80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマはプロレス格闘技界運命の1991年です!
■エンド・オブ・デケイド――プロレス界の2010年代
■新日本プロレスの“ケニー・オメガ入国妨害事件”という陰謀論
■WWEvsAEW「水曜日テレビ戦争」の見方
■WWEペイジの伝記的映画『ファイティング・ファミリー』
■AEWチャンピオンベルト盗難事件
■「ミスター・プロレス」ハーリー・レイスの偉大さを知ろう
■ウルティモ・ドラゴンの偉大なる功績を再検証する
■ネット社会に出現したニュータイプAEW、その可能性
■都市伝説的試合映像ブレット・ハートvsトム・マギー、ついに発掘される
■レッスルマニアウィーク現地取材レポート
■平成という「アントニオ猪木が去った時代」
■アメリカの新団体AEWは脅威になりえるか
■それでもケニー・オメガは新日本プロレスに残るか
■【追悼・爆弾小僧】すべてはダイナマイト・キッドから始まった
■“怪物脳”に覚醒したケニー・オメガ
■怪物デイブ・メルツァーと『レスリング・オブザーバー』
■新日本プロレスのMSG侵攻は「WWE一強独裁」に何をもたらすのか
■怪物ブロック・レスナーを通して見えてくる「プロレスの作り方」
■追悼・マサ斎藤さん……献杯はカクテル「SAITO」で
■皇帝戦士ビッグバン・ベイダーよ、永遠に
■ジャイアント馬場夫人と親友サンマルチノ、2人の死――
■ベルトに届かず…されど「世界に届いた中邑真輔」のレッスルマニアを語ろう
■ステファニー・マクマホン、幻想と現実の境界線がない生活
■ロンダ旋風、中邑&ASUKAダブル優勝!! ロイヤルランブル1万字総括
■アメリカンドリーム、ゴールダスト、コーディ……ローデス親子それぞれの物語
■ジェリコvsケニー実現で考える「アメリカから見たプロレスの国ニッポン」
■旭日双光章受賞!! 白覆面の魔王ザ・デストロイヤー
■みんなが愛した美人マネージャー、エリザベス!
■職業は世界チャンピオン! リック・フレアー!!
■怪死、自殺、大事故……呪われた鉄の爪エリック一家の悲劇
■ミスターTからメイウェザーまで! WWEをメジャー化させたセレブリティマッチ
■馬場、猪木から中邑真輔まで!「WWEと日本人プロレスラー」
■WWEの最高傑作ジ・アンダーテイカー、リングを去る
■『1984年のUWF』はサイテーの本!
■「現場監督」長州力と取材拒否
■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男
■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑
■ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのか
フミ 今回は1991年のプロレス界のお話をしたいと思います。1991年というと、いまからちょうど30年前のことになりますが、自分が20代30代の頃はそんな大昔のことなんて……って思いましたけど、歳を取ったオジサンになると、まるで昨日のことのようにおぼえているんですね。
――1991年はいろんな出来事があった年ですね。
フミ 1991年の歴史をおさらいしておくと、それからのプロレスのことが凄くよくわかるんです。まず1991年の1月に大事件が起きます。大ブームを巻き起こした新生UWFが活動期間3年足らずで活動停止。一致団結して新たに動き出すはずだった選手たちがバラバラになったのは1991年の1月でした。新生UWFには前田日明、髙田延彦、山崎一夫、藤原喜明らがいて、一番下の後輩として船木誠勝と鈴木みのるがいた。いま一生懸命プロレスの歴史を戻って勉強している人たちにとっては「そんな豪華なメンバーが揃っている団体があったんですか?」という驚きがあると思うんです。
――ひとつの団体にみんなが収まっているのがおかしいくらいのメンツですね。
フミ それぞれにその後の時代のキーパーソンになっていく人たちが新生UWFには集まっていたんです。その“第3次”UWFは前田日明の自宅で行なわれた会議で基本的構想がまとまらず、前田さんが突如解散宣言をしてしまった。前年90年12月1日長野の松本大会が結果的にUWFの最終興行になってしまいましたが、あのときは選手全員がリングに上がってバンザイ三唱をして記念撮影までしたのに、翌91年1月には謎の解散宣言をしてしまう。本当にショッキングな事件だったんですよ。
――新生UWFは選手と経営陣の対立から活動停止をして、いわゆる「第3次UWF」に向けて発進する……と思われた矢先の解散劇でしたね。
フミ そんなに大所帯でもなかったUWFが三派に分かれることも驚きでした。
――前田日明、髙田延彦、山崎一夫、宮戸優光、中野龍夫、安生洋二、船木誠勝、鈴木みのる、田村潔司、冨宅祐輔、垣原賢人の11人。ほかに新弟子も数人いましたが……。
――ロシアからも未知の強豪とも言えるアスリートたちが参加しましたね。
フミ ヴォルク・ハンをリーダーとしたロシア軍団。プロレスというジャンルがアメリカから来たものであるならば、リングスにはアメリカ人がほとんどいなかったし、MMAという言葉がなかった時代にそういう戦いをやろうとしていた。「総合格闘技」という言葉さえ定着していない時代。前田さんは最初は「フリーファイト」なんて呼んでましたね。ボクらの中のイメージとしては、前田さんは片足をプロレスにかけていて、もう片足は総合格闘技にかけてリングスを始めたんです。前田さんは数々の名コピーを生んでいくわけですよ。「ボクたちのやりたいことは残念ながらプロレスでありません」とか。
フミ 前田さんはひとりぼっちだったことが魅力的でした。つまりそれまでのプロレスを引きずるしがらみがないから、オランダ人vsロシア人の格闘家同士を戦わせることができる。K-1発足前の正道会館から参戦した佐竹雅昭と角田信朗の2人がプロ格闘家として空手着を脱いでデビューしたのもリングスでした。当時は佐竹さんがスーパースターになると思っていたのに、結果的にタレントとして有名になったのは角田さんのほうだったという予想できなかった流れもありました。
――リングスの世界はプロレスでありながら、それまでのプロレスの文脈にはない戦いでしたね。
フミ 言葉が通じない人たちをリングに上げて統一ルールで戦わせる。いまはジョージアと呼びますが、当時のグルジアからも選手がやってきたり、リトアニア、ウクライナなどボクたちがあまりよく知らない旧共産圏の国々からどんどん選手が集めてゴージャスな世界を作ったんです。 ボクら世代のプロレスファンからすれば、前田日明はヒーロー。あれこそが『空手バカ一代』的な世界観というか。そして U インターのほうは、前田さんがいた場合はナンバー2だった髙田延彦がナンバーワンとなって、Uインターにおいて髙田延彦の全盛期が始まります。Uインターは古典的なプロレスを目指したというか、 プロデューサー的立場だった宮戸優光が自分の子供の頃に憧れたアントニオ猪木の世界感に近いものを作っていきます。ビル・ロビンソンやダニー・ホッジさんを立会人として呼んだり、ルー・テーズさんが所有するベルトをもらって「プロレスリング世界ヘビー級選手権」というタイトルを作ったり。
フミ 藤原組はカール・ゴッチさんを最高顧問として迎え入れて、ゴッチさんのカラーを色濃くしていきます。ゴッチさんと関係の深いマレンコ道場から選手を呼んだり、日本の道場にはケン・シャムロックが長期滞在した。リングスとUインター、藤原組は同じUWFから派生した団体ながら、きっちり色分けできる世界になっていたんです。U系の分裂がなければパンクラスも生まれていないし、その後の世界の総合格闘技の流れも変わっていたかもしれない。
――業界関係者の立場からすると、UWFは分裂すると思いました?
フミ 当初は新生UWFのフロントと衝突した前田さんを中心として UWFの新団体を作るという流れでした。つまり法人が改められるということですよね。ところが前田さんの自宅で行なわれた選手全員参加のミーティングで突然解散となってしまった。その会議の場で何が起きたのかを探る研究本はたくさん出てますよね。
―― UWF最大のミステリーですよね。ただ、前田さんって最近の YouTube を見ればわかるように都市伝説や陰謀論が大好きじゃないですか。あの解散劇はじつは仕組まれたものだったという振り返る証言は、そういうものの見方だからなのかって妙に腑に落ちるんですが……当時はマスコミにどういう感じで情報が入ってきたのかなと。
フミ 「解散したらしい」という情報は入ってきました。でも、緘口令が敷かれていたわけじゃないんでしょうが、誰も真相はわからなかったんです。いまでも「これが真相だ」という話は出てくるんですけど、当時高田延彦さんは素の状態でハッとするコメントを残してるんです。「解散の理由はなんですか?っていろんなマスコミから必ず聞かれるんだけど、聞いた人にとっては、『えっ、そんなこと?』と聞こえてしまうくらいのものなのかもしれない。第三者からすれば些細なことかもしれないけど、当人たちにとっては譲れないところが譲れなくなったからそうなったんです」と。
――実際そうなんでしょうね。何か決定的な理由があったわけじゃなくて。
フミ 高田さんは正直な人だなあと思いました。たしかに選手同士が衝突したんでしょうけど、そのやり取りを文字に起こしたときに「これじゃ解散は仕方ない」と納得するような激しいやり取りがあったわけじゃなくて「そんな話なの?」ということだった。当時の髙田さんは「その経緯をきれいにお伝えする自信はない」とも言ってました。
――決定的な事情が見えずらいからこそ、いろいろと語られがちになるという。
フミ それぞれがそれぞれのポジションでのコメントしかできないですからね。会議を仕切った前田さんは反対者が1人でもいたら可決できない多数決をやったそうなんです。そうしたら反対者が出てしまった。そこで前田さんが「だったら解散」という大ナタを振るったということですね。
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コメント
コメントを書くすごく面白かったです。小佐野さんが語る1991年。柴田さんが語る1991年も読んでみたいです。
猪木さんが2回目の選挙にも当選していたら、また違った世界があったのかなぁとも思いました。
前田日明は選手内では人望がなかったけど、スポンサー等の外側には人望があったんだよね。
逆に宮戸は外を一切排除して、内だけで全てをコントロールしようとした。
(なので藤原組との合流を断ってメガネスーパーの介入も断ってUインターを立ち上げたり、鈴木健すら嫌がった)
違いと共通点が面白いですね。