軍人で日本を負けると予言した人はいなかったのでしょうか。問題多い人ですが、石原莞爾は「負けますな」と述べています。
軍人で特異な立場に立っていたのが石原莞爾です。「帝国陸軍の異端児」の渾名のあった人です
真珠湾攻撃への道は様々な出来事が積み重なってできてきますが、その重大な節目が1931年の柳条湖事件です。
満州の奉天(現在の瀋陽市)近郊の柳条湖付近で、日本の所有する南満州鉄道(満鉄)の線路が爆破された事件です。関東軍はこれを中国軍による犯行と発表し、満州における軍事展開およびその占領の口実として利用しました。これを実行したのが日本軍で首謀者は、関東軍高級参謀板垣征四郎大佐と関東軍作戦主任参謀石原莞爾中佐というのが有力です。
ところが、石原莞爾は真珠湾攻撃の直前、東條英機等の政策を厳しく非難しています。
石原莞爾と仙台幼年学校、陸軍士官学校、陸大で同期だった横山臣平
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>>13
いやいやどうもどうも。言論の場に年齢の上下は全くありませんよ。言いたいことを孫崎先生の場で言わせていただいて日本を良くしていくのに幾ばくか貢献できればと考えてます。宜しく。
>>9
フレディさん、コメいただきありがとうございました。
東京に住んでいることやあまり新聞紙面を読まないので、地方紙の頑張りについてイマイチ実感として把握できず、ただただ本の情報から悪い方悪い方へ考え過ぎていたかもしれません。日本全体ではそういった力強さが感じられるんですね。
少し安心できました。ありがとうございました。
皆様の一連の投稿を読んで、疑問に思ったのですが。
なぜこれほど御年配の層に見識の優れた方々がいるにもかかわらず、
この国は進路を誤ろうとしているのでしょうか・・。
個人的な偏見かもしれませんが、「戦後生まれ」と「戦前生まれ」では、
「戦争」に対する意識にかなりの差があるように感じます。
ちなみに、私の親父(60代・戦後生まれ)は、安倍首相の大ファンで、
米国信奉の傾向があります。最近はそうでもないのかもしませんが。
やはり、日本を米国のような国にしたいようです。
これに対し、私の祖父(90代・戦前生まれ)は、実際に太平洋戦争に
行った経験からか、戦争(過去も現在も)を美化することはしません。
日本は平和憲法を守るべきだと言います。
「孫世代」の私は、どちらの主張にも一理あると思っています。
ただ、祖父の影響から、ネトウヨ化することは避けられました。
私自身は9条改憲論者ですが、集団的自衛権には大反対です。
米国の先兵となり、無関係な戦争に巻き込まれて国民を死なせるより、
まずは「知恵」によって、敵を減らす戦略を採るべきだと思います。
だからこそ、孫崎先生を応援しているわけですが。
よく右派陣営からは、「日本が平和憲法を改正し、核武装しないのは、
戦争恐怖症だから、原爆恐怖症だから」という言葉を耳にしますが、
それは少し違うし、そんなに単純な話しだろうか、と思うのです。
祖父世代(戦前生まれ世代)の方々が反対する理由には、
表面には見えにくい、もっと深い意図が隠されているかもしれない。
一般に、仕事をしていて、「技術面」や「実務面」では若い人の方が
優れていることが多いのですが、会社経営等に必要な「全体を読む力」
や「先を見通す力」などは、御年配の方々の方が優れていることが多い
と感じます。あくまで個人的な偏見ですが。
個人差はあれど、皆さん、人生の「見識」に基づく、しっかりとした
「哲学」のような物を持っておられる。
(・・・続きます・・・)
(・・・続きます・・・)
それで、やはりそういった「見識」や「哲学」の差が、目には見えない、
理屈にできないところで、大局に影響してくることがある。
その良い例が、ウクライナ問題だと思っています。
問題が深刻化した原因は、欧米側に「自制」ができなかったこと。
そして、「自制の必要性」を自覚するためには、相手への理解や配慮、
ウクライナの歴史、冷戦時代の失敗に学ぶ、などといった、一見すると
国益とは無関係に思える、「見識」や「哲学」が必要になります。
ご存知の通り、ウクライナ政変は、米国の覇権を維持しようとする
好戦派のネオコンと、近視眼な戦略家達によって引き起こされました。
彼らの頭の中にあるのは、短絡的な「利益と覇権の追求」のみ。
これに対して、90歳になるキッシンジャー博士は、
別の視点から異議を唱えている。
<プーチンは大国主義・拡張主義の権化だろうか? >
http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2014/589.html
下記に要約します。
・ウクライナはロシア発祥の地であり、西側は、ロシアにとって
特別な地であることを理解しないといけない
→(つまり、ウクライナを奪われると、ロシアは激怒する)
・ウクライナは国としての歴史が浅く、指導者には妥協することを
知らない未熟者が多い
→(つまり、過激な民族主義に走る未熟者がいる)
・プーチンとアメリカは、互いの価値観を理解することが難しい
→(つまり、辛抱強く相手を理解する努力をするべき)
・双方の指導者は強硬さを競争するのではなく、結果がどうなるかを
冷静に見極めるようにするべきだ
→(つまり、一歩間違えると、第三次世界大戦、核戦争に発展する)
上記の通り、一見すると関係のない、「ロシア歴史」や「価値観の違い」
といった観点を含めた、多面的・複合的な要因に基づく判断をしている。
「利益と覇権」だけを追求すると失敗することを知っているわけです。
こういった合理性だけの戦略だけに拘らないのは、戦略家としての奥深さ
である、「見識」や「哲学」の差なんだろうと思います。
ただ、注意したいのは、キッシンジャーは、あくまで「戦略家」であり、
「社会学者」ではありません。
フレデイさんが前に指摘したように、キッシンジャーの「指導理念」
では、21世紀の多極型世界を運営していくことは困難だと思います。
また、氏の「最大の欠点」はユダヤ人であり、中東政策をイスラエルの
国益を優先させることで失敗に導いているところでしょうか。
>>18
おいくつの方かわかりませんが、物事を見る目が偏向してない、すなわち物事を見る起点が澄み切っておられるということでしょう。宗教の根本は、普遍的絶対的な生き方でありますが、部派に枝分かれしている。国家も同じです。国民の民意を重視し、国民の財産と安全を確保することであるが、共産主義、社会主義、資本主義、金融資本主義などに枝分かれする。国民の合意の上に成立していれば争いは起こらないが、民意と反すれば内紛紛争が絶えないことになります。集団的自衛権も集団的自衛権が悪いわけではなく、どのように集団的自衛権を行使するかが問題なのです。行使する人間が国民とともにあれば大きな間違いはないが、己の功名が先行しがちなのです。今までの戦争を振り返るとき、理性的冷静な判断より情緒的激情に走りやすい国民性をどのように克服するかが大切であるが、今の政治家に大戦の敗戦をを克服反省した姿が見られない、信頼をおけないところに問題があるのではないでしょうか。
に
いろいろお話を聞いて思ったことをいくつか。
基本、歩み寄る意志がなければ話し合っても意味がないということ。丸め込んでうまく御してやろうという連中と話しても意味がないということ。土屋の類いはタチが悪いということ。頭でも丸めない限り何を言っても無駄だということ。やりたくないことはできないということ。そんなことに労力をさくよりはもっと建設的なことを考えたいということ。べつに韓国人が嫌いという訳ではなく、日韓友好の時がくれば自然と問題は解決するのではないでしょうか?
>>17
素晴らしいご解説ありがとうございます。
一つだけ親父たち戦死した英霊の本音を代弁させて下さい。彼らに私がインタビューしたわけではないですけど、幼少の時、それを実感したものです。つまり、憲法9条は彼らが身を犠牲にして勝ち取ったものです。幼少の目に映った生き残った成人たちの安堵を思い浮かべるとその実感が間違いないことに益々自信が湧いてきます。彼らの魂は靖国神社にはない。憲法9条にあるんです。
若い人は、John W. Dowerの EMBRACING DEFEATを是非読んでいただきたい。「敗北を抱きしめて」という題で翻訳が出てます。余談ですが、石原慎太郎さんはこの本を国禁にすべきだと言わんばかりの激怒ぶりでした。
younghopeさん。
>物事を見る目が偏向してない、すなわち物事を見る起点が
>澄み切っておられるということでしょう。
ありがとう御座います。
私も物事を偏見に囚われないように、できるだけ「中庸」の
精神を心がけています。
>国民の合意の上に成立していれば争いは起こらないが、
>民意と反すれば内紛紛争が絶えないことになり
政治の本質ですね。
今の政治家はこれに逆らうことばかりしている気がします。
勝手に国民が合意したことにされてしまっている。
NakaBBさん。
>歩み寄る意志がなければ話し合っても意味がないということ。
>丸め込んでうまく御してやろうという連中と話しても意味がない
対話の通用しない相手というのは必ずいますからね。
時には理不尽な行為を牽制することも必要です。
ただ、その相手との和解が、国益上必要不可欠な場合は、
機を捉えて和解するか、利益を説いて和解するのといった方法を
感情論に陥らず、試す必要があるかと。
その為には、時に忍耐することも必要かと思います。
フレデイさん。
>憲法9条は彼らが身を犠牲にして勝ち取ったもの
ああ、なるほど。
そういった解釈もできるわけですね。
祖父の考えが、なんとなく理解できました。
私ももっと勉強して、見識を増やして行こうと思います。
ただ、私の場合「理系脳」なので、限界があるのかな・・。
>石原慎太郎さんはこの本を国禁にすべきだと
>言わんばかりの激怒ぶりでした。
興味が沸いてきました。
時間を見て読んでみます。
>>22
そうですね。対話の窓はいつもOPENでないといけないですね。「彼らの魂は靖国神社にはない。憲法9条にあるんです。」は理解できますし、「敗北を抱きしめて」も本当に出版していたのだと思います。でもあまり美化しすぎはいけないと思うんです。そういう側面と戦争の醜い側面、他人を生き埋めにしても自分が生き延びる。どちらも嘘ではないけれど、どちらが本当かといえば後者だと僕は思います。
石原莞爾の見通しのこと
石原莞爾は、戦前の日本が満州国を支配・経営し、国力を充分にためて準備してから、欧米との次の段階の植民地切り取り侵略戦争、石原は最終戦争と呼んでいましたが、を構想していましたから、
そもそもすぐ支那事変を起こし、中国との泥沼の戦争に足を突っ込むことに反対していましたし、ましてや国力の大きく違う米国、英国との戦争を始めることに反対していました。日本帝国の軍人として「見通しを持っていた」ことは確かですが、だからと言って「支持」するわけにはいかない面があります。
支那事変を起こして軍部内で石原がこれを非難した時、支那事変を実行した武藤章は石原にむかって、「石原が満州でやったことを忠実にならって支那事変を始めたのであって何が悪い」と面とむかって居直ったと言われています。その発言は、武藤ら個人の考えではありませんでした。より侵略的な、冒険的に軍人が勝手に戦争を始め(=『事変と称す」)、既成事実化することは、軍部が権力をより深く、大きく握っていく行為でしたし、実際に実行した軍人が出世しました。それが戦前の日本政府内、軍部内での抗争の仕方でしたし、権力奪取の方法でした。そのような意味では、「内向き」の行為だったのではないでしょうか。今の官僚の自己の権限拡大行為と似た面があります。最終結果に責任をだれも負わない無責任体制でもありました。その結果、より冒険的な方向に高級軍人のほとんどが乗っかったのだと思います。石原が予備役にされたのは、決して偶然ではなく必然の結果だったと思います。
だから、「もし、石原の「正確な見通し」を受け入れていたら」という指摘はおっしゃる通りではありますが、より厳密に言えば、すでに石原の見通しを受け入れる基盤を失っていた当時の政治システムそのものの批判へと進むべきなのだと思います。