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  • 帰ってきた『哲学の先生と人生の話をしよう』 第2回テーマ:「他人と一緒にいること」 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.082 ☆

    2014-05-30 07:00  
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    帰ってきた『哲学の先生と人生の話をしよう』第2回テーマ:「他人と一緒にいること」
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.5.30 vol.82
    http://wakusei2nd.com

    かつてこのメルマガで連載されたあの伝説の人生相談が、満を持して再登場! 連載再開2回では、「他人と一緒にいること」にまつわる悩みに國分先生が答えていきます。
    『哲学の先生と人生の話をしよう』連載第1期の内容は、
    朝日新聞出版から書籍として刊行されています。

    ▲國分功一郎『哲学の先生と人生の話をしよう』(朝日新聞出版、2013年)
     
    書籍の続編となる連載第2期「帰ってきた『哲学の先生と人生の話をしよう』」の最新記事が読めるのは、PLANETSメルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」だけ!過去記事はこちらのリンクから。
     
    連載再開第2回のテーマは、「他人と一緒にいること」。
    恋人でも結婚相手でも、友達でも同僚でも、子どもでも――。
    誰かと一緒にいることについての悩みに、國分先生が答えていきます。
    それでは、さっそく今回寄せられた相談を紹介していきましょう。
     
    ■Q1.「母親が遺した飼い犬がどうしても好きになれません」
    コクリコ 37歳 女性 大阪府 自営業
     
     國分先生こんにちは。37歳自営業の兼業主婦です。昨年母が亡くなり、飼っていた犬を引き取りました。一緒に暮らし始めてから一年余りになりますが、正直可愛いと思ったことは一度もありません。母が甘やかしたため我儘放題で、仕事や家事で疲れている時に吠えまくられたりすると「早く死ねばいいのに。」としか思えません。
     もともと犬が苦手というのもあるのですが、それ以上に母との関係が影響しています。
     うちは母一人子一人の母子家庭だったのですが、私が赤ん坊の頃に母が失踪し、5歳まで祖母に育てられました。6歳から再び母と暮らすことになったのですが、母は家事をあまりせず、異性関係も派手で、私はかなりほったらかされて育ちました。しかし5歳まで離れていたせいか「この人に母親らしいことを求めても無駄だ。」と早い段階で悟り、グレたりはしませんでした。
     大人になってからは、母とは親子というより友人のような関係で、最後まで仲は良かったです。
     母は昔から犬を欲しがっていましたが、私はずっと反対していました(母にちゃんと世話ができるとは思えなかったため)。しかし母は10年前、ペットショップで一目惚れしたトイプードルを私に相談もなく衝動買いしたのです。
     私は犬との生活が嫌で家を出て一人暮らしを始めました。数年後母が病に倒れたため実家に戻り、その後私が結婚するまでの5年間はまた一緒に暮らしましたが、母が入院中などどうしても世話ができない時を除いては、犬の存在は極力無視して暮らしました。
     母は予想に反し、犬の面倒をよく見ました。昔から「低血圧で朝は起きられない。」が口癖で、朝食も弁当も作らなかった母が、犬にはちゃんと午前中に起きてご飯をあげていました。
     恥ずかしいことですが、私は犬に嫉妬したのです。私が母にもらえなかった愛情を、何故犬がもらえるんだと。國分先生ともんじゅ君との対談にもあった「私は我慢してきたのに」という感情にとらわれているのだと思います。おそらくこの感情を完全に消すことは一生できませんが、何とかこの感情と、そして犬と、上手くつきあっていくヒントをご教示いただければ幸いです。
     
    ■Q2.「他人の欠点に目が行ってしまい、嫌いな人には真逆の態度をとってしまいます」
    もちぷに 22歳 女性 東京 学生
     
    國分先生、始めまして。ご相談させていただきます。
    私は、現在22歳の学生です。
    (相談に関係のない蛇足ですが、哲学科の者で、先生が書かれた御本をとても面白く読ませていただきました)
    私の悩みは、他人と一緒にいる時に、いちいちその人の欠点に目が行ってしまうことです。
    もともと、誰かと接する時には、この人はこういう考え方や性格の特徴がある人かな、と考えることが好きなのですが、最近それに加えて「この人は子供っぽいな、あんまり関わりたくないなあ」とか「この人はこういうところが頭が悪いなあ」などという判断をしてしまうようになっていました。
    さらに、特に悪い評価や印象を受けた人に対して、私の実際の態度は、なぜか真逆に現れます。
    やさしくしなければ!という思いが出てきて、親しいコミュニケーションを取るようになり、表面上は普通の友だちのようになってしまいます。
    相手に対する評価をしてしまうことと、実際の行動がちぐはぐになってしまうことが、今回のご相談です。
    拙文ですが、お返事を頂けると幸いです。
    よろしくお願いします。
      人生相談再開第二回のテーマは「他人と一緒にいること」にしました。
     このテーマは最近僕が強い関心をもって取り組んでいるものです。実は哲学ではなぜ人が人と一緒にいたいのかについて十分に考えられてきていません。個人がどう生きるべきか、社会の中でどう生きるべきかなどはたくさん論じられています。また、愛とは何かとか、友情とは何かなどもたくさん論じられています。しかし、もっと素朴な問い、なぜ人は誰かと一緒にいたいと思うのか、これが論じられていないんです。
     但し、この問いを逆側から考えた哲学者はいます。それがルソーです。ルソーは『人間不平等起源論』の中で自然状態について考えました。これは一七世紀から盛んに論じられていた概念で、社会や決まり、権力や権威などが一切存在しない状態のことです。生のままの自然の中にいたら人間はどう振る舞うか、それが様々な仕方で考えられたのです。いくつかのバージョンがあるんですが、ルソーのは次のようなものです。
     ルソーによれば、人は自然状態においてはバラバラに過ごしています。なぜなら人は好き勝手に自分の好きなことをしたいからです。食べたい時に食べ、寝たい時に寝る。ですから、平和です。もちろん、小さな小競り合いなどはあるでしょう。しかし、人がバラバラなんだから集団がない。集団がないから戦争もない。ケンカがあるだけです。
     ルソーの自然状態論は、しばしば性善説のように理解されることがあります。しかしそういうことではありません。そうではなくて、自然状態では人間が邪悪になるような条件が整っていないのです。たとえばジル・ドゥルーズはルソーの自然状態を説明して、「相続という制度が発明されれば、人が他人の死を望むことは避けがたい」と言っています。地位や身分が作られれば、人を妬んだり恨んだりもするでしょう。しかし自然状態ではそういうものはない。だから邪悪になりようがない。比較的平和に、そしてバラバラに生きている。
     ルソーはこのバラバラに生きているという点にこだわっており、それを理解せずに半端な自然状態論を展開したジョン・ロックを批判しました。ロックは自然状態にも所有権が認められており、家族があると言いました。男女は交わりを経験すると、生まれる子どもへの自然な愛情を抱き、それによって結びつくと考えたのです。ルソーに言わせれば、ロックは実に抽象的に考えています。セックスをしてから子どもが生まれるまでは10ヶ月ある。この妊娠期間中に男が女に付いて離れずにいる理由はないというのです。「なるほど」と言わざるをえません。ロックという人の思想は、僕に言わせれば全然哲学になっていない。単なる主張です。ルソーの言う通りでしょう。
     さて、ルソーは人々は自然状態ではバラバラに生活していると言いました。そこにはある種の説得力があります。人は何の規制もなければ好き勝手に生きていたいと望むであろうからです。しかし、我々はそうではありません。本当に少数の例外を除き、人は誰かと一緒にいたいと感じます。これはなぜなのでしょうか? ルソーが言っていることと、僕らの現実の感覚と、いったいどちらを信じたらいいのでしょうか?
     おそらく次のように考える必要があります。ルソーは確かに人間のある種の本性を理論的に正確に考察した。しかし、そこで扱われているのはあくまでも本性です。この本性は具体的な人間が経験してきたような歴史をもっていません。僕らはしかし、本性をもっていると同時に、これまで生きてきた歴史をもっている。
     おそらく、この、一人ひとりの歴史というものが、誰かと一緒にいたいという気持ちを生み出しています。ではこの歴史とは何でしょうか? それはもちろんいろいろな特徴を持っています。ですがここで注目したいのは、人が生きてくる中で経験してきた傷です。
     人は様々に心に傷を負っています。そもそも、突然、母体の外に放りだされて息をしなければならなくなること自体が心の傷です。おっぱいを飲みたいのにすぐにおっぱいが飲めないのも傷です。親がいて欲しいときにいないのも傷です。自分が感じたことを話しても全然分かってもらえないのも傷です。友達とケンカしたり、嘘をつかれたり、悪口を言われたりするのも傷です。
     こうして考えてくると僕らは傷だらけなのです。歴史があるというのは傷があるということです。本性には傷はありません。当たり前です。傷がないピュアな状態を理論的に想定した上で論じられるのが本性でるからです。だから、確かに──現実には絶対にあり得ませんけれど──そういうピュアな状態を生きている人間がいるとしたら、ルソーの言うようなことが起きるかも知れません(しかし、息を吸って現実に身を置いているということ自体が傷なので、これは絶対にあり得ないことです。あり得ないことだからこそ、哲学的な思考によって考えなければならないわけです)。
     さて、傷は癒さねばなりません。僕らは数えきれぬほどの傷を負いながら、それを様々に癒しつつ生きている。こういうものなのだと自分に言い聞かせる。何度も反芻してそれに慣れる。他人のせいにする。やり方はいろいろあるでしょうが(しかしここが問題で、いま僕はこの点に最も関心があり、しかもこれは僕の専門のドゥルーズの『差異と反復』という本の反復概念に関わってくるところでして……ここはいつか本に書きます)、とにかくなんとか癒している。
     しかし、たまに自分一人では癒せない傷もあります。それが酷いと精神疾患になったりします。日常生活を送ることが困難になる。
     とはいえ、治癒は必ず一人で癒さねばならないわけではありません。他人の力を借りて癒すこともできるのです。たとえば、自分だけではどうしても慣れることのできないショックな経験。それを人と共有することで治癒できる場合があります。例えば誰かと話す。苦しい思いを人に話すと楽になるというのは、対話作用を通じて何らかの治癒が起こっているだと考えられます(繰り返しますけど、それが具体的に何なのかが問題で、いまそれを僕も反復概念を通じて考えているんですけどね……)。あるいはそうした癒しの作用が互いに心地よいものであれば、二人は愛し合うということもある。というか、馬が合うとか、お互いに好きになるということの根拠には、こうした作用があるんじゃないだろうか。つまり、人と人とが引かれ合うことの根拠には、歴史という名の、人が負ってきた傷の総体が関係しているのではないでしょうか。
     もちろんこの場合の傷は人間の精神作用では一つ一つを確認することができない無数のミクロの傷です。ですから、人と人が惹かれあう作用は、そうした無数のミクロの傷が総体としてマクロ的にもたらす傾向として考えねばなりません。そして、それは現段階の科学や人間の知では確認できませんので、以上述べたことはあくまでも仮説です。しかし、僕はこの仮説にかなり傾いています(繰り返しますが研究中です)。なお、以上の考えは、歴史という名の傷の総体が人間の性格や存在を規定しているという考えにつながるわけですが、この考えは、「断念の積み重ねが人間の性格を形成する」というフロイトの説とも一致しますし、僕はかなり信頼できるものではないかと思っています。
     さて長々と話しました。ここから相談に取り組んでいきたいと思います。
     もちぷにさんの相談は、「他人と一緒にいること」についての相談ではありません。自己意識の問題です。 
  • ドットが描き出す新たな地平―― ナノブロックエキシビション2014レポート&開発者インタビュー ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.81 ☆

    2014-05-29 07:00  

    ドットが描き出す新たな地平―ナノブロックエキシビション2014レポート&開発者インタビュー 
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.5.29 vol.81
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    ダイヤブロックで有名なブロック玩具の老舗、カワダから発売されている、世界最小級ブロック「ナノブロック」。その独自の魅力で大人気を博しているナノブロックが、一年に一回催している作品コンテスト「ナノブロックアワード」の展示会「ナノブロックアワード 2013-2014 エキシビション」が、東京ソラマチで開催されました。日本ならではのアプローチで、ブロックおもちゃの未来を切り開くナノブロック。その魅力と創造性について、[展示編][開発者インタビュー編]のふたつで迫ります。

     
    ▼ナノブロックアワードとは
    ナノブロックのカワダが主催する、公式の作品コンテスト。今回で第4回を迎える。誰でも
  • 起業家・家入一真インタビュー 「何者でもない、みんなが『バカ』になれるオリンピックを実現したい」 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.080 ☆

    2014-05-28 07:00  

    起業家・家入一真インタビュー 「何者でもない、みんなが『バカ』になれるオリンピックを実現したい」
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.5.28 vol.80
    http://wakusei2nd.com

    今日のほぼ惑は、起業家の家入一真さんが登場。「体育会系にルサンチマンがある」と言って憚らない家入さんは、2020年に東京で開催されるオリンピックについていったいどんなことを考えているのでしょうか―ー?
    【PLANETS vol.9(P9)プロジェクトチーム連続インタビュー第7回】 
    この連載では、評論家/PLANETS編集長の宇野常寛が各界の「この人は!」と思って集めた、『PLANETS vol.9 特集:東京2020(仮)』(略称:P9)制作のためのドリームチームのメンバーに連続インタビューしていきます。2020年のオリンピックと未来の日本社会に向けて、大胆な(しかし実現可能
  • 『香港のシャア・アズナブル』梁榮忠、全ガンダム映像作品レビュー ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.079 ☆

    2014-05-27 07:00  

    『香港のシャア・アズナブル』梁榮忠、全ガンダム映像作品レビュー
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.5.27 vol.79
    http://wakusei2nd.com

    香港で俳優として活躍するかたわら、「電撃ガンプラ王・香港大会」で長く審査員を務める、ガンダムファンの香港人、ジョーイ・リョーン氏が全ガンダム映像作品を辛めに全作レビュー!ホンコン・シティに現れたサイコガンダム級の火力で、全てをなぎ倒します。

    ▼プロフィール】 梁榮忠(JOEY LEUNG/ジョーイ・リョーン)

    香港出身の俳優。香港演芸学院戯劇学院芸術修士(俳優専攻)、香港中文大学芸術管理修士。テレビドラマ、ラジオ、舞台、映画、文字、ネットなど幅広いメディアに出演し、20年以上の経験を持つ。香港VTB、ATV、Cable-TVに出演し、中国大陸劇やアメリカ劇の制作にも関わっている。香港では日本特撮とガンダムの
  • 週刊宇野常寛のラジオ惑星開発委員会~5月19日放送Podcast&ダイジェスト! ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.078 ☆

    2014-05-26 07:00  
    220pt

    宇野常寛のラジオ惑星開発委員会~5月19日放送Podcast&ダイジェスト!
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.5.26 vol.78
    http://wakusei2nd.com

    毎週月曜日のレギュラー放送がスタートした「宇野常寛のラジオ惑星開発委員会」。前週分の放送のPodcast&ダイジェストをお届けします。
    5月19日(金)21:00〜放送
    「週刊 宇野常寛のラジオ惑星開発委員会」
     
    ▼5/19放送のダイジェスト
    ☆オープニングトーク☆
    長らく遠ざけていた「東急東横線的なもの」と電撃的な和解を果たし、熱狂的なまでの渋谷信奉を口にする宇野常寛…その理由とは!?
    ☆今週のスケッチブックトーク☆
    複数のお題からニコ生アンケートを利用してトーク内容を決定。「美味しんぼ」をめぐるネットの反応をどう見るのか? そして、初期の『美味しんぼ』の魅力は何だったのか! 
    ☆48開発委員会☆
    「NMB48渋谷凪咲の歌う『虫のバラード』はスゴい」という噂を聞きつけ、劇場公演の映像を見てみた宇野が、驚きの感想を語ります。
    ☆今週の一本☆
    ANN0時代からの人気コーナーが復活!「ガンダムUC」がダメな理由は、バナージ君のプチ活躍→捕まる→おっさんの説教、の繰り返しになっているから!?
    ☆延長戦トーク☆
    今週はどどんと延長戦50分! AKBファンのトミヤマDが聞き手になって、宇野常寛の1位〜80位までの順位予想を徹底解説します。
     
     
  • 「彼女たち」のボーカロイド――"初音ミクの物語"からは見えない世界 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.077 ☆

    2014-05-23 07:00  
    220pt

    「彼女たち」のボーカロイド"初音ミクの物語"からは見えない世界(稲葉ほたて)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.5.29 vol.81
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    今日のほぼ惑は、ネットライターの稲葉ほたて氏のコラム。ネットのアングラ文化の一つとして登場したはずが、いつの間にか現代日本におけるガールズカルチャーの最先端になってしまったボーカロイド。その市場とそれを巡る言説のねじれについて書いています。
    初出:「文化時評アーカイブス2013-2014」,サイゾー・2014
     
     
    ■日本文化の象徴になった初音ミク
     
     ボーカロイド、中でもとりわけ初音ミクは現在、単にネット上の創作文化にとどまらない、現代日本の文化におけるイコンになっている。特に10年代に入ってから、初音ミク関連のビジネスやグッズ展開は著しい。かつてはテレビにミクが登場するだけで事件になっていた時代があったことが、懐かしくさえ思えるほどだ。
     たとえば、ボーカロイド関連のニュースを毎日紹介している「初音ミクニュース」【注1】を見てみよう。毎日のようにボカロ関連の新製品やイベントが登場していることがわかるはずだ。その内容も、もはやフィギュアやCDなどのオタク関連商品にとどまらない。昨年で言えば、少女マンガ誌「りぼん」(集英社)にボカロとコラボした付録が挟まれ、前年のearth  music & ecologyにつづいてMILKのようなガールズブランドもボカロとコラボしている。一方で、ボカロPや歌い手出身の歌手がアニメのテーマに抜擢されるのも、もはや珍しくない。近年は“ぐるたみん”や“りぶ”、伊東歌詞太郎などのような多くの人気の歌い手が商業進出を果たし、オリコンでも好調な成績を上げた。音楽業界における歌い手への注目は、ある意味でボカロP以上に高まる一方である。
     こんなふうにボカロ関連が商業とのコラボを華々しく展開していく状況は2007年、初音ミクの登場したあの夏【注2】から人々が見てきた夢が、まさに実現した状況といえる。
     何らのフィクショナルな物語に裏付けられていないバーチャルなキャラクターが、あたかも身体を持つ我々のごとき実在感を獲得して、市場やマスメディアで氾濫する。それはさまざまな人々の無数の創作やつぶやきの膨大な記憶を背負った「集合知」そのもののキャラクターであった。しかも、その過程でメディアに評価されずに来た数々の才能が表に出ていって活躍を始めていったーーそんな物語の全てがたかだか数年で実現したのだから、これは現代における痛快事と言ってよいだろう。ゼロ年代の参加型キャラクター文化は、ここにおいて一つの達成を見たとさえ言えるのではないだろうか。
     しかし一方で、2012年頃からだろうか。「ボカロの熱気が終わった」という声が、現場の空気をよく知る人々の間でささやかれ続けている。【注3】
     こうした問題に、決定的な形で定量的な回答を出すのは極めて難しい。新規投稿数はともかく、動画の総再生数や市場規模で言えばボカロは拡大の一途だからである。だが、10年代に入っての商業化が、2007年に始まった初音ミクを象徴としたボカロの物語に「上がり」の空気をつくりあげたのは、このシーンを追いかけてきた多くの人の体感ではないだろうか。
     そうした状況の中で、ついに2013年はハイカルチャー側からの接近も始まった。渋谷慶一郎のような現代音楽の作り手が初音ミクでオペラ(『THE END』)を上演したり、六本木ヒルズの森美術館での「LOVE展」に、初音ミクが展示されるということもあった(そこで皇后陛下が「これが、ミクちゃんですか」と口にするという「珍事」もあった)。
     ボカロ文化の商業的隆盛とハイソな人々からの接近が進行する一方で、足下でボカロ離れは着実に進行している――そんなふうに祝祭的な時間の「終焉」「衰退」を物語る声は、いまさまざまな場所でぽつぽつと上がり始めている。
     だが、その「物語」というのは、果たして「誰の」物語なのだろうか。
     
     
    ■「彼女たち」のボーカロイド
     
     一昨年の冬、筆者はボカロ小説について、mothy_悪ノP氏に取材したことがある。ボカロ小説というのは、人気のボーカロイド楽曲の歌詞を小説化【注4】したもので、近年驚異的な売上をあげているジャンルである。mothy_悪ノP氏は、自身の楽曲『悪ノ娘』の小説化によって、このブームの端緒を切り拓いた人物であった。この取材中、とても印象的だったのが、彼とその編集者が「いざ出版してみたら、読者は中高生の女子だった」という話をしていたことだ。当時(2010年)はまだ、ニコニコ動画は主に大学生以上の男性オタクのサイトというイメージが強く、ボカロもまたそのイメージで捉えられていた。そもそも数々の歌い手がステージに上がったドワンゴの「ニコニコ大会議」ツアーで、会場に多くの女子中高生が詰めかけていることが話題になったのが、やっとこの時期のことである。
     この頃に顕在化したリスナーの低年齢化(と、女子)へのシフトが、実際にいつ頃から起きていたのかを特定するのは極めて難しい。だが、こうしたユーザーたちに話を聞いてみると、ryoの『メルト』などの比較的初期に投稿されていた楽曲の思い出が語られるのが興味深い。彼女たちの話を鑑みるに、実は極めて早い段階からボーカロイドには低年齢層のリスナーがついていたのではないかと筆者は考えている。 
  • 【現代ゲーム全史】「ストII」から「バーチャ」へ――90年代の"格ゲー"ブームが変えた風景 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.076 ☆

    2014-05-22 07:00  
    220pt

    「ストII」から「バーチャ」へ90年代の"格ゲー"ブームが変えた風景(中川大地の現代ゲーム全史) 
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.5.22 vol.76
    http://wakusei2nd.com

    今日のほぼ惑は、大好評の中川大地さんによるゲーム史連載。今回は90年代にアーケードを席巻した格ゲーを代表する2作『ストII』と『バーチャ』についての文章です。対戦格闘ブームは一体、何を変えたのでしょうか。
    ■『ストII』と対戦格闘ブームが変えた風景
     
     その名の通り1991年登場の『ストリートファイターII』は、4年前の1987年からアーケードで稼働していた『ストリートファイター』の続編タイトルである。初代『ストリートファイター』は、『空手道』(データイースト 1984年)や『カラテカ』(ブローダーバンド 1984年)、『イー・アル・カンフー』(コナミ 1985年)といった先行作品と同様、基本的には1~数画面分のスクロール幅のサイドビュー型の固定フィールドを「試合場」として、プレイヤーが操るキャラクターと敵側のキャラクターとがステージごとにパンチとキックを基本とする一対一の肉弾戦を行うというタイプのアクションゲームの一つにあたる。このうち、対戦相手のキャラクターをコンピューターだけでなく、もう一人のプレイヤーが基本的に同じ操作条件で操ることができた点が、この種のゲームが「対戦格闘」と呼ばれるようになった所以である。
     ここで先行諸作が概ね空手やカンフー、ボクシングといった単一の競技種目を題材にしていたのに比べ、その名の通り路上での異種格闘技戦をテーマにした『ストリートファイター』では、空手家風の主人公キャラクターが、世界各国の多彩なファイトスタイルを持つ個性的な格闘家を一人ずつ破っていくという趣向が採られた。そして通常攻撃に加え、特定のレバー操作とボタンの組み合わせによるコマンドをアクションの中でタイミングよく入力することで、「波動拳」や「昇竜拳」など相手に大ダメージを与えられる「必殺技」が発動するという従来になかった要素が加えられたことが、本作の最大の特徴であった。
     これにより、スポーツゲームに近かった地味な競技性に、バトルアクションとしての深い戦術性やケレン味あふれるフィクショナルな演出性が加わり、対戦格闘が独自のサブジャンルとして大きく発展する礎が築かれたと言える。
     というのは、1980年代中盤までの2Dアクションの描画表現とゲームデザインの水準では、一対一の対戦格闘は人気ジャンルとなるほどの奥深いプレイ体験を実現することができなかった。そのため、どちらかといえば『スパルタンX』や『魔界村』のように多数のザコ敵を倒しながら横スクロール式のステージを進んでいく、シューティングゲームの発想に近いスクロールアクションが人気を博していたのは、第5章で述べた通りだ。『ストリートファイター』は、このような1980年代的なサイドビューアクションの転機として誕生したわけである。
     
     ここで確立された基本システムを土台に、プレイヤーが操作するキャラクターを前作の主人公だったリュウやケンのほか、中国出身の女性拳法家・春麗やソビエト連邦の巨漢レスラー・ザンギエフなど8人に拡充して選択可能にしたことで、『ストII』はそれまでとは一線を画するプレイヤー体験を切り拓き、大きな飛躍を遂げることになった。
     それぞれのキャラクターは、外見や攻撃のリーチ、スピードなどの基本的な操作性のほか、何よりも必殺技とその発動コマンドの違いによって強く差別化されていた。例えば春麗やガイルは通常技の性能が高く必殺技コマンドが比較的容易で初心者にも扱いやすく、ザンギエフやダルシムは外見にも操作性にもクセがあるが上級者向けの一発逆転の必殺技や勝ちパターンがあるといった特性を持ち、対戦における相性もあった。
     一方で、意匠デザインやバックストーリーの面では、世界各国のイメージを極端にステレオタイプ化し、アメコミヒーローのようなフリーキーさと『キン肉マン』『ジョジョの奇妙な冒険』といった日本の異能バトル漫画などの造形やドラマツルギーが接合した過剰さに溢れるテイストを構築。「外国人が考える間違った日本のイメージ」を自ら先回りしてパロディ的に盛り込んだ相撲レスラーのエドモンド本田に象徴的なように、いったん海外の視点を経由したデザインで、日本のキャラクターコンテンツの文脈を世界化するような様式性を編み出した。このあたりは、漫画やアニメ以上にゲームという市場の国際性が高く、とりわけカプコンというメーカーが北米での反響を重視してきた姿勢の現れでもある。
     このように『ストII』において操作性と必殺技の設計を中核とした独自のキャラクター表現の様式が登場し、これをプレイヤーたちが選んで習熟していくというプロセスが生じたことで、ゲームセンターには新たな文化が生まれてゆく。キャラ選択にはおのずとプレイヤーの技量や性癖が顕れ、ゲーマーとしての自己表現にもなりえたからである。キャラクターメイキング型のRPGのように虚構世界に自分の分身を送り込んで物語や世界観に没入するスタイルとは反対に、ゲームの世界観設定上は様々な動機や物語を与えられているキャラクターたちをパフォーマンス手段としつつも、あくまでも対戦台越しの現実空間にあって、プレイヤーたち自身の文字通りのストリートファイトが繰り広げられていく点に、このゲームがもたらす体験性の特徴があった。
     
     加えてゲーセン空間にとって幸いだった点として、パンチやキックのボタン数がそれぞれ弱・中・強で三つずつとスーファミなどの家庭用ゲーム機の標準的な操作パッドでは対応しづらく、またスティックレバーをダイナミックに動かす必殺技コマンドの入力操作が十字などの方向キーの感覚とは大きく異なるため、コンシューマー移植版ではなかなか習熟することができなかったことも挙げられる。だが、このゲームの設計の帰結として、対コンピューター戦の一人遊びが“練習”に、「乱入」可能な筐体の場合はいつ訪れるかわからない他プレイヤーとの二人プレイこそが“本番”になるという位置づけになる。腕を磨き、誰かと戦い、そして勝利するという、このゲームの本当の醍醐味を味わうためには、どうしてもゲーセンに足を運ぶしかなかった。
     このことは、同時代の業務用ゲームの多くは、コンシューマーゲームに対するクオリティ面での絶対的な優位を失い、ちょうど漫画の雑誌連載と単行本の関係のように「一般ユーザーへのパッケージ版発売以前のヘビーユーザー向けの先行リリース」という程度の差別化しかできなくなっていた中、コンシューマー版発売後もゲーセンへ行くための明確なバリューになったと言える。
     
     かくして『ストII』は、ファミコン登場後は劣勢を強いられる一方だったゲームセンターに久々の風を吹きこみ、プレイヤー同士が一期一会にまみえる腕前の求道の場としての本来の特性を見事に再生させた。これに続々と他社が追随して、対戦台を備える格闘ゲームはフロアを占める新たな花形ジャンルとなり、アーケードゲーム史全体を通じても最大級となるムーブメントへと膨れ上がっていく。
     街々のゲーセンでは名うてのプレイヤーたちが競い合う対戦格闘ゲームの大会が自然発生的に開催され、ここからメーカーやアーケードゲーム雑誌の出版社が主催する公式の全国大会へと発展。まさに「俺より強い奴に会いに行く」というシリーズのキャッチコピーが示す通りの光景が、1990年代の都市空間にまたたく間に増殖していったのである。
     
     
    ■3Dゲーム時代を幕開けた『バーチャファイター』の「未来」感
     
     『ストII』に始まる対戦格闘ブームは92年から93年にかけて、対戦要素を強化した同作のマイナーチェンジ版『ストII’(ダッシュ)』以降のシリーズや、家庭用ゲーム機と業務用基板のハードウェアを共通化した「ネオジオ」での提供を特徴とするSNKの『餓狼伝説』『龍虎の拳』『サムライスピリッツ』の各シリーズなど、ドットグラフィックで描画可能な2Dスプライトアニメ表現の粋を尽くす方向へと進んでゆく。それは基本的には『ストII』が敷いた、様々なバトルものコンテンツの要素をディフォルメチックに融合する過剰なキャラクター表現や派手なエフェクトを伴う必殺技といった路線を踏襲し、そのバラエティや演出、ゲーム上の難易度などをエスカレートさせていくというものに他ならなかった。
     先述したように、これら2D対戦格闘のゲームデザインの根本は、系統樹の元をただせば『魔界村』のような横スクロール型の冒険アクションゲームと同じところに行き着く。すなわち、スクロールするマップでのアスレチック的なジャンプアクションや多数のザコ敵といった障害のかわりに、ただ一人の対戦相手だけでも同等以上にエキサイティングな刺激が得られるようにという発想から分岐してきたものだ。
     そのため、アングルの固定したサイドビュー画面をなるべくダイナミックに使うべく、気功弾のような飛び道具や高いジャンプを多用する空中攻撃といった表現が大きな比重を占め、リアリスティックな意味での「格闘」というよりも日本マンガやアニメで馴染まれていたフィクショナルな「バトル」の翻案に向かっていったと言える。
     
     その意味では、ポリゴンによる3Dグラフィックスを用いた初の対戦格闘シリーズを創始したセガの『バーチャファイター』は、同じ「対戦格闘ブーム」の流れの中に括られながらも、単なる見てくれ上の描画手段の違いにとどまらず、ゲームデザインの発想の進化の上でも『ストII』などとはまったく異なる脈絡から登場してきた代物だ。 
  • 「哲学の先生と人生の話をしよう」特別編!――國分功一郎×二村ヒトシ×有村千佳「ある高校の哲学的な一日」を誌上でほぼ完全に再現 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.075 ☆

    2014-05-21 07:00  
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    「哲学の先生と人生の話をしよう」特別編!――國分功一郎×二村ヒトシ×有村千佳「ある高校の哲学的な一日」を誌上でほぼ完全に再現
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.5.21 vol.75
    http://wakusei2nd.com

    本日の「ほぼ惑」は、哲学者の國分功一郎さんとAV監督の二村ヒトシさん、AV女優の有村千佳さんが出席したイベント「ある高校の哲学的な一日」のレポートです。身近な恋愛論からスピノザの理論にまで迫っていく知的刺激にあふれた議論を紙上で再現しました。

     
    ■登場人物 國分功一郎
    −1974年生まれ。哲学者。高崎経済大学経済学部准教授。著書に『暇と退屈の倫理学』(朝日出版社)、PLANETSメルマガでの人気コーナーを書籍化した『哲学の先生と人生の話をしよう』(朝日新聞出版)など。
     
    二村ヒトシ
    −1964年生まれ。AV監督。慶応大学文学部中退。1997年アダルトビデオ監督デビュー。「女が強く、男が弱いAV」の第一人者として人気を博す。著書に『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』(イースト・プレス)社会学者・上野千鶴子の解説と、二村×國分との対談が話題を呼んだ『すべてはモテるためである』(イースト・プレス)など。
     
    有村千佳
    −1990年生まれ。AV女優。2010年AVデビュー。「かわいくてエロい」魅力と、M男を虜にする「チカッチワールド」の絶妙なトークで世の男性たちを魅了し続けている。出演作に二村が監督する『マブダチとレズれ!』(outvision)など。
     本日の「ほぼ惑」は、2014/3/16(日)に東京ミッドタウンで行われた猫町倶楽部特別イベント、「ある高校の哲学的な一日」の様子をお届けします。本誌の人生相談でおなじみの哲学者・國分功一郎扮する「先生」が、学ラン姿のAV監督・二村ヒトシ、セーラー服姿のAV女優・有村千佳や猫町倶楽部の「生徒」に愛について哲学的授業をするというこの異色の試みは、100名以上が参加し大盛況となりました。
     猫町倶楽部は、毎回一冊をテーマに、時には著者も招いて読書会を行う、日本最大級の読書会サークル。今回、PLANETSでの連載がもとになった『哲学の先生と人生の話をしよう』をテーマにした回でなにやら面白そうな試みがあるらしいということを聞きつけ、PLANETS編集部は特別な許可を得て会場に潜入。本誌の人生相談連載とも関係の深い二村さんの「心の穴」理論から、國分先生の愛の哲学の紹介までを、お二人からも加筆を受けた完全バージョンでお届けします。
     
    ◎構成:立石浩史+中野慧
     

    ▲國分功一郎『哲学の先生と人生の話をしよう』朝日新聞出版、2013年
     
     さて、今回のイベントは、國分功一郎さんが「高校の先生」に扮し、二村ヒトシさん演じる不良高校生や、有村千佳さん演じる優等生の女子高生と対話しながら哲学の授業をするという形式で進行していきました。
     
    ほんのさわりですが、イベント開始時の様子を2分ほどの動画にまとめています。まずはこちらで当日の雰囲気だけでも味わってみてください。
     

     
     トークは、有村さんから國分先生に対する以下のような問いかけでスタートしました。果たして哲学者・國分功一郎は、この悩みにどう答えていったのでしょうか――?
     

    ▲國分功一郎
     
     
    ■「AV女優になりたい」のはいけないことなのか?
     
    有村 先生、あたし、将来AV女優になりたいんですけど、お父さんやお母さんとか、彼氏に猛反対されるんです。AV女優はちゃんとした仕事で、そんなに恥ずかしいことだとは思わないのに……。AV女優になるって、いけないことなんですかね?
    國分 まあ、とにかくAVでもそうでなくても、一般的に「女優」の仕事ってやっぱり大変なんじゃないかな。「アイドルになりたい」「有名人になりたい」っていう夢を持ってる子に対して、親が厳しいことを言うというのはあるかもしれないな、有村がどうしてAV女優になりたいと思っているのかまだわかっていないんだけど、どれくらい大変かは想像してみたの?
    有村 どれくらい大変かとか、仕事量とかはわからないけど、いまのAV女優さんってすごい可愛い子が多くて、なんかアイドル的な存在になっているから、私もそこに入りたいと思ってて……。
    國分 反対してくる彼氏とか親っていうのは、有村にどうしてほしいって言ってるの?
    有村 「そんなはしたないビデオなんかに出るな」「真面目な仕事をしろ」って言われちゃって……。
    國分 有村がやりたいと思ってることを否定されて、親や彼氏が持っている「こういう仕事がいいんじゃないか」という考えを押し付けられた、ってことだね。
     ひとつポイントになるのは、有村が女優という仕事をどれだけ現実味を持って想像しているのか、ということだよね。もしかしたら「お前が思っているほど楽じゃないんだよ」とか、「ちゃんと現実的に考えられてるのか?」という意味もあるかもしれない。
     ただ、有村が今言ったような悩みはみんなも持っているものだよな。周りが求めているものと、自分がしたいことが一致しなかったり、「他人から期待される自分」のようなものに合わせてしまったりして苦しい思いをしたりする。
     

    ▲國分先生の授業を聞く生徒たち(左から2番目=有村千佳さん、右端=二村ヒトシさん)
     
     
    ■この社会で、「女性である」ということ
     
    國分 それと、有村の悩みに関しては、「男と女の差」も少しあるような気がするな。この社会に生きていると、男のほうが「許されている」と感じたりしないか? 女の子のほうが、社会からの「こうしろ」という圧力がすごく強い、という。
    有村 「守ってあげたい」「外敵に触らせたくない」のような感じで、親の意見を押し付けやすい、というのはある気がします。
    二村 たとえば俺が「AV監督になりたいです」って言うと、止める人も中にはいるけど、わりと放っておかれるね。
     有村が「AV女優になりたい」って言ったら、有村のことが好きな男は傷つくかもしれない。かといって「俺は有村のこと好きだけど、やりたいんだったら応援したい気持ちもある」って言うと有村も複雑な顔をするじゃん。それってAV女優がエッチな仕事だからじゃなくて、普通の仕事をやっていても、たとえば会社でセクハラされたりとかそういう心配もあるし、仕事をいつまでやっていつ結婚するのかというような、女性であることで出てくる問題があると思う。男が「俺は俺だ」というとき、「俺は男だ」ということと矛盾しないのに、女の人は「私は私だ」って言うのと、「私は女だ」、というのは矛盾している感じがするんだよね。
    國分 そうなんだよね。前提としてこの社会で男女平等が全然実現していないのは事実なんだけど、それはそれとして、そもそも個人としての男と、個人としての女にかかってくるプレッシャーの質が違う感じがするよね。
     男なら、自分が男であることを全面に打ち出して仕事をしても許される。でも女だとそれがなぜか否定されてしまうよね。
    二村 先生、昔の偉い哲学者は、こういう問題を抱えた女の人を救う方法を提示してないの?
    國分 昔の偉い哲学者じゃないけど、二村ヒトシっていうAV監督が書いたこの本(『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』)にはそのヒントが書かれているかもな。たとえばこの本には、女の人が母親や年上の女性から「男の選り好みしてないでとにかく適当な男と結婚して、とっとと子供産んじゃいなさい。産めばわかるから」とアドバイスされることが多い、と書いてある。
     俺なりに解釈をすると、まさしく俺の研究していたスピノザという哲学者の言っていることと繋がってくる。スピノザは「人間の根本的な感情は、人を妬むというところにある」と言っているんだ。
     なぜその先輩の女性は「あんた子供産みなさい。そうすりゃわかるよ」と言うかというと、おそらくその人は結婚して子どもを産むときに何かを断念したんだと思う。「結婚したり子どもを産んで、自分の人生の可能性が狭められるのはちょっと嫌だけど、でも周りから求められるから仕方なかったんだ」と自分を納得させているんだよね。
     そうすると人間は「あなたは諦めなかったらずるい」「私だって我慢したのにあんたたちだけずるいよ」と、娘や年下の女性に圧力をかけたりすることはあるんじゃないかな。
     たとえば俺のお袋は、女性の専業主婦の割合が一番高かった1970年代半ばに主婦だったんだけど、あの頃主婦だった人たちのなかにはそういう気持ちを持っていた人が多かったと思う。だから、この社会が男中心になっていることももちろん問題だけれど、「負の感情が連鎖して続いていってしまう」という仕組みも、どこかでうまく断ち切っていかないといけないんだ。

    ▲二村ヒトシ『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』イースト・プレス、2014年
     
     
    ■「私はこうしたんだから、あなたがそうしないのは許せない」という憎しみの連鎖を断ち切るには
     
    二村 でも、問題を抱えたお母さんだけがそれをやるんじゃなくて、先生や男たちもそういういうことをやったりするよね。俺が親になったときに子供にどう接すればいいんだろう?
    國分 まず、自分がされて嫌だったことは子どもに対してしないということが大事だよな。二村は親にどういうことをされて嫌だった?
    二村 殴られたりしてはいないけど、家で酔っ払っているのは嫌だったね。
    國分 でも自分がやられた嫌なことって、けっこう他の人に対してやってしまうんだよね。じゃあ、どうやったらやらないようになるかっていうことだよな。
    二村 そこで言うと、自分がやられて嫌で傷ついていることって、大抵は親にされたことじゃないかな?
    國分 そうかもしれない。やっぱり親にやられたことってすごく心に残っていて、それを繰り返してしまう。ただ、それを繰り返さないで、うまく自分で乗り越えていったこともあっただろ?
    有村 でも先生、それって「我慢」じゃないですか? 「人にやられたことを自分ではしない」って思ってやらないってことは、自分は我慢しているんですよね。そういうのって、負の連鎖を断ち切っていることにはならないと思うんですけど……。
    國分 つまり、「やられて嫌なことを本当は自分も繰り返したいと思っちゃうけど、それはやめておこう」と思って我慢するのであれば、それは全然解決になっていないということだね。
     そうではなくて、何か別のものによって、それが解消されなければならない。スピノザは、それを「よろこび」と言っているんだ。簡単にいうと「幸せ」のことなんだけどね。スピノザは「幸せの気持ちが高まっていくと、人を妬んだりすることはなくなっていく」と言っている。
    二村 あまっちょろいことをいうと、相手が大事な人だと思っていればその人に対して悪いことをしなくて済むと思うんだ。でも、その「相手が大事」というのがどういうことか、よくわからない。
     「相手が好みのタイプだから」「この人はいいことをしてくれたから」と思っているとそれは有村の言うような「我慢」になるし、たとえ「本当に好きだから大事にしよう」と思えたとしても、それってつまるところ性欲じゃないの? って思うんだけど。
     
    ▲二村ヒトシさん
     
     
    ■「心の傷」を持っているのは、「人の心を持っている」ということ
     
    二村 子どものときってみんな愛されたと思ってるけど、本当はなにか「足りないもの」があって、大人になって恋人ができたときに、「本当はこういうふうにしてもらいたかった」というのをその恋人にぶつけて、だいたい喧嘩になるよね。
    國分 その「足りないもの」を二村ヒトシさんは「心の穴」って表現しているんだよね。人は小さい頃からのいろいろな境遇や人間関係で、心に穴が開けられている。その穴を埋めるように恋をしてしまうと、失敗してしまうと彼は言っている。
     先生が研究している哲学の考えでは、それはどっちかというと「心の傷」って感じかな。人間は生まれたときからとにかくずっと傷を受け続ける。もともと「生まれた」ということ自体が傷なんだ。
     生まれる前にお母さんのお腹の中にいるときって、どこかよくわからない静かなところにいて、栄養も何もかもが勝手に運ばれてきて、静かに穏やかに10ヶ月くらい生きていたわけだ。それがブチンとへその緒を切られて、生まれてくるというのはすごいショッキングな出来事なんだ。そして、その赤ちゃんはずっと傷を負って生きていく。
     ルソーという哲学者が、社会がなくて自然状態のなかに人間がいたら……ということを想像して、その中の人間を「自然人」と呼んでいる。自然人は何も拘束を受けずに一人で勝手に行動しているから、誰かと一緒にいようとしない。誰かとぶつかって喧嘩したり、それこそゆきずりのセックスをしたとしても、次の日の朝になったら、前の晩にゆきずりのセックスをしたその人と一緒にまた次の晩を過ごす謂われはない。ルソーは、人間がもし自然状態だったらバラバラに好き勝手生きていると考えた。そういうルソーの考えって、理屈で考えたらそうかもしれないけど、ちょっと納得いかないよね。
    有村 その自然人っていうのは、心がない人のことを言うんですかね。
    國分 「心がない人」って表現はいいね。適切な表現だ。つまり、なんか具体的な人間である感じがしないんだよね。先生は、ルソーの言う自然人というのはあくまでもモデルみたいなものだと思っている。で、どのあたりがモデルであるかというと、自然人には「心の傷」が欠けているというところなんだよね。人間っていうのは必ず、心に傷をいろんなかたちで負っている。それがひとつの人間の個性にもなっていくんだけど、ルソーの自然人にはこれがないんだよ。だから、もし本当に心に傷を負っていないような人間がいるとしたら、ルソーの言ったような自然人になるかもしれない。
     
     
    ■「悩んでいたら誰かに相談してみよう」ってどういう意味なの?
     
    國分 たとえば、赤ちゃんがおっぱい飲みたいと思うとき、泣けば親がすぐ来る。だけど、だんだんお母さんも面倒くさくなったりするし、そろそろ離乳食だという時期になると、泣いても自分の思い通りにならない場合が増えてくる。それだって「自分がこうしたいのにそれが満たされない」という心の傷だよね。そういう細かなところでたくさん心に傷を負っていくわけだ。
     ただ、「ああ、泣いてもすぐにおっぱいがくるわけじゃないんだ」というふうに人間はだんだん慣れていくわけだ。でも、それでもなかなか慣れることができない傷があると思う。たとえば、有村はいま、色々と辛いことがあるよね。辛いことがあったとき、有村はどうしてる?
    有村 友達とか、誰かに相談する。
    國分 そうだね。相談するとどうなる?
    有村 すごい気が楽になります。
    國分 不思議だよね。実は先生さ、最近まで「悩みを誰かに相談すると楽になる」ってことを知らなかったんだ。有村は高校生のころからそれを実践しているけど、その一方で哲学とかをやっている俺みたいな人間が、ぜんぜん人生のことをわかってないんだよね(笑)。
     でも、これって面白くて不思議じゃない? その友達が抜群のアイディアとか出してもらえなくても、話を聞いてもらうだけで楽になる。
     多くの場合、自分の中で反省したりして、心の傷って跡は残るけれど傷そのものは癒えていく。でも、なかなか治せない傷とか、あるいは自分で気づかない傷があって、それを誰かを経由して考えてるんじゃないか、と。自分ひとりでは治せない、誰かの手助けがあって初めて治せる傷があるんじゃないかと思う。
     
     
    ■「心の傷」は、心と心が通じ合う根拠になる
     
    國分 では、人間はどうして誰かと一緒にいたいと思うのか。なぜ人間は、ルソーの言ってる自然人のようではないのか。これは俺の仮説だけど、人間には必ず心に傷があって、しかもその心の傷って一人では癒やせない場合があるから、それを癒やしたり、気遣ったり、あるいは心の傷が似ているとか似てないとか、そういったことで人と人は惹かれ合うんじゃないかな。そんな風に思うんだ。
     二村が言うように、恋ってすごくよくない形へ行くこともある。しかも、恋の根拠って今言った心の傷みたいなネガティヴなものかもしれない。でも、「この人と一緒にいると自分の心の傷がうまく癒える」とか「すごく心地がいい」とか、やっぱりそれがいい方向にいくことはあって、それがうまくいったときに、人は誰かのことを「この人は大事だ」と思うようになるんじゃないかな。
    二村 それは、先生には先生の、俺には俺の大事な人がいるってことなの? それとも、誰にでも優しくできるすごい癒やしの力を持ってる人がいるんだろうか。
    國分 うーん、たぶん、そういう人間もいるだろうなぁって思うな。たぶん教祖みたいな人間よね。たとえばイエスみたいな天才はそういう力を持っていたんじゃないか。それは、能力というよりは偶然できてしまったものだと思う。だけど普通はそうはいかなくて、この人とだとうまく傷が癒えていくだとか、そういう形で決まっていくと思う。
    有村 心の傷を癒やすのと、「頼る」のは違うんですか?
    二村 その頼る相手がいなくなって、生きていけなくなったらどうするの?
    國分 うーん。ここは難しいなあ。先生としては「たくさん浮気しろ」とか言うわけにもいかないしなあ。
     

    ▲有村千佳さん
     
     
    ■誰もが、普段は自分が何かに依存しているとは思わない
     
    二村 先生、俺も最近、難しい本読んだ! 小児科医で自分も小児麻痺の熊谷晋一郎さんの本なんだ。ほら、障害のある人って、車椅子とか補聴器とか、生きていくために頼らなきゃいけないものがたくさんあるじゃない。障害があると言われている人も、「これがないと生きていけない」というライフラインを分散することができれば、広い意味で差別がなくなっていくんだろうな、とその本を読んで思った。
     

    ▲熊谷晋一郎『リハビリの夜(シリーズ ケアをひらく)』医学書院、2009年
     
     でも、それを恋愛に当てはめるとちょっと違うのかもしれない。人は自分を肯定しないと生きていけないけど、男が「自分はこれでいいや」と思っているのは、男という生き物が社会になんとなく許されているからこその「インチキ自己肯定」だったりするでしょ?  俺は、「俺の心の傷はたくさんの女じゃないと癒やされない」と思ってたんだけど、理屈っぽい女から「そんなのインチキな分散型じゃない」って言われてギャフンとなった。それはたとえば、恋愛の相手だけじゃなくて、「妻」と「仕事」に分散していても、妻が怒ることはあるじゃん。
    國分 熊谷さんが言ってるのは、みんな普段いろいろなことに依存して生きているけど、それが分散しているから依存している事実を気にかけずにすんでいるってことだよね。だから、依存先が少なくなると、「私はこの人がいないと生きていけない」って状態になって、依存の事実が重くのしかかってくるようになる。だからいろんなところに依存先を増やしていくことが実は自立だって話。
     いまの二村の話はヒントになるね。つまり、頼る先は人だけじゃない。仕事とか趣味とか、あるいは評判とかでもいい。「自分の心を満たす」「傷を癒やす」というときに、別に恋人との関係だけに頼る必要はない。
     恋愛関係ってのは依存先の中でも非常に濃度が濃いものではあるけど、いろいろな依存先の一つとして恋人がいるとか、恋愛関係があるって考えればいいんじゃないの。ちょっと優等生的な答えかもしれんが、恋人もいるし、仕事もあるし、趣味もあるし、友達付き合いもあるみたいな。どうだろう、それはインチキ分散型じゃないよね。
     
     
    ■人間は過剰なものを抱えていても、色んなやり方で解消できる
     
    二村 でもさ、やっぱり「いろんな女とセックスしたい」と思うじゃん! まあ、そういう部分をやり過ごすために、男はみんな色んなAVを見るということなのかもしれないけどさ。
    國分 えーと、先生は既婚者なのでそういうことは答えずらいです。
    二村 でも、先生もそう思うんでしょ(笑)。「AV見てれば気が済むはず」というのはキレイゴトで、色んな人とセックスできる人を、他人はうらやむんだよね。女の子で言うと、イケメンなのかセックスが上手そうなのかわかんないけど、ヤリチンを好きになるじゃん。で、女の子がヤリチンを好きなのは、いろんな女とやってほしいわけではなくて、いろんな女とやってる男が私だけのものになると、「してやったり」って思うからでしょ。
    有村 してやったりとは思うけど、いざ自分のものになったらちょっと冷めちゃうかな。
    國分 有村、結構激しいこと言ってるな(笑)。それは要するに、「相手を支配したい」という欲望としての「恋」が極限的に大きくなってる状態だよな。だからそうやっていると、ぜんぜん「愛」へ移行しないんだよ。
     
  • 「コスプレする都市」と震災以降の原宿ーーアートディレクター・増田セバスチャン インタビュー ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.074 ☆

    2014-05-20 07:00  
    306pt

    「コスプレする都市」と震災以降の原宿アートディレクター・増田セバスチャンインタビュー
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.5.20 vol.74
    http://wakusei2nd.com

    今日のほぼ惑は、PLANETSには4年ぶりの登場!アートディレクター・増田セバスチャンさんのインタビューをお届けします。きゃりーぱみゅぱみゅ以降の原宿カルチャー、アートとファッション、そしてネット以降の「都市の文化」はどうなっていくのか。増田さんと宇野常寛が徹底的に語りました。きゃりーぱみゅぱみゅの初期MVの美術や、ワンマンライブの美術演出を行っていることでも有名な増田セバスチャン。寺山修司に影響されて前衛演劇を志し、90年代前半には現代美術家の元で学び、95年に裏原宿のプロペラ通りにショップ「6%DOKIDOKI」をオープンさせ、そのカラフルでどこか毒のある世界観は国内外から「KAWAIIカルチャー」の発信地として注目されることになる。 
     

    ▲きゃりーぱみゅぱみゅ - PONPONPON , Kyary Pamyu Pamyu - PONPONPON
     
    ちなみに氏は2010年に「PLANETS」本誌の原宿特集にも登場している。その時はファストファッションとSNSに押される原宿カルチャーという切り口だったが、あれから約4年、震災、きゃりーぱみゅぱみゅのブレイク……原宿を取り巻く環境も大きく変わり、そして増田氏自身も今年3月にニューヨークで個展を行うなど、活動のフィールドが変わりつつある。アートとファッション、そしてネット以降の「都市の文化」はどうあるべきか? 話題は多岐に及んだ。 
     
    【前回、増田さんがPLANETSに登場した際の記事(米原康正氏との対談)は「PLANETS vol.7」(2010年8月発売)で読むことができます 】 

    ▲PLANETS vol.7 (Kindle版)
    紙書籍1800円のところ、Kindle版は600円にて販売中!!
     

    ▼プロフィール 増田セバスチャン 〈ますだ・せばすちゃん〉
    アートディレクター/アーティスト、 6%DOKIDOKIプロデューサー。
    1970年生まれ。演劇・現代美術の世界で活動した後、1995年に"Sensational Kawaii"がコンセプトのショップ「6%DOKIDOKI」を原宿にオープン。2009年より原宿文化を世界に発信するワールドツアー「Harajuku"Kawaii"Experience」を開催。2011年きゃりーぱみゅぱみゅ「PONPONPON」PV美術で世界的に注目され、2013年には原宿のビル「CUTE CUBE」の屋上モニュメント『Colorful Rebellion -OCTOPUS-』製作、六本木ヒルズ「天空のクリスマス2013」でのクリスマスツリー『Melty go round TREE』を手がける。2014年に初の個展「Colorful Rebellion -Seventh Nightmare-」をニューヨークで開催。原宿kawaii文化をコンテクストとした活動を行っている。 
     
    ▼オフィシャルサイト 
    http://m-sebas.asobisystem.com/ 
     
    ◎聞き手:宇野常寛/構成:藤谷千明 
     
     
    ■きゃりーぱみゅぱみゅと震災、そして原宿
     
    宇野 最近の増田さんの活動を拝見していると活動の軸足を「ファッション」から「アート」に移したように見えるんです。そしてその間になにがあったかというとおそらく、震災ときゃりーぱみゅぱみゅという存在があったと思うんですよね。
    増田 そうですね、2011年の震災以降、あるいは「きゃりー(のブレイク)以降」と言い換えてもいいけど、彼女のようなアイコンが出てきたことで、僕の活動がハッキリと世間に注目されるようになりました。僕としては今までもずっと同じことをやっていたんですけどね。そういった状況で舞台やCM、PVなど色々をやってみた結果、一番遠くに飛ばせるものは何かと考えたらアートだったということですね。
    ファッションだと、例えば「自分には着ることの出来ない服だわ」とシャットアウトされてしまって、一部の人にしか届かないんですよね。
    宇野 普通は「ファションこそが大衆に開かれていて、アートこそ制度に閉じてしまう」と考えると思うんです。特に日本はそうで、サブカルチャーだけが強くて、ハイカルチャーはどちらかというとサブカルチャーをカンニングして誤魔化している才能のない人の集まりになっている傾向がある。実際、原宿という街はそんなサブカルチャー大国・日本の象徴的な場所だったと思います。90年代の原宿から生まれたファッションはそんな街のコミュニティと密着していて、それゆえの強さがあった。90年代やゼロ年代はアートが人々に届かなくて、ファッションが届いていたと思うんですね。しかし、震災以降の日本の文化状況では、少なくとも増田さんの中では逆転現象があったと。
    増田 原宿ファッションもインターネットによって世界各国のコミュニティに接続できたというのはあると思います。ただ、接続できた後に「何をやるか」と考えたとき、もっと遠くに飛ばせて、もっと吸引力のあるものが僕にとってはアートだった。アートといっても僕は文章を書いているつもりで、それをビジュアル化しているだけなので、結局「言論」というかメッセージなのだなと感じています。
    宇野 バブル以降の日本ではコミュニティと密着した文化が強くて80年代から90年代の「ホコ天」と原宿ファッションもそうだし、00年代にネットコミュニティと接続してきたオタク文化もそう。未だにそういったものが国内のポップカルチャーで存在感が強い。しかしコミュニティと結びつきすぎた文化に、今の増田さんは窮屈さを感じるわけですよね。一気に海外のアートに行った方がいい、と。
     
     
    ■地理が文化を生んでいるのではなく、文化が地理を生んでいる
     
    宇野 原宿のアイコンではあるけど、きゃりーはコミュニティを持っていない。彼女が体現しているのは明確に「かつての原宿」であって、逆にきゃりーがアイコンとなったことで、そこに憧れる子たちが原宿にやってきている。地理が文化を生んでいるのではなく、文化が地理を生んでいる。
    増田 「90年代から脈々と続いている原宿」ですね。最初、原宿の子たちの中ではきゃりーに対して反発もあったと思います。もちろん元から彼女のポテンシャルは高かったけど、いつの時代でも原宿には目立つ女の子がたくさんいて、デビュー当時はまだ、アイコンというよりはそのうちの1人として見られることも多かった。
    宇野 それが、いつのまにか原宿のアイコンになっていた。「原宿がきゃりーを生んだ」というよりも、きゃりーというかつての原宿を踏襲している存在が今の原宿に介入しているイメージです。
    増田 きゃりーについて言及している人ってすごく少ないんですよね。それはきゃりーを語ろうとしたときにどうしても僕にぶち当たるということと、そこから先は戦後の少女文化まで遡らないと語れないんですよね。ポッと湧き出た文化ではなく、全て繋がっているので。
    宇野 きゃりーの存在って分かりにくいところがあると思います。みんな人気があるのはわかっているけど、半分は海外人気であるため、海外でのプレゼンスが国内では見えづらいこともある。あときゃりー対して好意的な人の半分くらいは勘違いをしていて、「かつての原宿」的な90年代の文化がまだそのまま生き残っているという文脈でみている人たちですね。
    しかし、増田さんは90年代の「かつての原宿」が生んだものを、前提条件が変化してしまった現代の文化空間にどう活用するのか、というゲームを戦っている。懐かしいものがそのまま発展・延長しているわけではなく、一度切れてしまった文化を拾いあげて、もう一度位置づけなおしているものだということに対して、みんなあまり敏感ではなかったというふうに見えます。
    増田 きゃりーが世界中で爆発的に人気が出た要因のひとつに、震災の影響があると思います。当時、世界中のトップニュースで毎日震災のことが取り上げられていました。これから日本はどうなっていくのか、このまま沈んでいってしまうのではないかというムードのときに、ああいった原宿のカラフルなものが注目を浴びました。それは今後日本がどういった未来をみていくのか、ということを問われているときに、日本の新しい姿として注目されたのだと思います。そして国内でも、それまで明日が当たり前に来ると思っていた人たちも、震災を機にこのまま気楽な姿勢でいても明日なんか来ないとわかってしまった。もし明日死ぬなら、好きなことをやろうという意識に変わっていったと思うんですね。だけど自分も含めた原宿にいた人たちは、それを20年前からやっていた。海外から、きゃりーというアイコンを通してその人たちが注目され、そしてそれを見た日本人自身もこれでいいんだ、という意識になったと考えています。
    宇野 二重三重のねじれがあったのを整理できていないということですね。今日僕は約3年ぶりに増田さんに会うわけですが、僕からすると震災以前にアートからファッションに舵を切った増田セバスチャンは、コミュニティから自然に生えてきたカルチャーを取り込んでファッションをプロデュースしてきたと思うんですね。
    しかし震災以降は、90年代から培ってきたノウハウを使いつつも、今度は完全に自分からボールを投げてコントロールしていく方向に舵をきっているように見えます。増田さんのやりたいことが変わったのではないかと。それが「ファッションからアートへ」というかたちで表れているのではないでしょうか。
    そして、原宿のイメージを背負ったサブカルチャーでありながら、決して原宿から出てきたわけではなく、むしろかつての原宿のイメージを世界に拡散するためにプロデューサー・増田セバスチャンが戦略的に発信していったきゃりーぱみゅぱみゅとのお仕事は増田さんにとってのターニング・ポイントだったのではないかと。
    増田 僕の事までよく見ていますね(笑)。ちなみにきゃりーとは、最近あまり一緒に仕事していないんです。おそらくイメージだけが独り歩きしていて、何が出ても僕がやったように世間の人は思うと思うんです。ただ僕はそれでいいかなと思っています。今も引き続き関わっているのはコンサートの演出と美術くらいなんですけど、CDが売れなくなった時代に何が必要かというのを考えたときに、僕はコンサートに拘っているということです。
    それに震災以降、自信がついたというのはあります。震災前はいくら原宿の中でやってもみんなから認められないというコンプレックスがありました。「裏原」というとメンズファッション文化ばかり取り上げられて、90年代から僕たちもそこに存在していたのに無かったことにされていた。それが悔しくてずっと続けていたら、原宿の中でも異質な存在だった「6%DOKIDOKI」が今となっては代表的ショップとして国内外のメディアに取り上げられるようになった。震災以降、カラフルなものが人をハッピーにする力が認められたというか。
     
     
    ■概念化する「原宿」とニューヨークの個展
     
    増田 僕、東京オリンピックが決まって「ホコ天」が復活すると思うんです。今こそ僕はアナログの力が来るんじゃないかと。だけど、それは「(かつての原宿が)戻ってくる」のではなく、前とは違って「聖地」として世界中からいろんな人が来るような場所になると思う。
    宇野 僕は「復活すると思う」じゃなくて「復活させる」で良いと思います。昔のホコ天って「たまり場」だったじゃないですか、これから来るホコ天は「観光地」ですよ。
    たとえば3年前に「特撮博物館」がという展示がありました。あそこに展示してあったものって、ただの映画美術なんですね。そういったものが4、50年経ってものすごい価値を帯びて展示されていると。あれを見ているだけで戦時中の戦意高揚映画がどう怪獣映画に変わっていくかという想像力の変遷がみてとれて、戦後日本文化の精神史もわかる。当時はあれが博物館に収められて、アート扱いされるなんて誰も思っていなかった。こういったことって自然と社会の変化によってそうなっていくものですが、増田さんは震災という強烈な契機があったことで自ら舵を切ったように見えます。たぶん増田さんの中に、自分たちが原宿で20年やってきたものを、震災後の日本と世界の関係の中に意図的に打ち出し、自らボールを投げることに意味があるという確信があったように思います。
    増田 「原宿」はすでに街の名前じゃなくて概念化しているので、ホコ天が原宿にある必要もない。それで僕がどうしてニューヨークで個展を行ったかというと、ニューヨークでも原宿が作れるんじゃないかと思ったんですね。そしてそれはアートの方法論を使って、連携できるんじゃないかと思ったわけです。メキシコやロサンゼルスでも「原宿ファッションウォーク」という運動が自発的に起きていて、最初に僕が始めたものが現地の人たちによって勝手に増殖していっているんですよね。
    宇野 増田さんと最後に会った時(※雑誌「@2.5(角川グループパブリッシング刊)」対談)、「今、リアルなコミュニティは町並みや文化を生むことができていなくて、ネットコミュニティからしか生まれていない。コミュニティを生き残らせるにはネットの力を借りるしかない」というところで議論が止まっていたと思うんですよね。その後3年の間で増田さんがやってきたことって、その状況を逆手にとって、「自分たちが文化を持ち込めば、どんな街にも原宿を作れるじゃないか」という結論に至ったということですよね。
    増田 今回ニューヨークの個展は、チェルシーというギャラリーがいっぱいある地区でやったんですけど、オファーを受けてやったのではなく、完全に自主企画でやったんですね。今までの活動をふまえると、日本だったらファッションビルに併設されているギャラリーとかで個展ができると思うんですけど、そこでやると「ちょっと有名になったアートディレクターがやった個展」と思われてしまうと思ったんですね。
    宇野 ちょっと昔の、90年代くらいの「サブカル」から国内の「アート」へ、という文脈に回収されてしまうとおもしろくないですよね。
    増田 それは絶対にいやだったので、僕のことを知らないニューヨークの人に向けて、これまで培ってきた「原宿」というものがどこまで通用するのかを試したかったんです。すごくお金はかかったんですけど(笑)。チェルシーのアートコンプレックスビルの3階の一室で、事前に美術評論家に書いてもらうなどの広告は全然打ってなかったんですが、その会場に千人くらい並んでいたんです。外の気温はマイナス10度のなかで。
     

    個展撮影:GION
     
    どうやってそんなに集まったかというと、Facebookの口コミのみなんですね。もともと原宿のホコ天もそういうことだったと思うし、ニューヨークでも同じことが起きていた。しかも、みんながFacebook見てたわけじゃくて、たとえば美大の先生が「これは見ておけ」と言ったことが回っていて、そういうことが重なって、僕はこのギャラリーに原宿を作れたのではないかと感じました。
    宇野 あのときに話したことを完全に逆手に取っていますね。いわば、「あらゆる場所に原宿を」プロジェクトですね。
    増田 今回何を展示したかというと、実は「原宿」を持って行ったわけじゃないんですよ。原宿という概念のなかで、表面的なケバケバしさだったり、派手だったりする部分だけが切り取られるようになっていたので、そうではなくてそこに行き着くプロセスや理由を見せようと思ったのが今回の展覧会でした。
     

    個展撮影:GION
     
    宇野 先ほど、増田さんが原宿全盛期のときに決して自分は主流でなかったと仰いましたよね。それって増田さんの作品が自己批評的、あるいは原宿批評的だからだと思うんですよね。サブカルチャーの世界ではそういった自己批評的なものはなかなか主流にならない。しかし現代アートはそういった自己批評的であることで初めてアートたりえると思うんですね。もし原宿にあるものをそのまま持っていくだけなら、ネット通販で買えばいいだけのものになってしまう。
    増田 しかし日本では、そういったアートの見方はあまりしませんよね。去年の夏、この展示の企画をした際考えたのが、ソーシャルでつながるものが「原宿」だと思っていて、それを持っていこうと思ってたんです。ですが、その10月にニューヨーク行ったときに、ソーシャルではなく、もっと個人的=インディビジュアル(individual)なものがくっつくことによってに「原宿」ができるのだと気づいて、極めて個人的なものを見せようと思ったんです。
     
  • 週刊宇野常寛のラジオ惑星開発委員会~5月12日放送Podcast&ダイジェスト! ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.073 ☆

    2014-05-19 07:00  
    220pt

    宇野常寛のラジオ惑星開発委員会~5月12日放送Podcast&ダイジェスト!
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.5.19 vol.73
    http://wakusei2nd.com

    毎週月曜日のレギュラー放送がスタートした「宇野常寛のラジオ惑星開発委員会」。
    前週分の放送のPodcast&ダイジェストをお届けします。
    5月12日(金)21:00〜放送
    「週刊 宇野常寛のラジオ惑星開発委員会」
    ゲスト:グラビアアイドル・吉田早希さん

     
    ▼5/12放送のダイジェスト
    ☆オープニングトーク☆
    自民党副幹事長の平将明さんのニコ生に出演して得た結論は、「指原莉乃は安倍晋三を超えた」!?
    ☆本日のトークメニュー☆
    6本のお題からニコ生アンケートを利用してトーク内容を決定。結果「アナと雪の女王」をめぐる盛り上がりについて、所感を語りました。
    ☆48開発委員会☆
    ドラフト1位でNMB48チームNに加入した須藤凛々花さんが、自分のブログで宇野さんと仮面ライダーに言及! 思わぬ方向からの私信にどう対応するんでしょうか…。
    ☆ゲストトーク☆
    グラビアイドルで、「グラドル自画撮り部」のハッシュタグでも知られる吉田早希さんが登場! 吉田さんのサブカル戦闘力の高さに宇野さんもたじたじ…。後半の出演では自画撮りのコツを実演して(!)いただきました。
    ☆延長戦トーク☆
    「W杯日本代表23人決定!!」という、宇野さんが全く関心のないトークテーマを展開。「大久保? 僕にとって、大久保っていうと大久保利通なんですけど」「遠藤? 遠藤って僕にとっては円堂守なんだけど」などなど、爆笑の勘違いトークになりました。