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記事 24件
  • 最後のテレビ論 《最終回》 鈴木おさむ「仲間たちに捧ぐ」

    2024-03-28 05:00  
     半年間、連載してきた「最後のテレビ論」ですが、今月31日で僕が放送作家を辞めるため、今回が最終回となります。
     始めるときから、今まで数々の人が書かれているテレビのエッセイとは違う物にしようと、かなり意識して書いてきました。
     なるべく自分の目で見てきたことと、そしてそこに関わる人を「実名」で伝えることにこだわりました。さすがに「週刊文春」に自分の名前が出るとざわつくようで、業界の方からよく連絡をもらいました。最後の最後に自分にしか書けないテレビエッセイが書けたかなと思っています。
     これまでここで連載した23本と、新たに書き下ろした12本を加えて、『最後のテレビ論』という一冊の本として刊行します。 
  • 最後のテレビ論 第23回 鈴木おさむ「ネガティブを逆手に取る」

    2024-03-21 05:00  
     2013年4月から2023年9月まで、10年以上放送されていたフジテレビ「キスマイBUSAIKU!?」という番組。Kis-My-Ft2の冠番組で、メイン企画は「キスマイBUSAIKUランキング」だ。
     キスマイメンバーがテーマにそって、自分がカッコイイと思う瞬間を、自分で考えて演じる。それをVTRにして、「キスマイのファンではない一般女性」に見せて審査していただく。
     厳しい審査コメントもつけて、スタジオではランキング付けして見せていくコーナーだ。
     ランキング下位の人は「ブサイク」とされる。この番組を考えた時に、彼らのマネジメントをしていたのはSMAPのマネジメントもしていた飯島三智さんだった。
     やるなら今までにない番組を作りたい、という思いが飯島さんにあった。
     SMAPが「SMAP×SMAP」をやってから、男性アイドルが冠バラエティー番組をやるのが当たり前になった。 
  • 最後のテレビ論 第22回 鈴木おさむ「槇原敬之が作った伝説」

    2024-03-14 05:00  
     SMAPと長年仕事をさせてもらったが、自分が関係ない仕事でもっとも嫉妬した作品がある。
     1999年の正月に放送された「古畑任三郎vsSMAP」だ。
     この企画が発表された時、世の中の期待感はとんでもなかった。だって、田村正和がSMAPを逮捕するんだから。
     逮捕するということは、誰かを殺めるわけです。この回では、SMAPのメンバーがそのままSMAPを演じた。つまり、ドラマの中とは言え、実名で罪を犯す。
     SMAPはグループでも、個人でも、CMを沢山やっている。
     おそらく乗り越えなければいけないハードルは沢山あったはずだし、もしかしたらこれをやることで失ったものもあるのかもしれない。
     でも、架空のグループにしたらおもしろくなくなる。実存するグループだからいいのだ。 
  • 最後のテレビ論 第21回 鈴木おさむ「今、本音を聞きたい人」

    2024-03-07 05:00  
     マツコ・デラックスさん。一度、自分が出演者として出ている番組にゲストで出ていただいたことはあるが、放送作家としてはマツコさんとお仕事をしたことがない。
     2010年代に入り、テレビスターに駆け上がっていったマツコさんだが、僕は個人的にマツコさんのことを勝手にウォッチしている。
     マツコさんは、SMAPが解散する前は、僕が構成していたSMAP、およびメンバーの番組に一度も出演してくれたことはない。もちろん何度もオファーしたが、叶わなかった。業界で言うところの、旧ジャニーズの「本体」と言われていた人たちとは仕事をすることの多かったマツコさんだが、SMAPが解散したあとに、木村拓哉さんと仕事をし始めたので、正直、僕の中ではそんなマツコさんに「なんだよ!」と悔しさもあった。好きだからこそです。ちなみに僕はマツコさんと同じ1972年生まれで、そこの共感も勝手にある。 
  • 最後のテレビ論 第20回 鈴木おさむ「『ほこ×たて』ヤラセ事件」

    2024-02-29 05:00  
     これまで作ってきた中で好きな番組を3つ挙げろと言われたら入るのが、フジテレビで放送されていた「ほこ×たて」だろう。
     相反する「絶対に○○なもの」同士を戦わせてはっきり決着をつけようという番組で、最初は深夜番組でスタートして、2011年1月から23時台のレギュラー番組になり、それから9か月後には日曜19時のゴールデンタイムでの放送になった。かなり早いスピードだった。
     僕はこの番組にチーフ作家として入った。プロデューサーから最初に数枚の企画書を見せてもらった時に「ほこ×たて」と仮でタイトルが入っていて、その企画書にはすでに、のちの人気企画となる「絶対に穴の開かない金属vsどんな金属にも穴を開けられるドリル」の対決が書いてあった。書いてはあったが、やってくれる業者が見つかっていたわけではない。
     僕はその企画書を見て「そりゃ出来たらおもしろい」と思ったし「これやってくれる人いるの?」とも思った。
     だけど、「作りたい」と思った。 
  • 最後のテレビ論 第19回 鈴木おさむ「ゴールデン昇格後のピンチ」

    2024-02-22 05:00  
     2004年に始まったテレビ朝日「クイズプレゼンバラエティーQさま!!」。
     この番組が始まった時、僕は32歳。企画の発想はここから30代後半までが一番キレていたかもしれない。
     クイズというパッケージはあるが、とにかく芸人さんに様々な形で体を張ってもらう番組だった。木曜23時台で始まり、高視聴率を記録した。
     番組に火が付いたのは「チキンNo.1決定戦」という、芸人が様々な度胸試しに挑戦する企画で、特に「10m高飛び込み」は人気となった。
     芸人さんが目隠しをされ、とある場所に移動する。目隠しを取ると、そこは10mの高飛び込み台の上。飛び込もうとするが、高さにひるんでなかなか飛び込めない。その飛び込むまでの時間を競うものだった。最後に何とかして飛び込むという「絶対に見たい映像」があるので、とても分かりやすかった。 
  • 最後のテレビ論 第18回 鈴木おさむ「想像のつかない企画書」

    2024-02-15 05:00  
     32年の放送作家人生で、企画書を見て一番ワクワクしたのは何かと聞かれたら2001年に始まった「¥マネーの虎」になるだろう。
     日本テレビの栗原甚さんと放送作家の堀江利幸さんが二人で考えたこの企画。一般人の起業家が、自分自身も激しい人生を生き抜いてきた「虎」と呼ばれる社長たちに事業計画をプレゼンテーションし、交渉が成立すれば、社長=投資家はすぐに目の前で自分の持ってきた札束、何百万円もの現金を渡していくというもので、それまでのテレビ界には存在しなかった「投資バラエティー」企画だった。
     僕は栗原さんから誘われて構成に入った。企画書を見た時に、「なんだ、これ?」と思いながら、かなりワクワクしたことを覚えている。 
  • 最後のテレビ論 第17回 鈴木おさむ「最後の地上波連続ドラマ」

    2024-02-08 05:00  
     これまで放送作家人生32年の中で、おかげさまで連続ドラマの脚本に挑戦させて頂くチャンスが何度かありましたが、正直、苦手意識は否めませんでした。
     2017年、テレビ朝日「奪い愛、冬」というドラマはドロドロ不倫ドラマだったのですが、その作品で初めて自分のドラマの世界観が「開眼」した気がしたのです。水野美紀さんは怪演女優の芽を出し始めていました。そのドラマで夫が不倫して狂っていく、中々あり得ない濃すぎのキャラを見事に演じてくれました。水野美紀さんのおかげで、僕が書くべきドラマの方向性が見えたと言っても過言ではありません。本当に感謝しています。
     自分のドラマは女優さんが今までやったことのない役を振りきって演じて貰った時に、ヒットしやすいのではないかと気づけました。
     そして、2024年1月に始まったドラマ「離婚しない男―サレ夫と悪嫁(およめ)の騙し愛―」。これは美人妻の綾香に浮気された男・渉が娘の親権を取り離婚しようと奮闘する漫画原作をもとに、僕が脚本を書きました。 
  • 最後のテレビ論 第16回 鈴木おさむ「常識を壊して伝説を作る土屋敏男さんと飯島三智さん 後編」

    2024-02-01 05:00  
     日本テレビ「24時間テレビ」は1992年にダウンタウンさんが番組パーソナリティーをしたときに、大きな変化を遂げます。この年に始まったのがチャリティーマラソン企画。初代走者は間寛平さんでした。そしてもう一つが「サライ」。この年、加山雄三さんと谷村新司さんが番組放送時間内で「愛の歌」を作るという挑戦で出来た曲が「サライ」。この曲が毎年、「24時間テレビ」のエンディングで歌われることになります。いわば一番のシンボルでもあるのです。
     2005年、草彅剛さんと香取慎吾さんをメインパーソナリティーにして行われることになった「24時間テレビ」ですが、今まで黄色だけだったTシャツを5色作るという提案のあとに、飯島三智さんからいまだかつてない大きなオーダーがありました。 
  • 最後のテレビ論 第15回 鈴木おさむ「常識を壊して伝説を作る土屋敏男さんと飯島三智さん 前編」

    2024-01-25 05:00  
     今回は「常識」について、僕がリスペクトする二人の話から考えていきたいと思います。
     一人目は、元日本テレビの土屋敏男さんです。1992年に始まった「電波少年」を作った人です。番組にもTプロデューサーとして出演し恐れられていました。
     僕は土屋さんと一緒に番組作りをしたことはありません。が、僕が放送作家になった年に始まったこの番組は刺激的で新しく、まだ若造の僕を焦らせおおいに嫉妬させてくれました。
     アポなしという言葉を流行らせ、初期の「渋谷のチーマーを更生させたい!」などの危険な体当たり企画、そして「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」の大ヒット企画以降もヒット企画を連発。間違いなくテレビの歴史を塗り替えた。
     中でも僕が一番嫉妬した企画と言えば「電波少年的懸賞生活」で、芸人のなすびが、都内の某アパートへ連れていかれ、全裸になって「人は懸賞だけで生きていけるか?」ということを検証する企画。すべてが見たことない映像。シンプルに「このあとどうなるの?」の連続。まさに、これぞテレビ。