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絶後のまばたき/ロッキングオン9号(1974年)
1974-01-15 22:43絶後のまばたき
ロッキングオン9号
1974年1月15日
いろんな人がいて、いろんな事を思っていて、それでも自分は 自分だ、と思う時、いやがおうにも思わざるを得ない時、人はどのようにして他者と対処していけば良いのか。対処、という言葉の嫌味と苦臭は、たぶん、すれ違わざるを得ない想いと想いの呼び起こした風の昏い溜息だ。他者の眼奥に映るあの不吉な殺意を、どのようにして私自身の眼から、ぬぐい去らす事が出来るのか。観客の居ない銀幕の上で私と他者は、単純に与えられた演技をこなしているのに過ぎないのか。
自分にシラけるのはまあそれで良い。他者にシラけるのも、まあそれで良い。しかし、自分と他者との間に存在する、越せば越せそうな、しかし決して越える事の出来ない河に対して、私たちは私たちの責任において何らかの感情も持ってはならない。関係の深みに下降して行こうと願う限り、私たちは関係性にだけはシラけてはなら -
ハンキードリイ/デビッド・ボウイ(ロッキングオン9号)
1974-01-15 00:03━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
標題=ハンキードリイ/デビッド・ボウイ
掲載媒体=ロッキングオン9号
発行会社=ロッキングオン社
執筆日=1974/01/15
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<私とは私の友人である>とボウイは日本に来て語ったそうである。僕にはボウイの言葉の真意が奈辺にあるのか分からないけど、ボウイという人間の孤独の輪郭に瞬間、触れたような気がした。今、ハリンキィー・ドリイを繰り返して聴いていると、その虚飾され磨かれた音の裏側で、決して、こちら側を見てはいないボウイの、うつむいた姿が浮かぶ。彼は決してレコードの外側に入る僕たちに語りかけているのではなく、私という私の友人に語りかけているのだ。
BメンはともかくAメンの透みきった緊張感は自縄自縛の美しさだ。それは例えば、小林秀雄が書いた<Xへの手紙>のXというのは
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