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プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは「スーパー・ストロング・マシンが戦った熱き時代」です!
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――今回のテーマは先日引退された平田淳嗣さんを……。
小佐野 (さえぎって)いや、平田さんが引退したんじゃなくてスーパー・ストロング・マシンが引退したんだけどね。
――あ、失礼しました(笑)。
小佐野 平田さんは一度もマシンの正体を口にしていない。素顔の平田淳嗣で戦ったことはあるんだけどね(笑)。以前Gスピリッツでヒロ斎藤と対談をやったことがあったんです。カナダから帰ってくるまでの内容は平田淳嗣として語っていて、次号の帰国後の話はスーパー・ストロング・マシンが登場している。そこには強い拘りがあるんですよ。
――引退式の挨拶では、今年に入って奥さんが亡くなられたことを明かしていましたね。
小佐野 そのことは知らなかった。新日本プロレスとの契約が切れた時期と、奥さんが亡くなったのが被っちゃったみたいで……本当に気の毒だよねぇ。
――言葉に詰まりますねぇ……試合からは遠ざかってましたが、道場のコーチとして練習生の指導をされていて。
小佐野 私が道場に取材に行くと、平田さんだけじゃなくて道場管理人の小林邦昭さんもいたりして。新日本の選手が巡業に出ているときは、長州さんやヒロちゃんが練習に来たりするから、まるで昭和の新日本道場にタイムスリップしたかのような雰囲気なんですよ(笑)。
――新日本の道場ってオープンですよね。
小佐野 オーナーが変わって新しい会社になったけども、新日本のOBが顔を出しづらいとかはない。長州さんたちは功労者だから練習するぶんには全然OKなんでしょう。若い選手もOBと接することで何かしらの勉強になるわけだしね。そういえば、棚橋弘至がケガしてシリーズを欠場して道場に残っていたときに、長州さんと長らく話をしたらしいよ。
――そういう交流もあるんですねぇ。小佐野さんはマシンとはいつくらいから面識があるんですか?
小佐野 私は『ゴング』に入る前に新日本プロレスファンクラブをやっていたから、もともと面識はあったんですよ。『ゴング』では全日本担当だったから、取材するようになったのは全日本を主戦場としていたカルガリー・ハリケーンズ時代になるんだけどね。
――ヒロ斎藤、高野俊二(高野拳磁)とのユニットですね。
小佐野 カナダから帰ってきてストロング・マシンになった頃の彼は、反骨の人だったよね。
――温厚な性格という話ですけど……。
小佐野 激しいものを芯に持っていた人だから、マスクを被ると別人格になるってよく言われるし、マスクマンが性に合っていたんだと思う。とくに帰国直後は新日本に対する怒りや不満が充満していた。会社不信の理由の一つは海外遠征でメキシコに行かされたこと。最初はカルガリーに行く予定で、当時新日本に参戦していたブレット・ハートとも仲が良かったんだよ。ところがメキシコに変更になったと聞かされたときは、合宿所の部屋の鍵をかけて閉じこもっちゃって、合同練習にも出てこなくなっちゃった。平田さんの心情を理解していた山本小鉄さんも怒らなかった。
――そこまでショックだったんですか!(笑)。
小佐野 当時のメキシコは身体の小さい人が行かされる、島流しのイメージが強かったんだよ。「ああ、あいつはメキシコか」なんて残念がられてね。なぜメキシコに変わったかといえば、長州さんがメキシコに行っていたでしょ。帰国後に「噛ませ犬」発言でブレイクしたんだけど。その長州さんの代わりのヘビー級選手をよこしてほしいというリクエストがあったんだよ。当時の平田さんは黒のタイツに白いシューズ。長州さんと似たような出で立ちということもあって。
――本人からすれば、たまったもんじゃないですねぇ。
小佐野 1年ぐらいして自力でカナダに渡って。アメリカ本土で試合をしたいからキラー・カンと話をしてテキサスに行こうとしたら、坂口さんから「テキサスの前に一度帰ってこいよ」と。当時の新日本はUWFや維新軍が抜ける直前で大ピンチだったから。
――それで帰国してみたら……。
小佐野 マスクマン計画があると。本人はイヤでイヤでしょうがなかったけど、仕方なく命令に従った。それが幻の「キン肉マン」。
――日本テレビでアニメを放映していた「キン肉マン」をテレビ朝日に登場させるって凄い企画ですよね。結局、契約がまとまらずボツになって。まあ乱入しちゃったんですけど(笑)。
小佐野 凄い見切り発車だよ(笑)。本人もよくわかってなかったんだよ、裏事情は。とにかく「マスクマンになれ」という命令だけで。「キン肉マン」がダメになったら「素顔にするか」みたいな話にもなったんだけど、あそこまで大々的に仕掛けておいて、いまさら素顔で出ていくわけにはいかないでしょ(笑)。
――適当にもほどがありますよ!(笑)。そもそも「キン肉マン」ってベビーフェイスじゃないですか。
小佐野 初乱入したときから若松さんがマネージャーについてるんだよね(笑)。本人はマスクを被って乱入を繰り返しているうちに「これはこれで楽しい」と魅力を感じるようになってね。いくつかのデザインの中からあのマスクを選んだ。目はメッシュで、口は裂けていて表情がまったく見えない。無機質なマスクで、まさにマシン。斬新なデザインだったし、マスカラスは別格として、タイガーマスクとマシンのマスクはプロレスファンなら誰もが欲しがったと思うよ。
――タイガーマスクや獣神サンダーライガーなんかはマンガの原作がありますけど、マシンはオリジナル。そのフォロワーも数多く生んでますし、日本のマスクマン史上最大のヒット作ですよね。
小佐野 彼の帰国第1戦は猪木さんとのシングルマッチ。それも凄い話じゃない。だってキャリアはまだ5年程度だからね。でも、本人はまったく緊張しなかったんだって。
――そこはマスクのなせる業なんですかね。
小佐野 プロレスラーは喜怒哀楽を見せながら戦うものなんだけど、マシンはあのマスクデザインだから表情が見えない。そうやって人間性を殺しちゃったことで猪木さんとも普通に渡り合えた。無個性なところが個性になったし、ストロングマシン2号、3号……とドンドン増殖することになったわけだしね。あの増殖は自分のアイデアではないらしいけど。
――魔神風車固めも必殺技としてかっこよかったですよね。
小佐野 あれはね、苦し紛れに作ったみたい(笑)。
――苦し紛れであの完成度!
小佐野 前田日明が12種類のスープレックスを引っさげて凱旋帰国したでしょ。何かの取材で「俺は20種類のスープレックスを使える」と言っちゃったんだって。そうなると新しいスープレックスを出さざるをえなくなって考えて、無理やり編み出したのが魔神風車固め。海外では一度も使ったことはないんだけどね(笑)。
――人材不足でマスクマンになったとはいえ、メインに抜擢されたのは才能を見込まれていたところはあったんですか?
小佐野 三沢光晴は5ヵ月でデビューした天才と言われてたけど、あの人は3ヵ月だからね。まあ藤原(喜明)さんは入って1週間でデビューしたんだけどね(笑)。
――入門した際の、ドン荒川さんの盛り過ぎエピソードも有名で。
小佐野 「顔は三浦友和でジャンピングスクワットを何百回もやる奴が入ってきた」ってやつだよね(笑)。実際は小鉄さんの前で腕立てとスクワットをちょっとやってOKだったんだけどね。
――そして3ヵ月でデビュー。
小佐野 2日前に猪木さんに言われてデビューしたらしいね。当時は受け身もロープワークもロクにできない。柔道はやっていてプロレスファンだったから、なんとなく試合はできちゃったみたいだけど。その頃の新日本の前座はグラウンドレスリングが中心だったからね。相手も藤原さんだったりするから道場の練習と同じ。あとは試合をしながら覚えていく。カルガリーでは安達さん(ミスター・ヒト)さんに教わって、現地で抗争していたロン・スターとの試合がいい勉強になったみたい。毎回違う試合をしてくるから「こうやってプロレスをやるもんなんだ」と。
――海外で幅を広げたんですね。
小佐野 日本にいたら相手は決まっていたからね。毎回前田日明とガンガンやりあって、ニールキックで唇が取れた……みたいな試合ばっかですよ(笑)。
――強くはなりますけど、うまくはならないですね(笑)。
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