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LINEには14名ほどの「友達」がいて、最も親しく付き合っている人々をほぼ網羅している。
そして自分を入れて16名ほどの「グループ」で他愛ないことを話しあっている。
知りあい同士でどうでもいいことを共有して人生を豊かにするためには、どうやらこれで十分なようだ。ぼくはTwitterにはもう帰って行かないかもしれない。
そういう態度を良くないものとして見るひともいることだろう。
つまり、公の、世界に対して開かれた場所で話しあうのではなく、閉ざされた空間で仲間同士、語りあうことを退行であるとみなす人々は一定数存在するはずである。
その背景には「言論はオープンなものであるべきだ」という価値観がある。
しかし、そうだろうか。思うに、すべての発言がオープンであるべき
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コメント
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ぼくはLINEをやってないんですが、これはなんかわかります。Twitterは、理性的にやりとりをするにはあまりにオープンでお手軽すぎるなーと思いますし(140字という制限もありますし)、ノイズが多いですね。
まあ、サークルを外へ広げるベクトルと、サークルを狭めて密度を濃くするベクトル、両方必要だとは思いますが、別に前者の手段はTwitterだけではないですしね。
海燕(著者)
>>1
仰るとおり、両方のベクトルが必要ですよね。ただ、ぼくの場合、仕事としてこのブログを更新せざるをえないので、それで「世界」とのアクセスは十分かな、と思っています。仕事だけではダメだという意見もあるでしょうが……。
LINEはほぼ仲間内だけなので心地よいです。また新しいSNSが登場するまでは、とりあえずここに安住したいと思っています。