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『アナと雪の女王』の結末はやっぱり納得いかない。
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『アナと雪の女王』の結末はやっぱり納得いかない。

2014-04-20 20:14
     映画『アナと雪の女王』を観て来ました。アニメーション映画の興行記録を更新しそうな勢いのヒット作ですが、ぼく的にいまひとつでしたねー。

     この結論をごまかそうと色々書いてみたのだけれど、結局、そういう論旨にしかならないので、初めにそのことを記しておきます。うん、イマイチだった!

     いや、もちろん全編にわたって歌われる楽曲はすばらしいのひと言だし、壮大にして華麗な映像も圧巻なのだけれど、いやー、肝心のお話がちょっとね。

     物語の内容についてふれると必然的にネタバレせざるをえないので、以下はネタバレ注意と書いておきます。全編の内容に関して完全にネタバレありだよ!

     さて、驚異的なヒットを続けている『アナと雪の女王』にもし賛否を呼ぶ点があるとするなら、それはやっぱり結末ですよね。

     その生まれ持った魔法の力によって「氷の女王」となったエルサが、アナの自己犠牲的な無死の愛によって解放され、自分の力をコントロールできるようになる感動的な場面。

     しかし、ぼくとしてはやっぱりどうにも納得がいきませんでした。この結末はやっぱり辛かった。

     いや、べつに「真実の愛」がすべてを無条件で解決してもいいんですよ。そういういかにもミュージカル的なご都合主義をぼくは肯定する立場です。でも、今回ばかりはちょっとついていけなかった。

     というのも、「真実の愛」がすべてを解決するのは良いとしても、それでは、エルサの両親が彼女にそそいだ愛情は「真実の愛」ではなかったの?と思ってしまうんですよ。

     いや、もちろんわかっている。国王夫妻がエルサに向けた愛情は結果的にはエルサを苦しめることになる抑圧的な愛であって、深くはあっても、方向性を間違えていた、と解釈するべきなのでしょう。

     でも、両親がエルサに対して抑圧的であったとしても、それは理由がないことではないと思うんだよね。エルサの能力はじっさいにひとを傷つけているわけだし、下手すると国ごと亡ぼしてしまうくらいの力であるわけですよ。それを抑圧しようとすることはごく自然な選択だったのではないか、と思いませんか?

     むしろほんとうに国のためを考えるのなら、両親は自分の手でエルサを殺すとか、そういうことまでしなければならないところだったかもしれません。

     それをしなかった時点でかれらがエルサを愛していたことはあきらかであるわけで、一概にかれらを「娘に真実の愛をそそげなかった抑圧的な両親」と決めつけることはできないと思う。

     で、物語のなかでアナはその両親が果たせなかった奇跡を叶えるんだけれど、うーん、納得がいかない。そもそも、あきらかにこの子、何にも考えていませんよね?

     このままエルサを放っておいたら国がどうなってしまうんだろうとか、人々を救うためにはエルサを犠牲にする必要があるのかもしれないとか、そういうことをちらっとでも考えた形跡がまったくない。

     もちろん、「どんなにまわりのひとを傷つけるとしても、それでも自分はエルサを愛している」というのなら、ぼくにも納得がいく。そういう愛がものごとを解決に導くこともありえるとは思う。

     しかし、アナの愛情は、そこまでの深慮や決断に支えられているようには見えない。いくら考えてみても、やっぱりアナは何も考えずに無邪気に行動しているだけの幼い女の子としか思えないのですよ。

     ラストの自己犠牲シーンにしても、反射的にエルサの前に飛び込んだだけで、自分がそう行動したらどういうことになるかということはまったく考えていなかったのでは? 皆、ほんとうにアナの行動に納得しているのかな……。

     さて、そもそもエルサの能力とは何を意味し、象徴しているのかを考えていくと、やはり「社会に受け容れられづらいような強烈な個性」のことだと思えます。

     つまり、この映画の結末は、そういう強烈な個性を抑圧し、また排除することなく愛をもって受け入れよう、というメッセージなのだと思う。

     しかし、そのメッセージが「愛をもって受け入れさえすれば全部解決」としか見えないところにこの映画の問題はある。いや、いくらなんでもそんなに簡単に解決しないだろうと。

     「社会に受け容れられづらいような強烈な個性」なり「社会にとって脅威であるような特異な才能」をちゃんと受け容れましょう、愛しましょうという思想が間違えているとは思いません。

     しかし、そういう個性を受け入れれば当然、そこには社会とのあつれきが発生するわけですね。この映画にはその点に関する考察が足りないように思えるんですよね。

     とにかく受け容れることが大切!でメッセージが終わっていて、そのあとはもう絵に描いたようなハッピーエンド。

     それでは、エルサと社会との間に発生していたはずの問題はどうなったかといえば、なぜか彼女は突然力をコントロールできるようになっていて(それはまあ愛の力なんだろうけれど)、問題そのものが雲散霧消しているのですね。

     いやまあ、ハッピーエンドは良いんだけれど、こんなことで解決できる問題なら両親も初めから悩まなかったんじゃ、と思うんだけれどどうだろう。

     しかも、エルサを殺そうとした連中は全員国から排除されてしまうんですよね。いや、 
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