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  • ヒロインたちの夢を叶えた男女入れ替わりの野球漫画『アイドルA』(後編)​​| 碇本学

    2022-04-28 07:00  
    550pt

    ライターの碇本学さんが、あだち充を通じて戦後日本の〈成熟〉の問題を掘り下げる連載「ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本の青春」。「ヤングサンデー」「ゲッサン」で2005年から不定期連載されている異色作『アイドルA』。主人公が男女入れ替わりながらアイドルと野球の二足のわらじで活躍するというデタラメな設定の本作が、デビュー以来の「あだち充劇団」の成立と発展を経て叶えてみせた歴代ヒロインたちの「夢」とは?(前編はこちら)
    碇本学 ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本社会の青春第21回 ヒロインたちの夢を叶えた男女入れ替わりの野球漫画『アイドルA』(後編)​​
    『KATSU!』のヒロイン・水谷香月と『クロスゲーム』のヒロイン・月島青葉の夢を叶える希望の存在としての里美あずさ
    『アイドルA』主人公の里美あずさはプロ野球選手であり国民的なスーパーアイドルという二刀流をこなせる圧倒的な才能を持っていた。本来なら主人公格であるはずの平山圭太が実質的にはヒロインとして機能しているという部分があだち充作品としてはそれまでになく、非常に新しく突出していた。 あずさと圭太は幼馴染であり、一方はプロ野球選手、もう一方はスーパーアイドルという時点で二人の顔が似ていることに周りの誰かが気づくだろうし、二人の関係性を嗅ぎ回るようなマスコミがいそうなものだが、そういう無粋な視点は今作には投入されない。この辺りが漫画だからこそギリギリOKになってしまう内容で、こうしたデタラメ感がありツッコミどころが満載な設定に関しては、読者をして読みながら「あだち充が好き放題するとこういうものになるんだよな」と強引に納得させるものでもあった。 おそらく、この『アイドルA』のみを読んだ人は「あだち充がデタラメな作品を描いたんだなあ」という感想で終わってしまうだろう。しかし、『KATSU!』『クロスゲーム』『アイドルA』と連載順で追いかけて読んでいるとはっきりとわかることがある。デタラメな設定に見せかけながらも今作の里美あずさは前々作『KATSU!』のヒロインだった水谷香月と『クロスゲーム』のヒロインだった月島青葉の夢の体現者として描かれているということだ。
    『KATSU!』のヒロインである水谷香月はプロボクサーだった父の影響で幼少期からボクシングをしており、並の男性では叶わないボクサーとなっていた。高校からボクシングを始めることになった主人公の里山活樹の才能に惚れ込んでいき、香月は自分のボクシングの夢を彼に託すようになり、彼のサポートをすることになり、相思相愛の恋人関係となっていった。 『クロスゲーム』のヒロインである月島青葉は小学生の頃から野球をやっていた。そのピッチングフォームに憧れて高校から野球を始める主人公の樹多村光(コウ)のお手本のようになっていく。中学高校と野球部に入る青葉だが、女性であるため練習試合などには出られたが公式戦には出ることができなかった。コウは青葉の姉で小学五年生の時に亡くなってしまった幼馴染の若葉に言われて、青葉がやっていた練習メニューをこなしながら体を鍛えていたこともあり、高校から野球部に入って甲子園を目指せるピッチャーへと成長していく。なによりもコウには野球選手としてのお手本だった青葉がいたからこそ、素晴らしい選手になることができた。 『アイドルA』という作品は、前2作品のヒロインが男性である主人公に自分の夢を託さず、自分自身の能力と努力で夢を切り開いていったものとしても見ることができる。ヒロインであることよりも自らが主人公となる(ガイ・リッチー監督『アラジン』における姫であるジャスミンが自ら王となるのを選んだことを彷彿させる)、性別を超越していく物語になっていた。
    宇野常寛 責任編集『モノノメ#2』PLANETS公式ストアで特典付販売中!『モノノメ 創刊号』+ 「『モノノメ#2』が100倍おもしろくなる全ページ解説集」付
     
  • 平成を「ヒット曲」から振り返る(前編)|柴那典

    2022-04-26 07:00  
    550pt

    本日のメルマガは、音楽ジャーナリスト・柴那典さんと宇野常寛との対談をお届けします。昭和の終焉を象徴する、美空ひばり「川の流れのように」から、令和の幕を開けた米津玄師「Lemon」まで、30のヒット曲から「平成」という時代の深層心理をさぐった柴さんの近刊『平成のヒット曲』。数ある平成のミリオンセラーから選んだ30曲の選曲意図から、柴さん独自の視点で平成を通時的に捉えます。(構成:目黒智子、初出:2021年12月9日「遅いインターネット会議」)
    平成を「ヒット曲」から振り返る(前編)|柴那典
    宇野 本日は、昨年末に刊行された『平成のヒット曲』の著者で音楽ジャーナリストの柴那典さんをお招きして、本書で論じられた歌謡曲・J-POPといった日本の大衆音楽からみた平成の30年間について、じっくりと議論していきたいと思います。
    柴 よろしくお願いします。柴那典と申します。もともと「ロッキング・オン」という音楽系出版社で編集者をしていて、その後独立しました。2014年に初の著書として『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』という、ボーカロイドブームから当時の音楽・ネット文化を論じた本を出しています。2016年には『ヒットの崩壊』という本を出していて、この本は2010年代に入ってからのCDの売上ランキングを見ても何がヒットしているかわからないという音楽業界の状況について書いた本で、『平成のヒット曲』はその続編とも言えます。
     この本では、平成の30年間を通して1年ごとに1曲、その年を代表する曲を選んで語っています。美空ひばり、小室哲哉、Mr.children、宇多田ヒカル、サザンオールスターズ、SMAP、Perfume、 AKB48、嵐、星野源、米津玄師などいろいろな名前が登場しますが、アーティストや曲を紹介したり評論したりするというだけではなくて、社会にその曲がどう受け止められたのか、そしてどのように後の世の中を変えていったのかという、音楽の外側を意識した構成になっています。  またヒット曲について書くことで平成という時代の移り変わりが読み解けるのではないかという狙いがあり、平成を三つの時代──1990年代・ゼロ年代・2010年代に分けて論じているのが特徴です。同じ「平成」の括りでも、この三つのディケイドは、文化的にまったく風景が違っていて、それぞれのディケイドの違いをしっかり位置付けてみようという意識で書きました。  大まかに言うと、1990年代はミリオンセラーの時代で、文字通り100万枚売れるCDが続出し、音楽産業の景気が良くて勢いのあった時代。次のゼロ年代はスタンダードソングの時代で、これはダブルミーニングでもあり、良い意味では長く歌い継がれる普遍性の高い名曲が出た一方で、音楽産業は明らかに勢いを落とし、インターネットという人類史上の大きな変化に対応できなかった点でマイナスが大きい10年間です。そして最後の10年代はソーシャルの時代。ソーシャルメディア、ソーシャルネットワークのソーシャルで、流行やトレンド、ブームが生まれる回路が明らかに変わった時代です。ヒット曲の話もしていますが、メディア環境や力学の変化の話もしています。
     令和4年になった今、実感として平成が遠くなったという気持ちが湧いてきて、ようやく平成という年号を少し客観視できるようになり、時間が経つことで対象化しやすいということを、本を出した当事者として感じています。
    選曲の意図からみる批評家としての立ち位置
    宇野 ありがとうございます。最初のミリオンセラーの時代について、柴さんにとって選曲のコンセプトは何ですか?
    柴 売れた曲をただ選んでいるわけではありません。
    宇野 そこですよね。ミリオンセラーを並べて、「この曲にはこういう背景があってこういう理由で売れたと思うけれど、それを私は批評家としてこう評価します」と書いていくこともできたと思いますが、柴さんはそれをしなかった。ミリオンセラーの曲は他にいっぱいあるはずなのに、あえて選ばなかったものがたくさんありますよね。
    柴 そうなんです。落としたものがすごくたくさんあって、GLAYもなければスピッツもないし、B'zもウルフルズもL’Arc~en~Cielもモーニング娘。もない(笑)。
    宇野 そこに柴さんの批評家としての立ち位置が出ていて、それがこの本のポイントだと思います。第一部「ミリオンセラーの時代」に登場する10曲では、どのあたりが柴さんのこだわりなのか聞かせてもらえますか。
    柴 まず、選ばざるをえなかったのは「川の流れのように」(美空ひばり/1989年)です。ここから始めたのは、この本の伏線として大きな意図があって、つまり作詞を担当した秋元康というヒットメーカーが、1980年代の「おニャン子クラブ」「とんねるず」などのアイドル歌謡の時代で終わらなかったことの象徴なんです。もともとの原稿では、昭和の終わりを象徴する「川の流れのように」からちょうど20年後にセルフアンサーソング的なかたちでAKB48の「RIVER」(2009年)が登場したのを取り上げることで、より通時的な視点を与えることも考えていました。最終的には構成の都合上、決定稿では省いたのですが。
    宇野 「川の流れのように」は大雑把に言うと「いろいろあったけど戦後って結果オーライじゃん」という曲で、それを美空ひばりが人生の最後に歌うということに意味があったんですよね。その20年後に、川、すなわち戦後的なものがむしろ若い世代の障害になっていて、それを乗り越えていけというのが「RIVER」です。ポイントはこれが2009年の歌だったということで、そこからの10数年間経った現在からすると、残念ながら乗り越えることができなかったんだなというのが平成末期の総括になるのかなと思っていますが。
    柴 たしかにそうですね。だから2010年代には当然、AKB48の曲で「恋するフォーチュンクッキー」(2013年)を選んでいます。2010年代がAKB48の時代だったというのはオリコンランキングから見ると間違いありません。
    宇野 オリコンの破壊によってそれが証明されている(笑)。
    柴 オリコンをハックして、そのチャートを無効化したということですね。「AKBの本当のヒット曲はヒットチャートからは何一つわからない」ということを、AKB48を肯定的に捉えながらもファンダムとは距離を保って語ってきたジャーナリズムとして言っておかないと、この曲の記録が10年後、20年後にはオリコンランキングとしてしか残らないのではないかという危惧がありました。
    宇野 楽曲プロデューサー・秋元康の優れた曲としても、AKB48の残したものとしても「フォーチュンクッキー」は代表的な曲と言えると思います。ただ「フォーチュンクッキー」が象徴していたものをどう評価するかは本当に難しいと思います。というのは、言ってしまえばこれは指原莉乃の歌なんです。指原はAKB48の総選挙を象徴するボトムアップの、ユーザー参加型のコンテンツだからこそ成りあがった人でもあるけれど、同時に1980年代フジテレビ的/電通的なテレビバラエティやワイドショーの空間をハックして成りあがった人物でもあるんです。彼女は新しさと古さを両方抱え込んだプレーヤーで、「フォーチュンクッキー」は良くも悪くもその指原を象徴する歌なんです。そこに僕は可能性と限界の両方があったと思っていて、限界のほうに報復されたのが今のAKB48だと思っています。つまり「フォーチュンクッキー」というのは運命論の歌で、川(戦後的な既存のシステム)とはまったく別のシステムを横に作ってしまえば運命を信じられる、という歌ですが、その象徴である指原莉乃は、どちらかというと川(旧来型のバラエティ)のほうに向かってしまい、結果的に川に流されている側の代表になったわけですよね。要するに、結局AKB48というのは、指原莉乃というワイドショーのコメンテーターを、バラエティの女性タレントを生むための装置にしかなれなかったということでもあって、それがAKB48そのものの限界なんです。AKB48のブームが沈没した後に出てきた「坂道」(「乃木坂46」など秋元康がプロデュースするアイドルグループの総称)は、一世代前の音楽産業やテレビ産業のロジックで生きていて、明らかに撤退しています。「フォーチュンクッキー」はとても優れた曲だと思うし、おもしろい現象だったことは間違いないけれど、AKB48が持っていた射程距離の限界というものを同時に表しているのではないかと思っています。
    柴 たしかに。そういう意味で、今回選曲した30曲は、平成元年の「川の流れのように」で話した伏線を、2010年代のAKBで回収するという構造になっているんですね。
    ジェンダー観の移り変わり
    宇野 4曲目に「私がオバさんになっても」(森高千里/1992年)を選んでいますよね。これを見て、柴さんは「ヒットの歴史」を書くつもりはなく、ヒット曲に仮託して平成の精神史を書くつもりなんだと思いました。
    柴 その通りです。「私がオバさんになっても」はヒットしていて紅白にも出ていますが、年間ランキングでは50位にも入っていません。1992年だったら米米CLUBとかCHAGE and ASKAが代表的なのですが、それをいま書いてもノスタルジーになってしまう。でも森高千里について書くと2010年代のことを論じられるようになるんです。森高千里は産休を経て復帰して、2015年には化粧品のCMで本人がこの曲を歌っています。40代や50代の森高千里がこの曲を歌うことで、曲に25年前と違った新しい意味が出てきているということが書けると思って選びました。  この曲について書いている時点で、星野源の「恋」(2017年)に至るということも意識してます。平成という時代は、失われた数十年といわれたように手放しで肯定できるものではないという問題意識はありながら、昭和が持っていたジェンダーのくびきを少しずつほどいていった時代、と位置づけると見えてくるものがあるのではないかと思います。
    宇野常寛 責任編集『モノノメ#2』PLANETS公式ストアで特典付販売中対談集『宇野常寛と四人の大賢者』+ 「『モノノメ#2』が100倍おもしろくなる全ページ解説集」付
     
  • ヒロインたちの夢を叶えた男女入れ替わりの野球漫画『アイドルA』(前編)​​| 碇本学

    2022-04-25 07:00  
    550pt

    ライターの碇本学さんが、あだち充を通じて戦後日本の〈成熟〉の問題を掘り下げる連載「ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本の青春」。今回は「ヤングサンデー」「ゲッサン」で2005年から不定期連載されている異色作『アイドルA』を取り上げます。スーパーヒロインとその幼なじみが、男女入れ替わりながらアイドル活動と野球の二足のわらじで活躍するという荒唐無稽な設定の本作。その成立背景を、担当編集者のバトンリレーから辿ります。
    碇本学 ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本社会の青春第21回 ヒロインたちの夢を叶えた男女入れ替わりの野球漫画『アイドルA』(前編)​​
    あだち充だからこそ描けたデタラメな野球漫画
    前回まで取り上げていた『クロスゲーム』の連載が「少年サンデー」で開始された2005年のほぼ同時期に、「週刊ヤングサンデー」第36・37合併号で読み切りが掲載されたのが『アイドルA』だった。 本来は一回きりだったが人気が出たため、その後も2006年第17号、2007年第5・6号合併号、第36・37合併号、「ヤングサンデー」が休刊になったため「ゲッサン」に掲載誌が移り、「ゲッサン」2010年11月号、2011年8月号に掲載されている。 2011年に「ゲッサン少年サンデーコミックススペシャル」コミックスとして1巻(第1話から第6話)が発売されている。2011年以降新作は描かれていないが、不定期連載ということになっているので現在も連載中という形になっている作品である。
    『アイドルA』の第1話から第3話までは短編集『ショート・プログラム3』にも収録されているが、ぜひ「ゲッサン少年サンデーコミックススペシャル」コミックスで読むのをオススメしたい。こちらでは第6話までに加えて、「サンデー50周年記念! あだち充×高橋留美子合作読切」も収録されている。この合作読み切りは2009年に50周年を迎えた記念として、「少年サンデー」の二代巨頭として時代を牽引してきた二人が「少年サンデーと出会うまで」をテーマに合作&リレー形式で執筆されたエッセイ漫画となっている。 高橋留美子は10才の時に兄が買っていた「COM」の読者投稿コーナーで、佳作として掲載されたあだち充(当時16才)『虫と少年』をリアルタイムで読んでいた。また、中学一年生の時に漫画の初投稿をしている。投稿先は「少年サンデー」であり、一次審査を通過するなど才能の片鱗を見せていたことなども描かれており、日本漫画の歴史のひとつとして興味深いものとなっている。 コミックスの奥付けに記載されている連載担当は木暮義隆と市原武法の二人となっている。木暮は「少年サンデー」で『H2』『いつも美空』、市原は同じく「少年サンデー」で『KATSU!』『クロスゲーム』、「ゲッサン」で『QあんどA』『MIX』というあだち充作品をそれぞれ担当している編集者である。
    木暮は前担当編集者だった三上信一から『H2』の担当編集者を引き継ぎ、大人気作『H2』を連載終了まであだち充と並走している。また、木暮自身がプロボクシングのプロライセンスを持っていたことから、ボクシング漫画をあだちに描いてほしいと何度か提案して実際にボクシングの取材にも同行し、選手なども紹介していた。しかし、スポーツ漫画が続くのは大変ということもあり、新連載はボクシング漫画とはならずにもっと気楽な内容である『いつも美空』の連載が始まった。しかし、『いつも美空』は人気が振るわなかったことで何度か連載担当の変更を提案されたものの、自分があだちの担当から外されると連載が終わると思ってなんとか固辞していた。だが、連載途中で「ヤングサンデー」へと異動となってしまう。そして、木暮が提案していたボクシング漫画は『いつも美空』終了後に、違う担当編集者がついて始まることになった。それが『KATSU!』だった。
    『KATSU!』はこの連載で取り上げたように、あだち充の兄であるあだち勉が連載中に亡くなってしまう。また、プロ編も最初は視野に入れていたものの、死とも向き合う真剣なスポーツをあだち自身も描くのが難しくなっていき、本来のあだち充の良さが見られない作品になっていってしまっていた。 「少年サンデー」編集長になっていた三上はそんなあだちの状況を見て、配属時からずっとあだち充の担当をやりたいと言っていた市原に最後の希望を託し、彼を担当編集者に指名することになった。 8年越しの夢が叶った市原はあだちに自分の考えた意見を話して、『KATSU!』の連載を早く切り上げて新連載を始めようと動く。市原にあだち充の担当の話を振った三上はそれから2週間後には木暮も在籍する「ヤングサンデー」に異動してそこで「ヤングサンデー」の最後の編集長となる。ここであだち充担当編集者のバトンは危機一髪で手渡され、市原が提案した「逆『タッチ』」作品として『クロスゲーム』の連載が始まることになった。
    木暮義隆と市原武法という後期あだち充作品の重要な担当編集者の二人が『アイドルA』の担当編集者として名前が載っているのはなぜか?  理由は簡単である。あだちは自分の担当編集者が異動した際にはお祝いがてら、異動先の漫画誌で読み切りを描くということが度々あった。 「ヤングサンデー」に異動した木暮はあだちにシリーズ連載か読み切りを描いてほしいと口説き始めていた。おそらく木暮が頼んだ時点であだちは兄のあだち勉が最も可愛がった元担当編集者の願いを受けようと思っていたのだろう。木暮は「ヤングサンデー」でグラビアの担当もしていたこともあって、グラビア撮影の参考として沖縄で行われたアイドルの平田裕香のロケにあだちも連れていき取材をした。そうやって、読み切りとして掲載されたのが『アイドルA』だった。
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  • 当事者性が叫ばれる時代で、「善き第三者」の重要性を考える|永井陽右

    2022-04-22 07:00  
    550pt

    ウクライナ情勢が緊迫する中、たとえ日本に住んでいて、ウクライナやロシアに知人がいなかったとしても、「自分に何ができるのだろう?」と悩む人は少なくないはずです。「中立や客観は強者への加担」といった議論も目にする中、ウクライナ問題に限らず世界中のさまざまなイシューに対して、わたしたちはどのような態度を取るべきでしょうか? テロと紛争の解決に取り組むNPO法人アクセプト・インターナショナル代表理事として、ソマリアをはじめさまざまな地域の紛争解決に取り組んできた永井陽右さんに、当事者ではない「善き第三者」の重要性について寄稿してもらいました。
    当事者性が叫ばれる時代で、「善き第三者」の重要性を考える|永井陽右
    中立は「強者の眼差し」か?
    今日ほど善き第三者の意義が再確認されなければいけない時代もそうないだろう。フックとなるのはやはり、ロシアのウクライナ侵略である。ウクライナのゼレンスキー大統領による国会演説は、国会議員に留まらず多くの日本人の共感を呼んだ。連日報道またはSNSで発信されるウクライナ情勢を目にし、多くの人々がウクライナとウクライナ市民に連帯を示している。国際秩序を揺るがす甚大な事件であるとはいえ、ここまでの日本人が海外の出来事に強い関心を示すのはなかなか珍しいのではないだろうか。
    また同時に、こうした中ではロシアへの理解やウクライナの降伏などを少しでも意見した瞬間、インターネット上で袋叩きにあうということも散見される(叩かれた方も大きく反論しバチバチしているが)。私自身、先日テレビで「和平プロセスにおいてはどこか第三者の国が必要になる」など発言したところ、SNSで少なくないバッシングにあったりもした。また、Twitterでは「実は『中立』や『客観』って、マジョリティの立場に立つことなんですよ。それは強者の眼差しなんです」という信田さよ子さんの言葉が大きく拡散をされていた。
    たしかに「『中立』は強者の論理」論は、ロシアとウクライナのどちらに非があるかという価値判断の次元の議論において、「中立」が「どっちもどっち」の立場をとるという意味だとすれば、それは然りだ。また、調停や仲介における適切なタイミング(紛争解決の理論ではripeness(熟している具合)と言う)を考えると、今はまだその時ではないかもしれない。現状での一番良い紛争の終わり方はウクライナの勝利というか完全防衛による終結であろう(内戦が増えてからは和平合意による紛争終了が多くなったが、元々紛争の終り方として一番多かったのはどちらかの勝利である)。
    しかし、本稿で考えたい「中立」はそういう次元の話ではない。プーチン大統領は然るべき裁きを受ける必要は間違いなくありつつも、実際に起きてしまっている紛争を解決する上での具体的な問題解決の知恵やノウハウとして、非当事者の第三者に何ができるかを、改めて見つめ直そうということだ。別の言い方をすれば「非当事者に何ができるか」という、いわば非当事者がなしうる当事者性とは何かという問いと言える。この意味での「中立」は、価値観の中立を意味するものではなく、別にロシアの暴挙を是認するかどうかというレベルの議論とは本質的に別の問題だ。「中立」の持つ意味がセンシティブになっている今だからこそ、改めて私たちが日常レベルから見直しておくべき、その具体的な必要性と方法論を本稿では考えたいと思う。
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  • JR浜松町駅から芝大門、増上寺へ 〈前編〉|白土晴一

    2022-04-19 07:00  
    550pt

    リサーチャー・白土晴一さんが、心のおもむくまま東京の街を歩き回る連載「東京そぞろ歩き」。今回はJR浜松町駅周辺から増上寺へ向かって歩きます。徳川将軍家の菩提寺として知られる増上寺。建設に関わった"ニコニコ銀行王"牧野元次郎のエピソードからは意外な歴史が紐解けるようです
    白土晴一 東京そぞろ歩き第13回 JR浜松町駅から芝大門、増上寺へ 〈前編〉
     20代の頃、バイトで浜松町付近によく通っていた。  大学を卒業しても就職はせず、金はないけど暇だけはあったので、バイトが終わるとこの辺りで遊んでいた。  とはいえ、浜松町は当時からビジネス街だったので、20代フリーターの私が遊ぶような場所はそれほどなかった。  駅前にはサラリーマンの集まる飲食店はたくさんあったが、そういう店に入るのもなんとなく気が引けた。一つ向こうの駅である田町には、90年代バブルを象徴するかのようなディスコ「ジュリアナ東京」もあったが、あまり興味もなかったし、そもそもそんなところに行けるような金もない。  JR浜松町駅前にある世界貿易センタービルに入り、地下にあった飲食店街でカレーを食べ、2階にあった大型書店「文教堂」で本を物色し、お金に余裕があるときはビル40階にあった展望台シーサイドトップに登り、夜の東京をボーーっと眺めてもしていた。  しかし、貿易センターに通うのも限度がある。そこで、金はないが暇と体力が余っていた私は浜松町を中心に歩き回り、人の流れや街の景観を観察するようになっていった。  そういうことを始めてみると、街並みや建造物の背後にいろんな歴史や都市計画者の意図があると認識し始めた。特に浜松町から芝地区は、東京の中でも歴史的なものが密集している地域なのでそういう歴史や意図が読みやすくて面白い。  20代の私はやがて都市観察に熱中するようになっていき、こういう連載をやるくらいにハマって、今に至るという訳である。  そう考えると、浜松町は私の街歩きの原点であるような気がする。
     そこで久しぶりに芝界隈を歩いてみることに。

     JR浜松町駅を降りる。目前には浜松町のランドマークであった世界貿易センタービルが見える。前述したように、このビルの展望台にはよく通ったが、今は昇ることが出来ない。

     1970年に完成し、当時は日本一高さである40階建て152メートルの超高層ビルであった世界貿易センタービルは、この地区が都市再生特別地区(自由度の高い開発が土地利用が行われる地区)に指定されたことにより再開発が始まり、新たなビルを建設するために現在の建物は解体工事が行われているためである。  超高層ビルの解体としては日本最大になるらしく、超大型のジャッキで持ち上げて一階づつ壊しては下げていく「だるま落とし」のような「鹿島カットアンドダウン工法」が採用されている。  かつては高層ビルの解体は非常に難しく、期間も長くかかり、周辺に大きな影響が出るのでは? と言われたが、この工法だと穏やかかつ効率的に解体ができるらしい。  その証拠に貿易センタービルの隣にある「日本生命浜松町クレアタワー」(2018年竣工、地上29階、地下3階、高さ156m)との距離も結構近い。この近さでも解体ができるのか! という感じ。

     かつて、何度も訪れたビルがなくなるのも悲しいが、こういう大規模で最新の高層建築物解体技術が見れるのも面白い。  そこから第一京浜(国道15号線)を渡って東京タワーや増上寺方面に向かうと、何やら地面にめり込んだ怪しいものが。


     瓦屋根でかなり瀟洒で和風なデザインの公衆便所である。  正式な名前は「大門脇公衆便所」。こうした半地下型の公衆トイレはけっこう昔の形態で、昭和の頃にはあちこちにあったが、最近は姿を消しつつある。ここはその数少なくなった地下公衆トイレの一つである。  地下に造ることで臭いを多少なりとも封じめるためであったと聞いているが、事実、このトイレが建設されたのは昭和7年とのこと。その頃は「大門通不動銀行前街道便所」と呼ばれていた。  そして、このトイレがある芝大門交差点には、この地区を象徴する建造物である増上寺大門がある。

     区道の上に立脚するという都内でも珍しい門で、当然その下を自動車が行き来している。車二台が並んでも余裕ある広さだが、ドライバーの中にはちょっとこの狭さに恐怖を覚える人がいるかもしれない。  しかし、この大門、実はこれでも新たに大きく広くして作り直されたものなのである。そもそも現在の大門は、徳川将軍家の菩提寺であった増上寺の惣門(敷地の外郭にある最も大きな入口の門)があった場所に造られている。
    ▲江戸時代の増上寺惣門。大門脇の案内板より撮影
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  • 桑田真澄の「野球道」に欠けているものは何か? 一高・東大的「ガリ勉のエートス」と「不良性」(後編)|中野慧

    2022-04-18 07:00  
    550pt

    ライター・編集者の中野慧さんによる連載『文化系のための野球入門』の‌第‌21回「桑田真澄の「野球道」に欠けているものは何か? 一高・東大的「ガリ勉のエートス」と「不良性」」(後編)をお届けします。現代野球界の「スポーツマンシップ」の欠如を批判する桑田真澄が見落としている点を検証し、日本野球草創メンバーの「バンカラ」的性格から、新たな野球史観を確立するための論点を絞り出します。前編はこちらから。
    中野慧 文化系のための野球入門第21回 桑田真澄の「野球道」に欠けているものは何か? 一高・東大的「ガリ勉のエートス」と「不良性」(後編)
    「武士道をスポーツマンシップに入れ換える」ことの問題(承前)
     桑田は元プロ野球選手であるがゆえに、「野球界」のみを視野に入れた議論を無意識に展開しているように見える。だが、特に2021年の東京五輪強行開催以降に強まった日本社会のスポーツへの風当たりの強さを念頭に置いたとき、社会のなかでスポーツがいかにあるべきかを根本的に捉え返すような議論が必要になるはずだ。スポーツへのネガティブな感情をどう受け止め、そこからいかに新たな野球観・スポーツ観を紡いでいくのか──社会的な総合性のなかにスポーツの営みを位置づけ直す試みが重要だと考えられる。
     さらに桑田は、「野球道」という言葉から武士道のエートスを取り除き、代わりに「スポーツマンシップ」を中核に据えるべきだと主張している。だが、戦前日本の野球文化創生に関わった人々が「武士道」という言葉にこだわったのは、前近代=江戸以前と近代=明治以降の価値観を何とか繋ごうとするバトンリレーの意識があったからである。桑田の議論には武士道=時代遅れのものである、という単純な認識が見え隠れする。武士=階級的なもの、男性的なものであり、したがって前時代的だ、というふうに考えられているように思える。  桑田は自身の議論のなかで、飛田の野球道の要素の3つの柱のうち、「絶対服従」に代わって「リスペクト」という概念を尊重すべきだと述べている。
    桑田 まずは指導者と選手が互いにリスペクトし合うこと。そして先輩は後輩を思いやり、後輩は先輩を敬う。審判に文句を言ったり野次を飛ばしたり、今はそれが当たり前ですが、審判や対戦相手もリスペクトしなければいけないと思います。(桑田真澄・平田竹男『新・野球を学問する』106ページ)
     たしかにスポーツに参加する上で「リスペクト」の概念を理解し実践することは、今は疎かにされがちだが、非常に重要なものだ。スポーツの場は、選手以外のさまざまな「ささえる」人々の存在がなければ成立できない。また、相手チームへの非礼な野次は多くの野球の試合の現場で実際に行われていることだが、その行いは「試合は対戦相手がいなければできない」という基本的な認識を欠いている。スポーツの場を実現するという「当たり前でないこと」が実現されていることを「当たり前のこと」かのように認識してしまっている点は、当然改めなければならない。  しかし桑田の「武士道をスポーツマンシップに入れ換えるべきだ」という主張は、それこそ先人たちの苦闘に対するリスペクトの念を欠いてしまっている。単純に「武士道」という観念を切って捨てるのではなく、一見古く見えるものをよく観察し問い直すことで、未来に活かすという発想があってもいいはずだ。
     また、もう一つ桑田が見落としている点がある。
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  • 中華圏ゲームの発展史:2010年代中盤〜2020年代編(後編)|古市雅子・峰岸宏行

    2022-04-15 07:00  
    550pt

    北京大学助教授の古市雅子さん、中国でゲーム・アニメ関連のコンテンツビジネスに10年以上携わる峰岸宏行さんのコンビによる連載「中国オタク文化史研究」の第12回(後編)。ゲームを中心に中国のオタクコンテンツ市場が成熟していく一方、徐々に強まっていくコンテンツ規制の圧力。2018年のゲーム制作に対する新規審査の停止が業界に大きな打撃をもたらす中で、2020年からのコロナ禍がさらなる追い討ちをかけていきます。前編はこちら。
    古市雅子・峰岸宏行 中国オタク文化史研究第12回 中華圏ゲームの発展史:2010年代中盤〜2020年代編(後編)
    『西遊記之大聖帰来』の成功により、アニメは大人でも楽しめるのかもしれない、という認識をもつ人が少しずつ現れるようになった気がします。
    そして同2015年には、今日に至るまでセールスランキング1位を守り続けるロングランヒット、『王者栄耀』をテンセントがリリース。日本で現在も多くのユーザーを抱える『Fate/Grand Order』(アニプレックス 2015年)をbilibili動画が代理店となり、リリースします。bilibili動画は長年継続的な赤字で苦しんでいましたが、『FGO』の中国代理運営権を取得したことで大きく躍進する足掛かりになったと、決済報告書などから読み解くことができます。
    2017年になると、ネットイースが本格幻想RPG『陰陽師』を発表。日本の平安時代を題材に、全編日本語、能登麻美子、諏訪彩花、中井和哉、鈴村健一、水樹奈々、桑島法子、福山潤、斎藤千和という豪華な声優陣、リッチな映像という、中国産なのか日本産なのかまったくわからないこの作品は人々の度肝を抜きました。
    『陰陽師』と同年、『アズールレーン』が登場します。この作品は上海蛮啾網絡科技、厦門勇仕網絡技術の2社が協力し、中国のリリースをbilibiliが、日本でのリリースを、今や日本で圧倒的な知名度を持つローカライズ専門の企業、yostarが担当し、日本人が中国ゲームのクオリティに対する偏見を見直すきっかけとなりました。
    ▲2018年にJR山手線で1周年ラッピング広告を行ったアズールレーン(筆者撮影)
    文化部のアニメ制限、という数メートル巨人級の怪物は来ましたが、中国産ゲーム、アニメが大きく展開し、乗り越えたように見えました。しかし状況は2018年に一変します。
    ゲーム審査停止とさらなるコンテンツ規制
    2018年3月、中国のゲーム業界に今度は50メートル級の怪物が立ちはだかります。中国ゲームの新規審査停止です。3月29日、新聞出版広電総局が《遊戯申報審批重要事項通知》を発布し、新規ゲーム審査を停止するのですが、なんの予告もなく、また再開時期についても言及されませんでした。
    ゲーム業界はコンテンツ市場で最も重要な稼ぎ頭で、製薬、不動産など多くの企業から多額の投資を受けており、またゲーム会社自身も映画やドラマに投資をする、中国エンタメ産業のいわば中心的存在で、ゲーム企業が稼げないのは、業界全体にとって大変大きな損失です。
    テンセント、ネットイースといった、中国のトッププレイヤーは、様々なゲームを同時進行で制作、申請していたため、3月時点で新たに出版番号を申請・取得できなくとも、審査停止前に申請・取得していた出版番号を用いてゲームをリリースしましたが、中小規模のゲーム会社やパブリッシャーは難しい状況に追い込まれます。
    中国のゲーム市場は、テンセントとテンセント以外、と言われるように、シェアの50%前後をテンセントが、25%をネットイースが、残りの25%をその他多くのゲーム会社が占める、非常に特殊な構成をしています。
    当初はほとんどの企業が数カ月で審査が再開されると高をくくっていましたが、状況が改善されないまま約半年がすぎ、迎えた8月のChinaJoy以降から、「出海」(海外への進出)を謳い始めます。それまでは海外より国内市場の方が利益が大きかったのですが、国内でゲームをリリースできないため、海外を主戦場にせざるを得ない状況に迫られたのです。
    幸いにも、欧米に向け『アズールレーン』を成功させたyostarや、それより早い2015年に日本へ進出したmiHoyoのように、日本向けゲーム市場を開拓していた上海莉莉絲網絡科技やFunplus等の企業が存在していたことが功を奏し、海外展開は早い段階で実行に移されていきます。
    海外の業界がこれらの異変に気付いたのは、2018年8月、日本のオンラインゲーム『モンスターハンター・ワールド』の原因不明の配信停止がきっかけです。すでに世界中でリリースされていて、表現上特に大きな問題もなさそうな『モンスターハンター・ワールド』が中国で突然配信停止されたのはなぜか、どうやら中国でゲームの新規リリースが止まっているようだ、といった形で海外で報道されるようになったのです。
    ▲2018年上海Chinajoyにて参考出展された『モンスターハンター・ワールド』
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  • 桑田真澄の「野球道」に欠けているものは何か? 一高・東大的「ガリ勉のエートス」と「不良性」(前編)|中野慧

    2022-04-12 07:00  
    550pt

    ライター・編集者の中野慧さんによる連載『文化系のための野球入門』の‌第‌21回「桑田真澄の「野球道」に欠けているものは何か? 一高・東大的「ガリ勉のエートス」と「不良性」」(前編)をお届けします。一人のプロ選手として輝かしい成績を残しながら、引退後は言論活動を通じて野球界に貢献してきた桑田真澄。彼の野球史観を批判的に検証しつつ近代日本の野球について分析します。
    中野慧 文化系のための野球入門第21回 桑田真澄の「野球道」に欠けているものは何か? 一高・東大的「ガリ勉のエートス」と「不良性」(前編)
    一高中心史観と桑田真澄の「新野球道」
     日本野球の文化性が形作られた最も重要な時期は、1900〜1920年代である。  この時代は明治末期から大正期、昭和初期へと続いていく時期で、日露戦争、韓国併合、第一次大戦への参戦、関東大震災、普通選挙法施行といった近代日本の歴史のなかでも重要な出来事が次々に起こった。日本は1868年の明治維新を契機に近代化を始めたがその歩みは遅く、高等教育(旧制高等学校、大学や専門学校[1])の普及、俸給生活者(サラリーマン)の登場、良妻賢母教育の広がりなど、今に続く文化の雛形が形成されたのは1900〜1920年代になってからだった。  前回、日本の野球文化を規定するものとして「一高中心史観(=日本野球は根性論と精神主義の歴史である)」の存在について論じた。戦前は現代に比べ高等教育の学資を支弁できる家庭は限られており、そのうえ一高は男子のみ入学可能、入試も日本最高難度で、1学年わずか300人程度しか入学できない非常に狭き門だった(現在の日本で最難関の大学とされる東京大学は1学年3000人程度である)。  その超エリートである一高で1890年代に「校技」となったのが野球であり、一高野球部の強さは日本一とされ、野球部員たちはスクールカーストでも頂点に君臨していた。そして野球部員以外の学生たちも「野球の応援に熱心に参加するべきである」とされていた。  ところが世紀転換期、藤村操の投身自殺をひとつの契機として一高生たちの間で個人主義が台頭し始め、野球応援に熱狂する集団主義的学生文化が冷ややかな目で見られるようになった。また経済成長を背景に旧制高校への進学を狙う家庭が増え始め、一高の入試難易度が上がったこと、そして野球の民衆への普及により日本野球全体のレベルが向上し、一高野球部に勝利する大学や中学(当時の中学は5年制で、現在の中学校・高等学校に相当する。当時は旧制高校と中学校の対戦もごく普通に行われていた)も現れ始めた。  しかし同年代男子内でもっとも学業優秀、スポーツにも秀でる「文武両道」の一高野球部に対するフェティシズムは強力に存在し続けた。こうしたフェティシズムを背景に、有山輝雄や佐山和夫といった戦後の歴史家たちは、一高野球部のプレゼンスを大きく見積もる歴史観を書き続けてきた。  こうした「一高中心史観」を現代に引き継いで発信を行っているのが、巨人やピッツバーグ・パイレーツなどで投手として活躍した桑田真澄(現:読売ジャイアンツ一軍投手チーフコーチ)である。桑田は現役引退後、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程に入学し、そこで論文「『野球道』の再定義による日本野球界のさらなる発展策に関する研究」を執筆し、脚光を浴びた。  元選手が野球史を論じる試みは現代において非常に珍しいものであり、その意味で注目に値する。だが桑田も有山や佐山の議論に大きく経路依存し、「日本野球は根性論と精神主義の歴史である」という一高中心史観を踏襲してしまっている。  以下、それの何が問題なのかを詳しく見ていこう。
    宇野常寛 責任編集『モノノメ #2』PLANETS公式ストアで特典付販売中対談集『宇野常寛と四人の大賢者』+ 「『モノノメ #2』が100倍おもしろくなる全ページ解説集」付
     
  • 中華圏ゲームの発展史:2010年代中盤〜2020年代編(前編)|古市雅子・峰岸宏行

    2022-04-11 07:00  
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    北京大学助教授の古市雅子さん、中国でゲーム・アニメ関連のコンテンツビジネスに10年以上携わる峰岸宏行さんのコンビによる連載「中国オタク文化史研究」の第12回(前編)。2010年代中盤、日本のコンテンツを中心に消費していた「オタク」たちがゲーム市場に組み込まれ、中国産日本アニメ風ゲームと日本アニメの同時配信が行われるようになったのもつかの間、中国政府によって厳しいコンテンツ規制が敢行されます。それにより市場環境と消費者がどのように変わっていったのかを見ていきましょう。
    古市雅子・峰岸宏行 中国オタク文化史研究第12回 中華圏ゲームの発展史:2010年代中盤〜2020年代編(前編)
    盛り上がりを見せるゲーム市場
    前回述べたように、2012年に動画配信サイト、愛奇芸が『Fate/zero』(TYPE-MOON/アニプレックス)を皮切りに日本アニメを日中同時配信し、億単位の再生数を記録したことで、中国にいるアニメファンの存在が発見され、「市場」として認識されました。これが契機となり、2014年『幻想神域』が日本声優を起用した最初の中国産ゲームとしてヒットし、その後の多くの中国ゲーム作品に影響します。
    2014年には『幻想神域』以外にも多くのゲームがリリースされます。上海莉莉絲網絡科技のロングランヒット作『ソウルクラッシュ』(2014年・中題:刀塔傳奇/小冰冰傳奇)から始まり、中国版Twitterとも言えるweibo(新浪微博)が2014年に開催した「ゲームランキング(遊戯排行榜)」には最優秀ネットゲーム賞に『剣網参』(西山居 2009年)、『夢幻西遊』(ネットイース 2001年)や海外の『World of Warcraft』(Blizzard Entertainment 2004年)、『ファイナルファンタジーXIV』(スクウェア・エニックス 2010年)、『モンスターハンターオンライン』(カプコン 2013年)などが選出され、新ゲーム部門に『幻想神域』や、日本原作、韓国制作のゲーム『魔界村オンライン』(Seed9 Games・カプコン 2010年)、期待賞として『ドラゴンクエストX』(スクウェア・エニックス 2012年)、『World of Warship』(Wargaming 2015年)、『ディアブロIII』(Blizzard Entertainment 2012年)、『Overwatch』(Blizzard Entertainment 2016年)などが挙がっています。このほかにも多くの中国国産ゲームがランクインしており、国境を感じさせません。
    また日本の業界が中国最大のゲームショー「Chinajoy」に注目し始めたのもこのころです。
    ▲2017年7月に開催されたChinajoyのテンセントブース。例年とは打って変わってコンパニオンを配置せず、e-sportsに重点を置くようになった。
    Chinajoyは正式名「中国国際数碼互動娯楽展覧会」といい、国家出版総署と上海市人民政府が主催し、全国の映像デジタルメディア運営事業者が集まって結成された「中国音像与数字出版協会」が共催するイベントで、2004年に開かれた第1回は北京で、それ以降は上海新国際博覧中心で開催しています。連載第7回で、中国のコスプレ甲子園的な役割があるとご紹介しました。しかしそれだけではなく、本来の目的であるゲームショーの部分に関しても、中国では唯一、かつトップレベルのイベントです。
    第7回で紹介したCoser(中国のコスプレイヤーはCoserと呼びます)がゲームなどのビジネスに大きく絡み始めたのも、まさにこの2014年前後です。ゲームの宣伝イラストやポスターなどをCoserが飾りました。
    この頃、新作ゲームはひと月に60タイトル以上リリースされ、ネットカフェは連日盛況。オタクはアニメの日中同時配信を見て、中国各地で増え始めた同人イベントに参加する。Coserでない一般の消費者もECサイト「タオバオ」の発展により容易にコスプレ衣装を入手できるようになり、コスプレのハードルが下がります。カメラマンが増え、SNSでの投稿が増えました。間口が広がったことにより、より多くの人がCoserとなり、カメラマンとなります。そしてそのイベントに多くの人が参加することで、ゲーム会社がイベント出展や広告に費用対効果を期待できるようになり、より多くのゲームが出展し、コンパニオンとしてCoserが参加する、といった全体的に良好な循環が生まれていました。
    ファンの裾野がどんどん広がり、イベントも規模が大きくなって、コンテンツビジネス全体が少しずつ熱気を帯びていきます。
    当時中国にいた筆者には、ゲームをはじめとする中国のコンテンツビジネスがその後も順調に発展を続けていくように見えました。
    コンテンツ規制の始まり
    2015年3月、その日人類は思い出した。支配されていた恐怖を……鳥籠の中に囚われていた屈辱を……。というのは大げさですが、数メートル級のバケモノといえる政策が初めて中国の消費者の前に現れます。
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  • よしながふみ──許されない娘|三宅香帆

    2022-04-08 07:00  
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    今朝のメルマガは、書評家の三宅香帆さんによる連載「母と娘の物語」をお届けします。今回取り上げるのは漫画家・よしながふみの短編連作集『愛すべき娘たち』です。謙虚であることを要請されてきた女性を描いた本作品は、時代とともに変化してきた女性への抑圧を描いていると読み解く三宅さん。2000年代初頭の、ポストフェミニズム思想の過渡期ともいえる時代性についても指摘します。

    三宅香帆 母と娘の物語第七章 よしながふみ──許されない娘
    1.傲慢をめぐる『愛すべき娘たち』
    よしながふみによる短編連作集『愛すべき娘たち』は、傲慢を許されない、許さない女性たちの物語である。 母娘をテーマとした漫画というと、第一章で取り上げた『イグアナの娘』(萩尾望都)のほかに、『愛すべき娘たち』を思い浮かべる人も多いのではないだろうか。実際、本稿でも参照した斎藤環の『母は娘の人生を支配する なぜ「母殺し」は難しいのか』は、『イグアナの娘』と『愛すべき娘たち』を同時に取り上げている。『イグアナの娘』は短編漫画であり、『愛すべき娘たち』は短編連作集であるという違いはあるが、たしかに似たテーマを扱っていることは確かである。 とくに斎藤環が扱った『愛すべき娘たち』最終話は、外見のコンプレックスを母が娘に与える物語である。母が娘にコンプレックスを植えつける構図は『イグアナの娘』とほぼ同じと言ってよい。しかし一方で、『イグアナの娘』の母が抱えていたコンプレックスは、「自分は本当はイグアナであること」という、外見に限らない特性にあった。『愛すべき娘たち』の場合は、外見に特化しているのである。本章では、この外見というひとつの能力をめぐる母娘の葛藤を扱いたい。
    2.なぜこれが母娘の物語なのか
    群像劇ともいえる短編連作集『愛すべき娘たち』の中で、第一話と最終話に登場する母娘の物語がある。簡単にあらすじを説明する。 実家に住む三十代の独身女性である雪子は、突然母・麻里が再婚すると聞き、驚く。母の年齢は五十歳を過ぎており、しかも相手は雪子よりも年齢の低い男性だというのだ。しぶしぶ会ってみると、彼は俳優の卵でありながら、美しい容姿の元ホストだった。 彼は麻里に繰り返し「美人だよ」と説く。麻里はとても美しい女性なのだが、それを彼女自身は頑なに否定する人物なのである。母が否定することを厭わず、彼は繰り返し母に「美人だよ」と述べる。彼と母の関係を見た雪子は、実家を出て、彼氏と結婚することを決めるのだった。 そしてある日雪子は、母の容姿に対する頑なさの理由を知る。麻里は、彼女の母にいつも「不細工だ」と言われて育っていたのだ。

    「おばあちゃんに大した悪気は無かったと思うわ 無神経な人だから自覚無しに人を傷付けるような事を平気で言うのよ」 「他人に言われたのならこんなに気にしてないわよ 身内の言う事特に親の言う事ってものは胸に突き刺さるものなんですよ …許せなかった」 (『愛すべき娘たち』p190-191)

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