-
本質的に生きる方法:その6(1,775字)
AIは愚者に似ている。どこが似ているかというと、誰かが発明したものを利用することで成果を上げる――というところだ。与えられた道具の最適な使い方を考えること。あるいはそれを再編集すること。これこそ愚者の最も得意なことである。いわゆる1を10にするというものである。反面、発明やイノベーションつまり0を1にするということには向いていない。なにしろAIは大規模データを学習することによって成果を上げるわけだから、既存の知見の枠組みを出ることはないのだ。イノベーションとは既存の枠組みをはみ出ることである。あるとき、アメリカのダイナーで文句ばかり言う常連客がいた。彼は、薄くスライスしたポテトのフライが好きだった。それでいつも、店主に「もっと薄くできないのか?」と文句を言っていた。そこで怒った店主は、あるとき限界まで薄くしてやろうと考えて、既存の枠組みを大きくはみ出して、それまで7ミリほどあった厚み -
石原莞爾と東條英機:その60(1,924字)
永田鉄山が相沢三郎に殺された。その報に接したとき、石原莞爾は「なんだ、殺されたじゃないか」と言ったとされる。そして相沢に対しては、「妻子もある40代の男が、命をかけて何かをするということは、陸軍にはまだ見込みがある」と言ったとされる。つまり、永田鉄山の側ではなく、むしろ相沢三郎の側についたのだった。しかし同時に石原は、テロリズムを容認する立場ではない。だから、完全に相沢に与するというわけでもなかった。また、相沢が所属する皇道派は嫌っていたから、その意味では相沢の行いの動機は、全く受け入れられるものではなかった。それでも、石原は相沢に感情移入し、永田には冷たかった。それはやはり、満州事変以降の陸軍中央の在り方に、石原が強い違和感を抱いていたことによるものだ。その中心にいるのが永田だったから、永田にも複雑な感情を抱くようになっていたのだ。しかしその永田が死んだことで、この後、統制派の結束 -
野球道とは負けることと見つけたり:その3(2,052字)
前回に続き、蔦文也を主人公とした5話完結のドラマの構成について書いていく。第四話「手も足も出せなかった男」星稜対箕島は、延長18回と二度の奇跡的な同点ホームランという劇的な内容の末、箕島がサヨナラ勝利した。そうして箕島は、なんとそのまま決勝戦まで勝ち進み、同じく勝ち上がった蔦の池田と当たるのだ。この決勝戦も、なんの因縁かまた雨。そして蔦は、またしても指示をミスし、負けてしまう。そうして、三度目の雨中の敗戦を経験するのだ。この試合に負けたことで、蔦はほとほと自分の指導力のなさ、特に采配の下手さ加減に嫌気が差す。そうして再び監督を辞めようと決意するが、そこで一種の奇跡が起こる。池田の敗戦を見て意気に感じた徳島中学野球界の大スター、畠山準が入学してくるのだ。これで「5回の甲子園出場」は間違いなく、それどころか初の甲子園優勝も成し遂げられるかと思われた。ところが、そこからなかなか勝てな
1 / 1035