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石原莞爾と東條英機:その62(1,818字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 4日前
二・二六事件が起こったとき、石原莞爾は参謀本部作戦課長という肩書きだったが、早くから反乱部隊の鎮圧組織に身を置き、その要として活躍した。二・二六事件は繊細に推移する。最初は荒木貞夫や真崎甚三郎を中心にこれを容認する雰囲気が広がったが、そこから石原莞爾らの働きで徐々に鎮圧するという考えが広がってい...
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トランプ人事の最優先は忠誠度。忠誠なき者の要職就任はない。一期目国防省はトランプに抵抗。国防長官(280万人監督、9
コメ10 孫崎享のつぶやき 1週間前
A-1「トランプ氏、国防長官にTV司会者ヘグセス氏指名へ NATOに懐疑的」(ロイター)トランプは12日、国防長官にFOXニュース・チャンネルの司会者ピート・ヘグセス氏(44)を指名と表明。ヘグセス氏は元陸軍州兵で、個人ウェブサイトによると、アフガニスタンやイラク、キューバのグアンタナモ米海軍基地で...
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石原莞爾と東條英機:その60(1,924字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 2週間前
永田鉄山が相沢三郎に殺された。その報に接したとき、石原莞爾は「なんだ、殺されたじゃないか」と言ったとされる。そして相沢に対しては、「妻子もある40代の男が、命をかけて何かをするということは、陸軍にはまだ見込みがある」と言ったとされる。つまり、永田鉄山の側ではなく、むしろ相沢三郎の側についたのだった...
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石原莞爾と東條英機:その59(1,847字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 3週間前
化物と化した戦前の陸軍。その中で石原莞爾はどのような存在だったのか?彼は陸軍内で、誰からも文字通り一目も二目も置かれていた。いろいろな理由はあるが、やはりその独特の個性に因るところが大きい。誰に対しても一歩も引けを取らない。しかも満州事変を主導したという実績もある。満州事変は陸軍の「心の拠り所」...
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石原莞爾と東條英機:その58(1,885字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 4週間前
皇道派は荒木貞夫と真崎甚三郎を旗頭としていた。荒木も、元々は一夕会の領袖を務めるなど、統制派の永田鉄山とは非常に近しい関係にあった。永田鉄山が荒木を引き立て陸軍大臣に仕立て上げたという経緯さえあった。ところが荒木は、陸軍大臣になってからは、腐敗した閣僚や経済人を一掃し、陸軍が中心となる国家を作ろ...
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石原莞爾と東條英機:その57(1,698字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 1ヶ月前
永田鉄山を殺したのは相沢三郎という陸軍将校だった。つまり永田の後輩であり部下だ。陸軍士官学校出身で当時46歳の中佐だった。この事件は、犯人の名を取って「相沢事件」と呼ばれている。相沢三郎は1889年に仙台で生まれる。実家は旧仙台藩士だった。そして石原莞爾も同じ1889年の生まれで、同じ東北(山形)の旧武家...
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石原莞爾と東條英機:その54(1,854字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 2ヶ月前
真崎甚三郎は陸軍大臣になれず、代わりになったのは林銑十郎だった。これによって今度は真崎と林が対立するようになり、真崎は林の追い落とし工作をあれこれと計るが、逆に林の怒りを買って、今度は林が真崎に教育総監の地位も辞職するよう求める。真崎はこれに頑として抵抗したが、ついにその地位を剥奪されてしまう。...
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石原莞爾と東條英機:その52(1,800字)
コメ2 ハックルベリーに会いに行く 2ヶ月前
荒木貞夫は陸軍を「天皇の軍」という意味で「皇軍」と呼び、その在り方=「道」を道徳に説いていた。だから、荒木の元に参集した若手将校たちは「皇道派」と呼ばれた。その皇道派の行動理念は昭和恐慌、あるいは世界恐慌を機に始まった経済の混乱に対する「義憤」にある。彼らは猛烈に怒っていた。何に怒っていたかとい...
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春日太一の木曜邦画劇場 第591回「情に寄り過ぎない男女の関係を長谷川公之の脚本がタイトに見せる」『孤独の賭け』
コメ0 週刊文春デジタル 2ヶ月前
前回まで「陸軍中野学校」シリーズを続けて取り上げる中で、改めて気づいたのは脚本家・長谷川公之によるプロットの見事さだ。その緻密さにより、スパイたちの諜報戦に緊迫感をもたらしていた。 長谷川は警察官出身という珍しい経歴の持ち主で、それを活かして「警視庁物語」などの刑事ドラマを得意としてきた。その...
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春日太一の木曜邦画劇場 第590回「スパイは誰だ? 伝達網はどこだ? シリーズ屈指の極秘諜報戦!」『陸軍中野学校 開
コメ0 週刊文春デジタル 2ヶ月前
今回は『陸軍中野学校 開戦前夜』を取り上げる。前回の『雲一号指令』と同じく、市川雷蔵の演じる諜報員・椎名次郎の活躍を描いたシリーズの第五作だ。 時は一九四一年の十一月。タイトルの通り、日米の開戦を目前にした時期である。 椎名が香港で得た情報により、対米交渉の期限を定めた御前会議の内容が連合国側...
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春日太一の木曜邦画劇場 第589回「『時代劇メイク』のない市川雷蔵を見事に活かす現代劇の役柄がある!」『陸軍中野学校
コメ0 週刊文春デジタル 2ヶ月前
市川雷蔵と仕事をしたスタッフや俳優に取材すると、ほぼ必ず出てくる話がある。それは、時代劇のメイクをした際は凜々しく美しい一方で、普段のノーメイクの時は全くの地味な見た目になるというエピソードである。 雷蔵が凄いのは、だからといって現代劇を避けなかったことだ。むしろその特性を存分に活かして、時代...
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町山智浩の言霊USA 第726回「Appeal to Heaven(天に訴えよ)」
コメ0 週刊文春デジタル 2ヶ月前
日の丸の旗には上下はないが星条旗は上下逆さまに揚げてはいけない。あえて上下逆に揚げるとSOS(緊急事態発生、救援求む)の意味になる。 たとえば映画『告発のとき』(2007年)。イラク戦争から帰還した兵士が陸軍基地で行方不明になった実話を基に映画化。その兵士の父親(トミー・リー・ジョーンズ)が探し求める...
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石原莞爾と東條英機:その48(1,581字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 6ヶ月前
一夕会は宇垣一成や宇垣閥を牽制するために荒木貞夫、真崎甚三郎、林銑十郎を盛り上げた。実際、東條英機は荒木貞夫に相当な尊敬の念を抱いていた。荒木貞夫はどのような人物か?1877年生まれで旧一橋家の出身である。つまりバリバリの徳川だ。1897年に陸軍士官学校を卒業し、1907年には陸大を首席で卒業する。そうして...
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石原莞爾と東條英機:その47(1,652字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 6ヶ月前
ここで陸軍の「派閥史」を概観してみたい。1873年に陸軍省が創設され、ここから山縣閥が始まる。山縣は1938年の生まれなので、スタート時はまだ35歳の若さであった。1889年に、ドイツに留学した東條英機の父、英教が山縣に長州閥の弊害を直談判する。それが山縣の恨みを買って、英教は出世街道から脱落する。英教は34歳...
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石原莞爾と東條英機:その45(1,708字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 7ヶ月前
満州事変で石原莞爾が激動の中心にいた頃、東條英機は何をしていたのか?彼は東京にいた。歩兵第一連隊長として、出世街道のほぼど真ん中を順調に歩んでいた。一方で、東條は一夕会でもど真ん中を歩いている。一夕会のトップは押しも押されもしない永田鉄山だったが、東條はその直下のナンバーツーだった。そして、忙し...
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石原莞爾と東條英機:その44(2,107字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 7ヶ月前
石原莞爾はスイスから帰国した直後、仙台の歩兵第四連隊長に着任する。これは、心身の疲れから引退を申し出た石原を引きとどめるため、陸軍上層部が用意したポストだった。石原の故郷である山形に近い地で、石原の好きな歩兵たちとの仕事だ。そこで心身の疲れを癒してほしいという狙いがあった。ここから分かるのは、こ...
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石原莞爾と東條英機:その43(1,568字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 7ヶ月前
石原莞爾は事変がなった後、満州での参謀の職を解かれ、日本に戻される。このとき、事変において上司に無断で自らが兵を動かした責任を取り、陸軍の除隊を申し入れる。が、慰留された上に大佐に昇進までさせられて、踏みとどまった。このことで分かるのは、石原は満州事変がなった瞬間から、それに必ずしも満足してはい...
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石原莞爾と東條英機:その39(1,824字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 8ヶ月前
当時の陸軍将校には有り体にいって「バカ」と「ずる賢いやつ」しかいなかった。ちなみにここでいう「バカ」とは、勉強はできるが考える力がない者のことだ。バカは皇道派になり、ずる賢いやつは統制派になった。そして、バカとずる賢いやつは相性が悪い。文字通り犬猿の仲である。ぼくもずる賢い人間だが、バカがこの世...
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随想⑪ 松本竣介立てる像 1941年『みづゑ』に寄稿「芸術一般に於けるヒューマニティは普遍妥当性を持った外延量とな
コメ5 孫崎享のつぶやき 8ヶ月前
1937年盧溝橋事件が起こり、日本は中国本土で戦いに入っていく。1941年12月真珠湾攻撃に突入する。こうした世相は当然絵画の世界にも影響を与え、1938年6月には陸軍省が大日本陸軍従軍画家協会を結成、陸海軍省は戦地へ従軍画家を派遣。現地部隊とともに行動する従軍画家には小磯良平、藤田嗣治、宮本三郎ら多くの...
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【サンプル】幻想夜話#47 大久野島灯台編 あとがき
コメ0 【公式】燈の守り人 8ヶ月前
大久野島灯台は、広島県竹原市に位置する大久野島の南端にある灯台です。大久野島は、かつて村上水軍の末裔が住んでいたと言われ、明治時代には4世帯、島民26人の平和な島でした。日清戦争後、広島や呉の軍港を守る場所として周囲の島々に要塞が築かれた際、大久野島にも砲台が16門設置されました。昭和4年以降は、大日...
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おすすめの一冊「満州事変」
コメ0 ごまめの歯ぎしり メールマガジン 応援版 (ニコニコ) 8ヶ月前
不定期連載のおすすめの一冊、緒方貞子さんの「満州事変」を取り上げます。「満州事変」 緒方貞子著 岩波現代文庫UNHCRやJICAのトップを務めた緒方貞子さんが、1963年にカリフォルニア大学バークレー校に提出した博士論文が1966年になって日本語で出版されたのが本書です。関東軍の片倉参謀の「満州事...
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石原莞爾と東條英機:その37(1,931字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 9ヶ月前
満州は中国(漢)の一部ではあったが、モンゴル人や朝鮮人も数多く入植し、異国の文化もかなり混入していた。そうして満州独自の文化というものを形作っていた。さらにそこへ北方から侵略を窺うロシアの文化も流入され、実に混沌とした状況だった。中国、モンゴル、朝鮮、ロシア、そして日本が、元からいた現地民と入り...
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石原莞爾と東條英機:その36(1,686字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 9ヶ月前
張作霖爆殺事件の後、日本陸軍の陰謀だったことが、やがて張作霖陣営はもちろん、満州の一般人にさえ知られるようになった。しかし陸軍及び日本政府は、その事実を最後まで否定した。その一方で、陰謀の首謀者であった河本大作を左遷し、またその責任を取って田中義一内閣が総辞職するなど、ちぐはぐな事後処理となった...
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石原莞爾と東條英機:その35(2,481字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 9ヶ月前
満州事変は、実に不思議な「歴史の綾」の中で、ほとんど偶発的に起こった。まるでジャズのアドリブのように、先が見えないまま目の前のできごとに、ほとんどの者が条件反射で動いた果て、奇跡的に成立したのだ。しかし一方で、「こちらに行きたい」という意思と方向性は確実にあった。特に石原莞爾にそれがあり、しかも...
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理性の時代(Zeitalter der Vernunft)|ボードゲーム体験記
コメ0 渡辺文重の有料メルマガ批評 9ヶ月前
18世紀後半の世界を舞台に、プレイヤーたちはイギリス、ネーデルランド、フランス、スペイン、プロシア、オーストリア、ロシアの支配者となり、ヨーロッパで勢力を拡大しつつ、アメリカ、アフリカ、インドといった植民地の支配を強化していく。「理性の時代(Zeitalter der Vernunft)」は7人まで遊べるボードゲームとな...
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石原莞爾と東條英機:その33(1,853字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 9ヶ月前
ここで石原莞爾と板垣征四郎の関係を年代順に見てみたい。ただ、陸軍の人事はかなり頻繁にまた縦横無尽に行われるので、なかなか追いにくいところがある。そのため、主だったところだけを挙げている。1885年、板垣征四郎、岩手県盛岡市に生まれる。1889年、石原莞爾、山形県鶴岡市に生まれる。1899年、板垣、仙台陸軍幼...
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石原莞爾と東條英機:その32(2,063字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 10ヶ月前
石原莞爾は1920年、31歳のときに中国に赴任する。その直前には陸軍大学の教官をしていたが、そこはあまり性に合わなかった。石原は、エリート――特に陸大生クラスの人間が苦手だった。突出して頭が良いか、それとも自分の頭の弱さを知っている謙虚な人間でないと、上手く関係を持てなかった。後年、石原は自分の部隊を持...
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石原莞爾と東條英機:その31(1,747字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 10ヶ月前
板垣征四郎は、陸軍士官学校を16期生として1904年10月に卒業し、すぐ日露戦争に参加する。日露戦争は、1904年2月に始まり1905年8月に終わる。だから、当時はちょうど中盤だった。この年度の陸軍士官学校生は、日露戦争のために卒業を半年早めた。そういう非常時の中での卒業だった。明けて1905年3月、満州・奉天で行われ...
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石原莞爾と東條英機:その30(1,657字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 10ヶ月前
石原莞爾は1920年に中国に渡る。そこで作戦課に配属される。いわゆる諜報部だ。ただし、この頃の中国はまだ平和だったので、石原の日々も平穏だった。このとき、石原は板垣征四郎と出会っている。板垣が石原の直属の上司だったのだ。板垣征四郎は陸軍士官学校の16期で、同期にはあの永田鉄山がいた。陸軍大学には少し遅...
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Re:ゆっくりで語る珍兵器 第4回【コアリツィアSV(Koalitsiya-SV)】
コメ0 ブログ 10ヶ月前
あけましておめでとうございます。昨年は色々ありましたが、今年もよろしくお願いいたします。 過去に紹介し、古くなった情報をアップデートする「Re:ゆっくりで語る珍兵器」。第4回はコアリツィアSV(Koalitsiya:連合/SV=Sukhoputniye Vojska:陸軍)と呼ばれる自走砲のうち、152mm連装砲を備えた試作型についてアッ...
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【№61】スケールモデル祭り2023エントリー作品紹介【スケモ祭】
コメ0 TOYラジからのお知らせ 10ヶ月前
「スケールモデル祭り2023」エントリー作品をご紹介します。 モデラーネーム:キムラ製作所 使用キット:ハセガワ 1/48 日本陸軍 川﨑 五式戦闘機Ⅰ型甲(ファストバック) 製作コメント:お世話になります。昨年に続き、2回目のスケモ祭り参加です。今年は個人的に好きな飛行機の1つ、旧日本陸軍の五式戦闘機を作りまし...
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【№33】スケールモデル祭り2023エントリー作品紹介【スケモ祭】
コメ1 TOYラジからのお知らせ 10ヶ月前
「スケールモデル祭り2023」エントリー作品をご紹介します。 モデラーネーム:ちょら 使用キット:タミヤ1/700一等二等輸送艦 製作コメント:第7次多号作戦時の第140号輸送艦のいち場面です。同作戦では駆逐艦竹の活躍が有名ですが、今回は破壊でなく「生きるための戦い」を表現しました。揚陸場面ではよく戦車が出てき...
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0から学ぶ「日本史」講義〔近・現代篇〕第212回 出口治明「太平洋戦争 その2 日本の戦争目的」
コメ0 週刊文春デジタル 11ヶ月前
近・現代篇の最後は、日本が太平洋戦争にどんなビジョンを持っていたのかをお話ししていきます。 開戦直前の一九四一年十一月十五日、大本営政府連絡会議は (1)南方作戦で米英蘭を破って戦略的要衝と主要交通線を確保し長期不敗態勢をつくり (2)中国の蒋介石政権を屈服させ (3)ドイツ、イタリアの協力を得て...
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石原莞爾と東條英機:その29(1,830字)
コメ2 ハックルベリーに会いに行く 11ヶ月前
石原莞爾は1918年(29歳のとき)に陸大を卒業する。その後、1920年(31歳)に中国に転出。さらに1923年(34歳)にはドイツに留学している。陸大を優秀な成績で卒業した者は数年ヨーロッパに留学するのが陸軍のならわしとなっていたからだ。この頃の石原は、世界を視察しながら自身の人格と思想とを育んでいた。日蓮主義...