この記事だ。
<甲子園>古き良き時代の天然記念物? 高校野球の人気復活 - 毎日新聞
そこで、その誤解を解くために、ぼくがどういうことを話したかを以下に書く。
これを、アリストテレスは「カタルシス」といった。人は、誰か(何か)が犠牲になっているのを見て、自分が生きていることを実感できるという心理構造になっている。そして祭りは、その構造を使って人々を元気にするという社会的な役割がある。
その意味でも、甲子園におけるピッチャーの「祭りの犠牲役」としての役割はますます強まる。それゆえ、高校野球の「祭り性」はより一層強固なものとなっているのだ。
ぼくとしては、上の記事が炎上し、誤解を受けたままではとてもつらい。今は夜中の2時半だが、おかげで眠れなくなった。だから、釈明の記事を書きました。
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このブロマガのタイトルとサムネからして意味が分からないから説明して欲しい。「ハックルベリーに会いに行く」ってどういう意味? 調べたら、「ハックルベリー」ってブルーベリーとかの類みたいだけど果物に会いに行くってどういうこと? というか日本で生活してたら「ハックルベリー」なんてなかなか耳にも目にもしない単語だと思うけど何でわざわざそんな単語を選んだ? 何で原っぱに立ってハット被ってどや顔してる? 意味があってデザインしたなら説明してほら!
カタルシス、という切り口で語るなら中央神道のイメージが強い「祭り」を使うべきではなかったかと。
ブレインストリーミング的な議論のたたき台としては面白い切り口ですが。
野球嫌いとしては、おにゃんこ倶楽部→モームス→AKBみたいに、高校野球の要素である「スポコン」+「押しキャラ応援」って言うコンテンツの盛り上がりと飽きられる周期に嵌まってるだけなんじゃ、と。
長文兄貴こわい・・・
>>40
戦後しばらくしての力道山の人気は、
卑怯な外人レスラーを力道山が空手チョップでぶったおす、
って図式だったから、犠牲ってのとはちょっと違うと思うんですよね・・・。
すごい角度で落とす技を受けても受けても立ちあがる、
っていう犠牲っぽいのは
全日本プロレスやノアの四天王プロレスの方がしっくり来るかと。
でもあの時代からしばらくはプロレス暗黒時代だったし、
大みそかの格闘技放送も無くなってしまったんで、
大衆は犠牲を求めてるってのはあまり共感しないんですよね。
最近のプロレスはスポーツライクになっていて、
そのおかげで人気回復してるみたいですし。
えぇ・・・(困惑)
「真面目に頑張っている姿を応援したい」っていう欲求が有りきで甲子園見てる人って多いだろうし
そうなったら甲子園に出場する選手はある意味「真面目に頑張ること」を強いられているわけで、
それはある意味犠牲に近い。
それじゃなくても彼らは野球に青春を捧げているわけで、それを犠牲って表現するのもあながち間違っていないと思う。
これ叩いている人は単純に表面の意味しか捉えていないだけ
完全に※13に持って行かれてて草
作家先生様ってこんな斜に構えて自分から油を注いでいかないと食っていけないものなん?
ハックルベリーに突っ込むかい?
ハックルベリーフィンぐらいは知っておこうよ
自分もアニメトムソーヤの世代じゃないし
読んでもないけど名前は知ってたわ
観戦者の基本は勝手な感情移入にあって、そういう意味ではむしろ観劇に近いと思うが。
サッカーに比べると野球のほうが攻守がはっきりしていて、いわばステレオタイプの時代劇のような
見やすさがあるんじゃないかと思う。
>>8
私が「客観的事実」と捉えているのは、文末が断定の口調になっているところ全てです。これらは先生の抱いた単なる「感想」ではなく、観察や知識の収集などから得られた好き嫌いの混じらないものだと考え、「客観的事実」と述べました。ですので岩崎先生の私見であるかどうかと、議論(コメント)を求めているかどうかは関係ありません。
そして、私はこの記事は無制限の釈明の記事とは思いません。なぜなら、誤解をした人全員の誤解を解きたいのならばこのような難解な記事を公開しないでしょうし、おっしゃる通り誤解が解けたかどうか全員に確認する術がない。ではなぜそのような記事になっているかというと、この記事にはおそらく明確なターゲットが定められているからでしょう。それは例えば先生のお仕事仲間や身内だったり、先生が「誤解されたくない人」のみに向けたものだと思われます。実際先生は、今でも誤解をしていたり記事の要旨を捉えていない人はほったらかしです。そういう岩崎先生のスタイルを知っている人からすれば、この記事が人の無意識を意識できる人にしか書けない記事だというのがわかるのですが、初見の人や無意識を意識した経験のない人からすれば「何を言ってるかわからない」「偏見が過ぎる」「偉そう」などという感想になるわけです。合わせて、私は「くだらない意見」などという言葉は使った覚えがありません。私の言ったコメントですらないコメントというのは、意見ですらないただの誹謗中傷のことです。
つまり、「ある一定の範囲の」購読者ではない人がターゲットの公開記事の場合において、今回のようなこの記事に書かれていることの正否がメインテーマでないのであれば、罵詈雑言を放っておくよりコメント欄は使わない方が健全では?という提案になるわけです。私は購読者で前知識があったので、岩崎先生宛だとここまで文章にする必要がなかったのです。
しかし、これらは全て私自身の個人的な意見ですので、提案するくらいでそれ以上のことはもちろんしません。
おそらく岩崎先生の頭の中には、「この人には誤解されたくないな」という人がいたはずです。しかしその人たちから「それは間違っている」と言われたって気にしないと思われます。とにかく大切な人に、「え、こんなこと言ったの?」と思われたままにしたくなかったのでしょう。あくまで予想ですけど。