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記事 23件
  • 誰も言わない人気ブログの鉄則と、それを守らない『未来の普通』を読むべき理由

    2014-07-31 23:45  
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     有名ブロガーの記事はツイッターやFacebookなどで拡散されまくるので、自ら見に行かなくても自然に目に止まります。 そんな人気ブログは一つの鉄則を守っています。それは「今にフォーカスする」ということです。ブログのアクセスをアップするためのテクニックを紹介するサイトは多数ありますが、意外とこの点について言っているところはありません。 近いものに「読者のベネフィットになる記事を書く」というポイントが良く紹介されています。しかし、広く拡散される記事は、もう一つポイントがあります。それは今すぐ拡散しなければならない話題であるということです。 人は今に敏感です。ネットでは特に顕著です。今拡散しなければならない話題は拡散されます。しかし、明日拡散すればいいものは、明日拡散すればいいのですから、拡散する人は一気に減ってしまいます。 たとえば、こんな記事が今拡散しなければならないものです。 ・旬の話題 妖怪ウォッチの映画前売券発売の行列がすごい!などの旬の話題です。それに関連した例えば徳力基彦さんの「子供相手の商売で意図的に長い行列ができるようなやり方はどうか」といった話題を読んだ人は拡散するなら即座にしなければ意味がありません。 ・ライフハック系 記憶が良くなるとか、密度の濃い睡眠が取れるとか、日常のちょっとした悩みに対する解決法を提供するライフハック系。本来これを知っていれば悩んでないはずの、つまり知らないために人生損してた情報です。知らないと損し続けますから、今すぐみんなに拡散しなければなりません。知ったからといって、それを実行するかしないかに関係なく。 ・沈む船ネタ 最近、文字通り大きな船舶事故がありました。沈む船からは一刻も早く逃げなければなりません。なので、人は「新聞はなくなる」とか「音楽業界は衰退する」とか沈む船の話題にはとても敏感です。直接的に自分が巻き込まれる話題だけでなく、直接関係なくても「誰か巻き込まれるかもしれない人」のために拡散します。大きなお世話なのですが。 このように、拡散されるネタにはいろんなパターンがありますが、基本的には人々に「今すぐ拡散しないといけない」と思わせるものです。 人気のブログは、これらのパターンを巧みに使い分け、しかし常に「今にフォーカス」します。それを繰り返すことによって、このブログはいつ見ても今読まなければいけない記事ばかりだと思われ、繰り返し読まれるようになります。 これが、ブログのアクセスを増やす鉄則です。増やしたい人は、ぜひこの「今」の視点で、コンテンツを考えてみてください。** このブロマガ『未来の普通』は、しかし、「今にフォーカス」することは最優先ではありません。「未来の普通」にフォーカスすることが最優先です。 なぜそうしているのか。・他にないから ブログは普通アクセスを増やすことが目標になります。しかしそれでは話題が偏ります。ニュースは事件や事故などネガティブな報道が多いので子供に見せないと宣言されている方がいました。ブログのテーマによっては、アクセス数の優先順位は下げなければなりません。しかし、アクセス数の優先順位を下げた時点で、継続的に維持することは困難です。幸い『未来の普通』はニコニコ動画のブロマガという特徴あるメディアのおかげで、アクセス数以外を最優先しても続けることができています。ありがたいことです。・でも、遠い目標として必要 しかし、遠い未来をイメージすることは、今の情報と同じように日々欠かせません。 今にフォーカスした、目の前の選択肢をその場に合わせて上手に選ぶための技術については、山のように情報があります。しかし、その場しのぎの選択を続けても同じところをぐるぐる回るだけかもしれません。 新聞やテレビはオワコンだと言われ、情報はネットから得るように、最近ではキュレーション型のgunosy などから得るのが常識!と思っていたら、そういうところはいつまでたっても自分たちで取材する力がつかず、直近は日経や朝日の有料オンラインサービスが好調と言われるようになっています。 日々目の前の選択はその時のやむを得ない事情に強く影響されます。転職するかしないかというような問題は、状況が変化する中、数日ごとに考えが揺れることもあるでしょう。決断する日が違えば結果は変わったかもしれません。その選択自身はどっちがよかったなど、分かりません。もう一つの選択をし直せないですから。 ですが、遠い未来のイメージ、つまり漠然とでもあっちに行きたいというイメージがあれば、日々の選択は一見そこから逆の方向に見えても、少しずつそちらに向かっていくことができます。実際の地図と同じです。目の前が行き止まりであれば回り道が必要ですが、行く方角が分かっていれば、だんだんそちらに進みます。 ですから、「今必要な情報」も大事な一方、未来の幸せに近づくために「明日必要な情報」にも常に触れておくことが必要です。そして、ネットなどあらゆるメディアでは、そのような情報は霧散していて見つけることは困難です。それがここには(平日)毎日載るのです。そういうところが他になくて私たち自身困っているので、自分たちでやっているのです。・イノベーションプラットフォーム 「未来の普通」にフォーカスした情報は、遠い未来のためだけではありません。簡単に元が取れます。 以前、ここでも紹介したように、 [S]イノベーションプラットフォームブログ   「未来の普通」にフォーカスした情報は、それだけで、いつでもイノベーションを起こす力を秘めています。 

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  • [S]子供を追いつめる本当の原因に戦慄しています

    2014-07-30 23:45  
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     いつもとちょっと違う水曜、今回は気楽に書き始める短い記事[S]です。    って内容はめちゃめちゃ重いのですが、重すぎて気楽に始めないと書き出せないのです。 最近読んで衝撃を受けた記事です。 「無いものを欲するより、あるものに目を向けよう」 発達障害の保育士が子どもたちに教わったこと | ログミー[o_O]  子供は大人の鏡というお話ですが、子供の異常な行動が親にあったという体験をいくつか紹介されています。
    チックって聞いた事ありますか? いつもとは違う行動を子どもがすることがあります。爪を噛んだり、性器をいじったり。大人はやめさせようとしますが、止まらないんです。そんなとき、私は保護者の方とたくさん対話をしました。「最近どうですか」と。すると、実は最近こんなことがあって、イライラしてたとか、こんな変化があってすごく落ち込んでたとか、そんなことが出て来ます。
    そして、たくさんたくさん聞いて、フッと肩の力がおりる瞬間があるんです。そうすると、子どものチックは綺麗さっぱり治っている。そんな事例を、私は目の前でゴロゴロと見て来ました。

     親がストレスを抱えているとそれが伝わり子供にチックが出る。ではなぜ親はストレスを抱えるのか。たとえばこんな風に書かれています。 それは、一生懸命大人たちは理想に近づこうと、同じようにしようと、完璧にしなくちゃと頑張っているから。そして自分をどこかに置き忘れて来てしまう。
     まず親自身が理想に近づこうと頑張ってしまい、ストレスを抱えてしまう。それが子供に伝わってしまう。 ここから示唆されるのは、子供を育てるには、まず自分が自分のありのままを受け入れなくてはいけないということです。 でも、自分のありのままを受け入れるって、少なくとも今の私たちにはとても大変なことです。でもそれができないと、子供に影響してしまう。なんと残酷な仕掛けなのでしょう。 少し前までは、「理想に近づこうと、同じようにしようと、完璧にしなくちゃと頑張る」ことは普通のことでした。社会の大人の大半はそう考えていて、そう努力して、その中で子供たちも普通に育っていました。だから、「理想に近づこうと、同じようにしようと、完璧にしなくちゃと頑張る」こと自体が悪いんじゃないんです。今、この社会では、そうすることが果たしていいことでなくなってきた、そうしたからといって必ずしも幸せになれないことにみんなが気付いてきたことが問題なのです。昔は「完璧にしなくちゃと頑張って」れば、そこそこ幸せな暮らしができてたけど、今はそうとは限らないのです。 これは大きな大きなパラダイムシフトです。「完璧にしなくちゃと頑張る」以外の標準的な方法を新しく開拓しなければならないのです。 原理は簡単だと思います。山登りをするのに、今までは、ではこれだけ体力をつけろ、これだけの装備を揃えろ、そうすれば、このようにすればほぼ確実に登れる、というのが昔のやり方。 今は、そうではなく、私はこれだけの体力しかない、装備もこれだけしかないけど、でもこんな工夫をして、ゆっくりだけど登ってるよ! ところで、ここからは行けるとこまで一緒に登ろうよ! というのに変わってきたのです。 理由は簡単で、その方がいろんな山に登れるから。誰からも見える山に必要な体力装備は先人の知恵で明らかになってるけど、世界には無数の山があって、どれもが同じ体力・装備で登れるわけではありません。それぞれの山を登りたい人がそれぞれの体力・装備で工夫して登るしかないのです。 でもその辺の割り切りというか切り替えがまだできていません。元記事でも、「ありのままの自分を認め、活かす勇気」とあるように、今の私たちは、これから自分の山を登るには、まず理想の体力・装備を揃えてから登るのではなく、自分のありのままの体力・装備を認めて、山に登ろうという順で考えてしまいます。 しかし、本当はそうではありません。鏡がないと自分の顔が見えないように、自分のありのままを捉え認めるのは、人間にとって至難の業です。真面目にその本当の意味を問うなら、出家し修行し悟りを開いてようやく到達できることかもしれません。「ありのままの自分を認め」てから何かをするというのは、困難なことです。 

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  • 目に見えないサービスの対価を買い叩かれない方法

    2014-07-29 23:15  
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    失敗をたたえられる日本になる前に、失敗できる人になってしまおう。 http://ch.nicovideo.jp/normahead/blomaga/ar584493 #blomaga 最近また「目に見えないサービスの対価」にきちんと報酬が払われないという話題が良く聞かれます。 たとえば内田麻理香さんが「サイエンスコミュニケーション」の分野での問題を指摘されています。 【追記あり】「やりがい搾取」のトラップ - KASOKEN satellite  この問題は頻繁に話題になります。  デザインの世界でも以前地方自治体が無報酬デザイナーを募集したことで炎上したことがありました。 【馬付】天王寺区デザイナー公募の模範的な進め方を考えてみる。    これから、人間の仕事がどんどん知的労働に移っていくのに、こんなことではなかなかうまく経済が回っていきません。大問題です。  この社会問題についてはまた後で考えるとして、現実、善意でただあるいはただ同然で働かされるのはとても困ります。が私自身はほとんど困ったことがありません。それはなぜか、少し考えてみました。  それは、自分でもやるという点です。たとえば私はビジネスプランのメンタリング(改善の支援)をやっていますが、それは対価のあることもあればプロボノ(ボランティア)のこともあって、まさにこの問題の典型のような問題を抱えています。  が、私は自分自身もビジネスを立ち上げています。自分でやる分にはとても分かりやすく、売れれば売れる、売れなければ売れません。自分たちが考えるビジネスプランがいいか悪いかで対価がはっきり決まるわけです。  そのように、自分でもやることには、いくつかの効果があります。  ・分かりやすい。メンタリングの対価があるかないか、あるとしたらいくらであるべきか、というのは難しい問題ですが、自分のビジネスが売れるか売れないかというのは簡単な問題です。その分極めてシビアですが、気は楽です。  ・それを語っていれば、変な話は来にくくなる。私は私たちが立ち上げている事業の話を始めれば、いつまでも熱く語れます。しかし、もちろん簡単には儲かりません。金がなくてひいひいです。  すると、メンタリングの話を持ちかけて来る人は、それを当然考慮されます。ちゃんと対価がある、あるいはプロボノでも面白いと自信があれば、堂々と話を持ちかけてきます。 しかし、そうでないと「こんなこと頼みたいけど、ちょっとあれですよね〜」みたいな感じになります。「そうですね〜、それよりは、この自分の事業頑張った方がいいですよね」と言えば「そうですね」と話がつきます。 ここのポイントは、その「自分の事業」は立ち上げ途中でキャッシュは入ってないため、その時点では「ただ働き」なわけです(もちろん将来は莫大な利益が出ると信じていますが!)。  つまり、同じ「ただ働き」の比較になり、面白さで圧倒してしまいます。この場合は話は聞いていますが、それ以上に面白くないものは、話そのものが来ていないのだと思います。 しかし、それでよかったよかったという話ではありません。 そもそもメンタリングという仕事自体がもっと知られなくてはいけません。メンタリングする側として、メンタリングするのとしないのとでは成功率は軽く10倍は上がると思いますし、ですから全てのビジネスプランはメンタリングを受けるべきと思います。  もし、ビジネスを考える人が全員メンタリングのことを知っていれば、ビジネスとして十分成立することでしょう。ビジネスコンサルタントという分野が成立しているように。全てのビジネスがコンサルタントを受けているわけではありませんが、大半のビジネスがビジネスコンサルタントを知ってるくらいに認知度があるわけです。メンタリングもそうなれば、無償か有償かの問題からは抜け出せると思うのです。 ですから、私は、変な話が来ないよう工夫する一方で、 

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  • 都市ブランド講演会を聴いてきました。

    2014-07-28 23:30  
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     昨日は、福山市主催の本田勝之助先生による都市ブランド講演会を拝聴しました。定員200名ほぼ満席ではないかと思われる盛況ぶりでした。 講演で学んだことをもとに今後さそねっとがどんな活動をするべきか現状整理の巻。 講演で、特に強調されていたのはインナーブランディング。外の人にどう見えるかではなく、福山市民自身にどう見えるかに注目しようということです。 この点は私自身も薄々感じていたので、ばしっと強調されてとても心強かったです。私が福山に来て、2年余り。京都出身で東京やアメリカに住んだこともありますが、福山の暮らしは最高です。いや、どこの暮らしもその時は最高でしたが、今の私のステージには京都・東京・アメリカより福山のがいいです。  なのに、(どこの地方都市も同じではないかと思いますが、)福山の方と話をしていると、福山は大したことないと言われることが良くあります。その度に私はいかに福山がすばらしいかを力説して、相手をねじ伏せてまわっています。  このブログでも地方都市が素晴らしいことをうったえるため、福山の素晴らしさをたまに話題にしますし、これからも続けていこうと再認識しました。  「福山は大したことない」ですが、そういう方に実際にどこが悪いかという点を具体的に検討すると、困るほどではなかったりします。 あえて私自身の話をすると、福山市で気付いた点として、となりの笠岡市にある充実した運動公園みたいなところがないことや、となりの府中市にある工作のできる児童館みたいなのがないと話したところ、「あー、福山、保育はいいけど、子育て支援はだめだよね〜」と言われました。「え?保育はいいんですか?」と聞いたら、そうなんだそうです。  具体的にどういいかは聞いていないのですが、次男の二年間の保育園生活は大変素晴らしく、不満がないどころか感謝しまくっています。ですから、具体的にどういいかまだ調べてないけど、疑いの余地はありません。素晴らしい保育所を持つ福山に暮らしながら、笠岡や府中の施設も利用できて、おいしいどこ取りだったのです。  そんな風に福山の生活を一つ一つ紐解いていくと、都会の弊害もなく、田舎の弊害もない、とてもバランスが良い環境が見えてきます。  なので、ごく生活に密着した部分、たとえば保育がどれくらい充実しているかというのを、一つ一つ、分かりやすく分析して福山の人に知ってほしいと思います。うまく他の街と比較しながらできるといいのではないかと思っています。  また、福山で行われている活動が日本や社会の中でどんな位置づけなのかというのもわかりやすくしたいです。 たとえば福山にはトレイの大手エフピコがあって、なのでリサイクル事業も盛んで、工場見学にも何度か行きました。確か日本の中でもかなり規模も大きく技術も進んでいるはずです。昨日の講演会の資料にもリサイクル関連のパンフレットがはいっていました。しかし、日本の中での位置が書かれていません。日本で何番目ですよとかこの技術はここから生まれたんですよとあれば、それを見た福山の人がちょっと誇りに思えるはずなのですが。  つまり当たり前なところも、ちゃんとそこそこなことを示し、ちょっと誇りに思えるところも、それを分かりやすく示す。そういう手間がかかり地味な作業を実直に続けることが、「ええとこに住んでるんよ〜」、と思える福山の人が増える唯一の方法ではないかと思います。  ですから、ここでの情報発信はその点を意識しようと改めて思いました。もちろん、それが福山の人のためだけに書かれると他の人には意味がなくなってしまいますから、都会の人の気にも止ま、ほかの地方の人もいやいやうちもと思えるような内容を目指したいところです。あるいは都会の人でも自分の住んでいる街の自慢がしたくなるような。  ところで、今回大盛況の講演会に出て、とても気になっていることがあります。それはみんながどういう問題意識を持って参加しているのかということです。 

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  • 失敗をたたえられる日本になる前に、失敗できる人になってしまおう。

    2014-07-25 23:30  
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     イケダハヤトさんの 「失敗」を恐れる臆病な凡人たちに伝えたい。「失敗」ではなく「実験」と呼ぼう にインスパイアされました。 日本では、毎日のように「失敗をたたえる社会にしよう」とかけ声がかけられていて、それに対してイケダハヤトさんは、「失敗」と呼ばずに「実験」と呼ぼうと提案されています。まったくその通りだと思います。 その上で私たちはこう提案します。「実験」をしたら、発表しようと。 すると、自分は「失敗できる人」になれます。日本が「失敗をたたえる」国になるのを待つ必要はありません。とりあえず、自分だけは失敗できる人になってしまえばいいのです。 自分勝手かなと遠慮する必要はありません。そういう人が増えればいつの間にか社会全体が「失敗してもいい社会」になっているでしょう。というか、いくら「失敗してもいい社会にしよう」と声をかけあってもだめです。一人一人が失敗できる人になることで、初めて社会は

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  • 「こっちの方が平和だぞ!!」メーヴェが飛ぶ日本

    2014-07-24 23:30  
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     (7/25 追記:今制作者八谷さんのツイッターで知ったのですが、7/27に北海道で公開飛行が予定されているそうです。楽しみです! ただ天候がちょっと心配とか……。) (8/8 追記:残念ながら雨で飛行は中止されたようです。事前のテストフライトのようすは見ることができるようです。) ちょうど一年前だからでしょうか。メーヴェが飛んだときの記事がfacebookに流れてきました。 ナウシカが颯爽と乗りこなす「メーヴェ」を作って飛んでみた。  
     いや、もうほんと感動もんです。ナウシカは、若い頃もっとも熱をあげたアニメの一つですが、ほんとに飛ばせるとは考えたこともなかったし、その強靭な発想力には脱帽です。 久々にこの話題を見たとき、先月見て話題にしたかったけど結局できなかった四コママンガ思い出しました。6月14日土曜の朝日新聞夕刊に掲載されたという「しりあがり寿」さんのマンガです。
     強さ比べするのでなく、平和比べしようという提案でまったくその通りだと思うので、ここで平和自慢してみようと思います。 日本は世界屈指の創造力を持っていますし、それは平和だからです。 日本は攻めるための軍事費がなくてもメーヴェが飛ばせちゃう国です。海外では、防衛に限らない軍事予算を使った科学開発ができまから、そういうのがないと日本は最先端から遅れてしまうのではと心配になります。 しかし、日本人はそんなものがなくても、鉄腕アトムに始まって、いくらでも作りたいものがあります。 その元になっている、マンガやアニメは最近突然できたものではありません。今太田記念美術館では「江戸妖怪大図鑑」をやっているそうですが、そういった浮世絵を見ると、日本のマンガやアニメのルーツを見ることができるそうです。 つまり、日本にはぶったぎられることのなかった文化があり、そこから生まれた未来想像図をたくさん持ち、ただそれを実現したいというモチベーションも持っています。 それは当たり前ではありません。海外では国の名前が変わったり、それに伴って過去の文化を捨て去ってしまうことは少なくありません。過去に描かれた「絵空事」を大事に抱えて、将来時期が来たらそれに挑戦できるというのは、「平和」だからこそできることです。「絵空事」を描いた人が実現できるわけではありません。その人の夢を社会が文化として守るから、その人とはまったく別人が実現に取り組めるのです。安定した社会というプラットフォームがなければ困難です。 同じく、宇宙への関心もあります。どれくらい経済的な「元を取れる」か分からなくても、その分野に取り組むことに理解があります。だも確かに、ロケット単体で黒字になるかは分かりませんが、関連技術は他の分野にどんどん波及しますから、広い意味では元が取れるのだと思います。 さらに素粒子などの物理への理解もあります。ノーベル賞などの結果は残していますが、こちらはまずもって直接金儲けにはなりません。ヒッグス粒子があろうとなかろうと私たち実生活には関係がありません。しかし、ここでも素粒子実験のための最先端技術開発は他の分野に波及しています。ノーベル賞とれてちょっと誇りに思うだけでなく、経済効果もあるのです。 そしてそのメーヴェの動画が生まれるまでに10年かかったそうですが、そうやってそんな「絵空事」にじっくり取り組めるのも平和だからです。 もしも、日本がもっと普通の国になってしまって、たまにあるいは頻繁に国内でテロが起こるようになったら、メーヴェなんて飛ばそうとする人はいなくなるでしょう。なんかの原理主義ができて、クーデター起きて政治体制変わったら、ニコニコ動画とかニコニコ学会とかふわふわした創造の場とかなくなるだろうし、コミケだって自爆テロされて二度と開催できなくなるでしょう。 日本は世界屈指の創造力を持っています。それは世界が認めるところです。ですから、他の国と強さ比べする必要はありません。それどころか、その創造力のかなりの部分は、他の国と強さ比べしたら失ってしまう力なのです。 ですから、日本は強さ比べなんかしないと言わなければならないし、むしろその四コママンガのように、「強さ比べしなければ、こんなに創造性があがるんだぞ。ついでに平和」と言って他の国をそそのかすべきなのです。 ミラフツ的に言えば、世界が「共生共創」の方向に進んでいることからも、強さ比べは古くさいやりかたですし、 

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  • [S]昔より空気を読む日本人

    2014-07-23 21:45  
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     いつもとちょっと違う水曜、今回は気楽に書き始める短い記事[S]です。  舞田敏彦(@tmaita77)さんのツイッターで、統計数理研究所の国民性調査から、面白い統計推移を紹介されていたので、自分でもチェックしてみました。それがこの設問。 問2.1 しきたりに従うか  あなたは、自分が正しいと思えば世のしきたりに反しても、それをおし通すべきだと思いますか、それとも世間のしきたりに、従った方がまちがいないと思いますか?
     しきたりに従うか、自分を押し通すかという設問で、1953年から2008年の半世紀にわたり次のような傾向が出ています。
     「おし通せ」が減り、「場合による」が増えています。割合的にちょうど入れ替わったような感じです。「従え」は半世紀間、比較的安定して3、4割です。ちなみに、この傾向は20代から60代まで広く見られました。世代間の傾向は後で紹介します。 国民性を調べていると、例えば50年前の丸山 真男著『日本の思想』には、日本はタコツボ型でいけないなど今読んでも「まったくその通り」と頷くようなことばかり書いてあり、いかに日本人が変わっていないに脂汗が出てきます。 つまり基本的な国民性は変わりにくいので、逆に変化するデータがあれば、「社会がどう変化したか」ということを推測することができます。 この設問では、一言でいえば、昔よりも空気読むようになっています。つまり、自分の考えに従う場合には、周りを見ずに決めるのでなく、周りを見て決めるべきだと考える人が増えています。 ではそう考える人が増えたのは、社会がどう変わったからでしょうか。 これは時代が「共生共創」の時代に変わるにつれ 

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  • シルバー人材で進化する都会の夏休みラジオ体操

    2014-07-22 23:45  
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     普段は地方推しのミラフツですが、今回はちょっと都会が羨ましいお話。 常々子供に川遊びさせたいなあと思っていたのですが、なかなかいいところがなく実現していなかったのですが、この連休、お昼ごはんの直後、ふと「ここ行ったことないけど、いいんじゃないか」と地図に見つけたのが龍頭の滝というところ。 よし行って見よう! と思い立ったが吉日、出向いたところ1時間もかからずに現場につき、トレッキング+滝や川原で、まさに思い描いていたような川遊びができました。猛暑の中、でもうっそうとした林の中の川原はTシャツ一枚だと少し寒いくらいで、絶好の避暑地。私たちは四段の滝と名前のあるところで遊びましたが、人はほとんどいません。さらに付近一帯、名もない川原もいくらでもあります。どこでも遊び放題です。 
     特に印象的だったのが、長男の会話の仕方が変わったこと。彼は揚げ足を取るような幼稚な会話をするので、そこに向かう車の中でも、たしなめたとこでしたが、この遊びの後は、会話が随分大人っぽく。もちろん会話の訓練をしたわけではないのでびっくり。 ということで、やっぱり体を動かすことはとても大事なことだし、だから、自然が近くにある地方都市やっぱりいい! と言いたいところなのですが。 今日から子供たちのラジオ体操が始まりました。今のラジオ体操は昭和52年頃にできたものだそうです。日本人が憲法の次に大切に守っているものと言っていいのではないでしょうか。 小学生の夏休みラジオ体操もしっかり続いています。うちのところでは、基本的には子供だけでやっていて、高学年が前に並んでラジオかけて体操をし、他の子たちがそれを見て体操をします。終わったら、高学年がみんなのカードにスタンプ押して解散。大人は当番で数人見守るのと、未就園児は自由参加で上の兄弟がいたりするとこが、下の子と親が一緒に来るみたいな感じです。自分の小学生の頃と余り変わりません。大人はいなかったような気がするけど、気付いてないだけかも。 一方、長男が小学1年のときは、東京文京区の小学校のラジオ体操に参加したのですが、ここはちょっと違うシステムでした。シルバーの方が5人くらい前に並んで体操するのです。なるほどと思いました。 

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  • 【未来への鉄則1】クリエイティビティ

    2014-07-19 00:15  
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    ミライ: 5/10以来二ヶ月ぶりです! フツクロウさん。フツクロウ: 久々じゃのう。ミライ: はい。完結していないシリーズがいくつかある気がしますが、中の人回収してくれるのでしょうか。フツクロウ: ホッホ。ノーコメントじゃ!ミライ: さて、それは置いといて新シリーズだそうです。【未来への鉄則】ですって。フツクロウ: ホじゃ。なにかを判断する時には常に【未来への鉄則】を意識しておかねばならない。もし【未来への鉄則】に沿わない道に進めば、いずれ手戻りする。いろんな事情でそのときはそうせざるを得ないなら、「いずれ手戻りする」ことは覚悟して、備えれば良い。ミライ: なるほど。だから鉄則なんですね。フツクロウ: うむ。ミライ: 初回のテーマは「クリエイティビティ」、創造性ですか?フツクロウ: ホウじゃ。かつて肉体労働がどんどん機械に取って変わられたように、今は単純な知的労働がどんどんコンピュータに取って変わられている。創造性を必要としない作業は人間の仕事ではなくなっていっとるわけじゃな。ミライ: はい。フツクロウ: とはいえ、現状、創造性がいらなくても必要な仕事がある。たとえば長距離のトラック輸送じゃな。高速道路の運転は、自動運転が自動化が目前じゃ。だからたとえば高速上は自動運転にして、入り口までと出口からは人間がというような世界は、すぐに訪れるじゃろう。夜の高速は自動運転のトラックが休む必要もなく数珠つなぎで走るのじゃ。ミライ: なんか壮観ですね。フツクロウ: 今運転手が足らないことが社会問題になっているが、一部には免許制度に問題があり、その調整をしようということになっておるが、本質的には先がないと考えられていて、若い人がなりたがらないというのが根底にあるんじゃろう。ミライ: 運転手はなくなる職業なんでしょうか。フツクロウ: そんなに単純ではなくて、たとえば各家庭を回る宅配の運転手などは、配達先のお客さんと上手にコミュニケーションが取れることで、より高いサービスを実現できるじゃろう。ほれ、佐川急便が主婦パートを採用するという話があったじゃろう。ミライ: はい! え〜と、これですね。 「佐川ママ」は女性活用のモデルケースになるか?宅配大手の佐川急便は、今後2年間で1万人の主婦パートを採用する方針を固めました。少量の荷物を自宅周辺で配送するというもので、働く側の負担が少ない方式となっているのが特徴です。今回の同社の取り組みは、女性活用のモデルケースのひとつになるかもしれません。
    フツクロウ: それじゃ、それじゃ。主婦パートの事情に合わせて働く時間が短くてもよいなどの利点が書かれているが、主婦パートの配達は、絶大な効果がありそうじゃ。ミライ: 話、上手ですもんね。フツクロウ: その通りじゃ。他を圧倒する絶大なコミュニケーション能力。自宅周辺を回って各家庭とコミュニケーションするんじゃから、地域コミュニティ形成に大いに貢献しそうじゃ。ミライ: そうですねぇ。今でも配達の人とか顔なじみになったりしますもんね。それが近所の主婦となれば、結構…すごそうですね。フツクロウ: いろんなことが起こりそうじゃの。この例の場合徒歩や自転車を活用ということで、運転手の話ではなくなっとるが、運転手の仕事としても、クリエイティビティのあるものであれば、今後も残るし、このように新たにできることもあるわけじゃ。ミライ: なるほど。フツクロウ: このように、今あるビジネスについて、クリエイティビティに乏しいものは、自動化されるか、あるいはクリエイティビティが必要なサービスに変わっていくと考えられる。 たとえば、佐川ママの話も、通販利用が増えていることへの対応じゃな。ミライ: はい。そうです。フツクロウ: じゃが、ただ物が届けばいいというのであれば、例えば都会の大型マンションなら自動配達設備とかつけられるかもしれん。ミライ: ええ? えーと、玄関に自動で物が届くんですか。フツクロウ: ホウじゃ。たとえば一角にコンビニを作ってそこから各部屋の玄関の内側にコンベアのようなもので運んでしまうのじゃ。そうなれば、コンビニに行かなくてもコンビニにあるものは配達されるし、外から来た宅配品もそこから各戸に運ばれるのじゃ。ミライ: おお、なんかそれすごいですね。便利そう! 近くのスーパーの宅配とかもできるようになったら、帰宅途中にスマホで注文して、帰ったら家に届いているんですね!フツクロウ: ほんな感じじゃ。ミライ: 便利かも…。佐川ママの対極ですけど。フツクロウ: そういうことじゃ。機械的にやるか、人のクリエイティビティを生かしてやるかのどちらかになるんじゃ。ミライ: ふむふむ。もっと他にもないですか?フツクロウ:  たとえば、立ち食いソバはどうじゃろう。 

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  • 自分が弱者だと知ることが大切。この世はほぼ「共存共栄」

    2014-07-17 23:15  
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     なぜ人間界が弱肉強食ではないのかという話が盛り上がっていますね。 弱者を抹殺する。不謹慎な質問ですが、疑問に思ったのでお答え頂ければと思います...  そこのベストアンサー見てなるほど〜といろいろ参考になったのですが、海燕さんも話題にされたのを見て、 なぜ、弱者を保護しても「自然の摂理」に逆らうことにはならないのか。  ここでも取り上げようと思いました。 「弱肉強食」。元記事のベストアンサーにもあるように、現実は強食の側のはずの捕食者は簡単には補食することができず、つまり自然の世界は「弱肉強食」ではなく「共存共栄」「適者生存」だということが分かっていますし、人間の社会も違いますから、結局この世界に「弱肉強食」なんて世界はなく、架空の概念です。 ですから、未来において、その言葉は廃れて忘れられる運命です。あ、一応小学生くらいに自然も人間社会も「弱肉強食」ではなく「共存共栄」「適者生存」だよと教えられる時に出てくるかもしれません。 自然はもともと完璧な「共存共栄」で、人類ももともとそうだったけど、人間だけで大きく発展し始めたとき、人間同士の中で「弱肉強食」的な面が生まれました。「弱肉強食」は人間が生んだのです。でも、社会全体ではほとんど「共存共栄」がベースで一時期「弱肉強食」面がひどい時もあったけど、今はまた「共存共栄」になりましたと。 もし、あなたが、社会は「弱肉強食」の方がいいのではないか、その方が自分の税金が減るのではないかと考えているとしたら、それは間違いです。あまりにも想像力が足りません。今すぐ、 ブロマガ「未来の普通」[未来脳]シリーズ - NAVER まとめ の「イメージトレーニングで未来に備える(その1〜5)」でイメトレの訓練を始めましょう。 なぜなら、社会がほんの少し「弱肉強食」になるだけで、即あなたはとっくに食われる立ち場だからです。その想像が足りません。私たちは「自分も弱者、あるいは一瞬で弱者になる可能性のある」人だからです。 どこから手をつけていいか戸惑うくらい私たちはみな弱者側なのですが、たとえば、この世は一部の富裕層に富が集中しています。本格的に弱肉強食になったら、わたしら全員もっと奴隷みたいな生活ですよ? もちろん今まさにブラック企業が大きな社会問題となっていて、つまり社会のいまだに弱肉強食の面が出ていて、でもそれを解決しようと懸命に取り組んでます。 しかし、弱肉強食を肯定するなら、社会総ブラック企業化です。このコンテキストでは、私たちはすでに弱者です。自分の税金が自分より弱者な人に行くのを嫌がったら、自分の収入が限界まで減らされたでござるなのです。 とはいえ、私たちは非常に数が多い。日本映画の金字塔「七人の侍」でも、一番強いのは一番弱く見えた農民でした。岩手の県議員がちょっと失言したら自殺に追い込むパワーを持った、そう私たちは強者です。という風に考えるとしましょう。 その場合は自分が「一瞬で弱者になる可能性のある」人間だという想像が役に立ちます。例はいくらでもありますが、大切なのはそのうちのどの弱者が社会から切られるかではなく、そういうのを切る社会は、どれも切ってしまうということです。無数にある弱者の可能性と、その弱者が全て切られてしまう社会では、たとえ自分が今弱者でないとしても、いつ弱者になるか分からない恐怖で、生きていけません。 具体的にどんな可能性があるでしょうか。 一番簡単なのは、池袋歩いてたら、脱法ハーブ吸った車に突っ込まれて、全身不随です。あなたは一命を取り留めましたが、弱肉強食の世界なら、そんなあなたは姨捨山行きです。 かつて肉体労働が機械に取って代わられたように、これから、創造性のいらない単純知的作業はどんどんコンピュータに取って代わられます。そのとき、あなたは自分のクリエイティビティに自信がありますか? 1年後今の自分の仕事がコンピュータで自動化できるようになり、あっという間に広がります。クリエイティビティの高い人は人間が担うべき新しい技能を見につけ適応していきますが、あなたは付いていけず、リストラ。その後就職活動に失敗、ホームレスか生活保護に。今でも支援が十分とは言えませんが、今よりひどいなら、あなたは道で野たれ死ぬしかありません。 あるいは職場で 

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