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記事 20件
  • 水木しげるに学ぶ、幸福になるための七か条。

    2015-11-30 14:38  
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     漫画家の水木しげるさんが逝去されたそうで、故人を惜しんで以前書いた記事を再掲しておく。93歳。大往生と思われますが、それでも、惜しい人を亡くしました。
     どうしたら幸福になれるのか? なるほど、むずかしい問題だね。
     わが日の本の歴史上、いまほど平和で、安定していて、豊かな時代はない。しかし、同時に、いまほど切実に幸福の意味が問いかけられている時代もないかもしれない。
     洗濯機もある。自家用車もある。薄型テレビもある。DVDレコーダもある。クーラーもある。携帯電話も、パソコンも、何もかもそろっている。足りないものはメイドロボくらい。
     それなのに、あまり幸せそうじゃないひとが多いのはなぜだろう。いったいどうすれば本当の意味で幸福になれるのだろうか? そもそも幸福って何だろう?
     思うに、何でも悩んだときは専門家の意見を聞いてみるにかぎる。幸福論の専門家、幸福観察学会会長の意見に耳を傾けてみることにしよう。ま、この学会、会員は1名しかいないんだけど。
     その1名とは、水木しげる。いわずと知れた『ゲゲゲの鬼太郎』の原作者である。
     水木さんは著書『水木さんの幸福論』のなかで、「何十年にもわたって世界中の幸福な人、不幸な人を観察してきた体験から見つけ出した、幸せになるための知恵」を七か条にまとめている。順番に紹介していこう。
    ●第一条「成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはならない。」
     水木さんはいう。
     世界中の神話宗教民話などを調べると、地獄のありさまはそれぞれに違っている。しかし、天国のほうは似たり寄ったり。
     きよらかな河が流れ、薄物をまとった美女がいて、おいしそうな食事があふれている。おや、環境が悪くなったことに目を瞑れば、不況の現代日本こそまさに天国じゃないか!
     それなのに現代には悲壮な顔をして歩いているひとが多い。それは成功や栄誉という亡霊に憑り付かれているからではないか。
     成功なんて時の運、成功しなくても全然OK! 成功しなくても楽しめることに熱中しよう、と。
     それでは、「成功しなくても楽しめること」は具体的にはどんなものなのだろうか?
    ●第二条「しないでいられないことをし続けなさい。」
     それは、「しないではいられないこと」だと水木さんはいう。
     打ち込めるものを真剣に探すと案外見つからなかったりする。そうじゃなく、ただ好奇心を大切にし、何か好奇心がわき起こったら、そのことに熱中してみる。そうすれば、「しないではいられないこと」が見つかってくる。
     それでも見つからないなら、子供の頃に戻ってみるといい。子供の頃は、だれもが好きなことに没頭して生きていたはず。その頃の気持ちを取り戻そう、と。
    ●第三条「他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。」
     それでは、その「しないではいられないこと」とは、社会的に立派な行為であるべきだろうか? ひとに認めてもらえるよう頑張るべきなのだろうか?
     そうではない、と水木さんは仰る。自分の好きなことに専念するためなら、世間の常識なんて捨ててしまおう。奇人変人になってもいい。いや、むしろ、奇人変人になるべきだ。
     その証拠に、世界の奇人変人には幸せそうなひとが多いではないか。だれが何といおうとわがままに自分の幸福を追求する。それでこそ本当に幸せになれるというものだ、と。
    ●第四条「好きの力を信じる。」
     孔子曰く、「之を知る者は、之を好む者に如かず。之を好む者は、之を楽しむ者に如かず」。水木さんの意見も、どうやら二千数百年前の聖賢と同じようだ。
     水木さんは若くして漫画道に入り、その道を歩むこと60年。ついに歩き通した。勲章なんてものをもらったことより、こっちのほうがよほど幸せなことだ、とかれはいう。
     さて、それでは水木さんは好きなことに専念すれば、かならず成功できるといっているのだろうか?
    ●第五条「才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。」
     そうではないようである。 
  • いまの時代ならではの青春群像劇が面白くてしかたない。

    2015-11-29 05:57  
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     ども。11月も終わりですねー。
     今年も残すは12月のみとなるわけで、毎年のことながら早いなあと思います。
     ほんと、歳取ると一年が過ぎ去るのが速く感じますね。
     今年のベストとして挙げたい作品はいくつかあるのですが、気づくとどれも青春物語ばかりです。
     ぼくはもともと青春ものは大好きなのだけれど、今年はその方面に特に収穫が多かった気がします。
     具体的には『妹さえいればいい。』であったり、『心が叫びたがってるんだ。』や『バクマン。』だったりするのですが、それぞれ共通点があるように思えます。
     どうでもいいけれど、みんなタイトルのラストに「。」が付きますね。なんなんだろ、モーニング娘。リスペクトなのか?
     まあいいや、その共通点とは「集団である目標を目ざして努力していること」です。
     となると、『冴えない彼女の育てかた』あたりもここに含まれますね。
     『エロマンガ先生』や『妹さえいればいい。』の場合、各人は個別で頑張っているわけですが、「良い小説を書きたい」という志は共通しています。
     まあ、もちろん、集団で目標に向かうことは青春もののきわめてオーソドックスなパターンです。いま新しく生まれ出た物語類型というわけではありません。
     しかし、いまの時代の作品がいくらか新しいのは、集団に必ずしも「一致団結」を求めない点です。
     バラバラな個性の持ち主がバラバラなまま同じ夢を目ざす。そういう物語が散見されるように思います。
     それは、やはりある種の「仲良し空間」であるわけですが、目標がある以上、もはや単なる仲良し同士の集まりではありえません。
     そこにはどうしようもなく選別が伴うし、淘汰が発生する。実力による差別が介在してしまうのです。
     それを受け入れたうえで、それでもなお、高い目標を目ざすべきか? それとももっとゆるい友人関係で満足するべきなのか?
     その問いは、たとえば『響け! ユーフォニアム』あたりに端的に見られます。
     そして、何かしら目標を目ざすことを選んだなら、そこに「祭」が生まれます。
     ぼくたちの大好きな非日常時空間、「祭」。
     その最も象徴的なのは文化祭だと思いますが、文化祭はいつかは終わってしまう。
     それでは、終わらない祭を続けるためにはどうすればいいか?と考えたときに、お仕事ものに接続されるのだと思います。
     『SHIROBAKO』ですね。あれは最も都合のいいファンタジーに過ぎないという批判はあるかと思いますが、でも、その裏には救いのない現実が存在するという視点はあるでしょう。
     その上で、ファンタジーを描いている。終わりのない「祭」の夢を。
     それは創作の作法として十分に「あり」なのではないでしょうか?
     ちなみに、 
  • 天才作家連城三紀彦、その伝説の手際に戦慄する。

    2015-11-28 03:57  
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     綾辻幸人、伊坂幸太郎、小野不由美、米澤穂信という当代一流の作家たちが、いまは亡き天才作家の輝かしい業績を追ったアンソロジー『連城三紀彦レジェンド』を読んだ。
     随分と昔に買ったはずだが、読むのは遅れに遅れていまになってしまった。
     しかし、この本が素晴らしい一冊であることに変わりはない。
     レジェンド――伝説の人。
     物故したのち、そう呼ばれるに値する作家が、この日本に何人いるだろうか。
     ともかく、連城三紀彦その人は紛れもなく伝説となるべき存在であった。
     その作品をひと言で表すなら、華麗、ということになるだろう。
     とにかく無駄がなく、完成度が高く、しかもただそれだけに留まらない「艶」のある作品を書く人だった。
     ただ単によくできた小説を書く作家はほかにもいるだろう。
     だが、連城の書き方はほかのすべての作家と違っている。
     すべてがあまりにも完璧に洗練さているせいで、読む者に異常に華麗な印象を与えるのだ。
     それは晩年の作品に至るまでついに変わらなかった。
     まるで重力を無視して自由に飛ぶ蝶のような、とでもいえばいいのか、自由自在な作品は熱狂的な愛読者を生んだ。
     そして、その着想。
     一生涯を通じて、連城はほかのだれにも思いつくことができないだろうと思われるアイディアを次々にひねり出す天才トリックメーカーだった。
     連城の作品を読みながら、幾度、突然に重力が狂ったような酩酊感を味わったことだろう。
     卓抜な発想のトリックメーカーはほかにもいるだろうが、連城という魔術師は、そのトリックを操る手際が並外れて巧みだった。
     最後の最後まで読者にトリックの存在を気づかせない手際の素晴らしさ。
     そして、その文章の香気馥郁たる美しさ。
     探偵小説はトリックを成立させるためにときにその構造を歪めなければならないなどといういい訳は、一作の連城三紀彦を前に恥じ入って退散するしかない。
     なぜなら、連城の作品は、その内に驚天動地のアクロバティックなトリックを仕込まれていながら、何よりもまず小説として美しく完成されているからだ。
     この作家は、何かしら逆転のトリックを仕込むために、小説としての洗練を犠牲にするということをしないのだ。
     たとえ、あまりに破天荒なプロットのためにどうしようもなく全体の構造が歪むことがあるとしても、その歪みすらもが美しく整えられている。それが連城三紀彦独創の世界なのである。
     なんという作家だろう。
     たとえば 
  • 30年近くたったいま、初代『ドラクエ』をプレイしてみると?

    2015-11-27 22:06  
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     iPad miniで初代『ドラゴンクエスト』をプレイちう。
     一度は投げ出したのですが、やっぱりもったいないので再開してみました。
     操作性に難はあるのだけれど、頑張れば遊べないこともない感じ。
     何よりやっぱりたまに『ドラクエ』とか『マリオ』をプレイしたくなるのですよねー。ぼくはここらへんのゲームで育ったわけで。
     ぼくより下の世代だと、それが『ポケモン』なのかもしれないし、もっとさらに下だと『妖怪ウォッチ』になってくるのかもしれませんが、「心のゲーム」はやはり幼少期の体験で刻み込まれるものだと思います。
     大人になってみると、そもそもそこまでゲームやりたくなりませんからねえ。
     さて、『ドラクエ』の話。
     このゲームが発売されてから30年くらい経っているのかな?
     いまとなっては大昔の作品ですが、このiOS版はさすがにファミコンからの直移植ということはなく、どうやらスーパーファミコ
  • ゲーマーの心が折れるとき。

    2015-11-26 02:31  
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     『ウィッチャー3』を続けています。
     現在、レベル7。相当プレイしたのにまだこれだけかという気もしますが、各所で時間を無駄にしているから仕方ないのかも。
     ちなみにこのゲーム、フィールドエネミーを斃してもほとんど経験値は入らず、主にクエストクリアでレベルアップしていくシステムになっています。
     そのクエストがまたけっこう歯ごたえがあるものだから、必然的にプレイ時間はかさむことになる。
     ぼくは見つけたサブクエストを片端からやっているけれど、ほんとうはそれらは適度に放置してメインクエストに集中するのが合理的なのかもしれません。
     まあ、ゲームに合理性を持ち込んでも意味がないけれど。
     ちなみにサブクエストは膨大な量があり、メインクエストにも蛇のように絡んできます。
     また、このゲームの特色として、なにげない選択のひとつひとつが重い意味を持って迫って来るということがあり、まったく気が抜けません。
     ちょっとあまりにも内容が詰まりすぎているので、長時間だらだらとプレイするのに向かない難はありますが、まあ、傑作ですね。
     恐ろしくよくできたシナリオぞろいといっていいと思う。
     もう少し気を抜いてプレイできるゲームをやりたいところですが――それは『ファイナルファンタジー13』を遊んでいればいいんだろうな。
     そういうことをやっているといつまで経っても進まないけれど。
     ゲームの難易度というのはじっさいむずかしい問題だと思います。
     あまりにやりごたえがなさすぎると退屈だし、ありすぎると辛くなる。
     この『ウィッチャー3』の場合は死亡時のロード時間が長いこともあって、あまり気軽にプレイヤーキャラクターを死なせることができません。
     そこがこの出色の傑作の欠点といえばいえるでしょう。
     じっさい、このゲームをクリアまで持っていけるかどうかは自信がないところですね。
     めちゃくちゃよくできた物語なのだけれど、いちいち内容が重たいのでちょっと疲れる。
     小説だったらこれでいいのかもしれませんが、ゲームだとプレイのむずかしさと相まって心が折れてしまうのですね。
     うーん、サブクエストは放っておいてメインクエストを進めようかなあ。それとも、地道にレベル上げを試みるか。
     経験値だけでなくお金もなかなか手に入らないゲームなので、各種アイテムをそろえるのも大変なのですが……。
     たしかに 
  • なつかしの90年代萌えアニメを楽しむ。

    2015-11-24 04:23  
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     夜です。
     ひきこもり生活者の夜は長く辛い。
     ほんとうは寝ればいいのですが、生活リズムが狂っているとなかなか眠れなくて苦しむのです。
     夜中に起きていると寂しいしつまらないし良いことは何ひとつないのだけれど、それでも眠れないときはこうして記事など書いてごまかすしかない。
     記事を書くのはごまかしなんですか? 仕事じゃないんですか?
     いや、すいません、半分は仕事ですが半分は自己欺瞞です。そうでもしないと長い夜を過ごし切れない。
     こういうときはしかたがないのでアニメとか見ることにします。
     とりあえず『NG騎士ラムネ&40』(1990年)の第1話を観てみましょう。
     おお――なつかしい。ぼくが小学生高学年のときのアニメです。
     いま見るとけっこう作画が崩れまくりですごいな、と思います。
     素人目に見ても背景のパースが狂っている(笑)。
     ぼく程度がわかるんだから相当わかりやすく狂っているのだと思う。
     まあ、この当時はテレビアニメなんてそういうものだと思って見ていたのでした。
     内容的には特筆すべきところもない作品なのですが、とりあえず女の子は可愛い――心の目で見れば(笑)。
     いや、何しろ作画が崩れているのであまり可愛いと思えないのだけれど、キャラクタ―デザインそのものはキュートなので、心の目で見れば可愛く思えるのである!
     当時、多くの心あるアニメファンはそうやって心の目で補完しながらアニメを見ていたのでした。なつかしいなあ。
     ちなみにこのテレビシリーズはそうでもないのですが、のちに作られた続編ではあかほりさとるの作家性が爆発し、バブル時代を象徴するようなちゃらちゃらした内容になって、その頃中学生だったぼくを大いに失望させることになるのです。
     いやー、ぼく、あかほり作品が好きじゃないんですよねえ。
     これはもう、完全に好みの問題としかいえないけれど、あのバブリーなノリが耐えられないのです。
     テレビシリーズにもそのノリの片鱗はうかがえて、エンディングでヒロインが「赤いパンプス、イヤリング、プラチナの指輪も必要ねー♪」と歌っているのはなかなか象徴的。
     でもミルクもココアもかあいいんですけれどね……。惜しむらくは作画がね……。
     まあ、90年当時ではこのくらいの作品が平均的なテレビアニメだったのだと思います。
     じっさい、この作品、続編がたくさん作られて人気が出たタイトルなのです。
     いやー、隔世の感があるなあ。
     でもまあ、いまの視点で見るとこの時代の作品はさすがにきびしい、もう少しあとの作品を見てみましょう。
     『To Heart』(1999年)。 
  • 90年代伝説の傑作アニメ『ジャイアントロボ』をいま見ると?

    2015-11-23 00:09  
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     昔見たあのアニメをもう一度見てみよう!企画の第一弾として、『ジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日-』を見ています。
     な、なつかしー。かつて中学生のぼくが熱狂しながら見ていたオリジナル・ビデオ・アニメのシリーズなのですが、うう、20年以上も経ってから再度見ることがあろうとは。
     なんだかんだでいろいろあった90年代OVAの最高傑作というべき一作で、個人的には非常に思い入れがあります。
     長いあいだ続編を待ったものですが、ついにそれが発表されることはなかったのでした。よよよ。
     まあ、ひとことでいってちょー面白いアニメですので、未見の方がいらっしゃいましたら(いるに決まっていますが)、ぜひ見てみてほしいですね。
     世紀末90年代真っ只中のあの日、ぼくはこのシリーズを熱狂と感動とともに見ていたのですが、いま見ると案外普通――などということはまったくなく、やっぱり圧倒的に面白い作品だと思います。
     何がそれほど傑出しているのか?
     謎また謎のストーリー、痛快きわまりないアクションなどを挙げることはできますが、それ以前に何か異常にぼくの心を惹きつけるものがある。
     あえていうなら、それは「面白さをためらわない」姿勢であるといえるかもしれません。
     とにかく作品を面白くすることに躊躇がない。
     考えられる限りのありとあらゆる手段を用いて面白くしようとしているアニメーションであるといえるかと思います。
     まず、もとは特撮企画である『ジャイアンロトロボ』をアニメ化しようとしたときに、『バビル二世』から『水滸伝』に至るさまざまな横山光輝作品を取り込んで、いわば横山光輝オールスタープロジェクトともいうべき作品世界を作り出そうとする発想が異常。
     しかも、『三国志』やら『仮面の忍者赤影』やらのキャラクターたちがときに善悪逆転し、ときに敵味方に分かれて戦い合うという企画意図そのものが素晴らしい。
     主人公である草間大作を初めとして、ほとんどがなんらかの出典を持つキャラクターで、その出典と照らし合わせて考えてみるだけでも楽しい。
     そして、もちろん、この作品はただそれだけで終わることなく、かつてだれも見たことがないような壮大なストーリーをひねり出していきます。
     舞台となるのは近未来とも思しい地球。一方はこの世の秩序を守ろうとする世界の守り手、国際警察機構! 他方はそれを反転させようと試みるBF団!
     この両者の超集団の壮絶を究めるパワーゲームのなかで、「地球静止作戦」と呼ばれる世紀のビッグプロジェクトが始まる。
     それは世界のあらゆるエネルギーをまかなう大発明「シズマ・ドライブ」を静止させようとするBF団史上最大の作戦。
     10年前、バシュタールの惨劇によって生み出されたエネルギーが止まるとき、過去の亡霊がうろつきまわり、人類は無限エネルギーの代償を支払わされることになる。
     しかし、その裏にはさらにさらに隠された真の目的が?
     真実はどこにあり、戦いはなんのためにあるのか?
     数々の超能力を持つ最強の超人たちが活躍するなか、少年は非情の決断を迫られる――。
     まあ、 
  • 友達さがしの向こう側で見つけた世界。

    2015-11-21 22:13  
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     けれども、いま2015年後半以降になって、連続で見たものを全部思い出してみても、特にライトノベルの最前線は、男女同数のように男性キャラクターがバランスよく出てくるようになってきている感じがするんですよね。大御所である『妹さえいればいい。』とこの伏見さんの『エロマンガ先生』も、なんというか、そういう感じになっている気がする。
     なんか、みんな同じ設定、同じ何かを見ている気がするんですよね。その「なにか」が、まだ言葉にできていないんですが、なんか似ているんですよね。黒猫一択のような、ヒロインにはまってしまうというのとは違う感じの魅力で、、、、伏見さんの『エロマンガ先生』も『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』も、どっちもやっぱり大事なのは、友だちを得ていくこと、それが大きな基盤のテーマですよね。ほとんどテンプレで、ほとんど同じなんだけど、、、、何かが決定的に違うんですよね。『エロマンガ先生』と『妹さえいればいい。』は、その何かがはっきり見えている感じがします。それが何なんだろう?って凄い思うんですよね。http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20151121/p1 いま、それ考えています(笑)。


     平坂読『妹さえいればいい。』と伏見つかさ『エロマンガ先生』の共通項を考えていくと、まずは当然、両者ともライトノベル作家を主人公にした作品であるということが挙がると思います。
     もちろんそれはどちらが真似したとか追随したという次元の話ではない。
     むしろ同じコンセプトを追求した結果、必然的に同じシチュエーションに至ったということなのではないかと思いますけれど、とにかく似たような設定を用いている。
     問題はそれが何を意味しているかということで、そこのところがよくわからない。
     わからないけれど、でも、「何か」があるとは感じるんですよね。
     なんだろう。それはたぶんこの二作品だけじゃなくて、最近、ぼくが感動した青春系の映画『バクマン。』とか『心が叫びたがってるんだ。』とも共通しているものなのだと思います。時代の最先端の精神。
     まず、これらの作品にあきらかに共通しているのは、何かしらの仕事ないし作業に集団でのめり込み、熱中し、夢中になって没頭するということです。
     『バクマン。』の結末を見れば自明ですが、ここでほんとうの目標になっているのは社会的成功ではない。他人の評価でもない。
     むしろ、熱中することそのものが価値となっていると思うのです。
     何かに夢中になって努力する。そのことそのものが目的なのであって、それが社会的にどう見られているかは問題ではないということ。
     『妹さえいればいい。』の最新刊で、主人公である伊月はもっと成功したいという夢を赤裸々に語りますが、それはべつだんベストセラーを出したいということではないということも並行して描かれています。
     かれが目指しているのは究極的には形がないスピリットであって、具体的な成功ではないのです。
     『バクマン。』は『少年ジャンプ』的な「努力・友情・勝利」を描きますが、「勝利」の描き方が以前とは異なっています。
     べつにナンバー1になることだけが勝利なのではない。敗北の苦い味を噛みしめることもまたそこではバリューなのです。
     で、大切なのはここでは男女入り混じった集団でひとつの目標を目ざしているということ。
     それは『妹さえいればいい。』や『エロマンガ先生』ではライトノベルやイラストであり、『バクマン。』では少年漫画であり、『心が叫びたがってるんだ。』ではミュージカルでしたが、とにかく主人公たちに共通の目標というか志が設定してあるところが同じです。
     そしてかれらはその目標に向かって一心不乱に頑張りつづける。
     それは一種の「仲良し空間」には違いないでしょう。
     たとえば『ペルソナ4』や『仮面ライダーフォーゼ』で描かれたような。
     しかし、ただの「仲良し空間」ではなく、互いに切磋琢磨する関係であることもたしか。
     その結果、男女や友達の描きがどうなるか? 
  • 極限の自由度を約束するモンスタータイトル『Fallout4』。

    2015-11-21 18:03  
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     Amazonからようやく『ファイナルファンタジー13』が届いたので、さっそくプレイしてみることにしました。
     なんだか毎日新しいゲームを始めては投げ出している気がするけれど、気のせいということにしておこう。
     『FF』をプレイするのもずいぶんひさしぶりなので、期待は大です。
     Amazonレビューでは酷評が並んでいるけれど、そんなの気にしない、気にしない。
     ぼくだけ楽しめればそれでいいのだから、この際、一般的な評価は関係ないのです。
     思えば『FF』は我が思い出のゲーム。
     ぼくは『3』あたりからプレイしているのですが、そのヴィジュアルの美しさ、雰囲気の荘厳さに感動していた記憶があります。
     もちろん、いまから見ればファミコンのドット絵でしかないのだけれど、「クリスタル」を中心とする世界観の作り込みは本物だったと思う。
     そして時が経ち、『FF』のナンバリングタイトルもついに14を数えるまでに至ったわけです。
     その『14』はオンラインゲームだから、『13』はいまのところ最新の『FF』ということになる。
     ぼくが以前プレイしていた『FF』とは別次元の世界を体験できることでしょう。楽しみ楽しみ。
     で、やったみたわけですが、さすがに雰囲気は素晴らしいですね。
     PS3のゲームとは思えないくらいヴィジュアルは作り込まれています。めちゃくちゃキレイ。
     世界水準の作品と比べてもその点は全然負けていない。
     問題は殊に一本道といわれるストーリーなのですが――うーん、たしかにこれは一本道だな。否定できない。
     通常のゲームでは一本道とはいってもいろいろ寄り道する余地があり、攻略の順番を練ることができるわけですが、これはほんとうに一本道っぽい。
     戦闘でアクションを選ぶほかは、ただひたすら進行するストーリーを眺めている感じに近い。
     フィールドはものすごく綺麗に作り込まれているのだけれど、そこを限りなく自由に歩き回ることはいまのところ不可能。たぶん、最後までできないんでしょうね。
     まあ、これは批判されてもしかたないか。
     直前に限りない自由度の高さで知られる『スカイリム』をプレイしていたばかりだったので、その差はよくわかる気がします。
     これはこれでぼくはありだと思うし、十分に楽しめますけれどね。
     下手に自由度を追及するとそれはそれはで大変なお金がかかることもわかるので、しかたないのかなーと思うしだいです。
     もっとも、そんな日本のゲームを置いて世界はさらにさらに進んでいっています。
     その象徴ともいえる作品が、先日『スカイリム』べセスダ・ソフトウェアが発売したばかりの『Fallout4』。 
  • きょうも迷宮、あしたも迷宮。

    2015-11-20 00:51  
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     あいかわらず『ウィッチャー3』を進めています。
     全体のストーリーからするとまだ序盤もいいところだと思いますが、なんとかレベル6になりました。
     戦闘アクションにも慣れて来て多少は強くなったかな、と。
     ウィッチャーのゲラルドさんは屈強な剣士のはずなのですが、序盤はどうにも弱いのですよね。主な要因はぼくの操作能力の低さかもしれませんが……。
     それにしても暗鬱な展開が続きます。
     ものすごくよくできた作品なのですが、あまりにも陰惨なことが多いので、プレイしていると気が滅入る。
     まさにダークファンタジー。ただでさえ中世程度の文明レベルしかないのに、そこに魔法やら怪物やらが登場するという悪夢的な世界設定ですから、登場人物で楽な暮らしをしている人はほとんどいません。
     だれもが戦乱のなかで翻弄されながら必死に生きているのです。
     具体的な展開についてはネタバレなので話せませんが、陰鬱ではあ