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記事 22件
  • [Q&A] 幸せな生き方とは?(2,103字)

    2015-09-30 06:00  
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    [質問]僕が23歳位の時に勤めていた、同僚の「既婚者」の先輩がある時ボソッと僕にその先輩と同期位の先輩の「独身者」の○○が羨ましい。また「世間に負けたね」ともこぼしたのも聞いて、僕は「だったらしなきゃいいのに」とその当時は思ったのですが、僕自身もそれぐらいの年齢になり、僕も含め人は弱い生き物だから、例えば、周りが結婚したり子供を作ったりすると「自分もそうしなきゃいけないのか?」というある種世間体の見えない風に吹かれ心の屋根が飛びそうになり「不安」「孤独死」がよぎりました。少数派のアウトローはそういうのがあります。しかし、子供ながら両親が幸せそうに見えたことは「皆無」に近く、僕自身も「生まれてきて良かった?」と問われて正直、笑顔で素直に「yes」とは言えません。しかし、「既婚者悪い」とか「独身者が良い」というつもりはありません。また、職業を含め生き方そのものにおいてハックルさんは、自分の「幸

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  • ライトノベルの書き方:その36「自分のリビドーのとらえ方」(1,947字)

    2015-09-29 06:00  
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    物語には「型」がある。「型」はもちろん必要なものだが、しかしそれだけに縛られると、作品が固いものとなってしまう。そこで、要所で「破綻」をもたらす必要がある。そうすれば、そこに面白みが生まれ、固くなりすぎない。
    その破綻をもたらすものこそ「リビドー」である。作者のうちにある欲求を、それも無意識にあるそれを、物語の中に滑り込ませる。すると、物語が破綻する「必然性」が出てくるので、破綻が単なる失敗にならず、面白みになる。
    破綻の面白さというのは、陶器でいうなら焼成のときにできるさまざまな意匠に似ている。陶器は、焼くときにさまざまなアクシデントが起こりやすい。例えば、貫入という細かいひびは、計算では作れない。また、ちょっと歪んだり、あるいは灰や天井からの滴によって「自然釉」という名の装飾が施されたりする。「へうげもの」の古田織部は、そういう破綻の面白さを「甲(優等生)ではない」という意味で「乙なも

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  • 訃報とガンとテレビについて(2,099字)

    2015-09-28 06:00  
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    最近、川島なお美さんが亡くなったり、北斗晶さんがガンを公表したりした。その前には、黒木奈々さんがやっぱりガンで亡くなったというニュースが入ってきた。
    彼女らに共通しているのは、女性であるということと同時に、「テレビで頑張っている人」ということだ。もちろん、川島さんは女優だし、北斗さんは元プロレスラーなので、厳密にテレビのみで生きてきたというわけではないが、それでも、テレビと深い関わりのある人生を送ってはいるので、今日は訃報、ガン、そしてテレビということについて考えてみたい。
    ぼく自身も、テレビと深い関わりを持つ人生を歩んできた。高校時代、テレビの世界に憧れて、大学卒業後、放送作家として働いた。
    その中で思ったのは、「テレビというのはとても大変な仕事だ」ということだ。そのため、テレビの世界で働くうちに、いつしか「自分はこの世界では生きられない(向いていない)」と思うようになった。そうして実際

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  • なぜラグビー日本代表は南アに勝てたか(2,269字)

    2015-09-25 06:00  
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    遅ればせながら、ラグビー日本代表が南アに勝ったことについて書きたい。
    ぼくは、ラグビーに力を入れている学校(中学・高校)に通っていた。体育の授業で6年間ラグビーを習い、試合も数多くした。その間、同級生のラグビー部員たちは県大会で優勝し、花園にも何度か出場した。
    だから、自然とラグビーを見る習慣がついた。それで、大学時代はよく大学ラグビーを見ていたのだが、そのときちょうど、大学ラグビーの黄金時代で、とても面白かったし、客も良く入った。NHKで放送されていた中継の視聴率も良かった。ぼくも実際に面白いと思っていた。
    しかしその後、つまらないと思って見ないようになった。何がつまらなかったかというと、ルールが選手の体格に追いつかなくなったのだ。そして、それをなかなかアップデートできなかった。
    ラグビーというのは、200年くらい前のイギリスで発祥し、ルールもその頃いろいろと決まった。
    そして、その頃と

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  • 教養論その6「問いへの感度を高める読書」(1,794字)

    2015-09-24 06:00  
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    教養はどうすれば身につくのか?
    それは、言葉を覚えることによってである。
    では、言葉はどうすれば覚えられるのか?
    それは、読書をすることによってである。
    では、どのような本を読めばいいのか?
    それは、その中に有効な「問い」が提示されている本である。その問いに興味を引かれ、答えについて真剣に考えれば、思考の道具が必要となるので、自然と言葉を覚えられるようになる。
    では、有効な問いが提示されている本とはどのようなものか?
    それ以前に、そもそも有効な「問い」とは何か?
    今回は、そのことについて見ていきたい。
    人間にとって最も有効な問いといえば、それは「生」と「死」にまつわるものだろう。
    「人はなぜ生きるのか?」
    「人はなぜ死ぬのか(死ななければならないのか?)」
    というのは、子供でも自然と興味を引かれる非常に強力な問いである。
    では、生、あるいは死について、自然と考えさせてくれる本とはどういうも

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  • [Q&A]仕事ができる人間とは?(2,117字)

    2015-09-23 06:00  
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    [質問]
    私は、勤め人である時に結構な割合で「お前は要領が悪い。仕事ができない。民間じゃ通用しない。無理だ」と言われてきました。
    これは自分でも認めざるをえない所で、同僚、上司の意図を汲み取れなかったり臨機応変が効かない場合があります。その時に「俺はダメだな頭の回転が悪いな」と凹みます。「俺、どうやって生きていけばいいんだこの先」とも思います。そのトラウマを払拭できずにいる自分がいます。
    要領よく業務をこなすにはどうすればいいでしょうか?
    ハックルさんにとって仕事が出来る人間とはどういった人間でしょうか?
    お願い致します。
    [回答]
    これは難しい問題ですね。
    仕事というのは、九割が「やり方」の問題であり、要領も含めた「能力」は、多く見積もっても五分ほどでしょうか。だから、やり方を改善していけば、その人は仕事ができるようになるのですが、しかし人はやり方を変えられません。
    例えば、パソコンのデ

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  • ライトノベルの書き方:その35「リビドーの効用」(1,687字)

    2015-09-22 06:00  
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    「リビドー」とは、フロイトによると「性的衝動を発動させる力」ということになる。ユングによれば「すべての本能のエネルギー」だ。
    ここでは、この両者を含有した言葉として用いたい。人間の、性欲を含めた全ての「理性ではなく無意識から発露する思い」をリビドーとする。
    リビドーはまた「気分」とも言い換えられる。これに対比するのは「考え」である。
    物語を「型」で書こうとすると、どうしても「考え」に則ってしまい、なかなか「気分」の入り込む余地がない。型でがちがちに固められたものとなる。
    この「がちがちに固められた映画」の代表格が、「インサイド・ヘッド」だ。それはもう、一分の隙もなく固められていた。
    しかし、それゆえ窮屈な印象を否めない。あまり型で固めすぎると、どこかでだいじな魅力をそぎ落としてしまう。
    そこで、その固さを補うものとして、気分――則ちリビドーを用いることがだいじとなってくるのだ。
    リビドーを

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  • ある訃報について(1,757字)

    2015-09-21 06:00  
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  • 絵本について考えた(1,385字)

    2015-09-18 06:00  
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    ゆえあって、このところ絵本について考えている。みなさんは、絵本を読むだろうか?ぼくは、子供のころ以来読んでいない。子供のころも、それほど絵本が好きなわけではなかった。ただ、母親が絵本好きで、たくさん買い与えられていた。それで、読むだけはたくさん読んでいた。福音館書店の「こどものとも」と、「かがくのとも」を定期購読していたのだ。ぼくが、絵本といってパッと思いつくのは、「はせがわくんきらいや」だ。はせがわくんきらいや - Amazonこの絵本は、とてもインパクトが大きかった。どういう話かというと、森永のヒ素入りミルクを飲んで体が不自由になった転校生のはせがわくんを、同級生がもてあます、というものだ。それを、はせがわくん自身が書いている。ぼくは、体が不自由になるということに昔から敏感だった。障害者というのが、不思議でしょうがなかった。「自分の体が不自由になったらどうしよう」と想像するのを抑えるこ

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  • 教養論その5「議論を深めるための種」(1,953字)

    2015-09-17 06:00  
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    教養において言葉はとても重要な役割を果たす。それ以前に、「言葉そのものが教養」ということもできる。言語能力は、そのまま思考能力と直結する。だから、思考能力を高めたければ、言語能力を高める必要があるのだ。
    では、言語能力はどうやって高めればいいのか?
    それは、鉄と同じで「鍛える」ということである。どんどん叩く――則ち「会話する」ということだ。それも、緊張感を伴った会話をする必要がある。端的にいえば、「有意義な議論をする」ということだ。
    では、有意義な議論はどうすればできるのか?
    それは、有意義な問いを見つける――ということである。
    議論というのは、必ずその種となる「問い」を必要とする。そして、議論はその「問い」次第で有意義にもなれば、無意義にもなる。あるいは、面白くなればつまらなくもなる。議論のクオリティは、その種となる「問い」のクオリティに匹敵するといえよう。
    そのため、有意義な議論をする

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