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プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは「世界の荒鷲・坂口征二」です! イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」冬木弘道版つきでお届けします。
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――今月のテーマは“世界の荒鷲”坂口征二さんです!
小佐野 坂口さんといえば、プロレス大賞授賞式の乾杯の音頭はずっと坂口さんだったけど、小橋(建太)に代わってね。坂口さんは33年間やってましたからね。
――33年もやってましたか(笑)。
小佐野 坂口さんが日本プロレスで売り出されたとき私は小学3年か4年生だったんですよ。
――小学生時代の小佐野さん!! 時の刻みがねじれてる感があります(笑)。
小佐野 声を大にして言いたいのは、坂口さんはアイドルレスラーの元祖だったんです(笑)。
――えっ、あのビッグサカがアイドルレスラー?
小佐野 というのは、あの頃の坂口さんは“黄金の若鷲”と呼ばれてまして。馬場さんに継ぐ身体の大きさに加えて、均整の取れた肉体を誇ってて、顔も昔風の美男子。だから“昭和の桃太郎”とも呼ばれてて(笑)。
――“昭和の桃太郎”!(笑)。息子さんが人気俳優(坂口憲二)になるのもわかるというか。
小佐野 日プロ入りした坂口さんは修行先のロサンゼルスでデビューしてて。こんがりと日焼けした日本人プロレスラーの第1号だったんだよね。かつて日本人の憧れだったカルフォルニアのムードもあって。
小佐野 そうそう。それにあの頃は馬場さんも猪木さんもコスチュームはガウンだったけど、当時の坂口さんは金のスパンコールのジャンパーがコスチュームだったんです。
――へえー、坂口さんはガウンのイメージが強いですけど。
小佐野 アメリカ武者修行中は、仲の良かった竹内(宏介)さんにしょっちゅう手紙を送ってたみたいで。それがそのまま雑誌の企画になるくらい筆まめだったみたい。
小佐野 その頃の私は子供だったからよくわからなかったけど、売りは「柔道日本一」だったよね。ジャイアント馬場の後継者になれるかもしれない逸材。いままでの日本人レスラーが使ってなかった技を使って。例えばネックハンギングツリーとか。アトミックドロップも馬場さんを使ってたけども、坂口さんは決め技として使ってね。ショルダーバスターやアルゼンチンバックブリーカーも坂口さんが日本人として初めて使ったんだよね。
――超期待の大型新人だったわけですね。
小佐野 外国人のパワーに負けなくて、ビジュアルもかっこいい。それが坂口征二というプロレスラーのイメージ。猪木さんが日プロから東京プロレスに移籍したときに、日プロが対抗するために坂口さんを獲得したんです。ただ、坂口さんが入った2ヵ月後には猪木さんは日プロに戻ってきちゃったから。
――坂口さんは馬場さん、猪木さんに次ぐ三番手の位置づけになったんですね。
小佐野 坂口さんは年齢的には猪木さんよりひとつ上なんだけど、猪木さんには“力道山の弟子”という血筋があるでしょ。坂口さんは柔道界からスカウトされたプロレスラーだし、猪木さんのほうが格上に見えちゃうよね。やっぱり馬場さん、猪木さんとは7年もキャリアが違うから。
小佐野 そのぶん坂口さんにはフレッシュさがあったんだけどね。力道山の流れじゃないところから生まれたスターだったから。
――プロレスラーとしての評価は低くなかったんですよね?
小佐野 そのうち馬場さんも日プロを抜けて坂口さんがエースになるんだけども、形的には大先輩の大木さんがトップということにしなきゃならない。だから伝統のインターナショナルのベルトは大木さんが巻いた。だけど、大木さんがトップでは日プロはやっていけないから、坂口さんが実質的なエースなんですよ。
――それくらいのレスラーだった。
小佐野 ちょっと話は前後するけど、猪木さんがクーデター未遂を理由に日プロを解雇されたあとは、猪木さんが持っていたベルトを坂口さんがすべて獲得するんです。UN、アジアタッグ、インタータッグ。馬場さんと東京タワーズを結成してね。あのままにいけば馬場・猪木クラスのトップレスラーなっても全然おかしくなかったけど、新日本では一歩引いた立場で。
――坂口さんはナンバー2のイメージが強いですね。
小佐野 坂口さんは二番手に収まる気はなかったんだよ。有名な「片手で3分事件」もあったでしょ。
小佐野 新日本に合流したときも坂口さんはギラギラしていた。ただ途中から会社のためを考えたら〝両雄並び立たず〟だろうと悟って、坂口さんは一歩引いたかたちになったんだよね。猪木vsウィレム・ルスカの異種格闘技戦があったときも、最初は坂口さんに話があって。ほら、坂口さんは柔道日本一だから。
――ルスカは柔道五輪の金メダリストですから、柔道対決を考えちゃいますよね。
小佐野 でも、当時の営業本部長だった新間(寿)さんは猪木さんにやってほしかった。そこを坂口さんが理解したってことだよね。「自分よりは猪木さんがやったほうが世間的にも話題になる」と。そこで初めて猪木さんをエースにしてやっていくことを自覚したと言ってたね。
――猪木さんの坂口さんへの信頼感も厚かったですよね。
小佐野 そりゃ信頼するでしょ。坂口さんはあれだけ気配りができるし、細かい実務的なこともやってくれるんだもん。昭和の新日本が好調だった時代のマッチメーカーは坂口さんだったしね。
――いわゆる現場監督的立場だったんですね。
小佐野 金曜夜8時のテレビ生中継のことも考えて、8時になればタイガーマスクの試合が始まり、長州さんと藤波さんの試合があって、最後は猪木さんが締めるという。団体の窓口も猪木さんより坂口さんのほうが都合がよかった。NWAも坂口さんが会員として加盟できたんですよ。
小佐野 結局何かトラブルがあると坂口さんが表に出ていった。全日本プロレスと揉めたときも坂口さんが馬場さんと話をしてね。
小佐野 馬場さんとの関係性を考えたら、坂口さんはむしろ日プロから全日本に移らなかったほうが不思議なくらいだよね。
――そこで全日本に移っていたら新日本の歴史はかなり……。
小佐野 日プロを放映していたNET(テレビ朝日)の方針は、来年には日プロの中継を打ち切ると。日プロには新日本と合併するなるなら面倒を見るという条件を出していて。そこで猪木さんと坂口さんが話し合って、新日本も日プロも解体して、新しい団体を作るということで合意したんだよね。五分のかたちで合体しようと。
――坂口さんは新日本に移りますけど、日プロと新日本はは合併はしませんでしたね。
小佐野 大木(金太郎)さんが反対して合併案が却下されちゃったんだよ。最初は選手全員が納得していたんだけども、オフで韓国に帰国していた大木さんが戻ってきたら「そんな話は聞いてない。猪木が日プロを乗っ取ろうとしたときと同じじゃないか!?」と怒ってね。結局大木さん側につく選手も現れて、新日本に移ることになったのは坂口さん、キラーカーン、木村健吾、大城大五郎、田中米太郎、その5人だけだった。
――そこで大木さんが話を飲んでいたら、プロレス史は変わっていたでしょうねぇ。
小佐野 結局日プロは崩壊して、あとになって大木さんが新日本に参戦したときに坂口さんと壮絶なケンカマッチをやってね。坂口さんは普段は温厚なんだけど、柔道で日本一になった人だから。怒らせたら本当に怖かった。感情むき出し。仲の悪かった前田日明との試合もそんな感じだったよね。
――坂口さんがマジでやったら強いでしょうねぇ。
小佐野 坂口さんは大木さんと「試合もしたくない!!」と拒んでたんだから。大木さんが絡んだ新日本の韓国遠征には一度も行ってないし。
――カテエ!
小佐野 そういうところは坂口さんは頑固。大木さんとの試合は2回やって2回ともに無効試合になったのかな。もうグチャグチャの試合になってね。新間さんがどこかの巡業先で2人に握手させたとか言ってたかな。「このままじゃ困るから」っていうことで。
――坂口さんが日プロから出ていく最後の日も修羅場だったとか。因縁は根深いんでしょうねぇ。
小佐野 坂口さんと一緒に新日本に移る大城さんが桜田(一男)さんに試合でボコボコにされたってやつだよね。あの日、坂口さんは会場近くのビジネスホテルにチェックインして、そこで着替えて車に乗って会場入り。そうしたら試合で大城さんがボコボコにされて、坂口さんはセミファイナルで大木さんと組んでのタッグマッチだったんですよ。
――うわっ〜!! 痺れますねぇ。
小佐野 大木さんのほうはセコンドで周囲を固めていて臨戦態勢ですよ。どうやら「坂口が試合で変なことをするんじゃないか」と囁かれていたから。坂口さんにはそんなつもりまるでなかったんだけどね。
――大木さんたちも疑心暗鬼だったんですね。
小佐野 坂口さんは試合が終わっても控室に戻らないで、メインも見ずにそのまま車に乗ってビジネスホテルに帰ったんです。日プロ側も坂口さんたちが控室に戻ってこないことに気がついて「あっ、逃げやがった!!」と追っかけてきて。
――やるか、やられるかですねぇ。
小佐野 そのビジネスホテルにも留まってると危険ということで、着替え終えたらそのまま新日本道場に向かったんですね。道場には藤波さんと小鉄さんが「よく来てれました」と出迎えてくれて。シリーズ中も新間さんが坂口さんに電話を入れて「試合に出ないで休んだほうがいいんじゃないか」と心配したんですよ。やっぱり無事に新日本に合流してほしいから。
――坂口さんもよく最後までやりきりましたねぇ。
小佐野 そのシリーズ中に坂口さんとジョニー・バレンタインとのUN選手権が横浜であったときも、日プロから頼まれたバレンタインがセメントを仕掛けるんじゃないかという噂が流れて。そこで猪木さんが極秘にバレンタインと会って「変なことはしないでくれないか」と頼んだという話もあったり。
――場外乱闘のクセが凄い!(笑)。
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