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記事 39件
  • きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第39回(1,700字)

    2017-12-07 06:00  
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    この世は短期的な利益と長期的な利益が相反する。そして長期的な利益を得るためには、短期的にはむしろ不利益を被る必要がある。具体的にいうと、苦しみを得る必要がある。痛みを感じる必要がある。利益は、その先にしかない。ただしこのとき、苦しみや痛みが強すぎても駄目だ。人間は、ストレスが強すぎると身体を壊したり、ひどいときには死に至ったりもする。そうなったら元も子もないから、苦しみや痛みは適度なものとする必要がある。あまり強すぎないバランスが必要だ。では、それはどのようなバランスが最適なのか? また、それをどのように見極めていけばいいのか?この世の真理の一つに、「価値が反対のものは、得てして隣り合っている」というものがある。例えば、野球のバッティングにおいて、苦手なコースというのは、得てして得意なコースの隣であることが多い。なぜかというと、得意のコースの隣だと、どうしても得意なコースの方にバットが寄っ

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  • きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第38回(1,743字)

    2017-11-30 06:00  
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    この世の真理の一つが、「短期的な利益と長期的な利益は相反する」ということだ。例えば、ケーキを食べると美味しい。しかしそれは短期的な利益で、長期的には太ってしまい、体調も悪くなる。
    その逆に、勉強は短期的には苦しい。しかし長期的には能力がつくので、益するところが大きい。これもやっぱり、短期的な利益と長期的な利益が相反する典型の一つだ。そして、短期的に利益を得ること――例えばケーキを食べるのは誰にとっても簡単なのだが、短期的な不利益を被ること――つまり勉強というものはなかなか取っかかりにくい。みんな、その苦しさでつまずいてしまう。
    しかしながら、遊びを通して「短期的な利益と長期的な利益は相反する」ということを学ぶと、その不利益に我慢できる度合いが高まる。そうして、勉強に対する障壁が下がるのだ。
    では、遊びのどこでそれを学べるのか? 遊びのどこが、短期的な利益と長期的な利益が相反するのか。
    例え

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  • きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第37回(1,574字)

    2017-11-23 06:00  
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    あらためていうことではないかもしれないが、人間の体というのはよくできている。
    例えば、子供の心臓は小さく、非力だ。そのため、全身に血を回すのに、少し力が足りない。おかげで、子供はじっとしていると足の先がジンジンと痺れてくる。長時間正座をしているような状況となるのだ。要は血が回らなくなるのである。
     
    じっとしていられなくなった子供は、走り回る。なぜかというと、走ることによって、その動きが血液におけるポンプの役割を果たすため、全身に血が行き渡るからだ。おかげで、ジンジンとした痺れが取れる。体がすっきりするのだ。
     
    子供がじっとしていられないのは、実はこれが原因だ。幼稚園でも学校でも、じっとしていられず体を動かしている子供は、血が行き渡らずに痺れを切らしているからそうなってしまっている。だから、じっとしていられない子供を無闇に責めるべきでは、本来はないのである。
     
    ところで、これのどこがよ

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  • きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第36回(1,827字)

    2017-11-16 06:00  
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    人間と水とは、切っても切れない関係にある。特に日本人だったら、ほとんどの人が毎日お風呂に入るのではないだろうか。また世界中の人々も、お風呂には入らずとも、毎日水を飲むはずだ。そういうふうに、水は人と非常に縁が深い一方、身近な凶器でもある。なぜなら、人は水の中では息ができないため、潜ったままだとものの数分で窒息してしまうからだ。それは、身体の損傷を通り越してすぐに死につながってしまうのである。実際、今でも水の事故で命を落とす人は多い。つまり水は、それそのものが極めて危険なのである。だからこそ、それで遊ぶことによって脳内麻薬が豊富に分泌されるのだ。水遊びのいいところは、死の恐怖というものが段階を追って迫ってくるところだろう。これがスピードや高いところの危険だと、身体が傷つくのは一瞬なので、その恐怖はほとんと一種類しかない。すなわち、「危険のそばにある」ということの恐怖だけだ。しかし水の場合は、

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  • 「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第35回(1,568字)

    2017-11-09 06:00  
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    「勉強」というのは、目の前の小さな困難を乗り越えることによって、その後に大きな利益を得る、という構造になっている。そのため、必ず「苦労」が障壁として立ち上がる。勉強ができるようになるためには、この障壁を乗り越える必要があるのだ。障壁を乗り越えるには、その先に待っている利益を「予感」しなければならない。有り体に言うと、「この道を進むといいことがありそうだ」という「勘」を養う必要がある。そして、そういう勘は「遊び」をする中で養われる。遊びは、さまざまな理由から勉強よりも誘惑が大きい。またそこには、勉強と同じように目の前に小さな困難が立ちはだかる。だから、遊びの誘惑に負けてその困難を乗り越えると、先に待っている大きな喜びを経験できる。この経験を通じて、人は「小さな困難の先には大きな喜びが待っている」という法則を知る。そうして「勘」が磨かれ、小さな困難を厭わなくなるのだ。その先に待っている大きな利

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  • 「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第34回(1,613字)

    2017-11-02 06:00  
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    「身体を損傷の危険にさらす遊び」の二つ目は、「高いところに登る」ということである。地球には、重力がある。人は誰でも、生まれながらにして重力のくびきに縛られる。そのため、それが一定のストレスになっており、必然的に、そこから解放されたいという願望を誰でも抱いている。そのため、多くの人間は高いところが好きである。高いところに登ると、生まれながらに自分を縛っている重力のくびきから一時でも解放されるので、大いなる開放感、あるいは快感を味わうことができるのだ。そのこともあって、高いところに登るというのはそもそも人に快楽をもたらす。つまり、そうするだけで脳内麻薬が出るのである。さらに、それに伴って高いところには必ず「危険」がつきまとう。なぜかといえば、いくら高いところに登っても、人は重力のくびきから完全に解放されたわけではないので、何かの拍子に落ちてしまうことがあり、そうなると、そこで身体を損傷すること

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  • 「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第33回(1,635字)

    2017-10-26 06:00  
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    「遊び」というのは危険である。なぜなら人を夢中にさせ、熱中させるので、心のリミッターを外させるからだ。
    例えば鬼ごっこをしていると、人はつい夢中になる。熱中してしまう。そうして、心のリミッターが外れて、つい普段以上の力を出すこととなる。
    では、なぜ人は追いかけっこに夢中になるのか? なぜ心のリミッターが外れるのか?
    それは、「必死」になるからだ。追いかけたり追いかけられたりすると、そこに死の恐怖を感じ、つい情熱のスイッチが入ってしまうからである。
    人は、追いかけていると闘争本能が湧き上がってくる。しかしそれ以上に、追いかけられていると死の恐怖が湧き上がってきて、必死になる。
    必死になるとアドレナリンが分泌され、今度は夢中になる。よく、公園で追いかけっこをしている幼児が、思わず笑い声を上げていることがある。あれは、脳内麻薬が分泌されているからだ。その気持ち良さに夢中になっているのである。

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  • 「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第32回(1,937字)

    2017-10-17 06:00  
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    遊びの本質とは、人を一生涯縛る「理性という名の心の枷」から解放される喜びの中にこそある。その意味で、遊びは人間の理性と不可分の関係だ。理性という名の枷があるからこそ、初めて遊びが成立する。
    ところで、人間の理性は何のために心を縛っているのか?
    その答えは、単純にして分かりやすい。それは、心身を危険から守るためである。自らを死の危険から遠ざけるためだ。
    まだ生まれて間もない頃、身体も上手く使えないときの人間は、走って転んだりはしゃいで身体をどこかにぶつけたりして、何度も痛い目に遭う。
    このとき、人は死の恐怖を感じるのだが、それがトラウマとなって心の奥底にも焼きつく。だから、次第に走ったりはしゃいだりすることはやめておこうと、誰かから強制されなくとも自然と思うようになるのだ。
    そういうふうに子供たちの心に根づいた心の枷は、心身を守るためには必要なものなのだが、一方でそのことに対する息苦しさとい

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  • 「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第31回(1,925字)

    2017-10-12 06:00  
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    勉強ができるようになるためには、将来に対して予感を抱けるようになる必要がある。将来に対して予感を抱ければ、そこに良くも悪くも「変化の可能性」を見出すことができるので、勉強をすることのモチベーションが高まるからだ。
    では、将来に対する予感はどうすれば抱けるか?
    それは、遊びや虚構に親しむことである。遊びや虚構に親しむことによって、そこで得られる知識や経験が、将来に対する予感をより豊かなものにしてくれる。
    だから、子供は(大人も)もっと遊びや虚構に親しんだ方がいい。そうすれば格段に勉強ができるようになる。
    ところが、世の中にはそうもいかない事情がある。それは周囲の反対だ。遊びや虚構に接することを、特に子供の場合は親が反対する。子供を遊びや虚構から遠ざけようとする本能のようなものが、どの親にも備わっている。
    だから、多くの子供は遊びや虚構から引きはがされ、結果として勉強ができなくなってしまうのだ

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  • 「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第30回(1,833字)

    2017-10-05 06:00  
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    勉強ができるためには、将来に対する「予感」を抱けなければならない。それは、前向きな予感も後ろ向きな予感でもいいが、肝心なのは、「現状に対する不安」を抱くことだ。現状に不安を抱ければ、人は勉強をするモチベーションが抱ける。そして勉強するモチベーションを抱ければ、勉強ができるようになるのは至って簡単なのだ。
    では、予感を抱けるようにするにはどうすればいいのか?
    それは、経験を積むこともそうだが、それだけでは足りない。経験には物理的や時間的な制限があるからだ。
    そのため、人は「遊びと虚構」に親しむ必要がある。遊びと虚構は、人が経験できるものやことのレンジを大幅に拡大してくれる。
    多くの人は、死ぬまでに「殺されるような危険な目」に遭うことがほとんどない。だから、普通に生活していたら殺されるということに対する危機意識を抱きにくいのだが、しかし遊びや虚構においては、それを模擬的ではあるものの、簡単に経

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