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記事 18件
  • [Q&A]話の通じない人に話を通すにはどうすればいいか?(2,750字)

    2024-01-31 06:00  
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    [質問]
    会社の社長はワンマンで、ほとんどのことはお伺いを立てなくてはいけません。ちょっと高い贈り物を人に贈る際は、それも見せなくてはいけないし、時間がない中でせっかく交渉してあってもボツになることがあります。
    こんな社長に対して、こちらが「この人にはこれを贈ると喜ぶ」と分かっているものの提案を通すには、どうしたらいいでしょうか?
    [回答]
    これは難しい質問ですね。ぼくだったら「提案を通すことを諦める」と思います。もしくは、「贈り物を自分のお金で買って贈る」ですかね。提案を通すということはしません。
    なぜかというと、無駄だからです。ぼくは、子供の頃から他人を説得できなくて困ってきました。それで、説得についてのありとあらゆる勉強をし、40歳くらいまでにはそれなりにできるようになりました。
    しかし、説得の究極は「相手を騙す」ということで、いうならば詐欺です。詐欺にも一定の理と利があり、ときには

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  • 劣化する人:その8(1,993字)

    2024-01-30 06:00  
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    松本人志氏の話題が止まらない。彼が炎上した一番の理由はホワイト化社会だ。昔は常識だったことが、今は非常識になった。昔は許されていたことが、今は許されなくなった。その変化を、彼は表面的には知っていただろうが、本質的には気づいていなかった。だから炎上したのである。
    では、なぜ価値観の変化に気づかなかったのか? その最大の理由は、「変化に気づきにくい環境で生きていた」ということだろう。同じ価値観の人たちに囲まれ、彼らとしか交流していなかった。そういうエコーチェンバー効果があったのだ。
    松本人志氏は現在60歳だ。彼のそうした「浦島太郎化」は今から15年位前の、およそ2010年辺りから始まっていたと思う。つまり、彼が45歳のときだ。そのときから、彼はほとんどものを考えなくなり、同じものの縮小再生産で生きていた。
    そのため、一般的な「劣化する人」とは違う。一般的な劣化する人は40歳から始まるが、彼の場

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  • 石原莞爾と東條英機:その33(1,853字)

    2024-01-29 06:00  
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    ここで石原莞爾と板垣征四郎の関係を年代順に見てみたい。ただ、陸軍の人事はかなり頻繁にまた縦横無尽に行われるので、なかなか追いにくいところがある。そのため、主だったところだけを挙げている。
    1885年、板垣征四郎、岩手県盛岡市に生まれる。
    1889年、石原莞爾、山形県鶴岡市に生まれる。
    1899年、板垣、仙台陸軍幼年学校に入る。
    1902年、石原、仙台陸軍幼年学校に入る。板垣の3年後輩。
    1904年、板垣、陸軍士官学校に入る(16期)。
    1907年、石原、陸軍士官学校に入る(21期)。3年下だが、期は5つ下。この頃は日露戦争の関係で年次がイレギュラーとなっていた。
    1913年、板垣、陸軍大学に入る(28期)。
    1915年、石原、陸軍大学に入る(30期)。板垣の2期後輩。
    1917年、板垣、中国参謀本部に配属。
    1920年、石原、関東軍参謀に配属。ここで板垣と親交を深める。石原35歳、板垣39

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  • 庭について:その62(2,006字)

    2024-01-26 06:00  
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    茶室の元祖は、東山文化の生みの親・足利義政が作った銀閣寺の一角、東求堂にある四畳半の部屋だとされている。義政はここを応接室的に使っていたのだが、そこにおいて「佗び茶」が発展していった。
    禅宗は、室町幕府と深く結びついていたので、京都の街中にお寺を建てていった。その庭は、初めはそれまでの伝統に則って、あくまでも自然――特に海や山を模したものだった。それによって極楽浄土を表していた。
    ところが、なにしろ街中に建てていたものだから、時代を経るにつれてどんどんとスペースがなくなり、庭に割ける面積も限られていった。そこで、新たに枯山水という様式を発展させ、自然の水や植物を使うのではなく、それらを抽象化した砂や石で代用していった。そんなふうに枯山水は、最初は「狭いスペースでも庭を成立させる」という実際的な意味があった。
    ところが、そんなふうにやむをえずに始めた枯山水だったが、作ってみると元の本物の水や

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  • 偽物の個人時代:その26(1,606字)

    2024-01-25 06:00  
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    ここまで連載を続けてきて、ようやく「偽物の個人時代」の出口が見えてきた。それは「真善美の復権」である。それに伴う「個々人における審美眼の養成」だ。これからの時代、あらゆる人にとって審美眼の養成が不可欠となるだろう。審美眼がないと、「本物の個人時代」はとても生きづらいものになるからだ。
    しかし今は、残念ながら審美眼のない人が多い。今の「偽物の個人時代」が多くの人にとって生きにくいのは、審美眼がない中で個人主義を貫こうとするからである。そこで、いろいろと無理が生じているのだ。
    これが審美眼を持てるようになると、一気に視界が開ける。そうして、個人主義も貫きやすくなる。
    では、審美眼を養成するにはどうすればいいか? これの答えは、自分でも意外なものになるが、雑誌「BRUTUS」を読む――というものである。なんなら定期購読してもいい。それだけで、審美眼は鍛えられる。
    雑誌というのは、もはや完全に死に

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  • [Q&A]最近見たおすすめのドラマは?(1,080字)

    2024-01-24 06:00  
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    [質問]
    ハックルさんは今、家を建てられているということですが、ハックルさんが自身が家に求めることはなんでしょうか? また、家づくりにおいて最も重視されていることはなんですか?
    [回答]
    家に求めるものといったら、やっぱり「休息の場所」でしょうか。ぼくは、家は基本的に休息のために使います。仕事も、家ではほとんどしません。また、家にいる時間も少ない方なので、そこまで家には愛着がないですね。
    家といえば、ベッドと風呂です。そして、道具のためのストレージ。それ以外のことは、あまり重要ではありません。そのため、一番求めることは温熱環境でしょうか。つまり暖かさや涼しさですね。空気が快適であることが何よりも重要です。
    さらに、これは家そのものではないですが、外との関係もだいじです。出かけやすいし、帰ってきやすい。外からは切り離され、また適度につながっている。そういう難しくも魅力的な関係性が外との間に取

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  • 劣化する人:その7(1,825字)

    2024-01-23 06:00  
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    ものごとにはなんでも「外面」と「内面」とがある。「表層」と「深層」と言い換えてもいい。「短期的」「長期的」などという区分けもある。二元論に帰するわけではないが、物事を単一のモノサシでとらえ、そのどちらかに比重を置く――という選択は、誰もが無意識にしていることだ。
    その際に、ほとんどの人が「内面」ではなく「外面」を取る。「深層」ではなく「表層」を重視する。「長期的」ではなく「短期的」にものごとを考える。なぜかというと、その方が圧倒的に楽だからだ。しかしこれが、結局劣化の原因となる。
    例えば、礼儀作法というものが存在したとき、これについて「なぜ礼儀作法があるのだろう?」と考える人は少ない。1割にも満たないだろう。なぜかというと、考えるのが大変だからだ。
    しかし、考えることのメリットは、実は途方もなく大きい。そして、これからのAI時代は、そのメリットを取らないと、むしろ苦しい時代になる。考えない

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  • 石原莞爾と東條英機:その32(2,063字)

    2024-01-22 06:00  
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    石原莞爾は1920年、31歳のときに中国に赴任する。その直前には陸軍大学の教官をしていたが、そこはあまり性に合わなかった。
    石原は、エリート――特に陸大生クラスの人間が苦手だった。突出して頭が良いか、それとも自分の頭の弱さを知っている謙虚な人間でないと、上手く関係を持てなかった。
    後年、石原は自分の部隊を持ったとき、民間上がりの兵卒たちからは慕われ、人気があった。威張らないし、自分たちのことをどの部隊長より考えてくれたからだ。
    さらに、軍隊を退いた後も慕ってくる人たちを無碍にせず、一種の私塾なようなものを開いた。そこでは、弟子とも呼べる人物たちと楽しく、また仲良く過ごした。
    そんなふうに、石原はけっして指導者に向いていないわけではなかった。ただ、とにかく頭が良いとされる人たちとは死ぬまで相性が悪かったのだ。
    ただし、その中で永田鉄山との関係だけが唯一の例外であった。永田は石原の能力を大いに

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  • 庭について:その61(2,091字)

    2024-01-19 06:00  
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    龍安寺は、15世紀後半に細川勝元の領有となったため、応仁の乱で細川氏のライバルであった山名氏の攻撃を受け、焼失した。
    1488年、勝元の子の細川政元が再建に着手し、1499年頃、方丈(建物)が上棟された。銀閣寺の上棟が1489年なので、およそ10年後である。
    龍安寺の庭も、やっぱり金閣寺や銀閣寺にならって、下に「水のある池」、上に「水のない池」がある二段構成となっている。このうち下の「水のある池」は、作りも豪勢な池泉回遊式庭園だ。ここには水鳥なども頻繁に訪れたため、風光明媚で最初はこちらの方が人気だった。
    ところが、今となってはその立場が完全に逆転している。龍安寺の押しも押されもしないシンボルとなっているのは、上にある「水のない池」、すなわち枯山水の石庭である。
    この石庭は、1500年頃、当時の臨済宗の高僧たちが作ったとされているが、実際に設計した人、また正確な時期、そして意図や意匠など、

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  • 偽物の個人時代:その25(1,885字)

    2024-01-18 06:00  
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    これから来る「本物の個人時代」は、どのようなものになるだろうか?
    その前提として、まずは「世界中がフラットになる」ということがある。「フラット」とは、同じ言葉を話し、同じ食べ物を食べるという意味だ。
    これは、「昔の日本」と「今の日本」の違いを考えると理解しやすい。100年前、青森県民と鹿児島県民は違う言葉を話し、違う食べ物を食べていた。しかし今は、両者とも同じテレビで見た同じ言葉を話し、同じイオンで買った同じ食べ物を食べる。
    その一方で、100年前の青森県民同士は、皆均質だった。鹿児島県民同士もそうである。ところが今の青森県民には、いろんな人がいる。鹿児島県民にもいろんな人がいる。
    そんなふうに、過去から未来に向けて、地域性が薄れる一方、個人の個性は際立っている。それはトレードオフの関係なのだ。
    この現象が、これから世界を舞台に進む。世界中のどの国のどの地域も似たような言葉を話し、似たよう

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