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マンガのはじまり:その33(1,800字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 17ヶ月前
マンガとはなんだろうか?元々日本には江戸時代から豊かな出版文化、そして絵画文化があった。浮世絵が人気で北斎が「北斎漫画」を描き、かなり受けたので巻を重ねた。そうして「漫画」という言葉は江戸時代、すでにそれなりに根づいていた。「漫画」はもともと「そぞろに描いた絵」という意味で、つまりはスケッチ集の...
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マンガのはじまり:その32(1,689字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 17ヶ月前
近藤日出造は、読売新聞に連載された政治風刺漫画が人気を博し、見事に復活する。特に、自分が支持する吉田茂が首相になってからは厭世観も抜け、しばらく安泰に過ごしていた。しかしながら、そんな近藤に新たな不安の種が宿る。それは手塚治虫が登場し、新しい漫画をヒットさせたことだ。特に、赤本をヒットさせたこと...
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マンガのはじまり:その31(1,673字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 18ヶ月前
近藤日出造は、戦争直後に郷里上田に無事帰還し、しばらくは平穏に暮らしていた。しかし何もすることがないのと出身地であるにもかかわらず田舎の暮らしに馴染めなかったので、数ヶ月後に菅生定祥に手紙を書き、東京に戻ってもいいかと打診した。すると、なんと菅生はすでに「漫画」誌を細々とながらも再開しており、す...
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マンガのはじまり:その30(1,689字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 18ヶ月前
1944年11月、空襲で「漫画」誌のオーナーである管生定祥の家が焼け、家族が皆死んでしまうという悲劇があった。これを機に「漫画」誌は休刊になる。さらに、翌1945年3月、今度は漫画家仲間たちが合宿していた借家も空襲で焼けてしまう。そうなると、近藤日出造にもすることがなくなり、すでに家族を疎開させていた自分の...
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マンガのはじまり:その29(1,937字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 18ヶ月前
近藤の漫画家人生は、皮肉なことに戦争中がピークであった。しかも彼は、戦時中だからこそ、その生来の能力を十全に発揮することもできた。彼は戦時下に向いていたのだ。困難な時代をたくましく生きることに長けていたのである。その点、他の漫画家とは大きく違った。ただ、戦争は日本そのものを沈潜させた。そのため、...
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マンガのはじまり:その28(1,696字)
コメ1 ハックルベリーに会いに行く 18ヶ月前
近藤日出造は、1932年に新漫画派集団を作って波に乗り、1933年から読売新聞の嘱託となって売れ始めた。しかしこの頃から段々と戦争の影が忍び寄る。近藤は政治家や役人が嫌いだったから、なるべく距離を取ろうとしていた。戦争に対しても、なるべく中立な立場を取ろうとしていた。ただ、持ち前の風刺精神、ナンセンス精...
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マンガのはじまり:その27(1,660字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 18ヶ月前
近藤日出造は、知れば知るほど複雑な人物である。「多面性」というより、多面的な「二面性」があって、なかなかとらえきれない。頑固に見えて柔軟である。頭が良いことは確かだが、ふとしたところで抜けている。逞しいようで存外にもろい。近藤と横山、それに杉浦を中心とした新漫画派集団は、結成後に「ナンセンス漫画...
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マンガのはじまり:その26(1,940字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 19ヶ月前
新漫画派集団は近藤日出造と横山隆一がツートップだった。近藤が政治的なリーダーシップを発揮すれば、横山は人気と実力でグループを牽引した。この2人の間を杉浦幸雄が取り持った。杉浦は都会育ちの垢抜けた人間で、ともに地方出身で頑固な近藤と横山の両者と相性が良かった。この3人が上手く関係を構築したからこそ、...
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マンガのはじまり:その25(1,893字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 19ヶ月前
1929年、一平塾に杉浦幸雄が参加する。杉浦は後に、独特のお色気描写が特徴の「風俗漫画」で名をなす。なんと90歳を超えるまで雑誌連載を持つなど、生涯を現役として過ごした。杉浦は、1911年の生まれで2004年に91歳で亡くなっている。近藤は1908年の生まれなので年は近藤の方が3つ上なのだが、2人は馬が合って親友にな...
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マンガのはじまり:その24(1,610字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 19ヶ月前
近藤日出造は1908年生まれ。1876年生まれの北澤楽天より32歳下。1886年生まれの岡本一平よりも22歳下である。一平の息子の岡本太郎が1911年生まれなので、3つ上。つまり近藤は、一平の息子のような年齢だった。長野県北部の生まれで、実家は衣料や雑貨を扱う商店。6人兄弟の次男だった。小学校卒業後、東京に働きに出る...
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マンガのはじまり:その23(1,776字)
コメ1 ハックルベリーに会いに行く 19ヶ月前
近藤日出造というマンガ家がいた。今ではほとんど知る人のない存在だが、面白いことにこの人が、岡本一平を代表とする「戦前マンガ」と、手塚治虫を代表とする「戦後マンガ」をつなぐ、マンガ史上のマスターピースだ。現在、多くの人がマンガを「手塚治虫が始めた」と思っている。それまで北澤楽天や岡本一平が営々と築...
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マンガのはじまり:その22(1,473字)
コメ2 ハックルベリーに会いに行く 20ヶ月前
一平がヨーロッパに移住したのは1929年(昭和4年)。そこから2年ほど在留し、1932年に帰国する。その後、1936年に朝日新聞社を退き、仏教の研究に打ち込んだり、和歌や戯曲を書いたりするようになった。この頃、かの子も川端康成の指導を仰ぎながら文学の道に突き進む。二人して芸術と格闘する時代に突入するのだ。二人...
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マンガのはじまり:その21(1,741字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 20ヶ月前
岡本一平は1929年5月(昭和4年)、『一平全集』を刊行する。これが予約だけで5万部も売れるほどの大ヒット。おかげで一挙にお金持ちになり、生活は一変する。一平43歳のときであった。このすぐ後の同年12月にフランスに移住し、そこから約3年近く、ヨーロッパを周遊するのだ。しかもこのとき、一平は家族も連れていく。...
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マンガのはじまり:その20(1,721字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 20ヶ月前
岡本一平は、朝日新聞で漫画記者を始めた頃はやはり美術学校出なだけあって。きっちり整った絵を描いていた。しかし性格もあってか、次第に簡素化、簡略化されていった。もっというと「イイカゲン」になっていった。ただしそれは、文字通りの「良い加減」でもあった。マンガにとっては余計な情報がそぎ落とされ、多くの...
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マンガのはじまり:その19(1,551字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 20ヶ月前
岡本一平は1912年(大正元年)にデビューすると、すぐに人気を博す。1914年(大正3年)には早くも初の単行本となる『探訪画趣』を出し、序文を漱石に書いてもらったこともあって、ヒットを記録する。一平は1886年生まれだから、単行本を出したときは28歳だ。すでに妻子もおり、脂が乗っていた。以降は次々と単行本を出し...
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マンガのはじまり:その18(1,692字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 21ヶ月前
岡本一平は、今ではほとんど知る人がいない。しかし北澤楽天の後を継いで一大ムーブメントを生み出した、大正・昭和の大マンガ家である。マンガ史上のマスターピースだ。そこでここでは、まずは岡本一平の生涯を簡単に概観してみたい。岡本一平は1886年(明治19年)に、北海道函館で岡本家の長男として生まれる。北澤楽...
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マンガのはじまり:その17(1,684字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 21ヶ月前
『ノンキナトウサン』は1926年(大正15年)、作者の麻生豊がヨーロッパを歴訪するため、一旦連載終了になる。――と、資料にはあるが、本当のところは執筆に行き詰まったからだろう。アイデアが枯れたのだ。そのことは、誰よりも作者の麻生豊が分かっていたはずだ。麻生豊は1898年(明治31年)の生まれだ。だから、このと...
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マンガのはじまり:その16(1,673字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 21ヶ月前
『ノンキナトウサン』は、大正末期の関東大震災などに端を発する「不況」という世相にぴったりハマって、大ヒットとなった。それ以前の大正前半は、第一次世界大戦がもたらした輸出の拡大によって、維新以来の好況に沸いていた。そのいわば「大正バブル」の中でさまざまな文化が花開いた。それは後に「大正元禄」と呼ば...
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マンガのはじまり:その15(1,588字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 21ヶ月前
北澤楽天が活躍したのは、25歳だった1901年(明治30年)から、55歳になった1930年(昭和5年)くらいまでの30年間だ。つまり明治末期から大正全部、そして昭和初期である。こうしてみると、やはり「昭和不況」が、楽天のマンガ家人生にもとどめを刺したのだろう。ここは時代の大きな転換点で、50代の楽天はさすがに乗り越...
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マンガのはじまり:その14(1,888字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 22ヶ月前
宮武外骨という人がいる。1867年(慶応3年)に香川県で生まれ、明治14年(1881年)、14歳のときに上京する。その後ジャーナリストを志し、新聞や雑誌を発行するようになる。反骨精神に富んだ彼は、しきりに明治政府を批判した。特に1889年(明治22年)、22歳のとき、主宰する「頓知協会雑誌」という雑誌で、大日本帝国憲...
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マンガのはじまり:その13(1,553字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 22ヶ月前
北澤楽天も若い頃はそれなりに反骨精神があり、風刺精神も持ち合わせていたが、中立の立場を貫く時事新報に長くいたことで、その牙は徐々に失われていく。そうしてやがて、社会の中の「おかしみ」に目を向け、それをふざけ半分に茶化していくことに自分の生きる道を見出していった。当時はそれが求められていたというこ...
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マンガのはじまり:その12(2,256字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 22ヶ月前
ここで、あらためて「明治の北澤楽天」について見ていきたい。北澤楽天は明治9年(1876年)の生まれだ。進取の気性で若い頃から横浜に出入りし、外国人向けの新聞社」ボックス・オブ・キュリオス」で挿絵画家の職を得た。彼は、海外の文化に強い興味があった。新しもの好きの若者だったのだ。そこで、先輩の風刺画家でオ...
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マンガのはじまり:その11(1,703字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 22ヶ月前
北澤楽天は1902年から時事新報に「時事漫画」の連載を始めた。楽天26歳の年である。前にも書いた通り、これの形式はアメリカ由来の「コミック・ストリップ」だった。おかげで以降、コミック・ストリップのスタイルが「漫画」と呼ばれるようになる。こうしてみると、漫画の源流にはアメリカという国もあったことになる。...
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マンガのはじまり:その10(2,135字)
コメ3 ハックルベリーに会いに行く 23ヶ月前
18世紀のイギリスで、ウィリアム・ホーガスが政治家や上流階級を風刺した絵を描いて人気になる。ただ、ホーガスは誇張した絵(カリカチュア)を描かなかった。ところがホーガスの死後、カリカチュアを描く画家が多数現れる。カリカチュアの方が描くのは簡単で、また需要も高かったからだ。そうしてカリカチュアの技法と...
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マンガのはじまり:その9(1,703字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 23ヶ月前
江戸が終わって明治になると、世の中は再び窮屈になった。今度は「政府」が、幕府に代わって人々を同調圧力で縛り始めたからだ。そのとき、まるで救世主のように、日本に2人の「ふざける男」が現れた。渋沢栄一と福澤諭吉である。2人はともに、「明治政府」の要人だった。そのため、2人とも公職に就くよう政府から請われ...
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マンガのはじまり:その8(1,334字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 23ヶ月前
欧米では、産業革命に伴って新聞も発展した。それまで上流階級向けだったのが一般向けになった。新聞が大衆化された。大衆化されると、中心的な読者はいわゆる「労働者階級」になった。そして、この頃の労働者には、常に資本家や政治家に対する不平や不満があった。だから、その憂さを晴らす必要があった。ガス抜きが必...
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マンガのはじまり:その7(1,931字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 23ヶ月前
日本には古くから「諧謔精神」があった。ふざけることで、お上の追求を巧妙に逃れながらも、これを手厳しく糾弾していた。これが、日本社会における同調圧力のガス抜きの役割を果たしていた。ただ、諧謔をするには高度な技術が必要なので、誰にでもできるというものではなかった。そこで、古くから「ふざけ」を指南する...
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マンガのはじまり:その6(1,666字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 24ヶ月前
諧謔――という言葉がある。意味は「こっけいみのある気のきいた言葉。しゃれや冗談。ユーモア」というものだ。ただ、ここにはないが、ぼくには「ふざけ」という意味も込められていると思う。中でも、大人っぽい、しかつめらしいふざけが「諧謔」だ。江戸時代、諧謔を表現する方法の一つに「狂歌」があった。狂歌で有名な...
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マンガのはじまり:その5(1,836字)
コメ4 ハックルベリーに会いに行く 24ヶ月前
マンガの始祖というと、やはり「戯画」ということになるだろう。そして戯画といえば、最も有名なのが「鳥獣戯画」である。これは、12世紀から13世紀にかけて、複数の手によって描かれた。一般には「鳥羽僧正」の作とされるが、必ずしも彼だけが描いたわけではない。鳥獣戯画は「烏滸絵」の代表といわれている。「烏滸」...
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マンガのはじまり:その4(1,694字)
コメ1 ハックルベリーに会いに行く 24ヶ月前
日本社会は同調圧力が強い。それは人口密度が高いからだ。昔から、狭い村落に寄り固まって生きる必要があった。農作物が豊かな割に、耕作地が狭いためである。そのため、一人でも和を乱す者がいると、村落全体の存続が危ぶまれた。だから、異端児は排除する必要があった。出る杭を打つ必要があった。そこで、同調圧力を...
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マンガのはじまり:その3(1,911字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 24ヶ月前
※「です・ます」調では調子が出ないので、今回から「だ・である」調にします。そもそもマンガはなぜ生まれたのか? その根底には、日本特有の「諧謔精神」がある。では、「諧謔」とは何か? 辞書では「気の利いた冗談やユーモア」と書かれている。ただ、それは単なる冗談やユーモアではない。根底には、権威や常識を混...
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マンガのはじまり:その2(1,434字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 25ヶ月前
そんな世界的存在となった浮世絵の中で、取り分け人気を博したのが葛飾北斎と歌川広重でした。特に北斎の場合は、浮世絵と同時に『北斎漫画』も大流行し、これはヨーロッパ中の挿絵画家たちに多大な影響を与えます。 というのも、北斎が『北斎漫画』で展開した軽妙で洒脱な筆致は、当時ヨーロッパで広まり始めていた...
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マンガのはじまり:その1(2,023字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 25ヶ月前
(突然ですが、今週から新しい月曜日の連載を始めます。それは「マンガの歴史がはじまったときの物語」です。今は木曜日に「昭和のマンガ」について連載をしていますが、一方でその最初期のできごとを一度整理したいと思ったので、ここに別に書かせていただきます)「マンガのはじまり」は、とても印象的です。もともと...