-
日米廻り舞台 検証フテンマ 第2部官僚の壁 vol.19 「新基地建設の是非」(琉球新報提供)
2014-04-10 11:29新基地建設の是非 米軍普天間飛行場の辺野古移設は必要か。その疑問は、実は防衛省内にもあった。地方協力局長の井上源三は2009年10月12日、米国務次官補キャンベルらに尋ねた。 「グアムの海兵隊だけで(東アジア)地域の十分な抑止力を持つのではないか。不測の事態には伊江島(補助飛行場)と下地島(空港)が補完すれば良いのではないか」 在沖海兵隊がいなくても有事の際はグアムから対応可能なのではないかとの疑問だ。米側はこれに反論する。 「グアムだけに依存すると時間、距離、その他運用上の課題が出てくる」。中国の軍拡も背景に「緊急時は(沖縄の)最低3本の滑走路が必要だ」と強調した。嘉手納基地に2本、普天間に1本滑走路がある現状の維持が必要との見解だった。ただ裏を返せば有事に嘉手納基地以外の滑走路が使えれば、平時は戦略上問題はないとの認識でもあった。 井上はこうも尋ねる。 「グアムのアンダーセン空軍基地にヘリパッドを建設中だ。最大60機を再配備できる。さらに緊急事態には高速鑑定を使用することで米軍は有効に対応できるのでは」 在日米軍副司令官のジョン・トゥーランは -
日米廻り舞台 検証フテンマ 第2部官僚の壁 vol.18 「『抑止力』の虚構」(琉球新報提供)
2014-04-09 14:03「抑止力」の虚構 普天間飛行場の移設を含む在日米軍再編は民主党政権下の2012年2月に大きな転機を迎える。日米両政府が同飛行場の名護市辺野古移設を進めるため、それまで普天間移設と「パッケージ」と説明してきた在沖米海兵隊のグラム移転や嘉手納より南の米軍5基地の返還を、普天間移設から切り離したのだ。その再編見直しの協議で米側は海兵隊のグアム移転について、日本側にある変更を提案した。「まさかと思った。06年の米軍再編合意から全く変わっていた」。米軍再編に関して長年携わった日本政府高官は、米側からの提示に驚いた。 合意は在沖海兵隊については司令部要員を沖縄から移転し、地上戦闘部隊を残す計画だった。しかし見直しで米側が示した案は、逆に地上戦闘部隊の大半を沖縄から出すというものだった。 だがこの変更は日本政府にとって極めて都合が悪かった。なぜなら -
日米廻り舞台 検証フテンマ 第2部官僚の壁 vol.17 「国務長官『呼び出し』」(琉球新報提供)
2014-04-08 10:00国務長官「呼び出し」米国務長官クリントンと駐米日本大使藤崎一郎の会談を、ワシントンの日本大使館が日本メディアに連絡したのは予定の約2時間前だった。 2009年の12月21日。大使館が各報道機関に「至急・重要」とのメールを一斉に送ったのは午前10時半すぎ。「本日12時30分より会談を行う」と伝える内容だった。 クリスマスが近づくこの日のワシントンは雪が積もり、政府機関は業務停止状態だった。報道各社は大使に直接取材しようと国務省前に集まった。 その4日前、デンマークで開かれた気候変動枠組み条約締約国会議の夕食会で、首相鳩山由紀夫は普天間飛行場の移設先について、09年中の結論を先送りにする方針をクリントンに伝えていた。鳩山はそれを記者団に一方的に明かし、「基本的に理解してもらった」と語った。クリントンと藤崎の突然の会談は当然、普天間問題に絡むものだと想像された。 国務省から出た藤崎は記者団の質問 -
日米廻り舞台 検証フテンマ 第2部官僚の壁 vol.16 「『年内結論』の背景」(琉球新報提供)
2014-04-05 09:00『年内結論』の背景米軍普天間飛行場の県外移設協議に関し、2010年4月に外務、防衛両省の実務担当者を首相公邸に集めた秘密会合の中身が翌日報道され、首相の鳩山由紀夫(当時)は大きなショックを受けた。 〈会ったことも内密にするはずだった。意思疎通を図りながら秘密裏に協議しようと誓ったにもかかわらず、なぜ〉 同席していた官房長官の平野博文(当時)に尋ねたが、外部に漏らしていないという返事だった。鳩山は外務、防衛の実務者を疑う。会合に出席していた一人は取材に対し「ほぼ名指しで批判された。全く納得がいかない。鳩山さんは首相だ。当然従うつもりだった。疑われたのは非常に心外だった」と振り返った。 その日の報道はもちろん記者たちの日常の取材活動の成果の一つにすぎないが、鳩山にとっては「リークされた」と、腹心の官僚らに疑心暗鬼を深める転機となった。民主党政権の県外移設検討作業で致命的だったのは、鳩山が移設先 -
日米廻り舞台 検証フテンマ 第2部官僚の壁 vol.15 「面従腹背」(琉球新報提供)
2014-04-04 10:08面従腹背 涙を浮かべ、就任わずか8カ月余りでの退陣を表明してから約3年。元首相の鳩山由紀夫はことし5月、国会議事堂周辺の事務所でくつろいだ様子を見せた。苦悩に満ち、うつろな目をしていた在任終盤の表情はない。 昨年11月、首相野田佳彦が衆院を解散したのを機に、26年身を置いた政界から引退した。今は国内外での講演活動をする一方、自身が3月に立ち上げた「東アジア共同体研究所」の活動として、沖縄の基地問題を含めた外交・安全保障などの分野で積極的に意見を発信している。 鳩山は2010年6月、普天間飛行場の辺野古移設回帰を受けた社民党の政権離脱や「政治とカネ」の問題の責任を取り、首相を辞任した。指導力を発揮できず、場当たり的な普天間問題への対応には「稚拙」「迷走」「失政」などと厳しい批判を浴びた。大きな挫折感を味わった。 だが退陣後は講演会などで首相時代の普天間問題の内幕を明かしている。「辺野古に戻してしまった後悔の念がある。この問題は決着していない」。発言を続ける理由だ。 県外移設を実現できなかった原因に自信の力不足を挙げた上で、外務、防衛官僚らが「県外」の方向で努力しなかったと率直に指摘している。 10年4月。首相在任中の鳩山は自らが設定した「10年5月末」の普天間飛行場の移設先決定の期限に向け、じりじりと追い詰められていた。期限まで2カ月を切っていた。 政権交代を果たした09年8月の衆院選では普天間移設の「最低でも県外」を掲げた。政権発足後、移設先探しを担った官房長官平野博文は、 -
日米廻り舞台 検証フテンマ 第2部官僚の壁 vol.14 「脱官僚・脱米依存に反撃」(琉球新報提供)
2014-04-03 09:00脱官僚・脱米依存に反撃2009年の民主党政権発足直後から防衛省防衛政策局長の高見沢将林らが、普天間移設などの在日米軍再編見直しを掲げた新政権を批判する発言を米政府に水面下で伝えていたことが明らかになっている。高見沢は本紙の再三の取材申し込みに応じていないが、内部告発サイト「ウィキリークス」が公開した米外交公電には自らの政権を批判する日本の官僚がほかにも登場する。 鳩山政権発足から2日後の09年9月18日。来日中の米国務次官補キャンベルは、外務省アジア大洋州局長の斎木昭隆(元外務事務次官)と会談する。外相岡田克也について「非常的に知的」「省の諸問題を理解している」と称賛する斎木。だが民主党政権が「脱官僚依存」を掲げていることには警告も忘れなかった。「プロ集団である官僚の誇りをもし新政権が破壊しようとすれば、それは失敗に終わるだろう」 斎木の批判は続く。民主党が衆院選マニフェスト(政権公約)で -
日米廻り舞台 検証フテンマ 第2部官僚の壁 vol.13 「防衛省の進言」(琉球新報提供)
2014-04-02 11:47防衛省の進言駐日米大使ルースと顔を合わせた防衛省防衛政策局長の高見沢将林が口を開いた。論点は、近く予定されていた米国防長官ゲーツの来日についてだった。 「米軍普天間飛行場の移設問題では、長官から北沢俊美防衛相に米側の考えを率直に話すことが不可欠だ。普天間問題は防衛相にとって最優先事項になる」-。高見沢はこうルースに進言した。 さらに伝える。「防衛省は、長官に(辺野古移設の)現行計画が唯一実現可能な計画であることを強調してほしいと望んでいる」 2009年9月に首相に就任した民主党代表の鳩山由紀夫は選挙で普天間移設の「最低でも県外」を掲げ、党のマニフェスト(政権公約)でも在日米軍再編の見直しを明記していた。だが政権発足から1カ月足らずして、実務を担う防衛省高官は政権の方針とは違う正反対の要求を米側に訴えていた。 同年10月20日のゲーツの来日を前にしたルースと防衛官僚の会談は、内部告発サイト「ウィキリークス」が公開した -
日米廻り舞台 検証フテンマ 第2部官僚の壁 vol.12 「地位協定改定」(琉球新報提供)
2014-04-01 15:24地位協定改定米ワシントンのレストランで、2009年8月に開かれた日本の衆院選見通しに関する在米日本大使館職員による非公式の説明会は、米議会議員の秘書に唐突に呼び掛けられたものだった。 秘書らは同月末から米シンクタンクが主催する約1週間の日本視察に関する予定だった。東京や大阪、京都を訪れ、日米関係ほか日本の政治や経済、企業動向について学ぶ計画だった。 大使館職員はどこからか議員秘書らの訪日予定を聞きつけ、日本について説明したいと一人一人に電子メールで申し出た。 説明会では2人の大使館職員のうちの「先輩」が、政権の座に就く見通しとなっていた民主党がマニフェスト(政権公約)で在日米軍再編見直しを掲げていることに強い懸念を示し、日米地位協定の改定提起公約についても言及した。 「民主党は(地位協定改定で)本質的に夢を見ている」 こう断じた後に続ける。「(改定されれば)米国は世界中の国から再交渉を求められる。(米国は)日本との再交渉には応じないだろう」。日本側から、地位協定改定は実現し得ない課題のはずだと米秘書らに理解を求めた。 〈ワシントンでの日本大使館の役割は、仮に彼らの政府が望んでいない場合でも、ひたすら米国にこびへつらうことなのだ〉 参加者の一人はこう思った。日本に詳しくない米秘書らの間に、 -
日米廻り舞台 検証フテンマ 第2部官僚の壁 vol.11 「妨害の始まり」(琉球新報提供)
2014-03-31 13:22妨害の始まり2009年8月の衆院選を約1カ月半後に控えた同年7月19日。民主党公認候補(当時)の玉城デニーの応援演説をするため、沖縄市民会館で登壇した党代表・鳩山由紀夫(当時)は、ホールを埋め尽くした聴衆を前に、県民の大きな期待を感じていた。熱気と高揚感が会場を包んでいた。米軍普天間飛行場の返還・移設問題について触れた。 「県民の気持ちが一つならば、最低でも県外の方向で、われわれも積極的に行動を起こさなければならない」。さらりと出た言葉だったが、県民の心をつかむには十分だった。 民主党が勢いを増す象徴的な場面だった。同党は衆院選で県内4選挙区中、玉城を含む公認2候補を当選させる。普天間移設の「最低でも県外」は、多くの国民から事実上の公約として捉えられた。 鳩山の発言から約1カ月後。衆院選を10日後に控えた8月20日早朝の米首都ワシントン。古典的なドーム型建築が特徴的な国会議事堂周辺レストランに、米民主、共和両党の議員秘書ら約10人が集まった。在米日本大使館の職員が呼び掛けた説明会に出席するためだ。米政府にも影響力がある民主党の著名なベテラン議員秘書らの顔が見える。秘書の中でも上級の「チーフ」も参加している。 大使館職員2人のうち「後輩」が、衆院選を前にした日本国内の政治情勢について一般的な説明を始めた。 政権を担っている自民党と野党の議席数、自民党のそれまでの政策、来る衆院選に関する国内メディアの世論調査状況と民主党勝利の予測、選挙後の与野党の議席見通しなどについて述べた。 秘書らは食事を取りながら聞き入った。今度は大使館の「先輩」が説明を代わった。 その内容は次期政権を担う民主党のマニフェスト(政権公約)に対する批判だった。 「We
1 / 1