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格差時代の箱船(2,702字)
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格差時代の箱船(2,702字)

2014-12-15 06:00
    これからの世の中、「格差社会」が避けられなく到来すると考える。

    先の衆院選で、自民党が圧勝した。自民党は、規制撤廃を掲げている党だから、そこが議席の大多数を握るとなると、ますます競争が激しくなる。それが分かっていながら自民党を支持するというのは、多くの人が規制撤廃を望んでいるということだ。それによる競争の激化を望んでいるのだ。

    民主主義というものには、一つの落とし穴がある。それは、いわゆる機会が平等になればなるほど、競争が激しくなり、そうなると、競争に強いものが勝ち、弱いものが負けるという「格差社会」になることだ。

    身分制度の社会では、こうはならない。例えばインドのカースト制度では、子は親の職業を継がなければならないが、その代わり、その職業が他から侵される心配がない。つまり、職を失うことがないのだ。たとえ身分が低くても、安定した収入は生涯見込めるのである。

    そういう社会では、人口が増える。貧しく、発展がなくとも、社会が安定しているので、人々が計画的に生きられるからだ。子供も作りやすい。
    一方、競争社会では、人口が減る。平等で、競争による大きな発展も見込めるが、競争に負けた人がばたばたと死んだり、不安定な生活の中で、安心して子供を作れなくなったりするからだ。

    今の日本は、そういう競争社会を望んでいる。たとえ人口が減ろうと、安定した生活が見込めなかろうと、機会が平等で、競争が激しく、それによって発展する社会を望んでいる。
    なぜか?
    ここに、一つのアイロニーがある。

    競争社会というのは、実は競争に弱い者ほど望む――という傾向がある。競争社会に向いていない人間ほど、競争社会を志向するのだ。その理路を説明する。

    「競争に向いていない人」というのは、競争に「負け続ける」人である。単に負けるのではなく、連敗してしまう。だから、競争社会の中でずるずると下位に押しやられる。
    では、「負け続ける人」というのはどういう性質を持っているのか?
    それは、「反省しない」ということだ。失敗を教訓として活かせない。自らを客観的に見るのが不得意である。すぐに他人に責任転嫁する。

    そういう人たちは、競争に負けるとすぐに「社会が悪い」と言い出す。「社会が不平等だから自分たちは負けたのだ」と責任転嫁する。そして「規制撤廃」を叫ぶ。「既得権益の打倒」を目指す。そうして、とことん自由な競争社会を志向するようになるのだ。

    そうなると、競走に強い人はもちろん、競争に弱い人も「競争社会」を志向するようになる。おかげで、競争社会は雪だるま式に激化する。加速度的に進行するのだ。
    今の日本は、ちょうどその加速度のスイッチが入ったところである。雪だるまが勢いよく回り始めたところなのだ。そのため、これから一気に競争社会に――それはとりもなおさず格差社会になることが予想されるのである。

    そういう格差社会は、しばらく続くだろう。そしてそこで、多くの人が疲弊するはずだ。多くの人がばたばたと倒れていく。大袈裟ではなく、たくさんの死人が出るのが格差社会だ。

    インターネットの発展が、その状況に拍車をかけるだろう。インターネットは、「情報の格差」というものを驚くほど少なくした。誰でも気軽に情報を手に入れられるようにした。

    それによって、これまで情報格差(それは身分格差のようなものだった)の恩恵にあずかって生きていた人たちが、生きていけなくなった。例えば、不味いラーメン屋というのは、グルメサイトや掲示板ができる前までは、「不味い」というのがバレずに済んだ。そのため、経営が成り立っていた。
    しかし、「不味い」という情報が簡単に行き渡るようになった今、彼らは生きていけなくなった。もはや、美味しいラーメン屋しか生きていけない時代になったのだ。

    そういう競争が際限なく激化した社会において、私たちに求められるのは「生き抜き方」である。その中で楽しく生きていくというよりは、まずは「死なない」ことが求められる。石にかじりついてでも生き抜く、ぎりぎりで耐え抜く――そういう厳しい戦いが要求されるだろう。

    それは、「嵐のやり過ごし方」のようなものなのだ。一番大切なのは歯向かわないことである。あるいは巻き込まれないことだ。頭を低くして、通過するのをじっと待つ。競争の熱狂に参加するのではなく、それを遠巻きにしたままどう生き抜くか――そういうスキルが求められるのである。

    競争社会をまっとうに生き抜く唯一の方法が、競争に参加しない――ということだ。そういう熱狂からは離れた場所で、たとえ小さくとも自分の立ち位置をしっかりと獲得し、そこにおいて優位性を発揮することである。他人のゲームに参加するのではなく、自分のゲームを作ることだ。

    では、そういう「自分の立ち位置」「自分のゲーム」ははどのようにして作ればいいのか?
    その方法論について考えるのが、『もしドラ』以降のぼくの主たるテーマだった。『もしドラ』以降に出た本や、あるいはしてきた活動は、すべて根底にこのテーマが流れているといっても過言ではない。

    そうした活動の一環として、2015年1月から、第2期岩崎夏海クリエイター塾を始める。ここでも、授業の内容はほとんど、「競争社会の生き抜き方」に終始する予定である。

    ではなぜ「クリエイター塾」が「格差社会の生き抜き方」につながるのか?
    それは、クリエイティブこそが、格差社会の中で、嵐に巻き込まれずに生きる方法だからである。

    古来より、社会において経済活動が活発になり、競争が激化するとき、芸術活動もまた花開いた。例えば、ヨーロッパにおいては、古代ギリシア、古代ローマ、そしてルネッサンスの時代に、多数のしたたかなクリエイターたちが排出された。
    日本においても、戦国時代や江戸時代後期など、競争が激化し人口が減少するような局面において、クリエイティブを糧にその時代を生き抜く人が多数現れたのだ。

    つまり、クリエイティブというのは格差社会の生き抜き方の、大きな選択肢の一つなのである。クリエイティブ――つまり何かを作り出すことは、競争社会において、競争に巻き込まれないための最も有効な手段の一つなのだ。

    そのスキルについて伝授していくのが、この第2期岩崎夏海クリエイター塾の主眼である。そこでは、口幅ったい言い方ではあるが、「格差時代の箱船」のようなものを目指す。そこに参加した人たちが、これからの苛烈な時代をしたたかに生き抜く方法を身につけるための場所なのだ。

    そんな第2期岩崎夏海クリエイター塾では、現在、塾生を募集している。ご興味のある方はこちらまで。

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