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庭について:その83(1,689字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 1ヶ月前
ここまで82回にわたって庭について書いてきた。最初の記事が2022年9月30日なのでちょうど2年である。思えばこのメルマガで一番長い連載となった。今回が「庭について」の最終回である。そこでここでは、少し雑感というか、今思っていることなどを書いてみたい。まず、この連載を通して発見したのは、庭というのは総合芸...
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庭について:その82(1,808字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 1ヶ月前
ここまで2年に渡って庭について見てきたが、次回を最終回としたい。その前に、今回は重森三玲について書きたい。重森三玲は1896年、明治29年に岡山県に生まれる。日本美術学校で日本画を学ぶ。その後、東洋大学で文学を学んでいる。大学卒業後、画家を目指すが挫折。その後、生け花の道に進み、花を通して庭に出合う。30...
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ドラッカー学会糸島大会がいよいよ明日に迫ったことについて(1,191字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 2ヶ月前
毎週金曜日は『庭について』を連載しているが、今日は予定を変更していよいよ明日に迫ったドラッカー学会糸島大会について書きたい。ドラッカー学会糸島大会ぼくはドラッカー学会の会員だがそれほど熱心に活動しているわけではない。それがなぜか今回実行委員長をすることになってしまった。するからには最高の会にした...
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庭について:その81(1,852字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 2ヶ月前
ここまで二年の長きにわたって庭について見てきたが、そろそろ連載も終盤に近づいてきた。前回、小川治兵衛の無鄰菴について述べた。これは近代日本庭園の最高傑作で、無鄰菴を越えるものはなかなかないと今でもいわれている。以降の日本庭園は、小川治兵衛と無鄰菴を無視できなくなった。日本庭園はさまざまな流派を生...
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庭について:その80(1,748字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 2ヶ月前
無鄰菴について書きたい。無鄰菴は現代人にも人気だが、一方でそれはありふれた庭にも見える。なぜ人気かといえば理由は二つで、一つはそれが街中にありながら、街中にはないように感じる「箱庭感」「異世界感」「異化効果」である。つまり、「市中山居」の系統を受け継いでいるのだ。もう一つは東山の借景の使い方が上...
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庭について:その79(1,898字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 5ヶ月前
京都東山の麓、琵琶湖疎水の出口、南禅寺の参道入口のところにある「無鄰案」は、庭師小川治兵衛の代表作であると共に、近代日本庭園の代表作、大傑作でもある。治兵衛のほとんどデビュー作といっても差し支えないが、彼が残したいくつもの名庭園のうち、真っ先に名前が挙がるのがこの無鄰菴だ。ただ、ややこしいことに...
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庭について:その78(2,274字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 5ヶ月前
明治期に小川治兵衛(おがわじへい)という庭師が活躍した。彼は「近代」日本庭園の先駆者、あるいは創始者ともいわれる。つまり明治以降(大名庭園以来)の新しい庭を造り、その方向性を形作った人物なのだ。治兵衛自身は、まだ江戸期の1860年に、現在の京都府長岡京市に生まれる(長岡京市は京都と大阪の中間地点であ...
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庭について:その77(1,699字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 6ヶ月前
小沢圭次郞は1842年に桑名藩(今の三重県桑名市)の江戸下屋敷に生まれる。その下屋敷には浴恩園と名づけられた大名庭園があって、小沢はそれに親しみながら育った。父親が桑名藩の医官だった関係で、長ずると自分も医者を志し、幕末期には緒方洪庵のもとで学ぶ。つまり福澤諭吉と同門だが、それほど深い親交はなかった...
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庭について:その76(1,628字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 6ヶ月前
1968年に、日本は明治維新によって時代が明治になった。この「明治維新」というのはとらえるのが実に難しく、さまざまに巨大な変化が同時多発的に起こった。世界史的に見れば「近代化」の一つのあらわれなのだが、この「近代化」というものが人類に及ぼした影響はあまりにも大きいのである。それはインターネットの登場...
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庭について:その75(1,655字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 7ヶ月前
大名庭園は徳川家康が江戸に幕府を置いたことによって始まった。家康は、もともと駿府(静岡市)に本拠地を置いていたが、豊臣秀吉が1590年に小田原を本拠地とする北条氏を滅ぼしたため、北条氏が管轄していた関東の土地を家康が管理しなければならなくなった。そこで家康は、太田道灌が1457年に築いた「江戸城」に本拠...
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庭について:その74(1,816字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 7ヶ月前
偕楽園といったらなんといっても「梅」である。園の北東側に広大な梅園が広がっている。その数は約3000本にも及ぶ。そして、園のもう半分、南西側には竹や杉の鬱蒼とした森が広がっている。この梅園と森との関係が、「太極図」のような陰陽の世界を表現している。明るい梅園に対し、暗い森。それらが対になることで、偕...
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庭について:その73(1,728字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 7ヶ月前
偕楽園は水戸藩の第九代藩主徳川斉昭が、1833年に作ったものだ。つまり、江戸の末期である。斉昭は、優秀な政治家であり、またカリスマ性の強い思想家だった。世の中を良くしようと、徳川家の内側からいろんな改革を実行した。ちなみに、徳川最後の将軍徳川慶喜は、彼の実子である。斉昭は、気性が激しいことから烈公と...
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庭について:その72(1,748字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 7ヶ月前
岡山の後楽園は、実によくできている。まず「物語」がある。昔は戦争のために作られたお堀が、平和になって必要なくなった。そこで放水路を新たに作って水量を減らし、湿地を使える場所にした。その大規模干拓工事の際に、ついでに庭を造ろうということになった。それは、干拓工事の記念でもあるが、同時に江戸時代の新...
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庭について:その71(1,796字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 7ヶ月前
岡山城の周囲は、もともとあった川をねじ曲げてお堀としたため、たびたび氾濫に見舞われていた。それを、別の川を放水路として設けることで緩和し、おかげで湿地帯だったところが使える土地になった。それで、藩主は喜んでそこに庭を作った。そういう物語を持っている。ときは1687年である。江戸開闢からすでに90年近く...
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庭について:その70(1,912字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 8ヶ月前
今回は、日本三名園の一つ、後楽園について見ていきたい。岡山後楽園の成り立ちは、これもまた江戸時代っぽい。まずまだ戦国時代の1597年、豊臣家の家老であった宇喜多秀家が、今の岡山市を南北に貫く旭川のほとりの小高い丘の上に城を建てた。これを、小高い丘の上に建てたことから「岡山城」と名づけた。このとき、横...
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庭について:その69(1,752字)
コメ1 ハックルベリーに会いに行く 8ヶ月前
日本三名園はいずれも「大名庭園」である。大名庭園とは、その名の通り大名が造った庭園のことで、江戸時代には大名が庭園を造ることが流行っていたのだ。庭園は、表向きは大名の保養や趣味、接待のための場所として作られた。そうして、大名自身が造り、周遊することを楽しんだり、家臣や藩民、お客さんに楽しんでもら...
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庭について:その68(1,701字)
コメ2 ハックルベリーに会いに行く 8ヶ月前
「日本三名園」という呼び名は有名だが、個々の庭園について詳しく知る人は少ないのではないか。ちなみに「日本三大○○」の最初は「日本三景」すなわち「松島・天橋立・宮島」だといわれている。この三名園に共通するのは、いずれも江戸時代に作られた回遊式庭園ということである。すなわち桂離宮の深甚な影響下にあると...
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庭について:その67(1,739字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 8ヶ月前
今気づいたのだが、「桂離宮」と「千利休」は、字や意味は全く違うけれども、ともに同じ「りきゅう」である。「りきゅう」という語感は、庭と深い縁があるのかもしれない。「離宮」は「皇居の別に設けられた宮殿」という意味だ。つまり桂離宮は天皇の別邸だった。ただし「離宮」と呼ばれるようになったのは明治になって...
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庭について:その66(1,876字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 9ヶ月前
千利休の業績と影響はとてつもなく大きく、その弟子たちもまた活躍した。彼らは利休七哲などと呼ばれた。このうち、よく名前を挙げられるのが古田織部である。彼は、利休の「人の真似をするな」という言葉に従い、そのマインドは継承しつつも、師匠とは趣の違った自分なりの趣味というものを押し出し、茶人として大成し...
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庭について:その65(1,628字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 9ヶ月前
茶室は戦国時代に都市部の町家(商家が立ち並ぶところ)で、豊かな町人たちの間で発展した。市中の人工の建物が林立するところに、朽ちかけた山奥の農家(侘び寂びの理想)を写し取ろうと、小さな庭つきの応接小屋を建てたのが始まりだ。町家は、通りに面した間口はだいたい商店になっているため、人々はその奥に住んで...
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庭について:その64(1,858字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 9ヶ月前
茶の湯の目的は二つある。接待と瞑想だ。利休はそこに第三の目的を持ち込んだ。それは「闘い」である。利休は、茶の湯を一つの「闘いの場」としたのだ。実は、最初の茶の湯には「闘い」の要素があった。それは、出されたお茶の銘柄を当てるというゲームのようなものだった。これを「闘茶」という。この闘茶は、やがてギ...
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庭について:その63(1,940字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 9ヶ月前
千利休は日本芸術史におけるスーパースターだ。松尾芭蕉らと並んで、その名前を知らない者は現代でもいない。利休が完成させた茶の湯の一つである「佗び茶」は、現代にも受け継がれている。だから、利休といえばまず「お茶」の人である。しかし実は、それと同時に「建築」の人でもあった。なぜなら、茶の湯を完成させる...
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庭について:その62(2,006字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 10ヶ月前
茶室の元祖は、東山文化の生みの親・足利義政が作った銀閣寺の一角、東求堂にある四畳半の部屋だとされている。義政はここを応接室的に使っていたのだが、そこにおいて「佗び茶」が発展していった。禅宗は、室町幕府と深く結びついていたので、京都の街中にお寺を建てていった。その庭は、初めはそれまでの伝統に則って...
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庭について:その61(2,091字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 10ヶ月前
龍安寺は、15世紀後半に細川勝元の領有となったため、応仁の乱で細川氏のライバルであった山名氏の攻撃を受け、焼失した。1488年、勝元の子の細川政元が再建に着手し、1499年頃、方丈(建物)が上棟された。銀閣寺の上棟が1489年なので、およそ10年後である。龍安寺の庭も、やっぱり金閣寺や銀閣寺にならって、下に「水...
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庭について:その60(1,728字)
コメ2 ハックルベリーに会いに行く 10ヶ月前
室町時代中期、足利義政が将軍を担っていた時代に、彼の庇護の元で東山文化が育つ。絵画では狩野派の祖である狩野正信、また土佐派の祖である土佐光信が、日本画を大きく発展させる。さらに、雪舟は水墨画で一時代をなした。茶道や華道も発展したが、何より有名なのは庭園である。銀閣寺、龍安寺、大徳寺などが、この時...
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庭について:その59(1,817字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 11ヶ月前
金閣寺(正式名称は「鹿苑寺舎利殿」)は、全ての日本人はもちろん世界中の人が知っている超有名な存在だ。そのことは子供の頃から「常識」だったから、ほとんど何の疑いも抱いていなかったが、よく考えればすごいことである。エジプトのピラミッドや万里の長城、パリのエッフェル塔にも比肩する存在ということだ。日本...
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庭について:その58(1,849字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 11ヶ月前
1339年、天龍寺が建てられたのとちょうど同じとき、夢窓疎石は京都の西端にある西芳寺の作庭も依頼される。ここは、元々は浄土宗の寺であったが、長らく廃墟となっていた。それを、室町幕府の重臣である摂津親秀が再興することになり、同時に臨済宗に改宗された。夢窓疎石は、ここでも枯山水を試している。ところで、「...
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庭について:その57(1,997字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 11ヶ月前
足利尊氏は、公家を重用した後醍醐天皇に反発し、武家を重用する光明天皇を擁立して、北朝を開く。後醍醐天皇は奈良に逃れ、南朝を開く。両者は対立し、いわゆる「南北朝」の時代となった。そうして尊氏と後醍醐天皇は敵対関係となるのだが、程なくして後醍醐天皇が崩御する。すると、両者に通じていた夢窓疎石は、尊氏...
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庭について:その56(1,759字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 11ヶ月前
枯山水は、「土や水」を使わず「石や砂」で「山や海」を表現した庭のことである。水気がなく枯れているので「枯山水」というわけだ。実に分かりやすいネーミングである。ただし、実際の枯山水を見ても、初見だとそれが「山」や「海」を表しているとは分からない。単なる抽象画にしか見えない。何か記号的な、それこそ20...
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庭について:その55(2,050字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 12ヶ月前
禅庭の巨大なイノベーターである夢窓疎石は、当時最も力を持っていた僧侶でもあった。夢窓疎石は1275年に三重県で生まれる。実家は天皇の子孫という家柄で、いわゆる貴族であった。ところが、幼い頃に母方のお家騒動に巻き込まれ、山梨県に移住する。10代で山梨県のお寺に入門し、修行を始める。最初は天台宗や真言宗を...
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庭について:その54(1,973字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 12ヶ月前
まず「禅」とは何か?概観してみたい。禅宗は仏教の一宗派で、中国で発祥した。インドから中国に渡った「達磨」が開祖とされるが、これは伝説的なもので確証はない。日本には奈良から平安時代に伝わったが、本格的に広まったのは鎌倉時代である。日本においては座禅を組む宗派が「禅宗」と目されることが多いが、座禅自...
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庭について:その53(1,761字)
コメ2 ハックルベリーに会いに行く 12ヶ月前
まず、「蓬莱式庭園」と「縮景式庭園」について見ていく。「蓬莱式庭園」というのは、文字通り「蓬莱」を中心に据えた庭のことだ。「蓬莱」とは「蓬莱山」のことで、「不老不死の仙人が住む」とされている。中国の想像上の山のことだ。そして、それを信仰することを「蓬莱神仙思想」という。この思想は、「長寿」を願い...
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庭について:その52(1,972字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 12ヶ月前
他の数多くの日本文化と同様に、「庭」も中国から輸入された。その中でも象徴的なのが「浄土庭園」だ。「浄土式庭園」ともいう。一般に、我々が豪邸の――あるいは古式ゆかしい神社仏閣の日本庭園と聞いたとき、頭の中に思い浮かべるのはこの浄土庭園である。「浄土庭園とは何か?」というと、文字通り「浄土=極楽浄土=...
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庭について:その51(1,694字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 13ヶ月前
厳島神社には「奥行き」がある。これはイングリッシュガーデンにはないものだ。どういうことかというと、イングリッシュガーデンはどこか美術館的、博物館的なのである。周遊はできるが、ベクトルのようなものが希薄だ。指向性、方向性が曖昧なのである。フラットで、さまざまな植栽が均一だ。一方の厳島神社は、強烈な...