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少年Aの「絶歌」なんて読む気にならない。
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少年Aの「絶歌」なんて読む気にならない。

2015-07-02 12:00

    『絶歌』(太田出版)。

    問題の書だ。

    産経新聞の「週刊誌ウォッチング」にも書いたが、ぼくはこの本、どうしても読む気になれない。

    この本から漂ってくる瘴気のようなものがどうしても嫌なのだ。読みたくないのだ。


    表現の自由と言う。出版の自由と言う。

    連続ピストル射殺魔の永山則夫、パリ人肉事件の佐川一政、連続少女殺害事件の宮崎勤、

    英国人女性殺害の市橋達也、秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大……。

    彼らだって本を出したではないか。


    彼らにも表現の自由はある、と主張する人たちがいる。禁止することはできない、と。

    たしかに、作家というものはどんなハレンチなことでも、自らの恥でも殺人でも書くことは

    許される。それが作品として優れたものであれば、という考え方もある。


    しかし、だ。

    永山則夫も佐川一政も宮崎勤も、みんな実名をさらして書いている。

    ところが、この「元少年A」は、既に事件から18年、32歳にもなっているのに、

    相変わらず「元少年A」なのだ。


    そして被害者だけは実名で書く。

    父親が「改めて二次被害を被る結果になり、精神的苦痛ははなはだしい」と語っているが、

    そのとおりだろう。


    最初にこの「元少年A」の相談に乗ったという幻冬舎の見城徹社長も、『週刊文春』の

    インタビューで「手記の出版には三つのクリアすべきハードルがある」と言っている。


    1、本当の贖罪意識。

    2、実名で書くこと。

    3、許可は難しいだろうが、事前に遺族に挨拶すること。


    そして結局、見城さんは自分の社ではこの本を出版しなかった。さすがの見識と言うべきだ。

    少年Aがこんな本を書いて出版したこと自体が、まだ更生してない証拠だろう。


    余談だが、『週刊文春』の編集長をしていた時、「デーブ・スペクターのTOKYO裁判」という

    連続対談に佐川一政氏に出てもらったことがある。

    猟奇事件の当事者が詳細を語るのだからそれなりに面白かった。

    極端に小さな人で、やや病的な感じがした。


    すると、それから時々、佐川氏から電話がかかってくるようになった。

    生活が苦しいことを訴え、「原稿を書いたので、読んでほしい。掲載してほしい」

    というのだ。

    それなりに小説にはなっていたけれど、とても掲載する気にはならなかった。

    いつしか、連絡も途絶えてしまったが、今頃、どうしているのだろうか。


    話を『絶歌』に戻す。

    編集部でいちばんの読書家梶原麻衣子は早速読んだという。

    「猫を殺すところなんて、ハナダさん絶対読めませんよ」

    で彼女の感想。


    「自分がこれから生きていくために書いたという割には肝心なことを書いていない。

    昔のまま止まっている感じ。弁解と繰り返しが多い。

    特に事件当時のことは思春期特有のハナにつく文章で、自らが映画の主人公にでもなったみたい。

    親へのメッセージも多い。そんなことは親に直接言えばいいようなことまで書いている」


    『絶歌』、やはり、読む気になれない。



    花田紀凱


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