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大人は子供の「人と違ったままであれ」を支援できるのか
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大人は子供の「人と違ったままであれ」を支援できるのか

2015-02-28 00:00

     グレアム・ムーア氏についてのこの記事が話題を呼んでいます。

     アカデミー賞で最も感動的だったスピーチ「人と違ったままであれ」  
    「16歳の時、私は自殺を図りました。しかし、そんな私が今ここに立っています。私はこの場を、自分の居場所がないと感じている子供たちのために捧げたい。あなたには居場所があります。どうかそのまま、変わったままで、他の人と違うままでいてください。そしていつかあなたがこの場所に立った時に、同じメッセージを伝えてあげてください」

     私は幼い頃から変わっていることを自覚して、そしてそれをずっと受け入れてもらえて、そのまま成長することができました。思春期に自分の居場所に悩んだこともあるけど、それは多分多くの思春期の人と同じくらいの悩みで、決して自分の人生を断つべきを考えなければならないほど追い詰められることはありませんでした。

     おかげで私は今も楽しく暮らせています。

     ですから、「他の人と違う」と感じる人の一人でも多くが、自分の居場所を安心して持てる環境が整うことを心から願います。未来の普通になってほしいです。

     しかし、私自身の人生を振り返るに、私が変わっていても心の居場所を持ち続けられたのは、かなり運が良かっただけではないかと思われ、私が受けられたこの幸運をどうしたら自分の子供たちも受けられるのか、そして一人でも多くの子が受けられるのかほとんど手がかりはありません。

     ただ手をこまねくわけにはいきませんから、まずは自分の場合を分析してみようと思います。

    *最大の問題はそれが子供たちの問題であること

     この問題に手がかりすら見つけられないのは、それが本質的に子供たち同士の問題だからです。

     私は成績は良かったのですが、性格はちょっと変わっていてクラスの人気者という感じではありませんでした。ただ人の評価をあまり気にしないマイペースな性格なので、小学校くらいはほとんど自覚することもなく「他の人と違うまま」で過ごしていました。

     この点では、自分の性格が幸いしていたことになります。

     しかし、中学になるとちょっとそうも言ってられなくなります。当時の中学はめっちゃ荒れていました。外歩いていると上から水が降ってくるどころか、バケツごと降ってきますし、つっぱりたちは校門の前をオートバイ乗り回したり、先生や他校とケンカばかりしていました。1年の頃は3年生の目なんて絶対見られません。

     そんな中、私は学年トップクラスでしたから、よほど考えないといけません。つっぱりたちに睨まれたら生きてはいけません。文字通りぼこぼこにされるリスクは、現実的な恐怖でした。

     でも、私はそんな中を飄々とだれに殴られることもなく、生き抜いてしまいます。やっぱり変わっていることが幸いしたみたいです。小学生の頃、いつも一緒に遊ぶクラスの友だち二人とは別に、学年一の問題児といつの間にか仲良くなっていて、たまに遊んでいました。泊まったこともあります。夜中に二人で自転車で街を走るという私の中では画期的に不良な遊びもしました。

     その不思議な能力は中学でも発揮されたみたいで、同じ学年のつっぱりたちとはなぜかコミュニケーションしてました。普段遊ぶ友だちは別にいましたが。つっぱりにもグループはあって、一人誰ともつるまない孤高のつっぱりがいましたが、なんか気に入ってくれて、卒業の時になぜか「さらばシベリア鉄道」のシングルをくれて、それはいまでもカラオケの十八番です! ボクサーになりたいと言ってたと思うのですが、ある時腕を触らせてくれて、ほんとに鉄みたいに固くて、感激したことを覚えています。
     後になると不思議なもので、主要グループのつっぱりたちとその孤高のつっぱりと両方どっちつかずにふらふらとコミュニケーション取れてたわけで、そんな人他にいたのかなあ。

     なぜそんな風に生きていけたのか、性格によるところもあったかもしれませんが、一つは塾の存在が大きかったと思います。小学校3年生の頃からずっとあるちょっと変わった同じ塾に通い、そこには親友もいてそれは高校までずっと続くわけですが、つまり、私は完全に二重の社会を持っていました。小学校のクラスの親友と、塾の親友。あるいは中学のクラスの親友と、塾の親友。どう配分していたのか全く覚えていませんが、どっちもとても大切だったことは確かです。

     それがうまくいっていたことは、自分にとってとても心強かったのだと思います。万が一学校でいじめられても、塾があるや、というフェイルセイフがあったわけですから、無理に自分の変わったところを抑え込む必要がなかったのではないでしょうか。成績が良くて目立つうえ、他の成績の良い人のように人付き合いが上手でもないことで、変わっていることは隠しようがありません。変わったままでいるしかないという覚悟は必要で、二重の社会を巧みに活用したのだと思います。そもそも二重性を持ちながら、つっぱりたちにも切られない程度に近づいてさらに多重性をもたせたのでしょう。

     その後高校ではもっと目立ってしまうことになり、そこからは変わっていることが存在意義となり、つまり自分の居場所となっていきます。グレアム氏のように、変わっていることで居場所がなくなるのとは正反対で、むしろ平凡になることを恐れるようになりました。

     私の分岐点はどこにあったのか。二つの社会を持てたことのように思います。全然違う友達がいる二つの社会。たまに片方で息が詰まることがあっても、片方で息抜きができる。

     さらに、その二つの社会をまたいでいるのは自分だけだったことで、その事実自体が、学校の友達から見れば変わっていることであり、つまり、自他共に「変わっている」ことは明白でした。自分は変わっているのかそうじゃないのか、変わっていないように自分を変えるべきかを悩む必要はなく、その「変わっている」という枠組みで生き抜くしかなかったのです。

     そして、最初に大きな問題として断ったのは、ここまで大人は全く出てきません。 
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