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野球道とは負けることと見つけたり:その20(1,879字)
蔦文也は長い間甲子園に出られなかった。その中で、次第に自分はもちろん周囲にも、文也のある種の「限界」というものが見えてきた。それは精神的なもので、「諦めが早い」ということと「失敗を恐れる」ということであった。文也は、これまでの幾多の経験の中で、失敗は人間にとって必要不可欠なもので、それこそが人格を形成すると考えていた。だからだいじなのは「失敗すること」ではなく、「失敗から学び、再び立ち上がること」だと分かっていた。それでいながら文也は、失敗を何より恐れた。これはもはや本能であって、失敗の構造をいくら理解しようとも直しようがなかった。この矛盾は、周囲が文也の指導力を疑う一番の要因ともなった。普段は落ち着き払って深遠なことを述べるのに、いざ試合で監督をするとなると豹変し、少年の頃のひ弱で怖がりな文也が顔を覗かせるのだ。それは誰より、ベンチで同席している野球部の「部長」が強く感じるところ -
1994:その45(1,931字)
この連載もいよいよ1994年の核心部分に近づきつつある。何度目かの言及になるが、そもそもなぜ1994年をテーマにこの連載を書き始めたかといえば、1995年が時代の大きな転換点だったからだ。そして、その転換点を知るには、転換後の1995年以上に、転換前の1994年を知ることが重要だと思ったからである。1995年は、阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件も転換の大きなきっかけとなったが、それ以上に大きかったのはWindows95の登場と、それによって広まったインターネットだ。これで一気に世界が刷新された。新たな時代が幕を開けることとなったのだ。そのため1994年は「インターネットがない時代」ということになる。では「インターネットがない時代」がどういうものかといえば、大きくは「近代社会」である。「人口増加時代」であり、「一億総中流社会」だ。あるいは、ジャパン・アズ・ナンバーワン社会、ホワイトカラ -
[Q&A]箱庭療法のコツは?(2,165字)
[質問]岩崎さんは『ゲームの歴史』で「箱庭療法」の有用性について述べられていました。岩崎さん自身は何か箱庭療法はされていますか? また、箱庭療法のコツなどがあれば教えてください。[回答]ぼく自身は、これは「箱庭」といえるか分かりませんが、実際の庭作りをしています。これはもう5年間もしていますが、庭に出ているときは本当に気が晴れるんですよね。精神的に落ち着くというのが実感でき、この感覚はこれまで生きてきた中でも味わえなかった種類のものです。ぼくはいわゆる精神病になったことはありませんが、ずっと強いストレスにさらされているという実感はありました。それが、両親が茨城の自然が溢れた場所に居を構えるようになってからそこに行くようになったのですが、自然の近くにいると、そうしたストレスが軽減するということに気づきました。それから自然ともっと身近に触れあえる環境をずっと探してきたのです。思えば東
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