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「テレビの方がふさわしい」とは言ってません。ーーーニコ生での党首討論へのコメント補足(加筆修正?)
2012-11-30 13:44110pt衆議院の総選挙に関連して11月29日夜、ニコニコ生放送で党首討論が行なわれました。自民党の安倍晋三総裁がニコニコ動画での討論を呼びかけていたのを、野田佳彦首相が応じたのです。そのほか、日本未来の党、公明、共産、みんな、社民、新党大地、国民新党、新党日本の各党首が集まり、六本木のニコファーレで議論を交わしました。
この件について、私は時事通信から電話取材を受けました。そのコメントは時事通信のニュースサイトや、時事通信の配信を受けた毎日新聞の朝刊に掲載されています。もちろん、私が電話で回答したものを時事の記者がまとめていただいたものです。正確にそう話したのか?と問われれば、いろんな話をするなかで、このようにまとめられたというのが正解だと思います。そのため、記者に十分に伝わっていなかった部分がありますので、補足したいと思います。 できるだけ記事をなるべく生かした形で、加筆修正をします。
まず、時事通信が配信したコメントは以下の通りです。
フリージャーナリスト渋井哲也さんの話 ネット生放送の党首討論ではパフォーマンスのうまい人が得をし、政策の内容を細かく議論できない。一方、テレビは編集ができるため政策が伝わりやすい。ネットはオンデマンドで見られる便利さや、投票率の低い若年層がよく利用するなど利点もあるが、総合的に考えてテレビの方が党首討論の場にふさわしいと思う。ニコニコ動画は形式的には中立的なメディアだが、実際は保守的なコメントが多く、政治家や視聴者が偏ったコメントを一般世論だと誤解する恐れもある。
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2012112901004
<ネット生放送の党首討論ではパフォーマンスのうまい人が得をし>の部分ですが、「ネット生放送」とありますが、この部分は「ネット生放送」と一般化して話したつもりはありません。ネット生放送といっても、FC2やツイットキャスト、ユーストリーム、スティッカムTVなどといろいろあるわけですが、それぞれにユーザーの特性があるはずです。その中でも、ニコニコはパフォーマンスのうまい人が受けやすいメディアでもあります。ただし、これはネットに限ったことではなく、メディア全般に言えることです。
また、ニコニコでのコメントは画面に流れる仕様になっているのですが、その内容は「ネタ」として盛り上がるものが好まれる傾向があります。その「ネタ」としては、よくニコニコは保守的な内容が多いと指摘されています。これは、中の人もそう指摘しています。そのため、沈黙しているユーザーは別として、アクティブにコメントを書く人は保守的な内容を書いています。もちろん、保守的なコメントを書く人=保守的な考えな人、とは限りません。あくまでも、「ネタ」として機能している部分があります。盛り上がると、共同性を獲得できるものだと思います。
もちろん、<政策の内容を細かく議論できない>というのも、より詳しく言えば、ネットに限ったものではありません。だから、このあたりをより正確に書くとすれば、冒頭に「テレビと同様に」を加えたいところです。
<<テレビと同様に>>ネット生放送の党首討論ではパフォーマンスのうまい人が得をし、政策の内容を細かく議論できない。
また、<テレビは編集ができるため政策が伝わりやすい>の部分ですが、記者の質問で、「ネットは若者に届くかもしれないが、中高年や高齢者層はどうするのか?」などと聞かれた記憶があります。この点については、正確に表現するのなら、
<<生放送はだだ漏れで論点がわかりにくい場合もあるために、編集が的確だという前提の上で、中高年や高齢者に届くためには>>テレビは編集ができるため政策が伝わりやすい。<<また、中高年や高齢者層に届かないと思ったら、ネットでの生放送とは別の手段を講じればいいと思う。>>
としたいところです。
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「自分を愛さない人を好きになる」理由とは?..二村ヒトシさんと語る『恋とセックスで幸せになる秘密』
2012-11-30 00:00AV監督・二村ヒトシさんが12月2日、「すべてはモテるためである」(イースト・プレス)を上梓します。これは、98年に出版した同名の著書「すべてはモテるためである」を大幅に加筆修正したものです。前の本では解説が上野千鶴子さんでした。今回はそれに加え、哲学者の國分功一郎さんとの対談を加えています。 前作 「 恋とセックスで幸せになる秘密 」 (イースト・プレス)もとても評判でした。そこで、以前、Ustreamを使って配信していた番組「Book Talk」で、私と二村ヒトシさんらのトークの起こしを配信します。 (起こした部分は、2時間分です) -
【総選挙】いまいち「盛り上がらない」総選挙〜何を基準にどう信じればいいの?
2012-11-19 07:30110pt今回の総選挙、私の中ではいまいち盛り上がりに欠けている。選挙は、マスコミ人にとってみれば、祭りであり、一種の興奮状態になる時期でもある。私も新聞社にいたときから、直接的に選挙を取材しなくても、なぜかワクワクしていることが多かった。今回は都知事選とのダブル選挙でもある。注目すべき選挙のはずなのに.... -
【踊る<インド>哲学者の思考遊戯】「世代間関係からみる『踊る大捜査線 The Final」
2012-11-15 00:00220pt大ヒットシリーズである 『踊る大捜査線』の最後を飾る『踊る大捜査線 The Final 新たなる希望』 (以下ODF)は、9月7日から劇場公開され、今現在(2012年11月7日)もロングラン上映中である。本作は、良質の社会派エンターテイメントとして楽しめる内容だったが、これを「世代間関係」というキーワードをもとに考察してみると面白いことが見えてくる。 -
ミクシィのミニメール監視。憲法違反にならないの?
2012-11-14 18:00220ptソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)のmixiのメッセージ(ミニメール)を運営側が監視していることが話題になっている。私の認識では、国内の大手SNSは数年前から、そうしたミニメール監視をしているという認識があった。なぜ今頃話題になったのだろうと思ったくらいだ。
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【無料】「熟女に甘えられるのが好きなんですよ」...渋井哲也×久田将義(ニコ生ナックルズ)の雑談放送
2012-11-03 12:1410月31日、渋井哲也の「てっちゃんネル」および、ブロマガ「生きづらさオンライン」の開設記念として、10年来の付き合いである、ニコ生ナックルズの 久田将義 さんと「ニコ生ナックルズの久田さんが遊びに来てくれて、今後のブロマガを考える」という生放送をしました。会員になってくれることを目的にしたのですが、宣伝が行き届きませんでした。しかし、会話ははずんだと思います。 -
【大山くまおの「ドラゴンズ談話室」】CS回顧、高木守道は“のぼう”になれたか?
2012-11-02 11:00220pt【大山くまお(おおやま・くまお)】 フリーライター、編集、名言ハンター、中日ドラゴンズファン。単著に『名言力』(ソフトバンク新書)、『平成の名言200』(宝島SUGOI文庫)。
ツイッターIDはoyamakumao です。
今年のクライマックスシリーズ(以下CS)、中日ドラゴンズは本当によく戦ったと思う。ファーストステージのヤクルト戦は、球団史に残る名場面の一つと言っていいブランコの劇的な逆転満塁ホームランで決着。先発投手がすっからかんになった状態で臨んだファイナルステージでも、強い強い巨人をあと1歩のところまで追いつめた。そう、あと1歩……。「巨人にさえ勝てれば日本シリーズは全敗でいい」と思ったドラゴンズファンも多かったはずだ。僕がそうだった。しかし、負けた。負けてしまった……。
負けた試合は極力振り返りたくない。それが常勝・中日ドラゴンズファンの心理だろう。しかし、あえて振り返ってみると、CSを通じてもっとも僕の印象に残ったのは71歳の老将、高木守道監督の面白さだった。
CS前はテレビインタビューで、キーマンにソトを指名。「蚊帳のソトじゃなくて中へ」とやってインタビュアーを爆笑させた。結局、ソトは一回も投げなかった。苦戦を強いられたヤクルト戦の第3戦では「8回には敗戦の弁を考えていた」と正直すぎるカミングアウト。歓喜に沸くファンも、なんだこのおじいちゃん? と思ったはずだ。
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【劇場版「魔法少女まどか☆マギカ】人々を魅了した「やり直しと選択の物語」
2012-11-01 12:00220pt◇やり直しの物語〜納得いく終末を目指して◇選択の物語〜母親からの自立の先に◇魔法少女の運命〜生か死か魔女か◇謎の存在キュウべえ〜一個体をどこまで尊重するのか◇魔法少女と生きづらさ◇最も人間的な美樹さやか◇恨みや妬みある世界という設定は変わらない?(フリーライター/渋井哲也)
「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ」(「まど☆マギ」)の前編、後編を見終わって、この映画について語ろうと思う。言うまでもなく、ネタバレ部分があるので、「これから見たいので、知りたくない」という人は、この記事は見ないように。それにしても、土曜日の昼間とは、劇場は前編、後編ともに満席状態。一体、なぜ、「まど☆マギ」がそこまで人々を魅了させたのだろうか。
私がこの作品を知ったのは、ネットの動画サイトだった。そういえば、「ひぐらしの鳴くころに」も動画サイトで知った。そのときは、「まど☆マギ」を見たとき、動物のようにも見える「キュウべえ」が、主人公の鹿目まどかに「君たちにお願いがあってやって来たんだ。僕と契約して、魔法少女になってよ」というセリフにびっくりした。しかも、口パクがない。テレパシーで会話をしているのだろうか。そもそも、キュウべえは「魔法少女とは何か」ときちんと説明せず、別の登場人物によって説明がされていく。詐欺的な手口なんじゃないかと思いたくなる。最初はカワイいい存在であり、正義の味方かと思わせるが、実は....。
◇やり直しの物語〜納得いく終末を目指して
内容的には劇場版の前編、後編はともに基本的にはテレビ版のストーリーをなぞっている。大枠のストーリーは同じだ。冒頭の部分では、テレビ版では、暁美ほむらが魔女と闘っているシーンの『夢』を、鹿目まどかが見ているところから始まる。あれは「夢」だったのだろうか?と疑問に思えるが、テレビ版では「夢」として位置づけられている。この冒頭が劇場版ではない。なぜ、劇場版ではなくしたのだろうか。やはり、後編へのネタバレ部分ではあるので、前編ではカットしたかったのではないか。
では、その二人の出会いは「夢」だったのか?おそらく、違っている。暁美ほむらは、別の時間軸、最初の体験の中では、すでに魔法少女になっていた鹿目まどかに、魔女から救われる。しかし、見滝原市にワルプルギスの夜が訪れる。魔女が襲ってくるのだ。そのときに鹿目まどかは魔女を倒せない。死に絶えそうな鹿目まどか見て、守る側になりたいと思った暁美ほむらは、鹿目まどかとの出会いをやり直すという奇跡と引き換えに魔法少女になった。そのため、暁美ほむらは時間操作の魔術を得る。
しかし、何度やっても、「ワルプルギスの夜」に勝てない。そのため、暁美ほむらは何度も同じ時間を繰り返していく。いわばパラレルワールドを体験することになる。これは、「ひぐらしのなく頃に」の古手梨花と似ている。昭和58年6月に殺害される運命をさけるために、何度もその時間を繰り返していく。自分の納得のいくストーリーを求めて、時間を旅をするのだが、いわば、ゲームのリセットを思い起こすが、それと同時に、同人誌文化で起きる「納得できる別のオチ」に似ている。エヴァンゲリオンのテレビ版の最終2話が、ファンに納得いくものではなかったために、いわば映画でやり直したことがあった。そのやり直しの物語を、その物語の中で展開していく。これは「未来日記」でも同じことが言える手法でもある。
希望と絶望の繰り返し。そんな世界観をベースにしたアニメは多い。「新世紀エヴァンゲリオン」も、希望と絶望を繰り返しながら、パイロットたちが成長していく物語だ。とはいっても、エヴァンゲリオンの初号期パイロット・碇シンジが、乗ろうと思った理由が、傷付いた綾波レイを見て、「逃げちゃ駄目だ」と思ったこと、のちに乗り続ける理由として「お父さんにほめられたい」というのがある。世界を救うという大事業に乗り出すのに、想像できるコミュニティの範囲は狭い。守るべきものは、綾波レイや惣流アスカ・ラングレーといった身近な人物だった。そこにコミュニティという考えはない。
「まど☆マギ」では、エヴァよりもさらに狭い。エヴァの描く世界の範囲は、第3東京市や第2東京、日本、ドイツ、南極など、地球規模の広範囲にわたっている。しかし、まど☆マギは、見滝原市だけ。ただ、そこにはコミュニティという発想が見て取れる。「見滝原市の平和は私が守る」という美樹さかやのセリフがあるが、中学生の行動範囲の狭さと同時に、子ども時代の世界の規模をきちんと表しているように思える。世界を救うとか、人類を救いという抽象的な概念ではなく、目の前の魔女を倒すことが見滝原市の平和につながる。妙に現実感があるアニメだと感じるはこうした世界の範囲が関係しているのかもしれない。
◇選択の物語〜母親からの自立の先に
このアニメでは、鹿目まどかの家族が描かれている。父親と母親、そして弟だ。父親は専業主夫。母親はバリキャリ。「男は仕事、女は家庭」という近代的な性役割り分業とは反対だ。実は、この環境は私の中高時代に似ている。父親は病気がちだったために、ずっと家にいたと記憶している。一方、母親は毎日のように仕事に出て行った。自分自身の両親も鹿目家と同じように「女が仕事、男が家庭」だった。ただ近代的な家族ではなく、ポスト近代的な家族を描くことで、何を言いたかったのだろうか。母親との物語を強調するとしても、ポスト近代的な家族かどうかはそれほど関係がないように思える。しかし、これが逆も言えて、「男が仕事、女が家庭」という家族を描いたとしても、特に設定上の変化は見られない。
しかしながら、鹿目まどかと家族の会話は、ほとんどが母親とのものだ。劇場版で父親と話すシーンは最初だけ。あとは母親との会話のみだ。その意味では、母親の存在を強調する材料にはなっているのかもしれない。しかも、思春期の少女の世界観では、父親が出てこないのが当たり前か。専業主夫であり、家にいる時間が長いはずなのに、心理的には父親との距離は遠いのだろう。母親は近いらしく、朝でも夜でも少しの時間を見つけては相談をする。
母親は物語の冒頭で、ピンクのリボンを鹿目まどかに渡す。それが「隠れまどかファン」のためだと思えば、美人になれると言い、中学生らしいカワイイ女の子になるための母親なりのアドバイスだった。物語の中では、徐々に母親から自立していく。間違ったことをせずに成長した鹿目まどかが、母親の知らない世界に旅だっていく。それこそが「成長物語」たるゆえんでもある。いわば、選択の物語でもある。
鹿目まどかがワルプルギスの夜に出向くときも、母親が鹿目まどかを止めようとする。そして、本当に行くのか?誰かにだまされてはいないか?と、何かを知っているかのように説得をする。その前に、美樹さやかが亡くなったことをで、担任であり、かつての同級生でもある早乙女和子と2人でお酒を飲んでいるシーンがある。そこで、母親として娘の考えていることがわからないと告白している。鹿目まどかは、すでに母親の知る世界から飛び出していた。しかし、もしかして、鹿目まどかの謎を知っているんじゃないか?と思わせる。ひょっとして、母親も昔は魔法少女だったんじゃ?と思ってしまった。
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