80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマは金剛ノーコメント批判を考えるです!
――今日はフミ斎藤さんに電話でつながってまして。月イチの連載の配信版を行ないますので、よろしくお願いします。
フミ こんばんは、フミ斎藤です。
――新年1発目の今回は、1・8の新日本プロレスvsノアの対抗戦についてお伺いします。
フミ よろしくお願いします。試合や対抗戦そのものについては、各方面ですでに報じられているので、今回はボクなりに考えたいくつかのポイントを中心にお話ししていきたいと思います。
――フミさんはどういうかたちで対抗戦をご覧になったんですか?
フミ ボクは知人と一緒にスマホとにらめっこしながら初めてABEMA TVのPPVを購入しました。3000ABEMAコイン、現実のお金だと3600円でした。
――ABEMAのPPVは初購入なんですね。
フミ ボクらのようなおじさん世代にとっては購入動作そのものがわかりにくいところがあって、画面に入っていって、どんどんボタンをクリックしていくわけなんですが、まずABEMAコインというバーチャル貨幣が必要だということを知らなかったんです。
――そこからなんですね。
フミ この番組を視聴するには3000ABEMAコインかかりますと画面に表示される。そして、3000ABEMAコインを買うにはどうやら円レートで3600円が必要ですと。そもそもクレジットカードがスマホやパソコンに連動していないと料金を支払うことさえできない仕組み。この場合は1番組の視聴料金が3600円。新日本ワールドやWRESTLE UNIVERSEの月額1000円程度の料金システムとは違って、1番組ごとの料金設定があり、しかも一度しか視聴できない形態ですね。まず、この3600円を高いと受け取るか、安いと受け取るかですね。
――フミさんは高いと思ったんですか、安いと思ったんですか。
フミ 安くはないと感じました。映画よりは高いですね。でも、コンサートのチケット代よりは安い。まあ、外で食事ができる値段ではあります。ネットPPVがプロレスの一番新しいビジネスモデルなんだろうなということがなんとなく認識できた段階です。
――最近は国内ボクシングのPPVも大々的にやりだしたことで、PPVビジネスが議論になってるんです。MMAシーンはPPV自体の歴史が長いのでもう慣れちゃってるんですけど。
フミ そんな感じなんでしょうね。
――日本プロレス界初のPPVは新日本の長州力vs大仁田厚の有刺鉄線電流爆破デスマッチで、その後もいくつかの団体がやりましたが定着せずで。
フミ 今回はABEMAで観れば生配信で3600円だけど、1週間待てば新日本ワールドやWRESTLE UNIVERSEの会員であればまた観ることができるわけですから、そこの判断もちょっと難しい。
――1週間ちょっとガマンするという選択肢はある。
フミ 新しいビジネスモデルとして消費者に提示されているということは理解しています。プロレスだけの動きではなくて、映像ビジネスは実際にネット上のストリーミングにすごいスピードで変換されつつある。ありとあらゆるジャンルにおいて最新映像がテレビからネットに移行されていくプロセスは遅かれ早かれかならずあったと思いますが、新型コロナのパンデミックがそのスピードをぐっと早めたというか、実用化を早めた。ボクのなかでは、これもまたコロナのひとつの副産物なのだろうという感覚があります。
――ネット配信をどう駆使するかが問われてるわけですね。
フミ 話題は対抗戦からちょっと外れるかもしれませんが、今回の大会を報じた一部スポーツ紙の記事が大炎上しましたね。
――スポーツ○○の……。
フミ その記事をYahooニュースが拾ったことによって拡散され、いつもはスポーツ○○を読んでいないであろう多くの人たちの目にも触れた、ということですね。その記事は最後まで読むとわかるのですが、試合リポートではなくて「記者コラム」だった。試合リポートとコラムの根本的なカテゴリーの違いはボクらだったらわかるんですけど、読者によっては、とくにネット読者層はその違いをあまりよくわかって読んでいなかったのかもしれない。実際、そこに書かれていたコラムの内容そのものが大炎上を呼んだわけですが。
――コラムを要約すると、試合に敗れてノーコメントだったノアの金剛はどうなのか、というプロの姿勢を糺すものですね。
フミ そこの判断はプロレスファンとしてのキャリアによっても大きく異なるところです。マイクアピールがなければ、あるいは言葉によるフォローがなければプロレスが伝わらないと本気で信じている層が確実に存在する。そのあたりは、近年の新日本プロレスの長編ドラマとその登場人物のキャラクター設定だけを通じてプロレスと接している人たちの一種の常識みたいなものが基準になっているのかもしれない。
――比較的新しいファンだと、マイクがあるのがプロレスだと捉えている。
フミ ボクのこの感覚がオールドファッションなんだよと言われてしまえば、それまでのことなのかもしれないけれど。そもそも、マイクアピールは決してプロレスに必要不可欠なものではないんです。今回の対抗戦で、プロレスリング・ノアと新日本プロレスがちょうどうまい具合に何から何まで比較される一枚のお皿の上に並べられたことはたしかですよね。アントニオ猪木、長州力の流れを汲み、いまの現在進行形の新日本プロレスがあるとすると、たしかに試合と言葉の両方が必要なプロレスという流儀のようなものがあります。しかし、プロレスリング・ノアは、全日本プロレス、ジャイアント馬場さんからジャンボ鶴田さん、三沢光晴さんをリーダーとする四天王の流れを汲むプロレスです。その歴史を紐解けば、そこにはマイクワークは存在すらしないわけです。馬場さんは試合後にマイクで誰かを挑発したことはないし、ジャンボさんもマイクをつかんで対戦相手やタイトルマッチの次期挑戦者をなじったりしたことはないんです。基本的な所作に違いがあるんです
――天龍さんは「何も話すことはない」が代名詞だったときありますね。
フミ 天龍さんの場合は控室に戻ってからボソボソとしゃべって、その言葉を番記者が拾って、それこそ阿吽の呼吸で記事にするというお作法もあることはありました。むしろ天龍さんよりもさらに一世代若い四天王世代はコメントさえあまり出さない。マイクワークは一切やらずに四天王プロレスが成り立ってきた歴史もあるわけです。流儀のちがいとか哲学のちがいとか言っちゃうと、ちょっと大げさかもしれないけれど、馬場イズムを受け継いでいるプロレスリング・ノアと、アントニオ猪木の流儀を受け継いでいる現在進行形の新日本プロレス。今回の対抗戦は、このまったく異なるプロレス哲学、プロレス道がぶつり合ったという実感はすごくありました。その部分を、言葉がなければお客さんには伝わらないという結論づけでは、中立的な分析、価値観の比較にはならない。新日本のスタイルを基準にして見ちゃうとノアの選手たちが無言で帰っていったのは理解しにくかったのかもしれないけれど、ノーコメントはプロとしておかしいというような論点だったり、またはなぜコメントをしなかったのかという点を追跡取材もせずにコラムに書いてしまったのは、ファンの感想文と同じだということでネット上で一気に炎上したのでしょう。
――スポーツ紙とか新聞系の人にありがちなのは「コメントしないとは何事だ」っていう姿勢があるんです。マスコミの存在を否定されたように受け取っちゃうんですよ。
フミ でも、試合後に選手が必ずコメントを出すという不文律はないですよ。それがプロレスの試合の一部分だという大前提なんてないですよ。ここ10年ほどの新日本のやり方をすべてのプロレスの基本形として捉えている人たちにとっては、マイクもプロレスのひとつのパーツだと思いがちなのかもしれないけれど、実際はそうではない。そもそも、マイクワークやコメントがなかったらプロレスが成立しないとなったら、プロレスというジャンルには「言葉の壁」があることになってしまいます。
――あと最近のネットの風潮でいうと、なんでも説明がないと納得がしない人が増えてんだろうなって。行間を読むことを放棄してるという。
フミ それはもうプロレスを観るスタート地点にさえ立っていないのではないか。そう感じます。プロレスというスポーツエンテーテインメントは観る側のイマジネーションがすごく大切なのです。イマジネーションを膨らませる、どうしてだろう、なぜだろう?とあれこれ考える感性の作業を放棄している思考停止状態がコメント主義なんです。最近プロレスを観はじめたビギナーならわかりますけど、選手たちのコメントからいま見た試合の意味を知ろうなんて、どうなんですか。プロレスはプロレスラーが言葉でもって提示するものではないでしょう
。
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コメント
コメントを書くプロレスラーは試合後に必ずコメントしなければならないとは思っていませんが、プロレスファンはノーコメントに不満を持ってはいけないとも思いません。
色んな見方があって良いですよね。報知の記者もフミさんも、どっちの考えも良いと思います。ただ、これはこの記事の編集技量の問題かもですが、フミさんが新規ファンにマウント取る、押し付けるような言い方になってるのはどうかと。長く見てると別の見方もあるよくらい良いんじゃないですかね