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記事 22件
  • 【号外】白身が余ったときだけ食べられる別世界たまごかけご飯

    2015-10-30 23:45  
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     さっきまで今日のブログを書いていたのですが、今日が「たまごかけご飯の日」と気づき、急遽差し替えです。 今まで一人で楽しんでいたたまごかけご飯があります。 ところで、卵って良く白身だけ残るじゃないですか。一人だとカルボナーラ作ったりするんですが、そうすると白身が残ってしまいます。 残った白身はメレンゲにしてお菓子作ってっていうのが定番だと思うのですが、個人的にそれらのお菓子をそこまで手間かけること考えると、そもそものカルボナーラまで躊躇しかねません。 なので、白身残る問題は、ずっと重い課題でした。なにしろ NPO 未利用資源事業化研究会の理事もやってたりするので、おいしい白身を邪魔に思うなど、工夫が足りません。 でもある日ついに気づいたのです。しかも、最高においしい形で。 ただ残念ながら、人に勧めていいのか良くわかりません。白身が余った瞬間に食べるならいいのですが、一旦冷蔵庫に入れて後でとかしちゃうと、生だけに怖いです。 だから、たとえば、カルボナーラに続いて、この卵かけご飯を食べるとかかなり過激な組み合わせになります。積極的に人に勧めていいのか悩ましいところでした。「たまごかけご飯の日」ということで。 ヒントはあの究極のたまごかけご飯でした。 【超簡単】100倍ウマい「究極の卵かけご飯」の作り方 / 今までの食べ方は何だったのか(涙)   
    【究極の卵かけご飯の作り方】 1:卵を割って卵黄と白身をわける 2:ご飯に白身をかけて全力で混ぜる 3:最後にご飯の上に黄身をかける ──以上である。ポイントはご飯と白身を全力で混ぜること! メレンゲのように泡がたってきたらOKだ。
     先に白身だけでふわふわメレンゲご飯を作る、あのレシピです。 もうお分かりでしょう。白身が残ったら、このふわふわメレンゲご飯を作ればいいのです。 もちろんそれだけだと味が淡白すぎます。卵白だけに。でも淡白だけに、そこから先は無限の可能性を秘めています。ふわふわメレンゲご飯に乗せるものとは、要はご飯に乗せて食べるものなら、なんでもいいのです。 とりあえずのオススメは納豆です。納豆を普通に作って、このふわふわメレンゲご飯の上に乗っけて食べます。納豆がタレで味ついてるので、特に醤油など足す必要はありません。全く別の次元の納豆ご飯です。最初食べた時は、多分数秒で気づいたら平らげていました。お茶漬けどころじゃない早さです。 あの究極のたまごかけご飯の黄身のところは実は無限の可能性を秘めているわけです。未来の普通になるでしょうか。 

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  • 『自己責任』って言う人誰なの?

    2015-10-30 01:45  
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     自己責任論を主張する人の核ってどこなんでしょう。 『不平等が健康を損なう』という本などで明らかになってきているように、弱者に厳しい社会は高所得者にとっても決して住みやすい社会ではありません。 要は「困った時はお互い様」がいいのです。未来の普通は「困った時はお互い様」がもっとシステムとして洗練されます。 では、今はいったいだれが「自己責任」論を振りかざすのでしょう。 はっきり言って、高所得者は違います。一部違う人もいるでしょうが、基本的に彼らはお金のことをよく知っています。税金で払ったお金が効率よく使われないことなんてよく知っているし、だから、節税するし、節税も上手です。累進課税は平等か?なんて言われることがありますが、累進課税にでもしなければ彼らはほとんど払わないことでしょう。 それは社会にそむく訳ではありません。もっと効率よく寄付だのなんだので上手に社会に還元します。『不平等が健康を損なう』を読んでなくてもその内容は知っているし、それぞれのやり方で還元しています。 第一、裕福なのに自己責任論なんて振りかざしたら叩かれる(炎上マーケティングであえてやる人はいますが)し、そもそも少数だから自己責任論の中核にはなりません。 一方、弱者はもちろん言いません。支援してほしい立場ですから、なんでそんな『自己責任論』がはびこっているのか当惑するばかりでしょう。 じゃあ誰が振りかざすのか。それは、中くらいの所得者で「自分は損をしている」と思う人ということになります。困った人を税金で助けているせいで、自分の所得からたくさん税金を取られ、結果として自分としては不本意な生活レベルに落ちている、くらいでしょうか。 しかし、そう思う人のおそらく大部分は、それは勘違いです。おそらく自分が気づいてないだけで、ほぼトントンで公共サービスの恩恵に浴していることでしょう。 もしも、本当に払い過ぎている人であれば、それはかなり少数の、現在この世になんの憂いもなく、自分の才能をいかんなく発揮できる最高の状況にあるはずですから、大いに稼いで、この世を謳歌してください。「できてない」というなら、どうぞ公共サービスを活用して飛躍するきっかけにしてください。 わたしもたまたま景気いい時にアメリカのベンチャーでエンジニアしてた時は、給料良かったですし、ですから暮らしには困らなかったし、税金取られたって「自己責任論」を振りかざすモチベーションにはなりませんでした。 一方福山に移って半自立した時は、そりゃあ収入減りましたから、様々な制度にお世話になりました。感謝感謝です。東京で働いてた時に収めた税金分は助けてもらったと思います。 どこに「自己責任論」を問う必要があるのか、本当によくわかりません。 わかりやすいところで健康保険とかあるかもしれません。働き盛りなら、病院にかかることなど何年もないでしょうから、丸損に感じるかもしれません。でもほんと病気は誰にでも降りかかります。自分に降り掛からなくても、結婚してれば家族に降りかかることだってあります。 いいや、自分は一人だし、ばりばり健康だし、まじ健康保険丸損、というのなら、まじ思う存分働いて稼げばいいと思うのです。子供が風邪引いたら保育園にお迎えとかしなくていいんですよ? 健康保険料なんて気にならないくらい、仕事に没頭して働けばいいのです。 仮にブラック企業にいて、文字通り死にそうなくらい働かせていて、「なんで俺がこんな目にあってるのに、働いてない奴がタダで金もらってるんだ」と思うなら、しかるべきところがあるのです。そういう人のために支援の手を差し伸べている人や団体や公共サービスがあるのです。 「自己責任論」を振りかざす人は、たとえば生活保護を受けている人を非難する人は、自分の生活が苦しいのにけしからんということではないのでしょうか。 だとしたら、そんな他人を攻撃せずに、どう苦しいのか、どうして苦しいのか、それを言えばいいのではないでしょうか。そしたら、世の中のいろんな支援活動や制度教えてもらえると思うのです。 そんなの自己責任で自分で調べろなんて言いませんから。いや、言う人いるかもしれないけど、みんながみんなそうじゃないです。 

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  • [S] また日本始まった。今度は卓上アイドルロボ

    2015-10-29 01:00  
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     いつもとちょっと違う水曜、今回は短い記事[S]です。 日本で開発された世界初の「卓上アイドルロボット」(動画あり)  
    自分の好きなように着せ替え、踊らせることができるロボットを、ほしいと思ったことはないだろうか。
    DMM.com(本社渋谷区)が、「プリメイドAI」というロボットを開発した。自宅の机の上で、Jポップのアイドルのように踊ってくれるものだ

     人工歌姫初音ミク、誰でもCG MikuMikuDance (MMD) に引き続き、今度は、卓上で踊らせられるアイドルロボットが登場しました。 さっそく動画を拝見。 動きがキビキビ! 思ってたよりずっと動きがよくて、すぐに嬉しくなりました。これなら、『踊ってみた』作る人いっぱい現れそうです。きっと MMD のモーションをこの「プリメイドAI」に変換するツールを作る人が現れて、もちろんその後調整は必要かもしれませんが、莫大なMMDの資産が生かされるのではないでしょうか。 おもしろいと思ったのは、きびきびした動きを優先したのでしょう。足はがっしりと安定感があり、体もすごい鳩胸。人間やMMDのアイドルとは随分違う体格です。 でももちろん理由あっての体格ですから、なんか、それもかわいいし、そしてすでにロボットアイドルのデファクトスタンダードになったのですから、これからはむしろ、それがかわいいと言う人が増えることでしょう。ロボットアイドルが普及したら、もしかして、女性の極端な痩せたい願望に歯止めがかかったりしないだろうかと妄想が膨らみます。 さらにさらに、今回は限定モデル2種を含め3種発表されましたが、そういった異なる種類を混ぜたり、あるいは同じ種類であっても大勢のロボットを一緒に踊らせる人が出てくるでしょう。 そうすると、MMD と現実は違って、 

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  • 自動運転が普及すると家が広くなる。

    2015-10-27 23:45  
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     最近毎日のように自動運転の話題を聞きますが、このレポートが少し面白かったです。 テスラモーターズの高速道路でのすごさは、実は「眠くならない」ことだった(いしたにまさき)
    クルーズコントロールの利点は、まずは運転が楽になるというところです。でも、テスラは車間を自動調整してブレーキまでしてくれるので、安心感が得られます。で、その安心感がドライバーの緊張感を取り除いてくれているようなのです。高速道路の運転での眠気には、緊張感の影響があることは広く知られていますよね。

     高速道路運転の眠気には、緊張感の影響があると言われているんですね。その緊張感がテスラの車間を自動調整するクルーズコントロールによって緩和されるので眠くならないというのです。 むしろ眠くなるのかと思ったら、逆なんですね もちろん全員ではないかもしれませんが、そういう現象があるというだけでかなり驚きました。 すでに海外では自動運転のバスが走り出しているそうです。 最先端をいく 自動運転バスが走っている5つの都市 すでに自動運転バスが公道を走っている、もしくは近い将来での導入が決定している国があります。未来への最初の1歩としてのテスト導入であり、走行ルートは短く、スピードもゆっくりしたものです。それでも、一足先に未来体験な街なのです。
     日本もつくばあたりで今すぐ始められないものでしょうか。待ちきれません さて、こういう自動運転が当たり前になると社会がどんな風に変わるでしょうか。 こんな風に途方もなく変わることでしょう。 流通革命
     まず流通が変わります。最初は、高速道路のトラックの自動運転が始まります。アメリカではすでに始まっていると聞いたことがあります。例えば東名高速の入り口から出口までを自動運転が担当します。そうなれば東名高速は自動運転トラックが数珠繋ぎで休むことなくものを運び続けることでしょう。流通はますます盛んになり、早くなり、安くなるのです。 高速道路から始まる自動化は次第に街へと広がり、最終的には自宅まで広がります。宅配便が無人で届けられるのです。アメリカで注文後20分でドローンで届けますなんてプランがあるようですが、そういったサービスが普通になるのです。その日の生鮮食品を見定めながら買うといったスーパーは役割を持ち続けるかもしれませんが、それ以外の日用品などは宅配が普通になるかもしれません。 配達用の車は、横幅は道に合わせて軽より少し狭く、でも全長は極力短い横長になるかもしれません。それにせいぜい数軒分の荷物を載せては行ったりきたりしそうです。荷物は各家の前に設置された宅配ボックスに自動で配達されることでしょう。 交通革命
     人々の足も大きく変わるでしょう。要は一人乗りタクシーができるということです。特に理由がなければ車を持つ必要がありません。必要なときに呼べば来ます。それはまた、今のタクシーのように3人または4人乗れるものはほとんど入らなくなります。『ウォーリー』という映画では、人間はそれぞれ一人乗りの座席のような乗り物に乗っています。二人以上で乗る必要があれば、そのときそれ用の車が来ればよく、ほとんどは一人乗り自動運転タクシーで済みます。バスはなくなるかもしれません。 とりあえずそうなったら、地方の居酒屋は流行りそうです。みんな飲んで、みんなそれぞれ一人乗り自動運転タクシーで帰れるのですから。 高速道路での移動も自動運転になります。そうすると、みんなが一定の速度で走りますから、渋滞も減るし、のろい車がいるとかいうストレスもなくなります。暫定二車線での高速道路での正面衝突の問題が最近クローズアップされていますが、 対面高速年間人死傷 検査院「分離帯」提言自動運転が普及すれば、相対的に高速道路の流量は増え、今暫定二車線の高速道路を4車線にする需要はますます減ることでしょう。つまり、ちゃんとした中央分離帯設置が促進されそうです。まあ自動運転が増えれば、いまのままの簡素な分離帯でも正面衝突事故も減りそうです。 住居革命
     自動運転が普及すると、今まで車社会だった地方の暮らしは一変します。みんな一人乗りタクシーがあるとすれば、高齢者ももっと街の中心から離れてくらしても全然困りません。 これは日本の住宅事情を大きく変える可能性があります。 今休耕田が増えています。田んぼの生産性があがって、少ない田んぼから十分な米が取れるようになりましたから、田んぼの使い道がありません。たとえばトマトのようなものは人手はかかるけど面積はそれほどいりません。米は人手はかからないけど、ひろい面積が必要です。そういう人手をかけず広い面積を必要とする産業の需要が減っていて、休耕田は増え、国土は荒んでいます。 この日本に住んでいる以上、自分たちの土地は手入れしていかなければなりません。 一方日本人の家は狭いです。だったら、それらの農地は宅地にしてもっと広く住めばいいのです。みんなちょっとした畑を持った家に住むのです。今は税制などいろんな壁がありますが、それは制度の問題です。 

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  • 人文系学部が生き残るには

    2015-10-27 02:00  
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     最近、人文系学部を整理せよみたいな話題で持ちきりですが、うまくアピールすれば、これから入ろうとする学生にとっては魅力的な学科になるのではないでしょうか。 来年、再来年の話としての話ではありません。これから中長期の展望を見ながらです。 まず、この瞬間は若者の就職率に毎年やきもきしていますが、基本的に少子化傾向ですから、就職率は悪くならないでしょう。 そんな中、いったい大学が何を学生に提供するかという問題が出てきます。今は大学に対して、高等専門学校などが低く見られがちですが、技術を身につけるというなら、中途半端な大学に行くよりも実践的でしょう。それでも大学が提供できる価値はなにか。 それはより普遍的な価値ではないでしょうか。日本は高度成長期を終え、低成長期となっていますし、ここミラフツでは0GDP成長でも経済は回るのではないかということを繰り返し考えています。 つまり、社会は持続的な経済活動への移行を目指しています。そのためには、今を見ることも大切ですが、江戸時代など過去に学ぶことも大切でしょう([S] 勤勉でなくても回ってた江戸時代 )。なにしろ昔はもっとゆっくり時間が流れていましたから、より持続的な経済活動に近かったことでしょう。 私は工学系を卒業しましたが、新しい技術を見つけ出していく分野であり、持続的な社会を作るという意味では、基盤が極めて脆弱であることを痛感させられました。「持続的な社会を作るために新しい技術を生み出す」というのは、ある意味自己矛盾しています。学生の頃から、工学系ではない人と話していて、その矛盾を指摘されることはしばしばあり、うまく反論できずにとても悔しい思いをしていました。 今悔しいかというと、ある意味諦めています。というか、そういうところは、工学ができなくても、今はコラボの時代。他の分野の人がカバーしてくれればいいわけです。実際、こなれた技術を活用して、持続的な事業を立ち上げている人は今たくさんいます。技術というと常に諸刃の剣的な不安を抱えつつ開発するというジレンマを持ってしまいますが、いまや、様々な技術を誰でも活用できる時代です。社会はほとんどが善意の人ですから、より多くの人が技術を活用するほど、その技術が善意に使われる可能性が高くなります。 昔よりはるかに「安心して」技術を開発できる時代になったのです!! さらに、人間のより普遍的な考え方、持続的な社会を作るための基盤となるための考え方は、人文系の人が担えば鬼に金棒です。 

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  • 税金の社会から寄付の社会へ

    2015-10-23 23:45  
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     最近こんな記事を見かけました。 時事ドットコム:子どもの貧困で寄付呼び掛け=政府   政府は19日、子どもの貧困対策を議論する「子どもの未来応援国民運動」の発起人会議を首相官邸で開き、1日に創設した基金への寄付を呼び掛ける決議を行った。基金は、経済的に厳しい子どもを対象としたNPOの生活支援事業などに活用する目的で設立。政府は今後、基金を運営する日本財団とともに個人や企業から寄付を募る。
     子供の貧困に対応するために基金を作り、寄付を呼びかけるというものですが、この記事が出た直後からさっそく「こういうのは税金でやるべきではないのか」という声がたくさん聞かれました。 確かに一瞬そんな気がしましたが、でも時代の流れを考えるとこの方がいいのかなと考え直しました。 なにしろ国のお金というのは、国民の税金ですから、基本的に「誰も文句言わない」ように使わなれなければなりません。子供の貧困に関しても、子供より高齢者の介護問題を優先しろと考える人は社会にいますから、たとえばその使われ方に問題があれば、それが些細なものであっても激しく追及されることもあります。しかも何年も遡って。 個人的な基準として、お金の適正な使い方について、領収書とか見積もりの取り方については、普通の営利企業がやってる程度が基準だと思っています。あまり細かいとそれをチェックするのにコストがかかってしまうから営利企業は適当なところまでにします。その辺がコスト的に一番効率的なのです。 しかし、税金となるとそれよりはるかに厳しい基準になってしまいます。ですから、普通の企業より、ずっとそういうコストがかかってしまっているわけです。実は人口減少のこの局面において、それは役所にしても仕事が減るわけですから、そういうよりコストのかかるチェックというのは、自分たちの仕事が確保されるという意味で悪いことでなかったりします。 そんなわけで、国の予算の執行はますます厳格になり、非効率になります。 でも、そんなお金の使い方じゃ、こんな0GDP成長の時代に、まともに働かないんです。 ですから、こういう寄付に頼るやり方が効率的になります。 寄付する人は、子供の貧困に理解のある人ですから、その支出の選びかたにしても、理解が得られやすいです。支払いについても過剰な手続きまでする必要はありません。 一方、寄付をした人は、たとえばその40%分は税金を減らしてもらえます。つまり、そういう形で、国もお金を出してくれているわけです。でも、直接税金を出しているわけではなく、税収が減るという間接的な形でのサポートであり、税金の使い方に目くじらをたてる人からの目をある意味逃れることができます。一方基金方はよりコスト意識のあるお金の使われ方をすると。まあもちろんこのこども基金の運営がひどいことになることもありますが、そういうのはこの世の中がしっかり監視できるよう、透明性は確保されなければなりません。 税金はその使い方がとても非効率な現状では、この寄付文化はまだまだ奨励されていいでしょう。 最近、外食店に予約をすると、寄付をしてくれるアプリを知りました。 飲食店予約で途上国に給食支援 立教大生のアプリ広がる:朝日新聞デジタル  
    スマホで日本の飲食店を予約すると、途上国の貧しい子どもたちに給食が支援される――。そんなスマホ向けアプリ「テーブルクロス」が若者を中心にじわりと広がりつつある。
     こういう気軽できる少額の寄付もこれからどんどん盛んになることでしょう。これも是非一定以上寄付したら寄付金受領証明書を発行するようなサービスを入れるといいと思います(もう入っているかもしれませんが)。そしたら確定申告である程度戻ってくるわけですから、ますますやる気になりますよね。 こんな寄付もあります。 ひとり親家庭支える塾、塾長も同じ悩み体験 大阪で5年「渡(わたり)塾」。通常、週1コマ(70分)の個別指導で月1万2千円の塾代が、ひとり親の子どもは半額の6千円。さらに経済的に厳しい場合、主に個人からの寄付金をもとに作った奨学金制度によって、半年から1年間、無料になる子もいる。
     この奨学金は寄付金によってまかなわれますが、これだけ直結していれば、 

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  • 日本流、地方から「自家用タクシー」解禁

    2015-10-23 00:15  
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     海外で存在感を増している、Uber のような「自家用タクシー」が日本でも認める方向で検討されるそうです。 「自家用車タクシー」特区で解禁 地方の交通手段に  :日本経済新聞  政府は一般の運転手がお金をもらって乗客を運ぶ自家用車の「ライドシェア(相乗り)」について、地域限定で規制を緩める国家戦略特区で解禁する方針を固めた。現在は原則禁止だが、公共交通が少ないなど一定の条件を満たした地域に認める。高齢者の買い物や通院、外国人観光客の足として役立てる考えだ。
     日本でもライドシェア解禁を検討、Uberなどが本領発揮するか : ギズモード・ジャパン   今月20日に開かれた国家戦略特区諮問会議にて、安倍首相が自家用車タクシー規制緩和を支持しました。ライドシェアは、過疎地などでの交通手段や観光客の足として有益な手段になるというのがその理由。今後、特区を設けて限定的に解禁か、法改正を行い全国的に解禁するか、どちらかの方向で検討が行なわれます。
     ついにきましたね。本場アメリカでは「自家用タクシー」の草分 Uberは、 サンフランシスコという都会で生まれました。 しかし、その便利さが日本に伝わるやいなや、「これ地方で使えるんじゃね」という声を無数に聞きました。公共機関が十分行き渡っていない地方で、コミュニティーバスや貨客混載など様々な取り組みが行われていますが、まだまだ解決しているとは言えず、そこで、Uber 好調のニュースは、そういった問題を抱えている地域にとても印象的だったようです。 要は、どっかに行きたいおばあちゃんがいたら、その辺の人がついでに乗っけていってあげるというのを仕組み化できないかと感じたからだと思います。 無数に上がったそのような声が、なんらかの形で政府に届いたのでしょう。今回「自家用タクシー」の話がまず地方から始めるというのはまさにそのような声が届いたからではないでしょうか。 この判断はなかなかに興味深いです。 この報道の後、すぐにネットでは「高齢者にスマホを強制するのか」といった声が見られるようになりました。 でもそれは違います。この規制緩和は、地方に Uber 社を入れろという話では、全くありません。 

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  • [S] 勤勉でなくても回ってた江戸時代

    2015-10-21 23:59  
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     いつもとちょっと違う水曜、今回は気楽に書き始める記事[S]です。  こんなまとめを見かけました。 江戸時代までの日本人は勤勉ではなかった‼︎ いまほど労働時間が多くなかったような江戸時代の様子が描かれています。 なんでそれで回っていたのでしょう。どうして今はサービス残業が横行するくらい、つまりは低賃金で働きまくっているのに、苦しいのでしょう。 ぜひ当時の経済がどんな風に回っていたのか、分析とかされていないのでしょうか。長い間回った経済ですから、今の私たちにとても参考になるのではないでしょうか。 ミラフツで考えているような0GDP成長な経済モデルで江戸時代を見るとどうなるでしょう。 ・グローバルな競争がない。 大企業はコモディティな商品でグローバルで熾烈な競争をしていますから、いかに低賃金でしかし必死に働く必要があるのでしょう。一方江戸時代は、当時は当時で開発競争もあったでしょうが、それほど熾烈ではなかったことでしょう。 じゃあ諦めるのかというと、それはまだ早くて、ようはグローバル企業みたいな過度の競争をするから問題なのであって、非コモディティな商品をもっと重視すればいいのではないでしょうか。たとえば地産地消など。社会問題もいいのではないでしょうか。交通弱者の問題を解決するというようなのは、毎日寝ずにがんばれば解決するものでもありません。それよりは諦めずじっくりと取り組む方が大切です。スピード勝負の事業ではなく、持続的に回ることが目標の事業であれば、マラソンのように取り組むことになります。やりたい人はグローバル企業でガンガン競争すればいいですが、0GDP成長な日本社会全体では、大半の人はそんな競争をする必然性はありません。 そうすれば少しは江戸時代みたいに労働時間が減らせるのかもしれません。 ・価値をバラつかせる 江戸時代はいまのようにITや流通が発達していませんから、あっちでは安いものがこっちでは高いといった価値のばらつきが大きかったことでしょう。その間を商人が介在することで流通が起こり、またその余剰から、別の商売が起きるという好循環つまり景気が発生します。 しかし、コモディティはこれとまったく反対のことを起こし、いわば物々交換状態になります。 

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  • 賃金上昇なき失業率低下をどう読むか

    2015-10-21 01:30  
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     先日、 日本のGDPが増えなかった真の理由がわたしたちを豊かにする(その1)  の5回シリーズで、日本の賃金の上がらない理由として、グローバル企業の製品が海外と価格競争をしているためということをあげました。 そしたら、こんな記事を見かけました。 コラム:賃金上昇なき失業率低下、裏にある日米共通の構図  低賃金国で生産された相対的に付加価値の低い製品の流入によって、いわゆる単純労働に関する需要が海外に流出し、労働需要の超過による賃金押し上げの局面になかなか突入しないことだ。
     日米ともに失業率が下がり、賃金が上がる局面になのに実際はなかなかあがっていないということで、上記のような理由をあげています。グローバル企業は国内の賃金を上げるくらいなら、海外で生産してしまうわけです。 それにしてもアメリカでも同じような問題が出ているのですね。なんかちょっと意外でした。 そしてこのような状態について、学会が追いついていないと指摘しています。
    <求められる新しい学説>
    ただ、このビジネスの最先端の現象を経済学会はフォローし切れていない。構造的失業率まで失業率が低下すれば、賃金の上昇は顕著になるはず、という理論通りの現象が起きない理由を説明した新学説はまだ登場していないようだ。

     日本の政府も賃金をあげるべく、まず物価をあげようと誘導しましたが、上がっても賃金は上がりませんでした。それにつられて物価も結局あがっていません。まあ、それを政府の失敗と責めることもできますが、そもそも経済学会でもそのような状況を説明できていないというのであれば、まあ政府がうまくできなくても仕方ないといえば仕方ないのかもしれません。 この記事の中では、日本は賃金が上がり始めるのは、失業率2%台ではないかと書かれています。 なぜそんな予想をするのでしょう。上がり始めたら、私たちの生活は良くなるけど、それまでは大変だよ我慢しようねというメッセージなのでしょうか。2%台になるまでは、耐えようねと。 もうそういう話はうんざりしませんか? このまま長い間3%台をふらふらする気がしませんか? 一体いつ2%台になるのでしょう。 構造的失業率(完全雇用の失業率)と言われている3.5%を切ったにもかかわらず、教科書通りに賃金が上がらない、だから新しい学説が必要だと書かれています。  であれば、構造的失業率が2%台に下がったかもしれないという可能性だけでなく、もう一つの可能性、「構造的失業率を達成しても賃金は上がらない」という可能性も議論するべきではないでしょうか。 

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  • 電子書籍専用の参考書を作らなければならない理由

    2015-10-19 22:30  
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     最近、小5の長男がわからない問題があった時、自分でどうやったら勉強できるかという疑問を発端に、教材についてあれこれ見ながら考えています。 もちろん親や先生に聞けばいいのですが、いつもいるわけではありませんから、自分が知りたい時に調べられる手段もあったほうがいいに決まっています。 将来的には動画教材も増えていくと思いますが、どんなに動画が発展しようと、いわゆる文と図の教材が消え去ることもないでしょう。 そう思って、いろんな教材を見るに、大きく二つの不満があります。「まとめ」と問題しかない
     参考書を見ると、大まかに次のような構成になっています。まず、その単元の「まとめ」があり、そして例題などが続きます。 じゃあ、「まとめ」ではない「本文」はどこにあるのでしょうか。 その前にこの「まとめ」は初学者には使い物になりません。手元にとある教材があるのですが、ヒトの心臓・血管・血液の単元は、こんな風に始まります。1 ヒトの心臓と血管 心臓は筋肉でてきていて、つの心房とつの心室のつの部屋からできています。血液が血管から送り込まれる部屋が心房、血液が血管へ送り出される部屋が心室です。
    そして、まとめの右には心臓の仕組みを表した図があります。ちょうどこんな感じのです。この図はwikipedia のを借りています。 
     普通じゃんと思うかもしれませんが、これでは初学者には辛いです。 たとえば、今日見つけた『からだの不思議図鑑竹内 修二』という図鑑では、次のように始まっています。 私たちのからだには、全身くまなく血液が流れています。全身に血液を流す、ポンプのようなはたらきをしているのが心臓です。
     まさにこれが問題だと思いました。 なぜなら、うちの長男がまさにはまっていた箇所だったからです。ことの発端は、さきほどの単元の例題を解こうとしたがわからないので教えてくれと来たことでした。「血液を心臓から送り出す部屋」は何かなどを答える問題で、そんなのまとめ見ればわかるやろと思ったのですが、そもそも、「心臓は全身をくまなく流れる血液を送り出すポンプのようなもの」というのが漠然としていたのです。 なるほど、これはたとえまとめ見て対応を見つけて正しい答えを書けたとしても、わかったとは言えない状況でした。 まあ、まとめを見ていけば、血液が循環していることも出てくるのですが、ばらばらです。初学者が読んで理解するためのストーリーにはなっていません。 逆に、うちの長男は、いまとなっては理解した上で上の図鑑を読みましたが、「あ、これも出てる、これも出てる」と習ったことの確認になった上で、あらためて「まとめ」がよくまとまっていることに感心していました。「まとめ」としてはきちんとしているわけです。 これが第一の問題です。参考書はコストの都合上紙面が限られているため、「まとめ」から書かれていて「本文」が書かれていません。 それは学校の教科書なんじゃないのと思われるかもしれません。ところが、そうでもありません。教科書の厚さを想像すればわかると思いますが、参考書より薄いです。仮に問題の量が少なくても「本文」に必要な紙面の量はありません。 心臓の例では確認できていませんが、たとえば小2の算数の教科書を見てみると、絵がふんだんに使ってあって、文字は少なく、先生がその絵を使って授業をするのに適しているように作られています。自習で理解できるようには作り込んでありません。これも紙面が限られているため、両方を中途半端にカバーすることは避けているのでしょう。 実は「本当の教科書」は存在していないのです。 模範解答が貧弱
     これは、私が受験勉強していた頃から言われていたことなのですが、参考書などの模範解答は、紙面が限られているため模範解答がぎりぎりまで切り詰めてあり、良い解答ではないという問題です。改行も抑制されていたり。ですから塾などで「正しい」模範解答を学ぶ必要がありました。 それは今も変わらないようです。だって、相変わらず紙面は限られていますから。一方で最近、中学生のある解答を見ることができました。だいたいこんな感じでした。-3x = 6-3x ÷ 3 = 6 ÷ 3 -1x = 2 x = -2
     ÷を使っていたり、-1x と "1" を省略できなかったり、私なら1行で済むところを3行かけて解いています。 でも正解!です。 こんな風に人によって、問題を解くのに必要なステップ数は違うでしょう。そういう人にとっては、私がいう「模範解答」よりさらに詳しく書かれた解答のほうがわかりやすいに違いありません。「入試で書くべき理想の解答」も必要ですが、「もっと細かく噛み砕いた解答」を読みたい人も大勢いるはずです。しかし、現状は「入試で書くべき理想の解答」よりさらに端折られているわけです。電子書籍専用の参考書を作らなければならない理由
     ですから、電子書籍専用の参考書を作らなければなりません。 

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