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プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは最後のムーンサルトプレス…武藤敬司」です! 




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――
武藤敬司が両ヒザを人工関節にする大手術を行ないます。リング復帰は可能だそうですが、代名詞のひとつだったムーンサルトプレスは医者から使用を禁じられるため、手術前最後の試合となる3月14日後楽園大会が“ラスト・ムーンサルトプレス”になるようです。

小佐野
 武藤はずっとヒザのケガに苦しんできたからね。たしか最初にヒザを手術したのは、若い頃に2度目の海外遠征でプエルトリコに行く前だったかな。

――
かれこれ30年前のことになるんですねぇ。

小佐野 若い頃はムーンサルトプレスをバンバン使っていたけど、歳を取るごとに使う頻度も減っていったり、バンと落ちるんじゃなくて、スライドして落ちるやり方に変わったりね。武藤は相手をコントロールできないような技は使わない。身体が動けないなら動けないでもプロレスができる術を持ってるのが武藤本人のプライドだよね。

――
ヒザのダメージは日常生活にも支障をきたすレベルのようですね。

小佐野
 本当はもっと前に人工関節の手術を受ける予定で、手術日も決まってたんだよ。それがちょうど全日本プロレスの分裂騒動が起きて、土壇場でW-1を立ち上げることになったから手術をキャンセルしてね。手術しないでここまできちゃった。それこそ若い頃は「足の一本ぐらいはくれてやる!!」くらいのことは言ってたけど、飄々としながらもプロレスに対しては熱いものを持ってるということだよね。

――
武藤さんってその時々によってスタイルをチェンジしてますね。

小佐野
 プロレスラーの中にはずっとスタイル変えない人もいれば、武藤のようにコスチュームから何から全部変えてる人もいるよね。彼は絶えず変えてきた。たとえば20代の頃はオレンジタイツだったけど、うまくロングタイツに変えていったしね。

――
スキンヘッドにしたときもインパクトがありましたね。2000年大晦日プロレスイベントだったときの『猪木祭り』。髙田延彦のプロレス復帰が目玉だったんですが、タッグパトーナーの武藤さんがスキンヘッドにしてきたことでその話題を食ってしまって(笑)。

小佐野
 あれはアメリカから帰ってくる数日前に剃ったそうだよ。バリカンなんか持ってないから奥さんにハサミで切ってもらってね。青々としてるとカッコ悪いから、日光浴で日焼けして、なじませてから帰国するという(笑)。

――
どの時代の武藤敬司を切り取っても印象深いですねぇ。

小佐野
 彼にとってラッキーだったのはグレート・ムタという存在があったことだよね。武藤敬司がマンネリ化したらムタになって、ムタがマンネリになったら武藤敬司に戻ればいいし。

――
グレート・ムタも最初と比べると全く違うキャラクターになっていて。

小佐野
  『Gスピリッツ』でムタ特集をやったときにWCW時代の映像も見たんだけど、動きが本当に素晴らしいし、全然ヒールじゃないんだよ。WCW時代のグレート・ムタのファイトスタイルって武藤敬司そのものだからね。“悪の化身”としてのグレート・ムタは日本に戻ってきてから作られたんだよね。

――
なかったはずの“悪の化身”を作り上げちゃったってのも凄いですね(笑)。

小佐野
 「ムタってそんなに悪くないんだけどなあ……」って武藤本人がボヤいてたんだから(笑)。日本のムタって最初は喋ってたしね。途中からだから、喋らなくなったのは。

――
WCWでライバルだったスティングがベビーフェイスだったから、勝手に極悪ヒールのイメージを持ってしまったんでしょうね。

小佐野
 アメリカのムタは武藤敬司がちょっと悪いことをするぐらいで。使っていた技はムーンサルト、ジャーマンスープレックス、鎌固め、あとアキレス腱固めなんかも使ってたよ。

――
フラッシングエルボーや側転エルボーという飛び道具もあって。

小佐野
 ムタの動きはベビーフェイスでもヒールでもなかった。現地では「USA!」コールと「MUTA!!」コールが同時に起こるくらいだったんですよ。だから日本人プロレスラーのイメージを変えちゃったところはありましたね。昔の日本人レスラーはプロモーターから「技なんか使うんじゃない」と怒られてね。使っていい技はチョップ、クロー、首絞めぐらいで、変にうまいレスリングをやっても仕方ない。日本人は姑息なやり方で勝たないといけなかったんですよ。

――
履いていた下駄で殴ったり……の世界ですね。

小佐野
 でも、武藤はとくに制約を受けなかったらしいね。動きのあるプロレスだったからテレビ的にも見栄えがよかったんだろうね。

――
たしかに鎌固めやアキレス腱固めはアメリカでは新鮮に見えますし。

小佐野
 当時のアメリカではブリッジする技自体が珍しかったんですよ。WCWにはロード・ウォリアーズがいたし、WWEはハルク・ホーガンやアルティメット・ウォリアーがトップ。筋肉マン全盛だったから、技術が強力な武器になる時代だったんですよね。面白いのはムタの最初のフィニッシュは首4の字だったこと。

――
首4の字が!

小佐野
 それでもお客さんには大受けだったし、毒霧も最初は使ってなかった。プエルトリコのブラックニンジャ時代は使ってたんだけど、WCWのときは初めから全ては見せない。最初は緑色の液体を口からダラダラと不気味に流すだけで。

――
そこは見せ方を計算してるんですねぇ。

小佐野
 テキサスのスーパーブラックニンジャのときは、手に緑色の毒霧を吹きかけてからのアイアンクローが必殺技。

――
いいですねぇ、やられた相手の顔が緑色に染まって!

小佐野
 スーパーブラックニンジャは「その昔フリッツ・フォン・エリックにやられた日本人レスラーの息子が復讐のためにテキサスにやってきた」という触れ込みだから、エリック兄弟にそのクロー技で追い詰めるという。武藤いわく「アイアンクローは一番難しいは技だ」って。やみくもに相手の顔を握っても仕方がないし、お客さんに「この技が出たらオシマイだ!」と思わせるのは意外と難しいんだって。

――
武藤さんといえば身体能力オバケみたいなところがありますが、プロレスの考え方もスマートですね。

小佐野
 凄く考えているプロレスラーだよね。あの人は日本でデビューして1年ですぐにアメリカに行ったでしょ。新日本のリングでプロレスの基礎をおぼえて、アメリカではリング外の仕組みをおぼえたと言っていた。アメリカのプロレスはサーキットしながら連続ドラマで見せていくから「プロレスは紙芝居みたいだな」と思ったり。リック・フレアーがタイトルマッチをやると、いつもよりお客さんが入ってほかのレスラーのギャラもアップして、みんながフレアーに感謝する。アメリカでプロレスのチャンピオンのあり方を勉強できたんだよね。他のレスラーを稼がせるのがチャンピオンなんだと。

――
アメリカで興行の仕組みを理解していったんですね。

小佐野
 当時から技術的なことはもう問題なかったから、あとはどうやってファンにインパクトを与えるか。あの当時の日本人レスラーはアメリカではヒールを必ずやるでしょ。だいたいの人は「いまはヒールをやってるけど、日本に帰ったらどうするか」と先のことを考えてる。要はいまやってるヒールは二の次なんだけど、武藤はアメリカで成功することを考えていたから。



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