていても、そのことは強く感じます。若い人のあいだで「戦争の記憶が風化している」なんてよく言うけど、実は毎年8月に定期的にコンテンツが供給される戦時期はまだましで、「戦後の記憶」、特に直近の過去の記憶こそ一番風化している。ネット右翼や陰謀史観のように、戦後の価値を全否定する極端な言説が横行するのも、そうした「同時代史の不在」が大きな要因だと思います。
    宇野 この「ベストセラーで読む平成史」という対談シリーズは、平成年間にベストセラーになった本を、與那覇さんと一緒に読み返すことによって、「今」がどう作られてきたかを考えてみたいという趣旨です。
    第1回目は、『美しい国へ』(安倍晋三、2006年、文春新書)と、『日本改造計画』(小沢一郎、1993年、講談社)です。このセレクトについて、與那覇さんの方から少し補足してもらえますか。
     
     
    ■「自分語り」の政治学
     
    與那覇 「次はこの人だ」と目された政治家の著作がベストセラーになる現象は戦後に3回あって、古くは、首相になる直前に出た田中角栄の『日本列島改造論』(1972年)。残り2回は平成に入ってからで、新党を作って自民党を割るタイミングで出た小沢さんの『日本改造計画』と、小泉政権の後継は確実と言われた時期に安倍さんが出した『美しい国へ』ですね。
    いままた総理をされているので安倍さんの方から行くと、第一次政権では「戦後レジームからの脱却」、つまり正面切っての戦後批判を掲げていたのが、第二次政権では結局「実は解釈改憲で、集団的自衛権は行使できるんです」という路線になった。戦後憲法の全面否定という色を薄めたわけです。アベノミクスといわれる経済政策にしても、公共事業を中心とした戦後自民党的な再分配体制からの、脱却というよりは「延命策」に見える。平成初頭の『日本改造計画』と比べると、現状変革のボルテージがだいぶ落ちていますね。
    宇野 最初に立場を明確にしておくと、僕は安倍政権の外交安全保障政策には強く危うさをおぼえているし、解釈改憲をめぐるものごとの進め方も当然支持することはできない。その上で今回、『美しい国へ』を読み返して、この数ヶ月の集団的自衛権をめぐる安倍政権の舵取りを見ていて思うのは、この二回目の安倍政権はいわゆるリベラルな知識人や文化人が口汚く罵るような強権なファシズム的なものでもなければ、カルトな右翼思想にとりつかれた誇大妄想狂でもないということです。むしろ、安倍晋三という政治家はこの『美しい国へ』を書いた当時の失敗を経て非常にしたたかに、そして冷静に現実を分析できるようになっている。ただ、こうしたしたたかさと現実主義を武器に彼が成し遂げたい「理想」は、個人史的なものに根ざした、非常に危ういものであることは間違いない。実際、この本を読んでいると、こういっては何だけれど、意外と普通のことしか書いていない。戦後的なシステムは耐用年数が過ぎているけれど、いきなりドラスティックには変えられない、だからバランスを取ってうまくやっていこう、といったあたりがこの本を書いた当時の安倍首相の基本スタンスです。しかし、その一方で軍事・外交や歴史認識の話題になると途端にトラウマ語りモードになる。
    外交や社会保障などの実務的な政策については案外普通で無難なことしか言っていない。かたや、歴史認識といった部分になると、いきなり情緒的でわけがわからなくなる。その落差がすごい。
    與那覇 特攻隊員の日記に感動した、とか映画『ALWAYS 三丁目の夕日』はすばらしい、とかですね。
     
    情緒的ということでいうと、小沢さんの『日本改造計画』は「自分語り」を一切しないんですね。純粋な政策論だけで、本人の生い立ちとかは全く語られない。対して安倍さんは情念の人で、『美しい国へ』の前半は自らの一族の「無念語り」です。祖父・岸信介は国民のために行った安保改定を大バッシングされ、父・安倍晋太郎は外相として心身をすり減らして総理になれずに亡くなった。そうして自分が後継になったら、議員としての初仕事がなんと社会党首班の実現だった(村山自社さ連立内閣、94年成立)。この怨み晴らさずにおくものか、という思いが行間から滲み出ている。
    宇野 この落差が安倍晋三という個性なんでしょうし、その厄介さを理解した上で攻略しない限り、すべての安倍批判は空回りしてしまうんじゃないかって思うんです。マッチョな主張で人気を集めているその一方で、こうしてトラウマも隠さないし、Facebookで愚痴も言う。僕はまったく共感できないけれど、そこが人間臭くて共感を持つ人は多いんじゃないかと思うんですよね。少なくとも、保守っぽい連中ってバカだよねって目配せし合っているリベラル知識人よりは共感を集めやすい。そしてこの人は少なくとも今はそのことに気付いている。たぶん安倍晋三という政治家は、そういう人間的な弱さの魅力を、コントロールするんじゃなくて、ずっと出し続けるんだと思いますよ。
    與那覇 祖父が国民の憎悪を一身に浴びたことのある一族だからこそ、心底「いまは違う。ぼくは国民に愛されている」って思いたいんだろうなという感じがしますね。極めて個人的な動機で「戦後レジーム」から脱却したい。
    宇野 具体的にはそこでいわゆる「ネトウヨ」との幸福な共犯関係が生まれているわけでしょう。
    與那覇 とにかく何かつぶやくと、「いいね!」が殺到する。
    宇野 実際に、「いいね!」がたくさん集まって気持ちがほっこりしてるんだと思うんですよ。あれだけマスコミに叩かれて退陣した人が、奇跡の復活を遂げてインターネットで直接国民の支持を目の当たりにする。そんな共犯関係が生まれている状態で、安倍晋三は日本のヒトラーだ、さあ、明日にも戦争が始まるぞって子どもっぽい印象操作で攻撃しようとするとかえって彼らの結束を固くしてしまうだけだと思うんですよね。
    與那覇 同感です。むしろ批判している左翼の支持者のほうが減っていくのではと、心配になりますよね。
    宇野 安倍首相のああいったナイーブな部分とFacebookが結びついたとき、はじめて政治と直接つながっているように思えた国民は多かったんだと思うんですよ。
    與那覇 「私的なことは政治的だ」というのがフェミニズムとか、新しい社会運動のスローガンだったけど、いまは逆に「政治的なことは私的だ」の時代なんじゃないかな。安倍さんの「爺ちゃんの名にかけて」は、そこにマッチする。
    宇野 そして僕の実感ではこうしたリアリティに惹かれているのは何も自信のないネット世代の団塊ジュニア以下の男性、いわゆる「ネトウヨ」だけじゃない。その外側にも、かなり本格的に拡大している。いまとなっては僕は安倍政権の支持母体って、ネトウヨ的な層はごく一部でしかないと思うんですよ。洗面器の底に穴が開いていると水は汲めないから民主党ではダメだ、と消去法で自民党を支持している〝ライト(軽い)なライト(右)〟が大半で、その感覚は、リベラルたちが思っているよりも安全保障に関心が高いんじゃないか。
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  • 脚本家・井上敏樹エッセイ『男と×××』第47回「男と食 18」【毎月末配信】

    2019-04-26 07:00  

    平成仮面ライダーシリーズなどでおなじみ、脚本家・井上敏樹先生のエッセイ『男と×××』。今や高級食材として店頭に並ぶようになった筍(たけのこ)。地中にあるうちに掘り出して調理するのが美味とされる一方、伊豆にはそれとは真逆の秘密の食べ方があるとか。筍の採取と調理法をめぐる極上の薀蓄が展開されます。
    男 と 食  18      井上敏樹 
    先日、電車に乗っていたらチャラチャラじゃらじゃらした若い女のふたり組がひと目も憚らず大声で馬鹿話を交わしていたのだが、そのうちにひとりが『昨日サザエさん観たら、マス男さんがキャバクラに行く話だったのでびっくりした』と言ったので、なんだか妙に安心した。さて、今年も筍の季節である。筍と言えば昔は庶民の食材で、我が家でも春になると必ず食卓に登ったが、今やすっかり高級食材になってしまった。ある料理研究家が『主婦たる者年に一度は筍を湯がくべきである』と語っていたが、昨今本当にいい筍を手に入れようとすると、財政的に相当の痛手になろう。最高級の筍と言えば、やはり京都は塚原あたりの、いわゆる白子筍という事になる。
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  • 猪子寿之の〈人類を前に進めたい〉第34回「密度を活かしてアートを〈自然〉に高めたい」

    2019-04-25 07:00  

    2018年最後の配信は、チームラボ代表・猪子寿之さんの連載〈人類を前に進めたい〉。今回は上海の燃油タンク跡地をリノベーションした美術館・TANK Shanghaiでオープニングを飾るチームラボの展覧会がテーマです。工業地帯からIT都市へと生まれ変わりつつある地区に、なぜ今、現代アートが集結しているのか。議論は都市とアートの関係から、密度や混ざり具合の違いが人間の認識や行動に与える影響にまで広がっていきます。
    ▲チームラボは、中国・上海のTANK Shanghai(上海油罐芸術中心)にて、オープニング展「teamLab: Universe of Water Particles in the Tank」を開催中。会期は8月24日まで。
    上海で燃油タンクが美術館になる意味

    宇野 今回は上海で3月23日から始まった「teamLab: Universe of Water Particles in the Tank」に来ているわけだけど、まずは、この展覧会のコンセプトの話から聞きたいな。
    猪子 この美術館、TANK Shanghaiは、燃油タンクの跡地の建物をそのまま使ってつくられたもので、そのオープニングのエキシビジョンのオファーがチームラボに来たんだよね。この美術館は私設なんだけど、オーナーの喬志兵(チャオ・ジービン)氏が世界でトップ200に入るような、中国を代表する現代アートのコレクターなんだ。そんな彼が燃油タンクをリノベーションして現代美術館にしたんだよね。
    この西岸(ウェストバンド)エリアは、もともと川崎みたいな工業地帯だったんだけど、都市が拡大したことで工業地帯が移転して、今はアート地区みたいになってる。有名どころだと、火力発電所の跡地を国立の美術館にした上海当代美術博物館とか、現代アートの美術館の龍門雅集とか。六本木ヒルズに蜘蛛みたいな大きな彫刻があるでしょ。あれを作ったルイーズ・ブルジョワの大規模な回顧展をこの前まで開いていた龍美術館とかがある。あと余徳耀美術館(Yuz Museum)には『レイン・ルーム』が常設されてる。Random Internationalというアート集団の、雨の中を歩いても濡れないという作品ね。あれが常設されているのは以前はここだけだったんだよね。今はドバイにもあるらしいけど。
    とにかく、ルイーズ・ブルジョワにしても『レイン・ルーム』にしても、世界的に見てもすごい作品で、それらを展示するパワフルな美術館が集まってる。この一帯は今後さらにパワーを持つエリアになっていくと思う。
    TANK Shanghaiはその地区の一番端になるんだけど、敷地内にあるタンクのうちの一つでチームラボは個展をしています。あとの二つは、中国を代表する現代アーティストたちのグループ展と、アルゼンチンを代表するアドリアン・ビジャール・ロハスの展覧会になってますね。
    会場は2フロアあります。まずは2階に上ってもらうと、燃油タンクの形状をそのまま使った、『Universe of Water Particles in the Tank, Transcending Boundaries』(以下『滝』)と『花と人、コントロールできないけれども、共に生きる、Transcending Boundaries - A Whole Year per Hour』(以下『花と人』)という作品を展示しています。燃油タンクって本当に巨大で円形だから、その中に一つの小宇宙を作りたいと思って、水の流れと生と死を繰り返す花の作品が共存している空間を作った。
    ▲『Universe of Water Particles in the Tank, Transcending Boundaries』

    ▲『花と人、コントロールできないけれども、共に生きる、Transcending Boundaries - A Whole Year per Hour』
    そして、燃油タンク沿いに階段をおりていくと、1階では『Black Waves: 埋もれ失いそして生まれる』という波の作品を公開していて、来場者がさまよって方向感覚がわからなくなるような空間の中で、さらに三つのディスプレイ作品を展示している。大枠で言うとそういう展覧会です。
    ▲『Black Waves: 埋もれ失いそして生まれる』

    宇野 まず作品の外側の話から始めたいんだよね。猪子さんが意識しているかはわからないけど、場所に意味が出ちゃうっていうこと。つまり、なぜあのタンクが美術館になったかというと、中国の沿岸部が経済発展してるってことだよね。燃油タンクって20世紀的な工業社会の重工業の象徴で、それがITを中心とした新しい産業の都市の中心にあるってことだから。
    猪子 まさにその通りで、燃油タンクの目の前に超巨大IT企業の上海オフィスが建設されている最中なんだよ。
    宇野 ITって実体を持たないじゃない? 工業社会では燃油タンクや工場といった目に見えるアイデンティンティがあったけど、IT社会ではそれを持てないから、代わりにアートで確立しようとしてると思うんだよね。ただ、自分たちのアイデンティティを、建物というモノによって記述するのは、その発想自体が工業社会のセンスだと思う。
    チームラボがシリコンバレーやシンガポールに招かれたのも、それらの都市がアイデンティティを求めていたからで、都市が新しいステージに上がって自信をつけようとしたときに、それにふさわしいアートを備えようとするのだと思う。この地域に新しい美術館がつくられているのは、情報社会に生まれ変わった上海の新しいアイコンになろうとしているからだと思う。かつて燃油タングが並んでいた場所だからこそ、たとえばアリババやテンセントみたいな巨大IT企業の支社ができなきゃいけないし、新しい美術館ができないといけない。これは猪子さんが意図していなかったとしても、結果的にそういう意味が後から追いかけてくると思う。
    猪子 なるほどね。もちろん建物を壊さずにそのまま使うのがカッコいいという、世界的なリノベーションの流れもあると思うけどね。彼らには日本のような20世紀へのノスタルジーは全くないし、世界の中心は自分たちだと本気で思っている気がする。ただ事実として、宇野さんの言うように、かつての工業地帯が今は美術館エリアになっているし、IT企業のオフィスがつくられている。
    宇野 今後、IT企業のオフィスができたとき、この地区は新しい意味を持った場所になると思う。それこそ工業社会から情報社会に移り変わったことの象徴としてのね。そのときに、巨大IT企業の支社だけでなく美術館があるというのが現代的だよね。
    以前、映像圏のカルチャーからもう一度、アートに揺り戻しが来るんじゃないかという話をしたけど(参照)、そういうことだと思うんだよね。アートというのは、鑑賞者にとっては固有の体験になるから。20世紀は、モニターの中で皆が同じ夢を見るということばかりを追求していた100年間だったんだけど、その揺り戻しが明らかにきている。そういう意味で、あそこに美術館がいくつもあることには意味があると思うよ。
    作品に「360度」包まれる

    宇野 しかしここの展示、つまり2階の、まさに燃油タンクの中にあたる部分の展示は圧巻だね。球形の空間の内壁がそのまま作品になっていて、鑑賞者が360度包まれるというのは、実は今まではあまりやってこなかったよね。いまだに僕も消化しきれていないんだけど、これはいろいろ応用できる気がする。
    猪子 ちょっと近いのが豊洲(「チームラボプラネッツ TOKYO」)のドーム(『Floating in the Falling Universe of Flowers』)だよね。でもそちらは、ドームであることすら感じさせない作品だけど、今回はタンクの形状をより意図した作品だから。
    宇野 豊洲ではどこに壁があるのかわからないような空間に没入させられるけど、今回は明確に球体の内側に閉じ込められていることを自覚せざるを得ない。視覚的にも新しいし、あの閉じ込められている感覚は面白い。床と壁が全部作品で、ぐるっと包まれている。この表現が正しいかはわからないけど、妙な安心感があるよね。
    猪子 一つの小宇宙というか、箱庭みたいだよね。
    宇野 僕はジオラマが好きなんだけど、あの感覚に近いなと思っていて。世界をまるごと手に入れたかのような錯覚。チームラボの一連の作品は自然のようなエコシステムを作り上げているわけなのだけど、それに360度囲まれるというのは、自分が一つの小宇宙を手に入れたような感覚がある。今回の作品はタンクの建物に合わせた、素材の面白さを引き出すためのアプローチを取ったのだと思うんだけど、すごく応用可能性があると思う。これは大事なことで、パリ展とかボーダレスのような大規模展示を見ちゃうと、全部あれの部分輸出に見えちゃうわけ。そうじゃない戦い方をするには街の文脈と対決する、つまり、この場所でこういう展示をするのはどういう意味があるかを追求するか、あるいは建物という素材に徹底的に向き合うかしかない。それは今後、チームラボが世界中のいろいろな都市で作品を展開していく上で重要なことだと思うんだよね。そこからはまた別の意味が出てくると思うし。
    今回の作品でいうと、この地域でやっていることの意味と、360度という作品のコンセプトがうまく組み合わさると、より重層的になるのかなと思った。場所と建物に、今回の展示は結果的にかもしれないけれどしっかり向き合ったものになっていると思う。
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  • 長谷川リョー 考えるを考える 第15回 ITビジネスの原理をファッションに転用「インターネット時代のワークウェア」発明に挑む ALL YOURS・木村昌史

    2019-04-24 07:00  

    編集者・ライターの僕・長谷川リョーが(ある情報を持っている)専門家ではなく深く思考をしている人々に話を伺っていくシリーズ『考えるを考える』。今回は、「LIFE SPEC」をコンセプトに、日常で感じるストレスを無くすプロダクトを開発するファッションブランド「ALL YOURS」代表取締役の木村昌史氏にお話を伺います。大手アパレルブランドでの勤務を経て同ブランドを立ち上げた木村氏は、「かっこよさ」「見た目のデザイン」「権威」といった従来のアパレルブランドの常識にとらわれず、「週7日でも着たくなる『インターネット時代のワークウェア』」づくりに挑戦。24ヶ月連続でクラウドファンディングを展開し、総額5000万円以上を集めたのみならず、日本のファッション業界でもっとも権威ある賞の1つ「毎日ファッション大賞」にもノミネートされています。インターネットの登場によって生じたファッションの社会的立ち位置の変化、実は100年前から存在していたDtoCモデルの歴史から、ヒッピー文化にも通ずる「内面」志向、そして木村氏の活動に通底するアービトラージ思考と“狂気”にまで迫ります。(構成:小池真幸)
    「着ていることも忘れてしまう」服をつくりたい–––インターネットは、ファッションの社会的ポジションをいかに変質させたのか
    長谷川 木村さんとは、2019年2月に開催された古本市「ツドイ文庫 vol.4」でご挨拶した以来ですよね。本日は取材を快諾してくださり、ありがとうございます。
    まず木村さんが手がけているファッションブランド「ALL YOURS」について伺いたいのですが、立ち上げはいつ頃だったのでしょうか?
    木村 2015年です。いま4年目ですね。
    長谷川 立ち上げ以前は、どのようなご活動を?
    木村 もともとは、株式会社ライトオンで店長職や本部勤務に従事していました。その後、ジーンズの製造メーカーに転職し、ALL YOURSを立ち上げるまで1年ほど働いていましたね。
    長谷川 ライトオンからジーンズのメーカーに転職されたのはなぜでしょう?

    木村 ALL YOURSが掲げるコンセプト「LIFE-SPEC」(日常生活で必要な機能を合わせ持ち、ストレスから人を解放する製品、サービスのこと)にも関わってくるのですが、「ヒトの身体に一番近い道具」としての洋服に関心があって。
    長谷川 だからこそ、いわば「作業着」で「道具」的であるジーンズに関わることにしたのですね。
    木村 結局、1年後には「他に同じようなことを考えている人がいないから、自分で作ってしまおう」と思い直し、ALL YOURSを立ち上げることになったのですが(笑)。
    僕が高校生だった時期くらいまで、洋服は自己表現の手段でした。雑誌で最新のトレンドを確認し、自分の志向性に合ったファッションを身にまとう。結果、人びとが裏原系や渋谷系といったセグメントに分かれていきました。「何を着ているか」で、その人の志向性が読み取れる時代だったんです。
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  • 『消極性デザインが社会を変える。まずは、あなたの生活を変える。』第11回 人はなぜ「じゃんけん」で決めてしまうのか? 〜AI時代の意思決定のヒント〜(渡邊恵太・消極性研究会 SIGSHY)

    2019-04-23 07:00  

    消極性研究会(SIGSHY)による連載『消極性デザインが社会を変える。まずは、あなたの生活を変える。』。今回は渡邊恵太さんによる寄稿です。私たちの身近な意思決定の手段のひとつである「じゃんけん」。簡易かつ合理的な方法ですが、参加人数が増えると必ずしも効率的ではありません。じゃんけんに象徴される「どうでもいい意思決定」を効率化する、新しいテクノロジーを提案します。
    じゃんけんと意思決定の消極性
    たとえば、6個入りのシュークリームを5人で食べ、1つあまったシュークリームを誰が食べるのかを決めるのに、5人のうち2人が食べたいと申し出てしまうような場合、どうやってそれを食べるべき人を決めればよいでしょうか。
    たぶん、そこで必ず出てくる方法が「じゃんけんで」ということかと思います。 しかし、私たちは「じゃんけん」という方法をなぜ使うのでしょうか?そして、いつまでこの方法はベストな方法として使われるのでしょうか?
    じゃんけんの日常性
    じゃんけんは、三すくみの構造を利用した勝ち負けを決める遊びなわけです。じゃんけんは昔からある遊びですが、遊びである以上に、私たちの生活の中で子供から大人の世代まで幅広く、さまざまな状況で使われます。
    朝、フジテレビの「めざましテレビ」では、めざましじゃんけんをやっていますね。「サザエさん」でもじゃんけんをしています。これらはエンターテイメントとしてでしょう。それ以外にも、スポーツの先手を決めるのにもじゃんけんを使うことがあります。1つ余分にあまったおやつを誰が食べるのかを決めるのにじゃんけんすることもありますし、学校や会社組織で順番決めをするときにもじゃんげんを使うことがあります。じゃんけんはそれ自体が、遊びとしてのエンターテイメントだけでなく、日常的な決めごとの問題解決の手段をして利用されていることがわかります。
    今回はこの「じゃんけん」という方法で物事を「決める」という意思決定や、「抽選」という方法について考えていきたいと思います。だいたい、じゃんけんで決めなければならないことは、積極的に決めたいことというより「決まらない」「決めるのが難しい」ということが問題となったときに使われるため、消極的なシチュエーションといえます。このじゃんけんという方法は、消極性の文化を支えてきたともいえますし、この方法によって意思決定に折り合いつけて、物事を次のステップへ進めてきた方略とも言えます。さて、まずはじゃんけんの特徴について考えていきたいと思います。
    じゃんけんの特徴
    よくじゃんけんの話になると、そのゲーム性からの確率論が多く話題になります。そういう研究をしている人もいます。今回注目するのはインタラクションデザインの観点でのじゃんけんです。じゃんけんは日常化していることから分かるように、優れた特徴がたくさんあります。じゃんけんの特徴をちょっと言語化しまとめてみました。
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  • 宇野常寛 NewsX vol.28 ゲスト:久保田大海「仮想通貨の現在と未来」【毎週月曜配信】

    2019-04-22 07:00  

    宇野常寛が火曜日のキャスターを担当する番組「NewsX」(dTVチャンネルにて放送中)の書き起こしをお届けします。3月26日に放送されたvol.28のテーマは「仮想通貨の現在と未来」。CoinDesk Japan編集長の久保田大海さんをゲストに迎え、投機対象としてのブームが過ぎ去ったかに見える仮想通貨に、今、どのような動きがあるのか。トークンエコノミーによる活用の可能性や、ブロックチェーン技術が象徴する時代的潮流について議論しました。(構成:佐藤雄)
    NewsX vol.28 「仮想通貨の現在と未来」 2019年3月26日放送 ゲスト:久保田大海(CoinDesk Japan編集長) アシスタント:加藤るみ
    宇野常寛の担当する「NewsX」火曜日は毎週22:00より、dTVチャンネルで生放送中です。 番組公式ページ dTVチャンネルで視聴するための詳細はこちら。 なお、弊社オンラインサロン「PLANETS CLUB」では、放送後1週間後にアーカイブ動画を会員限定でアップしています。
    1ビットコイン225万円のピーク、90億流出事件……「激動の3年間」を経た仮想通貨のこれから
    加藤 NewsX火曜日、今日のゲストは編集者でCoinDesk Japan編集長の久保田大海さんです。よろしくお願いいたします。久保田さんと宇野さんはどういったきっかけでお知り合いになられたんですか?
    久保田 僕は以前出版社に勤めていました。初めて作った『ゲーミフィケーション』という本がありまして、著者がゲーム研究者の井上明人という方なんですね。あとから知ったんですが、井上さんがPLANETSに原稿を書いていたんです。
    宇野 井上明人くんはPLANETSによく書いてくれている僕の仕事仲間で、彼の最初の本を作ったのが、この久保田さん。そういったつながりなんですよ。
    加藤 そして「CoinDesk Japan」というのは?
    久保田 仮想通貨とブロックチェーン、このふたつの領域を扱うメディアです。名前に「Japan」と付いていているんですが、アメリカが本国のサイトになります。アメリカでは数百万人の読者をもつ大きなサイトで、また毎年ニューヨーク市と組んで「Blockchain Week」っていうイベントをやっています。その中でもCoindeskが主催する「Consensus」というカンファレンスが世界で一番集客する仮想通貨関連のイベントになっています。日本版はちょうど2019年3月創刊したばかりのサイトになるんですけど、創刊特集で日本でブロックチェーンや仮想通貨に縁のある方々、慶応大学の坂井豊貴先生、家入一真さん、このあいだ『ニムロッド』で芥川賞をとった上田岳弘さん、面白法人カヤックCEOの柳澤大輔さん、孫泰蔵さん、LINEの出澤剛CEOとかいろいろな方に登場していただいています。仮想通貨やブロックチェーンって遠い存在だと思うんですけど、近い未来このテクノロジーがどう経済や社会を変えていくのか、という点にフォーカスしたメディアですので、こういった方々に未来を語っていただいただきました。
    加藤 そして今日のテーマがこちらです。「仮想通貨の現在と未来」です。
    宇野 去年や一昨年くらいに仮想通貨関連ってすごくいろいろなことがあった。それがちょうど一段落したタイミングではあると思うんだよね。だからこのタイミングで投機対象うんぬんということは横においといて、仮想通貨とその背景にあるブロックチェーンが僕らが生きてるくらいの近未来に、どういったインパクトをもたらす可能性が高いのかを改めて議論したいと思います。
    加藤 では最初のキーワードにいきましょう。キーワード①「激動の3年間」です。
    宇野 この3年間ですごく状況が動いた。この3年間の流れを整理することによって、逆に今の仮想通貨の状況をまるごと整理できると思う。その整理をお願いしたうえで後半の議論に入っていきたいと思っています。
    久保田 早速ですがスライドを使ってざっとこの3年間を説明していきたいと思います。

    久保田 まず価格のピークだったのは忘れもしない2017年12月17日。1ビットコインが225万円という凄まじい価格がついてました。今は40万円ちょっと(※価格は放送当時)の価格がついていて、痛い目をみた人もたくさん居るだろうと思います。そのときの時価総額は世界一の小売業者であるウォルマートと同じくらいの規模まで膨らんでいました。

    久保田 日本仮想通貨交換協会が発表してる統計がありまして、去年の12月に発表されたものです。平成30年12月次の月間の取引高が7千7百億円弱になります。証拠金取引高という、いわゆるレバレッジをかけて取引していた額が8兆4千億円となりまして、これが投機的と言われる由縁なのかなと思います。外国為替市場もまったく同じだと思うんですけど、ゲーム的な感覚で取引してる人が多いことを示す統計なんじゃないかと思います。

    久保田 こちらみなさん記憶にあるかと思うんですが、去年2018年1月にCoincheckで680億円という非常に大きな金額が流出したわけですね。そのあと2018年9月にも70億近くの流出がありました。このあたりで仮想通貨は怖いってことが一気に社会に流布したようなタイミングでした。同時にこれをもとに金融庁がどういうルールを設定していったら良いのかという議論が進んだ1年でもありました。
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  • 【インタビュー】森田創 戦後の日本野球は何を生み出し何を失ったのか・後編(PLANETSアーカイブス)

    2019-04-19 07:00  

    今朝のPLANETSアーカイブスは、草創期のプロ野球を描いたノンフィクション『洲崎球場のポール際』著者・森田創さんのインタビューの後編をお届けします。プロ野球人気の高まりと逆行するように衰退していく六大学野球。その一因となったのは、GHQが推奨したラジオ中継の存在でした。今後の大学野球のあり方や、沢村栄治ら往年の名選手たちの伝説的プレーはどう捉えるべきかなど、草創期の記憶を辿りながら戦後の野球文化について考えます。(聞き手/構成:中野慧) ※この記事は2016年10月25日に配信された記事の再配信です ※本記事には、前編と中編があります。

    森田創『洲崎球場のポール際 プロ野球の「聖地」に輝いた一瞬の光』講談社、2014年
    ■「GHQの意向を汲んだライブコンテンツ」としての戦後プロ野球
    ――戦前は大学野球が非常に人気があって、後発のプロ野球は大学野球に負けていたということですが、その力関係が並列ないしはプロのほうが上になっていったのはいつぐらいなのでしょうか。
    森田 これはいろんな議論があって「長嶋茂雄が昭和33(1958)年に巨人に入るまでは人気も実力もプロ野球より六大学のほうが上だった」という人もいますが、僕は実力自体はプロのほうが上だったと思います。六大学は週末しか試合がなくて年間30試合が最大なんですが、プロは最初の年は別としても昭和12(1937)年から100試合前後やっているわけで、それだけたくさんの試合をしていればどんどんうまくなりますよね。しかもプロ野球選手は野球で生計を立てていくしかないから危機感も全然違う。
     戦争直後のゴタゴタの時期には、兵隊に取られて戦死してしまった選手もたくさんいたので一時的にプロのレベルは下がったようですが、昭和30(1955)年ごろには戦前のレベルに戻ったと言われています。
    ――人気の面ではどうでしょうか。
    森田 人気面は、長嶋がプロ入りするぐらいまでは六大学のほうが上だったかもしれません。ただそれはあくまでも東京地区の話で、全国的にはプロ野球のほうが人気だったと思います。
     メディア論的な観点から言えば、戦前も真珠湾攻撃の日までテレビが実験放送されていましたが、主要なメディアはやはりラジオ。終戦直後、GHQはそのラジオを「民主主義を広めるためのツール」として活用したんです。当時のGHQにとって、日本人の赤化を防ぐことが至上命題で、そのための特効薬が天皇制とベースボールだったわけですが、ベースボールはアメリカの国技であり、GHQの信じる「民主主義」と相性が良かったんですね。実際にGHQは大量のゴムを日本に持って来て、何十万個という軟式ボールを全国に配り、野球のさらなる普及を図っています。
     で、当時のラジオは今のように切れ目なく放送していなかったんですが、GHQが出した指示は「切れ目なく放送せよ」。そのためにプロ野球が一気に中継されるようになったんです。ラジオは夕方の時間であればニュースや芸能、ラジオドラマがあるんですが、午後に放送するものが少なかった。当時のプロ野球は昼間にやっていたので、空白地帯を埋めるのに都合が良かったんです。こうして野球人気は一気に高まっていったんです。
     もちろん戦前からラジオでプロ野球中継をやってはいたんですが、一番良いアナウンサーは六大学野球、なかでも早慶戦の実況中継を担当するという位置づけで、プロ野球はあくまでも1〜2年目の駆け出しアナウンサーの練習台だったんです。当時のプロ野球って六大学野球に対抗するためにもっとスピーディーにやろうという方針で、試合展開が早くて平均で80〜90分ぐらいで試合が終わっていた。テレビのような映像のない状態でヴィヴィッドに、かつ的を射た実況をしなければいけないので、アナウンス技術を磨くためには良い素材だったんですね。戦前に駆け出しだったNHKの志村正順さんのような人が、戦後には中堅どころになっていて、彼らの実況をコアにしてプロ野球中継がどんどん人気が高まっていったんです。
    ■戦後日本社会のなかの六大学野球
    ――最近、六大学野球は各大学の校風を象徴するようなポスターを制作していて、ネットでも話題になっていました。ただ不思議なのが、果たしてそこまでして人々は六大学野球に対して盛り上がらなければいけないのか? ということだったんです。
    森田 まあ、六大学の人たちの側からすれば「六大学野球は人気がなければいけない」という思いがあるんでしょうね。大学のプロモーションとしても六大学野球は効果的なコンテンツだったので。
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  • 本日20:00から放送!宇野常寛の〈木曜解放区 〉 2019.4.18

    2019-04-18 07:30  
    本日20:00からは、宇野常寛の〈木曜解放区 〉

    20:00から、宇野常寛の〈木曜解放区 〉生放送です!〈木曜解放区〉は、評論家の宇野常寛が政治からサブカルチャーまで、既存のメディアでは物足りない、欲張りな視聴者のために思う存分語り尽くす番組です。今夜の放送もお見逃しなく!
    ★★今夜のラインナップ★★メールテーマ「マイブーム」今週の1本「キャプテン・マーベル」アシナビコーナー「ハセリョーPicks」and more…今夜の放送もお見逃しなく!
    ▼放送情報放送日時:本日4月18日(木)20:00〜21:30☆☆放送URLはこちら☆☆
    ▼出演者
    ナビゲーター:宇野常寛アシスタントナビ:長谷川リョー(株式会社モメンタム・ホース代表)
    ▼ハッシュタグ
    Twitterのハッシュタグは「#木曜解放区」です。
    ▼おたより募集中!
    番組では、皆さんからのおたよりを募集しています。番組へのご意見・ご感想、
  • 卒論の季節と大学生になるということ|周庭

    2019-04-18 07:21  


    香港の社会運動家・周庭(アグネス・チョウ)さんの連載『御宅女生的政治日常――香港で民主化運動をしている女子大生の日記』。この3月は卒論に取り組んでいたという周庭さん。高校時代から学生運動に参加していた彼女にとって、日本よりもはるかに狭き門である香港の大学に合格することは、自身の活動を大人たちに認めさせるという意味でとても重要なことでした。(翻訳:伯川星矢)

    御宅女生的政治日常――香港で民主化運動をしている女子大生の日記第26回 卒論の季節と大学生になるということ
    忙しかった3月がやっと終わりました。
    忙しいと言ってもやるべきことはたった一つ、卒論を完成させることだけです。 もともとは去年のこの時期に終わらせている予定だったのですが、立法会選挙の出馬で1学期休学したので、卒業計画もそのまま一年遅らせることになりました。わたしの同期はほとんどが去年卒業したので、正直ちょっと寂しいです。