結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2016年6月21日 Vol.221
はじめに
おはようございます。
いつも結城メルマガをご愛読ありがとうございます。
急に暑くなって「すっかり夏気分」になりましたよ。 先日は、今年初めてクーラーを入れました。
暑くなると薄着になります。 ところがカフェなどでは非常に強くクーラーが掛かっていて、 逆に寒すぎることも多いですね。 お店の中では、むしろ春先よりも厚着になったり。 調整はなかなかむずかしいものです。
あなたのところはクーラーを入れましたか。
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最近のお仕事の話。
結城メルマガやWeb連載の他に、 最近気に掛けている仕事が大きく四つあります。 一つ目はもちろん『数学ガール6』の執筆。 二つ目は秋に刊行する『数学ガールの秘密ノート/やさしい統計』の執筆。 三つ目は来月に予定している講演会の準備。 そして四つ目は先日入ったお仕事で、コラム記事の執筆です。
今回のコラム記事はお世話になった先生からのご指名で、 たいへん光栄なことなので、喜んでお引き受けしました。 今月いっぱいくらいをめどにまとめる予定です。 どんなことを書かせてもらおうかな……
コラム記事や書評などのお仕事依頼をよくいただくのですが、 特別な事情がないかぎり、お断りすることが多いです。 文章そのものは短くとも、 そこに掛かる労力は長い文章を書くときとあまり変わらないからです。 また、文章が短い場合、〆切までの時間が短いことも多く、 私のキャパシティを越えてしまう場合が多々あるからでもあります。
仕事の分量を適切にするのは、 私にとって、とても難しい課題です。
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打ち上げの話。
先週、四月に刊行された『数学ガールの秘密ノート/場合の数』 の打ち上げを編集長と二人で行っていました。 少し遅くなったのは、 打ち上げを予定したときに私の体調が良くなかったためです。
打ち上げと称していますが、その実態は、 「『数学ガール6』をがんばって書いてくださいね」 という編集長からのプレッシャーの場でもありました(苦笑)。
プレッシャーかどうかはさておき、 編集長からはいつも大きなはげましをいただいています。 「本を書く機会」が与えられていることはたいへん感謝なことですから、 がんばって書き進めたいと思います。
『数学ガール6』の執筆状況については、 また後ほど書きましょう。
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「何の役に立つか」という話。
あるとき、道を歩いていたら急にこんな会話が降ってきました。 降ってきたといっても、まわりにいる人が実際にこういう会話をしたわけではなく、 私の頭の中に降ってきたのですが。
「三角形の面積を求めることが、
僕の人生にどんな役に立つというのですか」
「簡単なルールを与えられたときに、
それを具体例に適用することは、
誰の人生にも役に立つと思うよ」
「三角形の面積の話と、そのルールの話と、
何か関係がありますか?」
「具体例を見たときに、
そこに隠れているルールを見つけることも、
人生では大切かもしれないね」
「そんなにややこしくて抽象的なこと、
僕にはできませんよ」
「うん。だから、具体的な三角形の面積で、
それを学んでるんだ」
……というここまでの一連の対話が降ってきて、 私はそれにじっと耳をすませていました。
この対話に対して「なるほど」と思う気持ちと、 「そうかな?」と思う気持ちと、両方が働きます。
この対話で語られているのは「三角形の面積を求めること」を、 思考の訓練として見なす態度のようです。 それはそれで一理あるのですが、 「三角形の面積を求めること」 はそれだけでも楽しいことなんじゃないかな、 と私は思ってしまいます。
何かの知識や何かの技能が「何に役立つか」という発想も大事だけれど、 それ自体が「おもしろい」かどうかという基準も大事なんじゃないかな。
「学ぶことは何の役に立つんですか?」 という問いかけに、パッと答えるのは難しい。
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仕事のありかたの話。
何年か前、ある年配の方から、
「結城さんは好きな仕事ができていいですね」
と言われたことがあります。特に皮肉ではなく、 軽く「うらやましいな」という気持ちを込めた言葉でした。 別れてからずっと、そのときの対話を反芻しています。
ちなみに結城はよくそういうことがあります。 ひとつの対話を何年も何十年も繰り返し思い出し、 「あれはどんな意味があったんだろう」と振り返る。
「好きな仕事ができていいですね」と言ったその年配の方も、 傍目には立派な仕事をなしており、 第三者から見たらうらやましいと言われるような方です。
でもその人に言わせると、 やってきた会社の仕事というのはあくまでも、 生活のための仕事であったというのです。
プライベートと仕事というものを切り分けて考え、 プライベートはプライベート、 仕事は仕事として長年過ごしてきた。 でも定年が近くなってくると、 大きな空洞のようなものが心にある感じがする、と。
つまり(ここからは必ずしもその方の言葉ではなく、 結城の解釈も含まれるのですが)、 自分が「仕事」に振り向けてきた時間は、 いったいどこに消えてしまったのか。
毎年、会社の中で仕事に追われて、 「これが大事だ」「こここそが正念場だ」 と思ってがんばってきたけれど、 いま振り返ってみると、本当にそうだったのだろうか。
……その方の主張の根幹にあるのは、 そういう思いでした。
結城は対話を何度も振り返り、 そこに語られた言葉の意味を考えています。
私自身は確かにずっと好きな仕事をしていますが、 でも、それほど単純に「好きな仕事でよかった」と、 自分の仕事を評価することはできません。 確かに好きな仕事ができるのは感謝なのですが、 なかなかそう一言でまとめられない重みがあるといいましょうか……
結城はもともと不器用で、 たくさんのことをいっぺんにはできないから、 同じことをずっと続けてきただけかもしれません。
目標を立ててヴィジョンを描き、 それへ向けて計画を立てて進むというのも苦手です。 だからその都度、 自分にできるささやかなことだけに力を注いできたとは言えます。
三十代後半から少しずつ楽になり始め、 年を経るごとに、「これしかできないし、 これでいいし、これでいいのだ」と思う気持ちが強くなりました。
「これが私なのだ」
という開き直りに近いのかもしれませんね。
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アプリの起動の話。
仕事はしたくないけれど、何かしたいときには、 環境改善するのが一番です。
結城はMacを使っていますが、 そこで使うアプリは数が限られています。
・iTerm2
・Evernote
・Safari
・メール
・Twitter
頻繁に使うものはそんなところです。 ですから、これらのアプリをパッと起動できるかどうかというのは、 作業環境で重要なポイントになります。
これまで結城はQuickSilverというアプリを使い、 「キーボードショートカット」を登録していました。
iTerm2なら Control + Command + ; (セミコロン)
Evernoteなら Control + Command + O
Safariなら Control + Command + N
メールなら Control + Command + E
Twitterなら Control + Command + T
どうしてSafariを起動するのに Control + Command + N なのかというと、 それはもう歴史的事情というしかありません。 なにしろ、N は Netscape(いまとなっては古代のブラウザ) の Nですから!
ところでQuickSilverというのは高機能なユーティリティですが、 高機能過ぎて、設定が非常に面倒になっています。 そこで、この機会に別のユーティリティを使うことにしました。
検索してみると、Automatorでワークフローを作れば、 簡単にショートカットが作れそうです。 以下の記事を参考にしました。
◆[Mac] 特定のアプリケーションをショートカット一発でアクティブにする方法
http://blog.odoruinu.net/2015/03/26/mac-how-to-launch-app-with-shortcut-key/
簡単にいえば、
・Automatorというソフトで「Evernoteを起動」のようなサービスを作る。
・そのサービスに対して、システム環境設定でショートカットキーを割り当てる。
という二段階を踏めばよさそうです。 スクリーンショットを撮ると、以下のようになります。
◆システム環境設定でショートカットキーを割り当てる(スクリーンショット)
ちなみに、ショートカットキーを作るまでもない使用頻度のアプリは、 Spotlightを使って起動しています。 先頭数文字で見つけてくれるので重宝しています。
自分がよく使うアプリがさっと起動できると、 たいへん気分良く毎日の作業ができるのでいいですね。
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「支配」の話。
私は最近「支配」についてよく考えます。
それはおそらくドラマ「重版出来!」に出てきた新人漫画家、 中田伯に影響されているのかもしれません。
◆ドラマ「重版出来!」
http://www.tbs.co.jp/juhan-shuttai/
ドラマの中で中田伯は母親に虐待されていたという設定で、 自分にあれこれ世話を焼く女性に対して「自分を支配するな!」 と叫びます。
何が「支配」であり、何が「世話を焼くこと」なのか、 その区別は必ずしも明確ではないでしょうけれど、 親が子供を世話することは、場合によっては支配といえます。
「これは支配ではないか?」という目で見ると、 世の中にはたくさんの「支配」が見つかります。 必ずしも親子関係に限りません。
他人を支配したい。状況を支配したい。 自分の能力や感情や行動や環境や人間関係を支配したい。 いじめや自己嫌悪や不安や妬みや執拗な攻撃やストーカー。 それらはすべて「何かを支配したい気持ち」と表現できないでしょうか。
もちろん「支配」がすべて悪いというわけではありません。 「支配」というとピンとこない人でも、 「コントロール」と考えるとわかりやすいかも。
「何か」を「コントロール」したいという気持ちは、 健全な場合もあるし、必要な場合もあるけれど、 それが度を超してしまうと、恐ろしいことになりそうです。
「支配」が健全かどうかの境目というのは、 「度を越すかどうか」あるいは「適切な範囲を越えるかどうか」 にあるのかもしれません。「分をわきまえているかどうか」といえるかも。
結城がときどき書く「生活を改善する話」でも、 環境を自分がコントロールできているかという感覚が大事と書きました。
環境に自分が振り回されているというのは、 環境に自分が「支配」されている状態で、 それはすごく心の健康に良くない。
どんな小さなことでもいいから、 環境を自分のコントロール下におくことができれば、 「うん、自分はなんとかやっていけそうだ」 という感覚を手に入れられるように思います。
支配されている感覚と、支配している感覚。 その視点で自分の生活を見直すと、新たな発見がありそうです。
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機械の役割の話。
以下の記事を読みました。
◆新井紀子教授が予見!ロボットで失業するのは「銀行の窓口」より「半沢直樹」
http://www.sbbit.jp/article/cont1/32252
なるほどと思ったのは以下の部分です。
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どんな分野なら
ロボットは人間よりも高い精度で処理できるのかを
非常に細かく見ることができる。
そうすれば2030年に、
どんな職業がロボットに代替されて、
どんな職業が人間に残るのかを正確に予測できる。
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「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトは、 ロボットが東大に入れるかどうかが大事なのではありません。 その研究プロセスの中で、どのような知的活動がロボットで代替しやすく、 どのような知的活動が代替しにくいかが明確になる点が大事なのですね。
ここでは、試験するものとされるものが巧妙に逆転しています。 通常の試験は、試験問題によって人間の能力の識別を行うためのものです。 しかし「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトでは (もちろんロボットの能力も調べているわけですが)、 振る舞いがよくわかっているロボットを試金石にして、 試験問題や知的活動の識別を行っているといえるでしょう。
テスターで電池の電圧を測定することと、 すでに電圧がわかっている電池でテスターの能力を測定することにも似ています。
知的能力のリファレンスとしての人工知能ですね。
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Ulyssesの話。
以下の記事を読みました。
◆ライティング環境「Ulysses」で仕事がはかどるようになった
http://cyblog.jp/modules/weblogs/23422
文章を書くアプリケーションUlysses(ユリシーズと読むのかな?) の記事です。 Ulyssesについては名前をちらちらと聞いてはいたのですが、 ちょっとお高かったので試したことがありませんでした。
でも上の記事にあった「HDDに直接書き込んでいる感覚」 という表現がおもしろかったので、それを味わいたくて購入してみました。
確かに「HDDに直接書き込んでいる感覚」というのはわかります。 いちいちファイル名を指定せずに「いきなり」書き始められることや、 すでにフォルダに存在しているファイルについても、 「その場で」編集できることから、そのように感じるのでしょう。
Markdownで文章を書いている人、 複数のファイルを渡り歩いて書いている人、 いろんなアイディアを書いたりまとめたりする人には、 なかなか良さそうな感じをうけました。
私自身は少し使ってみましたが、 常時使うツールになるかどうかは微妙なところでした。 むしろUlyssesを使っているうちに、 別のツールSimplenoteを頻繁に使うようになりました。
Simplenoteについてはまたいつか。
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では、今週の結城メルマガを始めましょう。
どうぞ、ごゆっくりお読みください!
目次
- はじめに
- 『数学ガール6』を書きながら - 本を書く心がけ
- 子供の学習予定表 - 教えるときの心がけ
- 意識的に仕事をする意味 - 仕事の心がけ
- おわりに
この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。