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記事 4件
  • 【東日本大震災】「松の上を津波が超えるのが見えたんです」〜大川小学校より下流・尾崎地区の人たちの証言

    2013-03-30 20:45  
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    (文・写真/渋井哲也)●大川小よりも下流の地域●かつての大津波を示す「やかん桜」●津波を見てやろうと留まった
    ●逃げ遅れた人を助ける●津波警報で引き返した理由は●小学校に止まっていたバス●橋を渡れず、「津波がくる」と言われて●三角地帯で先生が誘導していた!?
    ●大川小よりも下流の地域
     石巻市尾崎(おのさき)地区。新北上川河口の追波湾と、長面浦との間にある集落で、牡蠣の養殖や刺し網漁をする漁師さんたちが住んでいる。石巻市との合併前は、河北町だった場所だ。河口付近にある長面海水浴場は、サーフィンでも有名な場所だ。防風林のためも松林もあったが、震災による大津波で流されてしまい、今は跡形もない。
     児童と教職員あわせて84人が犠牲となった大川小学校の悲劇は伝わっていることから、小学校前の慰霊碑には多くの人が訪れる。しかし、大川小のある釜谷地区よりも先の長面・尾崎地区までは訪れない人が多い。先には道がないようにも見える。そのため、小学校よりも下流に進もうとは思わない人も多いのではないだろうか。
     震災後、私が長面や尾崎に初めて行ったときには、長面地区がまだ浸水していた時期で、途中まではかさ上げした道路ができていた。しかし、地盤沈下しており、道路と家の段差ができており、長面の街中にある家々の一階部分が浸水していた。そのため、尾崎には行けなかった。長面より先の尾崎地区の集落が目視できるようになるまでも、何度か訪ねてくるしかなかった。
                  (写真:稲荷神社。この先は崩落しており、進めない) 2年が経って稲荷神社まで行くことができるようになったが、その先は砂浜があったり、港があるが、道路が崩落しているために前に進めない。砂浜までは、寺「海蔵庵」の裏からのぼり、お墓がある丘まで行き、さらに下る道を徒歩で行くか、林道を進むしかない。しかし林道は急傾斜のために、四輪駆動でないと登れない。そのため、徒歩で行ってみたが、海水浴ができるのではないかと思えるほどの砂浜が広がっていた。(写真:稲荷神社を進むと、砂浜にたどりつくが....)
     案内してくれた人の話によると、以前はここに遠足できたことがあるという。しかし、最近ではゴミ処理場ができたこともあり、近づく人は減っていたという。
     この地域では浸水しているエリアが未だにあるために、水抜きをしている。水が引いたあとで、児童4人を含む行方不明者を探すことになっている。
     
  • 【踊る<インド>哲学者の思考遊戯 4】菩薩思想としてのドラマ『妖怪人間ベム』

    2013-03-25 18:00  
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    一昨年の2011年に日本テレビ系列で放送された『妖怪人間ベム』という連続ドラマがある。このドラマは1960年代後半に放送された同名のアニメーション作品を原作としていた。ジャニーズ事務所所属のアイドル亀梨和也や人気子役の鈴木福が出演した事から若者を中心に話題になり、2012年には劇場映画にもなった。

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  • 【東日本大震災】2年目を迎えた「警戒区域」周辺

    2013-03-19 20:30  
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    東日本大震災の2年目を迎える少し前、私は福島県南相馬市にいました。雑誌の取材の合間をぬって、東京電力・福島第一原発から20キロ圏内の、現在では立ち入ることができる南相馬市小高区にも行きました。   [国道6号線沿いにはまだ片付けられていない車がある(原発から約15キロ地点)]
     震災後、このエリアに最初に入ったのは2011年3月27日でした。当時、南相馬市では人口が約7万人のところ、1万人ほどしかおらず、流通もほぼストップしていたころでした。4月22日からは警戒区域となり、自由な立ち入りができなくなります。そのため、同日を迎える前には、20キロ圏内に何度も入り、取材を行なっていました。
    [JR小高駅。あの日から常磐線は広野ー原ノ町間は開通していないため、利用者はいい(原発から約16キロ地点)
     
  • 【東日本大震災】釜石市鵜住居で過ごした2年目の3.11

    2013-03-17 18:30  
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     東日本大震災から2年目の3月11日。あなたはどこで何をしていたのでしょうか。私はすでに、Newscfafeや「ジョルダンニュース」のコラム、Twitterなどで書いていますが、岩手県釜石市で過ごしました。
     なぜ、釜石市で過ごしたのかはコラムに書いたように、こだわりがあるからです。なぜこだわるのかといえば、震災取材で最初に取材拒否をされた場所だからです。そのとき、話が聞けなかった女性に名刺を渡しましたが、その女性から後日、メールが届きました。そのメールで、釜石市鵜住居の地区防災センターで地域住民の多くが犠牲になったためだということがわかったのです。 [鵜住居地区防災センター:鵜住居幼稚園(すでに解体)側から]  3月11日には、防災センターで「東日本大震災鵜住居地区犠牲者追悼式」が行なわれました。[この地域の津波避難所のひとつだった常楽寺の住職たちによる法要]