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マンガの80年代から90年代までを概観する:その73(1,762字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 25ヶ月前
この連載は、今回で一旦終わりとしたい。マンガに限らず、日本全体の歴史を振り返ると、1980年に大きな境目がある。これ以前と以降とで、はっきりと断絶している。それに比べると、バブル崩壊などは小さな変化だ。バブル崩壊は、バブルが始まったときにすでに予感されていた。一般には1985年のプラザ合意によってバブル...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その72(1,657字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 25ヶ月前
団塊世代の女子(団女)というものは、社会的にはそれほど注目を浴びていない。しかしながら、これが社会を変革した度合いは大きい。この層が日本の女性観、恋愛観、家族観、引いては社会観を一変させたといってもいいだろう。団女は、言うまでもないが戦後生まれだ。いわゆる「戦争を知らない子供たち」である。そのた...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その71(1,485字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 26ヶ月前
『月とスッポン』の登場人物・藤波正平のモデルは、作者である柳沢きみおの同級生だった。そう考えると、藤波が恋をする星野くんのモデルも、やはり柳沢きみおの同級生だったのではないだろうか。そもそも、この『月とスッポン』を読み込むと、主人公の2人、土田新一と花岡世界にはリアリティがない。それは、作者の「読...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その70(1,654字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 26ヶ月前
柳沢きみおは、悩んでいた。鴨川つばめのように、面白いギャグマンガが描けないからだ。自分にはギャグのセンスがないと、たびたび痛感させられていた。それで、毎度アイデア出しに困っていたのだ。そんなとき、『月とスッポン』の脇役である藤波というキャラクターに頼った。この藤波は、高校時代の同級生がモデルだっ...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その69(1,703字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 26ヶ月前
柳沢きみおの『月とスッポン』は、1976年から1982年まで週刊少年チャンピオンで連載されていた。単行本は全23巻になる。リアルタイムだと、ぼくにとっては8歳から14歳までの間だ。ちょうど少年から思春期にかけての一番多感な時期だった。ただし、さすがに小学生で読むのは早すぎたので、前半はリアルタイムでは読んでい...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その68(2,021字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 26ヶ月前
日本の戦後史を概観すると、やはり「1980年」が最も大きな転換点となっている。ここが転換点になった一番の要因は、若い男女の数が逆転し、恋愛観が決定的に変化したことだ。その恋愛観の変化は、日本社会そのもののありようを大きく変えた。世代間ギャップを生み出したのと同時に、今に続く「オタク文化」を生み出した...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その67(1,821字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 26ヶ月前
マンガというのは、主役よりむしろ脇役が大きな役割を担っている。どういうことかというと、作者は主役は熟慮を重ねた末に設定するが、脇役はそうではない。だいたい思いつきで、何気なく登場させる。ところが、そうした熟慮を重ねていない脇役が、作中で意外な活躍を見せることがある。そうなると、作者も描きながら「...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その66(2,146字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 27ヶ月前
ぼくは、マンガ史における柳沢きみおの重要性は以前から感じていたが、それを上手く説明できないことにずっともどかしさを抱いていた。特に『月とスッポン』の重要性や、それ以前に「面白さ」さえ伝えられないことにある種の絶望感さえあった。それほど、ぼくは『月とスッポン』を「面白い」と思っていた。文字通り「夢...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その65(1,910字)
コメ2 ハックルベリーに会いに行く 27ヶ月前
日本では、1980年から女性が強くなる。その象徴的存在が薬師丸ひろ子なのだが、その割にこのことを知る人は少ない。というのも、「強い女性」というと多くの人がフェミニスト的なキャラクターや意思や態度がはっきりしている人のことを思い浮かべるのだが、薬師丸ひろ子の場合はそうではないからだ。彼女は、むしろその...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その64(1,687字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 27ヶ月前
マンガの80年代から90年代までを概観する:その64(1,687字)70年代の後半から女性は急に強くなった。当時、そのことにどれだけの人が気づいただろうか。意識的に気づく人は少なかったが、しかし無意識的には実感していた人が多かったのではないだろうか。70年代後半から80年代前半にかけて一世を風靡したのが薬師丸ひろ...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その63(1,791字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 28ヶ月前
1970年代後半は面白い時代だ。70年代前半に噴出した「社会の暗さ」がいつの間にか後退し、狂乱の80年代に向けて着々と下準備が整えられるようになった。インフレを契機にみんなの収入が等しく上がって、人々の心は次第に浮つくようになっていった。それが傲慢さにつながるのは80年代だが、まだこの頃は謙虚さを保ってい...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その62(1,893字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 28ヶ月前
柳沢きみおは1948年の生まれ――つまり団塊の世代である。1970年、22歳のとき週刊少年ジャンプでデビューする。その後、ジャンプ専属マンガ家のとりいかずよしのアシスタントを務める。そこで、とりい式ギャグの薫陶を受けたのだろう。しばらくはジャンプでギャグマンガを描いていた。1975年にジャンプの専属が解かれ、197...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その61(2,063字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 28ヶ月前
マンガは80年代に入って大きく様変わりする。70年代に入ったときも、『あしたのジョー』の終わりとともに停滞を迎えたので、大きく様変わりした。そして、そこからの10年間は、試行錯誤の段階を経ながら、最終的には週刊少年チャンピオンが開発した「読み切りの面白さで読者を惹きつける方式」が花を開かせ、定着する。...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その60(1,649字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 28ヶ月前
1979年から1981年というのは、ちょっと特殊な時代だった。この頃、エレクトロニクス技術が急発達し、さまざまな「未来的商品」が出始めていた。また、それに伴ってコンテンツ業界も少しずつ様変わりをし始めていた。中でもYMOの登場はその象徴的なものだろう。音楽の世界にコンピューターが登場し、それが音楽界そのもの...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その59(1,612字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 29ヶ月前
ぼくは、1979年の12月から1981年の12月まで、丸2年タイのバンコクに暮らしていた。1979年12月(小5の冬休み)までは東京都日野市の程久保小学校に通い、1980年1月から1981年3月までの15ヶ月間、インターナショナルスクール・オブ・バンコク(ISB)に通った。その後、1981年4月の中1になるタイミングでバンコク日本人学校...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その58(1,680字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 29ヶ月前
1970年代後半の書店というのは、今考えると信じられないくらい加熱していた。沸騰して煮えたぎっていた。そこは、「知のテーマパーク」のような活況を呈していた。日本の知の権利をほとんど一手に独占していた。1970年代、知は、書店以外に提供する場がなかったのだ。そして70年代後半は、ちょうど日本人全体が知に飢え...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その57(1,904字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 29ヶ月前
思えばマンガがマンガ家を最も消耗させたのは1970年代後半だろう。小林まことの『青春少年マガジン1978~1983』という作品があるが、これは涙なしには読めない当時のマンガ家の壮絶なドキュメンタリー(回想記)なので、ぜひ読んでほしい。青春少年マガジン1978~1983このマンガを読むと、そもそも当時...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その56(1,823字)
コメ2 ハックルベリーに会いに行く 29ヶ月前
赤塚不二夫が巻き起こした「ギャグマンガ旋風」はすさまじく、直後にフォロワーが雨後の竹の子のように現れた。おかげであっという間に「ギャグマンガ」というジャンルが確立したほどだ。ぼくは1968年生まれだが、物心ついたときにはすでにギャグマンガはジャンルとして確立していた。ぼくが本格的にマンガを読み始めた...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その55(1,730字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 30ヶ月前
ぼくは最近、1970年代後半についてよく考えている。なぜなら、この時代の捉え方が、とても難しいからだ。1970年代後半の日本は、オイルショックの暗さから、バブルの華やかさに急転換した。そういう鮮やかな変容は、他の時代にはあまり見ない。ただ、それなりに近い1950年代前半に、同じような急転換がある。それは、戦...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その54(1,624字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 30ヶ月前
1977年は、時代の転換点だった。このとき、社会は変わった。また、マンガも変わった。では、社会は、そしてマンガは、どう変わったのか?今回は、その変容に迫ってみたい。1977年を象徴するものはなんだろう?そう考えたときに、真っ先に思い浮かぶのが「スーパーカー」だ。1976年から1977年にかけて、日本は空前のスー...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その53(1,905字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 31ヶ月前
オイルショックは、1973年に第四次中東戦争が勃発し、OPECが原油価格を引き上げたことによって起こった。石油頼みの経済構造だった日本社会は、それによってパニックに陥ったのだ。この頃の日本は工業立国で、工場の操業に不可欠なエネルギーははほとんど石油に頼っていた。だから原油の高騰は大きな痛手で、全ての工場...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その52(1,958字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 31ヶ月前
60年代は、世の中がかなり野蛮に推移した。活気はあったが、神経をすり減らすようなとげとげしさが支配していた。そうした時代に、赤塚不二夫のマンガは処方箋になった。きつい毎日を、明るいギャグでなんとか慰めることができたからだ。忘れることができた。それは、一種の麻薬のようなものだった。前回の記事で、「こ...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その51(2,184字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 31ヶ月前
今回は1950年代について見ていく。というのも、赤塚不二夫というマンガを生み出した背景が、あるいはその揺りかごのようなものが、この時代にあると考えるからだ。ところで、赤塚不二夫以前にギャグマンガというのは存在しなかった。もちろん、笑いやユーモアはあったが、赤塚のようなスタイル、あるいは思想的背景――哲...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その50(1,541字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 31ヶ月前
50年代から60年代にかけて、日本ではモダン・ジャズがブームになった。モダン・ジャズというのは、いわゆるマイルス・デイヴィスが創始し、極めたジャンルのことだ。タモリは1945年の生まれで、福岡で育った。1958年に中学生となるが、その頃からラジオばかり聞いていた。おそらくそこでモダン・ジャズ、あるいはマイル...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その49(1,747字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 32ヶ月前
赤塚不二夫という人は、調べれば調べるほど面白い。赤塚不二夫は、タモリに大きな影響を与えた。これは多くの人が知るところだ。と同時に、松本人志にも大きな影響を与えている。これは意外と知られていない。松本人志は、年代が異なるので、活躍していた時期の赤塚不二夫と直接会ったわけではない。しかし彼は、子供の...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その48(1,747字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 32ヶ月前
第二次世界大戦とその敗戦が日本人に与えた影響は計り知れないくらい大きい。あまりに大きすぎて、ほとんどの人がそれを直視できず、無意識下に押しやった。おかげで、今ではほとんどの人がそのことを忘れ、表面的には影響が勘案されることがない。歴史も文化もそこで分断されてしまっている。従って、戦後生まれの人は...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その47(1,756字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 32ヶ月前
マンガは、人間の無意識につながりやすい。しかも、フィルターなしでダイレクトにつながりやすい。それがマンガという表現形式(メディア)の最も大きな魅力の一つだ。だから、ある一個人が自分の無意識を表現したいとき、マンガはとても適している。また、誰かの無意識を受け取りたい読者にとっても、マンガは最適なの...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その46(1,964字)
コメ1 ハックルベリーに会いに行く 32ヶ月前
赤塚不二夫のマンガの最も重要なモチーフは「父」である。特に「父の失権」だ。権力を失った父の、その落ちぶれた様を笑う――というのが、赤塚マンガの基本構造である。その根底には、強烈な父親差別(かつ愛憎)がある。「笑い」というのは、このように差別構造の上にしか基本的に成立しない。しかしながら、弱者を差別...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その45(2,119字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 33ヶ月前
1945年に戦争が終わってから後、1946年から1950年までの5年の間、日本はきわめて混迷した状況の中に置かれていた。特に経済が混迷し、貧乏が全国を覆い尽くしていた。また、1950年頃になると日本全国で労働争議が頻発するようになり、世の中が騒然とし始めた。このままでは貧しさに耐えかねて共産主義国になってしまうの...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その44(1,727字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 33ヶ月前
赤塚不二夫のマンガは今ではもうすっかり読まれなくなった。『おそ松くん』や『天才バカボン』のアニメが再放送、あるいは再評価されることもなくなった。『おそ松くん』は、数年前に『おそ松さん』のタイトルでリバイバルヒットした。ただ、あれは本来の『おそ松くん』とはまた別の何かだ。赤塚不二夫とそのマンガは、...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その43(1,761字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 33ヶ月前
人間というものは、自分が生まれつきできる得意なことを、他人ができなくてもなんとも思わない。例えば、生まれつき工作の得意な大工は、弟子が不器用でも、「才能がないんだな、かわいそうに」で済ませてしまう。こういう親方は、えてして有能な弟子を育てる。ところが、自分も生まれつきそれができず弱点としていたも...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その42(1,693字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 33ヶ月前
赤塚不二夫は、23歳になる年の1958年、秋田書店の「漫画王」という雑誌に『ナマちゃん』を掲載する。これが好評だったためそのまま連載になり、彼の「ギャグマンガデビュー作」となった。その後、それまで描いていた少女マンガと並行しながら、ギャグマンガをぽつぽつと発表していく。そこで、更なる転機となったのは196...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その41(2,190字)
コメ1 ハックルベリーに会いに行く 33ヶ月前
赤塚不二夫は1935年の生まれだ。満州で生まれ、暮らしていたが、終戦によって日本に引き揚げる。憲兵だった父親はシベリア送りとなったため、母親の実家を頼って奈良に引っ越す。この頃、お金がなくて苦労し、また学校でもいじめられたという。そんなときに手塚治虫の『ロストワールド』を読み、マンガ家になることを決...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その40(2,074字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 34ヶ月前
トニー谷は、1950年頃に急激に人気が出た。戦後5年だ。ところが、1955年頃(戦後10年)になると、もう人気が下がっていた。きっかけは、朝鮮戦争の特需によって、1954年から高度経済成長が始まったことだ。これによって、世の中があっという間に豊かになった。それに伴って、ニヒリズムは以前ほどもてはやされなくなった...