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記事 6件
  • 【第154回 芥川賞 候補作】『異類婚姻譚』本谷 有希子

    2016-01-12 15:59  

     ある日、自分の顔が旦那の顔とそっくりになっていることに気が付いた。
     誰に言われたのでもない。偶然、パソコンに溜まった写真を整理していて、ふと、そう思ったのである。まだ結婚していなかった五年前と、ここ最近の写真を見比べて、なんとなくそう感じただけで、どこがどういうふうにと説明できるほどでもない。が、見れば見るほど旦那が私に、私が旦那に近付いているようで、なんだか薄気味悪かった。
    「うーん、二人が? 俺は別に思ったことないけどなあ。」
     パソコンのことで分からないことがあって電話したついでに聞いてみると、弟のセンタはいつもの、水辺で休んでいる動物のようなのんびりした口調で答えた。
    「あれじゃない? いつも二人でいるうちに、表情がお互い似てきたとか。」
    「だってその理屈で言ったらさ、あんたとハコネちゃんのほうがもっと似てないとおかしいじゃないの。」
     私はセンタに教えられた通り、パソコンの

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  • 【第154回 芥川賞 候補作】『ホモサピエンスの瞬間』松波 太郎

    2016-01-12 15:59  


     セントラルヒーティングともたとえられる身体のほぼ中央に位置している心臓には、血液を送り出す心室と、血液を迎え入れる心房が、左右に一部屋ずつあります。正面に向かって、この内の左側の心室からはじまった文字通りの大きな動脈・大動脈は、大きく半円を描いて下に向かい、呼吸、消化、泌尿、生殖といった器官に血液を送り届けます。方角としては西となる足部にまで血液を巡らせた後、毛細血管を介して静脈となり、心臓の右の心房に戻ってきます。このように西回りで循環している下半身とは反対に、頭部には東回りで循環してきます。頭部をかつては〝東部〟と呼んでいた人もいた所以です。極東の孤島のごとき頭部には、大動脈が描いた半円から枝分かれした血管によって血液が運ばれてきているのです。内頸・外頸動脈という名前の血管です。〝頸〟とは簡略すると〝首〟のことです。首というのは、その形状のとおり、橋の役割をもっているのです。大

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  • 【第154回 芥川賞 候補作】『死んでいない者』滝口 悠生

    2016-01-12 15:59  


     押し寄せてきては引き、また押し寄せてくるそれぞれの悲しみも、一日繰り返されていくうち、どれも徐々に小さく、静まっていき、斎場で通夜の準備が進む頃には、その人を故人と呼び、また他人からその人が故人と呼ばれることに、誰も彼も慣れていた。
     人は誰でも死ぬのだから自分もいつかは死ぬし、次の葬式はあの人か、それともこちらのこの人かと、まさか口にはしないけれども、そう考えることをとめられない。むしろそうやってお互いにお互いの死をゆるやかに思い合っている連帯感が、今日この時の空気をわずかばかり穏やかなものにして、みんなちょっと気持ちが明るくなっているようにも思えるのだ。
     よしなさいよ、縁起でもない。
     などと思ったところで、誰かがその言葉尻を捕まえて、親戚など縁起そのものじゃないか、それ以外の意味などあるのだろうか、などと言い出し話を複雑にする。縁起、縁起、とどこかから呟く声がさっきからして

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  • 【第154回 芥川賞 候補作】『シェア』加藤 秀行

    2016-01-12 15:59  


    「ふさわしいか、ふさわしくないか。それこそが、」
     元ダンナからメールが届いていて、それ以上読まなくても重い中身と分かる。
     飛行機のタラップをまたぐと同時に、カーソルもメールタイトルを素早く「またぐ」。一瞬以上カーソルが乗っかっていると既読判定されちゃうから。
     平常心、平常心。
     もう若くもないのだから、深夜便に乗ると自分でも気づかないような深いところで疲れてしまう。私はいま、携帯でメールチェックをすべきではなかったのだ。そんなに急を要するメールが来ることもないのだし、彼からメールが来ているであろうことは、容易に想像が付いたのだから。
     そう思ってみても、望んでもいないボールを馬鹿正直に受け取ってしまったことは事実で、そのことが無性に私を苛立たせる。
     羽田の動く歩道の上に立ち止まり静かに進みながら、違うことを考えようとする。そういえば元奥さんを略した「モトオク」という言葉の平板

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  • 【第154回 芥川賞 候補作】『異郷の友人』上田 岳弘

    2016-01-12 15:59  

     吾輩は人間である。人間に関することで、吾輩に無縁であるものは何もないと考えている。名前はまだない。といった状況が三日続いた後に、甲哉という名前がつけられて、吾輩を生み出したつがいの男性側が先祖代々受け継ぐ苗字が山上であったため、吾輩は山上甲哉とあいなった。ぎゃあぎゃあと泣くばかりであった吾輩を女性側があやしてあやして乳やら食い物を与え、吾輩がようやく口を利くようになったのは一年半が過ぎた頃のことだ。
     実を言うともっと以前のことも吾輩は憶えている。例えば母体の子宮の中、あの生暖かい羊水の中にぷわりと浮かび、どくどく脈打つへその緒から送られてくる滋養そのものの液体。闇と言うよりは、薄められた白が一面に広がり、視覚聴覚触覚など全てが渾然一体となりただ我ここにありという感覚のみがある頃、ようやっと脳が形成された。さらにその前、感覚器官がぽつぽつ生まれ、それが将来脊髄となる管に引っ付いている状

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  • 【第154回 芥川賞 候補作】『家へ』石田 千

    2016-01-12 15:59  
        1 迎春
     降りると、まったく雪がない。正月四日、いっしょに降りたのは四、五人。ここから乗る人はいない。
     改札をくぐると、海ぞいの温泉旅館の迎えがふたり、色あせ、しめったはっぴをストーブであぶっている。ロータリーには、そこのマイクロバスと、タクシーが二台とまっているだけだった。
     湯沢のあたりはけっこう降っていたのに、道すら凍っていなかった。こんな正月は、めずらしい。
     ポケットに手をつっこみ、駅前のラーメン屋に入ろうか迷い、そのまままっすぐ、信号ふたつで橋にぶつかる。
     欄干にとまっていたつがいの鴨が、水辺の群れにまざる。土手ぞいにいくと、ようやく泥まみれの雪を見た。背後からきたバイクの音にふりかえると、山は、上半分かくれていた。つぎの橋までいけば、煙のにおいがしてくるはずだった。
     水ぎわに、ゴム長がかたほう落ちていた。すべりおり、携帯を出して撮る。新年最初の写真が長靴ってい

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