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マンガの80年代から90年代までを概観する:その39(1,985字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 34ヶ月前
ニヒリズムという思想は、現代の人々にはほぼ忘れ去られている。しかし終戦から70年安保の頃くらいまで、若者の間にはその嵐が吹き荒れていた。とにかく、ニーチェが流行りまくった。若者は、一も二もなくニーチェを読んだ。『おれは鉄兵』という、ちばてつやが1970年代(つまりニーチェの流行が終息した直後)に描いた...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その38(2,045字)
コメ2 ハックルベリーに会いに行く 34ヶ月前
呉智英の『現代マンガの全体像』という本がある。すでに絶版だが、とてもいい本だ。現代マンガの全体像ぼくにとって呉智英は、とても好きな評論家だ。彼の評論は面白いし、すすめるマンガも面白い。ぼくは以前、呉智英がすすめているのを見て、『テレプシコーラ』を読み始めた。テレプシコーラ/舞姫 第1部 1これが...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その37(1,815字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 35ヶ月前
マンガという表現媒体は、「頭の中の変なもの」が出てきやすい。だから、これだけ巨大な人気と優位性を獲得できたのだろう。では、「頭の中の変なもの」とは何か?それは、端的にいって「無意識」であり、本能ともいうべきものだ。あるいは、人間に内在する「鋭い勘」のようなものともいえる。人間には、秘められたパワ...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その36(1,737字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 35ヶ月前
マンガは、作者が自身の頭の奥底に眠るとんでもないものに乗っ取られながら描く――と名作になる。では、どうすれば乗っ取ってもらえるのか?方法はいくつかある。ざっと分類すると7つあった。もしかしたらもっとあるかも知れないが、とりあえず以下の7つを見ていく。1.若いときに考えたものを描く2.自分をとことん追い込...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その35(1,818字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 35ヶ月前
マンガの特性として、「人間の奥底に眠るとんでもないもの」が表現できる(表現しやすい)ということがある。マンガは、だからこそジャンルとしてヒットしたのではないか。人は、とんでもないものを見たいという欲求をいつでも抱えている。それを満たしてくれるのがマンガなのだ。では、人間の奥底に眠るとんでもないも...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その34(2,563字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 36ヶ月前
浦沢直樹はなぜ面白くないのか?これは非常に難しい設問である。なぜなら、浦沢直樹を「面白くない」と思う自分がいる一方、「面白い」と思う自分もまたいるからだ。浦沢直樹の代表作の一つ、『MONSTER』が1994年にビッグコミックオリジナルで連載が始まったとき、ぼくは雑誌から読んでいたのだが、「これは凄い作品だ」...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その33(1,655字)
コメ2 ハックルベリーに会いに行く 36ヶ月前
マンガが苦戦した90年代を代表するマンガ家は浦沢直樹だ。そこで今回は浦沢直樹を概観してみたい。浦沢直樹は、端的にいうと「ふざけるのが下手」だと思う。根が凄く真面目だと思う。真面目というか「くそ真面目」の堅物だ。真面目の度が過ぎている。だからそこが大きな弱点となっている。浦沢直樹でよくいわれる短所は...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その32(1,494字)
コメ1 ハックルベリーに会いに行く 36ヶ月前
1980年代後半は、今から思うとマンガがつまらなくなりつつあった。『ボーダー』が1986年に始まり1989年に終わるのだが、これが一つの時代の転換点になった。スピリッツでは柳沢きみおが1987年から1990年まで『妻をめとらば』を掲載していたが、これもバブルの時代を象徴するような内容であった。今思うと、バブル経済が...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その31(1,579字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 36ヶ月前
マンガの黄金期は1960年代半ばもしれない。赤塚不二夫と石ノ森章太郎が、それぞれ『おそ松くん』と『サイボーグ009』でヒットを飛ばした。手塚治虫は『ワンダー3』の不発でミソをつけるが、コムでは『火の鳥』を描き、これが結局生涯の代表作となった。ガロでは滝田ゆうや楠勝平がいい仕事をしていた。貸本も永島慎二や...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その30(1,874字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 37ヶ月前
ぼくは1968年生まれだ。1975年は7歳(小1)で、1979年は11歳(小5)である。つまり、ぼくにとっては小学生時代がまるまる70年代後半にかぶっている。この年頃は、人間にとって黄金時代ともいうべき最も重要な時期であるため、それを70年代後半で過ごしたということは、ぼくは70年代後半人間だといえよう。およそ1968年生...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その29(1,527字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 37ヶ月前
ここで「世代」というものを考えてみたい。戦中から現代までの「世代」は、ちょうど10年ずつできれいに色分けできる。1936−1945 戦中世代1946−1955 団塊の世代1956−1665 シラケ世代1966−1975 新人類1976−1985 団塊ジュニア1986−1995 ゆとり世代1996−2005 Z世代2006−2015 (まだ名前がない)ぼくは1968年生まれ...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その28(1,585字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 37ヶ月前
オタク第一世代は1950年代後半の生まれだ。ぼくは1960年代後半の生まれなので、彼らより10歳年下ということになる。彼らがちょうどマンガやアニメに本格的に(オタク的に)目覚めるのは10歳頃だ。そのときは『巨人の星』と『あしたのジョー』の全盛期だった。だから、マンガの原初体験としてはこのムーブメントがある。...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その27(1,749字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 37ヶ月前
1960年代後半になると、赤塚ギャグは急速に失速する。理由は、ニヒリズムの終焉だ。この頃、世の中は急速にニヒルではなくなった。理由はいくつかあるが、一つはベトナム戦争だ。またその背景にある冷戦だ。これによって、「世界はまだ戦争状態にある」ということが可視化され、平和も砂上の楼閣であることが子供たちに...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その26(1,938字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 38ヶ月前
赤塚不二夫は1958年、秋田書店に『ナマちゃん』というギャグマンガを描く。これが好評で、そこから一気にギャグマンガ家への道を歩み始める。その後、1962年に植木等の「スーダラ節」をヒントにその名も『スーダラおじさん』というマンガを少年サンデーで描くが、これがさらに好評で、少年サンデーでの週刊連載が決まる...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その25(1,570字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 38ヶ月前
赤塚不二夫は60年代の中頃から後半くらいまでの3年間が絶頂だった。しかし70年の音が聞こえるくらいにはもう衰退していた。なぜかといえば、まず世の中の雰囲気が一変したということがある。とにかく大学紛争一色に塗りつぶされた。特に69年は東大安田講堂事件もあって受験までもがなくなった。そういう騒然とした雰囲気...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その24(1,855字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 38ヶ月前
ここまで見てきたように、植木等と赤塚不二夫は、同じ流れを汲みながら、微妙に違う。植木等は、真面目なことを考えるのはやめて、人生を楽しみましょう――というものだ。一方の赤塚は、真面目なことを考えることも、そうでないことも、どっちも楽しみましょう――というものだ。赤塚の方が、視点がさらに一段階メタなので...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その23(1,942字)
コメ2 ハックルベリーに会いに行く 38ヶ月前
1960年代。マンガは市民権を得る。そこで主役となったのが、マンガの神様である手塚ではなく、塚は塚でも赤い塚――赤塚不二夫であった。赤塚は、「1960年代に日本中に蔓延した窮屈さ」を解消する救世主として、大スターに上り詰めた。この新しい窮屈さは、戦前の窮屈さとは違った。戦前の窮屈さは、ロープで締められるよ...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その22(1,622字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 38ヶ月前
最近は、マンガのことばかりを考えている。マンガとは何か?なぜ、マンガという表現形態が日本で成立し、社会の中で大きな地位を占めるようになったのか?おそらくは、日本文化独特の、子供が強いられる「窮屈さ」に原因があった。日本は、国土が狭い割に食料と水が豊富で、暮らしやすい。おかげで、人口が増えやすい。...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その21(1,734字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 39ヶ月前
今回は、『ドカベン』がなぜ柔道マンガからスタートしたか――を書くつもりだったが、少し趣向を変えて、ぼくが今マンガについて思っていることを散文的に書いてみたい。まず、そもそも「マンガはなぜこれほど日本で流行したのか?」という疑問がある。マンガは日本で生まれ、発展した。そこから世界中に広まって、今では...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その20(1,937字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 39ヶ月前
『巨人の星』で画像検索すると、有名な「マウンド上で足を高く跳ね上げるポーズ」の絵がたくさん出てくる。これに象徴的なのだが、『巨人の星』におけるポーズは、「中間の動き」ではなく「決めポーズ」として機能している。その他のポーズも、だいたいが「決まって」いる。途中の動きがない。「決めポーズ」というのは...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その19(1,789字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 39ヶ月前
マンガでは、どのような「決めポーズ」が流行したのか?まず、初期の手塚マンガや横山光輝のマンガ、そしてトキワ荘メンバーのマンガにも、「決めポーズ」は見て取れる。パッと思い浮かぶのは、アトムや鉄人28号の飛行のポーズだ。年代が下ると、白土三平の忍者マンガが流行った。ここでの印象的な決めポーズは、走ると...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その18(1,943字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 40ヶ月前
ポーズには、第一に「大きな価値の一部、あるいはそのものになれる」という効果がある。例えば、スペシウム光線のポーズを取ると、ウルトラマンそのものになれる。ヨガのポーズを取ると、健康になれる。第二に、「大きな価値に触れる」という効果がある。例えば、神社への礼拝。これは、神社そのものにはならないが、主...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その17(1,811字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 40ヶ月前
ポーズとは何か?1960年代から70年代にかけて、「ポーズ」が世の中を席巻したことがあった。シェー、ウルトラマン、仮面ライダー、ピース。1990年頃、それらをパロディにして『サルでも描けるまんが教室』というマンガにおいて、「ちんぴょろすぽ~~~ん!!」というポーズを流行らせようという試みがあった。これは、...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その16(1,814字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 40ヶ月前
「ポーズ」という要素は、マンガにおいてきわめて重要だ。もちろん、絵画においても重要なのだろうが、マンガにおいてはより重要といえるだろう。なぜなら、マンガは「動きを錯視」させるということを、一つの大きな目的(目標)に据えているからだ。そもそも、手塚治虫がマンガを描き始めたのは、アニメを作りたいのに...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その15(2,353字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 41ヶ月前
人間の目は、シルエットで対象をとらえる。だから、シルエットが好きだ。影絵を見たら、特にそれが人の形で動いていたら、興味を引かれるし、何をしているのかもだいたい分かる。人は、人形劇や紙人形が好きだ。それが進化した表現であるところのアニメも好きだ。それは、これらがシルエットでできているからだ。そもそ...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その14(1,721字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 41ヶ月前
夢で見る映像は――・スイッチング・俯瞰・焦点がほやける・シルエットという現実とは少し違う4つの特徴がある。このうち「焦点がぼやける」というのは、かつての絵ではポピュラーな技法として用いられた。また、写真もレンズの性能が悪いときは、自然と中心以外ボケる効果があったから、この技法に則っていた。ただ、レン...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その13(1,638字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 41ヶ月前
写真における「ボケ」の価値というのは興味深い。そもそも、ボケは西洋的合理主義の中では失敗ととられていた。そのため、写真が誕生して以来、長い間人々はボケのない写真を撮ることに腐心してきた。しかし、カメラのレンズは長い間なかなか性能が上がらなかったので、ボケることは避けられなかった。そのため、ほとん...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その12(1,631字)
コメ2 ハックルベリーに会いに行く 41ヶ月前
人間は「映像のスイッチング効果」に無条件で魅入られる。しかし、スイッチングは現実にはない。人間の目は基本的に一つしかなく、自分が移動すれば視点も切り替わるが、しかし他のカメラ(目)に瞬間的にスイッチすることはない。そのため、スイッチングは現実の模写ではない。通常、人間は現実の模写にこそ惹かれ、逆...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その11(1,742字)
コメ2 ハックルベリーに会いに行く 42ヶ月前
マンガではなぜ、運動の疑似体験ができるのか?結論からいうと、それはコマ割りの効果だ。マンガのコマは全く独特で、これはバンドデシネやアメコミとも大きく違うところだが、これが運動の疑似体験をもたらすのだ。マンガのコマの最大の特徴は、不定形かつ不定量なところである。その「不連続」でできているところだ。...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その10(1,739字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 42ヶ月前
ここで、ぼくが本連載で確立したい「考え方」を整理してみたい。「そもそもマンガとは何か?」ということに対して、歴史を紐解くことによって一定の仮説を打ち立てたい。鍵となるのは、読者が語る「映画的体験」についてである。特に、「動いて見える」というバーチャル体験の謎を解き明かしたい。『新宝島』のオープニ...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その9(2,022字)
コメ1 ハックルベリーに会いに行く 42ヶ月前
マンガの根底には「村社会」と「日本の狭い国土」がもたらす根源的な「窮屈さ」と、それへの「無意識の抵抗」があるのではないか。つまり、人々が心理的にも肉体的にも窮屈な思いをしていて、マンガはそのガス抜きの役割を果たしている。特に、子供に対しての役割が強い。マンガには「窮屈さを解放する役割(心理的身体...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その8(1,680字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 42ヶ月前
ここで、名作マンガがその時代時代の読者の、どんな身体感覚に訴えかけたかを見てみたい。『新宝島』戦後の焼け野原で米軍のジープに憧れる子供たちの身体感覚。スポ根ものテレビでスポーツ中継を見、運動選手に憧れた子供たちの身体感覚。プロレス、ボクシング、そしてオリンピック。野球マンガ野球少年の身体感覚。ち...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その7(2,182字)
コメ2 ハックルベリーに会いに行く 42ヶ月前
マンガは、実は読者の「身体感覚」に訴えかけるものだ。昭和の中頃、『新宝島』を見た当時の子供たちは、なぜ画面を見て「車が本当に走っている!」と感じたのか?それは、マンガが読者の身体感覚を刺激したからだ。それは一種の「バーチャルリアリティ」だった。マンガにはもともと、「聞こえないはずの声が聞こえる」...
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マンガの80年代から90年代までを概観する:その6(1,909字)
コメ1 ハックルベリーに会いに行く 43ヶ月前
マンガに親子でハマるためには何が必要か?それは、「分かりやすさ」と「奥深さ」が同居することだ。分かりやすさで子供を射抜き、奥深さで大人を射抜く。では、「分かりやすさ」とは何か?それは、キャラクターが体現する「無意識における抑圧の解放」だ。では、「奥深さと」は何か?それは、「世界観の緻密さ」と「展...