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記事 6件
  • 芥川賞・直木賞の候補作を無料で試し読み!

    2019-07-12 15:00  
    新進作家の最も優秀な純文学短編作品に贈られる、「芥川龍之介賞」。 そして、最も優秀な大衆文芸作品に贈られる、「直木三十五賞」。日本で最も有名な文学賞である両賞の、
    ニコニコでの発表&受賞者記者会見生放送も17回を数えます。
    なんと今回も、候補作の出版元の協力によって、芥川賞・直木賞候補作品試し読み部分のブロマガでの無料配信が実現しました。【第161回 芥川賞 候補作】今村夏子「むらさきのスカートの女」(小説トリッパー春号)高山羽根子「カム・ギャザー・ラウンド・ピープル」(すばる五月号)
    古市憲寿「百の夜は跳ねて」(新潮六月号)
    古川真人「ラッコの家」(文學界一月号)
    李琴峰「五つ数えれば三日月が」(文學界六月号)
    【第161回 直木賞 候補作】
    朝倉かすみ「平場の月」(光文社)
    大島真寿美「渦 妹背山婦女庭訓 魂結び」(文藝春秋)
    窪美澄「トリニティ」(新潮社)
    澤田瞳子「落花」(中

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  • 【第161回 芥川賞 候補作】李琴峰「五つ数えれば三日月が」

    2019-07-12 11:11  
     太陽が頭上高く昇った頃、海を渡って舞い戻った浅羽実桜(あさばみお)は、眩しい陽射しを背に私に歩いてきた。
     陽射しは鎔かした金塊のようにコンクリートジャングルに降り注ぎ、積もりに積もった言葉すら蒸発させてしまいそうな暑さの中で、人々はハンカチで額を拭きながら慌ただしく行き交ったり、携帯電話に怒鳴りつけたりしていた。革靴の踵(かかと)が石畳の歩道を叩く音、車が通り過ぎる音、携帯電話で喋
    る音。あらゆる音が生み出されては不協和的に重なり合って鼓膜をはたき、電車が通り過ぎる度にシュレッダーのように細断されていく。
     陽炎越しに見る実桜の顔は不安定に揺らめいていて、深夜の海に映る月のようだった。髪先から汗の雫が滴り落ちそうなのを感じながら、私は一瞬戸惑いにとらわれた。数年ぶりの再会を約束してからというもの、ずっと今日という日をまだかまだかと待ち焦がれていたというのに、いざ待ち人を目の前にした途端

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  • 【第161回 芥川賞 候補作】古川真人「ラッコの家」

    2019-07-12 11:10  
     なにをたべるって? と姪のカヨコから言われたことのはじめの方を聞きそびれてタツコは訊き返す。パンたい、パン。そう声が返ってくると、パンや、わがが(あんた)たべるっていいよると? いまからパンをや? とタツコは言ってダイニングの冷蔵庫が置かれた辺りに、ぼんやりとした輪郭の何やら青いものが動いているように思われたことから、きっとそれがカヨコだろうと目を凝らした。それなのに、ああ? うちはたべんよ、こうてきたパンば冷凍庫にいれるかってきいたったい、とカヨコの声が寝室の方から聞こえてきたものだから、そっちにカヨコはおったとね、パンは、そしたら冷凍庫になわし(片付け)とってよ。それじゃミホか? そこでごそごそしよるとは、と彼女は背をもたせかけていた居間のソファから起き上がり、襖を指先で撫でて、トン、トンと小さく音を立てながらダイニングの方にゆっくりと歩いていきながら言うと、食卓の上に買ってきた食材

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  • 【第161回 芥川賞 受賞作】今村夏子「むらさきのスカートの女」

    2019-07-12 11:09  
     うちの近所に「むらさきのスカートの女」と呼ばれている人がいる。いつもむらさき色のスカートを穿いているのでそう呼ばれているのだ。
     わたしは最初、むらさきのスカートの女のことを若い女の子だと思っていた。小柄な体型と肩まで垂れ下がった黒髪のせいかもしれない。遠くからだと中学生くらいに見えなくもない。でも、近くでよく見てみると、決して若くはないことがわかる。頬のあたりにシミがぽつぽつと浮き出ているし、肩まで伸びた黒髪はツヤがなくてパサパサしている。むらさきのスカートの女は、一週間に一度くらいの割合で、商店街のパン屋にクリームパンを買いに行く。わたしはいつも、パンを選ぶふりをしてむらさきのスカートの女の容姿を観察している。観察するたびに誰かに似ているなと思う。誰だろう。
     うちの近所の公園には、「むらさきのスカートの女専用シート」と名付けられたベンチまである。南側に三つ並んでいるうちの、一番奥の

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  • 【第161回 芥川賞 候補作】高山羽根子「カム・ギャザー・ラウンド・ピープル」

    2019-07-12 10:00  
     ヘルメットは、世の中のほかのものに比べたらほんのすこし進化とか改良の速度が遅い気がする。今みんながかぶっているものは、その性能はともかく見た目は私が子どものころとあんまり変わっていない。いざというとき以外必要ない、ふだんからかぶっていなくたって不都合なんかないといったって、非常用だったらすくなくとも、手が届くくらい近くに置いておけるものであるべきなんじゃないだろうか。もしくはかぶっているということが遠くからでもわかるように、わざとこんな大げさでものものしい雰囲気のままなんだろうか。たとえば、オートバイに乗る人(聞くところによると私が生まれる前、お母さんとかおばあちゃんが若かったころはオートバイに乗るときにヘルメットは要らなかったとか)、大地震、工事現場、デモとかそういう暴動。私はそのどれも経験がないので、自分のヘルメットを持っていたことはもちろん、かぶったという記憶もほとんどなかった。

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  • 【第161回 芥川賞 候補作】古市憲寿「百の夜は跳ねて」

    2019-07-11 19:16  
    3月2日 晴
     そこで生まれてはいけないし、死んではいけない。そんな島があるって知ってるか。産婦人科もなければ葬儀場もない。妊娠したり、大きな病気になったら、すぐに島から出ないとならない。その代わり、俺ら日本人でも、何の許可もなく仕事ができるらしい。ちょっと前までは寿司屋もあったらしくてさ。最果ての街で、寿司を握るってどんな気分なんだろうな。俺はパスポートなんてないけど、翔太は持ってるのか。東京だと有楽町に行けばいいんだっけ。この国は死にあふれているだろう。東京だけでも毎日何百人が命を落としてる。病院や拘置所や路上や会社や民家で何百人が死に続けている。もちろん死ぬことは禁止なんてされていない。怒られることもない。でもその島じゃ、そもそも死ぬなっていうんだよ。葬儀の手間とかの問題もあるんだろうけど、寒すぎるってのがよくないらしい。死体を埋めるだろう。そうすると、悪い病原菌が生き残ってしまう危

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