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2024年を振り返り、2025年を展望する(3/5)(1,694字)
「反知性主義」という言葉がある。これは多くの日本人が誤解しているのだが、「反知性・主義」という意味ではない。「反・知性主義」という意味だ。つまり「知性」に反するのではなく、知性にばかり頼る「知性主義者(知性主義思想)」に反するという意味だ。なぜ知性主義者に反するかというと、彼らは実践抜きに理屈ばかり振りかざすため、机上の空論に終わる場合が多いからだ。それよりは、経験や感覚を重視する方がよっぽど問題解決に近づく。そうした考えから、昔は反知性主義になる人が多かった。20世紀前半頃のことである。これは感覚としても分かる人が多いだろう。映画などでも、インテリが出てきて論理的に正しいことを言うが、最後は粗野な主人公の経験や感覚が勝り、インテリを打倒する。そんなストーリーがよくある。また、面白いことに「コンピューターの歴史」というのは、理論家と実践家のタッグによって進化するという黄金パターンがあ -
2024年を振り返り、2025年を展望する(2/5)(1,850字)
これから世界は右傾化していくだろう。右傾化というと警戒する人も多いが、人間社会で一番怖いのは「左傾化」である。なぜなら、左傾化の行き着く先に待っているものこそ、最大の恐怖である「全体主義」だからだ。これは多くの人が知らないことだが、戦前戦中の日本は、陸軍による左翼国家(右翼ではない)になり、最後には全体主義国家となった。それは石原莞爾や東條英機など、当時の日本を率いたリーダー層の来歴を知れば知るほどよく分かる。彼らはそれまでの右翼社会に激しく反発して日本を左傾化させた。その結果全体主義が台頭し、戦争が起こって多くの人が死んだのである。もちろん、激しい左傾化が起こったのはその前の社会が右傾化し、それに対する揺り戻しが起きたからだ。従って右傾化も危険は危険である。右傾化が極まったとき、反動として左傾化が起き、全体主義が台頭して、社会は破滅へと向かう。20世紀前半のドイツも同様の動きを見せ -
2024年を振り返り、2025年を展望する(1/5)(1,652字)
今年(2024年)も残り僅か。もうすぐ2025年である。そこで今年を振り返り、来年を展望するということを5回に分けて書いてみたい。10年後、20年後にこの記事を振り返ったとき、あのときの時代はああなっていた。あのときはこのようなことを考えていたんだと、参考になるようなものが書けたらと思う。ぼくの2024年はといえば、まず特筆すべきはいよいよバカと本格的に決別したことにある。ネットで発言するということをしなくなった。より正確に言えばSNSで発信しなくなった。このメルマガもnoteの連載も有料記事で無料では全部を読めないようになっている。だからいわゆる一般の人の目に触れることはない。それはいよいよぼくがバカに耐えられなくなって、これと決別したからだ。感覚としてはアルムおんじである。山に籠もって世捨て人のように生きている。しかしながら一人で生きているわけではない。なぜかは分からないが
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