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世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その42(2,005字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 98ヶ月前
1970年代には、まだコンピューターのプログラムに著作権という概念がなかった。そのため、コピーもよく行われていたし、改変も日常茶飯事だった。それで、『ポン』というゲームはよくコピーされたし、改変された。同様に、『ポン』の派生形でもある『ブロックくずし』もよくコピー、改変されていたのである。面白いこと...
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世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その41(2,057字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 98ヶ月前
ここからは日本のゲームの歴史を振り返ってみたい。念のため、ここでいう「ゲーム」とはテレビゲームのことである。ゲームは、いうまでもなく日本の発明ではない。アメリカで生まれた。テレビゲームは(アメリカでは「ビデオゲーム」といわれたりするが)、コンピューターゲームともいわれる。その通り、これはコンピュ...
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世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その40(1,876字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 98ヶ月前
『機動戦士ガンダム』というアニメが切り開いたのは、作品の内容もそうだが、それ以上に制作やビジネススキームの面が大きかった。一つのコンテンツが多様なファン層を生み出し、また莫大なビジネスを創出するということを、『機動戦士ガンダム』は証明してみせたのである。中でも、ビジネスを大きく牽引したのが「プラ...
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世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その39(2,262字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 98ヶ月前
1970年代は、アニメというものの需要のされ方が大きく変化した年代だった。どう変化したかといえば、それまで子供しか見なかったのが、大人も見るようになったのだ。なぜそうなったかといえば、新たに大人の視聴者が生まれ始めたからである。それまでアニメというのは、子供の頃は見るものの、大人になったら「卒業」す...
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世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その38(2,007字)
コメ2 ハックルベリーに会いに行く 99ヶ月前
金田伊功はさまざまなテクニックを開発したが、それらはほとんど時間がなかったりお金がなかったりといった逆境の中で編み出された。つまり窮余の策だった。そう考えると、真にイノベーティブなものはいろいろなものが足りない中――逆境の中でこそ編み出されるという本質が透けて見えるようで興味深い。彼が編み出した代...
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世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その37(1,965字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 99ヶ月前
歌舞伎に「ケレン」という美的概念がある。ケレンとは、必要以上にオーバーに見せたり、格好をつけたりすることだ。「見栄」といって、カッと目を見開いたりするのがその特徴なのだが、動きでも、遅いところと速いところの緩急をつけることで、面白さや美しさを表現している。ケレンの特徴は、いわゆる「誇張」にあると...
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世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その36(1,768字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 99ヶ月前
『宇宙戦艦ヤマト』の大ヒットを受け、日本のアニメ業界は少なくない変化を強いられる。それは、ファンの影響力をより強く意識した作り方になった――ということだ。もちろんそれまでも、ファンはそれなりの影響力を持っていた。ただ、アニメ制作者にとって一番の指標はテレビの視聴率であり、次いでキャラクターがおまけ...
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世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その35(1,943字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 99ヶ月前
『宇宙戦艦ヤマト』は、かなりユニークな形式で製作された。プロデューサー西崎義展氏の、自主制作フィルムのような形でスタートしたのだ。お金は彼が全て賄った。そのため、普通のアニメではできないような豪華な制作体制が整えられた。それは、スタッフの質もそうだが、量もそうだった。多くの優秀なスタッフを集め、...
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世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その34(2,116字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 99ヶ月前
日本の戦後におけるコンテンツビジネスは、マンガとアニメに共通の特徴がある。それは、ともに「団塊の世代」を最大の顧客としていることだ。そして作品の傾向も、団塊の世代の成長に合わせ、どんどんと大人向けに変化していった。例えばマンガは、初めは少年少女向けだった。その通り、「少年」や「少女」と名前のつく...
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世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その33(2,346字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 100ヶ月前
『巨人の星』以降で、アニメ界に最も大きな変革をもたらしたのは、高畑勲と宮崎駿のコンビであろう。彼らが一九七四年に制作した『アルプスの少女ハイジ』は、さまざまな意味でエポックメイキングな作品となった。まず、宮崎駿がレイアウトという仕事を確立させた。レイアウトというのは、実写映画でいえば演出とカメラ...
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世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その32(1,825字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 100ヶ月前
アニメ『巨人の星』は、初めは漫画的(記号的)表現から出発したが、しかし次第に劇画的(写実的)表現へと変化していく。その変化の中でも、最も重要なものの一つが「線の描き方の変化」である。それまでのアニメでは、アニメーターが紙に鉛筆で描いた原画を、別の専門スタッフ(トレスマン)がセル画にペンでトレース...
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世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その31(1,984字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 100ヶ月前
マンガ版『巨人の星』が、マンガ業界における記号と写実の融合を果たしたエポックメイキング的な作品になったことは以前にも述べた。そして『巨人の星』という作品は、さらにアニメ版においてもエポックメイキング的な役割を果たすのだ。マンガにおいては、『巨人の星』よりむしろその後に作られた『あしたのジョー』の...
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世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その30
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 101ヶ月前
『鉄腕アトム』は、いろいろな意味で「鬼っ子」だった。例えば、表現的には必ずしも評価されたわけではなかったが、しかしその人気はすさまじかった。これによって、テレビ局やキャラクター商品を発売した玩具メーカーは莫大な利益を上げたといわれている。また、手塚がこれを安い値段で受注したため、後のアニメーター...
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世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その29(1,921字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 101ヶ月前
一九六〇年、『西遊記』でアニメの制作現場に直に触れた手塚治虫は、翌年の一九六一年、マンガ工房を拡張する形で、自前のアニメスタジオを創設する。これが虫プロであった。虫プロは、創設時はいくつかの実験的なフィルムを単発で作っていたが、一九六三年、日本で初めての三〇分テレビアニメシリーズである、『鉄腕ア...
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世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その28(1,783字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 101ヶ月前
戦後初の本格的な長編アニメ映画『白蛇伝』は、一九五八年に上映された。一九五八年といえば、戦後一三年が経過して、復興はほぼ完了し、そろそろ日本の高度経済成長が始まる頃合いだ。一方、テレビの勃興に伴って、映画産業そのものは衰退を始めていた。そうしたタイミングで、東映は満を持して長編アニメ映画を制作し...
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世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その27(1,928字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 101ヶ月前
再び、終戦直後の時代に話を戻す。終戦直後の一九四七年、手塚治虫の『新宝島』が一世を風靡することにより、日本のマンガは新しい時代の幕開けを迎える。ところで、この『新宝島』が当時の子供たちには動いて見えた――つまりバーチャルリアリティになっていたことは先にも述べたが、それが動いて見えたことの理由には、...
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世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その26(1,552字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 102ヶ月前
大友克洋が、背景の描き込みを増すことでマンガとしての読みやすさを確保する一方、江口寿史はキャラクターの新たな描き方に挑戦していた。それは、女の子をリアルな描写でかわいく描くということだ。特に彼は、「鼻の穴」を描くと言うことに強いこだわりを見せた。当時のマンガにとって、「鼻」というのはすぐれて記号...
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世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その25(1,831字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 102ヶ月前
さらに、大友克洋が描くこのキャラクターには、もう一つの秘密がある。それは、「前後の動きを想像させる」ということだ。大友克洋は、前後の動きを想像させる絵の描き方――キャラクターのポーズの付け方――が抜群に上手いのである。例えば、この表紙ではキャラクターである女の子の右足が浮いている。一瞬の動きを写真風...
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世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その24(1,634字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 102ヶ月前
マンガ家というのは、本能的に「絵を写実的に描きたい」「描き込みを多くしたい」という欲望があるらしい。そのため、マンガの歴史は常に、絵がより写実的に、描き込みの多い方向へと変化してきた。しかし、絵を写実的にしすぎたり、描き込みを多くしすぎたりすると、その記号性が失われ、読むスピードが遅くなってしま...
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世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その23(1,992字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 102ヶ月前
マンガの「劇画化」を促進させた川崎のぼるとちばてつやは、同時に劇画の限界をも示すこととなった。そうして一九七〇年代は、旧来からの記号的表現――つまり「漫画」と、新しい写実的な表現――つまり劇画の融合が目指される時代となった。そうした時代に、実にさまざまな新しい表現者たちが現れ始めた。この1970年代の後...
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世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その22(2,320字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 103ヶ月前
マンガというのは、必ずしも写実的な表現が面白いというわけではない。そこには「物語を伝える」という重要な役割があるために、ある程度記号的な方が表現の幅が広がるのだ。ちばてつやという作家は、自身の絵柄の軌跡でそのことを証明した。一方、ちばてつやとは別にもう一人写実的な表現の限界を証明した作家がいた。...
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世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その21(2,135字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 103ヶ月前
一九七三年六月、「あしたのジョー」の連載を終了させたちばてつやは、二ヶ月後、二つの連載を開始する。一つは、同じ少年マガジン誌で発表した『おれは鉄兵』。もう一つは、『ビッグコミック』誌で発表した『のたり松太郎』だった。この二つの作品は、マンガ史的にも当時の状況を色濃く反映している。まず後者の『のた...
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世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その20(1,853字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 103ヶ月前
『あしたのジョー』においてちばてつやは、その作画のスタイルをどんどんと変更させていく。はじめは漫画調にスタートしたのが、どんどんと劇画調になっていくのだ。後年、ちばてつやは当時の作画を振り返って、「今はもう、あの頃のような絵は描けない」と述べている。だから、連載が終わってからも時折ジョーの絵を描...
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世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その19(1,866字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 103ヶ月前
『あしたのジョー』を描き始めた頃、作画担当のちばてつやは、従来からの彼の画風を踏襲する形で描いた。すなわち、3Dの背景に、2Dのキャラクターを重ねて画面を構成した。キャラクターは、相変わらず記号化された、簡素なものだった。ところが、連載を重ねるうち、その画風が大きく変わってくる。それは、原作者で...
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世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その18(1,950字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 103ヶ月前
『巨人の星』が大ヒットしたことを受け、『少年マガジン誌』はこれに続く新たな人気作品を生み出そうと考えていた。そうして始まったのが『あしたのジョー』である。『あしたのジョー』は、原作が『巨人の星』と同じ梶原一騎。当時はまだ『巨人の星』が連載中だったので、こちらは別名義の高森朝雄で書いていた。『少年...
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世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その17(2,040字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 104ヶ月前
『少年マガジン』が「劇画」に路線を定める中で、『巨人の星』の連載は始まった。しかし連載当初、その画風はまだ手塚治虫的な「漫画」タッチを残すものであった。それは、劇画といえども漫画から派生したものなので、まだそこまで細かな描き込みや写実的な表現が洗練されていなかった――ということがある。また、作画を...
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世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その16(1,783字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 104ヶ月前
手塚治虫が創始した日本のマンガは、まずは記号的な絵からスタートした。それは、他ならぬ手塚治虫が記号的な絵だったからだ。手塚治虫は、最初期こそ貸本マンガに描いていたが、すぐに舞台の軸足を月刊漫画誌に移した。そして月刊漫画誌には、手塚のフォロワーを中心に記号的な絵を描く人々がマンガを連載していた。ち...
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世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その15(2,099字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 104ヶ月前
ここで、マンガの歴史――特にその進化の方向性についてひもといてみたい。なぜなら、それは日本の美的感覚に基づいており、同時にそれを育むことにもつながっているからだ。端的にいって、マンガは「日本の美的感覚」の象徴ともいえるのである。では、マンガはどのように進化してきたのか?それは、時代が進むに連れて、...
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世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その14(1,882字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 104ヶ月前
戦後の社会は、いくつかの意味で特殊な状況だった。世の中のほとんどの人が貧しい、娯楽に乏しい、人口における子供の比率が高い。そうした中で、手塚治虫による『新宝島』という革新的なマンガが生まれた。この『新宝島』が多くの子供たちの心をとらえたために、マンガの需要は飛躍的に増大した。ところが、その需要に...
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世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その13(1,903字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 105ヶ月前
戦争が終わって一年半、荒廃した日本の街々で、貸本屋は次第に隆盛していった。娯楽に飢えた子供たちが、大挙して押しかけたからだ。そんな中、これまでとは大きく異なった読書体験をもたらしてくれる新しいマンガが突如現れる。それが『新宝島』であった。『新宝島』の作者は、原作・構成が坂井七馬、作画が手塚治虫で...
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世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その12(2,189字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 105ヶ月前
戦後マンガの誕生終戦後、日本を覆った二つの状況があった。一つは、物資の不足。戦後の政治的、経済的な混乱により、日本では戦中以上に物が不足するようになってしまった。終戦直後は食料までもが不足し、都会に暮らしている人々は郊外まで買い出しに行くのを余儀なくされるほどだった。おかげで、人々の生活は困窮し...
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世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その11(1,699字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 105ヶ月前
第二次大戦が日本に与えた影響は大きかった。というより、終戦(敗戦ではなく戦争が終わったこと)が日本に与えた影響には本当に大きなものがあった。この一事によって、日本という国の雰囲気はガラリと変わったのだ。どう変わったかというと、一瞬にして奇妙な明るさに包まれたのである。ここで「奇妙」としたのは、そ...
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世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その10(2,173字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 105ヶ月前
第二次大戦が終わったとき、日本は貧困のどん底に喘いでいた。しかし、そこからたった二〇年ほどで、驚くほどの復興を遂げる。その背景には何があったのか?それを、日本の輸出産業の変遷から繙いてみたい。戦争直後、日本の輸出産業では玩具が大きく伸張した。その理由としては、当時日本の労働力が安かったことと、も...
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世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その9(1,786字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 106ヶ月前
江戸末期に鎖国を解いて以降、日本は西洋文化を急速に取り入れていった。その結果、日本の美術工芸品は最初期こそ鎖国をしていたことによる独自性や、それが西洋文化と融合したことによる革新性を持っていたが、やがてそれらは陳腐化していき、次第に魅力を失っていった。一九一〇年代には、日本の美術工芸品はすっかり...