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【第151回 直木賞 候補作】 『満願』 米澤穂信
2014-07-14 12:00夜警
一
葬儀の写真が出来たそうです。
そう言って、新しい部下が茶封筒を机に置いていく。気を遣ってくれたのだろうが、本音を言えば見たくもない。それに、写真に頼らなくても警察葬の様子は記憶に刻み込まれている。あの場の色合いも、匂いも、晩秋の風の冷たさも。
川藤浩志巡査は勇敢な職務遂行を賞されて二階級特進し、警部補となった。気が合わない男だったが、写真が苦手な点だけは俺と同じだったらしく、祭壇の中央に掲げられた遺影は不恰好なしかめ面だった。弔辞は署長と本部長が読んだが、ろくに話したこともない相手の死を褒めるのはさぞ難しかったことだろう。スピーチで描かれた川藤警部補の輪郭はやりきれないほど実像とずれていて、そんなに立派な警官だったらあんな死に方はしなかったのだと腹を立てているうちに、焼香と献花の順がまわってきた。おかげでまた随分、無愛想の評判をばらまいたらしい。
遺族は俺のことを知ってい -
【第151回 直木賞 候補作】 『本屋さんのダイアナ』 柚木麻子
2014-07-14 12:00新しい教室の窓際の席からは、空のプールがよく見える。昨日まで降り続いた雨のせいで、うっすらと底に水がたまり、その上には校庭から吹き飛ばされてきた桜の花びらがふかふかと積もっていた。新学年の一日目がなんとか晴れてよかった。新しい机は滑らかで木のいいにおいがする。三年三組の新しいクラスメイトの黒い頭がずらりと並んでいるのを、一番後ろから眺めるのは壮観だ。四月の風にそよぐカーテンもパリッと糊付けされていて清潔そのものだ。
こんな風に何にも染まっていないまっさらの新学期はむやみに希望を抱かせるけど、それも名前を名乗るまでのわずかな間だけだとこれまでの経験からよくわかっている。自分の番がだんだん近づいてくることが怖くて仕方ない。頭がぼうっとし、みぞおちの辺りがしくしくと痛み始めている。数年後に必ず訪れると言われているノストラダムスの大予言がたった今、本物になればいいのにとさえ思う。朝、大急ぎです -
【第151回 直木賞 候補作】 『男ともだち』 千早 茜
2014-07-14 12:00第一章
色とりどりの泥に埋もれていた。
それが、夢だとわかるくらいには覚醒していた。泥は混じり合いながら模様を描き、私は色の乱れる鮮やかな夢をとろとろと愉しんでいた。
時折、色はくっきりとしたかたちをあらわした。その度にスケッチブックを探すのだが、泥にまかれて手が動かない。もどかしい。でも、このままれる色の渦に沈み込みたい気持ちもある。尿意を我慢する快感に似ている。ぎりぎりのところで浮き沈みを繰り返していると、突然、色が弾けとんだ。
鈍い振動音に意識が引っ張りあげられる。手は反射的にソファの上をまさぐっていたが、指先にはかたい布地の感触しかない。
しばらくしてやっと携帯電話を食卓テーブルの上に置きっ放しにしていたことに気付く。その間も振動は続き、無遠慮なその音は徹夜明けの頭にぐりぐりとくい込んできた。バイブ設定にしているとはいえ耳障りだ。だが、身体を起こす気になれない。
壁時計 -
【第151回 直木賞 受賞作】 『破門』 黒川博行
2014-07-14 12:00
1
マキをケージに入れて餌と水を替え、エアコンを切って事務所を出た。エレベーターで一階に降り、メールボックスを見る。チラシが一枚あった。手書きの下手くそな字だ。
《あなたは奇跡を信じますか――。不治の病がなおった、宝くじが当たった、あこがれのひとと結婚した、仕事で大成功をおさめた。願えば実現します。ぜひ一度、わたしたちの集会に参加してください。奇跡はほんとうにあるのです。ワンダーワーク・アソシエーション大阪支部》
どちらが北かも分からない殴り書きのような地図が添えられていた。どうせなにかのインチキ宗教だろうが、こんな誘いに乗るやつがいるのか。不治の病がなおるのはまだしも、結婚なんぞ誰でもできるだろう――。
チラシを丸めて廊下の鉢植に捨てた。福寿ビルを出る。そこへBMWが停まった。シルバーのBMW740i。わるい予感がする。
「どこ行くんや」
スモークのウインドーが下り、オールバッ -
【第151回 直木賞 候補作】 『私に似た人』 貫井徳郎
2014-07-14 12:00樋口達郎の場合
最初は、スマートフォンで見たニュースサイトで知った。
またか、と思っただけだった。またテロだ。今年に入って何回目だろう。テロが始まったときこそびっくりしてニュースに敏感になっていたが、こう何度も続くとその状況に慣れてしまう。いいことだけでなく悪いことにまで慣れるのは、人間の特性か、それとも日本人の悪癖か。新たに起きたテロに対してこんな反応しか示さないのは、おそらく達郎だけではないはずだった。
仕事帰りの電車の中だった。吊革にまりながらスマートフォンをいじっている人は、他にもたくさんいる。見慣れた光景。つい数年前まで、スマートフォンなんてものは存在していなかったとはとても思えない。社会の変化はいつの間にか起き、気づいてみればそれが当たり前になっている。スマートフォンもテロも、その意味では同じだった。
自宅の最寄り駅で降りて、途中のコンビニエンスストアで弁当を買った。夕 -
【第151回 直木賞 候補作】 『ミッドナイト・バス』 伊吹有喜
2014-07-14 12:00第一章
かすかに左手首に振動が伝わってきて、高宮利一は目を覚ました。
バイブレーション付きの腕時計のアラームを消し、時刻を見る。
午前五時三十二分。深夜便のすべての客を降ろした高速バスのなかに、薄青い光が満ちている。
夜が終わろうとしていた。
運転士の制服の襟元をゆるめ、客席のリクライニングシートに身をもたせたまま、利一は再び目を閉じる。
最近、明け方になると別れた妻の夢を見る。今もたった十五分の仮眠の間に、美雪の夢を見た。
別れたときは三十代だったが、夢のなかの美雪はいつも出会った頃の姿でいる。見る内容はいつも同じで、西日の強い部屋で二十歳の美雪が泣いている。あやまりたくて仕方がないのだが声が出ない。たまらずに手を伸ばすと、そこできまって目が覚める。そして現実に気付く。
離婚して十六年もたっていることに。そして自分がもう四十代の後半になってしまったことに。
うっすらと目
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