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記事 6件
  • テレビ健康診断 第644回 戸部田誠(てれびのスキマ)「『お笑い風』の流れに抗して『ゴッドタン』」テレビ東京 土 25:45~26:10

    2017-09-21 05:00  
     よく最近の若手芸人はつまらないと言われる。一方で、若手芸人はみんなレベルが高いとも言われる。どちらにも真実は含まれている。つまり、みんな一定以上のネタの面白さはあるが、飛び抜けるような面白い個性を持った若手があまりいないということだ。
     そんな中、『ゴッドタン』で企画されたのが「アイツにもう一度だけ会ってみよう!」。アイツとは以前「この若手知ってんのか2017」と題された企画で尖っているからと「ヤバい若手No.1」に輝いた芸歴5年目のゆにばーす・川瀬名人だ。 
  • 〈短期集中連載〉日本テレビ「最強バラエティ」のDNA(5)戸部田誠(てれびのスキマ)「氏家齊一郎の敗者復活戦」

    2017-09-14 05:00  
    「お前ら、日本テレビを良くするために必要なことを全部言え」
    『24時間テレビ』のリニューアルに成功した一九九二年の冬。市ヶ谷にある中国飯店で、男たちを前に氏家齊一郎は、口を開いた。
     そこに集まっていたのは、吉川圭三、五味一男、土屋敏男、渡辺弘、小杉善信、佐野譲顕(よしあき)ら、当時の日本テレビを支えるまだ三〇代中心のディレクター、プロデューサーたち。氏家は、この年の一一月一七日に社長に就任して以降、このように社員を招いた会食をたびたび行い、社員が抱えている思いを聞くとともに、彼らの個性や特性を探っていた。就任直後は「徹底的に」酒を飲んで歩いたと氏家は述懐している。 
  • 〈短期集中連載〉日本テレビ「最強バラエティ」のDNA(4)戸部田誠(てれびのスキマ) 「緑色の血液」

    2017-09-07 05:00  
    「完全なる敗北だった」
     吉川圭三は当時を振り返って言う。
    「クイズプロジェクト」で『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』の後を追うように始まったのが、吉川圭三が主導して作られた『クイズ!!体にいいTV』だった。吉川にとって初めて一から自らの企画が採用された番組だ。いまや「健康・医学」をバラエティとして放送するというのは珍しくないどころか、人気コンテンツのひとつだが、当時はほとんど例がなかった。だから物珍しく、開始当初は比較的高い視聴率を記録していた。だが一方で、例がないということは、「健康・医学」をバラエティとしてどのように扱えばいいのかも分からないということだ。当時、吉川は三一歳。まだ自身がそのテーマが抱える問題に直面している年齢ではないということも大きかっただろう。悪戦苦闘するスタッフたちは心身ともに疲弊していった。 
  • 〈短期集中連載〉日本テレビ「最強バラエティ」のDNA(3)戸部田誠(てれびのスキマ)「覚醒」

    2017-08-31 05:00  
    「眠っていたものが覚醒したんでしょうね。安全弁が壊れたんです」
     一九八八年、番組制作にかかわるようになった、のちの“視聴率男”五味一男は、さっそく、毎分視聴率表を取り寄せた。一分毎の視聴率の推移がグラフになったデータである。視聴者がどのコーナーを見て、どの時点でチャンネルを変えたかがハッキリ分かる表だ。今でこそ、当たり前のように番組制作の指針として使われるデータだが、それまでプロデューサーはともかく、ディレクターが活用することはまれだった。
     五味はその表を見て愕然とした。
     どの番組の表を見ても共通して極端に下がっている時間帯がある。 
  • テレビ健康診断 第641回 戸部田誠(てれびのスキマ)「メディアリテラシーを鍛えられる『昔話法廷』」NHK Eテレ

    2017-08-31 05:00  
     夏はNHKの“本気”を感じる季節だ。
     総合テレビでは終戦記念日前後に毎年、戦争に関するドキュメントを放送。今年もインパール作戦や七三一部隊などを特集。戦後七〇年以上経ったにもかかわらず、新事実や新たな切り口で番組が作られ続けていることに驚嘆する。一方、Eテレでは、子供たちが夏休みに入るのに合わせて、教育番組に力が入る。もちろん、一年中放送されているが、その中でも選りすぐりのものが編成され、特別編が制作される。また、夏休み特別企画としてとっておきの番組が放送されたりもする。そのひとつが『昔話法廷』だ。 
  • 〈短期集中連載〉日本テレビ「最強バラエティ」のDNA(2)「“落ちこぼれ”たち」 戸部田誠(てれびのスキマ)

    2017-08-23 05:00  
     打倒『NHK紅白歌合戦』。
     それは民放各局にとって見果てぬ夢である。特に一九八〇年代までは、『紅白』は圧倒的な力を持ち、それに打ち勝とうと考えることすら、あり得ないことだった。だが、一九八五年、日本テレビは堂々と「打倒『紅白』」を宣言。持ってきたのが『忠臣蔵』だった。『紅白』が「国民的行事」なら、『忠臣蔵』は「国民的ロマン」というわけだ。一二月三〇日と三一日、二日にわたって計五時間の超大作時代劇を放送したのは、常務取締役(当時)・岩淵康郎の決断だった。