-
1984年のためのチューニング4/画面(ロッキングオン58号 1980年)
1980-02-03 00:44━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
標題=1984年のためのチューニング4/画面
掲載媒体=ロッキングオン58号
発行会社=ロッキングオン社
執筆日=1980/02/03
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
画面
●TVの画面には、映っているものだけが映っているのではない。映しているものも映っている。北国の海辺が映っているとすると、北国の海辺を視ている、ある個人の視線も映っている。
●このことはダラダラしたTVの視方をしているとつい分らなくなってしまうので、時々、自分自身の視線をチューニングした方が良い。
●方法は簡単。まずカメラを用意して、TVの前に、固定し、ファインダーを覗きながらTVの画面を視る。最初は映ってる風景しか見えないが、そのうち、自分の視線がTVカメラマンの視線とダブる瞬間が見つかるはずだ。その瞬間を後は自覚的に追うように -
1984年のためのチューニング4/教育に対するぼくの発想(ロッキングオン58号 1980年)
1980-02-02 00:41━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
標題=1984年のためのチューニング4/教育に対するぼくの発想
掲載媒体=ロッキングオン58号
発行会社=ロッキングオン社
執筆日=1980/02/01
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
教育に対するぼくの発想
●教育というのは、ある個人的意識を量的に拡大していくためのシステムだ。個人が主観的に発見したものにすぎないものを、客観的な制度なり法則に、あらよとばかりに移しかえ、数多くの第三者に押しつけようとするものだ。それは語学教育だろうと、思想教育だろうとなんだろうと同じことだ。
●簡単にいうと、ぼくは「1+1=2」という数式を客観的な真理として教育することに反対である。「1+1=?」という問いを提出し、その解答なりをひとりひとりが「発見」するために、例えば「1+1=2」という考え方がある、と伝えるべき
1 / 1