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記事 7件
  • なぜ「絵描き」はネームが切れないのか?

    2014-02-25 16:14  
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    こんにちは、大井昌和です!

    最近、毎日ネーム描きながら、合間にペン入れするという生活です。
    これなら初めから週刊の作家で良かったのではないか?といういらぬ疑問がわいてきますが、月刊作家スタートと言うのをなんとか人生の伏線にすべく、人生設計中です。

    そんなさなか、4月からの連載準備をしておりますが、これもまたネーム原作であります。
    企画やネームには自信があるものの、その内容に見合う絵を描くには今の連載状況だと無理だと判断したため、担当さんに話したところ、ネーム原作でもいいとおっしゃってくださったうえ、素晴らしい絵描きさんをつけていただいたのでやる気満々です!

    いま現在6話目までネームを描いているのですが、ここで絵描きさんが苦労をしておるのが目に見えてわかるのです。そこでなぜ苦労をするのか、というのを今度の打ち合わせの前に文章化して、自分の頭を整理しておこうと思い、今回の語りになります。
    マンガ読みが良く言うことの一つに、イラストレーターさんがマンガを描くときに色々難が出る、というのがあります。
    なぜマンガ家よりも絵がうまいイラストレーターが、マンガになるとダメになるのか?
    回答の一つに、一こま一こまイラストに仕上げてしまう、というのがありますが、これはいったいどういうことなのか?それはマンガのコマの中の絵は、一こまの中だけで見るものではなく、2ページ見開きの中の構図の中でどういう役割を持つか、という視点が抜けるからです。
    つまり、コマと言うのがひとつの画面だと言う勘違いにあるということです。
    このコマと言うのが、絵描きには邪魔のようで、なんとかコマの形に絵画性を持たせようとしたりするのも見たりしますが、根本的にコマの概念が理解されていないということです。
    極端に言ってしまえば、マンガと言うのは
    「コマで作られる絵画」です。
     

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  • ps4が明日発売!ゲームと漫画

    2014-02-21 23:10  
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    こんばんわ、大井昌和です。

    昨日今日と仕事でつまづきが多くてちょいと悲しい気分ですが、いかがお過ごしでしょうか?明日はついに?プレイステーション4が発売ということで、ゲームと漫画について語っていければと思います。思えば初代psが出た頃、今は亡きセガ(まだある)が対抗馬としてサターンというゲームハードを出して、次世代機の覇を争っていました。その頃自分はデビューを目指し、持ち込みをしていました。一応毎月編集部推薦賞なる敗者復活的な賞をもらっていて、小金があり大学生で穀潰しをしていたので、持ち込みで東京に出た時にサターンを買って帰ったものです。その後、64、ドリキャス、xbox、ゲームキューブ・・・といわゆる負けハードのみはしっかり買い続け、psだけは自腹で買ったことはありませんでした。そんな自分でも今回は流石にps4は買おうかな、と思っっております。ここまで来たら意地でもpsに関わらない人生もいいかな、と思ったのですが、xboxoneは日本撤退しそうだから止むに止まれずの選択です。さていわゆるこの次世代ハードの歴史は、日本のゲーム(コンシューマー)の衰退の歴史とも言えます。その初代ps時代、新人だった自分に編集さんが絵の流行についてアドバイスしてくれたことがあります。それは、「ゲーム雑誌をちゃんと見ておけ」でした。それは、キャラクターデザインの「今」をつかんでおけということでした。当時、日本のゲームは最盛期で、そのデザインも毎回新しいものでした。ヒットタイトルをゲーム会社がお金をかけてデザインしたそれは、とても勉強になるので、見ておけということでした。確かに、かつてのゲームのデザインは漫画に大きな影響を与え続けていました。カプコンのあきまんさんに憧れた漫画家も多いですし、keyのキャラデザインは今のきらら系の作家に引き継がれ、FFのような髪型のキャラクターが猛威を振るいました。 

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  • ネーム高速化における云々かんぬん

    2014-02-18 22:10  
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    こんにちわ、大井昌和です!ここんところは一日一本ネームを描くというですマーチ中で、メールの配信が遅れて申し訳ないですm(_ _)mこのあいだの突発放送で最近言いたいことを話してしまったこともあるかもしれません。とはいえ。この毎日ネーム一本という作業の中でも見えてくるものがあるものです。絵を描く時に一番効いてくるのは、構図のストック量を多くしておくというものです。絵を描くというのはよく誤解されがちなのですが、思ったまま描けばいい訳ではないのです。そのシーンや前後の文脈に沿った構図を描かなければいけないので、そこで構図を取る際にいちいち手が止まるとてきめんに作業が減速します。そこで、構図のストックを増やしておけ、ということです。ストックを増やす、とはどういうことか?写真や資料を揃えておくわけではありません。それは、手に、脳みそに、インプットしておくということです。そうすれば、必要な構図を瞬時に引き出し使えるというわけです。それゆえ、絵描きはデッサンをしておいた方がいいという話になるわけです。つまり、デッサンとは構図のストックを増やす作業と言えるわけです。もちろん、視覚情報的に脳に入れるのも良いのですが、手がそれに連動して動かないとあまり時間短縮の効果がありません。そういう自分も、このストック量に悩まされ、若い頃もっと真面目に絵の勉強をしておけばよかったと思う次第です。そして次は「お話」の技術の話。 

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  • 燃えペンと吼えペンと漫画の作法

    2014-02-11 12:47  
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    こんにちは、大井昌和です。
    大雪の中皆さんいかがお過ごしでしたでしょうか?
    前回のメールの通り、ボクはネームができずにうんうんうなっておりました。
    そして大雪が去った今日、ついにネームができほっと一安心。
    やはり、「吼えろペン」は正しかった!
    ・・・どういうことでしょうか?
     
    島本和彦先生の「燃えよペン」、「吼えろペン」は、いわゆる漫画家漫画のさきがけです。
    その中身は、漫画家をキャラクターにしたギャグ漫画だと一般には思われているかも知れません。
    が、しかし。
    ボクはこの漫画を、漫画の描き方の教科書だと思って読んでいました。
    どういうことか?
    たとえば。
    吼えペンの一つの話で、ある売れなかった漫画作品のサブキャラが、他の作家にインスピレーションを与えて
    傑作を生む話があります。作家同士ではよくある話、だという風に受け止められ、読者には面白い話と受け止められる
    この話は、大塚英志いうところのキャラクター的リアリティ論の実証報告であり、作家が「やるべき」技術の話です。
    たとえば。
    ファミレスで火事起こったときに、どういう対応を取るかアシスタントと考える話があります。
    これはそのまま三題噺の実践でもあります。
    たとえば。
    編集との打ち合わせを100%全力で行い、家に帰った後全部忘れて、120%全力でネームをきる話があります。
    これは作家たるもの編集さんの予想を超えよ、という作家のあり方を示しています。
     

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  • ピンチとスイッチ

    2014-02-09 20:37  
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    ピンチとスイッチこんにちは、大井昌和です。今週の後半はネームの予定でしたがなかなか進みません。いろいろ打ち合わせなどがあって、頭が切り替わらないのも原因の一つと考えております。こういう時は、フレームの決まった話を一度作ると、元に戻ったりするのですが、今回のネームはそういうわけにもいかない話なので、別の切り替え方法を模索中。フレームが決まった話、というのは、基本のお話と言って言い換えてもいい、形の決まったお話です。野球選手がスランプにスイングを確認するようなものですね。たとえば、主人公のキャラを説明して事件が起きて解決する、という感じの話を、ただ構成を丁寧に作るというかんじです。主人公のキャラを説明する時に、事件を解決する伏線の機能と、事件発生の前振りを作り、事件そのものが、キャラクターのドラマとリンクする、というようなことを丁寧にするというものです。しかしながら今回の話はこういう構成が全体の構成的に入れられないorz 
  • 選挙と漫画

    2014-02-05 13:11  
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    こんばんわ、大井昌和です!東京都在住です。前都知事が辞めた時、最初に思ったのは、「また仕事中に騒音が街に響き渡るのか・・・」とげんなりしたのです。が、今のところそんなにうるさくなくてホッとしています。それはさておき、折角そんな選挙期間中なので、漫画と選挙について語っておこうかと思います。漫画において選挙に形がにているものに読者投票というものがあります。メジャー少年誌で有名な10週打ち切りというのは、これの結果だと言われています。もちろん、僕の主戦戦場である青年誌や月刊誌にもこれは存在します。しかしながら、もとの母集団の絶対数の違いから、メジャー少年誌と僕の書いている雑誌では読者投票の有用性は全く意味が違うものになります。メジャー少年誌であれば、その投票数は打ち切り判断の指標として機能するのは、確率論的にも正しいと思われますが、マイナー誌でこれを判断材料にするのは無理があります。例えば、自分の漫画でも、ずっと読者投票で一位を頂いてる作品と、ずっと8~9番手だった作品とでも、売り上げは8~9番手のものが良かったりします。(多分最近逆転したかな?)つまり売上的な判断材料にマイナー誌の読者投票は使いづらいことになります。しかしながら、では読者投票は無駄か?と問われれば全くそんなことはなく、雑誌という媒体を出す以上、その雑誌上でいい数字を出していることはその雑誌にその漫画を載せ続ける意義につながります。いってみれば漫画家は常に投票の結果で描くことが許されているとも言えます。売り上げというのも、日本銀行券での投票結果でありますから。そういうことを考える自分なので、こういう時期にはいつも、先輩漫画家さんが立候補してくれれば、投票先に悩まずに済むのに・・・。 

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  • ヤンキー漫画と萌え漫画の先鋭的類似性について

    2014-02-02 22:29  
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    このあいだ編集さんと打ち合わせのあと飲んでいました。そこで自分が最近、「クローズ」「worst」を一気に読んで、戦国漫画などとの類似性について話したところ、ヤンキー漫画の文法は独特なので参照不可能であることを説かれました。それに対する反証を次回僕がすることを約束してお開きになったのですが、まずはそのレジュメのようなものを書いておこうと思い、今回のこの語りになります。まずヤンキー漫画について考えましょう。はじまりは本宮ひろ志先生の番長ものだとしてみると、それは、主人公の男気で話を牽引する物語です。それに世界観を時代に沿ったリアリティを持ち込むことで、「ビーバップハイスクール」「湘南爆走族」などが生まれます。その一方の「ビーバップ~」から社会的なものを抜いた形として「クローズ」、「湘爆」から「BADBOYS」などが生まれて行きます。これは小池一夫先生いうところの漫画の定義がキャラクターそのものにあるということから自明な進化だと思われます。その一方でラブコメ漫画も変遷を経て、社会へのコミットを抜いたものとして少女たちを愛でる形の「空気系萌え漫画」になります。つまり、ヤンキー漫画も萌え漫画も、社会的なるものを抜いた形でキャラクターだけが先鋭化していき、ストーリーは無意味化し、世界観は読者の共通認識上にあるものだけになります。さてここで言うキャラクターの先鋭化とは何か。東浩紀の「動物化するポストモダン」によれば、萌えとはそれまでの少女キャラクターのデータベース的集合体になります。これは最近のヤンキー漫画にも言え、そのキャラクターはヤンキーファッションとキャラクターのデータベース的集合体といえます。萌えのデータベースとは、美少女ゲームやアニメなどから作られているのですが、ヤンキー漫画のそれは、過去のヤンキー漫画やヤンキーアニメはないのです。それゆえここの類似性が見落としがちになるのですが、ではヤンキーのデータベースはどこにあるのか?それはヤンキー系のファッション雑誌や、彼らの好む音楽の世界観(CDジャケットや、彼らのファッション)にデータベースは構築されており、そこから萌えの記号化のように、ヤンキーの記号化は行われていると言えます。よって、ヤンキー漫画が、萌え漫画のように社会性を失って行くのは、萌え漫画と同じような構造を持つことから、自明なことだと言えるのです。そして、「よつばと」が擬似家族を描くように、高橋ヒロシや田中宏も擬似家族に向かって行くのも、これら萌えとヤンキーが合わせ鏡のようで面白いです。 

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