1:秘密保護法の危険性は昨年の外国人特派員協会会長の警告に明確にされている。
「 バーミンガム日本外国特派員協会々長警告
秘密保護法案は報道の自由及び民主主義の根本を脅かす悪法、撤回、または大幅修正を勧告。開かれた社会における調査報道の真髄は、政府の活動に関する秘密を明らかにし、伝えること」
2こうした根本的な問題点を持ちながらも政府は秘密保護法の施行に具体的に動いている。
10月1日東京新聞(共同)ほ報道次の通り。
「政府は1日、外交、防衛などに関する国の機密漏えいに厳罰を科す特定秘密保護法の施行日を12月10日とする方針を自民党プロジェクトチーム(PT)に伝え、了承された。これを受け施行日などに関する政令と、秘密の指定や解除の在り方を定めた運用基準を10月10日にも閣議決定し、秘密指定をめぐる政府内の監視機関設置など最終的な施行準備に着手する。
行政機
コメント
コメントを書く政府に都合の悪い報道は一切させないって方針ですね。
[【松田美由紀さん】
「ありえない!内閣官房審議官の鈴木良之が秘密保護法案の解釈上、新聞・出版等の関係者以外の者が、何万人も来場者があるブログにて時事評論をすることは処罰対象となる、と明言した。
いよいよ立ち上がる時ですネ! ]
合衆国ではブログの閉鎖とブロガーの拘束が酷いようですが、日本もそうなるのでしょうか。
政府がこんな考え方なんじゃw 言うまでもないですかねぇw
孫崎さんも狙われそうですね。
戦前のトッコウの跋扈する「治安維持法」「相互監視の社会」に まっしぐらというところでしょうか。
安倍首相がおっしゃる「美しい国を取り戻す。」のはもう目前ですね。
>>2
人間が人間たるゆえんは、「言葉と行動」に自由があることではないでしょうか。動物には、どんなに高等な動物でも人間ほどの能力を与えられていない、人間の特権でしょう。国家が国民の自由に発言できる「言葉」を奪ってしまうと、「行動」しかないことになります。今、世界のあらゆるところで起きている争いは、それが「テロ」である場合もあるし、「イスラム国樹立」でもあるし、米国はじめ、ウクライナ、スペインなどの「独立運動」でもあるといえます。国家は絶対言論の自由を奪ってはならない、奪えば、国家の危機を招きかねないことを、世界は示しています。日本の政府が馬鹿であれば、おなじ過ちを繰り返すが、それほど馬鹿ではないと、信じています。
秘密保護法とは、重要な情報はすべて、「官僚だけの秘密」にする法律なのだ。
安倍首相や各大臣は、「秘密の指定を自分が決める」と勘違いしているようだが、そうした機密度の高い重要な情報を、「数年で交代する大臣」に報告したら、退任後に漏れてしまう。秘密を守るためには、大臣などには知らせてはならないのだ。あくまでも大臣は「官僚の掌で踊らされる存在」に過ぎないのだ。
「愚かな大臣は目を覚ませ」といいたい。
あの法案にこぞって賛成した愚かな国会議員たちよ。君達はこの法律が、実はその意に反して官僚たちの欲しいままを許し、ひいては立法府の存在意義を失わせしめ、やがてはみずからの首をも絞めることになる、途方も無い悪法であることに気づかず、ただただ安倍晋三という愚鈍なる独裁者の機嫌を損ねることを怖れ、そしてもっぱらみずからの保身を図る気持ちだけから、考えもなく危険な賛成票を投じてしまった。
おかげでこの国の民主主義は地に落ち、あの戦前の息苦しい社会に逆戻りすることは必定であろう。
そこで提案。あの法案に賛成して日本の民主主義の破壊に多大の貢献した、全国会議員の個人名を刻んだ記念碑を、国会の前に打ちたて、記録として未来永劫忘れぬよう残したいと思う。
いつか記事にあった「プラウダにプラウダなし。イズベスチアにイズベスチアなし」-政官財の支配層はそれが当然と思い、本当のことをバラすアサンジュ氏、スノーデン氏が出てくるような世相など論外でしょう。放って置けばこの国の官僚主権が崩壊しかねない。彼らはもはや決定権を欲しいままにできなくなり、国民主権が実現してしまう。連中にとっては「わたしを離さないで」の「生徒」たちが自立してしまうような、おぞましい事態以外の何物でもない。孫崎さんの紹介でなければ、そんな風に読むことはなかったでしょうが。ルーシー先生が辞めずにいたら、いずれ孫崎さんのような行動に出る、だからクビにした。
そういう相手とどう戦えばいいのか。今の時代、アイディア次第でいくらでも手はあるハズですが...
孫崎先生のご指摘の通り安倍政権になってその政策は民主主義と逆に進んでいます。
秘密保護法のみならず、TPP,集団的自衛権も、小泉の郵政民営化と同様に米国の利益の為に日本全体を呑み込み咀嚼したい米国外交の強い要求があって、それに日本の政治家の圧倒的多数が呼応していると私は見ています。いずれも日本国憲法に明らかに違反する暴挙なんですが、米国は外国の民主主義なんて何とも思っていない。米外交は犯罪を公然と犯しても誰も罰を与えることが出来ないと傲慢極まりないんです。安倍政権の背後にそういうバックがあるわけですから、私たちは大変な敵を相手にしているのです。
米国の外交について米国、ワシントンDCにあるアメリカ大学の教授であるウイリアム・ブラム氏がエッセイを書いています。その一節に、
米国人はアフィアの親分の子供みたいなものだ。子供は親父がどんな仕事をしているか知らない。いや、知りたくないと思っている。そして、突然、家の窓から爆弾が投げ込まれたりすと、どうして! なんで!と疑問に思い慌てる、、、、。
米国が主張するところの善意に基づく外交とは、実は、何をやってもいいということなのだが、もっと正確に言えば、米国は犯罪を犯しても罰を受けない例外的な存在なのである。第二次大戦後、米国が何をやったか、或いは、やってきたか、を要約すれば、次の通り。
1.選挙で民主的に選ばれた政権を50個転覆させた。
2.30か国以上に爆弾を落とした。
3.50人以上の外国の政治指導者を暗殺した。
4.20か国で国家規模の大衆運動を弾圧した。
5.世界中で拷問を奨励してきている。米人が拷問することもある。拷問用器具、マニュアル、対象者リストを関係国に与えている。特に南米諸国向けに顕著。
日本の公安がどんな存在なのか、今一つ一般の日本人にはわからない。怖いのか、間抜けなのか、でもCIAも一目置いているというからそれなりの存在なんでしょうね。秘密保護法の真の狙いが何なのか、僕にはよくはわからないけれど、この世には新聞には載らない秘密があるということはわかる。不審な死もたくさんあったし、いつの間にか忘れられた事件もたくさんある。触れてはいけない危険な世界が存在する。植草さんも痴漢などするはずないのに名誉を傷付けられた。そういうネジ曲がった空間があるということだ。要するにこの世は未だ暴力の支配する世の中だ。官僚なんて暴力団の子分だと上の人は言っている。
民主主義はmighty God によって与えられた権利を基本とする。日本にはそんな考察がない。故に国家が人民の権利を平気で奪おうとする。イスラム国家には派閥によってことなっても民主主義の概念はなくて、アラーを信じて王権に従うことが大切である。不満分子の中から米国の覇権主義の犠牲になり、regime に反対をして、大量殺戮と洗脳を意図する集団がでてくる。
一信教を信じない、神仏混合の精神風土を持つ日本がどれほど民主主義を理解、実行できるか大いに疑問となる。
mighty godが個々人に与える権利が民主主義の基本となること、良く分かります。神仏混交の精神風土では民主主義は育ちにくいことも良く分かります。もう一度日本人は奈落に落ちて考え直すしかないのでしょうか。しかし、海に囲まれた列島では戦後辿った同じような化学反応を起こすような気がしますね。この国には個々人という存在そのものが希薄なんですから。
>>9
Mighty God ってなんだろうな。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教に共通する一神教の「神」のことかな。「神が人に与える」ってどういうこと?「神」は人間が創りだした存在であり、人類が消滅する時には「神」もなくなるという存在でしょ。民主主議とは一国の民衆の意志、意向、欲望を多数原理で抽出して、政治に反映するというメカニズムにすぎないのではないか。とすれば、一国の民衆の大半がユダヤ人は怪しからん奴らだから須らく彼らを殺戮すべしということになれば、当然政府はそれを実行することになる。ヒットラーが総統として選挙されたナチス党がドイツを支配したという事実で証明されている。すなわち、20世紀前半のドイツ国は民主主義国だったのだ。同様に、フレディ・タンが嫌っている米国も民主主義を信奉する国家である。従って、日本国は彼らをむきになって見習ったりする必要は全くない。民主主義とは政治の世界における、いわば、ファッション界の流行みたいなものさ。お付き合いで流行をトライしてみたらいい。そのうち、風無化が変わって別の思想が生まれるかもしれない。