結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2017年8月15日 Vol.281
はじめに
おはようございます。結城浩です。
いつも結城メルマガをご愛読ありがとうございます。
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Kindleセールの話。
先週の火曜日まで実施されていた、 「SBクリエイティブ50%ポイント還元セール」 は無事に終了いたしました。
今回の50%ポイント還元はたいへん大規模なものでしたし、 多くの注目を集めたようです。 アクセス解析をしていたのですが、 ふだんの数十倍から百倍のオーダーのアクセスがありました。
アクセスが特に多かったのはセールの初日とセールの最終日。 グラフの両端が大きな山になるほどでした。興味深いですね。
結城の書籍もたくさんお買い上げいただき、 また応援もいただきました。Kindle数学書ランキングで、 1位から14位までを占めるほどの人気でした。感謝です!
Twitterでの反応も多かったですね。 「ふだんから数学ガールが気になっていたけれど、 買うほどではなかった。 でも今回のセールをきっかけに購入してみようと思った」 という方がけっこうな人数いたと感じています。 つまり、セールが購入の「後押し」になったということでしょう。
そう考えますと、 普段からの宣伝や書籍紹介がとても大事だということがわかりますね。 たとえ宣伝した直後に売れなくても、 セールなどのきっかけによって購入に結びつくからです。
ともあれ、応援ありがとうございます!
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Web連載の話。
cakes(ケイクス)でのWeb連載「数学ガールの秘密ノート」は、 新シーズン「関数を手がかりに」が始まっています。
◆第202回 最初に最後を考えて(後編)
https://bit.ly/girlnote202
第202回(第1章後編)は関数の定義が題材です。
結城が高校生のとき、数学の先生から、 関数の定義を暗記させられたのをいまでも覚えています。 上の記事に書いたものとほぼ同じで、 「二つの集合があって……」から始まる定義です。
何でこんなものを暗記するんだろう、 と当時は思いましたが、 いまにして思えばありがたい教え方だったと思っています。
といっても、 機械的に暗記させられたのが嬉しかったわけではありません。 そうではなくて、
暗記するに値するほど、
《関数の定義》は大事なんだな
と学べたことがありがたいのです。
ここにはやや微妙な問題が絡んできます。 数学と暗記の関係です。
何かを丸暗記するのはいいけれど、 その意味内容をまったく考えないとしたら、 その暗記は意味がありません(数学の場合)。
でも丸暗記を忌避するあまり、 すべてを考えようとするのもいささか的を外しています。
むしろ、いったん暗記してしまうことで、 いちいち本を見なくてもその数学的概念について考えることができる、 その点に目を向けたほうがいいように思います。
もちろん、意識的に「暗記しよう」なんて思うのではなく、 その数学的概念について考えているうちに自然と覚えてしまうのが、 理想といえば理想なのかもしれませんけれどね。
結城が思うのは「暗記だから悪」や、 逆に「考えるのは時間の無駄だから暗記せよ」 のような極論に走るのはよくないなあ、ということです。 極論や、前提条件をすっとばした断言は危険です。
断言した方が教えやすいという一面はあります。 でも、まあ、それは教師の側の都合ですね。 生徒の側としては、教師のいうことを素直に聞きつつも、 「それは違うのでは」 という点はスルーするくらいがちょうどいいのかもしれません。 こういう日和見的な考え方は人気がないのですけれど。
学習と暗記の関係はそれほど単純ではありません。
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自分の態度が自分の環境を決める話。
「人の良いところを見つけ出してほめる人」 のまわりには、 そういうことが好きな人が集まる。
「人の悪いところを見つけ出してけなす人」 のまわりには、 そういうことが好きな人が集まる。
自分のまわりを見渡して、 自分の環境がどうなっているかをチェックするのは大事かもしれません。 それはふだんの自分の態度をチェックすることにつながるからです。
世の中は○○だ!と呪詛する気持ちもわかるけれど、 もしもそれが自分のまわりだけだとしたら、 ちょっと恐い話です……
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過度の一般化の話。
数学では「すべて」と「存在する」の区別が大切な場面がよく出てきます。
実は、人を評価するときでも、 その区別は大切かもしれません。 つまりそれは、
「あの人はいつも〇〇だ」と、
「あの人は〇〇なときがある」
とを区別するという意味です。
人というものはパターンを見つける能力が高く、 自分が体験したことを重要視してしまい、 しかも記憶を持っています。ですから、
「あの人が〇〇した」
という場面を《数回》見ただけで、
「あの人はいつも〇〇する」
と考えてしまうことが多そうです。 《数回》が《いつも》に変化しちゃうのですね。
でも、その推論は本当に正しいのでしょうか。 もしかしたら、誤った一般化ではないでしょうか。
逆も考えられます。 自分がうっかり〇〇したとき、 他人から「この人はいつも〇〇だ」と思われてしまわないだろうか。 そのような心配をすることもあるでしょう。 人の目を気にして自分の身を正す、 というくらいならば結構ですけれど、 人の目を気にし過ぎて活動が萎縮することはないでしょうか。
社会のあり方や組織論のような大きな話ではありません。 自分個人のこととして考えるのは意味があります。 誰かに対して評価を下すとき、
「自分は何を根拠にその評価をしたんだろうか」
と改めて考えるのは大切です。
「判断の根拠となった事象のサンプル数は何個か」
と問うのもいいですね。
そういえば友人の一人に、 この問いが大好きな人がいたのを思い出しました。 「△△な人は○○なんだぜ」という話を耳にするたびに、
「その話、サンプル数いくつ?」
と問い返すのです。いまにしてみると、 あの問いは大事だったんだな、と思い返します。
サンプル数が少ないのがすべて悪というわけではありません。 個人的な体験は多くの場合、サンプル数は《1》ですし。 でもサンプル数を確かめないのは賢明ではないですね。
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ネギとオーダーの話。
先日、台所で細いネギを刻んでいました。 包丁を使って、ネギの端からトントントン……と。 わかりますよね。
家内はそんな私の包丁の使い方を見るに見かねて 「こうするのよ」と教えてくれました。
ネギを中央で半分に切り、 二つになった束を重ねる。 さらに中央で半分に切り、 二つになった束を重ねる。 それを繰り返していく。
あっという間に切り終わったのを見た結城は、 O(n)とO(log n)の違いに思いを馳せていました。
大ざっぱにいえば、 O(n)というのはデータサイズをnとしたとき、 十分大きなnに対して、たかだかnの定数倍以下の手間になるという意味です。 「端から順番にやっていく」という方針だとO(n)になることが多いですね。
それに対してO(log n)というのは、 たかだかlog nの定数倍以下の手間になるという意味です。 「二分割を繰り返していく」という方針だとO(log n)になることが多いでしょう。
結城の方法ですと、 ネギを端から1024個に等分割するためには、 1023回包丁を使う必要があります。 それに対して家内の方法では、 なんと、たった10回で1024個に等分割できるのです(!)
1→2→4→8→16→32→64→128→256→512→1024
このような「手間を見積もる」アイディアが、 アルゴリズム解析の根底にあります。 詳しくは以下の本をどうぞ!
◆『数学ガール/乱択アルゴリズム』
http://www.hyuki.com/girl/random.html
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それではそろそろ、 今回の結城メルマガを始めましょう。
どうぞ、ごゆっくりお読みください!
目次
- はじめに
- 再発見の発想法 - Checksum(チェックサム)
- おっくうな作業に着手したときに要注意 - 仕事の心がけ
- 限界はどこにあるのか - 本を書く心がけ
- 結婚と子育てと - Q&A
- おわりに
この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。