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「子ども・若者」の自殺を取材するきっかけになったのは...
2014-01-31 22:00220ptここ連続で「自殺」をテーマにした配信をしました。私はフリーランスになってから、特に「子ども・若者」の自殺、またはその周辺のことを取材してきました。
私が「子ども・若者」問題を取材の中心的なテーマにしたのは、新聞記者一年生だったころからだ。新聞記者になってはじめての連載が、夏休みの子どもたちはどこで遊んでいるのか?という素朴なテーマだった。長野県の木曽谷で記者をしていたが、常日頃、子どもたちがどこで遊んでいるのが気になっていた。
あるとき、長野県の子どもたちに肥満が多いことがわかった。隣の家まで遠かったりして、遊ぶときでもテレビゲームなど室内にいることがほとんどだった。また、山や川が立ち入り禁止だったりするために、自然とふれあうことが少なくなっていた。学校の校庭で遊んでいる子どもも少ない。いったい、どこにいるのか?というのは最初の疑問だった。
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「自死」と言い換える自治体が出て来ているが、私が「自殺」と使う理由
2014-01-30 22:00220pt30日付けの「東京新聞」特報面で、『「自殺」「自死」表現議論 命経つ人出さぬ社会に 「殺」心痛む◆社会問題を矮小化』という記事が載りました。その中で、私のコメントが使われています。引用しますと、
「死を考える当事者から『自死』という言葉を聞いたことはない。言い換えても、いつしか自殺のマイナスイメージが入り込み、いつかは自死が『良くない言葉』になる。問題解決への本質的な意味はあまりないのでは」
となっています。
もちろん、正確に言えば、「死を考える当事者から『自死』という言葉を聞いたことはない」というのは、一人もいなかったわけではないです。つまり、「自死」を使う当事者もいなかったわけではないです。しかし、圧倒的大多数の当事者が「自殺」を使っています。意図的に使っているのかどうかはわかりませんが、「自死」という言葉を使っているのは意図的な感じもします。
どんな意図かといえば、その当事 -
「自殺」を読んで、身の回りには「死」が多かったことを思い出した!
2014-01-29 22:00220pt末井昭さんの「自殺」(朝日出版社)をようやく読み始めました。ネットでは随分前から話題になっていたのですが、まとめて読みたいと思い、チェックしていませんでした。母親が、10歳下の隣の家の青年とダイナマイトを使って心中をしたという話が冒頭から書かれています。母親について、または自殺に関することについて、特に自殺念慮を抱いたことのない立場からのものです。
この「自殺」についての書評を書きたいと思ったのですが、私も自殺をテーマに取材する以前の、「自殺」に関心が出たことへの原点のようなものを書きたいと思いました。
私の家は、栃木県北部の那須町にあります。旧国道4号線沿いにあり、那須塩原市(旧黒磯市)側から那須町に入ると最初の交差点のところですが、その交差点を左折して那須高原の方向へ行けば、那須御用邸があったりします。那須御用邸にはよく昭和天皇が通っていました。そのため、昭和天皇が那須へ来ることが多く、そのたびに通行止めになっていたのを記憶しています。
その交差点ですが、実は、交通死亡事故多発地帯です。家からは100メートルも離れていません。今では、新国道4号バイパスが出来ているので、交通量は多くありません。しかし、私が中学の頃まではバイパスがなかったため、昼夜間ともに交通量が多かったのです。そして、当時から高速道路の通行料金を浮かせるために、大型車がよく走っていました。さすがに昼間は交通事故が少なかったのですが、夜間になると、その交差点付近で事故が起きていました。
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