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キマイラ鬼骨変 一章 獣王の贄(にえ) 6
2013-09-04 00:006
(わたしの名は、ツオギェル) その声はそう言った。 中国語である。 巫炎(ふえん)の言葉のイントネーションから、中国語を母国語とする人間であると考えたのであろう。 ツオギェル!? あの、ツオギェルか。 巫炎は、その名を心の中で繰り返した。(あの狂仏(ニヨンパ)修行僧のツオギェルか) 巫炎もまた中国語で言った。(それを知るあなたは?)(おれの名は、巫炎。わかるか?)(わかります。まさか、巫炎、あなたが何故ここに?) 高音域でのふたりの会話は、保冷車の運転手である池畑辰男(いけはたたつお)の耳には届いていない。 声の主、ツオギェルが、保冷車にかなり近づいてきているのは、巫炎にはその声でわかった。(ツオギェル、今、久鬼麗一(くきれいいち)が、おれの息子が撃たれた)(承知しています)(細かい話は後だ。おれは、檻の中だ。ここから出してくれ、ツオギェル。保冷車と檻の鍵は、運転手が持っているはず -
キマイラ鬼骨変 一章 獣王の贄(にえ) 5
2013-08-28 00:005
それは、そこにいた。 上から、木洩れ陽(こもれび)のように注ぐ、青い月光の中だ。 幸いにも、こちらが風下(かざしも)だ。 音も、匂いも、向こうへは伝わりにくい。 草の中にうずくまり、一本の橅(ブナ)の幹に身体の一部を預けている巨大な獣。 グリズリーよりも、ホッキョクグマよりも、肉の量感のあるもの。 幾つもの翼がある。 何本もの腕や、脚が生え、それには獣毛が生えている。 獣毛が無く、鱗のある部分もあった。 鉤爪(かぎづめ)。 羽毛。 そして、幾つもの頭部。 口。 嘴(くちばし)に似たものもある。 蛇のようにゆるくのたうつ、腕とも脚ともつかぬもの。 ぐるるるるる…… るるるるるる…… チ、 チチチ、 チチチチチ…… 低く唸るような声。 囀(さえず)るような声。 そして、無数の口がたてる、荒い呼吸音。 普通、吸気の時は身体がふくらみ、呼気の -
キマイラ鬼骨変 一章 獣王の贄(にえ) 4 (4)
2013-08-21 00:00「人は、愚かだ」 吐月はまた、少し笑ったようであった。 「例外はない」 「ありませんか」 「ないね。人は皆、誰も愚かだ。人を好きになる、人を愛するというのは、その愚かさごと愛するということなのだよ」 わずかに沈黙があった。 風が、頭上で、葉を揺らす音、足が落葉を踏む音ばかりが、しばらく響いた。 「わたしは、人が好きなのだ」 吐月は言った。 「その、愚かな人がね……」 先を歩いていた吐月が、足を止め、九十九を振り返った。 「その愚かさ故に、人はまた、何かを求めてしまう。求めずにはいられない。あの頃と同じだったよ、久鬼玄造は……」 吐月は、また、歩き出した。 「まだ、終ってない。まだ、激しい。陳岳陵のままだ。まだ、あの男は、求めている――」 「何をでしょう」 「さあ、何だろうね……」 吐月は、ゆるゆると歩いてゆく。 「わたしもまた、愚かだ。もちろん今もね。だから、こうして、今、歩 -
キマイラ鬼骨変 一章 獣王の贄(にえ) 4 (3)
2013-08-14 00:00吐月―― かつて、本気で覚者になろうとした男だ。 高野山で修行をし、チベットに入ってカルサナク寺で、陳岳陵――つまり、久鬼玄造と出会っている。 「わたしはね、外法の中に、その手がかりがあるのだと、ずっと考えていた……」 カルサナク寺の地下で見た、アイヤッパンを中心とした『外法曼陀羅図』。 そこで見たのは、八番目、九番目、十番目のチャクラであった。 チャクラ――人体の背骨に沿って上から下まで並ぶ、力の発動部位である。 解剖学的には存在しない存在だ。 瑜伽(ヨーガ)においては、上から順に、次のように呼ばれている。 頭頂にあると言われている王冠(おうかん)のチャクラ、サハスラーラ。 眉間(みけん)のチャクラ、アジナー。 咽喉(のど)のチャクラ、ヴィシュッダ。 心臓のチャクラ、アナハタ。 臍(へそ)のチャクラ、マニプーラ。 脾臓(ひぞう)のチャクラ、スワディスターナ。 -
キマイラ鬼骨変 一章 獣王の贄(にえ) 4 (2)
2013-08-07 00:0017落葉を、踏んで歩く。 紅葉した楓や、ダケカンバの葉が、地に重なっている。 九十九(つくも)の、重い体重がかかるたびに、そこから落葉の匂いがより濃くなってゆくようであった。 枯れ葉の匂いではない。 落葉ではあるが、枯れて枝から離れたものではない。色こそ緑ではないが、充分に湿り気を含んだ、みずみずしい葉の匂いである。 枝と葉の間に、コルク質が生じて、葉が枝から落ちただけのことだ。ただ、その香りが、六月、七月の青葉の匂いではないというだけのことだ。 灯りは消している。 森に入って、すぐ、用意していたハンドライトを点燈したのだが、「消そう、九十九くん」 吐月(とげつ)がそう言ったのだ。「月明りがある」 満月でこそないが、それに近い月だ。「灯りを手にしていると、その灯りが照らすものだけを見てしまうからね。かえって、ものが見えなくなるものだ」 吐月の言葉には、説得力があった。 それは、自身が、こうい -
キマイラ鬼骨変 一章 獣王の贄(にえ) 4 (1)
2013-07-31 00:0054
一瞬、九十九三蔵は、出遅れていた。
最初に、宇名月典善が疾(はし)り、それに、菊地良二が続いた。
身を潜めていた所から、ライフルを持った男たちが、宇名月典善の後を追った。
「九十九くん、きみは、ここにいなさい」
久鬼玄造が、九十九の動きを制するように、そう言ったのだ。
玄造は、八津島長安(やつしまちょうあん)の背を押し、
「ゆくぞ」
動いた。
すぐそこに停められていた、空の保冷車の助手席に、玄造と、八津島長安は乗り込んだ。
巫炎が乗っていない方の、空の保冷車だ。
運転席には、はじめから山野丈二(やまのじょうじ)が座っている。
「県道の方だ」
玄造は言った。
久鬼麗一が落下した方角――それは、県道の方角であった。
県道から、この牧場まで、森の中を私道が通っている。
その私道か、県道のどこかへ、玄造は保冷車を停めて、待つつもりなのだ。
かっ、
と、保冷車のヘッ -
キマイラ鬼骨変 一章 獣王の贄(にえ) 3 (2)
2013-07-24 00:00どれだけ時間が過ぎたであろうか。
その時、銃声が聴こえた。
たあん……
という音。
近くはない。
しかし、それほど遠くというわけでもない。
だが、銃声とわかる。
間違いない。
そしてまた、
たあん、
たあん、
と、合わせて三発の銃声を、龍王院弘は聴いた。
どこかで、何かあったのか。
あの獣が、どこかで誰かを襲い、銃で撃たれたのか。
こんなところで、しかも夜に銃を持って歩く人間などいるであろうか。
これは、つまり、その銃の持ち主は、偶然に銃を所持していたのではないことになる。
銃を必要とするものの存在を意識していたからこそ、銃を持ってきたのであろう。
仮に、その人間が、あの獣に襲われて銃を発射したというのなら、一発ではしとめられなかったことになる。
三発――
その三発で、あの獣がしとめられたのか。
まさか――
銃で撃つといったって、あの獣のどこをね -
キマイラ鬼骨変 一章 獣王の贄(にえ) 3 (1)
2013-07-17 00:00193
龍王院弘(りゅうおういんひろし)の身体は、まだ震えていた。
しでの幹に背を預けていなければ、その場にへたり込んでしまいそうだった。
膝が、がくがくとしている。
全身が細かく震えている。
全ての力を、あの一瞬で使いきってしまったようであった。
筋肉に、強い負荷がかかった後、その部位が震えることはある。
もちろん、それもあるだろう。
だが、それだけではない。
恐怖。
それはある。
疲労。
もちろん、それもある。
しかし、その中に、間違いなく混ざっているものがある。
それは、うまく言えない。
言葉にならない。
あの、圧倒的な力に対しての畏怖(いふ)。
おそらくは感動も混ざっている。
そして、自身の肉体への驚嘆。
こんなことが、できたのか。
自分の肉体が、あのように動いたのか。
あのように機能したのか。
間違いなく、自分は、あの時死んで、喰われていた -
キマイラ鬼骨変 一章 獣王の贄(にえ) 2 (2)
2013-07-10 00:00あの時、自分の肉と心は、憎しみで満たされていた。
憎悪。
哀しみ。
絶望。
怒り。
そういうものに身も心も支配された時、訓練したことの何もかもを、自分は忘れ果てていた。
愛する妻――
久鬼千恵子。
そして、息子の麗(れい)。
妻の胎内にいる、子供。
それらの生命が、すでにこの世のものでないと思い込んでしまったのだ。
久鬼玄造が、彼らを連れ出したのだ。
日本へ――
その久鬼玄造を、自分は追った。
そして、彼らが死んだということを自分は知ったのだ。
いや、思い込んでしまったのだ。
そして、自分はキマイラ化し、台湾で殺戮(さつりく)を繰り返した。
九十九三蔵(つくもさんぞう)と猩猩(しょうじょう)によって、自分は捕えられ、自らを滅した。
しかし――
久鬼玄造や、麗が、そして千恵子の胎内にあった子が大吼鳳(おおとりこう)として日本で生きていることを自分は知っ -
キマイラ鬼骨変 一章 獣王の贄(にえ) 2 (1)
2013-07-03 00:0064一章 獣王の贄(にえ)
2
巫炎(ふえん)は、闇の中で腕を組み、胡坐(あぐら)をかいている。
保冷車の中だ。
いや、正確に言うのなら、保冷車の中に入れられた檻の中だ。
ジーンズをはき、Tシャツを着て、その上に綿のシャツをひっかけている。
闇の中だが、眼を開いている。
開いたその眸が、青く光っている。
しかし――
保冷車とはよく考えたものだ。
普通の車であれば、それがどのようなタイプのものであれ、逃げることはたやすい。窓のガラスを割って、そこから外へ出ればいいだけのことだ。
たとえ、それが強化ガラスであろうが、フィルムを貼ったものであろうが、いったんキマイラ化してしまえば、割ることはできる。
ドアだって、蹴破ることくらいはできるであろう。
それは、久鬼玄造(くきげんぞう)も承知している。
だからと言って、檻の中に巫炎を入れて、その檻をトラックの荷台に載せてゆくのでは
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